水前寺清子の情報(すいぜんじきよこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
水前寺 清子さんについて調べます
■名前・氏名 |
水前寺清子と関係のある人
小川寛興: 明日がござる(1975年 - 1976年、TBS、主演:水前寺清子) 平尾勇気: 18歳の頃には、山本譲二のディナーショーなどに呼ばれ、前座として松山千春、桑名正博、水前寺清子などと共演を果たしている。 小瀬朗: コント55号と水前寺清子の神様の恋人 (1968年、松竹) - 八郎 馬飼野俊一: 水前寺清子 大和なでしこ: 水前寺清子公演 杉本彩: 桜新町の住民からは水前寺清子、やくみつると並んで「桜新町3大有名人」と称されているという。 やまだひろあき: 「胸を張って槍を刺してか〜んつー! か〜んつー!」 - 水前寺清子の365歩のマーチの替え歌 星野哲郎: 水前寺清子 ドイツみちこ: 「水前寺清子に似ている」と言われることが多いことから、水前寺清子の物真似ネタも持っており、スナックのアルバイトでは、店のカラオケで「三百六十五歩のマーチ」を歌ってはチップで小銭をもらっていたという。その後、水前寺の物真似を入れたコンビネタをテレビで演じたところ、これを観た水前寺の後援会の人が水前寺本人に伝えてくれたことがきっかけで、BSフジ『水前寺清子情報館』で水前寺と共演し、水前寺本人から公認を得たこともある。 大月みやこ: 大月が紅白初出場を果たした第37回の紅白では、同じ年にデビューした水前寺清子は22回目の出場で、デビュー22年目にして檜舞台の紅白に登場した大月を激励した。 桜むつ子: コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ(1969年、松竹) 俵山栄子: 水前寺清子 青江三奈: 葬儀と告別式で親友の水前寺清子が歌手仲間の代表として弔辞を読んだ。 生田悦子: コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年、松竹) 竹村次郎: 水前寺清子 遠谷比芽子: 神田うの 役・藤田朋子 役・水前寺清子 役・佐伯チズ 役・アグネスチャン 役・(中川家篇・加藤茶篇・温水洋一篇) 星野哲郎: 喪主は長男の有近真澄が務め、葬儀では長年親交が深かった作曲家の船村徹と、愛弟子である水前寺清子が弔辞を読み上げ、自ら作詞した「男はつらいよ」の曲に乗せて出棺された。 小林幸子: 泉ピン子や夏木マリは美川憲一と同じく、一緒にキャバレー廻りの営業をして互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、同期の水前寺清子に都はるみ、五木ひろし、後輩の小柳ルミ子、浅野ゆう子、グッチ裕三、コロッケ、真琴つばさや牧村三枝子なども大の仲良しの間柄でもある。 坂本千夏: 小学4年生の時、茨城県の親戚の結婚式の披露宴会場で水前寺清子の『いっぽんどっこの唄』を歌っていた。 市川昭介: 水前寺清子 米山正夫: 1963年、クラウンレコード創設と共に同社の専属になり、西郷輝彦「涙をありがとう」、美樹克彦「花はおそかった」、水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』、小林旭『赤いトラクター』、同じくヤンマーの『ヤン坊マー坊天気予報』のテーマ曲としてお馴染みの『ヤン坊マー坊の唄』、美川憲一『おんなの朝』など多くのヒット作品を残した。 人生幸朗: 幸子が流行歌(森昌子「せんせい」、水前寺清子「いつでも君は」など)を聴くに堪えぬ金切声でひとしきり歌い(歌の最中にも幸朗は細かいツッコミを入れる)、歌い終わる頃に幸朗が「止まれ~! ストップ!」と号令を出し歌を終わらせ、「善良なお客さんを前にして、何という耳障りな歌を歌いよるかァ! ……愚かなる女め」とやり込める。 トニーヒロタ: 水前寺清子 小杉仁三: 水前寺清子 瑠川あつこ: 水前寺清子主演 月曜ミステリー劇場 / 警察庁・内偵監察官 桜沢葵の事件簿(2005年、TBS系) 島倉千代子: 島倉の訃報を受けて、当時内閣官房長官だった菅義偉を始め、北島三郎、五木ひろし、細川たかし、氷川きよし、水前寺清子、大月みやこ、都はるみ、八代亜紀、小林幸子、森昌子など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケ、山田邦子らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。 小米良啓太: のど自慢(水前寺清子、池乃めだかほか出演) 森川正太: 水前寺清子公演(新宿コマ劇場、1994年) 坂上二郎: コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年 松竹) 市川昭介: 袴をはいた渡り鳥 (元々は畠山みどりに提供するはずだったが、諸事情で水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」として世に出たもののオリジナル) |
