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池上彰の情報 (いけがみあきら)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

池上彰の情報(いけがみあきら) ジャーナリスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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池上 彰さんについて調べます

■名前・氏名
池上 彰
(読み:いけがみ あきら)
■職業
ジャーナリスト
■池上彰の誕生日・生年月日
1950年8月9日 (年齢73歳)
寅年(とら年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
長野出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

池上彰と同じ1950年生まれの有名人・芸能人

池上彰と同じ8月9日生まれの有名人・芸能人

池上彰と同じ出身地長野県生まれの有名人・芸能人


池上彰と関係のある人

白川周作: 池上彰の世界の見方 アメリカ


パックン: 池上彰の緊急スペシャル 世界が驚いたビン・ラディン殺害日本人がわからない何故に答える(2011年5月15日、テレビ東京) - 宮崎美子とコメンテーター


タナカサキコ: 池上彰の現代史を歩く〜Walking through Modern History〜


井上真央: テレビ東京開局50周年特別企画「池上彰のJAPANプロジェクト〜50年前のニッポン 未来のニッポン〜」(2014年4月12日、テレビ東京) - ナビゲーター


増田ユリヤ: 『わたしたちにも教えて!イスラム教・中東問題』池上彰共著 汐文社 2002年


青木柚: TBSバラエティ「教えてもらう前と後 池上彰と日本が動いた日『君たちはどう生きるか』SP」内 再現ドラマ(2018年5月1日) - 浦川(アブラアゲ) 役


増田ユリヤ: 『突破する教育 世界の現場から、日本へのヒント』池上彰共著 岩波書店 2013年


北村晴男: 池上彰のニュースそうだったのか!!(テレビ朝日) - 常連ゲスト


神保悟志: “池上彰と学ぶ なるほど!富士山7つの秘密”. 静岡朝日テレビ. 2019年2月1日閲覧。


浅野史郎: 同番組で司会を務めていた池上彰は自身の著書 で、放送後の年末に「今年一番印象に残ったことは?」と問われた浅野が、「週刊こどもニュースの質問」と答えたという後日談を明かし、同番組での同様の質問に対して「忙しいから答えられない」と返答した当時の青島幸男東京都知事と比較して、「子供の声に真剣に耳を傾けたのは立派だった」とした。


増田ユリヤ: 『環境問題について考えよう』池上彰共著 学習研究社 ニュース探検隊 世の中のギモンをすいすい解決! 2007年


宮本隆治: ボクらの時代(12月13日、フジテレビ)大塚範一、池上彰と対談


白川周作: 池上彰の世界の見方 インド


服部桂吾: テレビ東京 池上彰の現代史を歩く 「第26回 日本中が驚いた大事件SP~特殊部隊&函館ハイジャック事件 」再現 奥村稔


東根作寿英: 池上彰のJAPANプロジェクト ニッポンの底力スペシャル「紙つなげ!」(2014年11月9日)


大江麻理子: 「池上彰の緊急生放送スペシャル「世界が驚いた“ビンラディン殺害”日本人がわからない何故に答える!」」(2011年5月15日)


田丸裕臣: 池上彰の世界を見に行く!(テレビ東京)


鈴木卓朗: ここがポイント!!池上彰解説塾


西村博之: でも、本来は池上彰さんとか大人でまともな人がまともな発言したらいいのに、そういう人たちが忖度して何も言わなくなってしまったのでこうなったんじゃないですか? だからまずは『大人がふがいない』ことが先なんじゃないかって思う」と発言。


大島由香里: 教えてMr.ニュース 池上彰のそうなんだニッポン(2011年1月21日) - 毎日新聞社でのロケーション


武田広: TXN衆院選SP 池上彰の総選挙ライブ(テレビ東京、2012年12月16日、ナレーション)


増田ユリヤ: 『今だからこそ!国際理解』池上彰共著 汐文社 2001年


パトリック・ハーラン: 日曜ビッグバラエティ「池上彰の世界を見に行く2」「池上彰の世界を見に行く3」(2011年2月6日・4月3日、テレビ東京)


細川茂樹: 池上彰の選挙スペシャル(2010年7月11日、テレビ東京) - ゲスト


大吉洋平: “変わる”が分かる!池上彰のどーなる?ジャーナル(2019年・2023年)


