渡辺国武の情報(わたなべくにたけ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
渡辺 国武さんについて調べます
■名前・氏名 |
渡辺国武と関係のある人
原敬: また財政健全化を主張する渡辺国武大蔵大臣と対立し、1901年(明治34年)5月には伊藤首相と渡辺蔵相が辞職した。 山県有朋: 伊藤内閣は渡辺国武大蔵大臣と旧憲政党員の対立が原因で思うように政権運営が行えず、山縣ら元老らも協力する姿勢を示さなかった。 渡辺千冬: 子爵渡辺国武の養子で、実父は帝室林野局長官や宮内大臣などを歴任した伯爵渡辺千秋(国武の兄)。 大久保利通: 渡辺国武 井上馨: また、明治33年(1900年)の第4次伊藤内閣で大蔵大臣再任が検討されたが、渡辺国武が大蔵大臣を望み、伊藤がやむをえず承諾したため話は流れた。 川田小一郎: 株主総会の日以外は出勤せず、行員を牛込の私邸に呼びつけ、当時大蔵大臣であった渡辺国武も私邸に呼びつけたといわれる。 明治天皇: 外務大臣に陸奥宗光、内務大臣に井上馨、大蔵大臣に渡辺国武、陸軍大臣に大山巌、海軍大臣に仁礼景範、司法大臣に山縣有朋、逓信大臣に黒田清隆、農商務大臣に後藤象二郎、文部大臣に河野敏鎌という、これ以上に有能な顔ぶれは想像しがたい構成となり、前政権より効果を上げ、長期に政権を保つことができた。 |
渡辺国武の情報まとめ
渡辺 国武(わたなべ くにたけ)さんの誕生日は1846年3月29日です。長野出身の政治家のようです。
兄弟、現在、引退に関する情報もありますね。1919年に亡くなられているようです。
渡辺国武のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体:渡邊 國武、1846年3月29日(弘化3年3月3日) - 1919年(大正8年)5月11日)は、明治期の日本の官僚、政治家。勲等は勲一等。爵位は子爵。旧姓は小池。第2次伊藤内閣の大蔵大臣、逓信大臣、第4次伊藤内閣の大蔵大臣を歴任した。兄は伯爵渡辺千秋。 1846年(弘化3年)3月3日、信濃国諏訪郡東堀村(後の長野県岡谷市)にて諏訪高島藩士の家に生まれた。父渡辺政徳は、武士が桃の節句に生まれたのでは具合が悪いということで、藩庁に端午の節句の5月5日生まれと届けている。両親と早く死別したため、兄の千秋とともに祖母の手によって養育された。10歳の時にコレラにかかるが、一命を取り留める。その後、藩校長善館に入り、読書や武芸に精進する。当初、同じ信州出身の兵学者佐久間象山に学ぼうと考えたが、象山が暗殺されたため、江戸藩邸に勤務しながらフランス語などを学ぶ。1868年(明治元年)、京都御所の警備のため藩主諏訪忠礼に従い上洛する。たまたま渡辺が門の警衛に当たっていたときに、大久保利通が鑑札無しで御所に入ろうとしたことを拒否したことが機縁となり、その職務忠実ぶりで目をかけられるようになる。 1871年(明治4年)、廃藩置県の後、伊那県出仕となる。大久保は当時伊那県知事で同郷の永山盛輝を通じ、千秋・国武兄弟を東京に呼び出して民部省勤務とする。1873年(明治7年)大蔵省租税寮7等、ついで6等出仕となる。渡辺は大蔵卿大隈重信、租税頭松方正義、地租改正局総裁の大久保の下、地租改正に取り組む。 征韓論をきっかけに自由民権運動が全国に澎湃とすると、1876年(明治9年)、渡辺は高知県に権県令として派遣される(当時の高知県は現在の徳島県域も含む)。渡辺は内務卿となった大久保に、あえて細かい現地の情報を伝えることはせず、1877年(明治10年)に西南戦争が勃発した際、高知県で西郷軍に呼応して挙兵する動きを押さえることに成功する。1878年(明治11年)に高知県令に昇るが、翌1879年(明治12年)、高知県内の郡合併が内務卿の許可なく行われたとして、責めを負って辞任する。 