水前寺清子の情報まとめ
水前寺 清子(すいぜんじ きよこ)さんの誕生日は1945年10月9日です。熊本出身の歌手のようです。
卒業、ドラマ、母親、結婚、離婚、テレビ、父親、現在、家族、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。亡くなられているようです。
水前寺清子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、1945年(昭和20年)10月9日 - )は、日本の女性歌手、女優。本名:林田 民子(はやしだ たみこ)。身長158cm、血液型O型。 熊本県熊本市中央区の子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす。熊本市立碩台小学校、洗足学園中学校・高等学校卒業。 芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。愛称の「チータ」は、小柄な水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなたみちゃん」と呼んだことに由来する。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの衣裳を用いることがある。 過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。 見得を切りながらの歌唱は「んーにゃっ!」という語尾ひねりによって、誇張してモノマネされることが多い。自らのモノマネを意識してあえてひねることもある。 15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。その際に星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが、のちのデビューのきっかけになった。その後は、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった。水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定であった「袴を履いた渡り鳥」を、畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で、念願のデビューを果たした。 1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ『ありがとう』に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活や、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサーの石井ふく子は、このドラマを構想して以来は、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えては口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた。しかし、水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美(母親役は京塚昌子)に交代となった。 1994年にサントリーフーズより清涼飲料水「C.C.レモン」が発売となり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。 プロサッカークラブのロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、ロアッソのファンであることを公言している。 『NHK紅白歌合戦』には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かった。トリも1983年(第34回)に1度務めている。全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。 また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。 2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざを剥離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、靭帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」と綴った。 