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河野一郎の情報 (こうのいちろう)
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【4月3日】今日誕生日の芸能人・有名人

河野一郎の情報(こうのいちろう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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河野 一郎さんについて調べます

■名前・氏名
河野 一郎
(読み:こうの いちろう)
■職業
政治家
■河野一郎の誕生日・生年月日
1898年6月2日 (年齢1965年没)
戌年(いぬ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

河野一郎と同じ1898年生まれの有名人・芸能人

河野一郎と同じ6月2日生まれの有名人・芸能人

河野一郎と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


河野一郎と関係のある人

金田龍之介: 新幹線をつくった男たち(2004年、TX) - 河野一郎


三木武夫: 保守合同時、実力者の河野一郎は旧改進党枠として、副総理兼外務大臣の重光葵留任含みで閣僚ポスト3を約束していた。


小野清子: 2011年の任期満了により理事長を退任し、小野の後任には日本アンチ・ドーピング機構会長などを務めた医学者の河野一郎が就任した。


重政誠之: 農商務省時代に、当時朝日新聞記者だった河野一郎と親交を持ち、自民党では河野派(春秋会)に所属、派閥の金庫番あるいは代貸し的な存在となった。


渡辺美智雄: その後河野一郎の下に身を寄せる。1965年に河野一郎が急死し、河野派(春秋会)で後継者争いが起こると、当時1年生議員だった渡辺は中曽根康弘への派閥継承を主張。


砂田重民: 河野一郎の秘書を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に父・重政の後継者として旧兵庫1区から出馬し初当選。


大野伴睦: 鳩山の追放解除後は三木武吉、河野一郎ら鳩山側近と対立し吉田派に転じた。


池田正之輔: 短躯だが向こうっ気が強く、鼻息の荒い人物で吉田自由党を向こうにした日本自由党を結成した「八人の侍」時代には、同志の河野一郎と大喧嘩をして、河野をして「煎ったピーナッツのようにしてやる」、即ち芽が出ないようにしてやると言わしめた。


上林山栄吉: 自民党内では鳩山一郎・河野一郎に近かったこともあり、1955年第3次鳩山内閣にて郵政政務次官となる。


大野伴睦: 総裁の鳩山、幹事長の河野一郎が公職追放されたのを受け、党人側から政治経験の浅い吉田茂のお目付け役として後任の幹事長に就任する。


戸川猪佐武: 特に出身地の関係から、同じ地元である河野一郎などの「河野一族」や、政界引退後は大磯在住であった吉田茂とは、関係が深かったことが窺える。


四元義隆: 「ぼくは河野一郎が嫌いでね、若いころだったら叩き殺してやるよ」


高峰秀子: 1965年(昭和40年)、市川崑に撮影が依頼された映画『東京オリンピック』が、完成前の試写会で河野一郎(オリンピック担当国務大臣)が内容に疑問を投げるコメントを発したことをきっかけに大論争が巻き起こった際、「とってもキレイで楽しい映画だった。


小野真次: 5選を目指した1963年の選挙には山口喜久一郎や大野伴睦、河野一郎といった国政の実力者たちが出馬の意向を示したため自由民主党内では調整が進められ、最終的には小野の5選を支持した。


尾崎一雄: 政治家河野一郎とは早稲田大学も含め同級生であった。


池田勇人: 岸が辞任を認めないため、今度は反主流派三派、池田、三木、石井らで刷新懇談会を作るなどして岸と主流四派を揺さぶり、また行政協定についても、三木や河野一郎らと謀り、そろって改訂を主張して岸に圧力をかけた。


西尾末広: その後は河野一郎らと興亜議員同盟を結成し、1942年(昭和17年)の翼賛選挙では非推薦で当選する。


東郷青児: 母・はる - 薩摩藩の航海術指南・河野一郎右衛門の娘。


松村謙三: 1964年(昭和39年)- 池田勇人総理退陣時の後継総裁選出について、日中友好及び党人の立場から河野一郎を推す。


村井弦斎: 本人の死後、自宅一部、東側を河野一郎に、西側を小平浪平に売却している。


砂田重政: 次男の砂田勝次郎は河野一郎の秘書を経て、東京・永田町でバナナ輸入会社「砂田産業」を経営、「黒い霧台湾バナナ事件」で名を馳せた日本バナナ輸入組合の初代理事長も務めた。


市川崑: だが、完成前の試写を見たオリンピック担当大臣の河野一郎が、臨席した東京都知事に「記録性に欠ける」と批判めいた感想を漏らし、それを聞いた新聞記者が大々的に報道した ことから、「『東京オリンピック』は記録映画か芸術作品か」という大論争を呼び起こすことになった。


