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深浦康市の情報 (ふかうらこういち)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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深浦 康市さんについて調べます

■名前・氏名
深浦 康市
(読み:ふかうら こういち)
■職業
将棋棋士
■深浦康市の誕生日・生年月日
1972年2月14日 (年齢52歳)
子年(ねずみ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
長崎出身

(昭和47年)1972年生まれの人の年齢早見表

深浦康市と同じ1972年生まれの有名人・芸能人

深浦康市と同じ2月14日生まれの有名人・芸能人

深浦康市と同じ出身地長崎県生まれの有名人・芸能人


深浦康市と関係のある人

浦野真彦: 準決勝で谷川浩司に敗れ、敗者復活戦では深浦康市に敗れて挑戦者決定戦進出はならなかった。


甲斐智美: またその倉敷藤花のタイトル戦の間の10月24日の王位戦予選2回戦では、当時順位戦A級・竜王戦1組所属で王位三連覇などの実績を持つ深浦康市九段を133手で破る大金星を挙げている。


行方尚史: さらに、佐藤康光竜王への挑戦権を争う本戦トーナメントでも、深浦康市、森内俊之、南芳一、米長邦雄といった強豪をなで斬りにする快進撃。


丸山忠久: 決勝の相手はそれぞれ郷田真隆、深浦康市


森内俊之: 第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦はシード、2回戦から、木村一基八段、羽生善治名人、菅井竜也五段、深浦康市九段、決勝戦で行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目の優勝を果たした。


丸山忠久: 第9期叡王戦段位別予選・九段戦決勝(対深浦康市戦)での勝利によるもので、2017年達成の佐藤康光以来、史上10人目の通算1000勝達成となる。


橋本崇載: 初めてのA級在籍となった第71期順位戦では強豪を相手に苦戦し、2013年3月1日に行われた最終局は、自身が負けたら無条件で降級、勝っても深浦康市・谷川浩司・高橋道雄のうち2名以上負けないと残留できないという厳しい状態で迎えた。


須賀原洋行: 深浦康市と羽生善治をモチーフとした「将棋星人」のジョークは須賀原自身の投稿が初出であると主張している。


行方尚史: 2001年度は早指し新鋭戦にて2回目の決勝進出となるが、深浦康市に敗れ準優勝に終わる。


北浜健介: 第18回(1999年)の決勝で深浦康市に敗れ、第21回(2002年)の決勝では山崎隆之に敗れた。


橋本崇載: 3月16日の最終戦の深浦康市戦にも勝ち、9勝3敗・1位の成績で、B級1組一期抜けを果たした。


丸山忠久: 2021年2月4日、第79期順位戦12回戦で深浦康市九段に敗れ、4勝8敗で一期でのB級2組降級となった。


橋本崇載: 2016年度、第29期竜王戦ランキング戦で深浦康市に敗退し、5位決定戦でも羽生善治に敗北、2011年より在籍していた1組からの降級が決定した。


木村一基: さらに、第50期王位戦でも、羽生、渡辺らを破って深浦康市王位への挑戦権を得、タイトル2連続挑戦。


三浦弘行: 2015年度の将棋日本シリーズ決勝で深浦康市に勝利し、13期ぶりの棋戦優勝。


阿久津主税: 第25回朝日オープン将棋選手権戦では予選を勝ち抜き、本戦でも森内俊之(対局当時名人)・阿部隆(当時順位戦A級在位)・久保利明(後に棋王・王将獲得)・深浦康市(第21回朝日オープン選手権者、翌年王位獲得)・鈴木大介(竜王・棋聖挑戦経験者)と強豪を立て続けに撃破し、羽生善治朝日への挑戦権を得る活躍(五番勝負は1-3で敗退)。


今泉健司: 続く2回戦で深浦康市を破りベスト16に入るも、3回戦で久保利明に破れた。


堀口一史座: 翌年、深浦康市を迎えた初防衛戦では、頭を五厘刈りにし決意の程を見せるも、1-3で敗北する。


山崎隆之: また、『将棋フォーカス』で行われた1分切れ負けの特別対局では、深浦康市に敗れるまで7連勝している。


先崎学: この木村との角落ち10番勝負企画について、将棋世界の事前予想インタビューに羽生善治は「10番では決着がつかないのでは」、深浦康市は「10番勝負で決着がつく(どちらかが角落ち下手で負ける)」と語っていた。


