もしもし情報局 > 1936年 > 8月7日 > CMディレクター

杉山登志の情報 (すぎやまとし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

杉山登志の情報(すぎやまとし) CMディレクター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

杉山 登志さんについて調べます

■名前・氏名
杉山 登志
(読み:すぎやま とし)
■職業
CMディレクター
■杉山登志の誕生日・生年月日
1936年8月7日 (年齢1973年没)
子年(ねずみ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和11年)1936年生まれの人の年齢早見表

杉山登志と同じ1936年生まれの有名人・芸能人

杉山登志と同じ8月7日生まれの有名人・芸能人

杉山登志と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


杉山登志と関係のある人

鋤田正義: 広告の仕事で知り合った杉山登志からは、本人のポートレートを撮ることを唯一許された。


榊原洋一: 『教育現場における障害のある子どもへの指導と実践』小野次朗,杉山登志郎共編 朱鷺書房 2008


香里奈: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年、TBS) - 伊藤真記 役


小木茂光: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年) - 田中


遠藤雅: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年、毎日放送)


樋渡結依: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年、MBS)


上地雄輔: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、毎日放送)- 八木 役


藤木直人: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、毎日放送・TBS) - 主演・杉山登志 役 ※テレビCMの日スペシャルドラマ、第44回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞受賞作品(2007年)


草刈正雄: 1969年、17歳で上京し、1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなった。


前田旺志郎: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、TBS)


内山理名: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、毎日放送) - 松本佐和 役


鈴木ヒロミツ: モービル石油(現:ENEOS) - 杉山登志制作。


大林宣彦: CM演出家のパイオニアとしては、杉山登志や松尾真吾らが挙げられるが、彼らがCM制作会社の社員だったことに対して、大林はどこの会社にも所属しないフリーの映像作家だった。


玉井夕海: 杉山登志郎 編著『アスペルガー症候群と高機能自閉症青年期の社会性のために』(2005年、学研) - 表紙


東根作寿英: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年) - 長尾 役


渡辺航: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年 MBS)


石黒賢: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、毎日放送) - 丸谷 役


六角慎司: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年、TBS系)


藤竜也: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年、TBS) - 杉山伝命


江畑浩規: メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜(2006年8月28日、MBS・TBS) - 松岡(青年時代) 役


杉山登志の情報まとめ

もしもしロボ

杉山 登志(すぎやま とし)さんの誕生日は1936年8月7日です。東京出身のCMディレクターのようです。

もしもしロボ

テレビ、兄弟、映画、事件、結婚、離婚に関する情報もありますね。1973年に亡くなられているようです。

杉山登志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

杉山 登志(すぎやま とし、1936年8月7日 - 1973年12月12日)は、日本のCMディレクター。本名は、杉山 登志雄(すぎやま としお)。

テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、国内外の賞を数多く受賞。天才の名をほしいままにしたが、自らのキャリアの絶頂にあった1973年12月12日、東京都港区赤坂のライオンズマンション赤坂の自室で首を吊って自殺した。37歳没。

1936年(昭和11年)5人兄弟の次男として日本統治下の韓国の釜山に生まれる。

1955年(昭和30年)日本大学芸術学部美術学科に入学。

1958年(昭和33年)日本天然色映画株式会社に入社。

1960年(昭和35年)文化シヤッターの「三匹のこぶた」でテレビCMを初ディレクション。

1961年(昭和36年)「第1回ACC CMフェスティバル」において、杉山のディレクションした森永製菓「森永チューインガム(チクレ モリナガ)」のCMが銀賞を受賞。

1962年(昭和37年)資生堂のCMの制作をはじめる。

1963年(昭和38年)「資生堂ファッションベイル サイコロ」で同僚の葛上周次と第10回カンヌ国際広告映画テレビCM部門銀賞を受賞。国際賞の受賞は、日本のCMでは初の快挙。ご褒美がわりに現地に行き、朝から晩まで世界のCFを見続けた。杉山はヨーロッパ的「オシャレ」を表現する「物語性」を自分の持ち味とした。当時の日本の「中進国センス」にマッチして、広告の新たな流れを導いた。