河野洋平: 1937年(昭和12年)、神奈川県平塚市に衆議院議員河野一郎とその妻照子の次男として生まれる。


坂井義則: ^ 河野一郎オリンピック担当国務大臣(早大競走部OB)の意向もあったといわれる。


野田武夫: さらに岸派が池田勇人支持をめぐって分裂すると1962年に河野一郎派へ移った。


大川慶次郎: 」翌1949年、競馬サークル「いななき会」を設立、同会のメンバーであった学生の父親が河野一郎の支援者であった縁から河野を顧問に迎える。


山本悌二郎: 2度目の入閣のときに農相秘書官を務めたのが、政界デビュー直前の河野一郎である。


河野太郎: 祖父は副総理兼東京五輪担当大臣、建設大臣、行政管理庁長官、農林大臣を務めた河野一郎


大石武一: これ以降、通算10回当選し、自由民主党では河野一郎派、河野の死後は中曽根康弘派に所属した。


伊藤宗一郎: 1956年(昭和31年)、第1回日ソ漁業交渉の報道特派員となり、当時の農林水産大臣・河野一郎に同行して、約1ヶ月間モスクワに滞在した。


河野一郎の情報まとめ

もしもしロボ

河野 一郎(こうの いちろう)さんの誕生日は1898年6月2日です。神奈川出身の政治家のようです。

もしもしロボ

現在、兄弟、卒業、解散、引退、事件、家族、ドラマに関する情報もありますね。1965年に亡くなられているようです。

河野一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2日 - 1965年〈昭和40年〉7月8日)は、日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。春秋会(河野派)会長、領袖。

自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力を持ち、県は「河野王国」とも呼ばれた。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。また伊勢神宮社家の生まれである榊原辰雄とも親交が深かった。

参議院議長を務めた河野謙三は実弟。衆議院議長、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表を務めた河野洋平は次男。外務大臣、防衛大臣、規制改革担当大臣を務めた衆議院議員の河野太郎は孫にあたる。

1898年、神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)の豪農・河野家の次男として生まれる。兄は生まれて数か月で夭折している。父・治平(じへい)は、豊川村長、郡会議員、神奈川県会議長などを歴任した人物。母・タミは曽我兄弟の出生地である曽我の出身で、タミの父・長谷川勝五郎は若いときに百姓から建設業者に転向し東海道線の山北トンネル工事を請け負った。また衆議院議員の長谷川豊吉は、タミの伯父に当たる。

一郎は「早く学校に行きたい、行きたい」という強い希望をもっていた。そこで母はその希望に同意し、元来一郎は六月二日生まれだが、戸籍の「六」を「三」に改ざんして、学校に提出し一年先に小学校に入学している。これが後に問題化し、戸籍法違反の廉で、父は監獄に入った。

小学校を卒業後、神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)に入学。中学二年の時に、英語教師の排斥運動を動機としたストライキを起こした。結果的にこの騒動が原因で、一郎を含む首謀者以下十数名がその教師に落第点をつけられ、一年落第させられている。また、当時小田原中の教師であった武田裕吉に「トカゲ」というあだ名をつけたり、仲間のひとりが黒板の溝に本物のトカゲを入れておどかすなど、田舎中学の生徒の考えつく限りの悪戯をしていた。結局、武田は自分から辞めていったが、結果的に嫌がらせや陰湿なイジメをして追い出す格好となってしまったことに一郎は「慙愧の念に堪えない」と反省している。

中学を卒業する頃、久原鉱業の全盛時代であり、日本の工業化が非常な勢いで進められていた。一郎はその風潮の感化を受け鉱山学を勉強しようと志し、早稲田大学の理工科を受験するも不合格となり、一年間中央予備校に通う。二度目の受験後、大学から「理工科は遺憾ながら点数が少し足りない。ほかの学科なら、何科を志望してもよい」という通知を受け取り、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学する。1923年(大正12年)に同大学を卒業。早稲田大学時代は、弟・謙三とともに競走部の陸上長距離選手として鳴らし、草創期の箱根駅伝で活躍。総合優勝も経験している。

大学卒業後に朝日新聞社の入社試験を受け、一次試験に合格するも二次試験で落とされる。しかし、杉浦重剛の推薦で下村海南のところに紹介状をもって出かけて行ったことが機縁で入社する。

1931年(昭和6年)、犬養内閣の山本悌二郎農林大臣の秘書官となり、翌1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に神奈川3区から出馬し、当選。当選後は、立憲政友会に所属した。鈴木喜三郎総裁の後継をめぐる党内抗争では、鳩山一郎を担いで奔走したが、中島知久平が優位に立っていた。河野は、久原房之助を擁立して対抗し、政友会は、正統派(久原派)と革新派(中島派)に分裂するに至る。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では、非推薦で選挙戦を戦い当選した。

終戦後、1945年(昭和20年)11月に旧政友会正統派の勢力を糾合して、鳩山一郎を総裁とする日本自由党を結党。幹事長として、鳩山内閣の結成に奔走するが、1946年(昭和21年)5月4日、鳩山に公職追放令が下り、吉田茂が後継総裁として大命降下をうけ、組閣に取り掛かる。組閣をめぐっては、吉田が旧政党人を軍部に迎合したとみなし、人事について相談しなかったことなどをきっかけとして、不倶戴天の間柄となる。さらに6月20日には、河野自身も公職追放となった。追放中の1948年(昭和23年)に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。1951年(昭和26年)8月7日に追放解除となり、三木武吉と共に自由党に復党。以降は反吉田派の急先鋒として鳩山政権樹立に向けて奔走するが、1952年(昭和27年)9月29日、解散総選挙を目前にして、吉田が鳩山派に打撃を与えるべく、石橋湛山と河野を党から除名した。三木武吉の工作によって、12月に除名取り消しとなる。1953年(昭和28年)3月14日、鳩山、三木ら21名と自由党から分党。内閣不信任案に賛成投票し、バカヤロー解散・総選挙へと繋がるきっかけを作った。11月に鳩山、石橋らが自由党に復帰した後も、三木、河野ら8名の代議士は日本自由党を結成して、自由党反主流派と改進党の連携を模索し、ついに3派を合同させ日本民主党を結成し、鳩山を総裁とし、吉田内閣を打倒する。

