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林正之助の情報 (はやししょうのすけ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

林正之助の情報(はやししょうのすけ) 芸能プロモーター、経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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林 正之助さんについて調べます

■名前・氏名
林 正之助
(読み:はやし しょうのすけ)
■職業
芸能プロモーター、経営者
■林正之助の誕生日・生年月日
1899年1月23日 (年齢1991年没)
亥年(いのしし年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

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林正之助と関係のある人

佐山一郎: インタビューをした人物は1,000人を超え、吉本興業会長・林正之助、吉本隆明、ジャニー喜多川、マイケル・ジャクソン、ヨハン・クライフ、筒井康隆らの自宅でのインタビュー歴がある。


月亭可朝: 1967年ころ、吉本興業の社長・林正之助は、自社の専属落語家の名前に「小」が付いているのが気に入らないと、該当する芸人に改名を促した。


大西浩仁: 2019年7月に自身のYouTubeチャンネルにおいて吉本興業を辞めた理由について、「林正之助および創業者一族を追い出した会社の方針」「芸人という虚像を演じ続けなければならないこと」によるものと語った。


宮元香織: 吉本の林正之助総監督(当時、のち会長)が松竹大阪事務所に乗り込み、恫喝するという事件が発生。


橋本鐵彦: この頃に芝居を見に来た吉本の林正之助と知り合い、後に東京吉本の社長になる林弘高と3人でお茶屋で食事をする、林弘高の紹介で1931年12月に吉本興行部(のちの吉本興業)に入社。1932年3月に吉本興業が「吉本興業合名会社」として改組された際に、営業品目の一つとして「漫才」の表記が既に使われていること(なお、橋本の吉本興業入社は合名会社への改組後である)などから、「漫才」の名付け親は橋本ではなく、当時同社の総支配人だった林正之助であるとする説もある。


大村崑: 大村は林正之助の懇願でごく一時期に吉本興業所属タレントとなったが、その時の林と大村との橋渡し役も花登が務めた。


オール阪神: なお、吉本興業の林正之助会長から、「二代目エンタツ・アチャコ」を襲名させる話があったが、本人たちが「おそれおおい」と断った。


花菱アチャコ: 1930年、当時吉本興業で総支配人の座にあった林正之助の勧めに従い、横山エンタツとふたたびコンビを組んだ。1934年、中耳炎にかかり入院、その間にエンタツは林正之助等との相談の上でコンビを解消する。


林弘高: 兄は旧吉本興業株式会社の社長を務めた林正之助


横山やすし: 契約解除は中邨秀雄(当時・副社長)・林裕章(当時・専務)・木村が話し合って決め、それを会長の林正之助に決断を仰いだところ、「もうええ、もうよろし!」との一言であっさり決定したという。


橋本鐵彦: 1973年に林正之助の後をついで社長に就任。


花月亭九里丸: この時はまだ吉本興業は寄席興行を復活させておらず、九里丸の直談判に吉本の総帥であった林正之助も折れたという。


寿一実: 芦屋市立芦屋高等学校を卒業し、劇団アカデミーに所属後、吉本の林正之助会長の紹介で1976年7月11日に吉本興業入りし、吉本新喜劇の座員となった。


林裕章: 2007年4月、夫人の林マサ(林正之助の長女、2009年10月27日没)が週刊新潮に吉本興業の内情を告発する手記を発表した。


吉本せい: 実弟に林正之助と東京吉本社長も務めた林弘高がいた。


鎌苅健太: 吉本百年物語『大将と御寮ンさん・二人の夢』(2012年4月13日 - 5月6日) - 林正之助


宮元香織: 両事務所の対立の大きな原因のひとつであった林正之助が1991年に逝去し、過去の関係において比較的影響力が少ない東京吉本が制作に関与する番組で1990年代後半から松竹芸能所属のタレントがレギュラー・準レギュラー出演をするケースが出始め(『いきなり!黄金伝説。


大平サブロー: ただし、3ヶ月間はノーギャラ、独立しようとするタレントへの説得、林正之助会長の墓参りなど、吉本から課せられた7つの条件を全て呑んで許された復帰だった。


