庄司薫の情報(しょうじかおる) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
庄司 薫さんについて調べます
■名前・氏名 |
庄司薫と関係のある人
岸田文雄: 当時は夏目漱石のような文豪に憧れ、庄司薫の小説も愛読し一人旅を好んだ。 直井潔: 『一縷の川』で第5回平林たい子文学賞を受賞した他、第27回芥川賞(1952年上期)に『淵』が、第61回同賞(1969年上期)に『歓喜』が、候補作となっている(27回は受賞者なし、61回は庄司薫と田久保英夫)。 塩野七生: 日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。 林達夫: 中公文庫、1973年(解説庄司薫) 古井由吉: 同級生に尾高修也や塩野七生、福田章二(庄司薫)がいた。 仁科亜季子: 油絵が好きで、美大に行くつもりだったが、父と雑誌に載ったグラビアを見たNHKのプロデューサーの薦めにより、1972年(昭和47年)、庄司薫原作のテレビドラマ 『白鳥の歌なんか聞えない』(NHK、銀河ドラマ)出演を機に芸能界デビューした。 粕谷一希: 永井陽之助、高坂正堯、萩原延寿、山崎正和、塩野七生、庄司薫、高橋英夫、白川静などを世に送り出す。 中村紘子: 夫は小説家の庄司薫。 風見章子: 赤頭巾ちゃん気をつけて(1970年、東宝) ‐ 庄司薫の母 役 |
庄司薫の情報まとめ
庄司 薫(しょうじ かおる)さんの誕生日は1937年4月19日です。東京出身の作家のようです。
卒業、現在、結婚、映画、ドラマ、趣味、家族に関する情報もありますね。庄司薫の現在の年齢は87歳のようです。
庄司薫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日本の小説家。本名は福田章二(ふくだ しょうじ)。 三省堂の専務の息子として東京都豊島区東池袋に生まれ育つ。幼い頃から文学書に親しんで育つ。太平洋戦争中は埼玉県秩父に疎開していた。東京都立日比谷高等学校の同級生に塩野七生や古井由吉、尾高修也が、2級上に坂上弘がいた。高校時代は芸術派の総帥のつもりだった。高校卒業後、1年間の浪人生活を送る。1957年に東京大学文科二類(現在の文科三類に相当)に入学。同年「蝶をちぎった男の話」を東京大学教養学部学友会機関誌『学園』第15号に発表。 東京大学教養学部文学研究会機関誌『駒場文学』第9号(1958年4月)に発表した『白い瑕瑾』を改題改稿した『喪失』にて第3回中央公論新人賞を受賞、同作品が『中央公論』1958年11月号に掲載される。このとき選考委員の伊藤整と武田泰淳からは絶賛されたが、三島由紀夫から疑念を表明され、江藤淳から評論「新人福田章二を認めない」(『新潮』1959年1月号)で酷評された。この後、『新潮』1959年2月号に掲載された新人作家の座談会「僕ら文学するもの」に出席。1959年春、「封印は花やかに」を書き、『中央公論』小説特集号に発表。同年秋、作品集『喪失』を中央公論社から上梓。 教養学部から法学部に傍系進学し、第3類(政治コース)を卒業。法学部時代の恩師に丸山眞男がいる。 1960年、『文學界』7月号に発表した『輕やかに開幕』を最後に数年間筆を絶ち、謎の多い空白期間を過ごす(庄司の言葉では「総退却」)。エジプト学に沈潜していたとも、株で生活していたとも言われている。 1966年、恩師丸山真男を囲む集まり「60の会」の小さなタイプ印刷の機関誌「60」に10枚ほどの小説を発表、この会の内輪で好評を博す。東大闘争のあった1969年、初めて庄司薫の名義で『赤頭巾ちゃん気をつけて』を発表(『中央公論』5月号)。三島由紀夫たちに才能を認められ、第61回芥川賞を受賞、同年8月に中央公論社から単行本として刊行。この作品は、単行本と文庫本を併せて発行部数160万を超えるベストセラーとなった。また『中央公論』8・9・10月号に『さよなら快傑黒頭巾』を連載(同年11月、中央公論社から単行本として刊行)。同年、『文學界』9月号に『恐竜をつかまえた』を発表。『新潮』12月号に『アレクサンダー大王はいいな』を発表。 1970年、『中央公論』新年号から6回にわたり『白鳥の歌なんか聞えない』を連載。『婦人公論』4月号から1年間にわたり自伝風エッセイ『狼なんかこわくない』を連載。同年5月、作品集『喪失』の新版を中央公論社から刊行。 1971年2月、『白鳥の歌なんか聞えない』を中央公論社から刊行。同年12月、『狼なんかこわくない』を中央公論社から刊行。 