山本リンダの情報(やまもとりんだ) 歌手、タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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山本 リンダさんについて調べます
■名前・氏名 |
山本リンダと関係のある人
後上翔太: 2011年 山本リンダ 45th LIVE45th Anniversary LIVE 「Linda La Linda〜〜愛のある未来へ〜」 - ダンサー 冨森ジャスティン: “【動画】山本リンダ、 寺西優真、『~if~警視庁捜査一課 剣木善治』オープニング曲やお互いの印象を語る!「これで踊って楽しんでくれたら嬉しい」”. 岡崎優: 山本リンダ物語 - 1973年8月号 高木英一: 1978年(昭和53年)、ハルヲフォンのアルバム『電撃的東京』に収録された山本リンダのカバー曲『きりきり舞い』でリード・ボーカルをとり、同曲は『きりきりまい』としてシングルカットされた。 都倉俊一: 山本リンダ 谷口朱里: 1967年(昭和42年)6月29日に放送されたテレビ番組『ヤング720』第205回にザ・ビーバーズ、山本リンダらとともにゲスト出演している。 林瑠奈: 2022年6月に行われた『乃木坂スター誕生!LIVE』ではソロ歌唱や、代打として山本リンダとのコラボ歌唱を務めて持ち前の歌唱力を発揮し、番組プロデューサーからMVPと称される。 桜井敦司: 音楽の原体験としては、幼少期に地元デパートで行われていた山本リンダの歌謡ステージに「見てはいけないものを見てしまったかのような衝撃を受けた」と語っている。 淡谷のり子: 他にも、シャンソンの祭典『パリ祭』に参加した山本リンダに対しても絶賛した。 なかじままり: 山本リンダ 庄司夕起: 趣味は山本リンダの『狙い撃ち』を歌うことで、山本リンダ本人よりも激しく踊ることができる。 湯浅枝里子: 2004年、山本リンダのプロデュースユニット『Linda☆Linda』のメンバーとして、「超☆狙いうち2004 Featuring Linda Yamamoto」をリリース。 渡辺有三: 入社2年目からミノルフォンから移籍してきた山本リンダを担当しフジテレビとタッグを組み従来のアイドル路線から、アクション歌謡路線に転向させ、再ブレイクさせた。 竹内義和: 1993年(平成5年)、同番組内で、山本リンダのヘアヌード写真集を酷評し山本リンダオフィスが1億円の損害賠償を請求。 伊藤アキラ: 失恋蝙蝠男(歌:山本リンダ、作曲:高田弘) 今陽子: 当時「背の高い女性歌手は売れにくい」というジンクスがある中、1966年に今と同じくらいの身長の山本リンダが「こまっちゃうナ」でヒットしていた。 荒牧陽子: 山本リンダ トニー谷: 山本リンダ扮する見世物師の娘・成田屋おこまの商売敵にあたる興行師「四ツ目屋東十郎」を演じた。 藍田美豊: デビューアルバム『少女隊Phoon』は山本リンダや山口百恵、ピンク・レディーなどを手がけた都倉俊一がプロデュースを担当、アメリカの一流ミュージシャンが参加してロサンゼルスのスタジオでレコーディングしたもので、オール・アメリカロケのビデオ、写真集を同時に発売するなど、既存のアイドルとは一線を画した企画だった。 遠藤実: こまっちゃうナ (山本リンダ、1966年11月) ※作詞も遠藤 中島マリ: 山本リンダ 馬飼野康二: 山本リンダ 山口百恵: 歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女のイメージだった。 松原秀樹: 1973年の大阪市立長居小学校6年生の時、大阪・よみうりテレビ『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』内の素人参加コーナー『パクパクコンテスト』(通称・パクコン)で、西城秀樹や山本リンダの振りマネで優勝。 前田克樹: 山本リンダ 「はしたないお姫さまは」 岩本勉: 山本リンダや和田アキ子の物真似でオフシーズンにテレビ出演しており、「勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー」(日本テレビ)では、岩本のコーナーも毎回放送されていた。 山口智子: 小学生の頃は、当時人気だった歌手の山本リンダに憧れていた。 小川ローザ: 1969年に日刊スポーツが主催する芸能イベントで、小川・仲宗根美樹・山本リンダなど当時の芸能界のスター・アイドルが集まり、山崎も「キックボクシング界のホープ」として出演。 土持城夫: 山本リンダ『限りなく透明に近いダンス』(作詞:康珍化、作曲:星川狂児、1976年) - 編曲 田中美奈子: 1999年には、山本リンダや島田歌穂を賛同人に、動物愛護団体elfを設立している。 |
山本リンダの情報まとめ
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山本 リンダ(やまもと りんだ)さんの誕生日は1951年3月4日です。福岡出身の歌手、タレントのようです。
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ディスコグラフィ、主な出演作などについてまとめました。父親、母親、事故、テレビ、結婚、映画に関する情報もありますね。山本リンダの現在の年齢は73歳のようです。
