市川森一の情報(いちかわしんいち) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
市川 森一さんについて調べます
■名前・氏名 |
市川森一と関係のある人
竹下景子: 市川森一との協業も続く。 福地茂雄: 一般財団法人市川森一脚本賞財団理事長(2012年12月 - ) 北原遥子: また、TBS系東芝日曜劇場1500回(1504回)記念テレビドラマ『星の旅人たち』の主演も作者(市川森一)の推薦で決定し、将来を嘱望されていたが、1985年8月12日、横浜市の実家にお盆で帰省した後、大阪府の友人に会いに日本航空123便に搭乗。 香取俊介: 門前の小僧習わぬ経を読むではないが、市川森一氏や早坂暁氏、橋田壽賀子氏等トップクラスの一流脚本家と接するうち、脚本術を会得。 岸部一徳: 1976年には、樹木の考案で「岸部おさみ」から実父である岸部徳之輔の徳、そして一から再出発という意味合い、樹木と仲のよかった市川森一から名前をもらって「岸部一徳」へと改名する。 大島里美: 2013年 第1回市川森一脚本賞:恋するハエ女 桜木健一: ☆第54話の「九月の花嫁」(1972年9月21日放送)は、櫻木と市川森一の共同脚本である。 柴俊夫: 後年、『新・坊っちゃん』(1975年)で主演を務めているが、これは『シルバー』で知り合った脚本家の市川森一に招かれてのものだった。 伊藤蘭: 1980年(昭和55年)ドラマ『東芝日曜劇場・春のささやき』(市川森一脚本、HBC制作)や映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督・作)に主演して本格的に女優復帰し、第2回ヨコハマ映画祭で助演女優賞を受賞。倉本聰、山田太一、市川森一らの脚本作品に次々に出演する。 冨田リカ: 祝賀パーティーには市川森一も出席。 上原正三: 『ワイルド7』の『200km/h心中』はアーサー・ペン監督によるアメリカン・ニューシネマ『俺たちに明日はない』を原点にした作品であり、文化批評家の切通理作の著書『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち 金城哲夫・佐々木守・上原正三・市川森一』で切通も指摘している。 是枝裕和: シナリオ文学にも熱中し、ビルの警備や福武書店のバイトを掛け持ちでやりながら、バイト代は倉本聰、向田邦子、山田太一、市川森一のシナリオ集を揃えるのに当てていた。 やまだないと: 傷だらけの天使 (2000年、市川森一原案・西田俊也脚本、辰巳出版) 板坂元: 『イギリスびいき』林望、西尾忠久、江國滋、西木正明、ジェルミ・エンジェル・川口敦子、枝川公一、市川森一、河口幹夫共著 講談社 1997 森本レオ: 1974年、漫画『若者たち』を大学時代の同窓である市川森一の脚本で『黄色い涙』としてテレビドラマ化。 蔵忠芳: コメットさん 1967年 - 1968年 脚本佐々木守、市川森一、宮内婦貴子ほか、監督山際永三、中川信夫、香月敏郎ほか、主演九重佑三子 ※国際放映・TBS、TBS系(ブラザー劇場) 石井めぐみ: 1987年10月9日から1989年4月2日まで編集なしで収録され放送されたNHK『ビデオギャラリー』で市川森一のアシスタント司会進行役。 マルチェロ=マストロヤンニ: 1980年代前半に市川崑監督、市川森一脚本によるオール外国人キャスト、オール欧州ロケによるコメディ日本映画の主演予定が報道されたが、実現には至らなかった。 はかま満緒: 自宅に「はかまお笑い塾」を作り、萩本欽一や車だん吉、脚本家の市川森一ら多くの芸人、脚本家を世に送り出した。 