1973年6月、エッセー集『バクの飼主めざして』を講談社から刊行。同年、『喪失』『赤頭巾ちゃん気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら快傑黒頭巾』『狼なんかこわくない』を中公文庫から刊行。敬愛する林達夫の『共産主義的人間』(中公文庫)に解説文を寄せる。 1974年9月、ピアニスト中村紘子と結婚。演奏ツアーなどにより中村が長期不在となったさい中村の愛猫を庄司がたびたび預かり面倒を見るなどしていたことから交際を深め結婚に至った。子はないが結婚以降変わらぬよい夫婦仲とのこと。一説には後年中村がエッセイ・小説を上梓の際、庄司による代筆を疑う声もあったが憶測の域を出ない。 1975年、『中央公論』新年号から24回にわたり『ぼくの大好きな青髭』を連載。1977年7月、『ぼくの大好きな青髭』を中央公論社から刊行。『赤』『黒』『白』と、この『青』を加えた四作は、現役あるいは卒後の都立日比谷高生である「庄司薫」を主人公にしたいわゆる「四部作」とされる。これらのうち東宝青春路線として1970年代以降、『赤』(岡田裕介・森和代・中尾彬・山岡久乃など主演)と『白』(岡田裕介・本田みちこ・加賀まりこ・細川俊之など主演)が映画化され、また、『白』はNHKでドラマ化(荒谷公之・仁科明子など主演)された。 その他、本名の福田章二原作『輕やかに開幕』の映画版で、『童貞』(1975年、重田尚彦・五十嵐淳子・夏木陽介・竹井みどり・大滝秀治など主演)がある。 1976年、『海』12月号に武田泰淳への追悼文「武田さんの思い出」を発表。 1978年11月、エッセイ集『ぼくが猫語を話せるわけ』を中央公論社から刊行。 1979年、『新潮』6月号にエッセイ「猫」を発表。同年、ウォークマン発売の後押しをしている。妻の中村紘子は「盛田さん(ソニー社長盛田昭夫)とうちの主人は当時しょっちゅう一緒にゴルフに行っていたんですが、家が近いものですから朝同じ車で行くんですね。そしたら盛田さんが主人にウォークマンの試作品を見せて「こういうのを発案したんだけど、会社の全員がこんなの売れませんって言って反対してる。だけど僕はこれいいと思うんだけどな」っておっしゃったんですよ。それでうちの主人に感想を求めてきたので「これいいじゃないですか。僕はこれすごくいいと思います」ってうちの主人が申し上げたのに勇気づけられて、みんなの反対を押し切って発売したら大ヒットになったんですよ」と語っている。 1980年、5月刊行の文春文庫の書き下ろしアンソロジー『読書と私』にエッセイ「『椿姫』以来」を執筆。同年10月、『ぼくの大好きな青髭』を中公文庫から刊行。同年12月、『東京新聞』にエッセイ「ビタミンC」を発表。 1981年11月、『ぼくが猫語を話せるわけ』を中公文庫から刊行。 小説家としては1977年の『ぼくの大好きな青髭』を最後に沈黙しているが、以後も部屋に籠っているわけではなく、中村のコンサート後のパーティなどにも顔を出していることが伝えられている。日頃は趣味の書を嗜み、各出版社の編集者とは仕事抜きの交際を続けている。中村は2時間約200万円の公演を年間30-40回こなすと言われているがその稼ぎに庄司は寄りかかることなく、1985年からは東京都港区三田の自宅マンションに次々と別の抵当権を設定し、バブル期の不動産価格の高騰に乗って借入れを増大。1985年から2006年までで総額13億7000万円の資金を借入れ、不動産や株などに投機していたが、2006年以後に借金(元利合計で借入金の倍額程度)を完済。夫妻の部屋の登記簿を見た萬場友章弁護士から「バブル崩壊で資産価値が目減りし、多くの個人投資家が担保物権を失うなかで、この夫婦は損をせずに巧みに売り抜けている。常識的には破産していてもおかしくないケースで、これはもうプロの投資家のレベルです」と称賛された。 2007年4月15日、自宅マンションで異臭騒ぎが発生。警視庁三田署と東京消防庁によると、冷蔵庫の配線が破れて冷却用のアンモニアが漏れたものと見られている。 『赤頭巾ちゃん気をつけて』以降の庄司作品に野崎孝訳版、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』の影響を見る向きもある。『ライ麦畑でつかまえて』と文体やプロットから主人公の設定や小道具まであまりに似すぎているのではないかという声は『赤頭巾ちゃん』の発表当時から存在し、『東京新聞』は1969年9月2日朝刊ワイド面「こちら特報部」に「"薫ちゃん"気をつけて」と題する記事を掲載したことがある。 