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加山雄三の情報 (かやまゆうぞう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

加山雄三の情報(かやまゆうぞう) 俳優、ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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加山 雄三さんについて調べます

■名前・氏名
加山 雄三
(読み:かやま ゆうぞう)
■職業
俳優、ミュージシャン
■加山雄三の誕生日・生年月日
1937年4月11日 (年齢87歳)
丑年(うし年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和12年)1937年生まれの人の年齢早見表

加山雄三と同じ1937年生まれの有名人・芸能人

加山雄三と同じ4月11日生まれの有名人・芸能人

加山雄三と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


加山雄三と関係のある人

中谷雄英: “長嶋茂雄さんら9人文化勲章 功労者に加山雄三さんら”. 時事ドットコム (2021年10月26日). 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。


新田和長: 1969年以降はオフコース、赤い鳥、RCサクセション、トワ・エ・モワ、加藤和彦、北山修、はしだのりひこなどを手がけ、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、寺尾聰、稲垣潤一、加山雄三など音楽プロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーを務める。


鏑木創: 加山雄三「くらしの河」「東から来た男」


岩田有弘: SANYO『CR海物語スペシャル』(加山雄三編)


山内明: 加山雄三のブラック・ジャック 第4話「えらばれたマスク」(1981年、ANB)


日村勇紀: 他にも、小林旭、玉置浩二、長渕剛、郷ひろみ、和田アキ子、近藤真彦、田原俊彦、加山雄三などが有名である。


伊藤アルフ: CX 『ミュージックフェア』(2001年)加山雄三 コーラス


小林和之: 小林の人生に影響を与えることとなった音楽は、小学生時代に怪獣映画に興味を持ち、母親に連れられて見に行っていた時に、怪獣映画に併映されていた映画が、加山雄三がエレクトリック・ギターを演奏する場面のあるものであり、この時の加山の演奏である。


火野正平: 同年には佐伯幸三監督、加山雄三主演映画『何処へ』で映画初出演を果たした。


赤木圭一郎: 加山雄三とは、日活と東宝で籍を置いた会社こそ違ったものの、1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことをきっかけに親しくなった。


渋谷哲平: 加山雄三の「ぼくの妹に」を歌い合格し、第20回決戦大会(1977年4月放送)で最優秀賞に輝く(同大会の他の合格者には石野真子がいた)。


岩谷時子: ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、岸洋子『夜明けのうた』、弘田三枝子、中尾ミエ『夢見るシャンソン人形』、沢たまき『ベッドで煙草を吸わないで』、園まり『逢いたくて逢いたくて』、加山雄三『君といつまでも』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』などの、数多くのヒット曲を生み出してきた。


小桜葉子: 1960年代に息子の加山雄三が映画で活躍している頃、小桜式美容体操の講師として活躍した。


地井武男: また、番組を引き継いだ加山雄三は「


若山騎一郎: 2012年5月に、俳優上原謙と元タレント大林雅美の娘で女優の仁美凌(加山雄三異母妹)と結婚するも、同年10月に離婚。


池上季実子: 加山雄三のブラック・ジャック 第1話「かりそめの愛を」(ANB)


渡邊祐介: 加山雄三のブラック・ジャック(1981年)


有島一郎: 1961年から始まった加山雄三主演の『若大将シリーズ』で加山の父親役としておばあちゃん (飯田蝶子) には敵わない役を好演した。


田中邦衛: そのアクの強い風貌から、アクション映画でチンピラや殺し屋役を演じるが、1961年の東宝映画『大学の若大将』では、加山雄三演じる若大将のライバル・青大将役で出演した。


さだまさし: その次にさだが大きな影響を受けたのが加山雄三だった。


清水アキラ: 2000年代頃からは油絵も嗜んでおり、加山雄三や日野皓正等の絵を見て勉強し、テクニックを積んでいき、ついには個展を開くほどの腕前になった。


岩沢幸矢: 楽曲は加山雄三やサザンオールスターズなどと同様に「湘南サウンド」として親しまれ、スティーヴィー・ワンダーや細野晴臣、井上陽水、松任谷由実など内外のミュージシャンとの交流も幅広い。