堀川とんこう: 妻殺しの新聞記事からヒントを得てドラマ化され、竹下景子がソープランド嬢を演じた異色作のモモ子シリーズ(脚本市川森一)1作目『十二年間の嘘~乳と蜜の流れる地よ~』は、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 上原正三: 『ウルトラセブン』では、メインライターの金城が途中から『マイティジャック』に注力していたため、若手の上原と市川森一が文芸の中核を担うようになり、多くの脚本が割り当てられた。 上原正三: 特撮作品では大学の先輩でもある東映プロデューサー・吉川進と組むことが多く、脚本家仲間では円谷作品時代からの盟友・市川森一に「東芝日曜劇場」の執筆をしばしば勧められていた。 ながやす巧: 幽婚(原作:市川森一、1991年、ミスターマガジン、講談社)★ 田村英里子: NHK総合テレビ『私が愛したウルトラセブン』(市川森一作)では、ウルトラセブンを作った人々の舞台裏を描いた作品で主人公のヒロインを、NHK大河ドラマ『秀吉』では、細川ガラシャ役を演じた。 切通理作: 大学在学中から学内のゲリラ的な壁新聞“ブンブン通信”を友人と発行し、さらにウルトラシリーズの脚本家の一人・市川森一へのインタビューを掲載した幻の同人誌“猫の結核”を2号まで発行。 山際永三: 脚本家の市川森一、TBSプロデューサーの橋本洋二とで「一二三トリオ」と呼ばれ、『コメットさん』に始まる「ブラザー劇場」の一連のテレビ映画(国際放映製作)や、後の第二期ウルトラシリーズでも数多く監督する。 萩本欽一: 後に『快獣ブースカ』で脚本家デビューすることになる市川森一と、はかま満緒師事時代に友好を持ち、市川は後年、日本テレビの開局40周年スペシャルドラマ『ゴールデンボーイズ』で、若かりし頃の萩本(演者は小堺一機)の、これらのエピソードを描いている。 大島里美: 代表作に『1リットルの涙』、第1回市川森一脚本賞を受賞した『恋するハエ女』、2015年大河ドラマ『花燃ゆ』がある。 柴田美保子: 1972年4月に結婚した市川森一とは芸能界きってのおしどり夫婦として知られた。 鶴ひろみ: 1969年には同じ脚本・市川森一、監督・山際永三コンビによる『恐怖劇場アンバランス』(フジテレビ)の第4話「仮面の墓場」にも出演している。 |
市川森一の情報まとめ
市川 森一(いちかわ しんいち)さんの誕生日は1941年4月17日です。長崎出身の脚本家のようです。
エピソード、作品歴などについてまとめました。母親、映画、卒業、テレビ、ドラマ、解散、事件、家族、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。70歳で亡くなられているようです。
市川森一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。小さいころから創作活動が好きで、物語や絵画などジャンルを問わずに様々な創作を行って、級友を楽しませたり、地元の新聞に取り上げられたりしていた。母親の実家の近所にあった映画館(後の諫早パルファン)によく映画を観に行っており、のちに脚本家を目指すきっかけともなっている。ミッションスクールであった鎮西学院中等部に進学したが、高校は普通校の公立高校長崎県立諫早高等学校に進学、そののち、日本大学藝術学部映画学科シナリオコース卒業。 1966年(昭和41年)に円谷プロダクション製作の子供向け特撮番組『快獣ブースカ』第4話「ブースカ月へ行く」で脚本家デビューする。その後しばらくの間は、子供番組を中心に執筆していた。『ウルトラセブン』『コメットさん』などは、この時期の代表作である。その後、当初メインライターを務めた『ウルトラマンA』を最後に一般向け番組に軸足を移し、1974年、萩原健一、水谷豊出演のテレビドラマ『傷だらけの天使』(日本テレビ)で脚光を浴び、人気シナリオライターとなる。 1979年(昭和54年)、舞台『黄金の日日』の戯曲により大谷竹次郎賞受賞。1981年(昭和56年)、『港町純情シネマ』などにより芸術選奨新人賞受賞。