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栃東知頼の情報 (とちあずまともより)
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【4月8日】今日誕生日の芸能人・有名人

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栃東 知頼さんについて調べます

■名前・氏名
栃東 知頼
(読み:とちあずま ともより)
■職業
相撲
■栃東知頼の誕生日・生年月日
1944年9月3日 (年齢80歳)
申年(さる年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
福島出身

(昭和19年)1944年生まれの人の年齢早見表

栃東知頼と同じ1944年生まれの有名人・芸能人

栃東知頼と同じ9月3日生まれの有名人・芸能人

栃東知頼と同じ出身地福島県生まれの有名人・芸能人


栃東知頼と関係のある人

大鵬幸喜: 復帰した同年9月場所では、初日に栃東知頼と対戦して敗れたことで周囲から限界と思われたが、慎重に勝ちを求めた結果、叩きを多用する相撲に変わった。


天龍源一郎: 1973年5月場所、3勝4敗で迎えた栃東知頼との取り組みから5連敗したのは、勝負に対する執念の無さの表れであったと自ら語っている。


栃錦清隆: 引退後は二枚鑑札(1958年に廃止されていたが特例で認められていた)で襲名していた年寄・春日野として、先代から引き継いだ栃ノ海晃嘉を横綱へ、栃光正之を大関まで育て、それ以外にも直弟子最初の関取だった栃東知頼を栃ノ海に続く自身が師匠となってからの2人目の優勝力士に導き、他にも舛田山靖仁、栃赤城雅男、栃司哲史、現春日野である栃乃和歌清隆等数多くの関取を育てた。


栃東知頼の情報まとめ

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栃東 知頼(とちあずま ともより)さんの誕生日は1944年9月3日です。福島出身の相撲のようです。

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現在、引退に関する情報もありますね。栃東知頼の現在の年齢は80歳のようです。

栃東知頼のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡日立木村(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は志賀 駿男(しが はやお)。最高位は東関脇(1970年3月場所)。現役時代の体格は178cm、115kg。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り。

引退後は年寄・玉ノ井(13代)を襲名し、春日野部屋付きを経て玉ノ井部屋を創設した。次男・太祐は四股名栃東を譲り受けて大関まで昇進。現役引退後は年寄・栃東を襲名して父の下で部屋付き親方となった後、部屋を継承した。なお、日本相撲協会を停年退職した後は、玉ノ井部屋の師範代となった。

中学時代から野球部で活動し、原町工業高校進学後も野球部に在籍していたが、相撲部の顧問を兼任していた野球部の顧問に相撲の大会に助っ人として出場するように言われ、その大会で優勝すると、1960年秋に春日野部屋からスカウトされて高校を中退し入門する。横綱・栃錦が春日野部屋継承後に入門した力士(いわゆる直弟子)では初の関取である。

現役時代は身長177cm・体重115kgの小兵で、横綱・大鵬45連勝の直前の黒星(1968年9月場所初日)をつけるなど、春日野部屋伝統の技能派力士として知られた。殊勲賞4回はいずれも技能賞とのダブル受賞。立合い鋭く右前褌左おっつけで寄り進むか、左を差して浅い上手からの出し投げを繰り出す正攻法の取り口で、頭を決して上げず、前捌きも巧みだった。

辛辣な批評で知られた玉の海も「こんな巧みな相撲は見た事がない。」と批評するほどだった。技能派大関誕生の期待もかけられたが、肝炎による休場と両膝の故障で大成を阻まれた。三賞を10回以上受賞した力士の中でも師匠の春日野と並んで敢闘賞を受賞した経験がなく、その内年6場所制定着以降に入幕した力士としては栃東ただ1人が該当する。

1972年1月場所(地位は西前頭5枚目)では11勝4敗という15日制初の11勝での成績で幕内最高優勝を果たしたが、千秋楽、大関・清國との一番に負ければ8人の5敗力士による優勝決定戦になるところであった。この場所初日、いきなり横綱・北の富士と大関・琴櫻との対戦が組まれ、北の富士は14日目より休場。また大関・大麒麟、同・前の山がそれぞれ全休・途中休場するなどの影響で上位の取組編成は混乱し、ついには平幕力士が千秋楽結びの一番に相撲を取るという異例の事態となっていた)。

同場所で喫した4敗のうち、4日目(2敗目)は金剛に吊り出しで敗れたものだったが、逆に金剛が1975年7月場所で平幕優勝をした際は同場所4日目に肩透かしで黒星を喫させた。

栃東は1968年3月場所で平幕優勝した若浪にも同場所3日目に寄り倒しで黒星を喫させたが、いずれも自身が平幕在位中の白星であり、平幕在位中に当場所の平幕優勝力士に複数回勝利した唯一の力士とされる。

現役時に関脇・長谷川について「顔も見たくない」と発言した事があった程、取り口が合わなかった(現役時代の対戦成績は栃東の8勝22敗)。 現役時代から雄弁な理論家で知られ、立ち合い前の作戦から相撲展開まで取組直後でも沈着に応答出来る数少ない力士であったという。

9月場所は栃東にとって抜群に縁起が良く、1970年を除いて初土俵から引退まで9月場所で負け越しを経験していない。それに留まらず1968年と1969年には殊勲賞と技能賞をダブル受賞しており、特に前者に至っては柏戸・大鵬の両横綱から金星を2個獲得する殊勲の星まで伴っていた。