寺脇康文: 池上彰のJAPANプロジェクト ニッポンの底力スペシャル「紙つなげ!」(2014年11月9日) - 主演


若林幸樹: 池上彰が選ぶ 日本の運命を決めたニュース(2014年7月28日、テレビ朝日)


井ノ原快彦: 池上彰と宇宙の旅2018(2018年3月28日、TBS)- 司会


大吉洋平: 池上彰と石井亮次のコロナ1000日カレンダー~今だから言える私の本音~(2023年2月7日の19:00 - 21:57に関西ローカルで生放送)


中井和哉: 池上彰の経済"新"辞典(2022年11月20日、テレビ東京)


池上彰の情報まとめ

もしもしロボ

池上 彰(いけがみ あきら)さんの誕生日は1950年8月9日です。長野出身のジャーナリストのようです。

もしもしロボ

来歴、人物などについてまとめました。卒業、テレビ、父親、ドラマ、事件、事故、映画、姉妹、趣味、現在に関する情報もありますね。池上彰の現在の年齢は73歳のようです。

池上彰のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

池上 彰(いけがみ あきら、1950年〈昭和25年〉8月9日 - )は、日本の教授、ジャーナリストである。長野県松本市出身。

名城大学教授、東京工業大学リベラルアーツ教育院特命教授、東京大学定量生命科学研究所客員教授、日本大学文理学部客員教授、立教大学客員教授、共立女子大学客員教授、信州大学、愛知学院大学経済学部特任教授、順天堂大学特任教授、学校法人瓜生山学園京都芸術大学客員教授、特定非営利活動法人日本ニュース時事能力検定協会理事、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。

かつてはNHKで、社会部記者やニュースキャスターを歴任。記者主幹だった2005年で退職したことを機にフリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活動している。

1950年8月9日 - 長野県松本市にて誕生。

1969年3月31日 - 東京都立大泉高等学校卒業

1973年3月 - 慶應義塾大学経済学部(国家独占資本主義論専攻)卒業

1973年4月 - NHKに記者として入局。

2005年3月 - 定年を待たずNHKを退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして活動。

2007年5月 - アイティメディア株式会社の社外取締役就任予定の旨が発表される。

2009年

    4月 - 信州大学経済学部特任教授に就任。

    6月 - 「一身上の都合」によりアイティメディア株式会社の社外取締役を辞任する旨が発表される。

    2011年 - 番組出演・取材などで多忙を極めたため、同年3月一杯ですべてのテレビ・ラジオ番組への出演を休止。ただ東日本大震災の発生もあり、2012年4月までは、レギュラー番組を持たない一方で、不定期で特別番組に出演していた。

    2012年2月 - 東京工業大学リベラルアーツセンター専任教授に就任。

    2014年4月 - 愛知学院大学経済学部特任教授、日本大学文理学部客員教授 に就任。

    2015年4月 - 名城大学特別講師に就任。

    2016年3月 - 東京工業大学定年退職。

    2016年4月 - 名城大学教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授、立教大学グローバル教育センター客員教授に就任。

    2017年4月 - 順天堂大学特任教授 に就任

    来歴

    生い立ち

    長野県松本市に生まれ、東京都練馬区で育つ。池上家のルーツは松本で、祖父の代に東京に移り住んだ。父は東京で就職し、転勤先の松本で母と出会い、彰が生まれた。父親は銀行員。子供の頃の愛読書は『クオレ』だった。また、父親が池上が小学生の時に買って帰り、「読め」と言って手渡したのが『君たちはどう生きるか』であり、2017年同書が新装版となって刊行された際にまえがきを寄稿した。練馬区立光和小学校、練馬区立開進第三中学校卒業

    小学5年生の時に、地方新聞記者の活躍を描いた『続地方記者』(1962年、朝日新聞社)と出会ったことと、東京都立大泉高等学校在学中に、広島抗争において暴力団と対決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』(NETテレビ(現:テレビ朝日))を観たことがきっかけで、記者を志すようになる。高校ではラグビー部に入ったが、補欠の上にタックルの練習をしているうちに腰を痛めてしまったため辞めた。

