早川義夫の情報(はやかわよしお) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
早川 義夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
早川義夫と関係のある人
木田高介: 1967年、早川義夫をリーダーとするジャックスに参加。 高田渡: 高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏、ひがしのひとし、古川豪、藤村直樹らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。 黒沢進: ただし別格だったのが、早川義夫と高田渡だったといい、自著に特に好んでジャックスを取り上げたり、1970年代の所謂URC系フォークに関しても数多くの評論を残したのは、この辺りに由来する。 谷野ひとし: 1966年5月 フジTV『フォークソング合戦』の番組にて、早川義夫のグループ(ウィンドミルズ)が演奏してるのをTVで偶然に見る。 佐久間正英: そういう経緯もあり、佐久間が今まで関わった仕事はロック・パンク・ポップスと統一性に欠けていたが、逆にそれが幸いしてTHE BLUE HEARTS・早川義夫とも深く関わることができた。 高田渡: 自らが決して恵まれない境遇から出発した人生であり、また覚悟を決めたアーティスト活動だったこともあり、岩井宏や早川義夫など、途中で音楽活動を引退しようとした仲間には、「いま辞めるのは卑怯だ」と喝破した。 楠かつのり: 2.「メディアNOW」(学陽書房、共著) 共著者=佐野山寛太、谷川晃一、川本三郎、柏木博、中野収、八木誠一、猪瀬直樹、紀田順一郎、栗本慎一郎、吉本隆明、田村紀雄、横山紘一、早川義夫、楠かつのり他 1980年代のメディアの新たな動きを各界の著名人が様々な視点から捉える。 森雪之丞: 天使の遺言(作曲:早川義夫) 佐久間正英: また、JUDY AND MARY のYUKI、The B-52'sのケイト・ピアソン、元JAPANのミック・カーン等と結成したユニットNiNa、音楽の道を目指すきっかけになった元ジャックスの早川義夫と結成したCes Chiens(セ・シアン)、土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太、ビビアン・スーと共に活動したThe d.e.p、佐久間本人が長年抱いて来た“理想のバンド”構想を実現すべく、若菜拓馬、星山哲也、砂山淳一、佐久間音哉らと結成したunsuspected monogramなど、他アーティストとのコラボレーションも積極的に行う。 遠藤賢司: 「猫が眠ってる」はシタールに西岡たかし、タブラに加藤和彦が参加し、さらに早川義夫が鈴を鳴らしている。 あがた森魚: 1969年12月 URCレコード事務所へ赴き、早川義夫らの前で歌い、早川に薦められ、1970年1月「IFC前夜祭」で初ステージに立つ。 浜口庫之助: ジャックスの早川義夫は、「ロール・オーヴァー・ゆらの助」という浜口をちゃかしたような作品を発表したことがあるが、「人生いろいろ」を聴いたとき、 高田渡: 早川義夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」(1969年、URC)シャンソン(作詞) 桑田佳祐: ほかにも尾崎紀世彦、内山田洋とクール・ファイブ、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、宇崎竜童、藤圭子、浅川マキ、弘田三枝子、中島みゆき、坂本九、森繁久彌、加藤登紀子、小林万里子、岡林信康、野坂昭如、早川義夫などのミュージシャンにも影響を受けた。 谷野ひとし: 和光大学において、早川義夫と知り合い、ジャックスのメンバーとなった。 |
早川義夫の情報まとめ
早川 義夫(はやかわ よしお)さんの誕生日は1947年12月15日です。東京出身のミュージシャンのようです。
解散、卒業、映画、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。早川義夫の現在の年齢は76歳のようです。
