神吉宏充の情報(かんきひろみつ) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
神吉 宏充さんについて調べます
■名前・氏名 |
神吉宏充と関係のある人
内藤国雄: 内藤は棋士となってから2013年に至るまで、前述の藤内忍を含め僅か4人しか弟子を取っていないものの、そのうち神吉宏充及び三枚堂達也をプロの棋士(四段以上)に育て上げた。 瀬川晶司: 編入試験は、連盟推薦で試験官となった6人(1局目から順に佐藤天彦三段、神吉宏充六段、久保利明八段、中井広恵女流六段、高野秀行五段、長岡裕也四段)を相手に3勝すれば合格となり、その時点でフリークラスに編入(10年以内に順位戦C級2組に参加できなければ引退)。 岩根忍: 2009年7月8日、棋士(男性棋士)との初の公式戦で初勝利を挙げる(第3回朝日杯将棋オープン戦一次予選、対神吉宏充戦)。 森信雄: また披露宴では、事前に招待客に対し祝辞等の依頼を全くしていなかったため、司会の神吉宏充は当日現地で祝辞の依頼に追われたという。 淡路仁茂: 淡路自身も反則負けの多さを意識していると見られ、上記「プロ反則負け特集」の司会を担当した神吉宏充の証言によると、神吉が反則負けをした際には、直後にうなだれる神吉のもとに駆けつけ、「君も(反則を)やったか!」と喜んだという。 深浦康市: NHK-BS2で毎年正月に放送される「大逆転将棋」(司会は神吉宏充)では、ゲストがプロに勝てる可能性を作る変則ルールの将棋が行われる。 内藤國雄: 内藤は棋士となってから2013年に至るまで、前述の藤内忍を含め僅か4人しか弟子を取っていないものの、そのうち神吉宏充及び三枚堂達也をプロの棋士(四段以上)に育て上げた。 先崎学: NHK杯テレビ将棋トーナメントで対局が早く終了して時間が余った場合、かつて、先崎と神吉宏充の2名が出演する「先崎・神吉の将棋パトロール」という数分間のコーナーが番組の末尾で放送されていた。 井上慶太: 入会から3年余り経った1983年2月4日の対局で神吉宏充に勝ち、成績を13勝3敗として四段に昇段、プロ入りを果たす。 |
神吉宏充の情報まとめ
神吉 宏充(かんき ひろみつ)さんの誕生日は1959年3月1日です。兵庫出身の将棋棋士のようです。
棋風など、人物・エピソードなどについてまとめました。引退、現在、映画、結婚、テレビに関する情報もありますね。神吉宏充の現在の年齢は65歳のようです。
神吉宏充のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)神吉 宏充(かんき ひろみつ、1959年3月1日 - )は、将棋棋士。2011年、引退。内藤國雄九段門下。棋士番号は160。兵庫県加古川市出身。 将棋界きってのエンターテイナーと評される。2021年現在の所属事務所は昭和プロダクション。 小学生の頃に将棋を覚え、中学生のときに本格的に指し始める。そのきっかけは、おじさんに「ヨワ将」と呼ばれたこと。 1977年のアマチュア名人戦で兵庫県代表となる。全国大会では最年少の18歳であったが、ベスト4進出。角頭歩戦法を用いた勝局もあったという。 そして、1978年、内藤門下で奨励会に入会。入門前の約3年間は会社員だった。1級での入会は1961年の若松政和(アマ名人戦優勝歴あり)以来17年ぶり。それから4年8か月経った1983年、四段昇段(プロ入り)を果たす。 オールスター勝ち抜き戦での本戦進出も数回あるが、最も活躍した棋戦は、一般の将棋ファンに対する露出度が最も高いNHK杯戦である。たびたび予選を通過し本戦出場した。 第44回(1994年度)NHK杯戦では、先崎学・加藤一二三らを破り準々決勝進出(準々決勝で米長邦雄に敗れる)。対・加藤戦では解説役で師匠の内藤も加えて局後の感想戦を行ったが、そのとき、謙虚ながらも偉大なる先輩に勝ったという感動を露わにした。加藤に「今日は強かった」と言われ喜んでいる姿を見た内藤に「対戦相手に強いと言われて喜ぶとアマチュアみたいだ」と指摘されるが、「今日はそれでもいいです」と言った。 第49回(1999年度)NHK杯戦では、青野照市と森内俊之に勝つ(この回の優勝者となる鈴木大介に3回戦で当たり、先手で持将棋となり先後入替の指し直し局で敗れる)。森内との対局の序盤では、神吉は定番の振り飛車穴熊にするが、それに対して森内は自分の飛車も振って、意表の相振り飛車戦に持ち込んだ。サービス精神旺盛な神吉は森内に勝った後の感想戦ではガッツポーズを決めていた。 順位戦での通算成績は、81勝89敗である。C級2組からC級1組に昇級することはなかった。17年間(第43期・1984年度 - 第59期・2000年度)の中で最終局まで昇級争い絡むことはなく、最高成績は3度の7勝3敗である(第43期・第49期・第55期)。