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彦野利勝の情報 (ひこのとしかつ)
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【6月20日】今日誕生日の芸能人・有名人

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彦野 利勝さんについて調べます

■名前・氏名
彦野 利勝
(読み:ひこの としかつ)
■職業
野球選手
■彦野利勝の誕生日・生年月日
1964年10月12日 (年齢59歳)
辰年(たつ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和39年)1964年生まれの人の年齢早見表

彦野利勝と同じ1964年生まれの有名人・芸能人

彦野利勝と同じ10月12日生まれの有名人・芸能人

彦野利勝と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


彦野利勝と関係のある人

加藤小百合: 彦野利勝スポーツBEAT


東尾修: 中日との日本シリーズ第1戦(ナゴヤ球場)で、4−1で迎えた8回無死一・二塁、中日の打者・彦野利勝の場面で先発の渡辺久信をリリーフした。


斎藤雅樹: 斎藤は6回に彦野利勝の適時打による1失点があったのみで、6回まで投球し、この試合の勝利投手となった。


音重鎮: 1年目の1988年から強肩好守を活かし、中堅手の座を彦野利勝と争う。


星野仙一: 投手では川畑泰博、江本晃一、宮下昌己、打者では仁村徹、彦野利勝、小松崎善久、中村武志といった実績のない若手を次々と起用して成功した。


種田仁: 安打こそ出なかったものの、高卒新人ながら落ち着いたプレーを見せ、この日1番打者として4安打した彦野利勝をすべて犠打で進塁させ、得点に結び付けた。


内藤尚行: 1993年9月2日に行われた中日戦(ナゴヤ)では、延長15回裏に無死満塁のピンチからクリーンアップトリオのアロンゾ・パウエル、落合博満、彦野利勝を三者三振に斬って取り、引き分け再試合に持ち込んだ。


平光清: 1991年6月18日、中日対大洋(ナゴヤ球場) ― 中日・彦野利勝がサヨナラ本塁打を打ちながら負傷で走れず、代走の山口幸司が得点した試合


林純次: 初奪三振:1996年4月9日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、7回裏に彦野利勝から


島野育夫: 彦野利勝を徹底的に鍛え、守備力をアップさせ、彦野は「1番・センター」としてリーグ優勝に貢献し、ゴールデン・グラブ賞も受賞した。


三浦将明: 三浦自身初の甲子園出場となった1年時の1982年、第54回春の選抜甲子園では、1回戦の八幡大付高(九州)に2-1、2回戦では彦野利勝投手を擁する愛知高(東海)に6-2と快勝しベスト8に進出。


水谷啓昭: 2012年からはCBCドラゴンズナイターにゲスト解説者として出演している(これまでの解説者であった高木守道・彦野利勝が現場復帰したことによる補充として)。


アロンゾ=パウエル: 同年9月2日、リーグ優勝を争っていたヤクルトとの試合(ナゴヤ球場)では同点で迎えた延長15回裏、無死満塁の好機で打席に入ったが、内藤尚行の前に空振り三振に打ち取られ、4番・落合、5番・彦野利勝も相次いで見逃し三振した。


伊勢孝夫: 1991年6月18日の対横浜大洋ホエールズ戦での彦野利勝の代走)。


山崎武司: 1994年は彦野利勝が故障から復帰したことなどから出場機会が激減し、1年間を通して目立った活躍は出来なかった。


彦野利勝の情報まとめ

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彦野 利勝(ひこの としかつ)さんの誕生日は1964年10月12日です。愛知出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴・人物、詳細情報などについてまとめました。引退、テレビに関する情報もありますね。彦野利勝の現在の年齢は59歳のようです。

彦野利勝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

彦野 利勝(ひこの としかつ、1964年10月12日 - )は、愛知県名古屋市出身(石川県金沢市生まれ)の元プロ野球選手(外野手)。

愛知高では2年生の時、3番打者、中堅手として1981年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、工藤公康を擁する名古屋電気高に惜敗。翌1982年にはエースとして春の選抜に出場。2回戦(初戦)で横浜商の三浦将明に抑えられ敗退。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で野中徹博、紀藤真琴を擁する中京高に敗れ、夏の甲子園には届かなかった。

1982年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。入団当初の背番号は57。投手から外野手に転向する。

1983年、1984年の2年間は一軍での出場はなかった。

1985年に一軍初出場を果たしたが、散発的な出場に終わる。

1987年に一軍定着。

1988年には「長打力のある1番センター」=核弾頭として6年振りのリーグ優勝に大きく貢献した。同年の日本シリーズでは、高校時代のライバルであった西武・工藤公康から初回先頭打者本塁打(第3戦・西武ライオンズ球場)を放つ。ポストシーズンでの初回先頭打者アーチは高木守道以来14年振り。

1989年には自己最高の26本塁打を放ち、オールスターゲームにも監督推薦で初出場。藤井寺球場で行われた第2戦で西崎幸広から決勝本塁打を放ち、同試合のMVPを獲得。同年のベストナインにも選出された。

1990年はオールスターゲームにファン投票選出された。強肩を活かした守備が評価され、1988年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞。

1991年6月18日、ナゴヤ球場での横浜大洋戦で盛田幸妃からサヨナラ本塁打を放ち一塁ベースを回った所で転倒。脚を痛めて走塁ができなくなり退場し、代走の山口幸司がホームインした。当初は捻挫と診断されていたが、その後の検査で右膝の靭帯が断裂していることが判明し、長期離脱を余儀なくされた。本塁打後のアクシデントで代走がホームインしたのは、日本プロ野球史上2例目のことであった。