1954年(昭和29年)、第1次鳩山内閣で農林大臣に就任し、第2次、第3次鳩山内閣でも農林大臣に留任した。翌1955年(昭和30年)、自由民主党結党に参画し、党内で大派閥の河野派を形成した。

同年6月3日、ロンドンで日ソの国交回復交渉が始まったが、北方領土の扱いを巡り日ソ両国は衝突し交渉決裂となる。この交渉において2島返還などの譲歩を示していたにもかかわらず拒否された形となったソ連は、「漁業制限区域」を設定し日本の漁船を一方的に締め出すという報復に出た。水産業界への打撃は大きく、そこで水産業を所管する農林相であった河野に白羽の矢が立った。日ソ漁業条約を結ぶべく、河野はモスクワへ向かった。1956年4月29日、イシコフ漁業相との交渉が始まるが進展は無かった。埒が明かないと踏んだ河野はブルガーニン首相との直接交渉を要請し、受け入れられた。会談で、ブルガーニンは「日露戦争で貴国が勝った時には、樺太も取れば、漁業の権益も取った。今度は負けたのだから、こっちのいうことを聞くのが当たり前ではないか」と主張し、さらに「私の方でいま残っているのは、国後、択捉の問題だけであって、あとは全部、貴国のいい分を聞いているのだから、問題は解決しているのと同じだ」と述べた。これに対し河野は

と反論した。ブルガーニンは「よくわかった」と答え、その場でイシコフに協力を指示し、漁業条約は締結された。また、国交正常化の交渉を7月31日までに開始することでも合意した。調印式を終えて帰国した河野を、羽田空港では数千人が出迎えた。

1956年、日ソ平和条約交渉でフルシチョフ共産党第1書記を向うに渡り合い、同年10月には日ソ共同宣言を成立させ、鳩山首相と共に調印に扱ぎつけた。鳩山引退後の自由民主党総裁公選では岸信介を支持し、石橋湛山に一敗地にまみれるが、岸内閣成立後は主流派となる。1957年(昭和32年)の内閣改造では、経済企画庁長官として入閣。第2次岸内閣下では党総務会長に就任。しかし、1959年(昭和34年)6月に幹事長就任を岸首相に拒否されたため、反主流派に転ずる。日米安保条約改定では岸内閣に批判的立場を取り、衆議院における強行採決で、河野派は三木派とともに欠席した。

岸退陣後の自民党総裁公選では党人派の結集を画策し、大野伴睦、石井光次郎を擁立するが、官僚派(旧吉田派)の池田勇人に敗れる。一時、河野新党の結成を目論むが、大野らに翻意を促され、断念。大野の仲介により池田首相に接近をはかり、1961年(昭和36年)7月の内閣改造で農林大臣として入閣。1962年(昭和37年)7月の改造では建設大臣として、東京オリンピックに向けた道路や施設の整備に辣腕をふるう。建設大臣を2年務めた後、1964年(昭和39年)7月の第三次池田内閣では、副総理、東京オリンピック担当の国務大臣に横滑りした。この人事が決まった際、河野は「オリンピックについては建設大臣のときにやるべきことはやった。あとは文部大臣の管轄ではないのか」と必ずしも歓迎しない反応を新聞記者に示している。

1963年(昭和38年)7月には、右翼の野村秋介らに、自宅を焼き討ちされている(河野一郎邸焼き討ち事件)。

1964年10月に東京オリンピック終了と共に、池田が病のため退陣表明するに当たっては後継総裁候補の一人に擬せられたが、後継総裁は池田の指名で佐藤栄作に落ち着いた。

1964年11月9日発足の第1次佐藤内閣では、副総理兼体育振興のスポーツ担当大臣を務めたが、1965年(昭和40年)6月3日の内閣改造では、閣内残留を拒否。1ヶ月後の7月8日、大動脈瘤破裂のため急死した。享年68。死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平によると「大丈夫だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだという。

新東京国際空港(現在の成田国際空港)建設にあたっては、建設大臣として強硬に木更津沖埋め立て案を推進していた。1963年8月27日に、航空行政を管轄する運輸大臣であった綾部健太郎から、羽田空港との管制の兼ね合いを理由に木更津案を否定し、代案として富里や霞ヶ浦周辺を候補地として示されたときには、河野は「いったい道路や河川改修はどうするのだ。建設省の手を借りずに何ができるというのだ。羽田など廃港してしまえ。羽田は生鮮品や砂利、セメントなど建設資材の流通基地として存続すれば良い。新空港は木更津沖だ」と大変な剣幕であった。なお、河野は浚渫業を営む小川栄一と近しい関係にあり、産業計画会議が1964年に出した勧告『産業計画会議の提案する新東京国際空港』は河野が松永安左衛門らに働きかけて出させたものだといわれる。

