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綾小路きみまろの情報 (あやこうじきみまろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

綾小路きみまろの情報(あやこうじきみまろ) 漫談家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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綾小路 きみまろさんについて調べます

■名前・氏名
綾小路 きみまろ
(読み:あやこうじ きみまろ)
■職業
漫談家
■綾小路きみまろの誕生日・生年月日
1950年12月9日 (年齢73歳)
寅年(とら年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

綾小路きみまろと同じ1950年生まれの有名人・芸能人

綾小路きみまろと同じ12月9日生まれの有名人・芸能人

綾小路きみまろと同じ出身地鹿児島県生まれの有名人・芸能人


綾小路きみまろと関係のある人

山寺宏一: 綾小路きみまろ


高濱祐輔: 「爆笑スーパーライブ第3集!〜知らない人に笑われ続けて35年〜」/綾小路きみまろ


ダンディ坂野: しかし、綾小路きみまろとともに「応援」としての出場を果たした。


高濱祐輔: 「綾小路きみまろ"元祖"爆笑スーパーライブ第0集!」/綾小路きみまろ


ダンシング谷村: 綾小路きみまろ


千葉マリア: きみまろのやってられない(綾小路きみまろプロデュース)


イジリー岡田: 綾小路きみまろ


藤澤ノリマサ: 林家木久扇、綾小路きみまろのファン。


ピストン西沢: 2005年に綾小路きみまろの漫談とトランスをリミックスしたアルバム『きみまろトランス』で楽曲提供とリミックスを行い、第47回日本レコード大賞で企画賞を受賞。


小野真弓: 森永製菓 甘酒(2011年9月 - )※芸能人甘酒クラブ(綾小路きみまろ、ダンディ坂野と共に)


高濱祐輔: 「綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第4集!」/綾小路きみまろ


桐谷蝶々: 綾小路きみまろの人生ひまつぶし(2016年 - 、テレビ大阪)


吉永小百合: 漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。


中村優子: 東京ガス 綾野剛、綾小路きみまろと共演/小島淳平演出


加山雄三: 綾小路きみまろの漫談や、桂文枝の創作落語も良く聴いている。


ナオユキ: 2005年には綾小路きみまろとの二人会『きみなお』を開催、2006年にアメリカ・シカゴの日本人会で、2007年にはロンドンで海外公演を行い、ジャズパンクユニット『知恵蔵知恵蔵』でも活動していたことがある。


長山藍子: Panasonic「LUMIX TZシリーズ」(綾小路きみまろと共演、2007年 - )


仲野文梧: 携帯電話au簡単ケータイCM(2011年7月)綾小路きみまろと共演。


津野まさい: 綾小路きみまろTV 武田鉄矢と語る昭和スター列伝(2024年1月4日 ※製作:日活・チャンネルNECO)


小原正子: 綾小路きみまろの人生ひまつぶし(2016年4月 - 9月、テレビ大阪) - 「あれから40年さん こんにちは」コーナー・アシスタント


綾小路きみまろの情報まとめ

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綾小路 きみまろ(あやこうじ きみまろ)さんの誕生日は1950年12月9日です。鹿児島出身の漫談家のようです。

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来歴、きみまろの漫談スタイル・傾向などについてまとめました。現在、家族、父親、卒業、テレビ、趣味、結婚、病気に関する情報もありますね。綾小路きみまろの現在の年齢は73歳のようです。

綾小路きみまろのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋〈かりや よしひろ〉、1950年12月9日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。

鹿児島県曽於郡松山町(現・志布志市)出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有(鍼灸師は保有していない)。現在家族構成は本人、5歳年下の弟、妻、子供3人。父親は1997年、自身が40代後半の時に亡くなったが、生前は馬の種付けや農業をしていた傍ら、戦時中は徴兵されて戦地に出向いた事もある。

鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。

鈴々舎馬風一門として「落語協会」会員である(ブレイク以後、寄席に出演することはほとんどないが、籍を置き続けている)。また、歌謡ショーの司会者統括団体である『日本司会芸能協会』の理事も務めた。現在は顧問。