    慶應義塾大学経済学部へ進学後、当時は学園紛争の真っ只中であったが、自身が目の当たりにした紛争と、報道される内容とのギャップに違和感を覚え、正しい報道をすべく実家の購読紙でもあった朝日新聞社をはじめとした新聞社と、日本放送協会 (NHK) への就職を希望した。しかし「これからはテレビの時代」という想いと、日本放送協会の記者になれば必ず地方勤務から始まることが決め手となり、最終的に日本放送協会への入社を決めることとなった。

    NHK時代

    1973年4月1日、日本放送協会 (NHK) に記者として入局。

    同期にはアナウンサーの宮本隆治、大塚範一がいる。入局当初から「初任地は小さな町で」「通信部への転勤」を自ら希望し、松江放送局、広島放送局呉通信部(現、呉支局)などで勤務した。NHK松江放送局では3年間勤務し、記者が少なく一人ひとりの担当が多いという事情もあり島根県警察本部・松江警察署・松江地方裁判所・広島高等裁判所松江支部・松江市役所・日本銀行松江支店を担当し、結果的に検察・警察・裁判所および地方の県政・統治機構を学び、日本という国の仕組みを「ミニ国家」である地方から学ぶことができたとしている。1976年のロッキード事件ではNHKの全国各局から若手記者が招集され、池上も松江放送局から取材の応援に加わった。呉通信部(現、呉支局)では記者2人とさらに少なく、カメラマンとしての役割やラジオ放送の原稿執筆なども行った。また、呉通信部勤務では取材中に暴力団に囲まれるという『ある勇気の記録』さながらの体験もしたという。

    報道局社会部記者

    1979年8月より東京放送局報道局社会部に異動し警視庁・気象庁・文部省・宮内庁などを担当する。東京異動1年目は3つの区役所と9つの警察署だけをひたすら回るという任務をこなし、2年目からは社命により警視庁の殺人・強盗・放火・誘拐の専門記者となり、1980年8月の新宿西口バス放火事件や、1982年2月のホテルニュージャパン火災、日本航空350便墜落事故などを取材した。1983年5月に発生した日本海中部地震でも、実際に事故事件、震災の現場に自ら赴いた。1985年8月12日の日本航空123便墜落事故では、池上が都内で書いた第一報を当時の松平定知が7時の定時ニュースで伝えている。このJAL123便事故をテーマにしたドラマ『クライマーズ・ハイ』(2005年12月 NHK)で、劇中で使用された当時の実際のニュース映像中で取材中の池上を確認できる。

    報道キャスター

    1989年4月から『ニュースセンター845』、1990年からは『イブニングネットワーク』のキャスターをそれぞれ担当する。この時に(これまで自らも記者として書いていた)ニュース原稿とは「こんなにわかりにくくて、つまんないのか!」と衝撃を受けたことが非常に大きな転機となる。原稿を書き換えられるデスクの立場でもあったことから、池上は自分が読むニュース原稿をわかりやすく修正するようになり、また『ニュースセンター845』では、番組の最後に何気なくダジャレを交えることもあった。さらに1994年から退職する2005年まで『週刊こどもニュース』で、ニュースに詳しい「お父さん」役として編集長兼キャスターを担当する。ニュースについての解説本『これが「週刊こどもニュース」だ!』(2000年集英社文庫)も注目を集めた。週刊こどもニュースの担当について池上は、番組を通じてニュースってのはこんなにわかりやすくできるんだよということを示せばいろんなところに影響力を及ぼすんじゃないか、大人が見てくれるんじゃないか、という思いがあったという。

    2005年3月、役職定年前でNHKを退局しフリーランスのジャーナリストに転身した。もともと池上はNHKでジャーナリストとしてのキャリアを全うするため解説委員になることを望んでいたが、解説委員長から「解説委員というのはある専門分野をもっていなきゃいけない。お前には専門分野がないだろう」と言われ、解説委員への望みを絶たれたことが退局の契機になった。また記者出身であったことからテレビに出て恥をかくより原稿を書いていた方が楽しく、原稿書きに専念したい、という思いが当初はあったとしている。

