氷室京介の情報(ひむろきょうすけ) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
氷室京介と関係のある人
反町隆史: 1998年には憧れだった氷室京介提供作品「ONE」、『GTO』の主題歌「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」をリリースし、いずれもヒット曲となった。 矢沢永吉: サプライズゲストとして、氷室京介、甲本ヒロト、真島昌利、長女の矢沢洋子が出演。 森雪之丞: 炎の化石(作曲:氷室京介) 美久月千晴: 氷室京介 山本耕史: 氷室京介 岡村隆史: オ室京介(氷室京介) 本田みく: 昭和系歌謡曲が好きであり、インタビューでは光GENJIの『パラダイス銀河』、中森明菜、氷室京介『KISS ME』をよく歌う曲として挙げている 山田かまち: 同級生に後にロックバンドであるBOØWYに所属した氷室京介や松井恒松、ソプラノ歌手の出来田三知子がいた。 仲村知夏: ロック色の強い曲を発表し、氷室京介を筆頭に、ホッピー神山や吉田建、レベッカの土橋安騎夫から楽曲提供を受けていたが、大きなヒットには至らず、約3年で活動はほぼ終了した。 細谷圭: 「BANG THE BEAT」氷室京介 森雪之丞: Wild Romance(作曲:氷室京介) 森雪之丞: 1999年からは、氷室京介の作品を数多く作詞。 吉田拓郎: 1988年に拓郎の「たどりついたらいつも雨ふり」をカバーした氷室京介は、物心ついて最初に聴き始めた音楽は、洋楽ではビートルズ、日本では吉田拓郎であるとあかし、自身の中で拓郎はロック歌手であり、ボブ・ディランとかニール・ヤングとかと変わらない存在であると話している。 松井五郎: 黒のラプソディー(氷室京介と共同) 伊藤みう: 「希純(きすみ)」という名前は、氷室京介ファンの父によって、氷室の曲「KISS ME」から名付けられた。 森雪之丞: NORTH OF EDEN(作曲:氷室京介)他、多数 岡井千聖: 尊敬するミュージシャンは氷室京介。 細谷圭: 「KISS ME」氷室京介 ポーキー: 氷室京介スタジアムツアー 井上鑑: アルバム・プロデュース/サウンド・プロデュースしたアーティストは遠藤京子、ECHOES、杏里、EBI、爆風スランプ、酒井ミキオ、我如古より子、川村昌子(箏)、THE VOICE PROJECT、氷室京介、MOON CHILD、小田木望、古川展生(チェロ)、宗次郎(オカリナ)、呉汝俊(胡)、竹松舞(ハープ)、本田美奈子.、吉田兄弟(三味線)など多数。 西平彰: 氷室京介 高橋まこと: 同時期に氷室京介の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだったヤガミトールに焼肉をおごってもらう代わりに、ヤガミの自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。 細谷圭: 「Wild Romance」氷室京介 宇都宮隆: ビブラート等一切使わないストレートな切れ味の良いボーカルを特徴としており、小室は「ボーカル録りにはほとんど立ち会わないから、お互いに一言も話さない時もあるけど、僕の頭の中にあったイメージを細かい語感まで思ったままの形で歌ってくれる」「ウツ・氷室京介さん・西城秀樹さんと、3人の声が有線で流れてきた時に、たまに一瞬わからなくなるときがあった」「『如何に楽曲を生かすか』を考えるボーカリストであり、『アイツに歌わせるとこうなっちゃうんだよね』っていうのが全くない稀有なタイプ」と評している。 忌野清志郎: 氷室京介 - BOØWY結成前に参加していたバンドに嫌気が差し、辞めて帰郷することを決意したが、帰る前に日比谷野外音楽堂で行われたRCのライヴを観て、「もう一度バンドをやろう」と思い直した。 告井延隆: 氷室京介のアルバム「FLOWERS for ALGERNON」 松武秀樹: 『SHAKE THE FAKE』 (氷室京介) そうる透: 氷室京介 松本隆: 堕天使(作曲:氷室京介) 大塚ちか: 好きなアーティスト - 氷室京介とCOMPLEX。 |
氷室京介の情報まとめ
氷室 京介(ひむろ きょうすけ)さんの誕生日は1960年10月7日です。群馬出身のミュージシャンのようです。
解散、家族、退社、脱退、テレビ、事件、卒業、現在、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。氷室京介の現在の年齢は64歳のようです。
氷室京介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年〈昭和35年〉10月7日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。血液型はO型。群馬県高崎市倉賀野町出身。所属事務所はBeatNix。公式ファンクラブはKING SWING。既婚。2男1女の父。アメリカ合衆国ロサンゼルス在住。 1982年、氷室狂介の名前で、ロックバンド・BOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。1988年4月5日、およそ7年の活動期間を以てBOØWYは解散する。1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。 1994年以降、国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住した。ロサンゼルスという環境で、本場の名だたるエンジニア、ミュージシャン等との作業がしやすくなったという。近年はセルフプロデュースが主であった。 高校二年生の時に音楽を始める。上京後、バンド活動をしながらヒモのような生活をしていたが、このままではマズイと感じ、「夢を叶えるための仮の姿」だと自分に言い聞かせ、英語教材を販売する会社に就職。40万円のセットがよく売れ、全国売り上げ8位となり月給150万円となる。しかし上司に過度に将来性を期待されることが重荷で、このままでは夢を諦めないといけなくなると考え、上司に「音楽で夢をつかみたいんです」と事情を話し、円満退社する。 1980年
1981年
1982年
1984年
1987年
1988年
1988年