1965年(昭和40年)「資生堂チェリーピンク 口紅」で「第5回ACC CMフェスティバル」グランプリ受賞。

1966年(昭和41年)「資生堂サンオイル」で宣伝部にいた石岡瑛子が発見した文化学院生徒だった前田美波里を起用し、ポスターが多く盗まれる事件になり、「小麦色の肌」がブームになる。

1969年(昭和44年)「資生堂ライブ・イン・カラー」で秋川リサを、「資生堂ピンクパウワウ」でバニー・ラッツ(英語版)を起用。資生堂パーラーの受付をしていた女性と結婚。「この時期、杉山登志自身もスターだった」「だが、しだいにその顔はノミで削ったような鋭い角度を見せるようになる」。

1970年(昭和45年)妻と離婚

1971年(昭和46年)杉山グループで「モービル石油 旅立ち」を制作。同作は、第25回広告電通賞輸送機械部門賞を受賞。

1973年(昭和48年)「資生堂シフォネット」で「図書館」を作る。「資生堂ロードス」では男性化粧品なのに女性のみ出演し「映像美の極致」といわれた。21歳の秋川リサの結婚式で軽妙なスピーチを披露したが、その2ヶ月後、自宅マンションで首吊り自殺を遂げた。第一次オイルショックのさなかだった。「ヨーロッパの『翻訳』に疲れたのだろうとしか推測できない。コートのポケットには十一月分の給料三十五万円が手つかずで残っていた」。遺書の「リッチでないのに  リッチな世界などわかりません  ハッピーでないのに  ハッピーな世界などわかりません  「夢」がないのに  「夢」をうることなど・・・・・とても  嘘をついてもばれるものです。」は当時話題になり強い衝撃を与えた。

2010年(平成22年)ACCが選定する「クリエイターズ殿堂」の第1回殿堂入りクリエイターに選ばれる。

「資生堂ファッションベイル サイコロ(1963)」(第10回国際広告祭銀賞、第3回ACC賞会長賞)

「資生堂チェリーピンク 口紅(1965)」(第12回国際広告映画祭劇場部門金賞、第5回ACC賞グランプリ、第5回アジア広告会議劇場部門アイデア賞)

「資生堂スペシャル口紅・プレストパウダー(1965)」(第13回国際広告映画祭銀賞、第6回ACC賞金賞、第5回アジア広告会議アイデア賞・音楽賞・演出賞)

「資生堂ビューティケイク プロローグ(1966)」(第8回IBA国際部門優秀賞、第8回全米TVCMフェスティバル国際部門優秀賞、第6回アジア広告会議優秀賞)

「資生堂サンオイル 渚(1967)」(第7回ACC賞銀賞、第21回広告電通賞第二部門賞、第8回IBA国際部門優秀賞)

「日産自動車フェアレディ2000(1967)」(第6回アジア広告会議グランプリ、第11回国際TVCMフェスティバル劇場部門銅賞)

「資生堂サンスクリーン ミニレディ(1968)」(第9回IBA国際部門優秀賞、第8回ACC賞銀賞、第22回広告電通賞第三部門第二位)

「資生堂ピンクパウワウ口紅 インディアンルック(1969)」(第16回国際広告映画祭劇場部門金獅子賞、第11回全米TVCMフェスティバル優秀賞、第22回広告電通賞カラー部門第二位、第9回ACC賞劇場部門アイデア賞・アート賞)

「資生堂サンオイル サンアップ(1970)」(第10回ACC賞、第12回全米TVCMフェスティバル国際部門優秀賞)

「資生堂ナチュラルグロウ 四十階のパーティー(1971)」(第13回全米TVCMフェスティバル国際部門優秀賞、第12回ACC化粧品部門秀作賞・照明賞)