    フリーランス転身後

    退職後は活動の場を広げ、2005年8月6日放送の日本テレビ『世界一受けたい授業』で民放初出演を果たす。以降、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)など、報道・情報系の番組に多数登場している。

    2008年10月からは、『学べる!!ニュースショー!』(テレビ朝日)に、ニュース解説者としてレギュラー出演し、分かり易く丁寧な語り口が幅広い世代から好評を得て、徐々に人気を集めることとなる。同番組が2009年秋に終了した後は、各局で池上を解説者として迎えた同様のコンセプトの番組が次々制作された。なお、『学べる!!ニュースショー!』の復活を望む声が多く寄せられたため、特番として不定期放送されるようになり、2010年春から『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』(以下『学べるニュース』と略記)と番組名を変えてレギュラー化した。

    2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙の選挙特別番組『池上彰の選挙スペシャル』(テレビ東京系・BSジャパン)で総合司会を担当。2010年12月31日から翌年1月1日未明にかけて放送された『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ6時間半スペシャル!!』では、「事前収録分と生放送を織り交ぜながらニュース解説だけで年を越す」というコンセプトの下で、総合司会から生放送パートのニュース解説役まで務め上げている。2011年12月31日には、前回より1時間長い『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ7時間半スペシャル!!』が放映された。

    2010年10月6日に発売された浜田省吾の音楽DVD『僕と彼女と週末に』では、日本の近代史から現代史における各テーマをまとめた100ページ余りの解説文を寄稿、2011年1月4日にはテレビ東京系で映画「サウンド・オブ・ミュージック」ハイビジョン完全復元版を放送した際にナビゲーターを務める など、ジャーナリストの域を超えた活動にも取り組んでいる。

    一方では並行して「朝日新聞」に全国紙の紙面を比較・論評するコラム「池上彰の新聞ななめ読み」を連載。他にも、著書の執筆や雑誌・ニュースサイトへの連載等、多忙を極め、次第にジャーナリストとしての活動や体調に支障を来すようになった。そのため2011年1月12日に、「今後は取材・執筆活動に専念したい」と同年3月いっぱいで全てのテレビ・ラジオ番組への出演を休止することを発表する。同月19日には、番組降板の理由に「ニュースを分かりやすく解説する番組が増えてきたこと」を挙げた上で、「(番組で定期的にニュースを解説するという)私の役割は終わった。今後は一(いち)ジャーナリストに戻ります」と公言した。実際には、降板予定直前の2011年3月に東日本大震災が発生したため、同年4月まで『学べるニュース』や震災関連番組へ連日出演し、生放送のスタジオ進行・解説にとどまらず被災地に赴き自ら取材を行っている。

    2011年5月1日には、ジャーナリスト代表として「毎日新聞」の第三者機関である「『開かれた新聞』委員会」の委員に就任する。尚、競合誌である「朝日新聞」の「新聞ななめよみ」の連載も続けている。

    その後はテレビ東京系を中心に不定期放送の特別番組へ出演。同年9月以降は、大学での公開講義に資料映像を連動させた冠番組が、同局やBSジャパンで相次いで放送されている。2012年10月には、同局の「特別ニューヨーク特派員」に任命されるとともに、2012年アメリカ合衆国大統領選挙をめぐる取材を同国各地で担当。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では同局系の開票特別番組『池上彰の総選挙ライブ』でメインキャスターを務めた。

    2012年2月1日付で、東京工業大学の学内共同研究教育施設・リベラルアーツセンターの専任教授に着任した。これを打診された際に職員に対して、(同校卒の)菅直人のような人間を再び輩出しないことが目的なのかと尋ね、苦笑いされたとしている。

    同年4月からは、同大学で社会科学系科目の一部を受け持つかたわら、古巣・NHK(Eテレ)の新番組『メディアのめ』でテレビ番組へのレギュラー出演を本格的に再開。その一方で、特別番組への出演や、信州大学・京都造形芸術大学での教授職も続けている。