1963年12月11日に運輸省航空審議会が富里を最有力候補とする答申を出した後も、浦安沖など東京湾内の埋立による建設を主張し続けた。河野自身「なぜこんなに(空港問題に)ムキになるのかと、自分でも思うことがある。医療にしろ、三矢問題にしろ、当面の問題がいろいろあるのに、五年さき、八年さきの問題にうき身をやつして、なんになるのだろうなあ。だいたい、そのころ、僕も(運輸相に就任した)松浦君もどうなっているかわからんのにね」と述べていたが、その言葉どおり1965年に急逝した。

新空港の建設地は、河野が死亡した4か月後に運輸省案の『富里八街空港』に一旦内定するが、河野の介入もあって政府部内での意見調整に時間が費やされた結果、地元との調整が全く行われていなかったために、現地での大規模な反対運動を招いた。これらを受けて、翌1966年に空港規模を縮小したうえで、約4 km北東に移動して国有地や公有地が多い成田市三里塚に決定した(→成田空港問題)。

「河野一郎という人物は、肌を接して日常の馬鹿げたことから付き合っていないとなかなか真価は分からない。仲間はとことんまで守りかわいがるが、敵は徹底的にやっつける。地方豪族に特有の一族郎党主義を信条としていた。この中に入り込むと、団結、友情に覆われて、人間が溶かされていく。味方は何でも善、敵は何でも悪というふうになりやすい」 - 中曽根康弘

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元よりあがったが、『日本で国際会議場にふさわしいところは京都である…』との考えで京都市の宝が池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成した建物を見ることなく亡くなっている。地元よりの陳情を抑えての決断であった。

酒がまったく飲めない体質だったが、フルシチョフにコニャックを薦められた際、「国益のために死ぬ気で飲んだ」という(フルシチョフは河野が飲めない体質なのを予め知っていたが、河野はこれを逆手に取り一気飲みした後グラスを逆さにしフルシチョフらを瞠目させた)。そのフルシチョフらと日ソ漁業交渉で渡り合ったとき、興奮してテーブルを叩いたため前にあったティーカップが倒れテーブルクロスが紅茶で汚れたので、河野は苦笑しながら謝罪した。ささいな出来事だが、これがフルシチョフらの河野に対する印象を好転させたという。長い間スターリンの理不尽な暴政に耐えてきた彼らにとって、小さなことでも間違いと分かれば素直に謝る姿が好ましく思われたのである。

1963年7月、憂国道志会の野村秋介により自宅に放火される。その日は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんのか! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当った」と吉田周辺はささやいたと言う。その大磯の吉田邸も46年後の2009年3月に火災で焼失した。

農林大臣時代と建設大臣時代にそれぞれ大臣としての権限を発揮して事務官と技官の棲み分けといった旧例を無視する形で官僚人事を断行した。

河野氏

これ以外にも中部幾次郎・中部謙吉・中部慶次郎・上野十蔵などと縁戚関係にある。

『私の今議会に於ける重要農村対策要綱』全国肥料商協会、1940年。 - 『肥料』(肥料協会)2巻5号の別冊附録:河野会長議会報告集。

『大東亜共栄圏と日本畜産人の覚悟』帝国畜産会〈帝畜叢書 第2輯〉、1942年。 

『自由党の自由経済政策並その農業政策』りべらる社、1946年。 

『今だから話そう』春陽堂書店、1958年。 

春秋会 編『ゆたかな農村めざして 河野一郎講演集』弘文堂、1962年。 

『明日の日本をつくる』知性社、1963年7月。 

    『明日の日本をつくる』知性アイデァセンター、1963年。 

    『日本の将来』恒文社、1965年。 論説集

    伝記刊行委員会 編『河野一郎自伝』徳間書店、1965年。 

    『私の履歴書 第25集』日本経済新聞社、1965年

      他は岸信介、福田赳夫・後藤田正晴・田中角栄・中曽根康弘『保守政権の担い手』日本経済新聞出版社〈日経ビジネス人文庫〉、2007年5月。ISBN 978-4-532-19373-7。https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/19373。 新版

      『河野先生を偲ぶ 河野一郎伝記刊行委員会』春秋会、1966年

      河野洋平『子が語る 父・河野一郎』恒文社、1966年。各・一周忌出版

      小枝義人『党人河野一郎 最後の十年』春風社、2010年。河野洋平監修

      大宅壮一『昭和怪物伝』角川書店、1957年、新版・角川文庫 電子出版、2014年より。以下は各一部

      杉森久英『風雲を呼ぶ男』時事通信社、1977年。「権力への闘争 河野一郎」

      村瀬信一『首相になれなかった男たち 井上馨・床次竹二郎・河野一郎』吉川弘文館、2014年。第3章

      ^ 「8人の侍」と呼ばれた

      ^ いわゆる第二保守党

      ^ 「小説吉田学校」にもそのような描写がある

      ^ 計画案は浚渫業も営んでいた小川栄一がイギリスの港湾埋立業者に設計させたもの。

      ^ 佐藤栄作日記の記録によれば、このとき河野が浦安沖案を持ち出したのは富里計画を推進する運輸省側に揺さぶりをかけるためであり、河野の本命はあくまで木更津案であった模様である。

