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小林幸子の情報 (こばやしさちこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

小林幸子の情報(こばやしさちこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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小林 幸子さんについて調べます

■名前・氏名
小林 幸子
(読み:こばやし さちこ)
■職業
歌手
■小林幸子の誕生日・生年月日
1953年12月5日 (年齢70歳)
巳年(へび年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
新潟出身

(昭和28年)1953年生まれの人の年齢早見表

小林幸子と同じ1953年生まれの有名人・芸能人

小林幸子と同じ12月5日生まれの有名人・芸能人

小林幸子と同じ出身地新潟県生まれの有名人・芸能人


小林幸子と関係のある人

菅原文太: このほかには吉永小百合・泉谷しげる・志村けん・小林幸子・はるな愛ら映画やバラエティ番組、CMなどで共演した芸能人や、スポーツ界から王貞治・アントニオ猪木・大久保博元らの追悼が寄せられた。


榊みちこ: 1984年7月 - 小林幸子・美樹克彦に「もしかして PARTII」の歌詞を提供


馬飼野俊一: 小林幸子


伊戸のりお: 小林幸子「越後絶唱」


藤ちょこ: 小林幸子『さちへんげ』ジャケットイラスト


喜多条忠: 小林幸子


菊池均也: 小林幸子特別公演『旅館華村・若女将』(作:藤井清美/演:堤泰之、2011年 - 2012年、明治座 / 御園座)


吉沢京子: 小林幸子特別公演「江戸版 時代屋の女房」


扇ひろ子: 同年、同じ日本コロムビアから、小林幸子、都はるみがデビュー、このため会社としての扇の推しは全くなかったという。


由利徹: 1970年代以降北島三郎や小林幸子と何度も舞台で共演し、1980年頃には千昌夫の公演『喜劇まつり』で欠かせない役者として出演していた。


新田純一: 里見浩太朗、松平健、コロッケ、八代亜紀、橋幸夫、川中美幸、天童よしみ、小林幸子、瀬川瑛子、中村美律子、松井誠ら各座長公演舞台にゲスト出演する。


島倉千代子: 島倉の訃報を受けて、当時内閣官房長官だった菅義偉を始め、北島三郎、五木ひろし、細川たかし、氷川きよし、水前寺清子、大月みやこ、都はるみ、八代亜紀、小林幸子、森昌子など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケ、山田邦子らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。


島崎俊郎: 小林幸子「命 抱きしめて」(新宿コマ劇場・梅田コマ劇場、2004年3月 - 6月)


城之内早苗: 同時期に父に連れられていったスナックのカラオケで小林幸子の「おもいで酒」や石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」などを歌うようになる。


畑亜貴: 小林幸子


山田直毅: 小林幸子「ポーカーフェイスにさよなら」(作曲・編曲)


中尊寺ゆつこ: 自分が描いた作品に本名を書くと歌手の小林幸子と混同され、間違われやすいためにペンネームを名乗ったとされるが事実ではない。


レイモンド・ジョンソン: デュエットwith小林幸子


麻生香太郎: 小林幸子


千葉真一: 11歳の時、共演した小林幸子はインスタグラムにて、「初めて出会ったのは、私にとって初出演だった『くらやみ五段』。


菊池均也: 小林幸子特別公演『かあちゃん』(作:藤井清美/演:堤泰之、2010年、明治座 / 御園座) - 浜田 役


来生えつこ: 小林幸子


翔子: 小林幸子


福島善成: 小林幸子のスタイリスト


弦哲也: 小林幸子


ドグマ風見: YouTubeチャンネルや、ニコニコ動画チャンネル、小林幸子と共にパーソナリティを務めるJFN系ラジオ「クリエイターズ・スタジオ with ボカコレ月曜日」等で活動中。