「モービル石油 旅立ち(1972)」(第25回広告電通賞輸送機械部門賞)

「資生堂シフォネット 図書館(1973)」(第21回国際広告映画祭銅賞、第15回全米TVCMフェスティバル国際部門金賞、第14回ACC秀作賞)

弟はカメラマン杉山傳命(すぎやま でんめい)。

金子秀之、中尾良宣、田代勝彦(以上、資生堂)、桜井順など、ほぼ同じメンバーと仕事をしている。

日天の敷いた、代理店を通さずに広告主と直接取引きするいわゆる「直システム」を最大限に利用し、現場ではすべての部門の最終権限を握り、絶対的な存在だった。

一方で部下を育てる能力にも秀でており、杉山グループ(杉山組)と呼ばれるスタッフ集団を形成。その中から弟の傳命・はじめ、宮口敏雄・結城臣雄・木村俊二・永井三樹男・長沢佑好・岡崎欽次 ・袴一喜 など後のCM界を担う才能が巣立った。

1960年からその死まで、資生堂を中心に500本以上のCMを制作した。

写真に撮られるのを極度に嫌ったが、鋤田正義には自由に撮らせた。現存している写真のほとんどは、氏によるもの。

CMソングの作詞をする事もあり、自身が手がけた資生堂CM「サマーローション」(歌:大滝詠一、『NIAGARA CM SPECIAL』収録)、同「ビューティケイク・ブロンズⅡ」(歌:竹越ひろ子、『サマーブルー(作曲:桜井順)』Columbia SAS-1628)、「資生堂口紅 LOVELY YOU」(歌:加藤和彦、レコードは野坂昭如『黒の子守唄』)は杉山の作品。

戒名は「明真院浄登日覚居士」。墓地の所在は杉山家代々の菩提寺である、静岡県沼津市の正見寺にある。

没後6年経った1979年12月15日には、「ザ・スペシャル 青春の昭和史Ⅱ30秒の狙撃兵」がテレビ朝日系列で放送された。主演の中村雅俊が、杉山登志を演じた。

毎日放送の開局55周年企画として、「メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜」が2006年8月28日にTBS系列で放送された。杉山登志は藤木直人、弟の傳命は若年期を平岡祐太、熟年期を藤竜也がそれぞれ演じた。

(追悼本)石岡瑛子・馬場啓一編『CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代』(パルコ出版、1982年) - 作曲家の小林亜星のみが「後期の作品は認めない」と評している。ちなみに、杉山が自殺した部屋の真上に小林の事務所が位置していた。

DVD『〜ACC50周年企画DVDシリーズ〜CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志TVCM作品集』(avex io、2010年)

関川夏央「杉山登志とその時代」(『水のように笑う』双葉社1987年)

関川夏央「CMディレクター杉山登志のいた次代」「一九七三年、寒かったあの冬の光景」(『やむを得ず早起き』小学館 2012年pp.185−194)

小林亜星『亜星流! ちんどん商売ハンセイ記』朝日ソノラマ 1996年

河合隼雄「自閉症とCM」(『生きたことば、動くこころ』岩波書店 2010年p.45)

石岡瑛子・馬場啓一編『CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代』(パルコ出版、1982年)

^ 12月13日没と書かれる場合が多いが、誤り。

^ 関川夏央『やむを得ず早起き』

^ 第 1 回「クリエイターズ クリエイターズ殿堂」決まる 杉山登志、堀井博次、三木鶏郎の 3 氏 (PDF)

^ 石岡瑛子・馬場啓一編『CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代』パルコ出版

^ https://x.com/imashigata/status/1733609308322238653?s=46&t=VZaXqIfLoiu_3xmw3I0DhQ