      ^ 元繋駕競走の騎手でJRA調教師の古川平は、雑誌「優駿」での杉本清との対談で「施設は戦時中から使っていなかった根岸競馬場あたりを活用し、独立寸前まで話が進んでいた」と証言している

      ^ 河野が言い出す数年前に禁止になっていた

      ^ 『官報』第5837号、昭和21年7月1日。

      ^ 高橋利行『永田町の愛すべき悪党たち』PHP研究所 2010年

      ^ 早稲田大学競走部年譜

      ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第12号 昭和23年4月6日

      ^ “河野家三代 領土への挑戦”. NHK政治マガジン. 2021年9月13日閲覧。

      ^ 読売新聞1964年7月19日

      ^ “第48回国会 衆議院体育振興に関する特別委員会 第11号 (昭和40年3月23日)”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1965年3月23日). 2020年2月6日閲覧。

      ^ 成田空港問題シンポジウム記録集編集委員会『成田空港問題シンポジウム記録集 資料編』1995年、20頁。

      ^ 東京新聞千葉支局/大坪景章 編『ドキュメント成田空港』東京新聞出版局、1978年、11-12頁

      ^ 東京新聞千葉支局/大坪景章 編『ドキュメント成田空港』東京新聞出版局、1978年、17-18頁

      ^ 佐藤文生 (1978). はるかなる三里塚. 講談社. pp. 32-41 

      ^ 友納武人『疾風怒濤 県政二十年のあゆみ』社会保険新報社、1981年10月14日、194-196頁。 

      ^ 佐藤栄作 (1998). 佐藤栄作日記〈第2巻〉. 朝日新聞社. pp. 132-133 

      ^ 東京新聞千葉支局/大坪景章 編『ドキュメント成田空港』東京新聞出版局、1978年、23-28頁

      ^ “第46回国会 衆議院建設委員会 第32号 (昭和39年5月27日)発言№025-027 国務大臣 河野一郎”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1964年5月27日). 2020年2月6日閲覧。

      ^ 日本経済新聞 編『私の履歴書 保守政権の担い手』日本経済新聞出版社、2007年、530-531頁。ISBN 978-4532193737。 

      ^ “第3章 戦争と東京大会返上”. www.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2018年11月27日閲覧。

      ^ 野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』小学館、2011年、pp.246 - 250

      ^ 官僚機構研究会 (編) 『農林省残酷物語』 エール出版社、p.32~37

      ^ 官僚機構研究会 (編) 『建設省残酷物語』 エール出版社、p.30~33

      河野一郎伝記刊行委員会 編『河野先生を偲ぶ』春秋会、1966年。 

      戸川猪佐武『河野一族 一郎、謙三、洋平――その反骨の系譜』サンケイ出版〈Sankei drama books〉、1976年。 

      河野一郎『河野一郎自伝』徳間書店、1960年

      『小説吉田学校』、1983年、演:梅宮辰夫

      『新幹線をつくった男たち』、2004年、演:金田龍之介

      『いだてん〜東京オリムピック噺〜』、2019年大河ドラマ、演:桐谷健太

      『華麗なる一族』、1974年、演:河村弘二 ※役名は大川一郎。

      『金環蝕』、1975年、演:河村弘二 ※役名は広野大悟。

      『華麗なる一族』、1974年、演:河村弘二 ※役名は大川一郎。

      『不毛地帯』、1979年、演:河村弘二 ※役名は大川一郎。

      『華麗なる一族』、2007年、演:西田敏行 ※役名は大川一郎。

      『不毛地帯』、2009年、演:亀石征一郎 ※役名は大川一郎。

      『華麗なる一族』、2021年、演:永島敏行 ※役名は大川一郎。

      伊東正義(河野農林大臣のもとで農林事務次官)

      久保正雄

      小田原厚木道路

      『河野一郎』 - コトバンク

      “第46回国会 衆議院予算委員会第四分科会 第2号 (昭和39年2月18日)”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1964年2月18日). 2020年2月6日閲覧。