アグネス=ラム: 1981年、『帰ってきた若大将』(加山雄三主演、ハワイでロケ)にゲスト出演した。


清水アキラ: 加山雄三


高見沢俊彦: ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ブライアン・メイ、ロイ・ブキャナン、アルヴィン・リー、ニール・ショーン、ピート・タウンゼント、ジョン・サイクス、エドワード・ヴァン・ヘイレン、ジェームズ・ヘットフィールド、カーク・ハメット、ジミー・ウォレス、ゲイリー・ムーア、ドン・フェルダー、デイヴ・ギルモア、ジミ・ヘンドリクス、ザック・ワイルド、バケットヘッド、The Ventures、加山雄三等のシグネチャーモデルも使用している。


前田吟: 加山雄三のブラックジャック 第9話「助けあい」(1981年、ANB / 松竹)


古谷徹: 声優デビューしてからも、1967年の加山雄三主演映画『続・何処へ』などで子役俳優として顔出し出演を続けていた。


岡田英次: 加山雄三のブラック・ジャック 第1話「かりそめの愛を」(1981年、ANB)


さだまさし: 中学生時代に加山雄三やサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになる。


豊浦美子: 3人姉妹の長女で、頌栄女子学院高等学校卒業後、デパートに勤めていたが、1963年、黒澤明作品の『赤ひげ』における加山雄三の相手役候補として推薦され、東宝の養成所に入る。


加山雄三の情報まとめ

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加山 雄三(かやま ゆうぞう)さんの誕生日は1937年4月11日です。神奈川出身の俳優、ミュージシャンのようです。

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人物・逸話、芸名などについてまとめました。結婚、卒業、映画、兄弟、テレビ、ドラマ、父親、家族、事故、現在、引退、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。加山雄三の現在の年齢は87歳のようです。

加山雄三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

加山 雄三(かやま ゆうぞう、本名:池端 直亮(いけはた なおあき)、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手・俳優。神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。職業はタレント業のほか、音楽家としてはギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者として、このほか画家としても活動している。

ニックネームは若大将。作曲家として弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。

父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。

神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。幼少期に大腸カタルを患い病弱だったため、子煩悩な父・上原謙は息子のために、自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市へ引っ越した。加山が覚えているのは、この茅ヶ崎の家からである。海と茅ケ崎駅の中間辺りにあって、平屋の日本家屋だった。お手伝いさんは必ず2人はいた。茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。

茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校を卒業。高校受験の季節になり、志望校として都立日比谷高、早稲田実業、慶應義塾高三校の学校見学に行き、プールが日吉 (横浜市)と三田 (東京都港区)に二つあること、なんとなく伸び伸びした校風が自らに合っていることを理由に慶應高校のみを受験することにした。受験校を決めてからの半年間は、英語・数学・国語の主要3科目にそれぞれ家庭教師を付けていたことに加え、例えば一日に英単語200個を暗唱したように猛勉強し、合格をつかみ取った。慶應高時代にはボクシングやバンドなどを始め、また冬になると海から山に興味関心が湧き移りスキーを始めた。後の慶應大学時代の1959年には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場した。

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー、『独立愚連隊西へ』で初主演。当時、東宝本社と同じく有楽町にあった渡辺プロダクションにも一時期在籍した。

1961年、『夜の太陽』で歌手デビュー。NHK『紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本で初めて多重録音を手がけた歌手でもある。

ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく/ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している。

『日刊スポーツ』1964年6月10日付に「波乗り日本第一号 加山雄三 サーフボード作る」と載る。

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された『君といつまでも』はレコード販売350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売上面で劣る橋幸夫の『霧氷』が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。

俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の「若大将シリーズ」が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。

1964年、加山雄三は従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂の4人で、第二期ザ・ランチャーズを再結成した。

1965年7月~8月にかけて、ザ・ベンチャーズとTV番組で共演し、永年にわたる彼らとの交友関係のきっかけとなった。『ザ・ヒットパレード』「花椿ショウ スターの広場」に出演時、加山雄三はブラックサンドビーチを「僕が3日前にこの番組の為に作曲した」と言っている。ザ・ベンチャーズが使用したmosrite(モズライト)のギターは、全ての日本公演終了後に、経緯は不明ながら加山雄三に渡り、映画『エレキの若大将』で使用された。