この中で当時明治大学助教授だったサリンジャー研究者三浦清宏は『一つの意見』と題する論評を寄せ、「盗作」「贋作」といった言葉を避けつつも、『ライ麦畑でつかまえて』との類似点を「…とかなんとか」「…やなんか」といった言い回しや「とくに女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、かならず『ママ』が出てくるのだ」(庄司)と「困るのは、最初に電話に出るのは彼女じゃないだろうということなんだ。おやじかおふくろが出てくるにきまってんのさ」(サリンジャー)といったディテール、また両者ともブルジョワの家庭に生まれた精神的に不安定な少年が理由は違うにせよ行くべき学校がなく彷徨する姿を描いた作品であることなどを挙げ、具体的に検証して見せた。 これに対し、庄司は『三浦氏へ…ボクの見解』と題する手記を寄せ、「ぼくは、このような意見に対しては、ただぼくの作品を読んでいただきたい、というほかないと思います」と宣言しながらも、「ぼくは、このような意見、つまり『薫くん』流にいえば、ひとの足をひっぱって自分の存在を主張するといった『品性下劣』な、めめしい発想をとてもお気の毒に思います」「いずれにしてもこの三浦氏にももう一度よく『赤頭巾ちゃん』を読んでいただきたいと思います。もっともそうすると『舌をかんで死んじゃいたく』なるんじゃないか、という心配もありますが」と皮肉り、東京新聞の記者に対しては「サリンジャーを盗んでいるなんて批評は、十年も、いや二、三年もすれば、そうでなかった──とわかりますよ」と予言した。 このとき、コメンテーターとして小島信夫は『赤頭巾』を未読としつつも「私の周囲の米文学者は、受賞直後から(両作品の類似を - 引用者註)話題にしてました。文章をそのままいただいたというのではないので盗作とはいえないというのが大方の意見でしたが……。人によっては、明治以来、ずいぶん多くの外国文学が取り入れられてきたが、こんなに主体性のない取り入れ方をしたのは初めてだなんていってました」と発言し、佐伯彰一 は「よく似ているけど、サリンジャーのものほどうまくいってない」「選考委員がサリンジャー作品を知っていて、なおかつ斬新さを認めたのならいいんですけど、そうでないとすると、ひっかかる人が出るでしょう」と述べた。庄司はその後、『東京新聞』1969年9月12日夕刊文化欄に『とにかく読んでください』という反論文を発表し、『週刊言論』1969年10月1日号のインタビューでも同様の反論をおこなった。 この点につき栗原裕一郎は、庄司が同人誌時代に福田章二名義で発表した『白い瑕瑾』(『駒場文学』第9号、1958年4月)の文体が『赤頭巾ちゃん』に近い「かもしれない」ことを指摘しつつ、「野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』が発表されたのは1964年、『白い瑕瑾』は1958年だから、『赤頭巾ちゃん』の文体が『白い瑕瑾』の時点ですでに出来上がっていたとすれば、少なくとも野崎訳文体の模倣とはいえない計算になる」(『盗作の文学史』p.114、新曜社、2008年)と述べた上で、「文学青年を自称し『若さ』についてもっぱら考えていた庄司が『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいなかったとは考えにくいから、『ライ麦畑』の邦訳に自分が捨て去った文体の可能性を再発見しブラッシュアップをもくろんだというあたりが模倣疑惑の実情にちかいのではないかと推測されるが、庄司が真相を吐露することは今後もないだろう」と論じている(同書p.122)。 ただしサリンジャーのThe Catcher in the Ryeの日本語への初訳としては『白い瑕瑾』に先立つ1952年、橋本福夫訳の『危険な年齢』がダヴィッド社から出ている。この訳書には既に「これには参ったね」(That killed me.)や「…やなんか」(...and all)などの頻出表現が登場しており野崎はそれを踏襲したに過ぎない。しかし、この橋本訳サリンジャーが庄司に影響を与えた可能性については栗原も言及していない。 