河口俊彦の情報(かわぐちとしひこ) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
河口 俊彦さんについて調べます
■名前・氏名 |
河口俊彦と関係のある人
丸田祐三: 河口俊彦は「不朽の定跡」と評している。 佐藤大五郎: 昔ながらの豪傑風の「将棋指し」の代表格としてよく河口俊彦の著書などにその言行が引用される。 塚田正夫: 河口俊彦は、塚田の人柄を下記のように評している。 森安秀光: 河口俊彦によると、第43期名人戦挑戦者決定リーグ最終戦で米長に敗れた後、森安は「どうして米長さんは僕をいじめるんだ」と言ったという。 先崎学: 森は河口俊彦に理由を聞かされるまで、何かやらかして師匠の米長に説教されたものと思っていた。 先崎学: 結果こそ行方の圧勝で意地を見せることは出来なかったが、直後に河口俊彦が両者を酒席に誘い、仲直りはできたという。 東公平: 1987年、河口俊彦らと「将棋ペンクラブ」を創設。 先崎学: 河口俊彦が『将棋マガジン』『将棋世界』で約30年続けた名連載「対局日誌」の終了を受けて、2006年8月号から2008年8月号まで「先崎版・対局日誌」とでも言うべき「千駄ヶ谷市場」を連載していた(2009年1月号より野月浩貴が引き継いだ形で『熱局探訪』の連載を開始している)。 大山康晴: 一方、河口俊彦は、毎日新聞社が、朝日新聞社の嘱託棋士であった升田に悪意のある仕打ちをしていたというのは、升田の考えすぎであろう、という趣旨を述べている。 桐山清澄: 代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。 大山康晴: 大山が1992年に死去した後、藤井猛が大山の棋譜を徹底的に研究して藤井システムを創案し、それを駆使して1998年度に初タイトルとなる竜王を獲得した際に、藤井の将棋と大山の将棋が酷似していると感じた米長邦雄は、「嫌な者」(大山)が生き返ってきたかのようだ、という趣旨の発言をしたという(河口俊彦による)。 大山康晴: 同じく河口俊彦は、当時の大山に勝てる棋士は関西に存在せず(升田幸三・七段は、昭和18年11月に二度目の召集を受けて出征していた)、そもそも、死にに行く出征棋士に勝とうなどと思う棋士がいる訳もなく、大山が1敗を喫したのは不思議である。 土佐浩司: 大野八一雄七段や河口俊彦七段らと将棋会館の五階で囲碁を打つこともあった(1995年1月川口篤(当時)「対局日誌」)。 大山康晴: 河口俊彦は、大山も何もしなくても七段に昇段できたはずなのに、あくまでも実力での昇段を望んだのは、真の将棋指しであった大山の人柄を表している、と評している。 丸田祐三: 1961年(昭和36年)度の名人戦(大山康晴名人に挑戦して1勝4敗で敗退)の第4局(丸田が勝利)について、記録係を務めた河口俊彦は、序盤・中盤・終盤と完璧な指し回しであり、丸田の強さに瞠目した、と評している。 大崎善生: 1991年に『将棋世界』編集長となり、真部一男「将棋論考」、河口俊彦「新・対局日誌」などを企画する。 |
河口俊彦の情報まとめ
河口 俊彦(かわぐち としひこ)さんの誕生日は1936年11月23日です。神奈川出身の将棋棋士のようです。
引退、現在、テレビ、趣味に関する情報もありますね。2015年に亡くなられているようです。
河口俊彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - 2015年1月30日)は、将棋棋士。2002年、引退。将棋ライター。神奈川県横須賀市出身。小堀清一九段門下。棋士番号95。 奨励会に16年在籍し、30歳でようやく四段に昇段しプロ棋士となった。これを機に奨励会在籍に年齢制限が設けられたこともあり、長い間最長記録となっていた(奨励会の在籍年数は、1992年に伊藤能が17年という新記録を作りこれを超えた)。 1971年度(第13期)王位戦予選では、当時A級に在位していた加藤一二三を、1975年度(第8回)早指し戦予選では元名人の塚田正夫を、第1回(1982年度)全日プロ2回戦では名人失冠直後で王位のタイトルを有していた中原誠を、それぞれ破る殊勲を挙げた。 河口には棋戦優勝・タイトル挑戦など、卓越した実績はないものの、順位戦では参加10期目となる1976年度(第36期)昇降級リーグ戦4組(現在のC級2組に該当)で8勝2敗(33名中2位)の好成績を収め、41歳の高齢で昇級を決める。以降19期にわたりC級1組に在籍し続けた。 C級1組在籍2期目で迎えた1978年度(第38期)順位戦では、前期からの連続昇級を遂げた谷川浩司に当期順位戦における唯一の黒星を喫させた。 難関と言われた十段戦の予選準決勝まで進んだことが2回ある(第14期、第18期)。 2002年3月に現役を引退し、将棋関係の著述に専念。 