山本リンダのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年〈昭和26年〉3月4日 - )は、日本の歌手、タレント。本名、 身長168センチメートル。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。 「こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」「狙いうち」などのヒット曲で知られる。「リンダ(Linda)」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。なお、lindaはスペイン語・ポルトガル語で「美しい」を意味する形容詞(の女性形)である。 福岡県小倉市(現:北九州市小倉北・南両区相当地域)に生まれる。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフ。父親はアメリカ軍の軍人だったが、リンダが1歳のころに朝鮮戦争で戦死した。そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。 5歳の時に神奈川県横浜市に転居する。小学校時代はハーフであるために学校でいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。大阪出身の母親は醤油味のお好み焼きをよく作り、また、山本を慰めた。 小学生のときに母親とともに創価学会に入会した。 母親に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動する。 1966年(昭和41年)9月、高校在学中の15歳の時に、ミノルフォンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作詞・作曲のシングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになった。翌年、『第18回NHK紅白歌合戦』でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」であった。 しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後は「ミニミニデート」などの小ヒットがあったものの、長らく大きなヒットに恵まれず、人気は低迷する。 1971年(昭和46年)、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍する。 1971年7月から同年12月まで東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演した。同作のプロデューサー阿部征司は「山本は事務所移籍前で歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている。リンダ自身は「当時は移籍の際に6か月間仕事をしてはいけないという慣例があったため、その間に出てほしいという話が事務所に来ていたのでは」と述べている。 『仮面ライダー』の北海道ロケでは、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれたこともあったという。この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、リンダ本人は道義を欠いたこの行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたという。主演の佐々木剛も「前もってちゃんと説明してもらえれば、俺だっていくらでも協力するのにさ」と、勝手にリンダの名前が使われたことに苦言を呈している。リンダ本人は「自分が出演した頃には人気も盛り上がっており、ロケーション先に着いたら多数の見学者が輪になって見学していた」と述べている。 夏を迎えて『仮面ライダー』は大ヒットし、高視聴率を獲得。リンダの認知度は、子供達のみならずお茶の間全体で上昇した。当時、リンダは孤独感が強かったらしく、アクションチームの大野剣友会のメンバーが、冗談を言ったりして一緒に遊んでくれたと述懐している。 1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家・作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり、再びヒット歌手として脚光を浴びた山本は「アクション歌謡」の先駆けとなった。当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」時代を上回る人気を獲得。「へそ出しルック」の第1号となる。同年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックした。 1973年(昭和48年)には「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場する。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させた。