森下卓の情報(もりしたたく) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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片上大輔: 自身3度目となる本戦でも、1戦目で森下卓九段(2組2位)から1勝を上げる(2戦目で1組2位の羽生善治名人(四冠)に敗れる)。 佐藤康光: 翌年(1991年)も決勝で森下卓を破って2連覇。 谷川浩司: 名人戦と日程が並行した1997年4月 - 5月(棋戦としての年度は1996年度)の第15回全日本プロトーナメント決勝五番勝負(谷川3-2森下)では、森下卓を下して6度目の優勝をした。この決勝五番勝負では、谷川が後手番の2局において、先手・森下卓の相矢倉への誘いに谷川が応じず、後手急戦棒銀(原始棒銀)を見せて話題となった(その2局の結果は1勝1敗)。 羽生善治: 同年、第5期竜王戦で谷川竜王(三冠)との三冠対二冠の天王山対決を制し、森下卓曰く「タイトル保有の図式が逆転」した。 植山悦行: 第2回(1986年度)天王戦の四段戦で森下卓・富岡英作らを破って優勝し、本戦進出。 木村一基: これでタイトル獲得経験の無いまま7回目のタイトル挑戦が決まり森下卓の最多記録を更新。 屋敷伸之: C級1組1年目の1990年度(第49期)にすぐ昇級のチャンスをつかむが、8戦目で森下卓との1敗同士での対決で敗れ、昇級を逃す。 窪田義行: 窪田が入門する際、試験将棋として当時17歳で四段だった森下卓と平手で指して2連勝するも、以後「プロが小学生にナメられてはたまらない」と試験将棋にもかかわらず本気を出した森下が窪田を6番棒に負かし、ついには窪田を泣かしてしまったという。 松尾歩: 羽生善治、森下卓らと合同で定期研究会を主催したこともある。 村中秀史: 本戦2回戦で森下卓に敗れる。 佐伯昌優: なお、本戦トーナメントでは初戦で森下卓に敗れる。 北浜健介: しかし、最終局の対・森下卓戦では、終盤で解説者(ネット中継)を驚嘆させる寄せを披露して4勝目を挙げ、意地を見せた(その結果、森下が共に降級となった)。 深浦康市: 第29回将棋日本シリーズでは同門兄弟子の森下卓に決勝戦で敗れて準優勝。 北浜健介: プロ1年目のとき、第13回全日本プロ将棋トーナメントで、佐藤康光、森下卓らを破ってベスト4に進出。 深浦康市: その一方で、兄弟子である森下卓とは共同研究をする仲だからなのか、第29回JT将棋日本シリーズ決勝で森下と対戦した際のインタビューで「羽生さんよりも森下さんとの対局の方がやりにくい」と語っている。 木村一基: またタイトル獲得無しの挑戦6回は森下卓と並んで最多記録となった。 橋本崇載: 当時、橋本の将来を案じた連盟常務理事の森下卓は、橋本が提出した引退届の受理を保留し、橋本に何度も翻意を促したという。 南芳一: 第56期(2006年度)NHK杯戦の本戦2回戦の対郷田真隆戦で、まだ序盤とも言える局面で自分の角と郷田の銀が交換になってしまい、解説の森下卓が「初回の満塁ホームラン」と表現した。 有吉道夫: 破った相手は、二上、中原、中村修(準決勝)、森下卓(決勝)ら。 土佐浩司: 本戦の対戦相手は順に、森下卓、井上慶太、米長邦雄、谷川浩司(準決勝)、森内俊之(決勝)である。 南芳一: 1990年度、第55期王将戦リーグで森下卓との4勝2敗同士のプレーオフを制し、米長に挑戦。 土佐浩司: 土佐の2敗のうちの1敗は対羽生戦であったが、最終局で昇級争い2番手だった森下卓が羽生に敗れ、3番手だった土佐が室岡克彦に勝ったことにより順位が繰り上がり「黒星を喫した相手に援護射撃を受ける」形で昇級を決めた。 井上慶太: 1985年度、新人王戦で棋戦初優勝(決勝三番勝負の相手は森下卓)。 