松井由利夫: 小林幸子:『大江戸喧嘩花』


鎮座DOPENESS: 小林幸子, 鎮座DOPENESS, 蓮沼執太 & 川田十夢「文明単位のラブソング」 (2023年6月21日)


こーすけ: にゃんこ大放送!~"ラスボス"再降臨!小林幸子さん生出演!~(2016年11月18日) - MC


坂本龍一: 2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、加藤登紀子、小林幸子、コロッケ、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛らと共に「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている。


小林幸子の情報まとめ

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小林 幸子(こばやし さちこ)さんの誕生日は1953年12月5日です。新潟出身の歌手のようです。

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紅白歌合戦におけるエピソード、その他のエピソードなどについてまとめました。現在、テレビ、家族、ドラマ、母親、映画、結婚、事故、子役に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小林幸子の現在の年齢は70歳のようです。

小林幸子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

小林 幸子(こばやし さちこ、1953年(昭和28年)12月5日 - )は、日本の歌手、女優、タレント、実業家、YouTuber。本名:林 幸子(はやし さちこ)。旧姓:小林。血液型はA型。身長165cm。幸子プロモーション所属。古賀政男に見出された確かな歌唱、『登場の美学』をモットーに、豪華すぎる紅白衣装で話題をさらった、昭和〜平成を代表する国民的演歌歌手、エンターテイナー。

新潟県新潟市(現在の新潟市中央区)出身。1963年(昭和38年)、9歳(小学4年生)の時にTBSテレビ『歌まね読本』にてグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトを受ける。

翌1964年(昭和39年)には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビュー。デビュー曲がレコード販売20万枚のヒット曲となる。

1966年(昭和41年)7月30日から1968年(昭和43年)1月27日まで日本テレビ『九ちゃん!』に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演。

1968年(昭和43年)にはNET(現:テレビ朝日)で放映された青春ドラマ『青い太陽』に主演、背泳ぎでオリンピック出場を目指す女学生を演じ、同作の主題歌(エンディング曲)と挿入歌も歌唱。"第2の美空ひばり"と騒がれたが、歌手業ではヒット曲が続かず、またお手本としていたはずの美空ひばりの母親から、あまりにもひばりを模倣しているとの嫌悪感から敬遠され(後に和解)仕事が激減していき、10年の長い不遇が続く。

低迷期には10年間にわたって一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言えぬ苦労を経験した。昼間は各地の興行を行いながら地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをしたり、夜になると毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながら歌い廻っていた。またこの間(1969年度)NHK総合テレビジョンで夕方に生放送されていたクイズ番組『チャンスだピンチだ』のアシスタント司会を努めていた。

『週刊平凡』1971年1月14日号で、東京銀座六丁目の高級クラブ「ピロポ」でホステスとして働いていると報じられた。同店は小林より先に加山雄三の妹が勤めていることで有名だったが、小林は「六本木の『瀬里奈』で専務の平山成仁さんに会って、彼とは東映の映画に出てたころの関係で『今度銀座に店を出したから遊びにおいで』と言われたのよ。ホステスなんてとんでもない」と否定したが、実際は1970年12月7日から週2日程度、店で歌も歌いつつ、席に着いてお客の接待をしていた。1971年1月以前の東映映画の出演については公式プロフィールでは公表されていない。

その間には小林幸子(日本コロムビア)→小林さち子(ビクターエンタテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と幾度も改名したりレコード会社を移籍したりした。過去にはサンミュージックプロダクションにも所属していた。

1974年(昭和49年)には第一プロダクションに移籍。1977年 (昭和52年) には雑誌『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』などのグラビア内でセミヌードを披露する。1979年(昭和54年)に『おもいで酒』が有線放送から徐々に知名度が上がり、レコード販売200万枚の大ヒット。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場し、紅白初出場を果たす。全日本有線放送大賞グランプリ、第21回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。