これまでに制作した衣装や着物などを自宅内に全て保管しており、ごみ屋敷状態になっていると、2015年10月5日放送の『私の何がイケないの?』で紹介され、捨てずに整理する方法を提案されてから、総勢13名が作業にあたり綺麗に片付いた。 前史 - 水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していており、家政婦を何人も雇うほど裕福な環境であった。歌が得意で、のど自慢やコンテストに出場していた民子をいつしか「歌手にしてやりたい」と思った父は、日本舞踊やバイオリンなどの習い事をさせた。しかし、1957年の冬、過大投資が祟って事業は破綻。一家は夜逃げ同然に「あさかぜ」で上京。八畳一間の部屋で親子だけの生活を始める。父は精肉店で働き、母は内職で家計を支えた。裕福だった熊本時代から一変し、生活に余裕はなかったが、父は娘を歌手にする夢を捨てずに音楽を続けさせた。民子はその期待に応えようと努力を惜しまなかった。 1960年 コロムビア歌謡コンクールに出場。2位入賞。作詞家の星野哲郎にスカウトされる。 1964年10月15日 「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。 1968年 「三百六十五歩のマーチ」が100万枚の大ヒット。翌1969年3月開催の第41回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用となる。 1969年 「三百六十五歩のマーチ」で第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。 1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS)主演。 1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。 1985年 つくば万博での公演に音楽家の小松明がバックバンド兼指揮者として参加。まもなく交際を始める。 1989年 小松との結婚を発表。同年2月28日、水前寺公園の中の出水神社で挙式。小松が水前寺の個人事務所の社長に就任。 2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。 2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で「三百六十五歩のマーチ」をデーモン閣下と歌唱。 2017年 第1回ももいろ歌合戦に出場、以後2023年に至るまで毎年出場を続けている。 2018年 自身が司会を務める『人生は三百六十五歩のマーチ』が放送開始。水前寺の55周年をお祝いするという形で親交のあるゲストが毎週出演し、水前寺との思い出を語るという集大成の番組である。 2019年 旭日小綬章受章。 2020年 デビュー55周年を祝いBSフジで司会を務める『人生は三百六十五歩のマーチ』の中でチータ55!と副題をつけたタイトルで2時間の特番が放送された。それを祝いゲストにデビュー当初から親交のある歌手の美川憲一と山田太郎が出演。故郷である熊本ロケも行われた。 2020年12月4日、離婚していたことが報じられた。小松は事務所からも退き、水前寺が社長に就任したことも明らかになった。 水前寺は1960年代半ばから1980年代まで紅組トップバッター2回、紅組トリ1回、紅組司会4回、1981年よりチームリーダー制が敷かれてからは紅組リーダー4回(1983年は盟友である同期デビューの都はるみにその座を禅譲している)をそれぞれ務めた。 1968年、第19回紅白で初の紅組司会を務める。冒頭の選手宣誓で「昭和43年」を「昭和33年」と言い間違えた。またこの頃は、着流しやパンツルックなどボーイッシュな衣装でテレビに出ることが多かったが、芸者姿で司会に挑んだ。水前寺は「当日ドキドキで精神安定剤を飲んだらスーッと気持ちが落ち着いてきたから、『こりゃいいや』と思ってもう1錠飲んだらヘロヘロになっちゃって。選手宣誓の時、昭和43年を34年と言っちゃった」と話している。 1971年、2回目の紅組司会を務めたが、紅組トリおよび大トリとなった美空ひばりの曲紹介を拒否したと噂されたことで、後日謝罪の記者会見を行い波紋を呼んだが、実際は、大トリだけは宮田輝が司会をするということが決まっていた(フジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演時の発言より)。 翌1972年の紅組司会は佐良直美に変更となるも、その翌1973年は水前寺が同年3回目の紅白司会を務めている。なお1972年では紅組の「応援団長」を務めたが、この時白組の応援団長を務めたのは、『NTV紅白歌のベストテン』で初期に共演があった堺正章だった。 