屋敷伸之: 第57期(1990年度後期)の棋聖戦五番勝負(1990年12月11日 - 1991年1月25日)は、森下卓の挑戦を3-1で退けて防衛し、当時のタイトル防衛の最年少記録(19歳0ヶ月)を達成。 郷田真隆: 第57期棋聖戦では破竹の勢いで勝ち上がり、本戦の決勝(=挑戦者決定戦)まで進出(決勝で森下卓に敗北)。 谷川浩司: しかし、第4期竜王戦(谷川4-(持1)-2森下)で、矢倉の「森下システム」で知られる森下卓の挑戦を退けて、防衛に成功する。 羽生善治: この第44期王将戦七番勝負はフルセットの戦いとなり、その間に同時進行していた棋王戦五番勝負では森下卓に対し3-0で早々と防衛をしていた。 三浦弘行: 第64期も3勝6敗と低調、藤井猛(2位)・久保利明(3位)・鈴木(8位)・森下卓(9位)とまた相星で並んだものの、ここでも順位の差に助けられて8位。 先崎学: 第8期竜王戦本戦では谷川浩司と森下卓に勝ち、挑戦者決定三番勝負を佐藤康光と戦う。 米長邦雄: 特に道場の師範代格で、当時序盤研究の第一人者だった森下卓から、大きな示唆をもらったという。なお、米長道場は「若手に教えを請う」という姿勢で運営しており、米長は森下卓のことを「先生」と呼んでいた。 |
森下卓の情報まとめ
森下 卓(もりした たく)さんの誕生日は1966年7月10日です。福岡出身の将棋棋士のようです。
棋風、人物などについてまとめました。現在、テレビ、ドラマ、子役に関する情報もありますね。去年の情報もありました。森下卓の現在の年齢は57歳のようです。
森下卓のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)森下 卓(もりした たく、1966年7月10日 - )は、将棋棋士。花村元司九段門下。棋士番号は161。福岡県北九州市小倉区(現:小倉南区)出身。竜王戦1組通算17期、順位戦A級通算10期。 小学4年生の正月に父に教わり将棋を始める。わずが1年8ヶ月後の1978年、12歳で奨励会に合格し入会。福岡に住んでいたため、祖母とともに上京した。 花村元司九段門下となった経緯は地元・北九州のアマ時代の先生の尽力。面識がないなか、「頼んでみよう」と花村に手紙を送ってくれたという。試験将棋を経て入門を認められ奨励会試験を受けることになった。当時は森下本人も周囲も全く受かると思っておらず、思い出受験の気持ちもあったと語っている。 1983年9月に17歳でプロデビュー。以来、後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達とともに「チャイルドブランド」の一角として活躍。 1984年、第26期(1985年度)王位戦の予選を4連勝で勝ち抜いてリーグ入りし、頭角を現す。なお、この王位リーグでは2位タイの成績を残したが、同星の中原誠との残留決定戦で敗れ、残留に失敗している。 1985年度、第16期新人王戦で決勝に進出。井上慶太との番勝負は1勝2敗で敗退し、準優勝。 1986年度、第5回早指し新鋭戦で決勝に進出したが、小野修一に敗れ準優勝に終わる。 1987年度は、第21回早指し戦と、第6回早指し新鋭戦の2棋戦で決勝に進出したが、両方とも決勝で敗れ準優勝であった。 第47期(1988年度)C級2組順位戦で9勝1敗・1位の成績を収め、順位戦初昇級となった。また、第29期王位戦では王位リーグ入りを決めると、4勝1敗で白組優勝を果たしたが、挑戦者決定戦にて森雞二に敗れる(リーグ残留には初成功)。 1989年度では、第2期竜王戦にて4組ランキング戦の優勝を決めると、本戦でも3連勝で挑戦者決定戦に進出したが、羽生善治に2連敗し敗退。第30期王位戦では再び4勝1敗で白組優勝をするが、挑戦者決定戦で谷川浩司に敗退(翌期リーグ陥落)。しかし、第12回オールスター勝ち抜き戦で5連勝を決め(最終的に6連勝)、棋戦初優勝を果たす。 1990年度は、新人王戦の決勝三番勝負で、大野八一雄を2-0を破って優勝。