    2013年には、前年放送の『池上彰の総選挙ライブ』(前述)が高く評価され、第5回伊丹十三賞を受賞。4月18日の授賞式では、別番組でアフリカ・中東地域の国連難民キャンプを取材した経験から、賞金(100万円)の全額を国際連合世界食糧計画WFP協会に寄付することを発表した。また、6月23日の東京都議会議員選挙に於ける東京MXテレビ開票特別番組『首都決戦2013 池上彰の都議選開票速報』と、7月21日第23回参議院議員通常選挙のテレビ東京開票特別番組『池上彰の参院選ライブ』でそれぞれメインキャスターを務めた。

    2014年には、第18代東京都知事猪瀬直樹の辞職に伴う東京都知事選挙の公示直前(1月6日)に、第79代内閣総理大臣を務めた細川護煕と会食。会食後に細川が無所属での立候補を表明したことから、全国紙の一部で「細川から池上に出馬を打診した」「池上が細川に立候補を促した」という旨の記事が掲載された。これに対して、池上は『朝日新聞』同月31日付朝刊の連載コラム「池上彰の新聞ななめ読み」の中で、「中立であるべき立場のジャーナリストが、選挙で特定の人物に立候補を促すことは、決してやってはいけない行為」という見解を基に記事の内容を否定。「細川から立候補を打診されたが、投開票の当日(2月9日)にテレビの特番(テレビ東京系列の開票特別番組『池上彰の都知事選ライブ』)へ出ることを理由に断った」「細川には、一部週刊誌での報道を基に、立候補の意思を確認しただけに過ぎない」として、池上へ直接取材せずに、伝聞調で記事をまとめていることに対しても苦言を呈した。結局、池上は当初の予定通り、2月9日に『池上彰の都知事選ライブ』でメインキャスターを担当。4月からは、愛知学院大学の特任教授へ就任するとともに、テレビ朝日の新しい冠番組『ここがポイント!!池上彰解説塾』(『学べるニュース』シリーズの姉妹番組)にレギュラーで出演している。

    その一方で、2014年2月10日には、テレビ朝日の開局55周年を記念した約3時間の冠番組『池上彰が選ぶ 日本を変えたニュース55年史』をテレビ朝日系列で放送。同年4月12日には、テレビ東京の開局50周年特別番組『池上彰のJAPANプロジェクト』でキャスターを務める。

    2014年8月、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事(8月5・6日)についての感想および論評を示すことを内容とした「朝日新聞は謝罪するべきだ」とする批判記事を同新聞のコラム「新聞ななめ読み」8月29日付に掲載しようと原稿を提出したところ、その前日28日になって「掲載できない」とする連絡が飛び込み、池上はこの連載の中止を申し出た。この件が一部週刊誌で報道されたため、朝日新聞の対応につき、社外だけでなく、同社に属する記者からもtwitterを通じた批判が上がり、同社は、同日夜に池上に対し「掲載したい」と連絡をつけた。9月4日朝刊に、池上の執筆した記事を全文掲載し、自身のコメントを「おことわり」として加えることで池上は掲載に承諾した。この回以降の執筆については「全くの白紙」としている。その後、朝日新聞は、9月11日、木村伊量社長が行った記者会見(別件であるいわゆる吉田調書問題について謝罪するもの)のなかで、本件を言論封殺と批判されたことが「思いもよらぬ批判」だったとした上で、判断は杉浦信之取締役編集担当によるものだったとした。また池上本人は、この一連の出来事について「言論封殺」と批判的に報道したメディアの中にも同様の事例は多数あるとして、「その新聞社の記者たちは『石を投げる』ことはできないと思うのですが」と書いている。

    第二次世界大戦の終戦から70年目に当たる2015年には、「朝日新聞」が1月30日付朝刊から「新聞ななめ読み」の掲載を再開。池上自身は、4月1日付で名城大学の特別講師へ就任する一方で、大戦に関する解説・ドキュメンタリー番組へ相次いで出演している。8月1日に日本テレビ系列で放送された『戦後70年特別番組 いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜』(広島テレビ制作)では、NHKの記者時代に原爆問題を取材していた縁でナビゲーターを務めた。

    朝日新聞の「新聞ななめ読み」の掲載を再開した同年1月30日、テレビ東京の番組で大江麻理子と行った中東取材のガイドとして同行したことが縁で池上と親交があり、ISILによる日本人拘束事件の人質として拘束されていたジャーナリスト後藤健二が殺害された。これについて池上は、事件に関する署名記事を2月2日の「朝日新聞」に寄稿した。