1979年、4回目の司会を務めた紅白では、歌手としてよりも司会の方に重点を置く意思で司会に臨んだ。特に初出場で緊張の極度にいる歌手に対しては激励の言葉をかけ続けたり、各歌手のいい部分を最大限すくい上げようと司会者面談をいつも以上に念入りに行うなど努力を惜しまなかった。 1982年の入場行進は、それまでの五十音順での行進という鉄則を破って、意表をつく組み合わせでの入場となった。この時に同期の都はるみと共に入場した相手は当時のトップアイドル、近藤真彦・田原俊彦だった。 1983年、「あさくさ物語」で出場19回目にして初の紅組トリを務める。しかしこの年、紅白の直前に最大の理解者であった父が死去。紅組トリでは終始涙を浮かべて歌い上げた。紅組司会の黒柳徹子は「天国のお父ちゃん、聞こえますか?」と曲紹介時に述べた(黒柳の言葉を聞いた水前寺は父親に届いたと思ったという)。なお、水前寺は11月20日の時点で紅組トリ担当を知らされていたが、関係者や親族にも明かしてはならないと、NHKとの取り決めにより、病床の父にもその事実を告げることができなかった。それが心残りとなっていると言い、この事実を父親に告げていれば、紅白本番の時まで父親は生きていてくれたのかもと思っていると話す。そして同年から1985年まで設けられた個人賞「銀杯」を獲得している(優勝チームの個人賞は「金杯」で、白組の沢田研二が獲得)。 1987年、紅白改革の嵐に巻き込まれる形で、出場22回にして落選という挫折を味わう。その際、番組側から水前寺に対し「辞退した」と発表することを許可されたが、「(落選という)結果を正面から受け入れようと思いました。辞退は逃げだと思います」とこれを拒み落選をそのまま公表した。1990年代に入り、紅白でも懐メロが本格的に解禁されて再出場の機会は幾度となくあるものの、落選後は1度も出場できていない。紅白が50回を迎えた時のインタビューでは「今ではテレビで見る立場になってしまいましたが、お声がかかったり時代の流れに乗ればいつでも出るし待ってます」とコメントしている。ただし、紅白の事前番組(『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)にはコロッケらとほぼ毎年出演している。また、2009年11月に読売テレビ制作・日本テレビ系列『情報ライブ ミヤネ屋』にゲスト出演した際、紅白に初出場を果たした歌手が記者会見で「親孝行になった」と発言する姿が印象的だと話し、紅白を「若い歌手に是非出てほしい番組」と推奨していた。 自身のブログでは、「紅白はヒット曲が出ない限りは出場しない。今は半卒業状態」だと綴っていた。 紅白の出場がなくなって久しい一方で、前述の通り2017年から毎年大晦日に開催されている『ももいろ歌合戦』に初回から2023年の第7回に至るまですべての回に出場を続けている。 デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていたが、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。また、星野の葬儀では弔辞を読み上げた。 ペプシコーラのCMソングに起用された「1+1の音頭」は、1970年11月までに26万枚を売り上げ、盆踊りの定番曲の一つとしても知られる。水前寺が宣伝以外でこの曲を歌うのは2015年11月7日にトロント日系文化会館で開催されたチャリティーコンサート が初めてだったという。 TBSのドラマ『ありがとう』に出演を拒んだ理由として、「私は歌手であり、女優をやったら歌が売れなくなってしまうから」と本人が語っている。しかし、石井ふく子の熱心な説得により出演し、結果的に高視聴率を獲得し、シリーズ化されるほどの人気を博した。しかし、「その後、歌が売れなくなった」と、本人は自虐的に語っている。 実母の介護経験から、熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立した。母親が認知症を患った際に、最初に水前寺の名前を忘れてしまったことがショックだったと語り、その時の介護経験を生かせないかと思ったことが切っ掛けとなり、設立を決意したという。 1989年、43歳の時に結婚した6歳年下のサックス奏者・小松明は結婚後は水前寺の個人事務所社長に就任し、マネージメント業務に専念していた。小松は業界関係者に平身低頭で売り込む姿から『水前寺清』と業界内で形容されていた。一方で水前寺の仕事に対しては非常に厳しく、関係者やスタッフが大勢いる前でも厳しい言葉で罵倒していたこともあった。2020年12月、結婚から32年目にして熟年離婚したことが明らかになった。 デビュー時から現在まで一貫して世田谷区桜新町に在住。毎年4月に行われる「さくらまつり」には毎年出演している。 2022年5月12日、海上自衛隊護衛艦隊、第12護衛隊(母港:広島県呉基地)が新たなロゴマークを公表した。第12護衛隊のニックネームは「チーター」とのことで、それに関連して水前寺清子が歌う『365歩のマーチ』の一節にある「人生はワンツーパンチ」をチーターとともにデザイン化した。このデザイン化にあたっては、水前寺清子も認可を与えたという。 |