      小日山直登

      田中武雄

      三土忠造

      村上義一

      平塚常次郎

      増田甲子七

      苫米地義三

      北村徳太郎

      岡田勢一

      小沢佐重喜

      大屋晋三

      山崎猛

      石井光次郎

      三木武夫

      吉野信次

      宮沢胤勇

      中村三之丞

      永野護

      重宗雄三

      楢橋渡

      南好雄

      木暮武太夫

      斎藤昇

      綾部健太郎

      松浦周太郎

      中村寅太

      荒舩清十郎

      藤枝泉介

      大橋武夫

      中曽根康弘

      原田憲

      橋本登美三郎

      丹羽喬四郎

      佐々木秀世

      新谷寅三郎

      徳永正利

      江藤智

      木村睦男

      石田博英

      田村元

      福永健司

      森山欽司

      地崎宇三郎

      塩川正十郎

      小坂徳三郎

      長谷川峻

      細田吉蔵

      山下徳夫

      三塚博

      橋本龍太郎

      石原慎太郎

      佐藤信二

      山村新治郎

      江藤隆美

      大野明

      村岡兼造

      奥田敬和

      越智伊平

      伊藤茂

      二見伸明

      亀井静香

      平沼赳夫

      亀井善之

      古賀誠

      藤井孝男

      川崎二郎

      二階俊博

      森田一

      扇千景

      木村小左衛門

      一松定吉

      一松定吉

      益谷秀次

      増田甲子七

      周東英雄

      野田卯一

      佐藤栄作

      戸塚九一郎

      小沢佐重喜

      竹山祐太郎

      馬場元治

      南条徳男

      根本龍太郎

      遠藤三郎

      村上勇

      橋本登美三郎

      中村梅吉

      河野一郎

      小山長規

      瀬戸山三男

      橋本登美三郎

      西村英一

      保利茂

      坪川信三

      根本龍太郎

      西村英一

      木村武雄

      金丸信

      亀岡高夫

      小沢辰男

      仮谷忠男

      竹下登

      中馬辰猪

      長谷川四郎

      櫻内義雄

      渡海元三郎

      渡辺栄一

      斉藤滋与史

      始関伊平

      内海英男

      水野清

      木部佳昭

      江藤隆美

      天野光晴

      越智伊平

      小此木彦三郎

      野田毅

      原田昇左右

      綿貫民輔

      大塚雄司

      山崎拓

      中村喜四郎

      五十嵐広三

      森本晃司

      野坂浩賢

      森喜朗

      中尾栄一

      亀井静香

      瓦力

      関谷勝嗣

      中山正暉

      扇千景

      増田甲子七

      周東英雄

      野田卯一

      佐藤栄作

      戸塚九一郎

      大野伴睦

      緒方竹虎

      三好英之

      大久保留次郎

      正力松太郎

      川村松助

      鹿島守之助

      石井光次郎

      山口喜久一郎

      村上勇

      西川甚五郎

      小沢佐重喜

      川島正次郎

      佐藤栄作

      増原惠吉

      福田篤泰

      前尾繁三郎

      二階堂進

      木村武雄

      野田武夫

      西田信一

      渡海元三郎

      福田一

      江﨑真澄

      町村金五

      福田一

      天野公義

      小川平二

      加藤武徳

      渋谷直蔵

      後藤田正晴

      原健三郎

      松野幸泰

      加藤六月

      稲村佐近四郎

      河本嘉久蔵

      古賀雷四郎

      綿貫民輔

      粕谷茂

      坂元親男

      井上吉夫

      阿部文男

      砂田重民

      木部佳昭

      谷洋一

      伊江朝雄

      北修二

      上原康助

      佐藤守良

      小里貞利

      小沢潔

      高木正明

      岡部三郎

      稲垣実男

      鈴木宗男

      井上吉夫

      川崎二郎

      二階俊博

      森田一

      扇千景

      西村英一

      丹羽兵助

      金丸信

      天野光晴

      田沢吉郎

      櫻内義雄

      中野四郎

      園田清充

      原健三郎

      松野幸泰

      加藤六月

      稲村佐近四郎

      河本嘉久蔵

      山崎平八郎

      綿貫民輔

      奥野誠亮

      内海英男

      野中英二

      石井一

      佐藤守良

      西田司

      東家嘉幸

      井上孝

      上原康助

      左藤恵

      小沢潔

      池端清一

      鈴木和美

      伊藤公介

      亀井久興

      柳澤伯夫

      井上吉夫

      関谷勝嗣

      中山正暉

      扇千景

      扇千景

      石原伸晃

      北側一雄

      冬柴鐵三

      谷垣禎一

      中山成彬

      金子一義

      前原誠司

      馬淵澄夫

      大畠章宏

      前田武志

      羽田雄一郎

      太田昭宏

      石井啓一

      赤羽一嘉

      斉藤鉄夫

      中野洋昌

      高橋是清

      岡崎邦輔

      早速整爾

      町田忠治

      山本悌二郎

      町田忠治

      山本悌二郎

      後藤文夫

      山崎達之輔

      島田俊雄

      山崎達之輔

      有馬頼寧

      櫻内幸雄

      伍堂卓雄

      酒井忠正

      島田俊雄

      近衛文麿

      石黒忠篤

      井野碩哉

      山崎達之輔

      千石興太郎

      松村謙三

      副島千八

      和田博雄

      吉田茂

      木村小左衛門

      平野力三

      波多野鼎

      永江一夫

      周東英雄

      森幸太郎

      広川弘禅

      根本龍太郎

      広川弘禅

      小笠原三九郎

      広川弘禅

      田子一民

      内田信也

      保利茂

      河野一郎

      井出一太郎

      赤城宗徳