1980年(昭和55年)にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たす。

1983年(昭和58年)5月には米国ロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。

1987年(昭和62年)には、第一プロダクションから違約金2億円で独立、個人事務所の幸子プロモーションを設立する。

1988年(昭和63年)、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。

1993年(平成5年)、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。

1996年(平成8年)、ワーナーミュージック・ジャパンが演歌部門から撤退したことに伴い、古巣の日本コロムビアに移籍。

1997年(平成9年)、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。同年にテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を担当。奇しくもこの曲が初放映されたは、社会に衝撃を与えたポケモンショックの回であった。同年にはイマクニ?、レイモンド・ジョンソンとのユニット「スズキサン」としてシングル『とりかえっこプリーズ』を発売。ポケモンカードゲームのCMソングとして流れた。

1998年(平成10年)、芸能生活35周年を迎える。ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。そして、20年連続出場となった同年の『第49回NHK紅白歌合戦』にて同曲を披露した。

1999年(平成11年)、覆面歌手「Satchomo(サッチョモ)」としてアイフルのCMソング『お地蔵サンバ』を発売。Satchomoは暫く正体が明かされなかった。新宿コマ劇場にて「華麗なる幸子の世界」シリーズが開始。

2000年(平成12年)、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞。

2001年(平成13年)、博多座で女性歌手初の座長公演を行う。『夢の涯て〜子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞。

2003年(平成15年)、芸能生活40周年を迎える。親友の美川憲一とともに、京楽産業のCR「華王」のキャラクターを務める。新潟県加茂市に『雪椿』の歌碑が建立。藤田まさと賞大賞受賞。紅白に25回連続出場を果たす。

2004年(平成16年)、第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目の紅組トリ、初の大トリを務める。アテネの女神を封印し、雪椿の着物姿で堂々たる歌唱で歌い納めた。

2005年(平成17年)、新潟市、新潟県長岡市より特別感謝状を授与。日本レコード大賞特別表彰。

2006年(平成18年)、第27回松尾芸能賞大賞受賞。国土交通大臣より感謝状を授与。紺綬褒章を受章。御園座(愛知県名古屋市)にて初座長公演。

2007年(平成19年)、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立。新潟市より「新潟市観光大使」に任命。

2008年(平成20年)、芸能生活45周年を迎え、全国3劇場で座長公演を行う(御園座、博多座および明治座初座長)。文化庁芸術祭の大衆芸能部門で優秀賞を受賞。第59回紅白歌合戦で45周年記念曲『楼蘭』を熱唱、紅白に30回連続出場を果たす。

2009年(平成21年)1月1日、国立競技場にて開催された第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会の開会式で日本の国歌『君が代』を歌唱した。伊東四朗・熱海五郎一座合同公演「日本映画頂上決戦」にゲスト出演、劇中には大婦人と呼ばれる小林幸子の顔をした高さ7メートルの大人形が登場、大婦人は公演終了後、新潟市のNEXT21に展示されている。第60回NHK紅白歌合戦に紅組歌手初の31回連続出場を果たす。

2010年(平成22年)1月16日と翌17日には、台湾台北市の台北国際会議中心でコンサートを行い、1993年(平成5年)と2006年(平成18年)のNHK紅白歌合戦で披露された衣装を台湾の観客に披露した。その後、台湾政府交通部観光局から「台湾観光親善大使」に任命されている。

2011年(平成23年)4月7日には、同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災して避難所生活を送る被災者を激励するために福島県相馬市を慰問。5月27日にも以前から交流があった岩手県大槌町の避難所を慰問。

11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚

11月20日には東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市を慰問して、2004年に中越地震で被災した故郷新潟県の長岡市山古志地区(被災当時:山古志村)に所有する田んぼ「幸子田」で10月に収穫した新米「幸子の復興米」2トンを所有する大型トラックに積んで贈呈した。

2012年(平成24年)4月、小林は長年のビジネスパートナーであった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇した。この件で新曲『絆坂』は発売が無期限延期となった。