さいとう大三 | 叶弦大 | 京建輔 | CRCN-1816 | |||
02 | ありがとうの歌(新アレンジ) | 大矢弘子 | |||||
128 | 2018年9月5日 | 01 | 熊本城 | 久仁京介 | 徳久広司 | 石倉重信 | CRCN-8180 |
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02 | 人生これから | ||||||
129 | 2022年8月3日 | 01 | 運否天賦で行こうじゃないか | 美樹克彦学斗 | 岡千秋 | 水谷高志 | CRCN-8498 |
02 | 昭和放浪記〜新録〜 | 阿久悠 | 小林亜星 |
デュエット・シングル
発売日 | デュエット | 曲順 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | レーベル | 規格品番 |
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1992年10月21日 | 美川憲一 | 01 | 女と男 | 三浦弘 | 竜崎孝路 | 日本クラウン | CRDN-148 | |
2000年11月1日 | 武田鉄矢 | 01 | いきてゆく物語 | サンプラザ中野 | パッパラー河合 | CRDN-713 | ||
- | 02 | 夕暮れのララバイ(歌:水前寺清子) | かず翼 | 松井達夫 |
企画シングル
- 三百六十五歩のマーチ 2017
話しあいのマーチ(1969年、規格品番:C7S-42)
- 作詞:星野哲郎、作曲:猪俣公章、編曲:竹村次郎
※非売品ソノシート。自由民主党の広報曲(イメージソング、一種のCMソング)。同年の第32回衆議院議員総選挙、1973年の第33回衆議院議員総選挙で使用された。
LP
CD
(注意点)
対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
天と地と(1969年、NHK総合) - 八重 役
ありがとう(TBS系、1970年-1973年(第1-3シリーズ)) - 主演・四方光 / 古山新(十新) / 志村愛 役
女と味噌汁 その18(1971年、TBS系)
おれは男だ! 第18話「若い生命をぶっつけろ! 」(1971年、日本テレビ系)
天下御免(1971年、NHK総合) - ナレーション
青春をつっ走れ 第16話(1972年、フジテレビ) - 水町清子 役
父と母の子(1973年1月6日、NTV) - 主演
ほうねんまんさく(1974年、フジテレビ) - 主演
東海道姉ちゃん仁義(1974年、フジテレビ) - 主演
あたしのものよ(1974年 - 1975年、TBS系) - 野尻七七 役
明日がござる(1975年、TBS系) - 世渡集子 役
バケタン家族(1976年、NET)
大江戸捜査網 第269話「涙の花嫁衣裳」(1976年、12ch) - おきよ 役
銭形平次 第691回「涙の重さ」(1979年、フジテレビ)
遠山の金さん 第1シリーズ 第66話「姓は女医、名は酔いどれ芸者!」(1983年、テレビ朝日、東映) ※高橋英樹版
暴れん坊将軍II 第43話「鉄火意気地のおんな河岸」(1984年、テレビ朝日) - おけい 役
必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜(1985年、ABC、松竹) - お鹿 / イエローディーア 役
木曜ドラマストリート「心はロンリー、気持ちは「…」IV」(1986年、フジテレビ)
銀河テレビ小説 まんが道・青春篇(1987年、NHK総合) - 須賀照江 役
春日八郎物語(1993年、テレビ東京)
郷土の偉人シリーズ(テレビ熊本)
- 肥後のカミナリ 北里柴三郎(1994年11月3日)
火の国への望郷、そして愛…作詞家・島田磐也(1996年11月3日)
痛快大名 徳川宗春~吉宗に挑んだ男(1996年、テレビ東京) - 瓦版屋 役
教習所物語(1999年(スペシャル)、2000年(連ドラ)、TBS系) - 小鳥遊美幸 役
土曜ワイド劇場「法医学教室の事件ファイル16・監察医VS鑑識官 ふたりの熱い闘い」(2002年、テレビ朝日) - 中根祐美子 役
お義母さんといっしょ(2003年、フジテレビ) - 荒巻よし江 役
VICTORY!〜フットガールズの青春〜(2003年、フジテレビ)
ナースマンがゆく(2004年、日本テレビ) - 高沢留美子 役