山梨県南都留郡富士河口湖町に別荘「きみまろ亭」を持つ。別荘ではあるが、自身の自宅である。2003年に第一生命主催の「サラリーマン川柳」からの盗用を認め謝罪した。一時のブーム沈静化後にはテレビ出演する機会が減ったが、地方では1日に2回公演・3回公演と精力的に営業を行ない、2004年、山梨県の長者番付で2位となる。同年に清水國明とともに、富士河口湖町の特別町民の第1号として表彰された。

カツラを使用している事をマスメディアで自ら打ち明け、本人もカツラ(ヘアピース)を認めている。揉みあげは地毛で、あとは「ズッポリ」だという。また、髪を後ろで束ねている部分については、下半分が地毛で上半分がカツラの髪であると『SmaSTATION!!』で香取慎吾に明かしており、これは万が一のときにカツラが完全に取れてしまわないようにするためである。

痛風・高血圧・睡眠時無呼吸症候群の持病がある事も自身の著書で度々公開している。

趣味は農作業、草むしり、ジョギング、骨董品の収集。

なお20代の時に結婚していた前妻との息子は、灘中学校・高等学校から東大理Ⅲを卒業し、東京大学大学院医学系研究科に在籍している。

来歴

1969年

    司会者を目指す為上京。父親からは餞別の1万円しか貰えず、その金で夜行列車に乗り上京したという。新聞販売店で働きながら1年浪人した後、1970年に拓殖大学に入学。たまたま配達先の病院に足立区梅島でキャバレーを営む患者が入院しており、専属司会として雇われる。その後新宿区にあるキャバレーに移り、また同区四ッ谷にあるマッサージ師養成学校で資格をとる。同区歌舞伎町のキャバレーで、春日八郎、殿さまキングス、ツービート、ディックミネ、淡谷のり子、ケーシー高峰と出会う。

    1979年

      司会業を辞め、日劇より漫談家としてデビュー。同郷の森進一や、小林幸子、伍代夏子などのコンサートの司会を務める。この頃からサービスエリアで休息中の観光バスに自作の漫談テープを配布しており、主に自宅を新築した山梨県内や静岡県の御殿場市周辺で配布していた。

      芸名はポール牧がコントで、学ランを着てど近眼の眼鏡をかけるというキャラクターで使っていた架空の名前「綾小路きもまろ」から。最初は無断で借用していたが、後に牧本人に直談判した末に使用を許される。長い下積み時代に1年間だけ「山本一貴」と芸名を変えた事があるが、彼自身はこの1年間を抹消したいとのこと。また、本名をもじった「狩屋きみまろ」と名乗った時期もある。

      1989年

        『ザ・テレビ演芸』の「とびだせ笑いのニュースター・10週勝ち抜き戦」コーナーに「まろ」名義で出場するも、王者のお笑いコンビ・ARARAに2-3で敗れる。

        1993年

          「きみまろ」名義でワーナーミュージック・ジャパンより「ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜」(B面『なげきのブルース』)でCDデビュー。漫談でありながら曲調はトランスという斬新的な企画ではあったがこの時点ではまだ脚光を浴びる事は無かった(12年後の2005年に「きみまろトランス」で同じコンセプトのCDをリリースしている)。

          1994年(狩屋きみまろ時代)

            『はぐれ刑事純情派』part7(テレビ朝日)第18話「みちのく温泉郷白い手袋の女」(1994年8月3日放送、小林幸子がメインゲストの回)。烏山公三役。禿頭を公開している。

            2002年

              漫談CD・カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1弾! 中高年に愛をこめて...』のリリースにより注目を浴びる。