阿久津主税: 決勝トーナメントでは永世名人の資格を保持する森内俊之や、当時タイトル保持者の深浦康市(王位)らを破った。


橋本崇載: そこでも当時王位のタイトルを保持していた深浦康市に勝利するなど快進撃を続け、準決勝に進出(敗者復活戦出場及び次期シードの権利を獲得)。


森下卓: 白組で3勝2敗となり、弟弟子の深浦康市との残留決定戦を制して、5回目のリーグ残留に成功した(翌期は2勝3敗でリーグ陥落)。


藤井聡太: 2017年3月から4月にかけてAbemaTV 将棋チャンネルで配信された非公式戦「藤井聡太四段 炎の七番勝負 - New Generation Story - 」では、増田康宏(2016年新人王)、永瀬拓矢(2016年棋聖戦挑戦者)、斎藤慎太郎(2016年度勝率1位)、中村太地(2012年棋聖戦・2013年王座戦挑戦者)、深浦康市(A級在位中)、佐藤康光(A級在位中・将棋連盟会長)、羽生善治(タイトル三冠保持中・A級在位中)といった、後のタイトル保持者およびレジェンド軍団と対戦した。


土佐浩司: 第60期(2001年度)B級2組順位戦は、全勝の深浦康市が1位昇級を内定させ、2位昇級を2敗の鈴木大介・中川大輔・北浜健介・土佐が争う状況で最終戦を迎えた。


藤井猛: 2010年度、第58期王座戦挑戦者決定戦で深浦康市を下し、羽生王座に挑戦するがストレート負けを喫し、羽生が持つ同一タイトル連覇記録と同一タイトル連続無敗防衛記録の更新を許す。


羽生善治: 深浦康市は2003年に、「(二冠に後退したが)羽生さんは今も最強だと思っています。


三浦弘行: 第63期は4勝5敗で谷川浩司(3位)・丸山(4位)・鈴木大介(6位)・深浦康市(9位)と相星で並んだが、順位の差で7位(最終局の高橋道雄に敗れていたら陥落だった)。


三浦弘行: 深浦康市は好成績をあげながら順位の差に泣くことが多いが、その時順位の差で深浦を上回っているのは三浦であることが多い。


広瀬章人: 決勝トーナメントで久保利明と深浦康市を破り、羽生善治竜王への挑戦権を獲得した。


深浦康市の情報まとめ

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深浦 康市(ふかうら こういち)さんの誕生日は1972年2月14日です。長崎出身の将棋棋士のようです。

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棋風、人物・エピソードなどについてまとめました。テレビ、結婚、兄弟、卒業、現在、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。深浦康市の現在の年齢は52歳のようです。

深浦康市のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士である。棋士番号201。長崎県佐世保市出身。花村元司九段門下。愛称は「地球代表」。

1984年に奨励会に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、1991年10月1日に19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす。

デビュー直後から頭角を現し、1993年(1992年度)の全日本プロ将棋トーナメントにおいて、決勝五番勝負で米長邦雄を3-2で破って優勝。

1993年度、早指し新鋭戦で優勝。これにより、同年度の早指し将棋選手権への出場資格を得たが、こちらでも優勝(決勝の相手は羽生善治)。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。

以上のように、四段でありながらの年間優勝3回という成績により、この年度の将棋大賞の新人賞と敢闘賞を同時受賞。五段昇段前にこうした実績を挙げていたため、当時、棋士仲間から「深浦君は、まだ四段なの?」と、からかい混じりに褒められていた。

タイトル初挑戦は、羽生善治に挑戦した 1996年度の第37期王位戦である。しかし、1勝4敗でタイトル獲得はならなかった。このシリーズの第一局では、初手に端歩を突き(▲9六歩)、位取り中飛車に構える極めて珍しい作戦(5五龍中飛車)を採用して話題となった。また、婚約者とその両親を対局場に招待するという、粋なところを見せた。

また、通算勝率7割以上を長く保っていた深浦であるが、順位戦ではデビュー以来C級2組のままで停滞していた。しかし、結婚直後の1997年度から2期連続昇級でB級2組に昇級する。しかし、B級2組の1年目では9勝1敗の成績を挙げながら、不運にも3年連続昇級を逸する。