      三浦一雄

      福田赳夫

      南条徳男

      周東英雄

      河野一郎

      重政誠之

      赤城宗徳

      坂田英一

      松野頼三

      倉石忠雄

      西村直己

      長谷川四郎

      倉石忠雄

      赤城宗徳

      足立篤郎

      櫻内義雄

      倉石忠雄

      安倍晋太郎

      大石武一

      鈴木善幸

      中川一郎

      中川一郎

      渡辺美智雄

      武藤嘉文

      亀岡高夫

      田沢吉郎

      金子岩三

      山村新治郎

      佐藤守良

      羽田孜

      加藤六月

      佐藤隆

      羽田孜

      堀之内久男

      鹿野道彦

      山本富雄

      近藤元次

      田名部匡省

      宮澤喜一

      畑英次郎

      加藤六月

      大河原太一郎

      野呂田芳成

      大原一三

      藤本孝雄

      越智伊平

      島村宜伸

      中川昭一

      玉澤徳一郎

      谷洋一

      谷津義男

      武部勤

      大島理森

      亀井善之

      島村宜伸

      小泉純一郎

      岩永峯一

      中川昭一

      松岡利勝

      赤城徳彦

      若林正俊

      遠藤武彦

      若林正俊

      太田誠一

      石破茂

      赤松広隆

      山田正彦

      鹿野道彦

      郡司彰

      林芳正

      西川公也

      林芳正

      森山裕

      山本有二

      齋藤健

      吉川貴盛

      江藤拓

      野上浩太郎

      金子原二郎

      野村哲郎

      宮下一郎

      坂本哲志

      小里泰弘

      江藤拓

      膳桂之助

      石橋湛山

      高瀬莊太郎

      和田博雄

      栗栖赳夫

      泉山三六

      青木孝義

      周東英雄

      周東英雄

      山崎猛

      池田勇人

      小笠原三九郎

      水田三喜男

      岡野清豪

      愛知揆一

      高碕達之助

      高碕達之助

      宇田耕一

      河野一郎

      三木武夫

      世耕弘一

      菅野和太郎

      迫水久常

      藤山愛一郎

      宮澤喜一

      高橋衛

      藤山愛一郎

      宮澤喜一

      菅野和太郎

      佐藤一郎

      木村俊夫

      有田喜一

      小坂善太郎

      内田常雄

      倉成正

      福田赳夫

      野田卯一

      倉成正

      宮澤喜一

      小坂徳三郎

      正示啓次郎

      河本敏夫

      塩崎潤

      河本敏夫

      金子一平

      平泉渉

      近藤鉄雄

      中尾栄一

      原田憲

      愛野興一郎

      越智通雄

      高原須美子

      相澤英之

      越智通雄

      野田毅

      船田元

      高鳥修

      久保田真苗

      寺澤芳男

      高村正彦

      宮崎勇

      田中秀征

      麻生太郎

      尾身幸次

      堺屋太一

      額賀福志郎

      額賀福志郎

      麻生太郎

      竹中平蔵

      与謝野馨

      大田弘子

      与謝野馨

      林芳正

      菅直人

      荒井聰

      海江田万里

      与謝野馨

      古川元久

      前原誠司

      甘利明

      石原伸晃

      茂木敏充

      西村康稔

      山際大志郎

      後藤茂之

      新藤義孝

      赤沢亮正

      斎藤隆夫

      船田享二

      船田享二

      殖田俊吉

      工藤鉄男

      本多市郎

      岡野清豪

      広川弘禅

      橋本龍伍

      木村篤太郎

      野田卯一

      本多市郎

      塚田十一郎

      西田隆男

      川島正次郎

      河野一郎

      大久保留次郎

      石井光次郎

      山口喜久一郎

      益谷秀次

      高橋進太郎

      小沢佐重喜

      川島正次郎

      山村新治郎

      増原恵吉

      福田篤泰

      田中茂穂

      松平勇雄

      木村武雄

      荒木万寿夫

      中村寅太

      浜野清吾

      福田赳夫

      保利茂

      細田吉蔵

      松沢雄蔵

      荒舩清十郎

      西村英一

      荒舩清十郎

      金井元彦

      宇野宗佑

      中曽根康弘

      斎藤邦吉

      後藤田正晴

      廃止

      石井光次郎

      砂田重政

      佐藤栄作

      河野一郎

      益谷秀次

      石井光次郎

      保利茂

      赤城宗徳

      藤山愛一郎

      中村梅吉

      前尾繁三郎

      福永健司

      椎名悦三郎

      橋本登美三郎

      鈴木善幸

      中曽根康弘

      鈴木善幸

      灘尾弘吉

      松野頼三

      江﨑真澄

      中曽根康弘

      倉石忠雄

      鈴木善幸

      二階堂進

      田中龍夫

      細田吉蔵

      金丸信

      宮澤喜一

      安倍晋太郎

      伊東正義

      水野清

      唐沢俊二郎

      西岡武夫

      佐藤孝行

      木部佳昭

      武藤嘉文

      塩川正十郎

      森喜朗

      深谷隆司

      池田行彦

      小里貞利

      村岡兼造

      堀内光雄

      久間章生

      丹羽雄哉

      二階俊博

      笹川堯

      田野瀬良太郎

      小池百合子

      塩谷立

      細田博之

      野田聖子

      二階俊博

      細田博之

      竹下亘

      加藤勝信

      鈴木俊一

      佐藤勉

      福田達夫

      遠藤利明

      森山裕

      鈴木俊一

      鳩山一郎

      吉田茂

      河野一郎

      大野伴睦

      三木武吉

      吉田茂

      星島二郎

      安藤正純

      北昤吉

      星島二郎

      芦田均

      大村清一

      増田甲子七

      板谷順助

      片山哲

