栃光正之の情報(とちひかりまさゆき) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
栃光 正之さんについて調べます
■名前・氏名 |
栃光正之と関係のある人
池水通洋: TKUドキュメンタリードラマ 郷土の偉人シリーズ第15弾「押し相撲の名大関栃光正之〜真実一路・待ったなし〜」(テレビ熊本) 金城興福: 1979年3月場所から1985年1月場所まで、大関・栃光正之に因んだ栃光 興福(とちひかり こうふく)の四股名に改名していたため、一般的には「栃光」の四股名で知られている。 常ノ花寛市: 出羽錦忠雄などの弟子も大半が千代の山と同様に先代からの弟子で、特に理事長時代は部屋の指導にも殆ど当たっておらず、部屋の指導に本腰を入れたのは相談役に退いてからのために、直弟子の栃錦清隆を横綱に育て、自身の没後に横綱となった栃ノ海晃嘉と大関となった栃光正之も入門時に育成した弟弟子の栃木山守也や理事長を務めながら1横綱3大関を育てた自身の後任理事長の双葉山定次と比べると部屋の師匠としての評価はあまり高くない。 栃ノ海晃嘉: 場所終了後、13勝2敗だった兄弟子・栃光正之と共に大関へ昇進した。 栃錦清隆: 引退後は二枚鑑札(1958年に廃止されていたが特例で認められていた)で襲名していた年寄・春日野として、先代から引き継いだ栃ノ海晃嘉を横綱へ、栃光正之を大関まで育て、それ以外にも直弟子最初の関取だった栃東知頼を栃ノ海に続く自身が師匠となってからの2人目の優勝力士に導き、他にも舛田山靖仁、栃赤城雅男、栃司哲史、現春日野である栃乃和歌清隆等数多くの関取を育てた。 朝加真由美: 押し相撲の名大関 栃光正之(2007年) 出羽錦忠雄: 出羽海一門の大鵬攻略の参謀役を担い、同部屋の佐田の山晋松、一門の栃ノ海晃嘉、栃光正之ら後輩たちにアドバイスを送っていた。 栃木山守也: この他、後に幕内を代表する力士へ成長する栃ノ海晃嘉・栃光正之も栃木山存命時の入門である。 |
栃光正之の情報まとめ
栃光 正之(とちひかり まさゆき)さんの誕生日は1933年8月29日です。熊本出身の相撲のようです。
現在、引退、趣味、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1977年に亡くなられているようです。
栃光正之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)栃光 正之(とちひかり まさゆき、1933年8月29日 - 1977年3月28日)は、熊本県牛深市深海町(現在の天草市深海町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は中村 有雄(なかむら ありお)。最高位は東大関(1962年9月場所、1963年5月場所など)。身長176cm、体重128kg。得意手は左四つ、押し、寄り、上手投げ。 農家の長男で、中学生の時から宮相撲で活躍したが、天草に巡業に来た力士の一団を見て栃錦に魅せられた。1952年、熊本県水俣市で開催された相撲大会に出場した時に春日野部屋の力士から勧誘され、父の反対を押し切って同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵。 非力で不器用ながらも、春日野親方(元横綱・栃木山)から押し相撲の基本を叩きこまれた。脇を固めハズ押しで攻めるために両脇に藁を挟んでの押しの稽古をも課せられたが、無類の稽古熱心で師匠の指導を身につけていった。稽古熱心であったが好きであったわけではなく「こんな稽古、田舎にいた頃に比べればへでもないよ」と言って一生懸命取り組んでいた。1954年5月場所にて新十両となり、1955年3月場所では十両で15戦全勝優勝を成し遂げ、翌5月場所で入幕した。ここまで初土俵から五分の場所(当時、幕下以下は8番相撲を取る)が1場所あるものの、負け越しがなかった。 なお、15日制になってから十両で全勝優勝した力士は、栃光のほかに内田(後の大関・豊山)、北の冨士(後の横綱・北の富士)、把瑠都、栃ノ心の4人がいる。 入幕後はすぐに上位に進出、1956年1月場所では初日に新大関の松登を破り、4日目には横綱・吉葉山から金星をあげた。一時蕁麻疹のために伸び悩んだ時期もあったが、1962年5月場所で3日目に柏戸、12日目に大鵬の両横綱を破るなど13勝2敗と好成績を挙げ、14勝1敗で優勝した弟弟子栃ノ海と同時に場所後に大関昇進を果たした。直前3場所前が西前頭4枚目での11勝であり、これが次点にも及ばないことから当時の感覚としてもやや甘めの大関昇進であった。好成績を挙げながら幕内最高優勝には手が届かなかったものの、決して「待った」をしない立派な土俵態度のために名大関と呼ばれた。出身地の「牛深」にちなみ「ベコ」(牛)の異名があり、土俵態度そのままの実直で礼儀正しい人柄はファンや報道陣などから広く愛された。