1983年(昭和58年)、『淋しいのはお前だけじゃない』により第1回向田邦子賞受賞。1989年(平成元年)、『異人たちとの夏』により日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。同年、『明日 - 1945年8月8日・長崎』『もどり橋』『伝言』により芸術選奨文部大臣賞受賞。1999年(平成11年)、『幽婚』によりモンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞受賞。2003年(平成15年)に紫綬褒章受章。 脚本家としての活動のみならず、『ザ・ワイド』などワイドショー番組にコメンテーターとして出演するなど幅広く活動した。なかでも長らく「日本アカデミー賞授賞式」のテレビ中継内では予想屋として出演。ことごとく外れる予想で知られた。 2000年(平成12年)、日本放送作家協会理事に就任。2003年(平成15年)からは、日本脚本アーカイブズの発足に尽力した。後に日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアムとして実現した。 2011年(平成23年)には旭日小綬章を受章。その受章の際、内閣からの公式発表前にマスコミ各社が事前に行う記者取材が10月27日に予定されていたが、その日に急な発熱を起こして入院し、その際に受けた検査で肺がんが発見され、闘病生活に入っていたという。 2011年(平成23年)12月10日、肺がんのため死去。70歳没。戒名は祇承院弘庸森叡居士。14歳の時に日本基督教団諫早教会でキリスト教の洗礼を受けていたが、本人の生前の希望により一族の菩提寺に埋葬された。死後に故郷・長崎への思いを込めた市川の遺稿が妻により発表された。 死後、福地茂雄を理事長として2012年10月25日に一般財団法人市川森一脚本賞財団が設立され、新進脚本家を対象とした「市川森一脚本賞」が2013年より選定された。10年にわたる活動で本賞9人、奨励賞2人を選奨したが、経済不況とオリジナル脚本の選奨が難しくなったこと、さらに理事の高齢化により2023年1月31日をもって解散することとなった。登記上の抹消は3月31日に抹消。解散時の理事長は遠藤利男。 諫早市立諫早図書館には市川の書籍、資料等を集めた「市川森一シナリオルーム」が存在する。 エピソードキリスト教の信仰を持つに至ったのは、10歳で亡くした実母の入院先が長崎市内のカトリック系の病院だったことが契機とされている。 プロテスタント信者であり、洗礼を受けたのは日本基督教団諫早教会であった。 キリスト教による影響が随所に見受けられ、ウルトラシリーズの脚本では、新約聖書や神話に由来する名前を持つ怪獣や設定を多用したことでも知られる(サイモン、ペテロ、バラバ、ゴルゴダの丘→ゴルゴダ星、アイスキュロス→アイロス星人、マナ→フルハシ・マナ、プロメテウス→プロテ星人、サロメ→サロメ星人など)。 修行時代、はかま満緒主宰「はかまお笑い塾」では、萩本欽一や車だん吉、ポール牧ら多くの芸人、脚本家としのぎを削りあった。後年、日本テレビの開局40周年スペシャルドラマ『ゴールデンボーイズ』で、若かりし頃の萩本(演者は小堺一機)のこれらのエピソードを描いている。 『快獣ブースカ』第4話「ブースカ月へ行く」は円谷英二がかねてから「竹取物語」の映像化を懸案しているのを知った市川が、かぐや姫の物語をイメージソースに仕立てた作品である。 1960-1970年代に『コメットさん』『恐怖劇場アンバランス』『帰ってきたウルトラマン』など多くの作品で組んだ山際永三監督を「僕が唯一人、ドラマの師匠と仰ぐ方」と語っている。 『仮面ライダー』では上原正三、伊上勝らと共に企画段階から参加していたが、『帰ってきたウルトラマン』参加のため市川、上原の2人は共に仮面ライダーからは離脱した。