2015年1月30日、腹部大動脈瘤のため死去。78歳没。没後、日本将棋連盟より、八段を追贈される。 第4回早指し将棋選手権(1回戦で北村昌男に勝利) 第1回オールスター勝ち抜き戦 第12回早指し将棋選手権(1回戦で丸田祐三に勝利) 第6回名将戦 第3回オールスター勝ち抜き戦 第14回早指し将棋選手権 第31回NHK杯テレビ将棋トーナメント(1回戦で小林健二に勝利) 第8回オールスター勝ち抜き戦 第10回オールスター勝ち抜き戦 第40回NHK杯テレビ将棋トーナメント 現役棋士時代から将棋観戦記、エッセイなどで活躍。一般に報道されない日々の対局の模様を将棋棋士の生きかたを含めて活き活きと描いた「対局日誌」をペンネーム・川口篤(当時)で「将棋マガジン」誌に1978年2月の創刊号から連載を開始し注目される。その後、いったん連載を中止するが、「将棋世界」誌に1995年1月から「新・対局日誌」として再度掲載、2006年7月号まで30年近くにわたる連載となった。文章は自然でありながら、対局場面や心理描写が的確にかつ詳細に記述されており、連載が長期間続いたことからも分かるとおり、高い評価を得ていた。 1987年、東公平らと「将棋ペンクラブ」を創設。初代会長をつとめた。 棋士や将棋記者からは「老師」と呼ばれることがある。 将棋の著述活動の功績により引退後に将棋大賞(東京記者会賞)を受賞している。また大山康晴と周辺の人物を描いた「大山康晴の晩節」で将棋ペンクラブ大賞を受賞した。 趣味は囲碁で、真部一男によると将棋界でもかなりの打ち手とされている。アマチュアの神奈川県代表となったこともある(ちなみに囲碁の強い棋士としては河口、真部の他、花村元司、大山康晴、升田幸三、北村文男(囲碁・将棋双方のプロだった)、丸田祐三、佐藤庄平、二上達也らが挙げられる。現役では土佐浩司の他、囲碁部が結成され活動している)。 観戦していた対局が終了した後に対局者たちと早朝まで酒場ですごす場面が著作に多く描かれているが、本人は下戸で、アルコールは飲めない体質だった。 1951年(昭和26年)00月00日 - 6級(奨励会入会) 1956年(昭和31年)00月00日 - 初段 1966年(昭和41年)10月01日 - 四段(プロ入り) 1973年(昭和48年)11月03日 - 五段(贈五段 : 表彰感謝の日表彰) 1984年(昭和59年)04月01日 - 六段(勝数規定) 2000年(平成12年)04月01日 - 七段(フリークラス規定) 2002年(平成14年)03月31日 - 引退 2015年(平成27年)01月30日 - 八段(追贈) 367勝563敗 第32回(2004年度) 東京記者会賞 1991年 現役勤続25年表彰 第15回(2002年度)将棋ペンクラブ大賞を「大山康晴の晩節」で受賞 『つよくなるぼくらの将棋入門』(1981年、新星出版社)2000年再版 ISBN 978-4405065314 『勝ち将棋鬼のごとし プロ将棋の勝負師たち』(1982年、力富書房)ISBN 978-4897760049 - 初期(昭和52年度〜)の「対局日誌」 『のこぎり詰 伊藤宗看の将棋無双より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381006097 『けむり詰 伊藤看寿の将棋図巧より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381005960 『勝負の読み方 第40期将棋順位戦より』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760148 - 昭和56年度の「対局日誌」 『決断の一手 第42期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760155 - 昭和58年度の「対局日誌」 『勝機を待つ 第43期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760179 - 昭和59年度の「対局日誌」 『勝因と敗因 第44期将棋名人戦各級順位戦』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760285 - 昭和60年度の「対局日誌」 『プロ将棋ワンポイント講座』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760292 『将棋対局日誌集 1』(1990年、力富書房)ISBN 978-4897767116 - 昭和52年度〜昭和60年度の「対局日誌」 『一局の将棋 一回の人生』(1990年、新潮社)ISBN 978-4103772019。