9月1日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』リリース。 10月1日 高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3〜4日、東京ドーム公演と「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は1989年6月28日にビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』としてリリース。 10月7日 セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」リリース。 10月27日 STINGの東京ドーム来日コンサートに出演する。 12月12日 - 15日 KING SWING香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート) 12月31日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』で第30回日本レコード大賞・アルバム大賞、シングル「ANGEL」で金賞をそれぞれ受賞。同番組にも出演。 1989年(平成元年)
7月26日 サード・シングル「SUMMER GAME」リリース。 8月6日「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 9月6日 4作目シングル「MISTY〜微妙に〜」リリース。 9月27日 セカンド・アルバム『NEO FASCIO』リリース。 10月6日 群馬音楽センターで「"NEO FASCIO"TOUR」を開始。 1990年(平成2年)
4月13日 - 18日 KING SWING ハワイツアーを敢行。 5月16日 5作目シングル「JEALOUSYを眠らせて」リリース。 7月7日「GOLDEN AGE OF R&R(日比谷野外音楽堂)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 8月6日「JT SUPER SOUND '90(真駒内陸上競技場)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。このイベントには布袋寅泰も出演していた。 8月12日「ロックンロールオリンピック(スポーツランドSUGO)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 10月27日 ARBのラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(「TOKYO CITYは風だらけ」を競演する)。 12月24日 ビデオ『Birth of Lovers』リリース。 1991年(平成3年)
4月6日 サード・アルバム『Higher Self』リリース。 5月9日 群馬音楽センターで「OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1991年8月22〜23日、横浜アリーナ公演の模様は、1991年11月27日にビデオ『OVER SOUL MATRIX』としてリリース。 8月1日「JT SUPER SOUND '91(日本武道館)」に出演(この模様は日本テレビにて放送。「LOVE & GAME」を演奏する)。 1992年(平成4年)
4月25日 リミックス・アルバム『masterpiece #12』リリース。 11月7日 8作目シングル「GOOD LUCK MY LOVE」リリース。 12月7日 9作目シングル「KISS ME」リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。 1993年(平成5年)
1月11日 横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。 4月28日 ビデオ『CAPTURED CLIPS』リリース。 1994年(平成6年)
9月26日 5作目アルバム『SHAKE THE FAKE』リリース。 10月12日 横浜アリーナで「SHAKE THE FAKE」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1994年12月24〜25日、東京ドーム公演の模様は、1995年12月10日にビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』としてリリース。 この頃から自身の希望によりアメリカでの活動が増える。 1995年(平成7年)
7月19日 シングル・コレクション・アルバム『SINGLES』リリース。 10月 東芝EMIからポリドールへ移籍。個人レーベル“BeatNix”設立。 10月25日 11作目シングル「魂を抱いてくれ」リリース。 1996年(平成8年)
8月15日 13作目シングル「SQUALL」リリース。 9月30日 6作目アルバム『MISSING PIECE』リリース。 1997年(平成9年)
1月15日 14作目シングル「WALTZ」リリース。 5月14日 ビデオ『MISSING PIECE』リリース。 6月4日 15作目シングル「NATIVE STRANGER」リリース。 10月29日 16作目シングル「HEAT」リリース。 12月10日 7作目アルバム『I・DE・A』リリース。 1998年(平成10年)
7月15日 横浜アリーナで「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1998年9月19〜20日、横浜スタジアム公演の模様は、1998年12月9日にCDライヴ・アルバム『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』としてリリースされ、また、12月24日には同じ内容のライヴを収録したビデオ『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』をリリース。 1999年(平成11年)
10月27日 18作目シングル「ダイヤモンド・ダスト」リリース。 12月24日 ビデオ『100152』リリース。 2000年(平成12年)
2月23日 8作目アルバム『MELLOW』リリース。 6月28日 20作目シングル「炎の化石」リリース。同時に、過去にポリドールでリリースされた8cmCDシングル6枚がマキシ・シングルとして再発売された。 10月18日 9作目アルバム『beat haze odyssey』とDVD(CD-ROM)『Digital BeatNix Tower』を同時にリリース。また、結城市民文化センターで「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」を開始。 12月31日 「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」のファイナル公演として国立代々木競技場第二体育館にて自身初となるカウントダウンライブ(公式ファンクラブKING SWING会員限定)を開催。 2001年(平成13年)
9月27日 ベスト・アルバム『Ballad 〜La Pluie』リリース。 2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