しかし代理として紹介した島田真之の脚本が芳しくなかったため、第4話のみ島田と共作で執筆した。 子供番組で唯一メインライターに任命された『ウルトラマンA』を、1クール消化の時点で降板してしまうが、その理由として「男女の性を超越した神としてのウルトラマン像」、「観念的な悪意の具象化であるヤプール」、「徹底したSF路線の追及」といった、企画段階で市川が提示した要素が全て排除されてしまい、ウルトラシリーズに対する情熱を急速に失ってしまったが故に、と発言している。しかし、同作品の橋本洋二プロデューサーに「メインライターの責任として最終回も書け」と命じられ、番組終了間際に復帰。最終回のラストでエースが発した「最後の願い」は、市川的には方向性の合わない作品へと変貌したウルトラシリーズへの「捨て台詞」のつもりで書いたものだったという。しかし、後年になって周囲から「最後の願い」に纏わる感想を聞く機会が随分増えたと語っている。 『シルバー仮面』第23話「東京を砂漠にしろ!!」に登場するフンドー星人は、あさま山荘事件の生中継を見て警察が使用した鉄球から着想を得た。 子供向け番組から時代劇、青春ドラマなどジャンルを問わず様々な作品を執筆したが、自身が早くに母を亡くしていたことから、家族団欒を描くホームドラマは書けないとしていた。 『親戚たち』は、出身地である諫早市が舞台になっている。主役には当時時代劇俳優であった同郷の役所広司を抜擢、市川はこの後も役所を積極的に起用し、役所が俳優として有名になるきっかけを作っている。市川と役所は同郷というだけでなく、市川と役所の兄が同級生で、旧知の仲であった。 盟友・長坂秀佳が手掛けた1990年(平成2年)版『燃えよ剣』に、長坂の「悪戯心」で俳優としてキャスティングされるが、市川も自作『野望の国』に長坂が出演することを交換条件として提示。さらに、市川は台詞を直す事を要求し、長坂はこれを承諾。市川の役は主役のような台詞に書き直された。同時に市川も「自分の役だけをカッコよくしたのでは」と思い、長坂が出演する『野望の国』で大役を演じさせたとのこと。 ドラマ『私が愛したウルトラセブン』の脚本は、「他人に脚本書かれたら自分がどう書かれるかわからない」という理由から、自ら手掛けた。自身の名前は「石川森一」とし、女にモテない非常に姑息なライターという道化役に設定し、香川照之がかなり剽軽なキャラクターとして演じた。市川本人は実像とかけ離れたキャラクターにしたつもりだったが、上原正三に「さすがに自分のことはよくわかっているね」と言われ、ショックを受けたという。 2011年(平成23年)に『蝶々さん〜最後の武士の娘〜』の試写会に出席した際、「この年になると、一作一作が遺作のつもりでやっている。作品によっては、これが遺作になるのはイヤだなと思ったりする。今日、この作品を拝見して、こういう作品が生涯の遺作になれば幸運だなと思ったりしました」と語ったが、結果的にこれが最後の脚本テレビドラマ作品となった。 『古事記』の舞台化をライフワークの一つと考えており、生前には実現しなかったが、没後に妻・美保子と妹・愉味子により『ドラマティック古事記』として上演された。 オウム真理教事件について、「彼らが、ウルトラマンから七〇年代後半の宇宙戦艦ヤマトに至る疑似戦争ドラマに大きな影響を受けていることは、紛れもない事実として受けとめざるをえません」と語っている。 