続けて第六回天王戦で優勝(全棋士参加棋戦初優勝)し、全日本プロトーナメントでも決勝五番勝負で、桐山清澄を3-1で下して優勝。 第40期王将戦では初の王将リーグ入りを決め、5勝1敗の成績でプレーオフに進むが、南芳一に敗戦。また、その勢いで1990年度後期の第57期棋聖戦にて優勝し、タイトル初挑戦を決めたが、屋敷伸之との5番勝負は1勝3敗で敗退した。 1991年度は、第49期順位戦のC級1組で9勝1敗となり、1位でB級2組へ昇級(同時昇級者は神谷広志)。第4期竜王戦では3組ランキング戦で優勝。挑戦者決定戦まで進み、小林宏を破って谷川浩司竜王に挑戦したが、2勝4敗で敗退。 その他、第17期棋王戦では挑戦者決定戦に進出、第10回全日本プロ将棋トーナメント・第22回新人王戦・第10回早指し新鋭戦の3棋戦では準優勝、などの好成績を収めている。 1992年度は、第33期王位戦にてリーグに復帰。紅組で4勝1敗となるが、佐藤康光にプレーオフで敗退。第12回オールスター勝ち抜き戦では6連勝し、同棋戦にて2回目の優勝。 1993年度では第51期順位戦のB級2組で9勝1敗となり、1位でB級1組に昇級(村山聖との同時昇級)。翌年度の第52期順位戦でも8勝3敗の成績となり、同率2位(1位は島朗)で遂にA級入りを果たした。そして更に翌年度の第53期順位戦でも勢いは止まらず、初のA級で7勝2敗の成績を収め、プレーオフで中原誠に勝利し名人初挑戦を決める。相手は羽生善治だったが、結果は1勝4敗で敗れた。 1994年度では第20期棋王戦で羽生善治に挑戦したが、0勝3敗のストレートで敗退。第16回オールスター勝ち抜き戦では8連勝を決め、同棋戦にて3回目の優勝。 1995年度は第66期棋聖戦にて勝ち進むが、三浦弘行に挑戦者決定戦決勝で敗れる。 1996年度では、第22期棋王戦で羽生善治に挑戦したが、再び0勝3敗のストレートで敗退となった(結果的に、6度のタイトル挑戦歴で、棋王戦のみ唯一2回の挑戦を決めたが、同時に番勝負で勝ち星を得られなかった唯一の棋戦となった)。また、第16回全日本プロ将棋トーナメントでも決勝に進出したが、谷川浩司に2勝3敗で敗れ、2度目の準優勝となった。 1997年度は第38期王位戦でリーグ入り。白組で4勝1敗となり、第33期以来の王位リーグ残留に成功(翌期リーグ陥落)。 1998年度は第48期王将戦にて、第41期以来の王将リーグ入り。リーグ戦でも5勝1敗で突破し、羽生善治に挑戦。羽生とのタイトル戦は4度目であったが、結果は1勝4敗で敗退した(2022年現在まで、最後のタイトル戦となっている)。なお、年度の全成績では22勝23敗となり、初めての負け越しとなった。 1999年度は第49期王将戦のリーグ戦にて4勝2敗となり、3度目の残留に成功。年度単位でも28勝16敗と再び勝ち越した。 2000年度は第41期王位戦で再びリーグ入り。白組で3勝2敗となり、弟弟子の深浦康市との残留決定戦を制して、5回目のリーグ残留に成功した(翌期は2勝3敗でリーグ陥落)。逆に第50期王将戦では苦戦し、1勝5敗でリーグ陥落となった。 2002年度の第15期竜王戦では1組で優勝。第52期王将戦ではリーグに復帰するも、1勝5敗で陥落。 2003年度は第61期順位戦で苦戦。2勝7敗の10位に終わり、第53期より続いていたA級の座から陥落となった。また、第53期王将戦にて2期連続のリーグ復帰をするが、3勝3敗で再び陥落となった。 2004年度の第17期竜王戦では1組2位から勝ち上がって挑戦者決定戦に進出するも、渡辺明相手に2連敗で敗退。 2005年度は第63期順位戦で9勝3敗の成績を収め、1位でA級への復帰を決めた。第18期竜王戦では2連敗し、第5期から続いた竜王戦1組の座から陥落した。また、翌年度の第64期順位戦では苦戦が続き、3勝6敗で1期でのA級から再陥落となった。