7月21日 22作目シングル「Claudia」リリース。同時に過去に東芝EMIでリリースされた8枚のCDアルバムが再発売された。 8月20日 10作目アルバム『Follow the wind』リリース。 8月29日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2003年11月23日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2004年8月18日にDVD『HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM』としてリリース。 2004年(平成16年)
9月8日 23作目シングル「Wild Romance」リリース。 9月19日 羽生市産業文化会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2004年12月25日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演と、2004年11月8日、ZEPP TOKYO公演(Zepp Tokyo ver.)の模様は、2005年12月24日にDVD『SOUL STANDING BY〜』として(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 NBAのシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。 2005年(平成17年)
12月31日〜2006年1月1日に、幕張メッセ国際展示場・9-11ホールで「KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜」と題したカウントダウン・ライヴを行う。そのライヴの模様は、2009年4月29日にDVD『KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE』としてリリース。 2006年(平成18年)
3月31日 DVD『Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006』リリース。 8月2日 GLAYとのコラボレーション・シングル「ANSWER」リリース。 8月5日 - 6日 GLAYと「KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"」を味の素スタジアムで開催した。 10月4日 25作目シングル「SWEET REVOLUTION」リリース。 11月27日 GLAYのツアーを京都会館第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。 12月20日 11作目アルバム『IN THE MOOD』リリース。 2007年(平成19年)
7月16日 ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった)。 2008年(平成20年)
7月20日、さいたまスーパーアリーナで「KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN’ ON -MORAL〜PRESENT-」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2008年9月14日、横浜アリーナ公演の模様は、2009年1月21日にDVD『20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-』としてリリースされ、また、2008年9月2日、日本武道館公演の模様を収録したDVD『20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN』を2009年7月21日に(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 9月21日 KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOURの札幌公演にシークレットゲストとしてGLAYが飛び入り参加。「ANSWER」と「SUMMER GAME」で再度共演する。 2009年(平成21年)
9月27日 LIVE for LOVE We support WaterAid 横浜スタジアム 2010年(平成22年)
9月4日 市原市市民会館にてSpecial Preview Live for KS PREMIUM MEMBERSと題した会員限定ライブ開催。 9月8日 12作目アルバム「"B"ORDERLESS」リリース。 9月9日 日本武道館にてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"を開始。 12月31日 日本武道館にて自身三度目となるカウントダウンライブ開催。 2011年(平成23年)
6月11日(土)、6月12日(日)に東京ドームで東日本大震災の復興支援を目的とするチャリティ公演「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”」が行われた。 EMIミュージック・ジャパンからワーナーミュージック・ジャパンに移籍。 12月17日 幕張メッセイベントホールにてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"を開始。 12月31日 日本武道館にてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"終了。 2012年(平成24年)
8月7日 ニューユニット:GOSPELS OF JUDAS(ゴスペルズ オブ ジュダ)※HIMURO.comにて結成発表。8月7日、HIMURO.com内に、ダウンロードコンテンツ【DiGiTRONiX】を開設。 9月26日 28作目シングル「WARRIORS」リリース。 11月28日 デジタル・シングル「Bloody Moon」リリース。by GOSPELS OF JUDAS [Digital Contents Only] 12月30日、31日 日本武道館にて「CROSSOVER 12-13」31日は4度目のカウントダウンライブ終了。 2013年(平成25年)
3月11日 群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。 5月1日 29作目シングル「NORTH OF EDEN」リリース。初回限定盤は「WARRIORS」のライブ映像と、三池崇史監督との対談映像を収録したDVD付の特別使用。 8月21日 ベスト・アルバム「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」リリース。初回限定盤には25年間のライブ映像が入ったDVDが付属 2014年(平成26年)
