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石川六郎の情報 (いしかわろくろう)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

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石川 六郎さんについて調べます

■名前・氏名
石川 六郎
(読み:いしかわ ろくろう)
■職業
経営者
■石川六郎の誕生日・生年月日
1925年11月5日 (年齢2005年没)
丑年(うし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
東京出身

(大正14年)1925年生まれの人の年齢早見表

石川六郎と同じ1925年生まれの有名人・芸能人

石川六郎と同じ11月5日生まれの有名人・芸能人

石川六郎と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


石川六郎と関係のある人

石川達三: 1914年、9歳で母を亡くし、東京の叔父石川六郎の家に預けられたが、1915年に父が再婚し、後妻せいに育てられる。


石川一郎: ^ 石川六郎『私の履歴書』


石川馨: 鹿島建設会長、日本商工会議所会頭の石川六郎は弟。


下条進一郎: 鹿島建設社長、日本商工会議所会頭などを歴任した石川六郎は義兄に当たる。


鮎川純太: 1991年(平成3年)、父弥一の死に伴い石川六郎、石原俊、三澤千代治、石坂一義らの後援で1992年(平成4年)にテクノベンチャー代表取締役会長として入社し、1993年(平成5年)6月に代表取締役社長を兼務する。


豊田章一郎: 温和な性格で、自己主張も弱く、家族ぐるみの付き合いのある石川六郎(元・鹿島社長)は、豊田が自分の意見を人に押し付けるようなことをしたのを見たことがなく、他人から厳しい批判を受けて怒ったこともないとする。


栃錦清隆: 両国国技館建設の折り、鹿島建設が当初出した工事の見積もりは161億5千万円だったが、二子山と二人で鹿島建設の石川六郎社長に会い、端数の11億5千万円を値引きさせて150億円に負けてもらった。


芥川也寸志: 東京高師附属中の同期には、石川六郎(鹿島建設名誉会長)、山本卓眞(富士通名誉会長)、嘉治元郎(元東京大学教養学部長)、森亘(元東京大学総長)などがいる。


鹿島昭一: 義兄・石川六郎(元鹿島建設名誉会長、元日本商工会議所会頭)


内藤明人: 旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。


石川一郎: 鹿島建設(現鹿島)会長、日本商工会議所会頭の石川六郎は六男(誕生日は同じ11月5日(1925年))。


石川六郎の情報まとめ

もしもしロボ

石川 六郎(いしかわ ろくろう)さんの誕生日は1925年11月5日です。東京出身の経営者のようです。

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テレビ、現在、卒業、結婚、退社、事件、病気、兄弟に関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。

石川六郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11月5日 - 2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島建設名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻・ヨシ子は鹿島の第4代社長・鹿島守之助の娘。父は石川一郎初代経団連会長。

学位は工学博士(東京大学)。鹿島建設の社長・会長のほか、日本商工会議所及び東京商工会議所の名誉会頭、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)監査役、日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問、東京メトロポリタンテレビジョン会長などを務めた。

東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に生まれた。石川一郎、冨美子の六男。父は合併で大日本人造肥料となっていた大きな化学会社の常務だった。

東京高師附属小学校(現・筑波大附属小)、東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)卒業。附属中の同期生には、山本卓眞(富士通名誉会長)、嘉治元郎(元東京大学教養学部長)、森亘(元東京大学総長)、芥川也寸志(芥川龍之介の三男)などがいる。旧制成蹊高等学校を経て、東京帝国大学第二工学部に入学。

1948年(昭和23年)に東京帝国大学第二工学部を卒業した後、運輸省(現・国土交通省)に入省。日本国有鉄道に勤務中、鹿島の第4代社長・鹿島守之助の目に留まった。これを契機に鹿島家との交流を深めた六郎は1953年(昭和28年)、守之助の二女で画家のヨシ子と結婚。また、守之助から鹿島への入社を打診された。六郎はこれを受諾し、1955年(昭和30年)に国鉄を退社。取締役として鹿島に入社した。

入社後の六郎は、原子力開発に尽力した。父・一郎が原子力委員会委員長代理として原子力政策に携わっていたことも影響しているとみられる。将来のエネルギー需要を満たすために原子力が必要とされると確信した六郎は、社内に原子力室を新設し、初代室長に就任した。役員会は巨大なリスクを懸念して反対したが、六郎は積極的に原子力分野への進出を推進した。1957年(昭和32年)に日本原子力研究所第1号原子炉を受注したのをはじめ、東京電力福島原子力発電所など多くの原子力発電所を受注した。

また、日本における超高層ビルのさきがけ・霞が関ビルの建設を主導した。

1978年(昭和53年)、鹿島の第7代社長に就任。「精神作興(せいしんさっこう:精神を奮い起こすこと)」を掲げ、TQC(Total Quality Control:総合的品質管理)をいち早く導入するなど、社内改革を推進した。また、九頭竜ダムや名神高速道路などの大型案件を受注した。両国国技館の設計・建設を鹿島が担当した縁で、1987年(昭和62年)から日本相撲協会運営審議委員会委員を務めた。

オイルショック後の景気低迷や、静岡県で発覚した談合事件への批判などにより、「建設業冬の時代」と称された1982年(昭和57年)、日本土木工業協会会長に就任。建設業界の信頼と業績の回復に努めた。

1984年(昭和59年)、社長職を縁戚関係にある鹿島昭一に譲り会長に就任。1986年(昭和61年)藍綬褒章を受章した。1987年(昭和62年)5月、日本商工会議所第15代会頭に就任。第14代会頭・五島昇が病気退任するに当たり、五島の強い推薦を受けての就任であった。日商会頭としては、消費税導入にあたり、「条件付き導入」を主張するとともに、各地の商工会議所が消費税導入に反対していたのを説得した。

1993年(平成5年)ゼネコン汚職で当時の鹿島副社長が逮捕されたことを受けて、事件との関連は否定しつつも全ての役職から辞任した。その後も、日商・東商の名誉会頭として後進の育成に当たったほか、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の設立に尽力した。また日伊協会会長、日独協会理事、日本・ベルギー協会理事、日墺文化協会理事、森記念財団評議員、五島記念文化財団(現・東急財団)理事、慶應工学会理事、日本英語交流連盟(ESUJ)顧問、ジェスク音楽文化振興会理事、地球環境行動会議(GEA)相談役、日本外交協会理事、社会経済生産性本部理事などを務めた。

2005年(平成17年)12月14日午後9時41分、心不全のため東京都内の病院で死去、80歳。2006年(平成18年)1月24日、鹿島・日商・東商の合同葬が築地本願寺で営まれた。墓所は文京区護国寺。

1925年 生誕

1938年 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業

1943年 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業

1945年 旧制成蹊高等学校卒業

1945年 東京帝国大学第二工学部(現・東京大学工学部)土木工学科に入学

1948年 東京帝国大学卒業。運輸省鉄道総局に入省

1949年 日本国有鉄道に入社

1953年 鹿島ヨシ子と結婚

1955年 鹿島建設に入社。同社取締役(経営企画担当)に就任

1956年 鹿島建設常務に就任

1957年 鹿島建設専務に就任

1959年 鹿島建設副社長に就任

1960年 日本青年会議所会頭に就任

1974年 経済同友会副代表幹事に就任

1978年 鹿島建設社長に就任

1982年 日本土木工業協会会長に就任

1984年 鹿島建設会長に就任。経済団体連合会(経団連:現・日本経済団体連合会)常任理事に就任

1985年 日本建設業団体連合会第5代会長に就任(~1987年12月)

1986年 藍綬褒章を受章

1987年 日本商工会議所会頭・東京商工会議所会頭に就任(~1993年7月)。土木学会会長に就任。新日本フィルハーモニー交響楽団理事長に就任。日本相撲協会運営審議委員会委員に就任。

1988年 国際商業会議所日本委員会第13代会長に就任(~1993年)

1989年 フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)監査役

1991年 日本工学会会長に就任(~1999年)。日本卓球協会第14代会長に就任(~1997年)

1992年 ペルー政府から太陽勲章大十字位を受章

1993年 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)取締役会長に就任

1994年 鹿島建設名誉会長に就任

1995年 日伊協会会長・東京銀杏会会長に就任

1995年 日本卓球協会第7代名誉会長に就任

2000年 日本エジプト友好協会理事長に就任。イタリア政府からイタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェを受章

2005年 死去

祖父・石川卯一郎

六郎によれば、「父方の祖父・石川卯一郎は大阪の出身であり、石川家は江戸時代、「宇田屋」という屋号の商家であった。祖父は青雲の志に燃え、単身明治の東京に出た。関東酸曹というカセイソーダ製造の化学会社を経営した。」という。
作家、評論家の神一行によれば、「石川家はもともと大阪の農家の出であるが六郎の祖父・卯一郎が立志伝中の人物。丁稚奉公から身を興し苦闘のすえ、昭和電工と日産化学の前身である関東酸曹という会社を創立した。」という。

父・石川一郎

父・一郎は初代経団連会長。一郎の一人娘の裕代は大蔵省出身の元参議院議員で元厚相下条進一郎に嫁している。下条の父は貴族院議員から参議院議員、第二次吉田内閣の文部大臣になった下条康麿である。

兄弟

六郎には5人の兄弟がいるが、いずれもが秀才で全員が東大の技術系学部を卒業
    長男の馨は元東大名誉教授。武蔵工業大学(現東京都市大学)学長。妻は元七十七銀行頭取氏家清吉の二女。

    二男の潔は元三菱石油社長。妻は元海軍大臣吉田善吾の娘。

    三男の誠は元三井液化ガス常務。

    七男の七郎は元本州製紙取締役。妻は元東大名誉教授和田文吾の長女。

    八男の八朗は元三菱化成工業取締役。妻は広島の銘酒「酔心」の酔心山根本店の元社長山根卓三(四代目蔵元)の長女。

                     ┏石川馨                     ┃               ┣石川潔               ┃                   ┣石川誠        ┏石川一郎━━┫              ┃      ┣石川六郎        ┣石川次郎  ┃ 石川卯一郎━━┫      ┣石川七郎          ┣石川三郎  ┃        ┃      ┗石川八朗        ┗石川四郎            (四朗)                     

    鹿島家(永富家系図)
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    00中曽根康弘00
     
     
     
    000美智子000
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    小林儀一郎
     
    蔦子
     
     
     
    美恵子
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    渥美健夫
     
     
     
    渥美直紀
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    永富敏夫
     
    (永富)鹿島守之助
     
     
    伊都子
     
     
     
    渥美雅也
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    石川六郎
     
     
     
     
     
     
     
     
    (葛西)鹿島精一
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    卯女
     
     
    ヨシ子
     
     
     
     
     
     
    鹿島岩蔵
     
    糸子
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    平泉渉
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    三枝子
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    鹿島昭一
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    公子
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    梁瀬次郎
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    弘子
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    稲山嘉寛
     
    稲山孝英
     
     

    参考文献

      『私の履歴書』 平成14年(2002年)7月日本経済新聞連載

    関連書籍

      石川六郎『海外建設プロジェクトと建設輸出(新体系土木工学 別巻)』 技報堂出版、1982年、ISBN 4765512010 『私の履歴書(第37巻)』 日本経済新聞社、ISBN 4532169011(全38巻)、ISBN 453216902X(第25~38巻)※分売不可 石川六郎『婦人問題講演集(第1巻)』 日本図書センター、2003年、ISBN 4820599852 菊池久『血統商法―鹿島建設会長石川六郎の眼力とあくなき挑戦』 ぴいぷる社、1988年、ISBN 4893740121 『石川六郎追懐録』同・編纂委員会、鹿島出版会、2006年。319頁

    脚注

    [脚注の使い方]
      ^ 徳富蘇峰記念館公式HP>人物一覧>石川六郎[1](2021年7月3日現在セキュリティ保護なし) ^ 石川六郎『私の履歴書』 ^ 高永武敏・原田宏共著「激動の相撲昭和史」ベースボール・マガジン社、1990年2月25日発行、p.317 ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 298頁 ^ 佐藤朝泰著『豪閥 地方豪族のネットワーク』39頁 ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 302頁 ^ 佐藤朝泰著『豪閥 地方豪族のネットワーク』35頁 ^ 醉心山根本店のお宝(酒蔵見学) | 地酒蔵元会

    外部リンク

      石川六郎がイタリア共和国騎士大十字勲章を受章
    先代渥美健夫 鹿島建設社長第7代: 1978年 - 1984年 次代鹿島昭一
    先代渥美健夫 鹿島建設会長第5代: 1984年 - 1994年 次代梅田貞夫
    先代五島昇 日本商工会議所会頭第15代: 1987年 - 1993年 次代稲葉興作
    先代(新設) 新国立劇場運営財団会長初代: 1993年 - 1999年 次代今井敬

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