井上慶太の情報(いのうえけいた) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
井上 慶太さんについて調べます
■名前・氏名 |
井上慶太と関係のある人
高橋道雄: 2008年度は先手では矢倉、後手では横歩取り8五飛を原動力として24勝15敗(勝率0.615、B級1組以上では羽生善治、久保利明に次ぐ高勝率)と好調で、第67期順位戦B級1組では8勝4敗の成績で井上慶太と共に6期ぶりでA級へ復帰した。 長谷川優貴: 小学6年生の時から、井上慶太が加古川市内で開く、プロ棋士の数々を輩出した将棋教室「加古川将棋倶楽部」にも通い、毎週のように大会に出ていた。 森下卓: 井上慶太との番勝負は1勝2敗で敗退し、準優勝。 松尾歩: 結果は1勝4敗(井上慶太のみに勝利)で陥落。 青野照市: 第73期順位戦は3勝5敗からの2連勝で5勝5敗の指し分け、翌第74期は初戦から2連勝と好調に滑り出し、後半戦でやや失速し最終局(10回戦・対井上慶太戦)を4勝5敗で迎えた。 桐山清澄: 2017年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントの予選で1回戦で井上慶太に、2回戦で小林健二に、決勝で増田裕司にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。 勝又清和: 本戦では1回戦で井上慶太を破り、2回戦進出。 鈴木大介: 第60期、第61期(2001、2002年度)の順位戦で連続昇級し、A級八段となる(第61期は、鈴木と昇級を争っていた井上慶太が最終局で負けたため、逆転で昇級が決まった)。 土佐浩司: 本戦の対戦相手は順に、森下卓、井上慶太、米長邦雄、谷川浩司(準決勝)、森内俊之(決勝)である。 菅井竜也: 井上慶太門下。 杉本昌隆: 2008年度のB級1組順位戦において、高橋道雄、井上慶太と並ぶトップタイの成績(8勝4敗)を挙げたが、順位が下位であったため頭ハネでA級昇級を逃した(タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴が全くない杉本がA級に昇級していれば、田丸昇以来の珍記録であった)。 谷川浩司: これにより島はA級に残留となり、代わりに弟弟子で仲もよい井上慶太がA級から陥落した。 稲葉陽: 加古川市立氷丘南小学校2年のときに井上慶太の主宰する「加古川将棋倶楽部」に兄とともに通い始める。 先崎学: また、B級1組では、後ろから3局目の井上慶太との直接対決で負けて昇級が絶望的となったが、そこからの2局で井上が2連敗、先崎が2連勝しての大逆転であった。 藤井猛: 1995年12月22日、第54期B級2組順位戦の対井上慶太戦で、対居飛車穴熊の「藤井システム」を初披露し、僅か47手で井上を投了に追い込んだ。 橋本崇載: 2009年度、第50期王位戦挑戦者決定リーグでは、タイトルホルダーの久保利明棋王、A級在籍棋士の佐藤康光、三浦弘行、井上慶太を破り最上位者となり、2年連続挑戦者決定戦に進出したが木村一基に敗れまたも初のタイトル挑戦には至らなかった。 井上堯之: 長男・井上恭太は元新派俳優(1974年5月18日 - 、1995年~2014年在籍、波乃久里子門下)、次男・井上慶太は元ギタリスト、アートディレクター。 菅井竜也: 2011年度は他にも、本戦初出場の第61回NHK杯テレビ将棋トーナメントでベスト8(2回戦で師匠の井上慶太との「師弟対決」に勝利)、第5回朝日杯将棋オープン戦でもベスト4と活躍した。 稲葉陽: 2021年度の第4回ABEMAトーナメントでチームリーダーとなった時は、メンバーを加古川市出身である久保利明と船江恒平を迎えて『チーム加古川観光大使』、同年度第1回師弟ABEMAトーナメントで師匠で加古川在住である井上慶太から指名を受けたときは、『加古川の太陽』として戦った。 稲葉陽: 井上慶太九段門下。 中座真: しかし、2016年度に入ると復調を見せ、第29期(2016年度)竜王戦4組ランキング戦の準決勝で井上慶太九段に勝ち、3組へ復帰。 浦野真彦: 第29期(2003年度)棋王戦で、屋敷伸之、井上慶太らを破ってベスト4進出。 |
井上慶太の情報まとめ
井上 慶太(いのうえ けいた)さんの誕生日は1964年1月17日です。兵庫出身の将棋棋士のようです。
棋風・エピソード、人物などについてまとめました。兄弟、結婚に関する情報もありますね。井上慶太の現在の年齢は60歳のようです。
井上慶太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日 - )は、将棋棋士、九段。若松政和八段門下。棋士番号は157。兵庫県芦屋市出身。順位戦A級通算3期。 日本将棋連盟棋士会副会長(2011年4月 - 2015年6月)、日本将棋連盟非常勤理事(2015年6月 - )、同連盟常務理事(2017年2月 - )。 1978年、神戸市立高倉中学校3年のとき、中学生名人戦で準優勝(優勝は達正光)。翌1979年、兵庫県立星陵高等学校1年の高校選手権で3位となり(優勝は古作登)、高校を中退して奨励会に入会。高校1年での入会は非常に遅い方である。入会から3年余り経った1983年2月4日の対局で神吉宏充に勝ち、成績を13勝3敗として四段に昇段、プロ入りを果たす。 1985年度、新人王戦で棋戦初優勝(決勝三番勝負の相手は森下卓)。翌1986年度には若獅子戦で優勝。