逆に第19期竜王戦では好調が続き、2組ランキング戦の優勝を決め、1期で竜王戦1組への復帰を果たした(しかし翌年度に2連敗を喫し、再び2組に陥落)。 2007年、第28回JT将棋日本シリーズで渡辺明竜王、佐藤康光JT杯覇者(棋聖・棋王)、森内俊之名人らタイトル保持者を連破して優勝。2008年、第29回JT将棋日本シリーズは、決勝で弟弟子の深浦康市王位を破って2連覇し、「自分でびっくりしました」と語った。しかし同年の第67期順位戦では苦戦し、最終局で勝てば残留という局面で、既に降級が確定していた北浜健介相手に敗戦。結果、4勝8敗の不振によりB級2組への陥落となった。 2009年度は第22期竜王戦の2組ランキング戦において準優勝し、再度1組へ復帰(しかし第24期竜王戦で2連敗し、三たび2組へ降級)。 2010年度は第69期順位戦にて大苦戦し、開幕から8連敗で降級点が付いてしまった。しかし、最後の2局は意地の連勝をしており、土佐浩司を結果的にC級1組への降級へ追い込んでいる。 2011年度は第70期順位戦にて6勝4敗の勝ち越しを決めて、降級点を抹消した。他には第19期銀河戦の本戦ブロックを3連勝で突破し、決勝トーナメントでも戸辺誠に勝利した。 2013年度は第55期王位戦にて久々の王位リーグ入りを果たすも、白組にて2勝3敗で陥落した。 2014年度は第27期竜王戦にて2連敗し、3組へ降級となった。第22期銀河戦では本戦ブロックを再び3連勝で突破するも、決勝トーナメントの初戦で敗退した。 2016年度は第75期順位戦にて大苦戦し、1勝9敗の最下位で降級点となった。年度全体で見ても9勝19敗に終わり、デビュー以来初めての一桁勝ち数となってしまった。 2017年度も苦戦は続き、第76期順位戦のB級2組10回戦で中村修九段に敗れ、2回目の降級点=C級1組への降級が決定した。 2018年度は第31期竜王戦で2連敗し、4組への降級となった。但し、年度全体の成績では18勝15敗と勝ち越しに成功した。 2019年度は第78期順位戦C級1組での成績が振るわず、3勝7敗に終わって降級点が付いてしまった。 2021年度、第80期順位戦のC級1組10回戦時点で2勝7敗となり、2度目の降級点が確定(最終的な成績は2勝8敗)。C級2組への陥落が決まった。加えて第34期竜王戦では3連敗して5組へ降級、年度全体では6勝22敗でデビュー以来最低の成績となる、など厳しい状況が続いた。 2023年度は第36期竜王戦で3連敗し、6組へ降級した。 2014年、第3回将棋電王戦第4局に副将として出場(対局場:小田原城)。対局強豪プログラムのツツカナを相手に得意戦法の一つである矢倉囲いで立ち向かうも、135手で敗退した。 同年12月31日には、秒読み10分、継盤使用という森下の提案による特殊ルールでツツカナとリベンジマッチを行なった。勝勢を築くが、対局開始から20時間以上経過しても決着がつかず、翌2015年1月1日5時26分、運営側からの提案で152手目をもって指掛けとなった。秒読み10分、継盤使用というルールはヒューマンエラーをなくすという意図で提案したもので、対局後には「(継盤を使用することは)『待ったありの将棋』みたいなもので、そういう意味でプロとしての恥ずかしさもあったんですが、自分としてはミスはゼロでしたし、実際にほぼ勝ちというところまでお見せできたという意味では、自分の役割は果たせたかなと思っています」と語った。2月16日にはニコニコ生放送にて会見が行なわれ、指掛けからコンピュータ同士で100局したところ森下側の100勝だったこと、その100局の中には300手以上続く対局もあったことなどから、対局再開はせずに、森下の判定勝ちとなった。なお、対局時には継盤を撮影するカメラに向かって着手の解説をするファンサービスも行っている。 ちなみにその間に行われた電王戦タッグマッチ2014ではツツカナと組み出場したが西尾明・ponanzaに敗れ結果的には準優勝になった。 