1966年、高校生であった喜多嶋修と大矢茂に芸能活動の制限が掛かり、サポートメンバーとしてサイド:堤光生、ベース:岩崎道夫が参加、映画「歌う若大将」に映像として残っている。同年3月には、来日中のザ・ベンチャーズより直接ギター演奏の指導を受ける機会があり、その時の模様は堤光生によって録音されていた。

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業。1967年、運営会社の日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)取締役に就任。しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産。ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。加えて、女優松本めぐみとの結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、10年で完済した。

その後、活動の主軸をテレビに移し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマドラマの挿入歌『ぼくの妹に』のヒットで徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。1990年前後の時点では本業は俳優であると述べていたが、21世紀に入ってからは俳優活動は殆ど行なっておらず、歌手としての活動がメインになっている。

1974年1月5日、北海道のルスツスキー場で雪上車が突然滑り出す事故に巻き込まれ左肩を骨折。

1986年 - 1988年に『NHK紅白歌合戦』で白組司会(1986年は「キャプテン」名義)を3年連続で務めた。1986年の『第37回NHK紅白歌合戦』では、白組トップバッターを務めた少年隊の『仮面舞踏会』曲名を誤って「仮面ライダー」と紹介した。

1991年12月28日、新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業。2010年 - 2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年7月に閉鎖を決めた。

1993年にアメリカ合衆国のMosriteよりマリンブルーと「若大将シリーズ」でおなじみだった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。

1994年、ザ・ワイルドワンズの島英二に声をかけられて、仲間内で久しぶりにエレキギターを弾いてザ・ベンチャーズごっこをやっていたところ、事務所の社長の鶴の一声がきっかけで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成。

1997年4月23日、加山の60歳の誕生日を記念したCD2枚組のトリビュート・アルバム『60 CANDLES』がファンハウスから発売。木崎徹のプロデュース下、レコード会社の垣根を越えた様々なアーティストが参加した。

2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されており、ヘッドがイニシャルの「K」にカットされ、指板にはLEDが組み込まれ、スイッチで光るようになっている。なお、アウトプット・ジャックは本体裏にあるなど、オリジナリティ溢れる製品になっている。

2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、アメリカ合衆国ハワイ州のセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。

2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。同ホールは、クラシック音楽の殿堂かつオペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山である。「加山雄三With大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦祝いに日本初のトリビュート・アルバム『60 CANDLES』を1997年にプロデュースした木崎徹。彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であったために革命的なコンサートが実現した。この模様はDVDになりリリースされている。

2006年8月26日、加山と同じく湘南(茅ヶ崎などの広域地名)というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、「THE 夢人島 Fes.2006」に参加。桑田がバックバンドを務めた。また、茅ヶ崎ライブでの友情出演VTRにて、「茅ヶ崎ブラザーズの兄として…」と桑田との関係をお茶目に語っている。

2007年4月29日、茅ケ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形および「海・その愛」という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市長を始め、茅ヶ崎市関係者および市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。

2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表した。

2011年、第61回芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門を受賞。

2013年に宮城県仙台市で行われた野外ロックフェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」に出演したことをきっかけに、2014年にロックバンド「THE King ALL STARS」を結成した。メンバーは加山の他に、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジ(シアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジ(the HIATUS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、スチャダラパー。

2014年7月 - 8月、77歳を記念しての大型イベント「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」が東京で開催。若大将シリーズ等の映画上映やテレビ番組『若大将のゆうゆう散歩』で描いた絵画の展示イベント「心に残る1枚の風景画展」等が行われたほか、最終日となった8月23日には日本武道館にてコンサートが行われた。

2014年9月27日より、加山自身の最後の全国コンサートツアーとして、全国47都道府県53か所にて「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」を開催。2015年7月25日、東京のNHKホールで最終公演を迎え、加山は「歌をやめるわけじゃない。歌は生涯の親友。死ぬまで歌うけど、コンサートツアーには節目をつける」として、全国ツアーからは身を引くことを明らかにした。主な理由として「ほかのことをやりたいから。一つの夢として80歳になるまでに設計している船を完成させたい」とし、かねてから公言している、自身の設計した災害救助船となるエコシップの建造を本格的に進めることも明かしている。