7月13日 山口・周南市文化会館で行われたライブ中、同月19・20日の横浜スタジアム2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。のちの「The sun also rises」では歌詞と自身が重なったのか、涙ぐんで歌った。またこの発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは後述の翌々2016年春の横浜スタジアムのリベンジライブに一旦決定したが、のちに4大ドームツアーに変更)。ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している。 7月16日 30作目シングル「ONE LIFE」リリース。 7月19日 アンコールで卒業の理由は耳の不調だと明かす。7年前からある一定のトーンが聞こえづらくなり、利き耳である左耳に頼ってきたが、その左耳でさえもダメージを受け、日本語訳をすると音痴となるトーン・デフを患ったのだという。 7月20日 この日のリハーサルで先日の雨で滑って転び肋骨を折る大怪我を負う。公演では雷の影響で一時中断され、再開時に骨折を公表。これらのハプニングに見舞われながらも「KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」を終了。 2015年(平成27年)
3月14日「Personal Jesus Cafe」が期間限定オープン。住所は渋谷区代官山町20-20モンシュリー代官山B2F。 11月6日 第一弾「LIVE DAM STADIUM」にて来春ライブ演奏候補曲のリクエストキャンペーンが先行スタート。11月9日〜来年1月11日まで。 12月17日 翌2016年春のファイナルコンサートを「LAST GIGS」と題し、決まっていた横浜スタジアムから変更、初の4大ドームツアーとして開催することを発表した。 2016年(平成28年)
4月19日『L'EPILOGUE』で通算12作目のオリコン週間アルバムチャート首位獲得を果たす。 4月23,24日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」京セラドーム大阪 4月29日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」ナゴヤドーム 5月14日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」福岡ヤフオクドーム 5月21,22,23日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京ドームを終了。 2017年(平成29年)
2020年(令和2年)
9月2日、以前から親交があったB'zのギタリストである松本孝弘のソロアルバム「Bluesman」内の楽曲「Actually」に作詞とボーカルで参加。 東京ドームという場所柄、電力消費の問題もあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行ったほか、氷室本人・バックバンドメンバー・コンサートスタッフの全員がボランティアとして参加し、このライブの収益金の全ては復興義援金として寄付された。 「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います。We are down but never give up ! 氷室京介」とコメント。 ライブは、BOØWYの楽曲で全編が構成された。氷室がBOØWYの楽曲を演奏する件に関してはかつてのメンバーである布袋、松井、高橋には寝耳に水であったようで、高橋が氷室にエールを贈ったものの、松井は氷室のアクションを高く評価しつつ、「こんな時だからこそ再び4人で手を握り合い、協力すべきだ」「残念でならない」とコメント。 また、布袋はTwitter上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり、2日ほど沈黙を続けていたが、その後、自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後の再結成も非現実的であることを伝えた。 2日間でライブに参加したオーディエンスは11万人に上り、日本でのチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録した。 このライブの1ヶ月後に布袋と吉川晃司によるロックユニットCOMPLEXが日本一心を行うからか「来月友人たちがここでライブをやりますから…」と二人に向けてに匂わせた発言をした。 GOSPELS OF JUDASとは、氷室と親交の深いクリエイター達が集まり、クリエイティヴィティだけを元に、「自由に遊びから生まれた音楽をデジタルツールを使ってリスナーに届けたい」という想いから、2012年に氷室が立ち上げた【DiGiTRONiX】プロジェクトの一つで、氷室のレコーディングにギタリスト&アレンジャーとして参加しているL.A.在住の日本人ギタリスト滝山幸英(YUKIHIDE TAKIYAMA、通称:YT)とのユニット。 GOSPELS OF JUDASを立ち上げた経緯を氷室曰く「氷室京介という枠に囚われず、自由に楽曲を創出する、そういった想いを共有できるアーティスト仲間と作ったプロジェクト」と語っている。この【DiGiTRONiX】はまさに、アーティスト達の音楽の遊び場「Music Play Ground」として機能している為、GOSPELS OF JUDASの「Play Within A Play」においても、氷室京介名義のオリジナル作品では見られない音楽的アプローチがなされており、全く新しい氷室京介を発見する事になるだろう。 2018年7月18日、1stアルバム『IF』を発表。 2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大ケガを負っている。この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告。同日、氷室の実家に放火した女性が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕、後に熱狂的な氷室、BOØWYファンによる犯行であることも明らかになった。また布袋と高橋によると、過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことも明かされている。 8月21日リリースの「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」のリリースに先駆け、レンタル限定盤として製作された。