1987年度の第36期王座戦で南芳一、米長邦雄、真部一男を破りベスト4に進出した。翌1988年度の王座戦でも米長らを破りベスト4。しかし、当初は順位戦との相性は悪かった。1988年度の第47期順位戦C級2組では、勝てば昇級という最終局で逆転負けを喫する。しかし、兄弟子の谷川浩司から送られた「報われない努力はない」との手紙に勇気付けられ、翌年、7期目の順位戦にして初の昇級を勝ち取る。 1993年度の第52期順位戦C級1組では、タイトル経験者の屋敷伸之、郷田真隆らを破り10戦全勝でB級2組へ昇級。さらに、1995年度、1996年度の順位戦では、2年連続昇級を決めて、一気にA級八段となる。 初のA級順位戦(1997年度)では、最終9回戦の対島朗戦で横歩取り8五飛戦法を用いて勝利。自身が5勝4敗でA級残留して米長邦雄(4勝5敗)をA級からの陥落に追い込み、また、同戦法が一躍注目を浴びるきっかけともなった。 翌年度(1998年度)のA級順位戦は、最終局で自分が負けても兄弟子の谷川が島朗に勝てば降級を逃れるという展開となったが、井上、谷川ともに敗れたことにより、井上は降級となってしまった。 竜王戦のランキング戦では、1993年度(第6期)に5組優勝、1996年度に4組優勝、1999年度に3組優勝、2001年度に2組優勝と、通算4回も優勝を記録。 2008年度の第67期B級1組順位戦で、混戦の中頭一つ抜け出して、A級復帰を決める。11期振りのA級復帰は、原田泰夫(14期振り)に次ぐ2番目の記録。 2011年3月3日の対局(第61期王将戦一次予選・対伊藤博文戦)で勝ち、八段昇段後250勝により九段昇段。なお、この時点での通算成績は、635勝456敗(勝率0.5820)。 棋風・エピソード居飛車党であるが、振り飛車党のような軽快な捌きを重んじる軽い棋風である。 プロ棋士としては珍しく、終盤まで居玉のまま勝利した経験を持つ。(2017年1月27日・第43期棋王戦予選・対星野良生戦・手数99手) 羽生善治が1996年2月14日に七冠独占を達成した6日後の2月20日、オールスター勝ち抜き戦で井上が羽生に勝ち、「羽生七冠」に初めて勝った棋士として話題となった。 順位戦A級・竜王戦1組在籍経験者でありながら、タイトル戦登場だけでなく、その挑戦者決定戦への進出もいまだに果たしていない。このことは「将棋界の七不思議」のひとつとされる。段位も九段でタイトル経験者でもありながらA級在位歴が無い、福崎文吾や中村修とは逆の立場である。 子供大会の景品に用意していたアマチュア発の戦法「嬉野流」の定跡本を見たのをきっかけに2022年の公式戦で戦法の採用を始めた。戦績は1年間で9局4勝5敗であったが、敗戦局でも中終盤を優位に進めていたことや、同時期に村田顕弘が嬉野流に独自の工夫を加えた「村田システム」を公式戦で採用するなどしたことで、嬉野流が他のプロ棋士にも注目されるようになり、戦法開発者の嬉野宏明が2022年度の将棋大賞升田幸三賞を受賞している。 B級2組で迎えた1995年度順位戦は9勝1敗で1期抜けを遂げたが、当期における唯一の黒星である1995年12月22日の7回戦・対藤井猛六段戦は、井上が居飛車穴熊に組もうとしたところ、「藤井システム」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊の藤井システムの1号局)。当時、井上の居飛車穴熊は天下一品と言われていたが、それゆえ、藤井猛の標的にされてしまった。 2018年3月28日、前月に朝日杯将棋オープン戦で史上最年少の棋戦優勝を遂げ六段に昇段した藤井聡太と、第68期王将戦一次予選で対局し勝利し、藤井の四段時代から続いていた連勝を16で止め、六段昇段後初の黒星を付けた。藤井は井上戦以降に再び連勝を続け、2018年5月18日の第31期竜王ランキング戦5組準決勝で船江恒平を破って竜王戦の昇段規定を満たし史上最年少七段となったため、井上は「藤井聡太六段」に唯一の黒星をつけた棋士となった。 人物兄弟子である谷川浩司の良き飲み友達である。また、谷川と同じく大の阪神タイガースファン(阪神ファン)であり、谷川を特集した毎日放送『情熱大陸』では、甲子園球場で谷川と一緒に阪神を応援している姿が放送された。谷川は「タイガースに対する思いは井上に負ける」と語っている。日本将棋連盟関西本部からタイガース所属選手に名誉段位や賞状などを贈呈する際は、阪神タイガースのレプリカユニフォームを着用している。 1992年に結婚した妻は、かつて関西将棋会館の売店職員だった。新居を探していたときに偶然、加古川市内のマンションに当選したことが移住のきっかけである。 1981年の王位戦予選、淡路仁茂 対 中田章道の339手に及んだ将棋で記録係を務めていた。深夜に及ぶ対局で尿意を催してしまい、限界になりそうなところ、当時奨励会員だった長沼洋が様子を見に来てくれたために、惨事を免れた。 棋士仲間でのあだ名は「キューピー」である。これは顔の風貌と、笑ったとき頬にエクボが出来るからである。ベビーフェイスなため、パンパースとも呼ばれていた。将棋ファンからは「ケイタ」と呼ばれることが多い。 2024/06/13 01:26更新
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inoue keita
井上慶太と同じ誕生日1月17日生まれ、同じ兵庫出身の人
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