^ 小林亜星「このあたりで人類は終わるんじゃないか」ZAKZAK 2017年5月14日

自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧

この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。

VIAF

日本

日本のディレクター

CMディレクター

資生堂の人物

釜山広域市出身の人物

日本の引揚者

1936年生

1973年没

自殺した日本の人物

2024/11/23 17:37更新

sugiyama toshi


杉山登志と同じ誕生日8月7日生まれ、同じ東京出身の人

井上 貴博_(アナウンサー)(いのうえ たかひろ)
1984年8月7日生まれの有名人 東京出身

井上 貴博(いのうえ たかひろ、1984年8月7日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 東京都出身。慶應義塾幼稚舎・慶應義塾普通部・慶應義塾高等学校・慶應義塾大学経済学部経済学科へ進学。普通部時…

有崎 由見子(ありざき ゆみこ)
1944年8月7日生まれの有名人 東京出身

有崎 由見子(ありざき ゆみこ、1944年8月7日 - )は、東京都港区出身の女優、声優。 川村高等学校卒業。1964年、舞台「土性っ骨」で初舞台。 父は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名…

平田 広明(ひらた ひろあき)
1963年8月7日生まれの有名人 東京出身

平田 広明(ひらた ひろあき、1963年〈昭和38年〉8月7日 - )は、日本の声優、俳優。ひらたプロダクションジャパン所属。 代表作に『ER緊急救命室』(ジョン・カーターの吹き替え)、『ONE P…

マミヤ狂四郎(まみやきょうしろう)
1979年8月7日生まれの有名人 東京出身

マミヤ狂四郎(マミヤきょうしろう、1979年8月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。GO羽鳥(ゴーはとり)名義でライター、コラムニスト、ロケットニュース24編集長、世界で唯一の迷惑メール評…

池田 敏雄(いけだ としお)
1923年8月7日生まれの有名人 東京出身

池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974年11月14日)は、日本のエンジニアで、日本のコンピュータ開発のパイオニア。1970年から富士通役員を務め、死後に専務を贈られた。正五位勲三…


神谷 宏治(かみや こうじ)
1928年8月7日生まれの有名人 東京出身

神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014年10月2日 )は日本の建築家、都市計画家。丹下健三の下で浅田孝、大谷幸夫、磯崎新らと共に都市と建築の設計に従事し、丹下が主宰したURTEC…

吉永 薫(よしなが かおる)
8月7日生まれの有名人 東京出身

吉永 薫(よしなが かおる、8月7日 - )は、日本の女優。獅子座。血液型はA型。フリー 料理とアイリッシュウィスキーをこよなく愛す。一般に「薫姉さん」の愛称で呼ばれる。 撮影監督・カメラマンであ…

永原 秀一(ながはら ひでいち)
1940年8月7日生まれの有名人 東京出身

永原 秀一(ながはら ひでいち、(1940年〈昭和15年〉8月7日 - 2001年〈平成13年〉11月14日)は東京都出身の脚本家。株式会社ラグス元代表取締役。日本大学芸術学部卒。

マサ斉藤(まさ さいとう)
1942年8月7日生まれの有名人 東京出身

マサ斎藤(マサさいとう、本名:斎藤 昌典 / さいとう まさのり、1942年8月7日 - 2018年7月14日)は、日本のプロレスラー。東京都中野区出身。 日本プロレスや東京プロレスを経て、フリーラ…

並木 心(なみき しん)
1944年8月7日生まれの有名人 東京出身

並木 心(なみき しん、1944年(昭和19年)8月7日 - )は、日本の政治家。元東京都羽村市長(5期)、元東京都市長会会長(1期)。 東京都西多摩郡西多摩村(羽村町を経て、現・羽村市)に生まれる…


篠崎 史子(しのざき あやこ)
1946年8月7日生まれの有名人 東京出身

篠崎 史子(しのざき あやこ、1946年8月7日 - )は、日本のハープ奏者。篠崎弘嗣の次女、篠崎功子の妹。東京都出身。 桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業。イスラエル国…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