うち、第55期の勝ち越しは降級点を2つから1つに減らしたものであった。しかし、第59期(2000年度)で降級点を累積3点としてしまい、フリークラスに降級した。 2005年8月、瀬川晶司のプロ編入試験第2局の試験官(対戦相手)を務める。対局前に「振り飛車穴熊戦法」と戦法予告をし、全身ピンクのスーツ姿で対局に臨み、対局前に瀬川に「(目が)チカチカするやろ」と言っておどけてみせる。また、対局中に(対局当事者であるにもかかわらず)大盤解説場に登場して情勢についてコメントするなどのパフォーマンスを見せた。結果は瀬川の勝利。対局終了後、「プロ棋士になれる」と瀬川を励まし、勇気づけた。後に瀬川の自伝を映画化した『泣き虫しょったんの奇跡』に、瀬川の編入試験の対戦相手である「神田宏充六段」役として出演した際にも、当時と同じピンクのスーツ姿を見せた。 第18期(2009年度 - 2010年度)銀河戦で、ブロック戦で4連勝し、決勝トーナメント進出(1回戦で丸山忠久に敗れる)。 2010年度をもってフリークラス降級から10年を迎え、引退が決まった。そして、2011年6月1日、第24期竜王戦6組昇級者決定戦1回戦で牧野光則に敗れたのが最終対局となり、同日付で引退した。 2018年、姫路市の商店街に将棋教室「プロ棋士神吉七段の大逆転将棋倶楽部」をオープン。(2019年8月に姫路城・射楯兵主神社近くに移転) 棋風など振り飛車穴熊戦法を得意とする。その一方、神吉流穴熊というオリジナルの居飛車穴熊を開発し、振り飛車退治も得意にする。 先崎学によれば、素人相手の駒落ちでは羽生善治よりも神吉が強いという。その理由は「プロは詰み筋を読むがアマは読まない、だから(詰み筋が読めない)アマの力量に合わせて指せば勝てる」ということである。 人物・エピソード身長179cm・体重120kgの巨体。 2001年5月5日に北海道函館市在住・家事手伝いの女性(当時27歳)と結婚、同年10月31日に長男が誕生。 映画好き。レンタルを嫌い、自宅には2007年時点で1500本以上のDVDやビデオテープがある。 酒に非常に強い。本人曰く「ビールとチューハイはナンボ飲んでも酔わない」とのことで、現在でも「日本酒1升ぐらいはご挨拶」だという。酒好きが昂じて、室谷由紀がメイン司会の『将棋居酒屋おゆき』(JCOMチャンネル等)という「実際に日本酒を飲みながら収録するトーク番組」を自らプロデュースしてしまったほど。 師匠の内藤は詰将棋作家として知られるが、神吉は双玉詰将棋の作家として知られる。 内藤はヒット曲「おゆき」を歌った演歌歌手としても知られるが、神吉も歌手活動をしたことがある。 師匠の内藤より早い引退を余儀なくされたことについて、神吉は「『親に先立つ不孝』のようで心苦しい」と語ったという。 NHK BS2で1月に放送されるバラエティー番組「大逆転将棋」で、毎年司会と構成を務めている。 「囲碁将棋ウィークリー」(後の「囲碁・将棋ジャーナル」)の初代キャスター。 「探偵!ナイトスクープ」など、将棋とは関係ないテレビのバラエティ番組にも出演した。 1994年4月から9月まで、TBS系の「テレビの王様」でレギュラー出演。 1996年放送のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の中で、主人公に弟子入りを頼まれる棋士を本人役で演じている。その際にスタッフからトランプを手で扱いながら登場するよう指示され、その通りに演じた。その後、「将棋世界」誌のエッセイの中でこのことに触れ、「そんなことしながら歩く棋士おらんわ!」と書いていた。 1993年10月 - 12月に、林葉直子とのペアでNHK将棋講座「神吉、林葉のおしえて!ショーギ」の講師を担当。 2000年11月、将棋の日恒例の「次の一手名人戦」(羽生善治 vs 丸山忠久戦)にゲスト参加したところ、最後まで正解し続けて「次の一手名人」となった。2017年現在、プロ棋士で次の一手名人となったのは神吉が唯一の事例。なお本来はアマチュアの将棋ファン向けのイベントであるため賞品は辞退した。 1988年3月、伊達康夫との対局で二手指しをしてしまい、反則負けを喫する。自らの手番で着手後、伊達が長考したため神吉は居眠りをしてしまったが、駒音で目が覚め、それを伊達が着手を終えた音と勘違いして次の手を指してしまったという。 2024/06/15 11:08更新
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kanki hiromitsu
神吉宏充と同じ誕生日3月1日生まれ、同じ兵庫出身の人
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