早川義夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)早川 義夫(はやかわ よしお、1947年12月15日 - )は、日本のシンガーソングライター、著述家。1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動。解散後はソロとして活動を継続している。東京都千代田区出身。和光学園高校卒業、和光大学中退。血液型はB型。 中学時代、日劇ウエスタンカーニバルで尾藤イサオのステージ(演奏:ジャッキー吉川とブルーコメッツ)を見て、ロックに目覚める。 1965年、高校時代に同級生2人と「ナイチンゲイル」というバンドを結成。この頃、メジャーデビュー前のザ・スパイダースを見て、刺激を受ける。大学進学後、バンド名をジャックスと改め、ライブ活動を始める。1967年にメンバーが交替し、早川義夫、木田高介、水橋春夫、谷野ひとしの4人編成となる。デビュー・アルバムは『ジャックスの世界』。ジャックスはこのデビュー・アルバムとセカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』を残して解散する。当時、商業的に大きな成功を収めることはなかったが、彼らのジャズに影響を受けたオリジナルな音楽性、そして早川の狂気を秘めた歌声と異様で繊細な歌詞は、後に日本のパンク・ロック等のさきがけとして高い評価を受けるようになる。岡林信康、甲斐よしひろ、遠藤ミチロウ、桑田佳祐、佐久間正英など多くのアーティストにリスペクトされている。 ジャックス解散後、URCレコードのディレクターの傍ら、ソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表する。このアルバムにも収められている「サルビアの花」は後に多くのミュージシャンによってカバーされ、スタンダード・ナンバーとなる。ディレクターとしては岡林信康、加川良らを担当したが、次第に音楽の仕事から離れ、1972年には川崎市中原区に早川書店を開店。1982年には『ぼくは本屋のおやじさん』を出版しているが、1994年に『この世で一番キレイなもの』で復帰するまでの23年間にわたって音楽活動を休止していた。なお書店は1995年に閉店。 2003年、佐久間とCes Chiensを結成。佐久間は、デビュー前のジャックスショウを観て衝撃を受けたという。2014年、佐久間が逝去。以降も音楽活動を続けたが、2018年5月、鎌倉歐林洞でのライブを最後に再び活動を休止する。 2019年3月、公式サイトで妻・静代の逝去を報告。2020年に出版した『女ともだち ――靜代に捧ぐ』で、妻の闘病生活が音楽活動再休止の理由だと記している。 『ラブ・ゼネレーション』(自由国民社、1972年/シンコーミュージック、1992年2月、ISBN 4401613996/文遊社、2011年12月、ISBN 978-4892570711) 『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社、1982年5月/ちくま文庫、2013年12月、ISBN 978-4480431196) 『たましいの場所』(晶文社、2002年7月、ISBN 4794965397/ちくま文庫、2012年12月、ISBN 978-4480430052) 『日常で歌うことが何よりステキ』(アイノア、2010年9月、ISBN 978-4881691854) 『いやらしさは美しさ』(アイノア、2011年9月、ISBN 978-4881691861) 『女ともだち ――靜代に捧ぐ』(筑摩書房、2020年9月、ISBN 978-4480815552/ちくま文庫、2024年3月、ISBN 978-4480439376) 『海の見える風景』(文遊社、2023年12月、ISBN 978-4892570797) 映画 自己表出史「早川義夫」編(1970年) テレビ
^ 早川 義夫 の歌を聞いたことがありますかAWA ^ 早川義夫『たましいのこと—— 本屋から歌手にもどって』Web版 有鄰 平成15年2月10日 第423号 P4 ^ “日記179 3月28日(木)”. 早川義夫公式サイト (2019年). 2023年10月19日閲覧。 ^ 黒澤進による自主製作盤。 ^ “ラシーン(1994/12~2000/08・RB14型) CMについて教えて。”. 日産自動車. 2022年3月19日閲覧。 ジャックス (バンド) 岡林信康 桑田佳祐 佐久間正英 早川義夫公式サイト 早川義夫 (@yoshiohayakawa) - X(旧Twitter) 早川義夫- 記憶の記録LIBRARY ISNI VIAF ドイツ MusicBrainz 日本の男性シンガーソングライター 日本の男性ロック歌手 日本のフォークシンガー フジロック・フェスティバル出演者 東京都区部出身の人物 1947年生 存命人物 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 22:25更新
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hayakawa yoshio
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