横山やすし: 林正之助は当日体調不良で出社していなかったため、やすしは林正之助に詫びることが出来なかった。


山内圭哉: 吉本百年物語「わらわし隊、大陸を行く」 - 林正之助


花菱アチャコ: これは、1939年の新興キネマによる吉本所属芸人の引き抜き騒動の際、アチャコも新興から契約金として当時としては大金である500円を既に受け取っていたが、林正之助に一喝されてそれを新興に返し、吉本からも「(吉本はアチャコの)面倒を一生みる」と一筆取っていたためである。


中邨秀雄: 1991年4月、会長だった林正之助の死去に伴い、代表取締役社長に就任、東京進出の旗振り役となり、関西ローカルだった吉本を「全国区」に押し上げた。


大西浩仁: たまたま見に行った開場で盛り上がっているなんばグランド花月で林正之助会長から推挙され1987年に吉本所属。


笠置シヅ子: 出産のお祝いには服部夫妻のほか、吉本興業の林正之助専務や東京吉本の林も訪れ、東京吉本の林は吉本家からとして10,000円のお祝い金を持参していた。


橋本鐵彦: ^ ただし澤田は、別の著作で「林正之助さんぐらい思いっきり長生きすると、まわりに反論する人が誰もいないから、なんでも自分がやったことになる。


林裕章: 吉本興業元会長・林正之助の娘婿。


中村育二: ミヤコ蝶々ものがたり(2007年) - 林正之助


ぜんじろう: 林正之助吉本興業会長が、この生放送の彼らの漫才を観て「エンタツ・アチャコの再来じゃ!」とまでに絶賛した。


太平サブロー: ただし、3ヶ月間はノーギャラ、独立しようとするタレントへの説得、林正之助会長の墓参りなど、吉本から課せられた7つの条件を全て呑んで許された復帰だった。


八田竹男: 林正之助


林正之助の情報まとめ

もしもしロボ

林 正之助(はやし しょうのすけ)さんの誕生日は1899年1月23日です。大阪出身の芸能プロモーター、経営者のようです。

もしもしロボ

母親、テレビ、事件、現在、映画に関する情報もありますね。1991年に亡くなられているようです。

林正之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

林 正之助(はやし しょうのすけ、1899年〈明治32年〉1月23日 - 1991年〈平成3年〉4月24日)は、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。

風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。

兵庫県明石市出身で、大阪府大阪市北区育ち。米穀商を営んでいた林豊次郎の長男として出生。母親は林ちよ、姉は吉本興業創業者の吉本吉兵衛(後に泰三と改名)の妻の吉本せい。弟は旧吉本興業株式会社(初代東京吉本)の社長を務めた林弘高。実子は林マサで、その夫(娘婿)は林裕章。

1917年、18歳の時に吉本興業の前身、吉本興行部に入社し、19歳で総監督となった。1948年に吉本興業合名会社が株式会社に改編されたのを機に、初代の社長に就任。1950年に初代会長に就任していた姉吉本せいの死に伴い、会長も兼務した。1963年に体調を崩し、大阪大学医学部附属病院に入院、持病の糖尿病と膀胱の疾患と診断され、やむを得ず社長から一旦退き、弟の弘高に譲る。1970年に弘高が脳梗塞で半身不随となり、社長に復帰した。1973年には再び社長を退いたが、1986年にはまたも社長に復帰し、1991年に死去するまで社長を務めた。

初代桂春團治・横山エンタツ・花菱アチャコ等の多くの芸人を育て上げ、なんば花月、うめだ花月等の劇場もオープンさせるなど、吉本興業を日本最大手の芸能事務所に発展させた。

吉本興業と松竹は、1935年に演芸に関する協定を結んでいたが、1939年に正之助が松竹のライバル社である東宝の重役に就任すると態度を硬化、新たに傍系の新興キネマに演芸部を設立して対抗。この時期、芸人の大量引き抜きを行った新興演芸の動向も絡んで新聞に「抗争」と書かれるほど業界内は混乱状態に陥った。松竹系とは脅す行為を含めて、引抜きを禁止するなど激しく対立。このことは第二次世界大戦後まで尾を引き、正之助自身の死去までは、松竹芸人と自社の芸人をテレビで共演させることは少なかった。