月曜ミステリー劇場 警察庁・内偵監察官 桜沢葵の事件簿(2005年3月7日、TBS) - 主演・桜沢葵 役
課外授業 ようこそ先輩(2005年10月26日、NHK総合)
火曜ドラマゴールド 大女優殺人事件(2007年、日本テレビ) - 坂東都季子 役
新・美味しんぼ PART2(2007年、フジテレビ)
新・京都迷宮案内5 第10シリーズ 第1話(2008年1月17日、テレビ朝日) - 佐竹律子 役
水戸黄門 第40部 第6話「肝っ玉母さん 猛烈告白 -松島-」(2009年8月31日、TBS) - 紀代 役
サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年12月1日、フジテレビ) - 犬を連れた婦人 / 本人 役(特別出演)
戦力外捜査官 第7話(2014年2月22日、日本テレビ) - 北里スエ子 役
情報番組
情報番組以外(バラエティ・音楽・アニメ・トークなど)
夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
NTV紅白歌のベストテン(日本テレビ) - 紅組初代キャプテン
九州土曜プレゼント(NHK九州・沖縄ブロック放送)
チータ55号(TBS系)
みつばちマーヤの冒険(1975年、朝日放送) - 主題歌 チータとみつばち合唱団名義
飛べ!孫悟空(1977年 - 1979年、TBS) - イタチ女王 役(声の出演)
テント2002 お茶の間娯楽館 この人この歌(NHK衛星第2テレビジョン) - 司会
BSふれあいステージ(NHK衛星第2テレビジョン) - 司会
渋谷らいぶステージ(NHK衛星第2テレビジョン) - 司会
昭和歌謡大全集(1992年 - 2007年、テレビ東京系列、不定期放送) - 司会
人生は三百六十五歩のマーチ(2018年10月13日 - 2020年9月26日、BSフジ) - 司会
NHKのど自慢(2023年4月16日、NHK総合・ラジオ第1・FM)
他多数
座頭市鉄火旅(1967年) - お春 役
わが命の唄 艶歌(1968年) - 眉京子 役
コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年) - 鶴田きよ / 水前寺清子 / 煙草屋のソメ子 役
コント55号と水前寺清子のワン・ツー・パンチ 三百六十五歩のマーチ(1969年) - 水前寺亭清奴 / 鶴田清子 役
三度笠だよ人生は(1970年) - 松浦政子 役
コント55号と水前寺清子の大勝負(1970年) - 庄司清子 役
あまから物語 おんなの朝(1971年) - 長谷部キヨ 役
おしゃれ大作戦(1976年) - TVショーの歌手 役
山下少年物語(1985年) - 山本先生 役
デコトラの鷲 其の五 火の国熊本親子特急便(2008年) - 竹原珠代 役
元気印! チータdeマーチ(熊本放送ほかAMラジオ各局)
いすゞハイウェイパートナー・水前寺清子の夕焼け歌謡曲(文化放送)
野村邦丸のごきげん!二重丸◎(文化放送)
おはよう!ニッポン全国消防団(ニッポン放送) - 番組開始1年目から年1回、1ヶ月間出演(2016年除く)
ペプシコーラ(水前寺自身の談によれば、コカ・コーラを愛飲しておりペプシコーラはそれまで飲んだことがなかった。撮影スタジオにはコカ・コーラが用意されていたといい、それ以後水前寺はペプシコーラのファンになったという)
明治製菓(現・明治) ストロベリーチョコレート
東芝 エアコン「木かげ」
エスエス製薬 エスタック、新エスエスブロン液
協和発酵 ダイヤ焼酎(現在はニッカウヰスキーが製造し、アサヒビールから発売)
カネボウ カップしるこ(現在はクラシエフーズから発売)
カゴメ バーベキューソース
ユニ・チャーム 愛犬元気
サントリー C.C.レモン(CMソング。のちに、出演しているバージョンもあり)
マンダム GATSBY(歌)※三百六十五歩のマーチの替え歌
高橋酒造 ロアッソ熊本応援ボトル ※挿入歌「HIKARI」も歌っている ※熊本県限定
コナミ がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス
『きっかけはフジテレビ』初代キャンペーンキャラクター(2002年)
テレビ熊本(ナレーション)※熊本県限定
^ 現:ソニー・ミュージックレーベルズ アリオラジャパン
^ 歌唱メンバー:水前寺清子、TEE、アキシブproject、カプ式会社ハイパーモチベーション、絶対直球女子!プレイボールズ、FES☆TIVE、愛乙女☆DOLL
^ 文献によっては「話し合いのマーチ」という表記もみられるが、ここではソノシート表面での表記に従う。
^ 水前寺音楽出版から発売された自主制作アルバム。
^ “これまでに訪れた所 熊本県”. ここはふるさと旅するラジオ. NHK. 2014年4月19日閲覧。