    2016年3月31日付で東京工業大学を定年退職し、同年4月から東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授および名城大学教授に就任。

    同年10月13日、池上と『池上彰の選挙ライブ』のチームが第64回菊池寛賞を受賞。

    2017年4月には順天堂大学の特任教授として就任し、同大学国際教養学部主催「国際教養特別講義」にて授業を行っている。

    人物

    読書や新聞スクラップ、地図収集、ダジャレが趣味で、海外に行くと必ずその国の地図を購入するが、北朝鮮の地図は入手するのが難しかったという。酒は飲まないが、全く飲めないというわけではなく、コップ半分くらいなら飲めるらしい。テレビ出演が多いが、「本が“本”業」と述べており、「本“も”書いている」よりも「テレビ“にも”出ている」と言われる方が嬉しいという。ダジャレに関しては評判が悪く、番組スタッフに「やめてください」と言われてもめげずに言い続けるという。TRF、ZARDのファンである。

    大学受験の時はZ会の国語を利用しており、日本語の読解力がついたと感じたのはこの時だと述べている。

    インターネットについては、情報収集の目的で積極的に活用する一方で、比較的自身の露出には消極的な姿勢を取っている。個人としては、公式ブログやTwitter・Facebookの公式アカウントなどを一切持っていない。その一方で、『週刊こどもニュース』のディレクターだった杉江義浩が運営(現在は松本千恵が運営)する「池上彰ファンクラブ」および同クラブの公式サイトを公認。インターネット向けにコラムを掲載したり、ニコニコ生放送の番組に出演するなど、表現の場として裾野を広げている。

    ドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉「両側から燃え尽きるロウソクでありたい」を座右の銘としている。「全力でいろいろなことに当たりたい」という意味である。

    NHK呉通信部に勤務していた縁から、広島東洋カープのファン。きっかけは、呉支局勤務時代にいわゆる「江川事件」が起こり、巨人に対して不信を抱くようになったため。

    NHK記者時代から、一貫して「難しく思われがちな社会の出来事を、なるべく分かりやすく噛み砕く」というスタンスを持っている。ほかにも「国際問題は地図を見れば分かる」という持論を繰り返し唱えている。右翼・左翼といったデリケートな用語の解説を行ったり、2010年の参議院選挙の特別番組『池上彰の選挙スペシャル』において、日本遺族会や創価学会、日本教職員組合、全特といった政党の支持母体を取り上げたりしたこともある。これについて、池上は自分の著書で「タブーを池上が切り込んだと騒がれるが、自分はただ当たり前のことを言っただけ」と語っている。

    大平正芳を、特徴的な口調の「アー、ウー」を除いて記録すると、理路整然とした文章となることを理由に、歴代で最も聡明な総理大臣として挙げている。また細川護熙首相であった当時、自らと同じく、新聞スクラップが趣味であることに親近感を抱いていた。

    朝日新聞阪神支局襲撃事件については、「政治や社会のあり方を批判するのは、日本を良くしたいから。それを「反日」って何? 怖い時代に入りつつあるのかな、と思ったよね」と、インタビューに答えている。2008年5月3日の「第21回言論の自由を考える5・3集会」(朝日新聞労働組合主催)では司会を務めた。

    「売国」という言葉については、「日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です」とし、少なくとも言論報道機関は使うべき言葉ではないとしている。また、「言論報道機関は両論併記するべきであるが、朝日新聞は論調に反する意見も載せているのに対し、読売新聞、産経新聞の2紙について、それができていない」と批判している。

    時事ニュース解説

    ニュース解説で多用する「いい質問ですねぇ!」は2010年、ユーキャンの主催する「新語・流行語大賞」の上位10位入りし、テレビ朝日「池上彰の学べるニュース」プロデューサーの丹羽敦子が代理で受賞した。池上によると、この言葉が使われるケースは2つあり、1つは番組の流れ上、本来解説したい話題から離れてきている時に、本筋に戻せるような質問がされた時。もう1つは、質問そのものによって、池上自身がそのニュースに対しての認識を新たにする場合である。梶原しげる(文化放送出身のフリーアナウンサー)も、「素朴な疑問を投げかけてくれた聞き手への感謝の言葉である」と分析している。