      鈴木雄二

      萩原寿雄

      岩本信行

      磯崎貞序

      岡崎勝男

      岩本信行

      小金義照

      河野謙三

      中西伊之助

      片山哲

      河野一郎

      小金義照

      岩本信行

      岡崎勝男

      片山哲

      安藤覚

      河野一郎

      岡崎勝男

      小金義照

      河野一郎

      片山哲

      森島守人

      安藤覚

      小金義照

      森島守人

      河野一郎

      岩本信行

      片山哲

      小金義照

      森島守人

      河野一郎

      小金義照

      安藤覚

      片山哲

      河野一郎

      平林剛

      安藤覚

      木村剛輔

      小金義照

      河野洋平

      河村勝

      加藤万吉

      平林剛

      小濱新次

      河野洋平

      小濱新次

      河村勝

      小金義照

      平林剛

      河野洋平

      小濱新次

      増本一彦

      平林剛

      河村勝

      甘利正

      加藤万吉

      戸沢政方

      小濱新次

      加藤万吉

      戸沢政方

      戸沢政方

      加藤万吉

      甘利正

      橋本文彦

      加藤万吉

      甘利明

      橋本文彦

      加藤万吉

      甘利明

      戸沢政方

      加藤万吉

      河上覃雄

      甘利明

      藤井裕久

      藤井裕久

      甘利明

      河上覃雄

      加藤万吉

      中島章夫

      平沼亮三 1929 - 1958

      春日弘 1959 - 1964

      河野一郎 1965

      河野謙三 1965 - 1975

      青木半治 1975 - 1999

      河野洋平 1999 - 2013

      横川浩 2013 - 2021

      尾縣貢 2021 - 現在

      20 得能末吉*

      21 金持嘉一

      22 河野一郎*

      23 関谷忠男*

      24 永谷寿一*

      25 天野重朗

      26 西川行雄

      27 湯本幸一

      28 山本巌雄

      29 森豊彦*

      30 権泰夏*

      31 倉西胖*

      32 角谷保次

      33 岩崎源五平*

      34 金恩培*

      35 島村乙也

      36 松永重*

      37 細川欽三*

      38 山崎政夫

      39 堀池善三郎

      40 片岡忠司

      41 中止

      42 中止

      43 落合静雄

      44 中止

      45 中止

      46 中止

      47 牧野博

      48 安藤寿雄

      49 牧野信弘

      50 南木信吾

      51 黒木弘行

      52 石川通雄

      53 室矢芳隆*

      54 日置一樹

      55 布上正之

      56 横山和五郎

      57 神代秀富

      58 浪川貢*

      59 武内修一郎*

      60 杉崎孝*

      61 杉崎孝*

      62 小森照夫

      63 師岡溢哺*

      64 井上鉄石*

      65 師岡溢哺

      66 蜂谷和明*

      67 細川博*

      68 健木栄司*

      69 増田亮一*

      70 田中末喜*

      71 小沢欽一*

      72 大場文夫

      73 大花弘美

      74 野中三徳*

      75 下村剛

      76 小林雄二

      77 萩谷隆司

      78 吉元政昭

      79 新地憲宏

      80 中島修三

      81 前田直樹

      82 倉橋賢二

      83 中沢栄

      84 伊藤雅弘

      85 矢野哲

      86 石原典泰*

      87 松本卓也*

      88 石垣英士

      89 幸保雅信

      90 福永秀樹

      91 大場康成*

      92 川崎光年

      93 武井隆次*

      94 小林正幹

      95 國増尚吾

      96 渡邉聰

      97 小林雅幸

      98 中野幹生

      99 吉田行宏

      00 揖斐祐治

      01 揖斐祐治

      02 空山隆児

      03 岩永暁如

      04 小出徹

      05 糟谷悟

      06 柳沼晃太

      07 鷲見知彦

      08 佐藤悠基*

      09 飛坂篤恭

      10 田中貴章

      11 窪田忍

      12 設楽悠太*

      13 我那覇和真

      14 服部弾馬

      15 小椋裕介

      16 小椋裕介

      17 石橋安孝

      18 林奎介*

      19 林奎介

      20 阿部弘輝*

      21 佐伯涼

      22 岸本大紀

      23 葛西潤/杉彩文海

      24 吉居駿恭

      25 佐藤圭汰(1:00:43)**

      *は区間新、**は現行区間記録

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      河野一郎

      神奈川県選出の衆議院議員

      神奈川県選出の衆議院議員 (帝国議会)

      自由民主党の衆議院議員

      日本民主党の衆議院議員

      自由党(日本 1950-1955)の衆議院議員

      昭和時代戦前の衆議院議員

      昭和時代戦後の衆議院議員

      在職中に死去した衆議院議員

      昭和時代戦後の閣僚

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      日本の建設大臣

      日本の農林大臣

      経済企画庁長官

      公営競技

      公職追放者

      証人喚問された人物

      戦前の朝日新聞社の人物

      成田空港問題に関連する政治家

      日本の男子長距離走の選手

      日本陸上競技連盟会長

      箱根駅伝の人物

      馬主

      競輪に関連する人物

      1964年東京オリンピックの関係者

      勲一等旭日桐花大綬章受章者

      私の履歴書の登場人物

      神奈川県立小田原高等学校出身の人物

      早稲田大学出身の人物

      河野治平家

      神奈川県出身の人物

      1898年生

      1965年没

      プロジェクト人物伝項目

2025/04/03 02:38更新

kouno ichirou


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