^ 向谷, 匡史『夢は叶う トップランナー30人「運の履歴書」』主婦と生活社、2001年11月5日、116-126頁。ISBN 4-391-12571-4。
^ “《もうチータは終わった…》デビュー60周年の水前寺清子が激白、演歌の大御所が“歌うこと拒んだ”「大ヒット曲拒否事件」”. ポストセブン. https://www.news-postseven.com/archives/20240819_1984311.html?DETAIL 2024年8月20日閲覧。
^ “「ヒューマン」水前寺清子、汗かきべそかき半世紀”. サンスポコム (産経デジタル): p. 5. (2014年11月29日). https://www.sanspo.com/article/20141129-MRKNEFCFE5OIJC5XOIZN4U6VAY/5/ 2018年9月1日閲覧。
^ “スペシャルインタビュー 水前寺清子さん”. 自然化粧品 サビーナ. 2024年2月16日閲覧。
^ 合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年
^ 『お宝TVデラックス』での石井・水前寺両者の証言より。
^ “私の何がイケないの?”. gooテレビ番組. 2024年2月16日閲覧。
^ “水前寺清子、熟年離婚の背景 夫から大勢の前で罵倒された”. NEWSポストセブン (2020年12月10日). 2020年12月10日閲覧。
^ “第11回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2021年8月2日閲覧。
^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
^ “秋の叙勲、柄本明さんら4113人 伊達忠一氏に桐花大綬章”. 日本経済新聞 (2019年11月3日). 2023年1月20日閲覧。
^ “水前寺清子 超熟年離婚していた、75歳心機一転 自らの力で歩んでいく決意”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年12月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/04/kiji/20201203s00041000644000c.html 2020年12月4日閲覧。
^ 『紅白50回』
^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、196頁。NDLJP:12025175/103。 (『東京新聞』1970年11月12日)
^ 例として“【イベント案内】8/16(金)「にしわき市・黒田庄夏まつり」開催のお知らせ☆”. にっぽんまんなか紀行(西脇市観光協会) (2013年8月10日). 2013年8月10日閲覧。
^ “観客に元気と感動を与えてくれた「チータ」水前寺清子チャリティーショー - e-Nikka、2015年11月12日号”. 2024年2月16日閲覧。
^ “心のエステ Session 23 水前寺清子さんから聞いた感動話”. bits LOUNGE (2015年). 2024年2月16日閲覧。。
^ “「人~生はワンツーパンチ!」水前寺清子お墨付き 海自第12護衛隊の新マークは「チーター」”. 乗りものニュース (2022年5月13日). 2022年7月2日閲覧。
^ DTR_tokyoのツイート(543686263463624704)
^ 菊水丸店主 珍宝堂 河内家菊水丸 珍宝は非売品ソノシート「自民党 話しあいのマーチ」まるで現状を予言する曲、スポニチ Sponichi Annex 芸能、 2024年11月6日。
^ 「首都決戦① そのイメージ戦略」『読売新聞』1971年2月24日。山川浩二(編)『CMグラフィティ テレビ25年の記録 第2集』誠文堂新光社、1981年、44頁。NDLJP:12020479/24
^ 『自由民主党年報 昭和47年』自由民主党、1973年、110頁。NDLJP:11928397/66。151頁。NDLJP:11928397/46
赤頭巾ちゃん気をつけて
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水前寺清子 - NHK人物録
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表
話
編
歴
1951 加藤道子
1952 丹下キヨ子
1953(年初)本田寿賀
1953(年末)水の江瀧子
1954 福士夏江
1955 宮田輝
1956 宮田輝
1957 水の江瀧子
1958 黒柳徹子
1959 中村メイコ
1960 中村メイコ
1961 中村メイコ
1962 森光子
1963 江利チエミ
1964 江利チエミ
1965 林美智子
1966 ペギー葉山