CD+DVDの2枚組で、CDにはTOUR「SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOΦWY TO HIMURO」より6曲のライブ音源、そして『"GREATEST ANTHOLOGY"』に収録された未発表新曲「The Sun Also Rises」の1コーラス音源を収録。また、DVDには、8月21日発売 「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」初回限定盤付属DVDよりダイジェスト映像を収録。以下収録内容 SUMMER GAME WILD ROMANCE JEALOUSYを眠らせて KISS ME VIRGIN BEAT ANGEL The Sun Also Rises 8月21日発売 「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」初回限定盤付属DVDよりダイジェスト映像 プロデュース・編曲は大村雅朗 帯には「全12曲REMIXによる初ベストアルバム」と表記されている プロデュース・編曲は井上鑑。 同年3月13日に行われた大阪厚生年金会館公演からカバー曲除く全25曲の映像を5回に分けて配信 現在は販売終了 同日発売のDVDから5曲の映像とデジタルブックレットを配信 現在は販売終了 同年9月1・2日に行われた日本武道館公演を収録 同年11月30日に販売終了、2012年10月7日からDiGiTRONiXにて販売再開 2010年12月30・31日に行われた日本武道館公演を収録 同年6月30日に販売終了、2012年10月7日からDiGiTRONiXにて販売再開 CD発売に先駆けて配信 前年に行われたツアーを収録 1曲ごとに分割されておらず、全曲が1つのMP3ファイルに収録されている 代々木公演、日本武道館公演、日本武道館公演と同公演から3曲のMP4(映像)ファイル付セット、全種類入セットの4形態で販売された 2012年10月7日からDiGiTRONiXへ販売サイトが移行 DiGiTRONiX限定販売(MP3ファイル) REMIXと銘打たれてるがボーカル他ほとんどのパートが新録されている 現在は販売終了 Bloody Moon他、『龍が如く5 夢、叶えし者』に使用された7曲を収録 現在は販売終了 この前日行われた日本武道館公演からLOVE & GAME REMIXを無料配信 同月31日に配信終了 前年の日本武道館でのカウントダウン公演を収録 同年行われた東京国際フォーラム公演を収録 同年行われた横浜スタジアム公演を収録 翌年発売の同公演を収録したDVD/Blu-rayに付属するCDと同内容であることを明記して販売された。 同年に行われたライブ活動休止前最後のツアーを全公演分配信 9月に発表された当初は11月から順次ランダムにリリース予定であった DiGiTRONiXは2022年9月30日をもってサービス終了したため、OFFICIAL PIRATES MIXシリーズを始めとする配信限定コンテンツは現在入手不可能。
SPIN RAP詞:JOKER 1988年
KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(15公演、約18万人) 1989年
1990年
1991年
1993年
1994年
1998年
2000年
2003年
KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"(38公演、約12万人) 2004年
KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"(49公演、約14万人、11月8日、Zepp Tokyo ver.を含む) 2005年
KYOSUKE HIMURO COUNT DOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜(12月31日、幕張メッセ)2公演、約4万5千人 2006年
2007年
2008年
2010年
KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS"(52公演)約20万人 2011年
KYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO(12月17日〜31日、6公演) 2012年
2014年
「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」(3月15日〜6月22日)42公演 「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」追加公演(6月27日〜7月20日)8公演 2016年
会場一覧
バンテリンドーム ナゴヤ 福岡ヤフオクドーム 東京ドーム 裸の24時間(1984年、自主制作映画) 全編白黒映画。フィルムは傷んでしまっており、上映は不可能 特命刑事ザ・コップ 第6話(1985年5月24日放送、テレビ朝日) キング・オブ・ロックショー 氷室京介(1989年4月22日、NHK総合、BS(日にち不明)) 89広島コンサート(1989年9月16日、NHK総合(BS[日にち不明] SUMMER GAME等)) エンターテインメント・スペシャル 「氷室京介 48HOURS」- THE SLEEPLESS NIGHTS-(1999年7月9日、NHKBS2) 2006 FNS歌謡祭(2006年12月6日、フジテレビ) NEWS ZERO(2010年9月8日・10月11日・2011年2月15日、2013年8月20日、日本テレビ) 氷室京介 WOWOW SPECIAL〜DOCUMENT OF LAST GIGS〜(WOWOW、2016年6月26日)ナレーションは古舘伊知郎 「SF Rock Station」(1986年10月 - 1987年3月、東海ラジオ) 「TOSHIBA PREMIA 3」(1990年4月〜1992年3月、TOKYO FM) 東芝、I・DE・A(1988年) 資生堂、ピエヌ(2001年) アサヒ飲料、グリーンコーラ、ドライスパークリング(2010年) フォルクスワーゲン「新型Golf Variant」の新TV-CM「Trek+ing」篇(2014年) 龍が如く5 主題歌「Bloody Moon」 (氷室京介が結成した新ユニット、「GOSPELS OF JUDAS」[ゴスペルズ オブ ジュダ]による楽曲) (2012年) Don't Knock The Rock / KING OF ROCK SHOW(1988年)ISBN 9784789704076 HIMURO DOCUMENT 1987-1988(シンコーミュージック、1988年)ISBN 9784401621408 FLOWERS for ALGERNON / KING OF ROCK SHOW(1989年)ISBN 9784789704373 PAPARAZZI(1991年) 吉田拓郎 キャロル RCサクセション 泉谷しげる ジェラルド・ウェイ スティーヴ・スティーヴンス リチャード・スターク ミック・ジャガー グリーン・デイ 山田かまち 東海ラジオ放送 佐伯明 友森昭一 永井利光 後藤次利 ホッピー神山 北島健二 佐橋佳幸 美久月千晴 佐久間正英 田家秀樹 DAITA 加藤正憲 BUCK-TICK 吉川晃司 西山史晃 西平彰 本田毅 Yukihide "YT" Takiyama ^ 芸名の名字「氷室」は、漫画「ワル」(真樹日佐夫作・影丸穣也画)に登場する主人公に由来する。 ^ 同郷ではあったが、当時の二人に面識はそれ程なかった。 ^ 京都に行った際、占い師に「狂」の字を使うのは良くないと言われたため。 ^ 当時の音楽シーンが遅れて来たメディアを通じて一過性のバンドブームに湧く中、誰もやったことのない特設ステージをソロとしてのツアー会場に選んだ。会場では雨に祟られることも多く、BOØWY時代同様必ずしもコンディションの良いステージばかりではなかったが、それはそれまで同様、追われる側として当たり前の音楽シーンとは一線を画すアクションだった。 ^ オフィシャルファンクラブ名(ツアー名でも使われた“KING”はチェスが命名の由来) ^ この時期、前ツアーから共にライブを行って来たバンドといくつかのイベントに出演、翌年にはレコーディングスタイルもバンドとともにスタジオへ入るなど、バンドの中でのボーカリストとしての在り方を追求していた時期といえる。 ^ 「WILD AT NIGHT」「PSYCHIC BABY」「CRIME OF LOVE」「SEX&CLASH&ROCK'N'ROLL」「SUMMER GAME」「ANGEL」「JEALOUSYを眠らせて」を演奏。 ^ 渋谷の街をジャックしたかのような巨大なボードやウォールペインティング、ポスター、その後、珍しくなくなったこれらのプロモーションスタイルは当時は斬新なものだった。 ^ ビデオクリップでコラボレートした新進気鋭の映像集団“PROPAGANDA”は、それまでの自分をとりまく日本のシステムを考え直すほど強烈な感銘を彼に与えたようだ。 ^ 後のインタビューでは「あのまま日本にいたら、きっと自分はダメになっていたと思う」と発言している。 ^ BOØWY時代に「CASE OF BOØWY」と称したライブを行い、またビデオでもリリースされた。バンド解散20周年を迎え、この単独イベントが唯一バンド解散を前提とした企画であったことが公表されている。 ^ 今ツアーは、どこの会場でも熱狂的に迎えられた。ファイナル東京代々木公演のアンコール「Cloudy Heart」で、号泣して歌えなくなるというハプニングが、ノーカットで収録されている。10年たった後も、「印象深いツアーだった」と述べている。 ^ バンドの元フロントマン自らトリビュートしたことに関して、「長年、応援してくれているファンが喜んでくれれば」「当時のバンド仲間に敬意を込めて」「(再結成や様々な問いかけに対する)俺なりの答えです」とコメントした。なお、ライブイベントのサブタイトルの和訳は「温故知新」である。 ^ 15年以上も前の曲が使われた理由として、プロデューサーの野村哲也は以前から氷室京介のファンで、「製作中にずっとこの曲がイメージとして頭にあった」とコメントした。 ^ GLAYが氷室京介のファンであることは以前から有名であるが、対談すら過去に実現しなかった両者のコラボレートが今になって実現した背景にはGLAYがそのとき抱えていた事務所独立に伴うトラブルを聞いた上で氷室が「一緒にやろう」と快諾したとされている。 ^ 出演のきっかけは氷室の息子がMr.Childrenのファンでスタッフ経由でサインを貰ったことがあったためと氷室自身が明かしている ^ このことに対しかつての同僚、布袋寅泰は「一曲でも良いから隣りでギターを弾きたい」とブログでコメントを寄せた。 ^ リクエスト募集は今後WEBを通じても受け付けられる予定だが、それに先行して「LIVE DAM STADIUM」での受付がスタート。 ^ 『FLOWERS FOR ALGERNON』や『NEO FASCIO』等の年代の古いもの ^ 『SINGLES』といったベストアルバム等の、既にリマスタリングされた音源を収録した作品は除く。 ^ 収益金総額669,220,940円(コンサートグッズ販売利益含む)収益金は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に223,073,646円ずつ均等に配分して寄付をさせて頂きました。※HIMURO.comより抜粋 ^ HIMURO.comより抜粋 ^ 2014年6月4日の東京国際フォーラムでのライブMCにて、「実行した女性は、罪をすべて受け入れ、反省し更生する。との事を受け、この問題はすべてチャラ」と氷室本人からファンへの報告を行った。 ^ 本作品の販売により発生する氷室京介本人の著作権料は全額、著作権管理団体JASRACが行っている【東日本大震災復興支援基金「こころ音」基金】に搬出されます。※HIMURO.comより抜粋 ^ 氷室のレコーディングに欠かせないエンジニアNeil Dorfsmanとのセッションが初めて実現したのは、この作品から。 ^ 販売利益は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に当分に配分して寄付 ^ 氷室京介の本名とされる。 ^ 1298日ぶりのステージとなったアリーナクラスを中心に行われた全国ツアー。サポートギタリストにスティーヴ・スティーヴンス本人、ステージデザインにストーンズなどを手掛けるマーク・フィッシャーなど、圧倒的スケールで話題の多かったツアー。 ^ 企画から写真選択に至るまで氷室自身が手掛けた写真集。撮影はローマからカイロ、セイシェルからニューヨークまで世界6カ国を旅しながら、フォトグラファー加藤正憲によって行われた。(当時のコンサート会場、通販限定) ^ “氷室京介(ヒムロキョウスケ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2018年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月30日閲覧。 ^ “ヒムロックがYouTubeに降臨!公式チャンネル開設”. ナタリー. 2023年1月17日閲覧。 ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、129頁。 ^ “10万人が熱狂したBOOWY伝説の解散ライブ「LAST GIGS」完全盤発売へ”. スポーツ報知 (2019年3月5日). 2022年7月4日閲覧。 ^ 「吉川晃司爆笑対談スペシャル ニッポン放送『吉川晃司サングラスをはずして』より 〈晃司vs氷室京介(BOØWY)〉 1986年11月1日放送分」『週刊明星』1987年4月9日号、集英社、64–65頁。 ^ 月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介 p.70 ^ This is my true feeling.BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG ^ LIVE DAM STADIUM 氷室京介 FINAL LIVE SONGS リクエストスタート(2015年11月9日時点のアーカイブ) ^ “【オリコン】氷室京介、初のオールキャリア・ベストで通算12作目アルバム首位”. Oricon. (2016年4月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2070326/full/ 2016年4月19日閲覧。 ^ “【オリコン】氷室京介、『LAST GIGS』DVD&BD総合1位 “キングオブロック”初戴冠”. Oricon. (2017年3月8日). https://www.oricon.co.jp/news/2087113/full/ 2017年3月28日閲覧。 ^ “今年60歳の氷室京介サブスク解禁、アルバムリリースに向けて楽曲制作”. 音楽ナタリー. (2020年7月21日). https://natalie.mu/music/news/388565 2020年7月21日閲覧。 ^ 氷室京介の「全編BOOWY」チャリティーLIVE 残されたメンバー3人が胸中綴る オリコン 2011年4月19日 ^ こんにちは(^^)ざんす。 高橋まことのぼちぼちブログ。 ^ 布袋寅泰の願い「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じ」 オリコン 2011年4月20日 ^ BOΦWY BEAT主義日記 ^ “【インタビュー】GOSPELS OF JUDAS、1st AL発表「氷室さんから受け取ったメッセージは、“音楽だけで、どこまで物語を作ることができるか”」”. BARKS (2018年7月18日). 2020年7月25日閲覧。 ^ “群馬・高崎で3棟全焼、氷室京介さんの実家も 2人けが”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年3月11日). オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130312190921/http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201303110146.html ^ 実家全焼の氷室京介、公式サイトで両親の無事報告 ORICON STYLE 2013年3月11日 ^ “「氷室京介の家に火つけた」出頭の無職女を逮捕”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年3月11日). オリジナルの2013年3月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130311174055/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130311-OYT1T01179.htm ^ 放火犯は“モンスターファン” 東京スポーツ 2013年3月15日 ^ 被害者は氷室京介だけじゃない!怖~いファンのトンデモ事件簿 マイナビニュース 2013年3月16日 ^ @_HOTEI 2013年3月11日のツイートより(2013年4月7日時点のアーカイブ) ^ 今日は寒くなりました、ざんす。「ATMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG」2013年3月14日の記事より ^ ソロ・デビュー25周年を記念して、特別にレンタル限定スペシャルパッケージが登場!(2015年7月17日のアーカイブより引用) ^ 群馬県立藤岡高等学校公式サイト ^ ぴあMOOK「氷室京介ぴあ」ぴあ、2013年8月20日発売、p.13 ^ 『BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS』宝島社、2002年、p.30 HIMURO.COM (@himuro_com) - X(旧Twitter) 氷室京介 Kyosuke Himuro (HIMURO.OFFICIAL) - Facebook HIMURO.COM (himurocom) - Facebook HIMURO.COM (@himuro_com) - Instagram 氷室京介 (@himurokyosuke) - LINE公式アカウント KYOSUKE HIMURO - YouTubeチャンネル KYOSUKE HIMURO - SoundCloud 氷室京介|Warner Music Japan 氷室京介 - Spotify 氷室京介 - Apple Music この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 ISNI MusicBrainz
表 話 編 歴 ANGEL DEAR ALGERNON SUMMER GAME MISTY〜微妙に〜 JEALOUSYを眠らせて CRIME OF LOVE Urban Dance Good Luck My Love KISS ME VIRGIN BEAT 魂を抱いてくれ STAY SQUALL WALTZ NATIVE STRANGER HEAT SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜 ダイヤモンド・ダスト 永遠 〜Eternity〜 炎の化石 Girls Be Glamorous Claudia Wild Romance EASY LOVE/BITCH AS WITCH SWEET REVOLUTION BANG THE BEAT IF YOU WANT WARRIORS NORTH OF EDEN ANSWER