1968年1月11日、当時の山口組組長・田岡一雄と組んでレコード会社を乗っ取ろうとした容疑で兵庫県警に逮捕されている。

1991年4月24日に大阪厚生年金病院で心不全のため死去。92歳没。日本の芸能プロモーターとしては当時最高齢であり、その長寿をまっとうした。 死去する3か月前まで劇場運営等などを指揮をした。密葬が千里会館で、社葬は自身が愛したなんばグランド花月(NGK)で行われた。墓所は豊中市の服部霊園にある。

タレントや芸人の扱い、会社経営の全般を取り仕切り、興行師としての職務なども上手く、関西はもとより日本の芸能界・お笑い界に対して多大な影響力を持っていた事で知られている。また、創業者の吉本吉兵衛の死去後は、その未亡人で正之助の姉でもある吉本せいのもとで、社長・会長に就任する以前から正之助が吉本興業の経営権を事実上握っていたともいわれる。

「ビートルズを呼んだ男」であるキョードー東京の永島達司は、二周りほど年の離れた自分に対しても丁寧な態度で接してくる田岡と林の態度にも敬意を持ったが、自分たちと客の間の世代の感覚のズレを的確に認識し、その上で周囲に意見を求めるスマートな人物として後のインタビューでもこの二人を賞賛している。

竜雷太『西川ヘレン物語』(1987年1月4日 関西テレビ 花王名人劇場枠)、『ヘレンときよしの物語』(2006年8月29日 日本テレビ DRAMA COMPLEX枠)

沢田研二『にっぽん笑売人』(1988年 関西テレビ 花王名人劇場枠)

桂三枝(現・六代目桂文枝)『桂三枝が書いた、サスペンス吉本興業〜吉本興業殺人事件〜』(1988年、火曜スーパーワイド (ABC/テレビ朝日系))

松方弘樹『俺は浪花の漫才師 笑わせまっせ泣かせまっせ!波瀾万丈の51年を生きた最後の芸人』(1997年、MBS/TBS系)

濱田岳『わろてんか』(2017年 - 2018年 NHK連続テレビ小説) - 正之助をモデルとした人物。役名は「武井風太」。

鎌苅健太『吉本百年物語 大将と御寮ンさん・二人の夢』(2012年)

六角精児『吉本百年物語 キミとボクから始まった』(2012年)

間寛平『吉本百年物語 舶来上等、どうでっか?』(2012年)

小籔千豊『吉本百年物語 笑う門には、大大阪』(2012年)

山内圭哉『吉本百年物語 わらわし隊、大陸を行く』(2012年)

ぼんちおさむ(ザ・ぼんち)『吉本百年物語 焼け跡、青春手帖』(2012年)

島田一の介『吉本百年物語 これで誕生! 吉本新喜劇』(2012年)

逢坂じゅん『吉本百年物語 爆発! MANZAIが止まらない』(2013年)

江口直彌『吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション』『吉本百年物語 百年感謝 これからもよろしく』(2013年)

亘健太郎(フルーツポンチ)『吉本百年物語 百年感謝 これからもよろしく』(2013年)

市川月乃助『笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜』(2016年)

喜多村緑郎(※市川月乃助より改名)『笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜』(2019年)

日本プロ野球草創期、大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)結成に吉本興業が関わった縁があり、吉本興業は第二次世界大戦終戦後の1947年まで読売巨人軍の経営に参画していた。その為、林正之助は吉本から派遣されて読売巨人軍の役員を務めていた。