2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。現在は神棚に保管されている。また、同時期に同郷で親交のある桑田佳祐も紫綬褒章を受章しており、お互いの栄誉を褒め合ったという。

2017年4月11日、桑田佳祐・原由子夫妻と山下達郎・竹内まりや夫妻が発起人になりブルーノート東京を貸し切り80歳の誕生日会が実施される。桑田夫妻・山下夫妻の他にも星野源と水谷千重子(友近)が参加した。

2017年6月、第8回岩谷時子賞を受賞。

2019年11月12日、軽い脳梗塞を発症したため同月のコンサートを延期することを発表。19日、後遺症なく退院した。

2020年8月29日、水を飲んだ際の誤嚥から嘔吐し、自宅から病院に救急搬送されて入院。咳き込んだことが原因で軽度の小脳出血を起こしていたことを9月2日に公表。当面の治療専念を明らかにした。11月9日、退院。

2021年3月25日、この日放送のフジテレビ系のワイドショー『とくダネ!』で、総合司会の小倉智昭によるインタビューが放送され、久々のメディア出演となった。左半身の軽度の麻痺、軽度の言語障害があることを明したものの、「回復は70%」と明瞭に答え、自力でしっかり歩行している。また、このインタビューで、既に新曲のレコーディングを終えていることも明かしている。これは自宅倉庫で偶然に発見されたテープに収録された自作による未発表曲『紅いバラの花』で、84歳の誕生日である2021年4月11日に自身初のデジタルシングルとして配信リリース。

2022年6月19日、年内でコンサート活動から引退することを発表した。最終公演は、豪華客船「飛鳥II」でのクルージングコンサート(同年12月6-8日と8-10日)。同月8日には、NHKが同年大晦日の第73回NHK紅白歌合戦への出場を発表し、コンサート以外でも人前で歌うのはこれが最後となった。

2023年9月1日、茅ヶ崎市の佐藤光市長より、『加山雄三氏を名誉市民に推薦する提案』が市議会本会議に提出され、全会一致の議決によりこれが決定された。なお茅ヶ崎市の名誉市民は5人目となる。翌2024年4月11日の誕生日に合わせ、市役所前広場での銅像除幕式と名誉市民章の授与が行われた。同月に著書『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮新書)も出された。

人物・逸話

船に憧れた学生時代

小学校時代の家庭教師は東京商船大学(現・東京海洋大学)の学生で、船の設計図などを見せて貰ったりしているうちに船への情熱が沸き始めるようになった。

慶應義塾高校時代には造船技師か船乗りも頭の中にあり商船大学への進学も考えたが、「せっかく慶応に進学したのだから、もったいない」と周囲に言われそのまま慶應大学に進学した。

大学の就職活動の時期になると、アサヒビールや三菱商事などの就職資料を取り寄せた際、バンド仲間の親友峰岸慎一(後の文化放送会長)の勧めで芸能一家、上原謙という暖簾を使えと言われても意に介さなかったが、映画で一旗揚げて船の資金を調達すればいいという言葉にグラリときて、会社員として映画界に就職する感覚で東宝へ入社した。

1960年4月に東宝へ入社してからの数年間は国鉄(当時)茅ケ崎駅より砧撮影所の最寄り駅である小田急電鉄成城学園前駅まで電車通勤し、母の考案で土方が持つような巨大な弁当箱を持参していたことから「ドカ弁(土方の弁当の略)」と呼ばれていた。

役者エピソード

映画『椿三十郎』で若侍役の加山と田中邦衛が、三十郎役の三船敏郎の叱責を受けて殴られる場面があるが、実は撮影直前に二人はうどんを食べに無断で現場を抜け出しており、それを知って憤慨した三船が二人を本気で殴っている場面でもある。そのせいか、周囲の侍役の役者達が三船の剣幕に慄く様が見て取れる。

前述の通り、船が大好きな加山だったが、船舶免許の試験日と映画『赤ひげ』の撮影日が重なってしまったことがある。初代「光進丸」の完成もあり、どうしても諦め切れなかった加山は、自分だけでは許してもらえないと思い悩んだ末に事前に主役の三船敏郎に根回しをして監督の黒澤明に「三船と船舶免許を取りに行くため撮影を休みたい」と申し出た、その甲斐あって黒澤から許可をもらい、そして2人とも見事に一発合格した。