1999年から2001年にかけて、早指し新鋭戦で3連覇を果たす。

2003年(2002年度)、準タイトル戦の第21回朝日オープン将棋選手権において、初代朝日選手権者の堀口一史座に挑戦し3-1で奪取して、2代目の朝日選手権者となる(翌年、羽生善治に奪取される)。

2007年度、第48期王位戦で羽生善治に挑戦。11年前と同じタイトル戦で同じ顔合わせとなった。七番勝負はフルセットの熱戦となったが、4勝3敗で制し、35歳にして初タイトルとなる王位奪取に成功して、「九州にタイトルを持って帰る」という対局前の言葉を現実のものとした。九州出身棋士のタイトル獲得は、1984年の加藤一二三(福岡県出身)以来23年振りで、奇しくも同じタイトル(王位)であった。七番勝負の中で、特に最終局(第7局、出だしは後手の羽生の中飛車)は、中盤から終盤にかけての攻防が非常に難解で、NHK BS2の囲碁・将棋ジャーナルで解説をした佐藤康光は「歴史的な終盤の名局」と絶賛。この対局は将棋世界2008年3月号の「プレイバック2007(プロ棋士が選ぶ2007年名局集ベスト10)」で第1位に輝き、第35回将棋大賞の名局賞を羽生とともに受賞した。

2008年度、初のタイトル防衛戦となる第49期王位戦七番勝負で、リターンマッチを仕掛けてきた羽生をフルセットの末に破り、2連覇。同時に準タイトル戦の朝日オープンを含めタイトル獲得3期の扱いとなり、規定により九段昇段を果たす。

同年、第2回朝日杯将棋オープン戦で史上39人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。600勝到達時の勝率6割8分1厘(281敗)は、羽生善治、大山康晴、中原誠の3人の大棋士に次ぐ歴代4位の記録で、谷川浩司、佐藤康光、森内俊之、渡辺明といった永世称号資格取得者すら上回る高勝率であった。第29回将棋日本シリーズでは同門兄弟子の森下卓に決勝戦で敗れて準優勝。

2009年(2008年度)、羽生に挑戦した第58期王将戦七番勝負では、第5局終了時点で3勝2敗とし初の二冠に王手をかけるとともに、羽生との対戦成績を26勝26敗のタイとした。しかし、第6局、第7局で連敗し、タイトル奪取はならなかった。

2009年度、第22期竜王戦で羽生を破り、初めて1組で優勝。第50期王位戦七番勝負では木村一基の挑戦を受ける。最初の3局で3連敗して防衛失敗の瀬戸際に追い込まれ、負けられない状況となった。しかし、出身地の長崎県佐世保市で行われた第4局に勝利したのをきっかけに4連勝を返し、史上2度目となる3連敗4連勝での逆転防衛で、3連覇を果たした。深浦は防衛成功後のインタビューでは、「内容はひどかった。いかに地元での対局を戦うかということで、その辺りから集中できた。」と語った。第30回将棋日本シリーズでは昨年に引き続き決勝戦へ進出したが、谷川浩司に敗れて2度目の準優勝。

2010年度、第81期棋聖戦で羽生への挑戦権を得たものの、年度前半の勝率は4割台と不調。棋聖戦では(初めての五番勝負・1日制のタイトル戦)、3連敗のストレート負け。また、その直後の第51期王位戦で広瀬章人に2勝4敗(2千日手)で敗れ、3年ぶりに無冠となった。なお、この王位戦の第6局(最終局)は、第38回将棋大賞の名局賞に選ばれた。

2011年度、佐藤天彦六段を破り、第82期棋聖戦で羽生への挑戦権を獲得するも、3連敗でタイトル奪取ならず。

2012年度、第25期竜王戦で山崎隆之を破り、2度目の1組優勝。

2013年度、第72期順位戦のA級にて5勝4敗の成績で終え、初めての勝ち越し残留に成功した。

2015年度、第23期銀河戦では決勝で佐藤天彦を破り、実に12年ぶりの一般棋戦優勝を果たした。第36回将棋日本シリーズでは決勝戦で三浦弘行に敗れて3度目の準優勝。将棋日本シリーズ戦で優勝経験がない棋士の中で、最多の準優勝回数となった。

2016年度、第75期順位戦における佐藤康光とのA級順位戦の対局が、深浦にとっては敗局だが、第44回将棋大賞の名局賞に選ばれた。3度目の名局賞となる。

2017年11月3日、第67期王将戦挑戦者決定リーグ戦で斎藤慎太郎に勝ち、史上19人目となる公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成した。