『狙いうち』というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球の明治大学応援団は、作詞者の阿久悠が明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入した。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われていた。 1974年にも「闇夜にドッキリ」で第25回NHK紅白歌合戦に出場し、紅白歌合戦には3年連続で出場を果たした。その他にも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」「きりきり舞い」といったヒット曲を連発する。 1976年(昭和51年)2月10日、「およげ!たいやきくん」のアンサーソング「私の恋人、たいやきくん!」(作詞:中山大三郎、作曲:穂口雄右)を発売。『夜のヒットスタジオ』で子門真人と共演するなど、この曲を契機としてタレント活動も開始する。 しかし、1970年代後半から再び人気が低迷。山本を陰で支えた最愛の母が自宅浴室で事故死し(享年50)、山本自身も所属事務所から解雇されるなど、再び不遇の時代を過ごした。地方の小さなスナックなどでのドサ回りもこなしたが、スナックに歌手の控え室などはなく、狭くて汚いトイレで衣装を汚さないように細心の注意を払いながら着替えなくてはならなかったという。 1980年代後半に米米CLUBが山本の楽曲をカバーしてライブで演奏したほか、1990年(平成2年)にはテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の番組内で主人公・まる子が山本のモノマネをしたことなどから、山本はリバイバルブームに乗り再ブレイクする。1995年8月6日放送の「まる子フェスタしずおかへ行く」の回では、本人役で山本がアフレコを務めた。 また、自身の曲をハウス調にセルフカバーしたアルバムや、REMIXアルバムが続々オリコンチャートにランクイン。翌1991年(平成3年)の第42回NHK紅白歌合戦にも久々に登場した(『紅白歌合戦』には通算5回目の出場)。 1993年(平成5年)、ヘアヌード写真集を出版し話題となる。朝日放送のラジオ番組『誠のサイキック青年団』(関西ローカル)でパーソナリティの北野誠と竹内義和が山本の写真集を辛辣にこき下ろしたところ、この放送を聞いたファンからの通告で番組内の発言内容を知った山本は激怒し、名誉毀損として1億円の損害賠償を請求した。その後、山本同席の下で番組側が全面謝罪することにより示談が成立。各メディアでは、記者会見にて北野と竹内が平身低頭で謝罪する姿が全国的に大きく報じられた。 1997年(平成9年)、テレビアニメ『新・天地無用!』の主題歌「夢はどこへいった」を発売。約20年ぶりにシングルランキングでもオリコンチャートへの復帰を果たす。 2001年(平成13年)5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦と結婚。山本にとってこれが初婚である。 2005年(平成17年)、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。 また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした「どうにもとまらない〜ノンストップ」が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が「今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい」という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ 甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。これを記念して、同アニメには山本自身もゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない〜ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ 甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はGary Perlman、歌はBrenda Vaughnがそれぞれ担当している。 2007年(平成19年)、宅配ピザチェーン、ドミノ・ピザのテレビCMソングとして、「どうにもとまらない」の替え歌「ド〜ミノとまらない♪」が起用される。このCMではお笑いタレントの劇団ひとりが演じるドミノ・ピザのイメージキャラクター「ドミノ★スター」が、多くのドミノ・ピザ・ファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。 2010年1月、9mm Parabellum Bulletによって『どうにもとまらない』がカバーされる。山本は「9mmバージョンの『どうにもとまらない』は、彼達らしいかっこいいサウンドの中のとってもさわやかなボーカルが印象的でした」とカバー曲を評した上で、同バンドに対しても「この度ほかの楽曲も聴かせていただきましたが、かっこいい。たくさんいい楽曲を作って、大きく羽ばたいてほしい思いです」とエールを送っている。 