映画『エレキの若大将』劇中で、『君といつまでも』を歌うシーンについて、あまりに現実離れしたあり得ない展開であることを加山が指摘した。しかし「映画なんだからいいんだ」とスタッフに押し切られ、結局は加山が折れることで撮影が続行された。この経緯から、加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。

趣味・特技など

大のビデオゲーム好きであり、時間さえあればゲームに熱中している(後述)。

鉄道マニアでもあり、専門誌『鉄道ファン』にインタビュー記事が掲載されたこともある。

UFOに高い関心を示すことがあり、知識も豊富とされる。

英語は、日常会話には全く不自由しないほどのレベルである。初期の楽曲作品では英語詞のものも何曲か含まれている。また米国永住権(グリーンカード)保持者でもある。

絵画(油絵)の腕前は玄人はだしで、画集を出版しているほか、個展も開いている。芸能人の画も描いており、その人にプレゼントをしたこともある。

料理の腕も一流で周囲に手製料理でもてなすこともある。1980年代には、日本テレビ系料理番組『ごちそうさま』の常連ゲストとして、多数出演し腕を振るった。しかし、ある出演回では「海の料理を作る」とのテーマだったにも関わらず「トマトライス」なる海と関連の薄い一品を作り、次の出演機会でも「ニンニクライス」なる一品を披露した。食材としては海に無関係であったが「光進丸でよくこれを作るんです」と海との繋がりを説明した。

運動神経抜群でスポーツ万能だが、野球を不得意とし、そのため『若大将シリーズ』でも野球をする場面はなかったという。

大学在学中に、スキーで国民体育大会に出場したことがある。またスキューバダイビングなどのマリンスポーツも楽しむ。

サーフィンを日本で初めてやり、日刊スポーツ新聞(1964年6月10日)に「波乗り日本第1号 加山雄三 サーフ・ボード作る」と記事になった。

綾小路きみまろの漫談や、桂文枝の創作落語も良く聴いている。

好きな歴史上の人物としてアインシュタインを挙げ、科学的なことに加えて、彼がヴァイオリン奏者であったこと、彼がベートーヴェンよりもモーツァルトの方を好んだことに親近感を覚えると言う。

ジブリ映画の大ファンで「あんなに優れた映画は(他に)ない」と言う。

人間関係

1966年6月、ビートルズが来日した際に東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねて、すき焼きで会食した。初対面の際には、ジョン・レノンに後ろから目隠しされた。後にジョン・レノンとは遠戚であることが判明した。

1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことがきっかけで赤木圭一郎と親しくなり、所属した映画会社こそ東宝と日活で異なっていたものの、同年代で同じ湘南育ちということもあって急速に親交を深めて行き、その友情は翌1961年2月、赤木が事故で急逝するまで続いた。加山は赤木とのエピソードを『湘南讃歌』『若大将の履歴書』などの自著の中で綴っているほか、赤木をイメージして「夕映えのスクリーン」という楽曲を作曲し、1997年、アルバム『LIFE』の1曲として発表している(山川啓介による歌詞も、加山と赤木の友情をモチーフとしている)。

かつて付き人を務めていたのは『太陽戦隊サンバルカン』の初代バルイーグル/大鷲龍介役で知られる歌手の川崎龍介。

テレビ朝日『徹子の部屋』の常連ゲストで、放送開始年の1976年から出演し、2023年9月12日の放送で53回の出演となり最多出場である。出演の際には黒柳徹子と東北弁トークをすることが定番の流れとなっている。かつては正月に家族とともに出演することが恒例となっていた。1985年から1994年までの10年間は年間最初のゲストだった。2012年には5月7日と10月11日と1年間に2回出演している。また「徹子の部屋コンサート」には第1回(2006年)〜第10回(2015年)まで毎回出演し、第13回(2018年)に再びに出演した。

「船酔いして厄介になる」との理由で一貫して船には女性を乗せない姿勢を貫いていたが、初めて乗せた女性が全く船酔いせず悠々と編み物をしているその姿を見て一目惚れしてしまう。それが後に結婚して妻となる松本めぐみであった。