現役引退後は年寄・13代玉ノ井を襲名、春日野部屋付き親方となり、先代からも分家独立の許可を得ていたが、長らく部屋付親方として後進を指導していた。1990年に師匠の逝去を受け正式に独立、玉ノ井部屋を創設。次男・太祐が自らの部屋に入門すると、スピード出世で十両に昇進。昇進を期に自身の現役時代の四股名を継がせた。親子2代で優勝を経験。

部屋の相馬市夏合宿は、2023年時点で13代玉ノ井の時代から約30年、13代玉ノ井の帰郷を兼ねて例年名古屋場所後に行われている。新型コロナウイルス感染拡大の影響での中止を挟んで2023年に4年ぶりに再開。

協会では、審判委員等を歴任し、2007年1月に役員待遇(指導普及部副部長・生活指導部副部長)に昇格した。

2009年9月2日を以て日本相撲協会を停年退職。翌9月3日付で次男の栃東大祐が年寄・14代玉ノ井を襲名、並びに玉ノ井部屋師匠を継承した。

停年退職後の2012年2月22日、23日、文化放送のラジオ番組「ミュージックギフト〜音楽・地球号」の「福島ウィーク」にゲスト出演。

1960年 - 11月場所、初土俵。

1965年 - 5月場所、新十両。9勝6敗と勝ち越し。

1967年 - 3月場所、新入幕。新十両と同じく9勝6敗と勝ち越した。

1968年 - 11月場所、新小結。大関・玉乃島、豊山の2大関を破るも5勝10敗と大きく負け越した。

1970年 - 3月場所、新関脇。大関・清國を破るが7勝8敗と負け越し、関脇はこの1場所のみである。

1972年 - 1月場所、西前頭5枚目で11勝4敗の成績の挙げ、初の幕内最高優勝。

1977年 - 1月場所、前場所東前頭3枚目で2勝13敗に終わったのに続き西前頭13枚目で初日から4連敗し引退。年寄玉ノ井襲名。

1990年 - 春日野部屋から独立し、玉ノ井部屋を興す。

2009年 - 停年退職。

通算成績:611勝593敗33休 勝率.507

幕内成績:404勝448敗23休 勝率.474

現役在位:98場所

幕内在位:59場所

三役在位:6場所(関脇1場所、小結5場所)

三賞:10回

    殊勲賞:4回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1970年1月場所)

    技能賞:6回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1969年11月場所、1970年1月場所、1972年1月場所)

    金星:5個(柏戸3個、大鵬1個、北の富士1個)

    各段優勝

      幕内最高優勝:1回(1972年1月場所)

      十両優勝:1回(1967年9月場所)

      志賀 駿男(しが はやお)1960年11月場所 - 1963年7月場所

      栃東 裕典(とちあずま ゆうすけ)1963年9月場所 - 1964年9月場所

      栃東 駿男( - はやお)1964年11月場所 - 1966年9月場所

      栃東 知頼( - ともより)1966年11月場所 - 1977年1月場所

      玉ノ井 友宣(たまのい ともより)1977年1月 - 2009年9月

      ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p28

      ^ 同じ11勝4敗での優勝は、後に1996年11月場所の武蔵丸、2017年9月場所の日馬富士と合わせて3例ある(2019年5月現在)。

      ^ 昭和の東西合併直後の1927年1月場所以来のことで、その後も出ていなかったが2020年1月場所で德勝龍誠が千秋楽結びの一番に相撲を取って勝利した

      ^ 尚、栃東自身の同場所の最終成績は4勝11敗と大敗に終わったが、これは平幕優勝力士に勝利した力士の成績としてはもっとも低い記録とされる。

      ^ 勝利時の地位を平幕に限定しなければ、貴乃花(当時は貴花田)の3回が最多であるが、貴乃花はいずれも三役在位中の白星である。

      ^ 実際には停年直前に逝去。

      ^ 玉ノ井部屋、夏合宿を4年ぶり再開 8月1日から 日本経済新聞 2023年5月19日 17:38 (2023年6月22日閲覧)

      ^ 右膝関節捻挫により12日目から途中休場

      ^ 左膝関節捻挫により4日目から途中休場、10日目から再出場

      関脇一覧

      栃富士勝健

      高見山酉之助

      常陸山谷右エ門

      太刀山峯右エ門

      鳳谷五郎

      両國勇治郎

      西ノ海嘉治郎 (2代)

      大錦卯一郎

      栃木山守也

      常ノ花寛市

      鶴ヶ濱増太郎

      西ノ海嘉治郎 (3代)

      大蛇山酉之助

      宮城山福松

      常陸岩英太郎

      能代潟錦作

      玉錦三右エ門

      豊國福馬

      山錦善治郎

      武藏山武

      綾櫻由太郎

      清水川元吉

      沖ツ海福雄

      男女ノ川登三

      双葉山定次

      出羽湊利吉

      安藝ノ海節男

      羽黒山政司

      佐賀ノ花勝巳

      前田山英五郎

      備州山大八郎

      東富士欽壹

      増位山大志郎

      千代の山雅信

      照國萬藏

      栃錦清隆

      鏡里喜代治

      時津山仁一

      吉葉山潤之輔

      三根山隆司

      朝潮太郎 (3代)

      若乃花幹士 (初代)

      安念山治

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      若三杉彰晃

      大鵬幸喜

      柏戸剛

      佐田の山晋松

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      富士錦猛光

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      琴櫻傑將

      清國勝雄

      栃東知頼

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      北の湖敏満

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      一覧

      年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。

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      春日野部屋

      玉ノ井部屋

      日本相撲協会の役員

      高校相撲部出身の大相撲力士

      福島県出身の人物

      1944年生

      存命人物

2025/04/07 20:44更新

tochiazuma tomoyori


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