2016年12月31日、稲葉陽・斎藤慎太郎とタッグを組み、大樹の枝・nozomi・ponanzaと3対3の合議制で対局する電王戦合議制マッチが開催されたが、156手で敗れた。 棋風研究熱心な居飛車党である。しかし、向かい飛車などの振り飛車も時折用いる。 矢倉戦法の一つである森下システムを考案した。これにより、のちに2005年度将棋大賞の升田幸三賞特別賞を受賞。 基本的に受け将棋であり、先に相手に攻めさせてからのカウンターを得意とする棋風である。 「駒得は裏切らない」という発言で知られる。 人物長年に渡って順位戦A級、竜王戦1組に在籍し、一般棋戦優勝も重ねた。しかし、タイトル戦でタイトル獲得歴の無い棋士としては最多の6度も挑戦者となるもタイトル獲得できず、「無冠の帝王」「シルバーコレクター」の異名を持つ。 師匠の花村が亡くなった後は代理として弟弟子の深浦の面倒を見ていた。後に深浦が佐々木大地を弟子に取るか迷った際も相談に乗っている。。 極めて礼儀正しく、知人をみつけると100m先であってもお辞儀をするという噂が出るほど将棋界一の律儀者と言われる。また、日頃の雑談が楽しいという、棋士仲間(女流棋士も含む)の間での評判がある。 夜型の棋士が多い中で生活も極めて規則正しく、毎日朝5時に熱いシャワーを浴びて目を覚ます。(早起きするのは、他に邪魔されることがなく集中できるから) NHK杯戦などで解説役を務めるとき、自分の考えに合わない手を対局者が指すと、低めの声の、ゆっくりとした批判口調で「これは驚きましたね」「ほー、こう指すもんですか」と言う。1局の中で何回も言うこともある。 羽生が七冠を達成した際、周囲からは賞賛する声が多い中で、森下は「棋士全員にとって屈辱です。」と発言し、一人気概を見せていた。なお、羽生が七冠となる過程の名人戦と棋王戦は森下自身が挑戦し奪取に失敗したものであった。 2005年度の棋士総会での理事選挙に立候補し当選、日本将棋連盟の出版、総務、経理担当理事を勤めた。2007年5月の理事選挙に出馬せずに退任した。 2007年3月に腹膜炎で手術のため入院。この影響で当時対局が予定されていた棋聖戦決勝トーナメントなど数局が不戦敗又は延期になってしまった。 2008年10月からの半年間、NHK将棋講座の講師を務めた。 記録係の「残り○分です」というかけ声に対し、しばしば「はい」と声を出して答える棋士がいるが、森下もその一人である。藤井猛によると、対局時計の機械の秒読み声にも「はい」と答えるという。 2014年前後に心境の変化があり、座右の銘は「淡々」から「情熱」に変化したという。 毎朝嗜むほどコーヒーが大好物である。しかし第3回電王戦ツツカナとの対局前日から勝利への神頼みの意味も込めて、酒とともに3年間絶飲を継続している。なお、その影響で大きく減量した。 一人息子の森下大地は俳優で、2014年にデビューを果たし、NHK連続テレビ小説『あさが来た』に出演するなどしている。父自身は「棋士を目指すことの厳しさを知っているので、息子には将棋を教えなかった」と語り、息子もまた「(父が僕に)将棋をやって欲しくないというのが判ったので職業にしたいとは思わなかった」と語っている。2019年2月放送の『盤上のアルファ〜約束の将棋〜』でテレビドラマに初出演し、長男・大地と親子役で初共演する。 小学4年から中学3年までの間、週に1回将棋を指せば一生楽しめる実力がつき、「将棋を義務教育化すべきだと考えています」との持論を持つ。 2024/06/13 23:59更新
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morishita taku
森下卓と同じ誕生日7月10日生まれ、同じ福岡出身の人
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