    梶原は、池上の話術の特徴として、「『アメリカは強いなあ』と北朝鮮は心配した」などさまざまなものを擬人化した上で直接話法を多用していること、さらに聞き手の好奇心を刺激し解説に引き込ませるために質問したくなる話を用意していることなどを挙げている。

    自身の人気については「単なるバブル」と冷静に捉えつつも、「ニュースを知ろうとするきっかけになったのであれば望外の喜び」としている。テレビでの解説は、最大公約数的にならざるを得ず、深く掘り下げられないことは、本を執筆する動機になるとしている。テレビでの解説は「起承転結」で言うところの「結」を最初に持ってくることで、移り気な視聴者の興味を引くようにしているのに対し、講演会ではじっくり聞いてもらうため、起承転結の通りに話すと述べている。

2024/06/16 12:58更新

ikegami akira


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池上 季実子(いけがみ きみこ、1959年〈昭和34年〉1月16日 - )は、日本の女優・タレント。本名:臼井 季実子。 アメリカ・ニューヨーク生まれ、京都府京都市育ち。堀越高等学校卒業。祖父は歌舞…

池上 美弥子(いけがみ みやこ)
1970年3月8日生まれの有名人 鹿児島出身

池上 美弥子(いけがみ みやこ、1970年3月8日 - )は、鹿児島県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー。 鹿児島県出身。鹿児島純心女子短期大学卒業。 学生時代からアナウンサー志望で、それ…

池上 真麻(いけがみ まあさ)
1976年6月10日生まれの有名人 神奈川出身

池上 真麻(いけがみ まあさ、1976年6月10日 - )は、日本のライフスタイルコーディネーター・フラワーデザイナー。株式会社サロンドール代表取締役社長。セント・フォース・ゾーン所属。 かつては青…

池上 麻里子(いけがみ まりこ)
1968年12月13日生まれの有名人 神奈川出身

池上 麻里子(いけがみ まりこ、1968年12月13日 - )は、日本の女性声優。かつては九プロダクションに在籍していた 。神奈川県出身。勝田声優学院を卒業。本名同じ。 ジャングルの王者ターちゃん…

池上花英(いけがみ かえ)
3月28日生まれの有名人 広島出身

池上 花英(いけがみ かえ、3月28日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、タレント。広島県出身。女性。O型。武蔵野美術大学卒。 2021年より実子をモデルにした『きいちゃんはダウン』を連載。…

池上 嘉彦(いけがみ よしひこ)
1934年2月6日生まれの有名人 京都出身

池上 嘉彦(いけがみ よしひこ、1934年2月6日 - )は、日本の言語学者。専門は記号論・意味論・詩学。東京大学教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。昭和女子大学大学院特任教授。 1934年、京…

池上 晴夫(いけがみ はるお)
1930年4月25日生まれの有名人 長野出身

4月25日生まれwiki情報なし(2024/06/19 06:31時点)

池上 永一(いけがみ えいいち)
1970年5月24日生まれの有名人 沖縄出身

池上 永一(いけがみ えいいち、1970年5月24日 - )は、日本の小説家。沖縄県出身。本名は又吉真也。血液型はO型。 那覇市に生まれ、3歳より中学卒業まで石垣島で育つ。 沖縄県立開邦高等学校…

池上 麗子(いけがみ れいこ)
1973年9月27日生まれの有名人 東京出身

池上 麗子(いけがみ れいこ、1973年(昭和48年)9月27日 - )は、日本の元女優、元モデル・グラビアアイドル、元歌手。東京都出身。血液型O型、身長154cm、46kg。スリーサイズ(B/W/H…

池上 リョヲマ(いけがみ りょをま)
1974年9月12日生まれの有名人 大阪出身

池上 リョヲマ(いけがみ りょをま、本名:池上竜馬、1974年9月12日 - )は、日本の俳優。フリー(2018年1月 - )。大阪府出身。関東学院大学文学部卒業。特技はジャンベ(アフリカ太鼓)篠笛、…

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