2018年度、第31期竜王戦で2組2位で決勝トーナメントに進出し挑戦者決定戦まで進出したが、広瀬章人に1勝2敗で敗れ、竜王挑戦を逃した。また、第77期A級順位戦は、2勝7敗でクラス9位の結果に終わり、4度目のB級1組降級となった。

2019年度の第69回NHK杯将棋トーナメントにて、稲葉陽、増田康宏といった若手実力者を退けて、同棋戦初優勝を果たした。

2020年度の第79期B級1組順位戦では、初めの3戦を2勝1敗としたものの、以降は7連敗と大苦戦する。それでも12回戦で丸山忠久に勝利したことで、最終局に勝利すれば僅かながら残留の目が残る状態になったが、木村一基を相手に敗戦。結果的に最下位の13位で終わり、第60期(2002年度)以来のB級2組陥落となった。

2023年度には第82期順位戦B級2組で健闘し、8回戦終了時で7勝1敗とB級1組復帰まで後1勝と迫ったが、残り2戦を連敗し、復帰はならなかった。

1993年度、2度目のC級2組順位戦(第52期)最終局で三浦弘行に敗れ、深浦が7勝3敗、三浦が8勝2敗になった。このことが後々の不運の遠因となっている。

1994年度、3度目のC級2組順位戦(第53期)で、順位の差で9勝1敗で4位(次点)。このときの昇級者は、久保利明(10-0)、三浦弘行(9-1)、中川大輔(9-1)。

1999年度の第58期B級2組順位戦では、9勝1敗で3位(次点)。このときの昇級者は、いずれも9勝1敗の藤井猛と三浦弘行で順位の差で昇級を逃す。

2003年度、第62期B級1組順位戦では最終成績11勝1敗とし、最終局まで2局残した状態で初のA級昇級を決める。

2004年度、第63期A級順位戦は、最終9回戦で羽生に勝てば勝ち越しで残留であったが、敗れたため谷川浩司、丸山忠久、三浦弘行、鈴木大介とともに5名で4勝5敗に並んで終える。深浦は昇級直後で順位において下位(9位)であったため、B級1組へ降級となった。

2005年度、第64期B級1組順位戦では最終成績10勝2敗とし、最終局まで2局残した状態で1期でのA級復帰を決める。

2006年度、2度目のA級となった第65期A級順位戦は、佐藤康光、丸山忠久、藤井猛、久保利明、三浦弘行とともに6名で4勝5敗に並んで終える。またしても順位で下位(再び9位)であったため、B級1組へ降級(最終局で勝利するものの、残留争いでライバルとなっていた久保利明と丸山忠久がそれぞれ佐藤康光と郷田真隆に勝利したため)。

2007年度、第66期B級1組順位戦では最終成績9勝3敗とし、最終局まで2局残して鈴木大介と共にA級復帰を決める。

2008年度、3度目のA級となった第67期A級順位戦では、三浦弘行、鈴木大介とともに3勝6敗という最下位の成績に終わり、順位が上の三浦が残留、深浦と鈴木が降級した。なお、A級在籍のタイトル保持者がB級1組に陥落するのは史上初である(当時は王位)。これで、A級とB級1組との間を6年連続で往来したことになる。

なお、4度目となる第71期A級順位戦(2012年度)では3勝6敗であったが、2勝7敗者が3名いたため7位となり、自身初のA級残留を決めている。

棋風

若手時代から、手厚さ、強靭な受けを特徴とする安定した将棋を指す棋風であり、長年、棋界指折りの通算勝率(約7割)を維持した。その一方、数々の大舞台で深浦と戦っている羽生善治は、深浦の将棋を「アグレッシブ」、「積極的」と評している。

基本的には居飛車党であり、矢倉、角換わりを指すことが多い。2006年頃以降は振り飛車戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻めも合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年からの羽生とのタイトル戦でもその傾向が見られる。

序盤の研究家としての側面もあり、序盤作戦の指針となる『これが最前線だ!』『最前線物語』『最前線物語2』の三部作を著している。

人物・エピソード

奨励会入会時に長崎県から埼玉県の親戚宅に居候。中学を卒業と同時にアパートを借りて一人暮らしを始めているが、家賃の支払いが遅れて泣きながら大家に謝ったこともある。高校進学はほとんど考えていなかった。