喪失 福田章二 中央公論社, 1959. のち文庫 赤頭巾ちゃん気をつけて 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫 さよなら快傑黒頭巾 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫 狼なんかこわくない 中央公論社 1971. のち文庫 白鳥の歌なんか聞えない 中央公論社 1971 のち文庫 バクの飼主めざして 講談社 1973 のち文庫、中公文庫 ぼくの大好きな青髭 中央公論社 1977.7 のち文庫 ぼくが猫語を話せるわけ 中央公論社 1978.11 のち文庫 家族としての犬と猫 編 新潮社 1987.3 エッセイ・おとなの時間 オトーサン「駒場文学の思い出」 - ウェイバックマシン(2004年4月30日アーカイブ分) 庄司薫 作品と年表 - ウェイバックマシン(2020年8月4日アーカイブ分) ^ 「僕の部屋の三方の壁に嵌込まれた書棚には世界文学の傑作がぎっしりと詰っている。それらの古典の中で幼い僕は育てられその文学への抱負を羽ばたかせたのだった」(福田章二『喪失』旧版あとがき、p.241、中公文庫、1973年) ^ 『文藝春秋』1978年5月号「同級生交歓」。 ^ 「ぼくは『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公とはちがい、日比谷高校においてもすでにどちらかというと『芸術派』、いや、実は『芸術派の総帥』のつもりだったのであり、日比谷高校の『芸術派』の永い栄光ある伝統を継ごうと考えていた根っからの文学青年だったのだ」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.82、中公文庫、1973年) ^ 「ぼくは東大入学の記念写真撮影の際には、全員制服制帽の中で、男ではただ一人トックリセーターにジャンパー姿という『異端』ぶりの典型的『芸術派』だったのだ」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.82、中公文庫、1973年) ^ 「中央公論新人賞を選んだのは、まずその第一回受賞作である深沢七郎の傑作『楢山節考』にぼくが猛烈なショックを受けていたせいだと思われるが、同時に、伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫という三人の審査委員の組合せに、ぼくが大きな信頼感を抱いたためでもあった」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.70、中公文庫、1973年) ^ 「授賞式は十月十日だったが、その式場での挨拶で、ぼくはやはり少しあがったのか、『逃げ出したい』なんてつい口走って、あとで『おかしな新人』『おかしな挨拶』などと何かの新聞や雑誌で書かれたりした」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.88、中公文庫、1973年) ^ 福田章二を「石原慎太郎、菊村到、開高健、大江健三郎といった作家たちが提出している文学的な問題を、単に文学的ファッションとしてだけうけとめようとする安易な態度」を持つ「無神経なエピゴーネンたち」の代表と断じ、「『頭のいい人』が緻密に計算したからといって、その結果が文学作品になるとはかぎらない」、「『必然性』を欠いた作品は文学作品としての根本的な要件を欠いているので、そのような作品を『緻密に』計画することに喜びを見出しているような精神はどこかが病んでいる。あるいはおそるべき鈍感な精神である」、「福田氏の場合、むしろ創作態度の根本にこのカマトト的態度がある」、「ここに浮遊しているミミッチイ自己満足的な『最高』への憧憬はとうてい文学者のものではない」、「ここでは『文学』が作者の自己満足のためのひとつの道具に堕落している」、「ここにいたってわれわれは遂に作者自身の卑俗な自己満足のために書かれた小説が、堂々と文学作品として大手をふって評価されるという奇妙な現象に直面したのである」という悪罵に近い辛辣な内容であった。 ^ 他の出席者は河畠修と神崎信一と山川方夫であった。このとき福田は「もしあの作品(『喪失』)が江藤さんのおっしゃるところまで徹底していればその存在自体が一つの諷刺だろうと思うのですよ。ですから、あのようなつかまえ方をする時には、『喪失』がそこまで徹底していないということをむしろ衝くべきだったとそんなことを感じました」と発言したが、神崎以外の出席者たちからは「江藤さんの不満を僕はそっくりそのまま福田君に向けていいと思う」(河畠)、「福田さんの『喪失』、あそこではなにか作者のそれにもう一つ誠実さが欠けている気がして、興味が湧かなかった。文章は美しいし、センスはいいし、そういうことはたしかにあるけれども、つまりなんともなかったんです」(山川)と批判された。 ^ 「進学先として法学部を有力視したことのもう一つの理由は、ほかならぬぼくの総退却の第二の基本方針である他者との比較競争からとりあえず逃げまくるということにあった」「そしてぼくは、悪名高い法学部のマスプロ講義、そこにおいては学生はみな匿名の存在となってしまう大教室講義に、むしろ或る解放感を予想した」「それにぼくの場合は、たとえば丸山真男教授に対する高等学校時代からの個人的な憧れといったものがあった」(庄司薫『狼なんかこわくない』pp.84-85、中公文庫、1973年) ^ 「この時期の彼は、エジプト学などに沈潜していたということである」(福田章二『喪失』の土居寛之による解説、p.250、中公文庫、1973年) ^ 「その小説は、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の最後の章の原型ともいうべきもので、本屋の店先でちっちゃな女の子に生爪をはがしたばかりの足先を踏んづけられる話だった(文章もほとんど同じといっていい)」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.175、中公文庫、1973年) ^ 芥川受賞時の「感想」と題する文章に「お前は十年間何をやってたんだ、というのは多くの方々から受けるべき質問で、勿論これについては○×式簡明さで答えられる筈もありません。でも敢えて言うならば、この十年間ぼくが考えてきたのは『男の子』いかに生きるべきか、とでも言ったことであり、ぼくがやってきたのは、すまして言えば『心の柔軟体操』とでも言うべきことでした」と書いている(庄司薫『狼なんかこわくない』p.182、中公文庫、1973年)。 ^ Musicman's RELAY 第79回 中村紘子 ^ 『週刊文春』1990年2月15日号「Catch Up ソニー社長大賀典雄氏の「還暦祝い」は一日指揮者」※ 庄司薫・中村紘子と肩を組んで写真に納まる大賀典雄のモノクログラビア。 ^ 『週刊現代』2007年1月6日・1月13日合併号「スペシャルワイド『週刊現代』を彩った時代の主役『あの人はいま』」Part2「庄司薫"赤頭巾ちゃん"は余生も安泰」。 ^ 「サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思わせる軽妙な語り口をもつ、ある覚醒の物語です」(加藤典洋『小説の未来』朝日新聞社、2004年) ^ 「『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳によく似た軽妙な山の手風言葉で語られる一人称小説」(高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年) 表 話 編 歴 第1回 石川達三「蒼氓」 第2回 該当作品なし 第3回 小田嶽夫「城外」/ 鶴田知也「コシャマイン記」 第4回 石川淳「普賢」/ 冨澤有爲男「地中海」 第5回 尾崎一雄「暢気眼鏡」他 第6回 火野葦平「糞尿譚」 第7回 中山義秀「厚物咲」 第8回 中里恒子「乗合馬車」他 第9回 半田義之「鶏騒動」/ 長谷健「あさくさの子供」 第10回 寒川光太郎「密獵者」 第11回 高木卓「歌と門の盾」 第12回 櫻田常久「平賀源内」 第13回 多田裕計「長江デルタ」 第14回 芝木好子「青果の市」 第15回 該当作品なし 第16回 倉光俊夫「連絡員」 第17回 石塚喜久三「纏足の頃」 第18回 東野邊薫「和紙」 第19回 八木義徳「劉廣福」/ 小尾十三「登攀」 第20回 清水基吉「雁立」 第21回 由起しげ子「本の話」/ 小谷剛「確証」 第22回 井上靖「闘牛」「猟銃」 第23回 辻亮一「異邦人」 第24回 該当作品なし 第25回 安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」/ 石川利光「春の草」他 第26回 堀田善衛「広場の孤独」「漢奸」他 第27回 該当作品なし 第28回 五味康祐「喪神」/ 松本清張「或る『小倉日記』伝」 第29回 安岡章太郎「悪い仲間・陰気な愉しみ」 第30回 該当作品なし 第31回 吉行淳之介「驟雨」他 第32回 小島信夫「アメリカン・スクール」、庄野潤三「プールサイド小景」 第33回 遠藤周作「白い人」 第34回 石原慎太郎「太陽の季節」 第35回 近藤啓太郎「海人舟」 第36回 該当作品なし 第37回 菊村到「硫黄島」 第38回 開高健「裸の王様」 