1965年9月場所から6勝9敗、5勝10敗、5勝10敗と3場所連続で負け越して大関陥落(当時の規定)が決定的となり、1966年1月場所の千秋楽限りで現役引退した。この場所12日目の柏戸戦で鯖折りを受けて右ひざから土俵に落ちたが、負けた栃光はいつもの通り直立不動の姿勢で土俵に一礼して引上げ、その土俵態度の良さから観衆が「よくやったゾ!栃光」と声を上げ、盛んな拍手がわきあがった。 引退後は年寄・千賀ノ浦を襲名し、春日野部屋の名コーチとして栃錦をよく助けていた。親方時代には勝負審判を務めており、1969年3月場所2日目、大鵬が戸田に連勝を45で止められた「世紀の大誤審」の時に土俵下から物言いをつけた検査役が千賀ノ浦であり、1972年1月場所8日目北の富士-貴ノ花戦で北の富士の右手が「つき手」か「かばい手」かで先に物言いをつけたのも千賀ノ浦だった。 1977年3月28日、直腸癌のため東京都中央区内の病院で逝去。43歳没。 趣味はゴルフとマージャンで、酒も好きだった。同郷の川上哲治には可愛がられていた。 2007年にはテレビ熊本(TKU)のドキュメンタリードラマ「郷土の偉人シリーズ」第15弾として『押し相撲の名大関 栃光正之〜真実一路・待ったなし〜』が放送され、栃光を元幕下力士の両國宏が演じた。 地方場所であれば当時の春日野部屋が親しくしている出羽海部屋の力士たちと遊ぶことが多かったが、東京場所では栃ノ海が出かけると話し相手がいないのでテレビを見るのが関の山であった。 通算成績:577勝431敗11休 勝率.572 幕内成績:486勝403敗11休 勝率.547 大関成績:188勝131敗11休 勝率.589 幕内在位:60場所 大関在位:22場所 三役在位:15場所(関脇7場所、小結8場所) 三賞:5回
敢闘賞:2回(1959年5月場所、1961年7月場所) 雷電賞:1回(1957年1月場所) 金星:4個(吉葉山2個、鏡里1個、朝潮1個) 各段優勝
幕下優勝:1回(1954年3月場所) 栃光 正之(とちひかり まさゆき)1952年7月場所 - 1966年1月場所(引退) 千賀ノ浦 穏光(ちがのうら やすみつ)1966年1月 - 1977年3月(死去) ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p29 ^ 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)68ページから69ページ ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p19 ^ 同部屋から2者同時新大関に昇進したため、昇進伝達式は2人一緒に行われた。 ^ 琴ヶ濱以降、年6場所制下で大関昇進を果たした力士の中で直前3場所前の地位として、最低のものである。1977年3月に大関特例復帰の規定にあずからず再大関を果たした魁傑も同じく直前3場所前に西前頭4枚目の地位にあったがこちらは14勝での優勝であった。 ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』18ページ ^ 「歴代大関大全」79頁(ベースボール・マガジン社)2014年 ^ 三宅充 「大相撲なんでも七傑事典」128頁(講談社+α文庫) ^ “名大関!栃光正之|両國 宏オフィシャルブログ「両國 宏の気ばいやんせ」”. アメーバブログ (2007年10月23日). 2024年10月14日閲覧。 ^ “押し相撲の名大関 栃光正之~真実一路・待ったなし - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2024年10月14日閲覧。 ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p60 ^ 外傷性左肘関節炎のため途中休場 ^ 腎臓炎及び頭痛のため途中休場 ^ 角番(当時1969年5月場所までは3場所連続負け越しで大関陥落) 大関一覧 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 ISNI VIAF 日本 熊本県出身の大相撲力士 春日野部屋 1933年生 1977年没 大腸癌で亡くなった人物 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/12/22 16:58更新
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tochihikari masayuki
栃光正之と同じ誕生日8月29日生まれ、同じ熊本出身の人
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