サッカー好きであり、日本将棋連盟 のサッカー部初代部長を務めた。

1996年に現在の夫人と結婚。同年に深浦が風邪をこじらせて入院してしまった際に、入院先の病院で夫人が看護婦を務めており、出身が同じ長崎県ということで意気投合したのがきっかけ。深浦によれば、同病院の院長が米長邦雄とゴルフ仲間だったり、夫人以外にも長崎県出身者を多く採用していたりと、不思議な縁がいくつもあったという。前述の通りこの年の王位戦の対局に夫人(当時は婚約者)と両親を招待しているが、実際には両親が将棋棋士という職業を知らなかったことで結婚に反対していたのを説得する目的があった。

1999年、将棋漫画「歩武の駒」(週刊少年サンデー)の監修。

2006年7月2日に行われたJT将棋日本シリーズ・対丸山忠久戦において途中、同一局面が4回現れ千日手指し直しとなるはずが、両対局者、記録係、大盤解説者(加藤一二三)、聞き手(中倉宏美)の誰もが気付かず対局が進められた(結果は深浦勝ち)という珍しい事件が起こった。

2013年度は前述通りA級の初勝ち越しを決めたが、同年度の第55期王位戦予選において、女流棋士の甲斐智美に敗れるという大金星を献上してしまった。青野照市以降、女流に敗れた2人目のA級棋士となったが、青野は早指し棋戦であるNHK杯であったため、長時間の棋戦では深浦の敗戦が初である。

NHK-BS2で毎年正月に放送される「大逆転将棋」(司会は神吉宏充)では、ゲストがプロに勝てる可能性を作る変則ルールの将棋が行われる。深浦は、その変則ルールのアイデアマンを務めた。

朝食は生粋のご飯党で、生卵は欠かさないという。また、粘り強さを出すために、対局の朝には必ず納豆と生卵を食べることが日常化しているとのこと。

羽生善治に対しては、2007年第48期王位戦で羽生からタイトルを奪い、翌年、羽生を相手に自身初の防衛戦で勝利するなど善戦している。その一方で、兄弟子である森下卓とは共同研究をする仲だからなのか、第29回JT将棋日本シリーズ決勝で森下と対戦した際のインタビューで「羽生さんよりも森下さんとの対局の方がやりにくい」と語っている。なお、森下はこれに対し、「奨励会時代、あるいは若手の時に深浦君ぐらい努力した棋士は多いかもしれない。しかし、三十半ばを過ぎても深浦君ほど努力している棋士は数人だろう」と評し、この努力が羽生に対して臆することなく立ち向かう自信の源になっているのだろうと指摘している。

「一人のことばかり考えるという点で番勝負は恋愛に似ている」などの発言から、「恋愛流」と評されることもある。

時にメディアで「羽生世代の一人」と書かれることがあるが、一般的に「羽生世代」と呼ばれている棋士達より学年で1 - 2年若い。

「地球代表」という異名で呼ばれることもある。元々はインターネット上に書き込まれた「もし将棋星人が攻めてきて地球の運命を賭けて将棋を指すことになったら、地球代表は(当時、王位を獲得するなど勢いのあった)深浦でなく(実績が十分な)羽生だ」という(深浦にとってはネガティブな)ジョークがきっかけだが、これが広まったのちに深浦が羽生や藤井聡太を立て続けに破ったことから「(圧倒的な成績を誇る)羽生や藤井聡太こそが将棋星人で、地球代表は(彼らに強い)深浦である」というミームに変化し、深浦自身の愛称として定着した。本人もこの愛称で呼ばれていることは知っているようで、将棋フォーカスのインタビューでは「勝負強さを認められており、うれしさを感じている。」と発言している他、ネット中継番組の視聴者プレゼントのサイン色紙に「地球代表 深浦康市」と書いたこともある。

息子は将棋とサッカーをやっており、「ピラメキーノ」の3ONストライカーに出演したことがある。

2012年6月8日、日本将棋連盟非常勤理事に就任( - 2015年)。

2018年6月末にフットサルで右肩を脱臼する怪我を負い、第31期竜王戦挑戦者決定三番勝負最終局で指し手を右手に戻すまでの2ヶ月ほどの間は左手で指していた。

2024/06/12 18:52更新

fukaura kouichi


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