第39回 大江健三郎「飼育」 第40回 該当作品なし 第41回 斯波四郎「山塔」 第42回 該当作品なし 第43回 北杜夫「夜と霧の隅で」 第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」 第45回 該当作品なし 第46回 宇能鴻一郎「鯨神」 第47回 川村晃「美談の出発」 第48回 該当作品なし 第49回 後藤紀一「少年の橋」/ 河野多惠子「蟹」 第50回 田辺聖子「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」 第51回 柴田翔「されどわれらが日々──」 第52回 該当作品なし 第53回 津村節子「玩具」 第54回 高井有一「北の河」 第55回 該当作品なし 第56回 丸山健二「夏の流れ」 第57回 大城立裕「カクテル・パーティー」 第58回 柏原兵三「徳山道助の帰郷」 第59回 丸谷才一「年の残り」/ 大庭みな子「三匹の蟹」 第60回 該当作品なし 第61回 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」/ 田久保英夫「深い河」 第62回 清岡卓行「アカシヤの大連」 第63回 吉田知子「無明長夜」/ 古山高麗雄「プレオー8の夜明け」 第64回 古井由吉「杳子」 第65回 該当作品なし 第66回 李恢成「砧をうつ女」/ 東峰夫「オキナワの少年」 第67回 畑山博「いつか汽笛を鳴らして」/ 宮原昭夫「誰かが触った」 第68回 山本道子 「ベティさんの庭」/ 郷静子「れくいえむ」 第69回 三木卓「鶸」 第70回 野呂邦暢「草のつるぎ」/ 森敦「月山」 第71回 該当作品なし 第72回 日野啓三「あの夕陽」/ 阪田寛夫「土の器」 第73回 林京子「祭りの場」 第74回 中上健次「岬」/ 岡松和夫「志賀島」 第75回 村上龍「限りなく透明に近いブルー」 第76回 該当作品なし 第77回 三田誠広「僕って何」/ 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」 第78回 宮本輝「螢川」/ 高城修三 「榧の木祭り」 第79回 高橋揆一郎「伸予」/ 高橋三千綱「九月の空」 第80回 該当作品なし 第81回 重兼芳子「やまあいの煙」/ 青野聰「愚者の夜」 第82回 森禮子「モッキングバードのいる町」 第83回 該当作品なし 第84回 尾辻克彦「父が消えた」 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」 第86回 該当作品なし 第87回 該当作品なし 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/ 唐十郎「佐川君からの手紙」 第89回 該当作品なし 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」 第91回 該当作品なし 第92回 木崎さと子「青桐」 第93回 該当作品なし 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」 第95回 該当作品なし 第96回 該当作品なし 第97回 村田喜代子「鍋の中」 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/ 三浦清宏「長男の出家」 第99回 新井満 「尋ね人の時間」 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/ 李良枝「由煕」 第101回 該当作品なし 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」 第103回 辻原登「村の名前」 第104回 小川洋子「妊娠カレンダー」 第105回 辺見庸「自動起床装置」/ 荻野アンナ「背負い水」 第106回 松村栄子「至高聖所アバトーン」 第107回 藤原智美「運転士」 第108回 多和田葉子「犬婿入り」 第109回 吉目木晴彦「寂寥郊野」 第110回 奥泉光「石の来歴」 第111回 室井光広「おどるでく」/笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 第112回 該当作品なし 第113回 保坂和志「この人の閾」 第114回 又吉栄喜「豚の報い」 第115回 川上弘美「蛇を踏む」 第116回 辻仁成「海峡の光」/ 柳美里「家族シネマ」 