5月1日、日本財団主催の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」 で表彰される。

8月20日、レコード会社の日本コロムビアと契約解除に合意。10月予定で当初小林自身の作詞・作曲による新曲をインディーズから発売することを考えていたが、10月17日に来年のデビュー50周年記念曲としてさだまさしに製作依頼していた『茨の木』を新曲として急遽発売した。先行配信日の9月27日には都内で新曲発表と新レーベル『Sachiko Premium Records(サチコプレミアレコード)』発足を発表。34年ぶりに各地をキャンペーン廻りするなどして、2012年末までに自主製作では異例の2万枚を売り上げている。

2013年(平成25年)2月24日には台湾で開催される伝統行事「台湾ランタンフェスティバル 2013」の開幕式典に、国賓級の待遇で日本人歌手としては初めて招かれた。また2月22日、23日には2回目となる台湾コンサートを開催した。

6月5日、前作『茨の木』に続き、さだのプロデュースで50周年記念曲『蛍前線』を、デビュー記念日の6月5日に発売した。 6月13日より、神奈川県横須賀市文化会館を皮切りにデビュー50周年記念コンサートツアーを開催した。

11月1日、横浜赤レンガ倉庫で「小林幸子&ソノダバンド LIVE〜岩谷時子を歌う」を開催してニコニコ動画で生中継された。12月31日から2014年(平成26年)の1月1日にかけて東京に当時あったニコファーレ内からニコニコ生放送で「ラスボス小林幸子による年越しライブ&カウントダウン」が生放送配信された。「幸子城」と銘打った衣装やさまざまな映像演出で視聴者を驚かせた。

2014年(平成26年)8月17日、個人サークル「5884組」として第86回コミックマーケットに参加した。小林自らブースに立ってミニアルバムCD『さちさちにしてあげる♪』を頒布し、約2時間40分で用意していた限定1500枚のCDが完売した。急遽9月17日に全国のアニメイト各店及びアニメイトオンラインショップにて限定発売されて、iTunesアルバム総合ランキングでも10位を記録した。

11月17日には50周年記念コンサートのツアーファイナルとしてデビュー以来初めての日本武道館コンサート「50周年記念小林幸子in武道館〜夢の世界〜」を開催。過去に紅白歌合戦で使った豪華衣装3点を持ち込み、1993年(平成5年)の「ペガサス」、2006年(平成18年)の「火の鳥」、2010年(平成22年)の「母鶴」を再披露した。イルカがデザイン&プロデュースした振り袖を含む合計13パターンの衣装を用意して度々衣装チェンジを行いながら新曲『越後に眠る』など全27曲を歌った。当日の公演の模様はニコニコ動画により生放送された。

2015年(平成27年)、小林の母校である新潟市立栄小学校を含む4校が統合して4月に新設される新潟市立日和山小学校の校歌を作詞・作曲。歌詞には統合でなくなってしまう4校の校名を取り入れている。

3月22日、埼玉県所沢市の西武園ゆうえんち「西武園ゆうえんちイルミージュ点灯式」に出席して、1000本の桜がある同遊園地で『千本桜』を歌唱した。 4月25日、千葉市の幕張メッセで開催のイベント「ニコニコ超会議2015」でプロレスデビュー。対戦相手のボブ・サップと男色ディーノのタッグから、必殺技「ラスボス旋風」でフォール勝ち。ニコニコ動画により生放送された。

5月9日、奈良市の薬師寺で「世界遺産復興祈願」コンサートを開催。

6月29日には「にいがた発信プロジェクト」の一環として、PRソング『にいがた☆JIMAN!』を「Negicco feat.小林幸子」名義で発表(小西康陽プロデュース)。

7月27日、小林の声を元にして制作されたVOCALOID4対応のボーカル音源「Sachiko」発売。 8月16日、コミックマーケット(コミケ)88に「5884組」(こばやしぐみ)の団体名でサークル参加した。ミニアルバムCD『さちへんげ』は約2時間40分で限定2500枚が完売した。

10月11日、中川翔子のコンサートツアー東京公演にサプライズで登場して、中川とコラボユニットを組んで「しょこたん▼さっちゃん」として10月28日にシングル『無限∞ブランノワール』を発売前に初披露。

2016年(平成28年)、3月25日に催されたTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』(長年、ゲスト出演などを重ねていた)放送終了に伴う聴取者への感謝コンサートに出演。

4月10日放送分から、NHK BSプレミアム『ワラッチャオ!』の「アレンジ演歌道」のコーナーをうたのおねえさん役で担当。

10月よりジャパンエフエムネットワークのラジオ番組『ニコラジパーク』月曜をドグマ風見と担当。

10月19日には、発売当初にプロモーションを務めたポケモンカードの20周年記念イベントに出演し、特別ライブが実施された。 また、「Mサチコex」というプロモーションカードが制作され、イベント参加者に配布された「。

2017年(平成29年)、第1回ももいろ歌合戦に出場し、かつての紅白歌合戦と同様の豪華衣装で歌唱。

2019年(令和元年)9月24日、極秘で右目の網膜剥離の緊急手術を受けた。2022年時点では少しずつよくなっているが、完全には戻っておらず、その分使う左目が「とても疲れてしまう」という。同年10月10日に長岡市の山古志地域にある「小林幸子田」で行った稲穂の脱穀作業に中川翔子と一緒に訪れて、白い眼帯を付けて手術の経過等の記者会見に応じた。

2020年(令和2年)8月には松岡充とユニット「シロクマ」を結成して、松岡が『しろくろましろ』を作詞作曲プロデュース。2人がデュエットした同曲は、8月9日に先行配信で10月7日にCD発売。12月、文化庁長官表彰。

10月17日 西武台湾デーに合わせてメットライフドームで開催された埼玉西武ライオンズ×オリックス・バファローズ戦の始球式に豪華衣装で登場。2009年(平成21年)紅白衣装「メガ幸子」が台湾などで信仰される媽祖(まそ)に似ていることから地元民に存在を知られるようになった。

12月17日、東京都内で「文化庁長官表彰 授賞式」に出席。「長年にわたり、歌手として活躍するとともに、音楽文化の普及に努め、芸術文化の振興に多大な貢献をした」として評価が認められ受賞した。

2021年(令和3年)6月5日、東京オリンピック聖火リレーの新潟県PRランナーとして同県新潟市の最終ランナーとして走行。同日は自身の芸能生活57年目のデビュー記念日でもあり「いろんな思いと涙が溢れ、感謝の1日」とコメントした。翌6日は地元新潟でNHKのど自慢に出演。『しろくろましろ』を歌唱した。

11月15日、林氏と結婚し10周年を迎えた。結婚当時は互いに多忙で挙式をあげなかったため、小林と親交のある夏木マリがプロデュースし10周年を祝った。

2022年(令和4年)7月8日、新型コロナウイルスに感染。陽性が確認されたとSNSで発表した。症状は軽症。後に体調は回復。

2023年(令和5年)5月6日、小林を主人公にした異世界漫画『異世界小林幸子〜ラスボス降臨!〜』が、月刊少女漫画雑誌『ミステリーボニータ』7月号より連載されることが発表され、6月6日発売の同号より連載中。幸子プロモーションが監修を務め、脚本を猪原賽、作画を國立アルバが手掛ける。

紅白歌合戦におけるエピソード

小林は基本的にその年に発表した楽曲を歌唱している。

2000年の紅白に出場した際、「豪華衣装での出演は今回が最後」と公言したが、翌2001年も花をテーマに『Flower of dream』と題し、小林自身が花弁に扮し、自身の下に大人数を据えた豪華衣装を披露した。これは大型舞台装置を止めて人力に替えたというのが真相である。さらに、その次の2002年には大型舞台装置も復活した。

この時の小林の発言が「豪華衣装封印」とも取れるものであったため、「何故、豪華衣装を止めると言ったのに止めないのか?」「演歌歌手は嘘吐きが多い」と2001年の紅白のリハーサル終了後に記者会見を行った和田アキ子がその場で小林を批判し話題を集めた。この時は数多くの演歌歌手仲間の他に松山千春やさだまさしらの大物も小林に同情的な発言をした。

和田は続けて「出場歌手が発表されていないにも関わらず、どうして衣装制作ができるのか?」「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするのか?」「あれは衣装じゃなくて舞台装置」などと、豪華衣装があるが故に事実上小林の紅白出場が確約状態にあることに不満を示し批判していたが、それに対しては小林本人曰く「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならば直にはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時のワイドショーのインタビューなどで反論している。なお、和田は1980年代から小林の事を度々何かと批判しているが、小林本人の前では一切批判は行わない。小林の個人事務所・幸子プロモーション関係者も一部週刊誌の取材時に、小林が豪華衣装を準備した状態で紅白落選した場合について「こちらが勝手に用意したものなので文句は言えない」とコメントしていた。

実際には2010年の紅白において、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなど「前年に60回のメモリアルを終えたので、新しい紅白は新しい時代の雰囲気で」と、NHKがそれまでとは違う構成にする方針をとり「豪華な衣装対決」を否定される形で美川憲一とも出場内定枠から漏れた際、美川はそのまま落選したが、小林は出場枠にくい込めた。

2003年の紅白で巨大衣装が電気トラブルで正常に作動せず、3つの羽根のうち2つが動かなかったが、このトラブルに動じず、堂々と歌い切った。なんと舞台袖のコンセントが抜けていたのが原因と判明。当時NHKのアナウンサーだった宮本隆治は、事故直後にコンセントが抜けた装置を囲んでスタッフが腕組みする光景を舞台袖で目撃している。

2004年の紅白出場に当たっては、同年の新潟県中越地震(2004年10月23日)発生後、小林は「辛く悲しい地震で苦労している方々の気持ちを思うと、自分が煌びやかな衣裳で歌を歌うわけにはいかない」と涙ながらに語り、豪華衣装を着用せずシンプルな和服に身を包み、新潟を舞台にした歌『雪椿』を歌い初の大トリを務めた。ちなみに紅白において、同年に小林が大トリを務めてから紅組歌手の大トリ起用は2014年の紅白で松田聖子が大トリを務めるまで10年間無く、且つ2000年代で紅組歌手の大トリは小林のこの回のみ。その後、この紅白で使用する予定にしていた豪華衣装は2005年1月25日の『NHK歌謡コンサート』で披露した。

それから3年後の新潟県中越沖地震(2007年7月16日)発生時も、小林は再び豪華衣装の封印を考えていたが、新潟の被災者からは「自粛しないで欲しい」との依頼が多数あった事もあり、従来通り豪華衣装を披露した。

紅白で使用した豪華衣装と大型舞台装置は、後になって地方のコンサートなどでも度々使っている。ただ、規模がNHKホールほど広くはないので、紅白使用時のままのサイズでは入りきらないため、若干小さめに改修した上で使っている。

1991年 - 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていた。美川とはデビュー前後に古賀政男の元で一緒にレッスン指導を受けていたため、年齢は離れているが50年以上前からプライベートでも親交がある仲良しで「憲ちゃん」「幸ちゃん」と呼び合い音楽番組以外にもバラエティ番組や互いのYouTubeチャンネルにも仲良く出演するなどしており、デビュー当時からお互いの低迷時の苦労等も全て知り尽くしている。

2012年から2014年までの3年間、紅白歌合戦に不選出となったが、2015年には特別出演枠で4年ぶりに紅白出場を果たした。特別枠待遇での紅白復活は美空ひばりも経験している。