1999年、新潮文庫(1994年10月)ISBN 978-4101265117 『将棋界奇々快々』(1993年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140801161 のちNHKライブラリー(1996年10月)ISBN 978-4140840412 『覇者の一手』(1995年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140802243 のちNHKライブラリー 1998年3月 『人生の棋譜 この一局』(1996年、新潮社)ISBN 978-4103772026。新潮文庫 ISBN 978-4101265124 1999年11月 『新・対局日誌』(全8集、河出書房新社)- 昭和61年度〜平成3年度の「対局日誌」、平成6年度〜平成7年度の「新・対局日誌」
第2集 名人のふるえ(2001年6月)ISBN 978-4309614328 第3集 十年後の将棋(2001年9月)ISBN 978-4309614335 第4集 最強者伝説(2001年12月)ISBN 978-4309614342 第5集 升田と革命児たち(2002年4月)ISBN 978-4309614359 第6集 大山伝説(2002年6月)ISBN 978-4309614366 第7集 七冠狂騒曲(上)(2002年9月)ISBN 978-4309614373 第8集 七冠狂騒曲(下)(2002年12月)ISBN 978-4309614380 『大山康晴の晩節』(2003年、飛鳥新社)
『盤上の人生 盤外の勝負』(2012年、マイナビ)ISBN 978-4839943899 『升田幸三の孤独』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839946456 『最後の握手 昭和を創った15人のプロ棋士』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839949990 『羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―』(2014年、マイナビ)ISBN 978-4839951405 『羽生と渡辺 -新・対局日誌傑作選-』(2015年、マイナビ) ISBN 978-4839954734 『棋士の才能 ―河口俊彦・将棋観戦記集―』(2017年、マイナビ) - 王座戦観戦記 『月下の棋士』能條純一著・河口俊彦監修、小学館 ^ “訃報:河口俊彦さん78歳=将棋棋士七段、作家”. 毎日新聞 (2015年1月31日). 2015年1月31日閲覧。 ^ “<訃報>河口俊彦七段が死去/八段を追贈|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2015年2月2日). 2017年8月25日閲覧。 ^ “将棋大賞受賞者一覧|棋士データベース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。 ^ “河口俊彦|棋士データベース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 河口俊彦|棋士データベース|日本将棋連盟 表 話 編 歴 81 松下力 82 原田泰夫 83 角田三男 84 荒巻三之 85 金子金五郎 86 渡辺東一 , 花村元司 87 山本武雄 88 高柳敏夫 89 廣津久雄 90 佐瀬勇次 91 五十嵐豊一 92 加藤治郎 93 大山康晴 94 蛸島彰子 95 長谷部久雄 96 丸田祐三 97 木村義徳 98 内藤國雄 99 加藤博二 00 関根茂 , 関根紀代子 01 有吉道夫 02 加藤一二三 03 西村一義 04 二上達也 05 河口俊彦 06 瀬川晶司 07 コンピュータ将棋協会 08 真部一男 09 大内延介 10 谷川治恵 11 佐伯昌優 12 勝浦修 13 石田和雄 14 滝誠一郎 15 佐藤義則 16 淡路仁茂 17 森信雄 18 森雞二 19 伊藤果 20 高橋和 21 杉本昌隆 22 桐山清澄 23 田中寅彦 , 中田宏樹 24 小林健二 , 小山怜央 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 将棋棋士 神奈川県出身の人物 1936年生 2015年没 Pages using the JsonConfig extension FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/22 00:29更新
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