仲代達矢とは盟友といえる仲。

音楽関係

東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)である。

さだまさしが、2006年まで毎年8月に行っていた平和を祈念したコンサート「夏・長崎から」に共鳴し、1996年から10年間連続でゲスト出演した。2007年に行われた「夏・広島から」にもゲスト出演している。

上記のさだや桑田佳祐をはじめ、山下達郎なども加山の影響を受け、敬愛するミュージシャンも多い。

2015年に、ももいろクローバーZの玉井詩織に対して、自身と同じ「若大将」の愛称を名乗ることを公認した。また、2016年には玉井のイメージカラーのイエローにペイントしたモズライト・ギターを贈呈。この縁もあり、ももいろクローバーZが大晦日に開催する『ももいろ歌合戦』に第1回(2017年)から第3回(2019年)、および第5回(2021年)に出場した。

トリビュートアルバム「60 CANDLES」をリリースした後に、参加した全てのアーティストに対し、フェンダー・カスタム・ショップに特注したストラトキャスターを1本ずつ贈呈した。ヘッドの後ろに、それぞれのアーティストの名前を刻んだ真鍮のプレートを取り付けているのが特徴である。

THE ALFEEとは、公私に渡って付き合いが深く、上記のストラトキャスターも3人全員に1本ずつ贈呈している。後に共作シングルとして「Love Again」(加山雄三with THE ALFEE名義)をリリースしたほか、THE ALFEEのステージにサプライズで登場したことがある。また、高見沢俊彦がESPにオーダーした、「エンジェルギター」にモズライトのパーツを組み込んだ「サーフ・エンジェル」をプレゼントする(お礼に高見沢の肖像画を贈ったという)などの交流が続いている。THE ALFEEがカバーした「夜空の星」を加山が、ステージで「逆カバー」している。それに関して「アルフィーのバージョンで歌ってたら、高いキーの声が出るようになったんだよ」と語っている。2004年、ニッポン放送のラジオ番組『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に生出演した際には、ご機嫌な様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。

過去に加瀬邦彦(ザ・ワイルドワンズ)が経営するライブハウス「ケネディハウス銀座」に、加瀬から出演のオファーが来たが、その際ギャラの問題になった。加山が「友人のライブハウスだからギャラは要らない」と固辞したのに対して、「どうしても」と懇願する加瀬。いつまでも埒があかないので、加山が条件として突き付けたのが「じゃあギャラはビールと焼き鳥!」というもので、それからノーギャラで毎月出演している。

2016年9月には「マイケル・ルノーが加山の作詞のゴーストライターをしていた」と報道された。所属事務所側はこれを否定している。

娯楽番組など

『8時だョ!全員集合』(TBS系列)に出演時、台本上では加山は笑いを取る役ではなかったが、本番では「ウンコチンチン」を披露したことがある。これは、そもそも当時所属していた東宝が「笑いを取らせるようなことをさせない」ことを条件に出演を了承していたことが関係しているが、加山は「馬鹿なことだろうと何だろうとお笑い番組に出て笑いを取らないのは、音楽番組に出て歌を歌わないのと同じこと」とスタッフの反対を押し切った形でのギャグ披露となった。

同様な理由で、映画『クレージー黄金作戦』にゲスト出演した際、当初は「二人だけの海」を歌うシーンのみの出演予定だったが、アドリブで植木等のギャグ「お呼びでない? これまた失礼しました!!」を披露した。

『クイズタイムショック』(テレビ朝日系列)では、全問正解パーフェクトを4回も達成したことがある。この記録は個人記録としては破られていない。

1986年大晦日の『第37回NHK紅白歌合戦』で白組キャプテンを務めたが、『仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、『仮面ライダー』!」と言ってしまった。理由は諸説あるが、その一つとして、後に「あれは控室で『何か『仮面ライダー』みたいな題名だな』と他の出演者が言ったのが頭に残っていたから」と説明している。「他の出演者」とはおそらく近藤真彦ではないかと東山紀之がインタビューなどで語っていた。またある説では加山自ら、台本を最終確認している時にこの曲のタイトルが「まるで仮面ライダーみたいな曲名だな」って冗談で思い続けていたら、本番でその冗談の方が口から出てしまったと話していたことがある。