第117回 目取真俊「水滴」 第118回 該当作品なし 第119回 花村萬月「ゲルマニウムの夜」/ 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」 第120回 平野啓一郎「日蝕」 第121回 該当作品なし 第122回 玄月「蔭の棲みか」/ 藤野千夜「夏の約束」 第123回 町田康「きれぎれ」/ 松浦寿輝「花腐し」 第124回 青来有一「聖水」/ 堀江敏幸「熊の敷石」 第125回 玄侑宗久「中陰の花」 第126回 長嶋有「猛スピードで母は」 第127回 吉田修一「パーク・ライフ」 第128回 大道珠貴「しょっぱいドライブ」 第129回 吉村萬壱「ハリガネムシ」 第130回 金原ひとみ「蛇にピアス」/ 綿矢りさ「蹴りたい背中」 第131回 モブ・ノリオ「介護入門」 第132回 阿部和重「グランド・フィナーレ」 第133回 中村文則「土の中の子供」 第134回 絲山秋子「沖で待つ」 第135回 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」 第136回 青山七恵「ひとり日和」 第137回 諏訪哲史「アサッテの人」 第138回 川上未映子「乳と卵」 第139回 楊逸「時が滲む朝」 第140回 津村記久子「ポトスライムの舟」 第141回 磯﨑憲一郎「終の住処」 第142回 該当作品なし 第143回 赤染晶子「乙女の密告」 第144回 朝吹真理子「きことわ」/ 西村賢太「苦役列車」 第145回 該当作品なし 第146回 円城塔「道化師の蝶」/ 田中慎弥「共喰い」 第147回 鹿島田真希「冥土めぐり」 第148回 黒田夏子「abさんご」 第149回 藤野可織「爪と目」 第150回 小山田浩子「穴」 第151回 柴崎友香「春の庭」 第152回 小野正嗣「九年前の祈り」 第153回 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」/ 又吉直樹「火花」 第154回 滝口悠生「死んでいない者」/ 本谷有希子「異類婚姻譚」 第155回 村田沙耶香「コンビニ人間」 第156回 山下澄人「しんせかい」 第157回 沼田真佑「影裏」 第158回 石井遊佳「百年泥」/ 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」 第159回 高橋弘希「送り火」 第160回 上田岳弘「ニムロッド」/ 町屋良平「1R 1分34秒」 第161回 今村夏子「むらさきのスカートの女」 第162回 古川真人「背高泡立草」 第163回 高山羽根子「首里の馬」/ 遠野遥「破局」 第164回 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 第165回 石沢麻依「貝に続く場所にて」/ 李琴峰「彼岸花が咲く島」 第166回 砂川文次「ブラックボックス」 第167回 高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」 第168回 井戸川射子「この世の喜びよ」/ 佐藤厚志「荒地の家族」 第169回 市川沙央「ハンチバック」 第170回 九段理江「東京都同情塔」 第171回 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」/ 松永K三蔵「バリ山行」 ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オーストラリア 韓国 CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 20世紀日本の小説家 日本ペンクラブ会員 芥川賞受賞者 東京都立日比谷高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 東京都区部出身の人物 1937年生 存命人物 Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ 2024/11/20 11:17更新
|
syouji kaoru
庄司薫と同じ誕生日4月19日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
庄司薫と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「庄司薫」を素材として二次利用しています。