1992年から背番号が8に変更。

1994年は118試合に出場してレギュラーに再定着。4年ぶりに規定打席に到達し自己最高となる打率.284を記録した。序盤一時打率1位をキープするなど活躍しオールスターゲームにも監督推薦で出場。地元ナゴヤ球場での第2戦に先発出場し、1本塁打を含む2安打2打点の活躍で、優秀選手賞を獲得した。10.8決戦でも活躍し、カムバック賞を受賞した。

1995年、この年以降から徐々にスタメン機会を若手に奪われ、主に代打の切り札として起用されるようになる。

1997年は代打で33打数・18打点を記録するなど、抜群の勝負強さを発揮した。

1998年からは李鍾範の加入に伴い、背番号が入団当初の57に戻った。開幕こそ一軍だったが、出場した6試合すべて代打での出場で5打数無安打1四球と精彩を欠き、5月に選手登録を抹消後、引退試合まで一軍登録されることはなかった。

1998年10月3日、ナゴヤドームでの対阪神タイガース戦が引退試合となり、全盛期の1番・センターで先発出場し、試合後は引退セレモニーが行われた。

1999年から2011年まで中部日本放送野球解説者・中日スポーツ野球評論家を務めたほか、自身主催の野球教室も開催した。

2012年より中日二軍打撃コーチに就任することが発表され、14年ぶりにユニフォームを着ることとなった。

2013年からは宇野勝と入れ替わりで一軍打撃コーチに転任する。

2013年10月15日に球団より来季の契約を結ばない旨が発表された。

2014年からはCBCテレビ・CBCラジオの野球解説者、中日スポーツ野球評論家を務める 。 引退後は少年野球指導に取り組んでおり、新瑞バッティングセンターで、彦野利勝バッティング教室を続けている。

選手としての特徴・人物

現役時代はパンチ力を兼ね備えたリードオフマンとして活躍した。また、巨人の桑田真澄や広島の大野豊など敵チームのエース級投手に強く、思い切りの良い打撃とガッツ溢れるプレーが持ち味であった。晩年は代打の切り札として卓越した勝負強さを見せている。さらに、軽く投げて100メートルという強肩を生かした中堅の守備は最大の武器であり、1988年からは3年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。

バットスイング時、左右の手の間にかなりの隙間が開く珍しいグリップの握り方をしていた。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1985 中日 11 7 6 3 2 0 0 1 5 1 0 1 0 0 1 0 0 3 0 .333 .429 .833 1.262
1986 19 23 21 4 5 0 0 0 5 2 1 0 0 0 2 0 0 4 0 .238 .304 .238 .542
1987 101 341 311 51 79 21 1 11 135 30 2 5 8 2 17 0 3 77 4 .254 .297 .434 .731
1988 113 432 374 53 102 25 2 15 176 47 9 9 16 1 33 2 8 67 1 .273 .344 .471 .815
1989 125 551 454 83 125 21 3 26 230 59 10 10 15 4 71 5 7 82 6 .275 .379 .507 .886
1990 109 418 353 41 88 14 0 12 138 42 7 8 14 0 44 3 7 51 7 .249 .344 .391 .735
1991 42 127 97 18 31 4 0 3 44 18 0 0 1 2 23 0 4 13 4 .320 .460 .454 .914
1992 23 29 28 0 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 1 0 0 11 0 .107 .138 .143 .281
1993 95 227 196 21 51 9 0 6 78 29 0 1 2 1 24 0 4 50 10 .260 .351 .398 .749
1994 118 418 363 41 103 17 3 6 144 49 1 1 3 4 45 1 3 61 14 .284 .364 .397 .761
1995 93 213 181 14 39 10 0 1 52 20 0 1 2 0 27 1 3 28 6 .215 .327 .287 .614
1996 67 131 111 11 30 6 0 3 45 22 0 0 0 1 17 0 2 17 2 .270 .374 .405 .779
1997 42 42 36 2 11 3 0 1 17 19 0 0 0 1 5 1 0 8 1 .306 .381 .472 .853
1998 7 7 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 3 0 .000 .143 .000 .143
通算:14年 965 2966 2537 343 669 131 9 85 1073 340 30 36 61 16 311 14 41 475 55 .264 .351 .423 .774

各年度の太字はリーグ最高

表彰

ベストナイン:1回(外野手 1989年)

ゴールデングラブ賞:3回(外野手 1988年 - 1990年)

カムバック賞(1994年)

オールスターゲームMVP:1回 (1989年 第2戦)

オールスターゲーム優秀選手: 1回

(1994年 第2戦)

記録

初出場:1985年6月21日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に豊田誠佑の代打として出場

初安打:1985年7月14日、対横浜大洋ホエールズ13回戦(県営宮城球場)、9回表に曽田康二の代打として出場、遠藤一彦から

初本塁打・初打点:1985年10月24日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、9回表に鈴木孝政の代打として出場、白武佳久からソロ

初先発出場:1986年10月15日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、7番・右翼手として先発出場

オールスターゲーム出場:3回(1989年、1990年、1994年)

背番号

57 (1983年 - 1991年、1998年)

8 (1992年 - 1997年)

81 (2012年 - 2013年)

2024/06/18 20:10更新

hikono toshikatsu


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