杉山登志と近い名前の人

杉山 隆一(すぎやま りゅういち)
1941年7月4日生まれの有名人 静岡出身

杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手・監督、解説者。 袖師中学校時代からサッカーを始め、清水東高校時代に富山国体で優勝、…

杉山 真太郎(すぎやま しんたろう)
1930年2月3日生まれの有名人 京都出身

杉山 真太郎(すぎやま しんたろう、1930年2月3日 - 1998年9月3日)は、日本のナレーター、TBSアナウンサー第2期生。緑山スタジオ・シティ制作部長。東京都府中市出身。 1953年2月、T…

杉山 真也(すぎやま しんや)
1983年10月3日生まれの有名人 東京出身

杉山 真也(すぎやま しんや、1983年10月3日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 東京都出身。お茶の水女子大学附属小学校・中学校、東京都立小石川高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。 大学…

杉山 恭子(すぎやま きょうこ)
1984年6月12日生まれの有名人 神奈川出身

杉山 恭子(すぎやま きょうこ、1984年6月12日 - )は神奈川県出身の元モデル、タレント。かつてStudio A.L.Cに所属していた。現在は全日空の客室乗務員である。 2008年度ミス・イン…


杉山 仁(すぎやま じん)
1990年11月1日生まれの有名人 群馬出身

杉山 仁(すぎやま じん、1990年11月1日 - )は、日本の俳優・ダンサー・モデルである。PrizmaXの元メンバー。スターダストプロモーション・Sugar&Spice所属。群馬県出身。血…

杉山 菜摘(すぎやま なつみ)
1987年7月21日生まれの有名人 東京出身

杉山 菜摘(すぎやま なつみ、本名非公開、1987年7月21日 - )は東京都出身のタレント。松竹芸能所属。 特技はフルート・書道。 趣味はフットサル。 2007年、松竹芸能の芸能人女子フットサルチ…

杉山 とく子(すぎやま とくこ)
1926年8月16日生まれの有名人 東京出身

杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、1926年〈大正15年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月28日)は、日本の女優。東京府(現東京都)出身、血液型はB型。代表作は映…

杉山 誠(すぎやま まこと)
1960年5月17日生まれの有名人 静岡出身

杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF。双子の弟の杉山実 も元サッカー選手である。 藤枝市立藤枝中央小学校で…

杉山 浩太(すぎやま こうた)
1985年1月24日生まれの有名人 静岡出身

杉山 浩太(すぎやま こうた、1985年1月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 清水のジュニアユース出身。2003年にトップチーム昇格。早くから…


杉山 邦博(すぎやま くにひろ)
1930年10月19日生まれの有名人 福岡出身

杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月19日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授、中京大学体育学部大学院非常勤講師。東京相撲…

サンダー杉山(さんだーすぎやま / Thunder Sugiyama)
1940年7月23日生まれの有名人 愛知出身

サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugiyama、本名:杉山 恒治 / すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は、日本のプロレスラー、アマチュアレス…

杉山 由恵(すぎやま よしえ)
3月25日生まれの有名人 静岡出身

杉山 由恵(すぎやま よしえ、3月25日 - )は、日本の女性声優。静岡県出身。芸能事務所のスリートゥリーに所属していた。 2018年3月3日付けで事務所を退所し、声優活動を引退した。 ※太字はメ…

杉山 滋美(すぎやま しげみ)
8月4日生まれの有名人 静岡出身

杉山 滋美(すぎやま しげみ、8月4日 - )は、日本の女性声優。マック・ミック所属。静岡県出身。以前はDoaプロダクション、シグマ・セブンeに所属していた。 妖狐×僕SS(女性4) wind -a…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
杉山登志
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

Rev.from DVL AeLL. DA PUMP アリス十番 AKB48G KAT-TUN 私立恵比寿中学 夢みるアドレセンス 純烈 CheekyParade 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「杉山登志」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました