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東畑精一の情報 (とうばたせいいち)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

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東畑 精一さんについて調べます

■名前・氏名
東畑 精一
(読み:とうばた せいいち)
■職業
農業経済学者
■東畑精一の誕生日・生年月日
1899年2月2日 (年齢1983年没)
亥年(いのしし年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
三重出身

東畑精一と同じ1899年生まれの有名人・芸能人

東畑精一と同じ2月2日生まれの有名人・芸能人

東畑精一と同じ出身地三重県生まれの有名人・芸能人


東畑精一と関係のある人

中山伊知郎: 1927年ボン大学に留学し東畑精一とともにシュンペーターに師事する。


黒沢酉蔵: 88歳の頃、みずから"悲願"と言う田中正造の著作集の刊行を目指し動きを始め、資料の収集や、知り合いであった東畑精一に岩波書店への取次を依頼するなどし、遂に岩波書店からの『田中正造全集』の刊行にこぎ着けた。


池田勇人: 1959年12月3日、池田の還暦祝賀会が東京丸の内の東京會舘で開催されたが、これを主催したのが共同通信の和田清好、産経新聞の吉村克己、毎日新聞の土師二三生、日本経済新聞の田中六助で、発起人代表として板倉卓造、小汀利得、吉田秀雄、東畑精一が名を連ねた。


東畑朝子: 東畑精一の次女。


伊東絹子: この点について、農業経済学者の東畑精一は、栄養状態の改善だけではなく、戦後の社会が農業中心ではなくなったことも関係していると述べる。


黒澤酉蔵: 88歳の頃、みずから"悲願"と言う田中正造の著作集の刊行を目指し動きを始め、資料の収集や、知り合いであった東畑精一に岩波書店への取次を依頼するなどし、遂に岩波書店からの『田中正造全集』の刊行にこぎ着けた。


三木清: 清の妻・喜美子は東畑精一の妹であるが、洋子の幼時に死亡)。


松田素二: 1998年共編『新書アフリカ史』でNIRA東畑精一記念賞受賞。


楢崎弥之助: 1942年、東京帝国大学農学部を受験するも、口頭試問で東畑精一から「福岡には九大があるのに、何で東大を受けに来たの」と質問されて逆上し、「東大は東京のもんしか受けたらいかんとですか。


宮本正興: 1988年共編「新書アフリカ史」で東畑精一記念賞受賞。


桜田武: そこへ池田が「俺も入れろ」と言って入ってきたが、池田と一万田が仲が悪いため、そこで小林中と水野成夫が池田を中心とした明治32年生まれ(亥の二黒)だけに会にしようと一万田と白洲に退いてもらい、小池厚之助、堀田庄三、東畑精一を加えて、明治32年生まれだけ6人の会にした。


中山伊知郎: そこで、東畑精一の誘いを受け、1939年から学長就任の1949年まで東京帝国大学で経済政策の講義を行った。


矢吹晋: ゼミの指導教授大内力先生の紹介状をもって東畑精一会長を訪ねる。


三木清: 遺体を収めた棺は2日後、布川角左衛門が借りた荷車を用いて東畑精一に引き取られ、高円寺の三木の自宅に運ばれた。


堀田庄三: また経済同友会の代表幹事(当時の役職名は当番幹事)にもなり、政治家、経済人との親交を結び、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作と続く保守本流との関係や、財界四天王である小林中、桜田武、永野重雄、水野成夫、東大教授の東畑精一などとの関係を深めた。


近衛文麿: この研究会には暉峻義等、三木清、平貞蔵、笠信太郎、東畑精一、矢部貞治、また企画院事件で逮捕される稲葉秀三、勝間田清一、正木千冬、和田耕作らが参加している。


暉峻淑子: 日本女子大学文学部卒業後、東京大学の東畑精一研究室に勤務しつつ法政大学大学院に学び、同博士課程満期退学。1955年、東畑精一研究室で知り合った暉峻衆三と結婚。


村田省蔵: 比島調査委員会を組織し、蠟山政道、大島正徳、東畑精一、伊藤兆司、末川博、杉村広蔵の6名が委員となり、武内辰治、周郷博、林純一、福島栄二、平田隆夫、馬場啓之助が各委員により補助委員として選ばれた。


堀江薫雄: (中山伊知郎・東畑精一と共編)『現代の世界』第1〜第8、ダイヤモンド社、1970年〜1973年


蝋山政道: また、戦時期にはフィリピンの軍政監部顧問であった村田省蔵の指名により、大学以来の旧友・東畑精一とともに占領地の調査に参加した。


大来佐武郎: 1946年 – 吉田茂のブレーンとして、有沢広巳・東畑精一・大内兵衛らとともに『日本経済再建の基本問題』をまとめる。


加藤秀俊: 1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)にかけては今西錦司に誘われ、東レがスポンサーの「環境問題研究会」に藤井隆、東畑精一、松本重治らと参加。


谷川徹三: 回想の三木清(東畑精一共編、文化書院、1948年)


速水融: 敬二は京都大学哲学科の先輩にあたる哲学者三木清の義兄で、東畑精一の弟。


東畑精一の情報まとめ

もしもしロボ

東畑 精一(とうばた せいいち)さんの誕生日は1899年2月2日です。三重出身の農業経済学者のようです。

もしもしロボ

卒業、兄弟、事件、趣味、現在に関する情報もありますね。1983年に亡くなられているようです。

東畑精一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

1983年5月6日(1983-05-06)(84歳没)

東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。次女は東畑朝子。

三重県出身。シュンペーターの革新論や企業者論を中軸に日本の資本主義や農業問題に独自の解明を行った『日本農業の展開過程』などで第二次世界大戦の終結までは主に学究面で活躍、戦後は農林省農業総合研究所所長、アジア経済研究所所長、税制調査会会長など多くの調査研究機関、政策関係委員会の要職を歴任、戦後の日本社会に多方面で大きな影響を与えた。

1899年、三重県一志郡豊地村(現・松阪市)の地主の家に生まれた。東畑吉之助の長男。

三重県立第一中学校を経て、1919年7月旧制第八高等学校第二部丙類卒業ののち、東京帝国大学農学部に入学、農業経済学を専攻した(在学中の友人に蠟山政道・勝次郎(のち山田姓)兄弟がいる)。1922年農学部農学科を卒業(卒論は「リカード派土地社会主義」)したのち、同学部助手を経て助教授に就任した。1926年-1930年の留学中にはボン大学でシュンペーターのもと数量経済学を学び、また中山伊知郎と親交を深めた。

留学から帰国した後の1933年に東畑は教授に昇任、1936年には蝋山らと共に昭和研究会に参画、主として農業問題を担当した。1939年から東京大学経済学部植民政策講座主任教授を兼任した(この講座は1937年主任教授である矢内原忠雄が筆禍事件により辞職を余儀なくされたのち、講師を務めた満鉄東亜経済調査局出身の永雄策郎が平賀粛学事件により辞職していた)。太平洋戦争開始後の1942年には、フィリピンの軍政監部顧問を務めていた村田省蔵により蝋山や末川博、杉村広蔵らと共に比島調査委員会委員に任命され、占領地軍政のための社会調査を行い、その成果を『比島調査報告』にまとめた。

第1次吉田内閣組閣時に首班の吉田茂自身から強く農相就任を勧められるも固辞した(しかしこののち吉田との親交を深めた)エピソードが示すように、戦後の東畑は直接政界に進出することを避けた。しかし米価審議会・経済審議会・国民生活審議会・税制調査会・農政審議会など各種政府諮問機関の委員・会長を歴任し、特に農業基本問題調査会会長として農業基本法制定(1961年)に参画するなど、戦後農政に一定の影響力を持った。また戦後早くの農林省農業総合研究所の創設に参加し、初代所長に就任している。

戦後の東畑のもう一つの顔としては、アジア・アフリカなどの新興独立国を対象とする地域研究の制度化・組織化を指導したことが挙げられる。1953 年のフィリピン賠償全権団団員や1958年の移動大使の歴任などを通じ、東畑は新興諸国の現状への関心を強めていたが、1959年の東京大学定年退官後、アジア経済研究所初代所長に就任した。現地活動に重点を置くアジア経済研究所独特の調査スタイルは東畑により作られたといわれる。1968年には「農業の近代化に対する顕著なる貢献」をもってマグサイサイ賞を受賞した。

主著『日本農業の展開過程』では、師であるシュンペーターの理論を援用し、日本の農民の大半は企業者精神を欠如した「単なる業主」であり日本農業を動かす「経済主体」とはなり得ないと論じた。この考えは戦後の農地改革を経ても変わらず、『日本資本主義の形成者』では多くの農民が改革によって自作農になったにもかかわらず零細経営のため新しい農業を形成する主体にはなりえていないとしている。

東畑は戦時期の植民政策学研究・南方占領地調査においても以上のような視点を応用し、さまざまな民族・人種が混在する植民地社会は、同時に異なる経済意識が共在する場であると説き、現地社会の生活意識に即した経済分析を重視した。このような考えは戦後の彼の地域研究の方法論(現地経験の重視)にも影響を及ぼした。

 1942年、福岡高等学校3年の楢崎弥之助が進振先として東京帝国大農学部を志望し、面接を受けに来たが、面接担当の東畑が「福岡高等学校の進振先としては九州帝国大農学部が有るが、敢えて当学を選んだ理由は?」と聞いたところ、楢崎は「東京の高等学校を出た者のための大学ならやめときます」と答え、東大を辞退し京都帝国大に進振りした。

 東畑の本意が伝わらず(むしろ東畑は少数派の他地区の高等学校からの進学を歓迎していた)、福岡高等学校きっての秀才であった楢崎を受け入れられなかったことはその後の東大、楢崎、社会党、如いては田中角栄の人生にも影響を及ぼしたと言える。

趣味は旅行読書碁。宗教は仏教・真宗。住所は東京都中野区千光前町(現在の中野2丁目)。墓地は鎌倉市の東慶寺にある。

1899年 - 2月2日 三重県一志郡豊地村(現松阪市)の地主の家に生まれる

1922年 - 東京帝国大学農学部農業経済学科卒業

1923年 - 東大農学部助手

1924年 - 大学院を経て東大農学部助教授

1926年 - アメリカ・ドイツ留学(〜1930年)

1933年 - 東大農学部教授(〜1959年)

1936年 - 昭和研究会常任委員

1937年 -「日本農業の展開過程」で東大から農学博士号取得

1939年 - 中央物価委員会委員(〜1940年)

1939年 - 東大経済学部教授を兼任(〜1945年)

1940年 - 物価対策審議会幹事・価格中央形成委員会委員

1942年 - 比島軍政監部顧問村田省蔵から比島調査委員会委員に任命され翌年訪比

1946年 - 第1次吉田内閣組閣に際し吉田から農相就任を請われるが固辞、農林省農業総合研究所初代所長(〜1956年)

1949年 - 米価審議会会長

1953年 - フィリピン賠償全権団団員

1957年 - 経済審議会委員・国民生活審議会会長

1958年 - 第2次岸内閣で移動大使に任命されエジプト・エチオピア・インドを歴訪、代表を務める『農業発達史調査会』が朝日賞受賞

1959年 - 東大退官、第一生命都市開発研究所農村計画担当顧問、農業基本問題調査会会長・税制調査会会長

1960年 - アジア経済研究所初代所長に就任(〜1967年)

1961年 - 農政審議会会長

1964年 - 日本学士院会員

1968年 - アジア経済研究所所長退任後同会長に就任(のち顧問)、マグサイサイ賞受賞

1975年 - 勲一等旭日大綬章受章

1980年 - 文化勲章受章

1983年 - 5月6日 死去

父・吉之助(三重県一志郡嬉野町の地主)。

母・よし(三重県、士・上嶋徳三郎長女)

姉・たみ(三重県、山路房之助に嫁す)

妹・喜美子(兵庫県、三木清に嫁す)喜美子と三木の娘(精一の姪)は永積洋子東大名誉教授。

妻・みね子(三重県多額納税者、伊坂又右衛門妹)

長女

次女・朝子(栄養士、医学博士、東大医学部助手を経てフードドクター、女子栄養大学講師)

長男・隆介(慶應義塾大学名誉教授・帝京大学元教授、専門は19世紀ドイツ自由主義史)

三女

『協同組合と農業問題』(那須皓との共著)改造社、1932年

『朝鮮米穀経済論』(大川一司との共著)日本学術振興会、1935年

『日本農業の展開過程』岩波書店、1936年

『農村問題の諸相』岩波書店、1938年

『米』中央公論社、1940年

『日本農業の課題』岩波書店、1941年

『一農政学徒の記録』酣燈社、1947年

『農地をめぐる地主と農民』酣燈社、1947年

『日本資本主義の形成者』岩波新書、1964年

『私の履歴書』日本経済新聞社、1979年

『学問の世界 碩学に聞く 上』聞き手 加藤秀俊+小松左京 講談社現代新書、1978年

シュンペーター『経済発展の理論』(中山伊知郎との共訳)岩波書店、1937年

同『経済学史』(同上)岩波書店、1950年

同『資本主義・社会主義・民主主義』(同上)東洋経済新報社、1951年-1952年

同『経済分析の歴史』(単独訳)岩波書店、1954年

^ 『東畑精一』 - コトバンク

^ 農業経済学者 東畑精一

^ 人事興信所編『人事興信録 第13版(昭和16年) 下』人事興信所、1941年、p.ト24

^ 第八高等学校編『第八高等学校一覧 第12年度』第八高等学校、1919年、p.247

^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1939年、p.457

^ 盛田良治「日本占領期フィリピンの現地調査」p.167、pp.172-173。

^ 吉田健二「“日労”系指導者の戦後と『社会思潮』(5・完) :松井政吉氏に聞く」『大原社会問題研究所雑誌』第478号、法政大学大原社会問題研究所、1998年。 

^ 金森久雄『エコノミストの腕前 : 私の履歴書』P41,日本経済新聞社,2005.5

^ 村上保男『日本農政学の系譜』pp.220-236、上久保敏『日本の経済学を築いた五十人』p.99。

^ 東畑『日本資本主義の形成者』pp.181-183、藤井隆至「東畑精一」藤井(編)『経済思想』、pp.211-212。

^ 盛田良治 1998, p. 78-79,82-83.

^ 『第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)と一八

^ 役員就任年表アジア経済研究所

^ 「人文研探検―新京都学派の履歴書(プロフィール)―」第7回「分館」雑感菊地暁、慶應義塾大学出版会

^ 『人事興信録. 第13版』(1941年(昭和16年))上イ四三

村上保男 『日本農政学の系譜』 東京大学出版会、1972年

    第四章第一節「東畑精一論 - 合理主義的農業経済学」。

    上久保敏 『日本の経済学を築いた五十人;ノン・マルクス主義経済学者の系譜』 日本評論社、2013年 ISBN 4535553645

      第3章「「純粋経済学」を担った経済学者たち」のうち「純粋経済学の農経学者東畑精一 - シュンペーター理論の適用」。

      篠崎尚夫 『東畑精一の経済思想;協同組合、企業者、そして地域』 日本経済評論社、2008年 ISBN 9784818819832

      藤井隆至(編) 『経済思想』(日本史小百科 近代) 東京堂出版、1998年 ISBN 4490203373

         59「「企業者精神」による日本経済分析;東畑精一」(執筆:藤井)。

        盛田良治「日本占領期フィリピンの現地調査」『人文學報』第79巻、京都大学人文科学研究所、1997年3月、163-188頁、CRID 1390290699820459392、doi:10.14989/48500、hdl:2433/48500、ISSN 0449-0274。 

        盛田良治「東畑精一における「植民政策学」の展開」『大阪大学日本学報』第17巻、大阪大学、1998年3月、75-92頁、CRID 1571417126943425152、ISSN 02864207。 

        東畑記念館

        三重県立図書館地域資料コーナー「東畑精一関係資料目録」

        初代会長 中山伊知郎 1959-1965

        第2代 東畑精一 1965-1974

        第3代 小倉武一 1974-1990

        第4代 加藤寛 1990-2000

        第5代 石弘光 2000-2006

        第6代 本間正明 2006

        第7代 香西泰 2006-2009

        第8代 藤井裕久 2009-2010

        第9代 菅直人 2010

        第10代 野田佳彦 2010-2011

        第11代 安住淳 2011-2012

        第12代 城島光力 2012

        第13代 中里実 2013-

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        文化勲章受章者

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        日本の農林官僚

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        東京大学の教員

        昭和研究会の人物

        アジア経済研究所の人物

        第一生命保険の人物

        私の履歴書の登場人物

        東京大学出身の人物

        旧制第八高等学校出身の人物

        三重県立津高等学校出身の人物

        三重県出身の人物

        1899年生

        1983年没

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