1967 九重佑三子
1968 水前寺清子
1969 伊東ゆかり
1970 美空ひばり
1971 水前寺清子
1972 佐良直美
1973 水前寺清子
1974 佐良直美
1975 佐良直美
1976 佐良直美
1977 佐良直美
1978 森光子
1979 水前寺清子
1980 黒柳徹子
1981 黒柳徹子
1982 黒柳徹子
1983 黒柳徹子
1984 森光子
1985 森昌子
1986 斉藤由貴、目加田賴子
1987 和田アキ子
1988 和田アキ子
1989 三田佳子
1990 三田佳子
1991 浅野ゆう子
1992 石田ひかり
1993 石田ひかり
1994 上沼恵美子
1995 上沼恵美子
1996 松たか子
1997 和田アキ子
1998 久保純子
1999 久保純子
2000 久保純子
2001 有働由美子
2002 有働由美子
2003 有働由美子、膳場貴子
2004 小野文惠
2005 仲間由紀恵
2006 仲間由紀恵
2007 中居正広
2008 仲間由紀恵
2009 仲間由紀恵
2010 松下奈緒
2011 井上真央
2012 堀北真希
2013 綾瀬はるか
2014 吉高由里子
2015 綾瀬はるか
2016 有村架純
2017 有村架純
2018 広瀬すず
2019 綾瀬はるか
2020 二階堂ふみ
2021 川口春奈
2022 橋本環奈
2023 橋本環奈、浜辺美波
2024 橋本環奈、伊藤沙莉
表
話
編
歴
1951 渡辺はま子
1952 渡辺はま子 (2)
1953(年初)笠置シヅ子
1953(年末)淡谷のり子
1954 渡辺はま子 (3)
1955 二葉あき子
1956 笠置シヅ子(2)
1957 美空ひばり
1958 美空ひばり(2)
1959 美空ひばり(3)
1960 島倉千代子
1961 島倉千代子 (2)
1962 島倉千代子 (3)
1963 美空ひばり (4)
1964 美空ひばり (5)
1965 美空ひばり (6)
1966 美空ひばり (7)
1967 美空ひばり (8)
1968 美空ひばり (9)
1969 美空ひばり (10)
1970 美空ひばり (11)
1971 美空ひばり (12)
1972 美空ひばり (13)
1973 島倉千代子 (4)
1974 島倉千代子 (5)
1975 島倉千代子 (6)
1976 都はるみ
1977 八代亜紀
1978 山口百恵
1979 八代亜紀 (2)
1980 八代亜紀 (3)
1981 森昌子
1982 都はるみ (2)
1983 水前寺清子
1984 都はるみ (3)
1985 森昌子 (2)
1986 石川さゆり
1987 和田アキ子
1988 小林幸子
1989 石川さゆり (2)
1990 都はるみ (4)
1991 和田アキ子 (2)
1992 由紀さおり
1993 石川さゆり (3)
1994 都はるみ (5)
1995 和田アキ子 (3)
1996 坂本冬美
1997 安室奈美恵
1998 和田アキ子 (4)
1999 和田アキ子 (5)
2000 天童よしみ
2001 和田アキ子 (6)
2002 石川さゆり (4)
2003 天童よしみ (2)
2004 小林幸子(2)
2005 天童よしみ (3)
2006 川中美幸
2007 石川さゆり (5)
2008 和田アキ子 (7)
2009 DREAMS COME TRUE
2010 DREAMS COME TRUE (2)
2011 石川さゆり (6)
2012 いきものがかり
2013 髙橋真梨子
2014 松田聖子
2015 松田聖子(2)
2016 石川さゆり (7)
2017 石川さゆり (8)
2018 石川さゆり (9)
2019 MISIA
2020 MISIA(2)
2021 MISIA(3)
2022 MISIA (4)
2023 MISIA(5)
表
話
編
歴
第1代:水前寺清子
(週替り制)
第2代:倍賞美津子
第3代:今陽子
第4代:岡崎友紀
第5代:大場久美子
第6代:榊原郁恵
関連項目
堺正章(白組キャプテン)
徳光和夫(総合司会)
渋谷公会堂
トップテンシリーズ(ザ・トップテン
歌のトップテン)
今夜復活・紅白歌のベストテン(1994年3月31日・木曜スペシャル)
日本ポータル
熊本県ポータル
音楽ポータル
人物伝ポータル
ISNI
VIAF
日本
MusicBrainz
日本の女性歌手
演歌歌手
日本の女優
日本の司会者
NHK紅白歌合戦司会者
NHK紅白歌合戦出演者
日本クラウンのアーティスト
アリオラジャパンのアーティスト
過去のサンミュージック所属者
旭日小綬章受章者
熊本市出身の人物
洗足学園中学校・高等学校出身の人物
1945年生
存命人物
suizenji kiyoko
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