              独演会の様子を書籍化。

              2003年

                「サラリーマン川柳」からの盗用が発覚し、謝罪会見を行う。

                第17回日本ゴールドディスク大賞で企画・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。

                各種DVD・書籍の発売。

                『森田一義アワー 笑っていいとも!』に半年間レギュラー出演(隔週火曜日)。

                第54回NHK紅白歌合戦に白組の応援ゲストとして出演。漫談を披露。

                2004年

                  漫談『交通安全漫談』をリリース。第41回ゴールデン・アロー賞「話題賞」を受賞。

                  浅草芸能大賞奨励賞を受賞。

                  2005年

                    『きみまろトランス』をリリース。第47回日本レコード大賞「企画賞」を受賞。

                    「第56回NHK紅白歌合戦」にゲスト出演。

                    2007年

                      ニンテンドーDSソフト『毎日が楽しい!綾小路きみまろのハッピー手帳』をリリース。

                      2008年

                        『スタジオパークからこんにちは』にゲスト出演。

                        9月19日発売『週刊ポスト』10/03日号(小学館)より、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』連載開始(現在も連載中)

                        2009年

                          NHK BS2(2011年度からはNHK総合)の『ごきげん歌謡笑劇団』にレギュラー出演。2012年3月まで番組進行を務めた。

                          2010年

                            『第61回NHK紅白歌合戦』にゲスト出演(森進一、天童よしみの曲紹介)。

                            2012年

                              テレビ朝日『笑わせます聴かせます まろまろ一笑懸命』を9月17日、2013年5月26日、2015年1月4日と、綾小路しんまろ(香取慎吾)との共同司会で番組進行をする。

                              2014年

                                テレビ大阪『綾小路きみまろの人生ひまつぶし』で初のレギュラー冠番組司会。

                                きみまろの漫談スタイル・傾向

                                きみまろのステージ上のファッションはカツラと扇子、それに背広に燕尾服。

                                入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。また、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事もある。

                                『たけしの誰でもピカソ』に出演した際、ビートたけしもきみまろも全く売れない苦しい時期に同じ舞台に出演していた縁があり、楽屋では懐かしい感激の対面を果たした。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互い先の見えない苦しい時期を思い出したのか感極まって涙を流し合い肩を抱き合うほどだった。その後のネタを収録する時にも感情が高まり途中声が出なくなる場面があった。

                                ライブの始まりでは、特に女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、「私は女性を見る目が無いのです」とオチをつける。

                                きみまろを語る上で欠かせないのが、「あれから40年」のフレーズである。

                                老化現象、高齢化社会、物忘れ、アルツハイマー、痴呆症、カツラを引き合いにしたフレーズが多い。また、中高年以降の夫婦の確執をネタにする事もある。

                                内容が少し度を超えてしまった時は「私も人の事をどうこう言える顔ではありません」とフォローしている。本人によると、「毒舌と言っても言いっ放しでは客に迷惑を掛けてしまいかねない」との事。

                                「上になったり下になったりする」などの性的表現もある。

                                また、きみまろのネタには前述の通り、「クソジジイ」「クソババア」と言うセリフは一切使用されていない。例外として、「自転車をこいでいた中高年の女性が、後ろから来たトラックの運転手に『コラー、クソババア!』と怒鳴られる」という小話があるが、これもきみまろから観客に向けられた言葉ではない。

                                きみまろ自身、ライブの客は50代以上の中高年がほとんどである事から「ジジイ、ババアの養殖場」と形容している。また、客の事を「昭和枯れすすきの皆さん」と表現する事もある。きみまろのライブにはきみまろよりも遥かに年長の70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくなく、彼らに対しても情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。会場によっては「敬老の日よりも高齢者が多い」との事。また、きみまろのライブの客には90歳以上の所謂「超高齢者」が来る事もあり、ライブの音源の中できみまろが相当年老いた客に年齢を尋ねた所、「93歳」と回答された事もある。最近のパターンとしては40代後半や50代を「中高年予備軍」と形容する事がある。

                                実際の身長は165cmだが、ネタの中では「179cm」としている。

                                ライブでは自分の事を「ウィリアム」と称している。また、「潜伏期間30年」のフレーズも多用している。自身が自称している潜伏期間とは1969年頃から1999年頃までの期間とする説や、1972年頃から2002年頃までとしている説がある。

                                ライブでの一人称は主に「私」であるが、時折「きみまろ」と言う事もある。

                                きみまろにとって、「避けて通れない事」は2つあり、それは「呼ばれないと来られない事」「客を選べない事」。

                                ライブは地方で行われる事が多い為、例えば、東北地方から最終の新幹線で東京に戻った後、東京駅前のホテルに泊まり、翌朝西日本方面に向かうというスケジュールも多い。しかしその一方、千葉・神奈川・静岡・茨城・埼玉等の関東近県のライブや東京キー局でテレビの収録があった時は日帰り出来る為、自宅で妻と食事をする事が出来ると言う。

                                新ネタの考案は夜寝る布団の中でする事が多く、ベッドの隅にはメモ帳(本人曰く「ネタ帳」)と筆記用具が据え置かれている。また、自宅で趣味の農作業の合間にもネタの発声練習をする事もある。

                                最後は必ず「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」と締めくくる。

                                きみまろの初代のCDでは、1トラックのみで約44分も収録されていたが、それ以降はいくつかのトラックに分割している。

                                きみまろの漫談はCD・カセットの2セットで販売されている。また、CD・カセット共に「ライブでの公演を基に録音されていますので、聞き苦しい部分がある事をお許し下さい」の断りがある。収録時間は何れの作品も約40分。2010年元旦に発売されたCDではテープ音源のきみまろの漫談が約20分の2セットで収録されている。

                                「きみまろトランス」では、トランスの楽曲では珍しく、カセットも販売されている。

                                ステージやホールのみならず、老人ホームや刑務所、果ては暴力団の事務所でライブをした事もある。

                                きみまろの第1集のCDの演目「中高年に愛を込めて…」は2000年年末に東京・新宿にある新宿末広亭のホールで初披露され、翌年2001年初頭にある演芸場近くの鰻料理専門店にて師匠と面接して許可を得た事で落語家デビューしている。

                                CD販売に関しては当初、きみまろはあまり乗り気では無かったが、カセットテープに録音しただけでは本人の名前が歴史に残せない事、そしてきみまろの漫談は中高年がほとんどである事からCDで聴いている世代にも是非きみまろの漫談を聞いて欲しいといった事から、CD販売に踏み切った経緯がある。

                                「きみまろの漫談を聴いて年老いた家族病気が良くなった」との評価を受けたこともアリ、きみまろの漫談は老化防止や病気の進行の歯止めには殊の外適しているとされている。

                                2007年頃に海外進出を果たし、第3集のCDのかなり後の部分でニューヨークで自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。

                                2008年初頭に発売された第3集のCDでは、きみまろの第1集のCDが160万枚と、予想以上の売れ行きを示した事を公表したフレーズが収録されている。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。

                                2010年元日に発売されたCDでは、きみまろが1990年代にサービスエリアで自作のテープを配布していた物の2セットをそのまま収録している。また、この作品は1990年代の音源をそのまま収録している事から、「痴呆症」等のフレーズは一切差し替えられていない。ジャケットの表紙裏にはきみまろのこれまでの半生と経歴、そしてきみまろのスナップ写真の数々が掲載されている。

                                2009年からバスツアーで漫談する機会が増え、観光する体力が無いという理由でバスツアー後はホテルへ直行し、ホテルの一室に籠もりつつ当日録音した自身の漫談を聴いては反省し改良・新ネタ作成を積み重ねている。

                                本人によると、「痛風の持病がある中でもスケジュールは数年先までぎっしり埋まっている」との事。前述の通り、痛風持ちの中でも痛み止め等の投薬治療をする事で痛風持ちの体にムチ打って乗り切っている。

                                NHK『クローズアップ現代』で彼の漫談スタイルについて取り上げられた事もある。この時頻繁に取り上げるネタとして語られた事として「冷え切った夫婦関係(35%)」「容貌の衰え(32%)」「死や病気(28%)」があるが、その事を司会の国谷裕子が真面目な顔で語っている姿が話題を呼んだ。なお、この日の放送の後半では毒蝮三太夫とアナウンサーが対談している。

2024/06/17 17:51更新

ayakouji kimimaro


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