Safe And Sound FLOWERS for ALGERNON NEO FASCIO Higher Self Memories Of Blue SHAKE THE FAKE MISSING PIECE I・DÉ・A MELLOW beat haze odyssey Follow the wind IN THE MOOD "B"ORDERLESS SINGLES Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜 Ballad〜La Pluie Case of HIMURO 20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST 25th Anniversary BEST ALBUM GREATEST ANTHOLOGY L'EPILOGUE The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜 21st Century Boøwys Vs Himuro KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary SPECIAL LIVE CD RENTAL LIMITED EDITION LOVER'S DAY double happiness masterpiece #12 LOVER'S DAY II KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS NEO FASCIO TURNING POINT Birth of Lovers OVER SOUL MATRIX CAPTURED CLIPS LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR MISSING PIECE The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜 100152 Digital BeatNix Tower CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM 21st Century Boøwys Vs Himuro SOUL STANDING BY〜 Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006 KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD" 20th Anniversary TOUR 2008 L'EGOISTE KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE 20th Anniversary TOUR 2008 Special Live at the BUDOKAN 東日本大震災復興支援チャリティライブ GIG at TOKYO DOME TOUR2010-11 BORDERLESS 50×50 ROCK'N'ROLL SUICIDE SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 12-13 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY DAY-01 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY DAY-02 TOUR2010-11 BORDERLESS 50×50 ROCK'N'ROLL SUICIDE at BUDOKAN LAST GIGS THE COMPLETE FILM OF LAST GIGS ONE Keep the faith BOØWY EMIミュージック・ジャパン ワーナーミュージック・ジャパン 表 話 編 歴 ホンキー・トンキー・クレイジー BAD FEELING わがままジュリエット B・BLUE ONLY YOU Marionette 季節が君だけを変える DAKARA MORAL INSTANT LOVE BOØWY JUST A HERO BEAT EMOTION PSYCHOPATH “SINGLES” THIS BOØWY THIS BOØWY DRASTIC THIS BOØWY DRAMATIC BOØWY THE BEST "STORY" “GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 “LAST GIGS” “GIGS” CASE OF BOØWY GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION “GIGS” CASE OF BOØWY COMPLETE “LAST GIGS” COMPLETE “GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 NAKED “GIGS” CASE OF BOØWY -THE ORIGINAL- LAST GIGS -THE ORIGINAL- Memories of 1224 MORAL-TRANCE MIX INSTANT LOVE HAMMER TRANCE BOØWY Tribute BOØWY Respect MORAL+3 ORCHESTRATION BOØWY BOØWY 1224 FILM THE MOVIE 2013 ORIGINAL SOUNDTRACK BOØWY COMPLETE BOØWY SINGLE COMPLETE BOØWY Special 7inch Box BOØWY VIDEO “GIGS” CASE OF BOØWY SINGLES OF BOØWY "LAST GIGS" 1224 GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986.11.11〜1987.02.24 “GIGS” BOX “LAST GIGS” COMPLETE BOØWY Blu-ray COMPLETE 1224 -THE ORIGINAL- IMAGE DOWN NO. NEW YORK CLOUDY HEART BOØWYの作品 ユイ音楽工房 東芝EMI 吉川晃司 山下久美子 COMPLEX ビーイング Template:氷室京介 Template:布袋寅泰 日本の男性シンガーソングライター 日本の男性ロック歌手 日本の男性ポップ歌手 日本のロック・ミュージシャン 日本の男性作曲家 日本の編曲家 日本の音楽プロデューサー ワーナーミュージック・ジャパンのアーティスト EMIミュージック・ジャパンのアーティスト ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト BOØWYのメンバー 聴覚障害を持つ人物 在アメリカ合衆国日本人のミュージシャン 群馬県立藤岡高等学校出身の人物 群馬県出身の人物 1960年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 2024/11/21 17:34更新
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氷室京介と同じ誕生日10月7日生まれ、同じ群馬出身の人
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