作品歴映画異人たちとの夏(1988年)原作:山田太一 淀川長治物語・サイナラ(2000年)大林宣彦との共同脚本 長崎ぶらぶら節(2000年)原作:なかにし礼 黄色い涙(2007年)原作:永島慎二 花影(2007年) その日のまえに(2008年)原作:重松清 TAJOMARU(2009年) テレビドラマ快獣ブースカ(1966年 - 1967年、日本テレビ) ウルトラセブン(1967年 - 1968年、TBS) コメットさん(1967年 - 1968年、TBS) 戦え! マイティジャック(1968年、フジテレビ) 怪奇大作戦(1968年 - 1969年、TBS) 胡椒息子(1969年、TBS)原作:獅子文六 オレとシャム猫(1969年、TBS) プロファイター(1969年、日本テレビ) マキちゃん日記(1969年、読売テレビ) ブラザー劇場・千葉周作 剣道まっしぐら(1970年、TBS) 帰ってきたウルトラマン(1971年 - 1972年、TBS) 仮面ライダー(1971年 - 1973年、毎日放送)原作:石ノ森章太郎
シルバー仮面(1971年 - 1972年、TBS) 刑事くん(1971年 - 1976年、TBS)- ※第3部の途中までメインライター 好き! すき!! 魔女先生(1971年、朝日放送)原作:石ノ森章太郎 ウルトラマンA(1972 - 1973年、TBS) - ※メインライター 熱血猿飛佐助(1972年、TBS) 小さな恋のものがたり(1972年、日本テレビ)原作:みつはしちかこ 太陽にほえろ!(1972年 - 1974年、日本テレビ) 新・坊っちゃん(1975年 - 1976年、NHK) 恐怖劇場アンバランス 第4話「仮面の墓場」(1973年、フジテレビ・円谷プロ)
火曜日の女シリーズ・殺意を呼ぶ海(1973年、日本テレビ)原作:アンドリュー・ガーヴ 銀河テレビ小説・黄色い涙(1974年、NHK名古屋)原作:永島慎二 土曜劇場・かたぐるま(1974年、フジテレビ) 東芝日曜劇場・林で書いた詩(1974年、北海道放送) 傷だらけの天使(1974年 - 1975年、日本テレビ) 東芝日曜劇場・紙コップのコーヒー(1975年、中部日本放送) グッドバイ・ママ(1976年、TBS) 五丁目に咲いた恋は、絶対に結ばれないと人々は噂した(1976年、日本テレビ) 東芝日曜劇場・夢のながれ(1976年、中部日本放送) 幻のぶどう園(1976年、NHK) 東芝日曜劇場・みどりもふかき(1976年、RKB毎日放送) 東芝日曜劇場・バースディ・カード(1977年、北海道放送) 大河ドラマ・黄金の日日(1978年、NHK)原作:城山三郎 露玉の首飾り(1979年、TBS) 失楽園'79(1979年、NHK) 風の隼人(1979年- 1980年、NHK)原作:直木三十五 東芝日曜劇場・春のささやき(1980年、北海道放送) 港町純情シネマ(1980年、TBS) 土曜ドラマ・君はまだ歌っているか(1981年 NHK) ダウンタウン物語(1981年、日本テレビ) ドラマ人間模様・万葉の娘たち(1981年、NHK大阪) 淋しいのはお前だけじゃない(1982年、TBS) ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難(1982年、毎日放送) ソープ嬢モモ子シリーズ・十二年間の嘘 乳と蜜の流れる地よ(1982年、TBS) 東芝日曜劇場・夢の鐘(1982年、中部日本放送) モモ子シリーズ・聖母モモ子の受難(1982年、TBS) ある晴れた日に(1982年、テレビ朝日) 誰かが私を愛してる(1983年、毎日放送) 火曜サスペンス劇場・霧の旗(1983年、日本テレビ)原作:松本清張 大河ドラマ・山河燃ゆ(1984年、NHK)原作:山崎豊子 東芝日曜劇場・夢の鳥(1984年、中部日本放送) 受胎の森(1985年、TBS) モモ子シリーズ・スキャンダル黙示録(1985年、TBS) 親戚たち(1985年、フジテレビ) 藤子不二雄の夢カメラ 第3話「じゃんけんぽん」(1986年、フジテレビ)原作:藤子・F・不二雄 モモ子シリーズ・グッバイ・ソープガール(1986年、TBS) 泣いてたまるか 「幽霊は不倫する」(1986年、TBS) 婚約(1987年、NHK) 化身(1987年、フジテレビ)原作:渡辺淳一 女優競演サスペンス・タフガイが死んだ日(1987年、関西テレビ・松竹) モモ子シリーズ・サザエ・ロード巡礼(1988年、TBS) 結婚してシマッタ!(1988年、TBS) 明日 - 1945年8月8日・長崎(1988年、日本テレビ) もどり橋(1988年、NHK) 東芝日曜劇場「伝言」(1988年、北海道放送ほか3局との共同制作)