大正テレビ寄席打ち切りの一件と、自身の山口組との黒い交際で永六輔から非難された。

1959年、過労で肺炎になり入院中の大村崑を当時高価なメロンを持って見舞いに行った。その際、吉本興業との契約の話を申し出たが「これからは仕事をセーブせな又、倒れるから」と大村が断ると「メロンを持って行って断られたのはあんたが初めてや」と言われている。諦めきれず(うめだ花月劇場の開館当初の客寄せの為)花登筺を通じて契約。しかしギャラ問題で契約は短期に終わる。その後、吉本と疎遠になっていた大村だが(会長の)晩年に「崑ちゃん、あの時は悪い事したなー」と話す会長と抱き合って再会している。

横山やすしを可愛がり、やすしがトラブルを起こした時もかばい続けた。しかしやすしが吉本との契約解消に至った時は、「反省の色が無い。これ以上面倒見切れんし、世間も許さんでしょう」とコメントした。

親子ほど年が違う笑福亭仁鶴に対して、大物芸人にも呼び捨てで接していた正之助が「さん」付けで呼んでいた。これは仁鶴がテレビ、ラジオ、映画と様々なメディアに吉本の顔として出演し、「吉本の礎を作った」と言われるほど貢献していたことから。

自社の社員を野良犬、所属芸人をゴキブリと呼んでいた。吉本興業に謎の10億円の収入が発覚した際に、国税局から「税金は納められているので社員にボーナスとして分けてはどうか」という提案された際には、「あんな野良犬共にあげる金はない」と言い、会社前の道路修繕に使用した。

ダウンタウンが東京進出する前になんばグランド花月で漫才を公演した時、浜田雅功が冗談で「会長の杖は殴るために持っている」と言った後に、公演後に「人を殴る為に持ってへんぞ」と突っ込みを入れた。また、ダウンタウンは「自分たちは会長が最後に目をかけた芸人だった」と述べている。こうした林との関係性をネタにしたコントもあり「林が入院中の病院に見舞いに訪れたダウンタウンを、林がベッドへ呼び寄せ「浜田、見てみぃ。ワシ、ペースメーカーつけとんねん」と浜田に見せると、浜田はそのスイッチを密かに弱にした(林を殺害しようとした)と松本がうそぶき、浜田が「なら普段は(スイッチの位置は)強なんかい!?」と突っ込む」という物がある。

なんばグランド花月の完成から亡くなる3か月前まで、毎日行われる興行を視察した。

当時の部下だった木村政雄が劇場の興行システムを10日ごとから7日ごとに変更することを直訴したところ一発返事で承認した。

自身の一代記を描いた「にっぽん笑売人」で冒頭とエンディングに出演。自身を演じた沢田研二等と対談した。最終回前にナレーションの桂三枝(現・六代目桂文枝)と自身の銅像前で対談し、三枝に「わしの銅像の隣に、お前の銅像も作ったるわ」と笑いながら話した。なお、未だに三枝の銅像は作られていない。

レコード会社乗っ取り未遂を起こした際には相手方の会社に乗り込んで、「わしが田岡親分に電話一本連絡すれば、山口組の300人の兵隊が来て血の雨を降らすぞ」と息巻いた。

晩年、フジテレビから吉本へ移籍してきたばかりの横澤彪に向かって「こんなん(新入社員)が(会社に)入ってきたら日本はつぶれまっせ」と落胆した。これは横澤によると、バブル景気が盛んな時期に男が女の便利な遊び道具にされ、結果使い捨てられるところを偶然見ていたからとの事で、これを見た林は悔しくてたまらなかったとのこと。

身だしなみやファッションを大事にし10代のころから当時では珍しくモダンのスーツやピシッと決めたヘアースタイルであった、また愛用の帽子はボルサリーノであった、またプロモーターでは珍しくポートレート(プロマイド)を作り名刺代わりに関係者に配っていた。戦後は気に入った芸人や頑張ってる芸人はネクタイを配るのが恒例であった。

^ 裏に東宝対松竹の抗争『東京朝日新聞』(昭和14年4月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

^ 2022年10月現在、日本の芸能プロモーター最高齢は、渡辺プロダクション名誉会長の渡邉美佐である。

^ “ステージレビュー「「吉本新喜劇」の始まりを内場と千原コンビで描く」”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2012年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月7日閲覧。

^ 『明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト』2019年2月10日放送回

^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所

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