2017年に行われた、第1回ももいろ歌合戦に出場した際、2006年紅白衣装「火の鳥」で「存在証明」を歌唱した。

その他のエピソード

先述の通り、「小林幸子」は結婚前の本名であるが、デビュー当時、師匠の古賀は『歌まね読本』での小林を知らない層を考慮して「夕波千鳥」という芸名を準備していた。

その師匠から小林は「チビ、歌でお腹いっぱいにはならないけど、人の心を温かくすることはできるんだよ」という言葉を授けられ、デビュー50周年を過ぎた今でも「自分の心に残る言葉」と語っている。

「天才少女歌手・ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍して共演した勝新太郎には師匠の古賀や歌手仲間達と同様に当時の愛称でもあった『チビ』と呼ばれて大変可愛がられたという。当時まだ9歳の子供で分別もつかなかった小林が、ある時同期で親友の都はるみと楽屋内でワイワイ騒いでいたところ、ある先輩歌手が激怒し、島倉千代子にすぐに注意して来るよう命じた。島倉は仕方なしに小林と都の元へ注意に行き、「お幸、楽屋というところはお仕事をする場所でもあるし、ステージに立つ前の神聖な場所なのだから騒いだりするところじゃないのよ」と諭したとのこと。小林はその当時から島倉のことを「母さん」と呼び慕い、島倉も小林を「幸」と呼び、亡くなるまでの50年間実娘のように可愛がられて親交が深かった。

苦労人でもあり実家の精肉店がうまくいかなくなり、上京してきた家族の生活を15歳で背負うことに。その両親も2001年に母が急逝、父は熱海市にある介護施設に入り2006年に旅立った。

姉御肌であり演歌やポップスなどの後輩歌手への世話や面倒見などがとてもよいそうで、中でも後輩歌手の柏原芳恵を妹の様に可愛がっており、柏原も小林を姉のように慕っている。柏原は『ザ・ベストテン2002』(TBSテレビ)など様々な番組の中で「幸子姉さんには落ち込んでいる時に精神的に助けて頂いた」と感謝の念を述べている。また小林も「芳恵ちゃんはデビュー当時から変わらぬ初々しさで、とても可愛く、本当の妹の様に思っている」と返した。泉ピン子や夏木マリは美川憲一と同じく、一緒にキャバレー廻りの営業をして互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、同期の水前寺清子に都はるみ、五木ひろし、後輩の小柳ルミ子、浅野ゆう子、グッチ裕三、コロッケ、真琴つばさや牧村三枝子なども大の仲良しの間柄でもある。中島啓江は生前20年に渡って小林を姉の様に慕ってとても可愛がられていた。中島の突然の逝去の際には小林は大変ショックを受け、悲しみをこらえながらマスコミに追悼コメントを寄せている。カルーセル麻紀は小林の豪華衣装を借用して自身のステージ等で披露する程の仲良しで友達の1人でもある。八代亜紀も45年に渡る公私共に交流があった仲良しの友達で訃報公表直後にフジテレビのインタビューに応じ、八代との想い出話などを語っており、2024年3月26日に開かれた八代のお別れの会へ参加後にマスコミ各社のインタビューには涙を流しながらコメントを残している。

『おもいで酒』がロングヒットになり、『ザ・ベストテン』でも常連出場に成りかけた頃に、視聴者からの葉書で、いつもマイクを持つ手の人差し指だけが立っているという指摘があり、本人も何となく以前からそうやっていたという話であったが、はその握り方ではなく人差し指でも握っている。後年、『速報!歌の大辞テン』(日本テレビ)では、「当時は、大勢の客の前で歌うのが初めてでとても緊張していて、マイクが震えないようにするためにあのように握っていた」とコメントした。

イケメン合衆国に出たとき、高田純次によって紅白で使用した衣装が被害を受けた。

音楽番組だけでなく『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)などのバラエティ番組にも過去に出演しており、バカ殿では由紀さおりと一緒に腰元役で出演したり、仲本工事との夫婦・主婦コント、清掃員のおばちゃん役など非常にコミカルな中年女性役をこなしている。

さだまさしとはレコード会社のワーナー・パイオニアが一緒だった事から所属当時から40年来の大親友でプライベートでもたいへん親交が深く、1993年の『約束』、2012年の『茨の木』、2013年の『蛍前線』はさだの制作曲である。芸能界では小林が先輩だが一歳年下のためにさだのことを『まさ兄』、『お兄ちゃん』などと呼び慕っており、さいたまスーパーアリーナで行われた「さだまさし還暦バースデーコンサート」には総勢60人のゲストの中の1人として出演した。

デビュー以来、長らく演歌を持ち歌としてきたため高齢者層への知名度が高い反面、若年層への知名度は比較的低かったが、1997年に『とりかえっこプリーズ』を発表して以降は若年層への知名度も上がり、小林自身もアニメなど若年層向けのサブカルチャーに関わる楽曲をたびたび発表するようになった。

「さっちゃん」との愛称がある。また、2010年代よりNHK紅白歌合戦でのあまりの衣装の派手さが「まるでラスボス(ゲーム等における最大の敵、最終ボスキャラクター)のようだ」として、ニコニコ動画ユーザーを中心とする若年層ファンから「ラスボス」と呼ばれることがあり、本人は当初こそ戸惑っていたものの、「いいじゃん! ラスボス小林幸子」と面白がっているという。「デビュー50周年全国コンサートには若年層ファンの方も多く訪れてくれるようになってとてもありがたくて嬉しい」とインタビューで語っている。また、ニコニコ動画では自らを「バーサン」と称した動画も投稿している。

2013年9月6日には、ニコニコ動画に「【初投稿】ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた【幸子】」のタイトルで動画を初投稿した。これ以外にも動画を投稿しているが、動画の制作にプロダクションではなくニコニコ動画でいわゆる「絵師」として活躍する人などに依頼を行い、コラボレーションの形を取っている。ニコニコ動画との関係は投稿以外にも「ニコニコ超パーティー」への出演がある他、「ニコニコ町会議」への出演を行っている。

同人歌手のビートまりおの依頼でビートまりお作詞の歌である「Help me, ERINNNNNN!!」の小林幸子ver.を作って欲しいという依頼を受け、コミックマーケット88にて「くーくり博麗お祭りえーりん!」というタイトルでCDを頒布した事がある。 オンラインゲーム「ファンタシースターオンライン2」(PSO2)の挿入曲である「ヨーコソ・アークス」でもビートまりおが作詞・作曲・編曲を手掛けている。

2018年4月より「バーチャルグランドマザー小林幸子」としてバーチャルYouTuberとしての活動も行っている。

なお、漫画家の小林まことや女優の塩崎沙織とは親戚である。

2020年春以降(2023年4月時点)自身の一般向けコンサートは開催されておらず、通常は会場でしか購入できないコンサートグッズが一部「SachikoKobayashi ONLINE SHOP」にて取り扱い中。

新型コロナウイルスによる業務縮小として自身の公式ファンクラブ「幸子プレミアムクラブ」新規会員の募集を2020年から休止、2023年(令和5年)7月より再始動するにあたって、会員特典を一部変更するなどして59年目のデビュー記念日の6月5日より会員の募集を開始した。既存の会員も新たに入会し直さなければならないという新体制となる。

多数のステージ豪華衣装とは違い、私物の宝石やブランド品はあまり持っていないと小林本人も語っているが、愛猫家でもあり宝物は猫で2024年現在はラグドールとアメリカンショートヘアーを飼っている。アメショーの名前は「じゃこ」で普通のアメショーより大きい。

2024/06/11 09:04更新

kobayashi sachiko


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