桑野通子の情報(くわのみちこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
桑野 通子さんについて調べます
■名前・氏名 |
桑野通子と関係のある人
上原謙: 次の『彼と彼女と少年達』で早速主役を務め、この映画に共演した桑野通子とは「アイアイ・コンビ」とファンから呼ばれ人気を博す。 高峰三枝子: 翌13年、映画『蛍の光』の主題歌「蛍の光」を桑野通子、高杉早苗と吹き込み、レコードデビュー。 木暮実千代: 松竹入社当時は高峰三枝子、桑野通子、水戸光子らが幹部であったが1年余りで準幹部から幹部に昇進。 京都伸夫: 日本人で贔屓にしたのは桑野通子と志賀暁子。 日高真弓: 桑野通子 桑野みゆき: 母は戦前の人気女優桑野通子。 水戸光子: 同期にデビューした高杉早苗、桑野通子、水戸光子、原節子の4人をはじめとする戦前からのスター女優について、エッセイストの三國一朗は、公私に亘るすべての点で後年のスターとは雲泥の差があり、その名に匹敵する貫禄をそなえていたと述べている。 小桜葉子: 上原は大人気のスター桑野通子とのロマンスが話題となっていたが、上原を射止めたのは小桜であった。 |
桑野通子の情報まとめ
桑野 通子(くわの みちこ)さんの誕生日は1915年1月4日です。東京出身の女優のようです。
卒業、趣味、事故、家族、事件、映画に関する情報もありますね。1946年に亡くなられているようです。
桑野通子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946年4月1日)は、昭和初期の女優。本名は桑野 通(くわの みち)。スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。愛称はミッチー。娘は元女優の桑野みゆき。 東京市芝区三島町8番地(現・港区芝大門一丁目あたり)でトンカツ屋を営む父・半二郎、母・よしの長女として誕生する。4歳で母・よしが死去。1932年3月、三田高等女学校(現・三田国際学園高等学校)をトップクラスの成績で卒業後、森永製菓に入社し初代スイートガールとして販売促進・営業宣伝のため、全国の百貨店やキャンデーストアを巡る。1934年、赤坂溜池のダンスホール『フロリダ』で 人気ダンサーとして働いているときにスカウトされ松竹へ入社。同年11月封切の『金環蝕』でデビューを果たす。 翌1935年には新入社の上原謙と「アイアイコンビ」として売り出し人気も上昇した。以後、小津安二郎や清水宏・島津保次郎など日本を代表する名監督の作品への出演を重ねた。1942年7月17日、森永製菓社員時代から社員同士で縁があった斎藤芳太郎との間に長女みゆきをもうける。なお斎藤芳太郎は妻子ある身であった。1946年、溝口健二監督の「女性の勝利」に出演するも、3月29日、大船撮影所にて撮影中にあとワンカットを残し突然倒れ大船病院に運ばれた。4月1日に子宮外妊娠による出血多量が原因で死去。31歳没。墓所は大田区了仲寺正蔵院と横浜市鶴見区光明寺。 当時、若い女性達に憧れのスイートガールやダンサーといった、一見派手な経歴から自由奔放な女性だったと思われがちだが、実際の人柄は寡黙でおとなしく控えめだったという。いっぽう1937年の秋に自動車免許を取得し、趣味はドライブといった行動的な面も持ち合わせ、銀座でダットサンを乗り回し松屋前で接触事故をおこすエピソードがある。 金環蝕(監督:清水宏、1934年) 恋愛修学旅行(監督:清水宏、1934年) 東京の英雄(監督:清水宏、1935年) 彼と彼女と少年達(監督:清水宏、1935年)※主演作 感情山脈(監督:清水宏、1936年)※主演作 有りがたうさん(監督:清水宏、1936年) 家族会議(監督:島津保次郎、1936年) 男性対女性(監督:島津保次郎、1936年) 淑女は何を忘れたか(監督:小津安二郎、1937年) 恋も忘れて(監督:清水宏、1937年7月1日)※主演作 男の償ひ・前後篇(監督:野村浩将、1937年) 進軍の歌(監督:佐々木康、1937年) 蛍の光(監督:佐々木康、1938年4月14日) 家庭日記(監督:清水宏、1938年9月29日) - 卯女 向日葵娘(監督:佐々木啓祐、1939年) 新女性問答(監督:佐々木康、1939年)※主演作 兄とその妹(監督:島津保次郎、1939年) 続愛染かつら(監督:野村浩将、1939年) 波濤(監督:原研吉、1939年)※主演作 愛染かつら 完結編(監督:野村浩将、1939年) 愛の暴風(監督:野村浩将、1940年) 西住戦車長伝(監督:吉村公三郎、1940年) 元気で行かうよ(監督:野村浩将、1941年) 戸田家の兄妹(監督:小津安二郎、1941年) 新たなる幸福(監督:中村登、1942年) をぢさん(監督:渋谷実、原研吉、1943年) 假面の舞踏-秘話ノルマントン号事件-(監督:佐々木啓祐、1943年) 不沈艦撃沈(監督:マキノ正博、1944年) 伊豆の娘たち(監督:五所平之助、1945年) 女性の勝利(監督:溝口健二、1946年) ^ 森永製菓の社員で特別に教育を受けた女性スタッフ ^ 森永製菓直営のストア、キャンデーやアイスクリームといった菓子やコーヒーなどの飲み物と軽食を提供しスイートガールが接客した ^ 『女性自身』昭和41年3月14日号「私生児だった桑野みゆきの苦悩と決意」 ^ 上原謙「がんばってます 人生はフルムーン」134頁(共同通信社) 日本映画データベース 桑野通子 桑野通子 - KINENOTE 桑野通子 - allcinema ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ オランダ 日本の女優 松竹の俳優 戦前の松竹の俳優 東京都区部出身の人物 1915年生 1946年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるallcinema人物識別子 すべてのスタブ記事 俳優に関するスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事
2024/11/23 03:35更新
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kuwano michiko
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