悲しみだけが夢をみる(1988年、NHK) モモ子シリーズ・芸者モモ子の復活(1989年、TBS) ドナウの旅人(1989年、テレビ朝日) 野望の国(1989年、日本テレビ) 東芝日曜劇場・夢で別れて(1990年、中部日本放送) モモ子シリーズ・モモ子の罪と罰(1990年、TBS) 夢帰行(1990年、NHK) 代表取締役刑事(1991 - 1992年、テレビ朝日) 東芝日曜劇場・サハリンの薔薇(1991年、TBS) 往診ドクター事件カルテ(1992年、朝日放送) 土曜ドラマ・私が愛したウルトラセブン(1993年、NHK) ゴールデンボーイズ - 1960笑売人ブルース(1993年、日本テレビ) 冬の魔術師(1993年、NHK) 大河ドラマ・花の乱(1994年、NHK) そっとさよなら(1994年、毎日放送) 今夜もテレビで眠れない 第2話「あの人だあれ?」(1995年、TBS) あなたの中で生きる CG青年の孤独と愛(1996年、NHK) 夢暦長崎奉行(1996年、NHK) 木綿のハンカチ〜ライトウインズ物語(1997年、NHK) モモ子シリーズ・最後の審判(1997年、TBS) 鏡は眠らない(1997年、NHK) 夢の標本(1998年、北海道テレビ) 刑事クマさん(1998年、TBS) 幽婚(1998年、中部日本放送) ここではない何処か(1998年、北海道テレビ) 木綿のハンカチ2〜ライトウインズ物語(1998年、NHK) いい旅いい夢いい女(1999年、NHK) いい旅いい夢いい女・九州路(2000年、NHK) おいね 父の名はシーボルト(2000年、NHK) 大地の産声が聞こえる 〜15才いちご薄書〜(2000年、日本テレビ)原作:植嶋由衣 乳房(2000年、中部日本放送) 明日を抱きしめて(2000年、読売テレビ)原作:前川麻子 おらが春(2002年、NHK)原作:田辺聖子 風の盆から(2002年、NHK名古屋) たづたづし(2002年、テレビ東京)原作:松本清張 よるドラ・精霊流し〜あなたを忘れない〜(2002年、NHK)原作:さだまさし よるドラ・ドリーム〜90日で1億円〜(2004年、NHK)原作:ロバート・アレン、マーク・ヴィクター・ハンセン 銀河鉄道に乗って(2004年、中部日本放送) 生きる(2007年、テレビ朝日) 長崎-上海物語 月の光(2008年、テレビ長崎) 花祭(2009年、中部日本放送) 旅する夫婦(2010年、中部日本放送) 土曜ドラマスペシャル・蝶々さん〜最後の武士の娘〜(2011年、NHK) 舞台黄金の日日(1977年) 楽劇Anzuchi(1987年) 水に溺れる魚の夢(1993年、東京ヴォードヴィルショー) 舞踊劇・唐人凧(1997年) 屋島篝火歌舞伎・袈裟の良人(1998年) ヴェリズモ・オペラをどうぞ!(1998年、シアターナインス) リセット(1999年、青年座) 海のサーカス団(2003年、アルカス佐世保) 乳房(2003年、青年座) 踏絵黙示録(2003年) 銀河鉄道の夜(2004年、わらび座) ラジオ阿含名作シリーズ(阿含宗) - 構成 2024/06/16 13:23更新
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ichikawa shinichi
市川森一と同じ誕生日4月17日生まれ、同じ長崎出身の人
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