1990年代以降は、バラエティ番組やトーク番組への出演が増えた。前述の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)の最多出演はもちろんのこと、NHK総合テレビで放送された『スタジオパークからこんにちは』も出演回数最多の7回を誇っており、最終回(2017年3月17日)にも出演した。

ゲーマー

『スペースインベーダー』の頃から遊んでいるゲーマーで、幼い時の子供2人と遊んでいた。

少しでも時間があると、『バイオハザード』や『鬼武者』、『ファイナルファンタジー』、『グランツーリスモ』などをプレイしている。本人によると「バイオハザードは1から5まで、5はネットでやった。FF(ファイナルファンタジー)は10までやったけど、11がネットになったからそれはやってない」と語っている。特に、『バイオハザード』には熱心で、2011年に『さんまのまんま』に出演したときには、『バイオハザード』の面白さを熱弁していた。『バイオハザード1』ではナイフ使用限定クリア、『鬼武者』において57分というクリアタイムを叩き出している。この記録は、世間的に見ても相当上手でないと達成できないことから、その熱中ぶりがうかがえる。『バイオハザード』への熱中ぶりは81歳となった2018年時点でも変わらず、同年9月11日放送の『チマタの噺』に出演した際には2017年発売の『バイオハザード7』やそのVRプレイの面白さを力説し、MCの笑福亭鶴瓶を呆れされている。

ハドソンのスーパーファミコン用ソフト『鮫亀』ではゲーム音楽とイメージソングの作曲を手掛けている。これは当時ハドソンの会長であった同社の創業者工藤裕司と加山が知り合いであり、加山が工藤に「いつかテレビゲームの音楽を作曲する機会があったら、俺もやってみたいな」と話したところ、工藤が子供から大人まで楽しめるゲームのほうが加山のイメージに合うだろうということで『鮫亀』を推薦したことが経緯である。

ゲームをやりだしたきっかけとしては、老化防止になると友人から薦められたから、と語っている。2006年4月5日放送の『ウチくる!?』スペシャルに出演した際は『ファイナルファンタジー』について熱く語った。

また、ソフトは『バイオハザード』シリーズのみであるが、ニンテンドーゲームキューブやWii、PlayStation 3、ニンテンドー3DS、PlayStation 4も所有している。

同い年の鈴木史朗とは『バイオハザード』をプレイしているという共通点で交友がある。『バイオハザード リベレーションズ』においては発売日に朝日新聞にて鈴木と共に広告で競演。ゲームスポットジャパンでは対談まで実現した。

若大将のゆうゆう散歩

地井武男が出演していたテレビ朝日『ちい散歩』を引き継ぎ、2012年5月7日から開始し2015年9月25日まで放送された『若大将のゆうゆう散歩』に出演していた。

地井が2012年6月29日に死去したことを受け「彼(地井)が体調を崩して散歩を続けられないと聞いた時、いずれ彼が戻ってくるまで、僕に出来ることなら頑張ってみようと、番組をお引き受けしました。ゆっくり静養してもらおうと思っていたのに、まさかこんなことになるとは…大変ショックです」とその死を悼み「これからは彼の分まで、彼に喜んでもらえるよう、散歩を頑張りたいと思っています」とコメントした。また、2012年8月6日に東京で行われた地井のお別れの会に出席し「見ててくれよ。君よりも僕は頑張れるか分からんけど、大切にしたいものは君が遺した素晴らしい心。その足跡を多くの人に伝えていくことができたら、それが君への餞だと思う」と誓った。

番組を引き受けるにあたって、地井に電話を入れ「君の視聴率を守れるか、それが一番心配だ」と漏らし、地井から「そんなこと言わないでください。大丈夫ですよ」と励まされた。番組は好調なスタートとなり、再度地井に電話を入れ報告をしたところ、地井は「夏のロケは暑いですよ」と言い、加山は「まさにその通りだった」と語った。

2015年7月25日、コンサートツアー「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」の最終公演(NHKホール)前に会見を開き、9月で番組を終了することを明かした。前述の通りエコシップの建造に注力するため、収録時間の長いこの番組の終了を決断したという。これを受けて、テレビ朝日サイドも「加山本人から番組卒業の申し入れがあり、了承した」との広報部のコメントを出した。