渡辺は京都に引きこもり、その間に英語、フランス語、ドイツ語を学ぶとともに一切経を読破する。明治十四年の政変(1881年)によって渡辺に期待をかけていた松方正義が参議大蔵卿になり、そのこともあって福岡県令に就任し、官界に復帰する。1882年(明治15年)に松方によって大蔵省に戻り、調査局長、1886年(明治19年)主計局長を経て、1888年(明治21年)大蔵次官に就任する。 1892年(明治25年)、品川弥二郎内相による選挙大干渉によって第1次松方内閣は総辞職した。その後を襲って第2次伊藤内閣が成立する。伊藤博文首相は、組閣に当たり維新の元勲の総出で内閣を組織したが、大蔵大臣には松方前首相の就任が有力視される中、下馬評を覆す形で渡辺が起用された。同年11月、第4帝国議会に政府は予算案を提出する。総選挙に勝利した野党は予算案に反対し、軍艦新造費全額削減と予算案の11パーセント減額修正を求め対立する。このときは明治天皇が6年間御内帑金30万円を下賜し建艦費に充てるという和協の詔勅を発布されたため、政府野党ともに矛を収めた。 1900年(明治33年)、伊藤博文が立憲政友会を結成すると、渡辺は政友会創立委員としてこれを助けた。同年、第4次伊藤内閣の蔵相に就任する。渡辺は緊縮財政のため、官業中止、事業の延期、酒税、砂糖税増税を実施しようとする。衆議院は大隈重信の憲政本党の賛成で通過するが、貴族院の反対にあい、明治天皇の詔勅で危機を脱した。しかし、明治34年度および明治35年度予算案編成に当たり、緊縮財政を主張して現在行われているものも含めた全ての公債発行事業の停止を提案した。政府・政友会は緊縮予算の必要性については認めていたが、そのために地方から政友会の代議士に寄せられていた陳情を星亨と原敬が必死に押し留めて、当時行われていた公債発行事業の完成を優先するという党内合意を取り付けた直後というタイミングだった。 これに対しては旧憲政党系閣僚だけではなく、西園寺公望や金子堅太郎、末松謙澄ら官僚系閣僚からも非難を受けて閣内で孤立した。こうして、第4次伊藤内閣は閣内不統一で総辞職することとなった。このとき渡辺は辞表を奉呈を拒否し、伊藤に辞表撤回を求めたが衆寡敵せず、内閣総辞職後に諭旨免官となった。 閣内不統一を引き起こしながら、辞表を拒否したことで渡辺は失脚し、事実上政界引退を余儀なくされた。それでも欧米を外遊後、日露戦争前後では対露強硬論を主張、戦争後もポーツマス条約反対を主張した。その後、脳卒中の発作を起こし一命を取りとめ、以後麻布の屋敷や伊豆の別荘で静謐な晩年を送った。1919年5月11日死去。73歳。墓所は多磨霊園と金地院にある。 渡辺は生涯独身を通し、兄・千秋の三男・千冬を養子に迎えた。千冬は衆議院議員、貴族院議員、司法大臣を歴任している。ちなみに、孫・武は初代財務官を務めた。 渡辺が独身であった理由として、鳩山和夫の妻で鳩山一郎の母の春子に失恋したためと伝えられている。 1886年(明治19年)11月16日 - 正五位 1888年(明治21年)12月6日 - 従四位 1892年(明治25年)9月26日 - 正三位 1889年(明治22年)
11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1890年(明治23年)6月30日 - 勲四等瑞宝章 1891年(明治24年)5月11日 - 勲三等瑞宝章 1893年(明治26年)6月29日 - 勲二等瑞宝章 1895年(明治28年)8月20日 - 子爵、勲一等瑞宝章 1915年(大正4年)
11月10日 - 大礼記念章 1919年(大正8年)5月12日 - 勲一等旭日大綬章 渡辺政徳━┳渡辺千秋┳渡辺千春━渡辺昭━渡辺允 ┃ ┣(渡辺千冬) ┃ ┗渡辺千夏━野依金城━野依良治 ┗渡辺国武…渡辺千冬┳渡辺武 ┗渡辺慧 渡辺千冬は司法相、渡辺武は大蔵省財務官、渡辺慧は物理学者。渡辺千秋は伯爵となり 渡辺千春は銀行重役でその妻は大山巌の娘、渡辺允は天皇侍従長を務めた。野依良治はノーベル化学賞受賞者。 ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「渡辺国武」 ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。 ^ 『官報』第1635号「叙任及辞令」1888年12月10日。 ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。 ^ 『官報』第1791号「叙任及辞令」1889年6月20日。 ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。 ^ 『官報』第2100号「叙任及辞令」1890年7月1日。 ^ 『官報』第2357号「叙任及辞令」1891年5月12日。 ^ 『官報』第3000号「叙任及辞令」1893年6月30日。 ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。 ^ 『官報』第813号、「宮廷録事 - 恩賜並追賜」1915年4月21日。 ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部) ^ 時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家時事新報 1916.3.29-1916.10.6(大正5)、神戸大学新聞記事文庫 国立国会図書館 憲政資料室 渡辺国武関係文書(所蔵) 国立国会図書館 憲政資料室 渡辺国武関係文書(MF:個人蔵) 表 話 編 歴 松平慶永 伊達宗城 大久保利通 大隈重信 佐野常民 松方正義 松方正義 渡辺国武 井上馨 松田正久 西園寺公望 曾禰荒助 阪谷芳郎 桂太郎 山本達雄 若槻禮次郎 高橋是清 武富時敏 寺内正毅 勝田主計 市来乙彦 井上準之助 勝田主計 濱口雄幸 早速整爾 片岡直温 三土忠造 藤井真信 町田忠治 馬場鍈一 結城豊太郎 賀屋興宣 池田成彬 石渡荘太郎 青木一男 櫻内幸雄 河田烈 小倉正恒 賀屋興宣 津島壽一 広瀬豊作 渋沢敬三 石橋湛山 矢野庄太郎 栗栖赳夫 北村徳太郎 泉山三六 大屋晋三 臨時代理 池田勇人 向井忠晴 小笠原三九郎 一万田尚登 佐藤栄作 水田三喜男 田中角栄 福田赳夫 植木庚子郎 愛知揆一 大平正芳 坊秀男 村山達雄 金子一平 竹下登 渡辺美智雄 宮澤喜一 橋本龍太郎 海部俊樹 羽田孜 林義郎 藤井裕久 武村正義 久保亘 三塚博 松永光 宮澤喜一 宮澤喜一 塩川正十郎 谷垣禎一 尾身幸次 額賀福志郎 伊吹文明 中川昭一 与謝野馨 藤井裕久 菅直人 野田佳彦 安住淳 城島光力 麻生太郎 鈴木俊一 加藤勝信 表 話 編 歴 榎本武揚 後藤象二郎 黒田清隆 渡辺国武 白根専一 野村靖 末松謙澄 林有造 芳川顕正 星亨 原敬 芳川顕正 曾禰荒助 大浦兼武 山縣伊三郎 原敬 堀田正養 後藤新平 林董 後藤新平 元田肇 武富時敏 箕浦勝人 田健治郎 野田卯太郎 前田利定 犬養毅 藤村義朗 犬養毅 安達謙蔵 望月圭介 久原房之助 小泉又次郎 三土忠造 南弘 床次竹二郎 岡田啓介 望月圭介 頼母木桂吉 山崎達之輔 兒玉秀雄 永井柳太郎 塩野季彦 田辺治通 永井柳太郎 勝正憲 村田省蔵 寺島健 八田嘉明 小松茂 塩原時三郎 塩原時三郎 松前重義 (心得)新谷寅三郎 一松定吉 三木武夫 冨吉榮二 降旗徳弥 小沢佐重喜 表 話 編 歴 郷純造 渡辺国武 田尻稲次郎 添田壽一 田尻稲次郎 田尻稲次郎 阪谷芳郎 阪谷芳郎 若槻禮次郎 水町袈裟六 桜井鉄太郎 次官心得 若槻禮次郎 橋本圭三郎 勝田主計 濱口雄幸 菅原通敬 勝田主計 市来乙彦 神野勝之助 西野元 小野義一 田昌 黒田英雄 河田烈 黒田英雄 藤井真信 津島壽一 川越丈雄 賀屋興宣 石渡荘太郎 大野龍太 広瀬豊作 谷口恒二 松隈秀雄 田中豊 山際正道 山田義見 池田勇人 野田卯一 長沼弘毅 長沼弘毅 舟山正吉 河野一之 平田敬一郎 森永貞一郎 石田正 石原周夫 石野信一 佐藤一郎 谷村裕 村上孝太郎 澄田智 鳩山威一郎 吉國二郎 相澤英之 高木文雄 竹内道雄 吉瀬維哉 大倉真隆 長岡實 田中敬 高橋元 松下康雄 山口光秀 吉野良彦 西垣昭 平澤貞昭 小粥正巳 保田博 尾崎護 斎藤次郎 篠沢恭助 小川是 小村武 田波耕治 薄井信明 武藤敏郎 武藤敏郎 林正和 細川興一 藤井秀人 津田広喜 杉本和行 丹呉泰健 勝栄二郎 真砂靖 木下康司 香川俊介 田中一穂 佐藤慎一 福田淳一 矢野康治 事務代理 岡本薫明 太田充 矢野康治 茶谷栄治 新川浩嗣 表 話 編 歴 林有造 参事 岩崎長武 権令 小池国武 権令→県令 北垣国道 田辺輝実 伊集院兼善 田辺良顕 田辺良顕 時任為基 調所広丈 丸岡莞爾 石田英吉 末弘直方 谷河尚忠 渡辺融 宗像政 鈴木定直 石原健三 杉山四五郎 永井金次郎 土岐嘉平 柿沼竹雄 阿部亀彦 小幡豊治 藤岡兵一 佐藤復三 加勢清雄 大島破竹郎 田中無事生 坪井勧吉 赤松小寅 坂間棟治 泊武治 小林光政 中野善敦 小山知一 服部直彰 沖野悟 高橋三郎 栗原美能留 永野芳辰 吉富滋 西村直己 川村和嘉治 桃井直美 川村和嘉治 溝渕増巳 中内力 橋本大二郎 尾﨑正直 浜田省司 表 話 編 歴 井上高格 井上高格 参事 林茂平 久保断三 参事→権令 古賀定雄 富岡敬明 小池国武 権令→県令 北垣国道 北垣国道 酒井明 酒井明 桜井勉 関義臣 村上義雄 山縣伊三郎 李家裕二 有田義資 小倉久 亀井英三郎 床次竹二郎 岩男三郎 谷口留五郎 渡辺勝三郎 秦豊助 亀山理平太 末松偕一郎 三宅源之助 大津麟平 川越壮介 小幡豊治 大野緑一郎 三辺長治 山下謙一 土居通次 落合慶四郎 金森太郎 戸塚九一郎 清水良策 荒木義夫 中村四郎 辻山治平 野田清武 岡田包義 床次徳二 佐藤勝也 阿部五郎 阿部邦一 原菊太郎 武市恭信 三木申三 圓藤寿穂 大田正 飯泉嘉門 後藤田正純 表 話 編 歴 有栖川宮熾仁親王 有栖川宮熾仁親王 澤簡徳 権令 立木兼善 渡辺清 渡辺国武 岸良俊介 安場保和 安場保和 山田為暄 岩崎小二郎 岩村高俊 曽我部道夫 深野一三 河島醇 寺原長輝 川路利恭 南弘 谷口留五郎 安河内麻吉 沢田牛麿 柴田善三郎 大塚惟精 斎藤守圀 松本学 川淵洽馬 中山佐之助 小栗一雄 畑山四男美 赤松小寅 児玉九一 本間精 吉田茂 戸塚九一郎 山田俊介 曽我梶松 野田俊作 西岡広吉 岩重隆治 杉本勝次 土屋香鹿 鵜崎多一 亀井光 奥田八二 麻生渡 小川洋 服部誠太郎 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 明治時代の閣僚 日本の大蔵大臣 逓信大臣 大蔵次官 大蔵省主計局長 日本の内務官僚 戦前日本の大蔵官僚 日本の子爵 高知県知事 福岡県知事 徳島県知事 東邦協会の人物 正三位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 勲二等瑞宝章受章者 勲三等瑞宝章受章者 勲四等瑞宝章受章者 勲五等瑞宝章受章者 コレラに罹患した人物 諏訪渡辺家 幕末諏訪藩の人物 長野県出身の人物 1846年生 1919年没 多磨霊園に埋葬されている人物 2024/11/20 16:49更新
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watanabe kunitake
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