2013年(平成25年)10月14日、北九州市制50周年関連イベントとして開催された「第6回北九州ミュージックフェスタ」のフィナーレライブにゲストで呼ばれ、その席で市長北橋健治から「北九州市特命大使(文化)」を委嘱された。 同年12月4日に放送された『2013 FNS歌謡祭』では、倖田來未とのコラボレーションで『どうにもとまらない』を披露した。 2016年(平成28年)の第59回オールスター競輪(松戸競輪場)では花束贈呈を担当(前年の第58回でもイベントを実施した)。 ディスコグラフィシングル1〜12:ミノルフォン、13〜18:ハーベスト、19〜42:キャニオン・レコード、43:Sony Records、44:テイチク、45:パイオニアLDC、46・48〜:徳間ジャパン、47:ティーワイ。 アルバムこまっちゃうナ リンダのヒット・メロディー - 1967年 どうにもとまらない - 1972年 狂わせたいの/山本リンダオン・ステージ - 1972年 山本リンダのすべて - 1973年 燃えつきそう/山本リンダの魅力 - 1973年 山本リンダ/都倉俊一を歌う - 1973年 山本リンダ/ゴールデン・アルバム - 1973年 真赤な鞄 - 1974年 山本リンダ/ゴールデン・ベスト 24 - 1974年 Linda Memory Top~ウブウブ~ - 1975年 鏡の中の私 - 1986年 プレイバック・シリーズ 山本リンダ - 1987年 YAMAMOTO LINDA CLUB MIX - 1991年8月1日 踊れる歌える山本リンダ - 1991年8月21日 HOUSE LINDA - 1991年 SEE YA! - 1991年 LINDA - 1991年 CHAOS - 1991年 リンダがいっぱい - 1991年 ヴィーナス - 1992年 山本リンダの魅力 - 1994年 LINDA YAMAMOTO - 2000年 Myこれ!クション 山本リンダ・ベスト - 2001年 ミノルフォンイヤーズ - 2003年 フィーバーリンダ - 2004年 CRリンダのどうにもとまらない - 2004年 矢田部道一シャンソン詩集 ヴィーナスの誕生 - 2004年 ゴールデンベスト - 2005年 リンダ伝説 ~愛に生きて~ - 2005年 ※40周年記念盤 りばいばる歌謡曲編・山本リンダ - 2006年 山本リンダ SINGLES コンプリート - 2007年 燃えつきそう/山本リンダの魅力+シングルコレクション - 2008年7月16日 どうにもとまらない(HQCD) - 2009年2月18日 ゴールデン・アルバム - 2009年7月15日 Linda MEMORY TOP 〜ウブウブ〜 - 2009年7月15日 山本リンダ 都倉俊一を歌う - 2009年7月15日 Myこれ!liteシリーズ 山本リンダ - 2010年 ザ・プレミアムベスト 山本リンダ - 2012年 Voca-linda 〜愛SpecialSongs〜 - 2013年9月11日 My life, My songs - 2016年4月20日 全曲集〜明日への翼〜 - 2022年10月5日 タイアップ曲主な出演作テレビ夢のセレナード(1966-1969年3月) げんこつと聴診器(1967年) てなもんや三度笠(1967年) - おこま 役 コント55号の裏番組をぶっとばせ! 仮面ライダー 第14話 - 第39話(1971年) - マリ 役 8時だョ!全員集合 たぬき先生奮戦記(1975年) 大江戸捜査網 江戸川乱歩の黄金仮面 妖精の美女(1978年) - パリ警視庁・女刑事セシル 役 ザ・スーパーガール(1979年) 二人の妻をもつ男(1982年) 夏に恋する女たち(1983年) 白い誘惑(1984年) オレたちひょうきん族 いちご白書(1993年) タベホの女〜女3世代満腹日記〜(2022年) - 山盛マリ 役 映画花と果実(1967年) 思い出の指輪(1968年) 落葉とくちづけ(1969年) ジャックと豆の木(1974年) - ※アニメ映画の声優。 ラジオわが人生に乾杯!(2011年2月10日、NHKラジオ第1放送) 山本リンダのリンダフルワールド(1991年、TBSラジオ) リンダクラブ(1993年10月 - 1994年3月、朝日放送、土曜 19:00 - 19:30) 山本リンダのどうにもとまらNight(2014年1月 - 2015年12月、ミュージックバード) 日本語吹替超能力学園Z PART2 パンチラ・ウォーズ(リンダ・ブレア) - ミッチェル先生 役 CM酒田米菓 「オランダせんべい」(1967年) 東レ (1967年) カルビー 「ポテトチップス」(1976年) 国際物産 仏壇仏具(1980年) 江崎グリコ 「ロールコロン」(1991年) HRK 「すらっと宣言」(2011年) ビデオ・DVDすばらしきわが人生(1992年、シナノ企画) 楽しく学ぶ信心の基本(2006年、シナノ企画) 2024/06/14 17:44更新
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yamamoto rinda
山本リンダと同じ誕生日3月4日生まれ、同じ福岡出身の人
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