番組終了後も、現在放送中の後番組『じゅん散歩』のスペシャル版『じゅん散歩デラックス』にて、同番組の散歩人を務める高田純次とこれまで2回共演している。

光進丸火災

2018年4月1日夜、静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里(あらり)漁港に係留されていた3代目「光進丸」(104トン、全長25.59m)で火災が発生。当時加山はコンサートのため沖縄県に滞在しており船は無人であった。3日午後、出火から約42時間後に鎮火したが、4日午前、横に係留されていた作業船と一緒に横倒しになり、光進丸は大半が水没した。9日に予定されていた加山の「ケネディハウス」での公演は開催が延期された。火災の10日前の3月22日に、同船で最後となった写真が加山のアルバム『演歌の若大将〜Club光進丸』(6月27日発売)のために撮影されており、船内のバーで撮影された1枚がジャケット写真に使用されている。4月17日、船体の引き揚げ作業が開始され、18日午後、クレーン船上に引き揚げられた。20日、出火原因調査のため清水港に運ばれ、5月8日、静岡県警や下田消防本部、下田海上保安部により船体の実況見分が行われたが、船の内部の焼損が激しく、出火原因の特定には至らなかった。火災後に光進丸の模型が無断で製造・販売されていることに対し、5月28日、オフィシャルサイトで注意を呼びかける。6月11日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した際には、今回の火災が「人生のターニングポイント」だったと語り、また光進丸の引き揚げに携わったサルベージ船の名前が「幸神丸(こうしんまる)」であったこと、その偶然に驚くとともに「神様に抱かれて行ったんだ」という感慨を抱いたことを明かした。6月16日、東京国際フォーラムで開催された第3回「ゴー!ゴー!若大将FESTIVAL」公演において、火災以来初めて、楽曲「光進丸」を公の場で歌った。

その他エピソード

母方(祖父方)の高祖父は明治の元勲岩倉具視である。

亀井久興(元衆院議員)・亜紀子(衆院議員)親子とは遠縁の親戚で、久興は曾祖叔母・森寛子(岩倉具視の五女)の曾孫で三いとこ、亜紀子は玄孫で三いとこ姪にあたる。

1970年のパシフィックパークホテル倒産時には、最大23億円もの借金を抱え、1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯を食べたという苦労も味わったが、10年がかりで返済した。

1974年1月5日に、北海道の大和ルスツスキー場で雪上車にはねられて左肩を骨折し、1カ月の怪我を負った。

第21回参議院議員通常選挙の投票日であった2007年7月29日、東京銀座の山野楽器で、自身が「過去衆議院・参議院ともに出馬要請が10回以上あった」と発言。「自分には向いてないね」とコメントしている。

頭髪に関してはビートたけしがカツラだとネタにすることがあったが、実際は地毛であり、自ら髪をつかんでその旨をアピールしている。たけしがネタにしていたことについては加山も知っており、直接会った際に問いただし髪を引っ張ることを促した上で平謝りさせている。

2015年に日清食品グループのどん兵衛の企画でYouTuberとして動画を発表していた。アカウント名は「どんばれ 加山雄Tuber」。

2019年4月に運転免許証を自主返納した。返納のきっかけの一つが趣味テレビゲームで、プレイ中に反射神経の衰えを実感し、「運転が怖くなった」という。

DAIGOと19親等離れた親戚であり、千葉雄大と21親等離れた親戚であり、黒木瞳と30親等離れた親戚である。

愛用している腕時計はSEIKOクロノス(現在は廃番)である。

芸名

加山雄三という芸名の由来は、「加賀(百万石)・(富士)山・英雄・小林一三」から一文字ずつ拝借したものと東宝のデビュー会見で報じられている。

しかし若大将シリーズの時期には大学時代の成績が可が山程あって優が3つしかなかったので「可山優三」をもじって命名したと揶揄された。慶應義塾大学では成績の評価は「優・良・可」法ではなく「A・B・C」法なのでその説に異を唱える向きもあった。

そして、これまで説明されて来た由来は作ったものであり、実際には加山の母方の祖母(江間光子、芸名青木しのぶ)が姓名判断で縁起のいい芸名をつけてもらったことを加山自身が著書で明らかにしている。

2024/06/10 11:29更新

kayama yuuzou


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