芳賀矢一の情報(はがやいち) 国語学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
芳賀 矢一さんについて調べます
■名前・氏名 |
芳賀矢一と関係のある人
土岐善麿: 『NAKIWARAI』はヘボン式を採用したが、すぐに日本式ローマ字に転向し、田中舘愛橘、芳賀矢一、田丸卓郎指導のもとに「ローマ字世界」の編集に当たる。 高山樗牛: 夏目漱石・芳賀矢一らと同時期の任命であり、帰国後は京都帝国大学の教授が内定していた。 藤岡作太郎: 卒業後、大阪府第一中学校、京都真宗大谷派第一中学校教員、真宗大谷派大学寮教授、第三高等学校教授ののち、1900年東京帝国大学助教授となり、芳賀矢一の洋行の後の担当となる。 池田亀鑑: 芳賀矢一がドイツから導入した文献学の方法を日本古典文学研究に敷衍し、『土佐日記』での紀貫之自筆本再建のプロセスを例として『古典の批判的処置に関する研究』全三巻(岩波書店、1941年2月)でその方法論を確立、さらに翌1942年(昭和17年)10月、十数年の歳月を傾けた畢生の大著『校異源氏物語」全5巻(中央公論社)を完成させる。 南方熊楠: 同窓生には塩原金之助(夏目漱石)、正岡常規(正岡子規)、秋山真之、寺石正路、芳賀矢一、山田美妙、本多光太郎などがいた。 夏目漱石: 1902年(明治35年)9月に芳賀矢一らが訪れた際には「早めて帰朝(帰国)させたい、多少気がはれるだろう、文部省の当局に話そうか」と話が出たためか、「夏目発狂」の噂が文部省内に流れた。 田中舘愛橘: 明治42年(1909年)には愛橘、芳賀矢一、田丸により羅馬字新誌社を母体とする「日本のローマ字社」が設立、明治43年(1910年)6月に「ローマ字新聞」を創刊、明治44年(1911年)7月に「ローマ字世界」を創刊、大正10年(1921年)に日本ローマ字会を創立するなどの活動を続け、弟子の田丸や寺田と共にその普及に努めた。 三宅雪嶺: 他は芳賀矢一「国民性十論」 水野錬太郎: 大学予備門では、芳賀矢一(国文学者)、作家の夏目漱石・山田美妙、中村是公(満鉄総裁)、中川小十郎(立命館総長)、平岡定太郎(樺太庁長官、三島由紀夫の祖父)、山座円次郎(外交官)、正木直彦(美術学校校長)らと同級である。 塙保己一: 明治42年(1909年)、井上通泰が文部省の倉庫で『群書類従』の版木を発見し、これを管理・保存する目的で渋沢栄一、芳賀矢一、塙忠雄が温故学会を創設した。 望月圭介: 1883年(明治16年)同校卒業、同級生あるいは同年卒に床次竹二郎・石塚英蔵・秋山定輔・谷口留五郎・白仁武・鈴木天眼・一宮鈴太郎・井上辰九郎・服部宇之吉・芳賀矢一・橋本左五郎・大森房吉・岡田竹五郎・有坂鉊蔵・北島多一らがいる。 夏目漱石: 同級に中村是公、芳賀矢一、正木直彦、橋本左五郎などがいた。 |
芳賀矢一の情報まとめ
芳賀 矢一(はが やいち)さんの誕生日は1867年6月16日です。福井出身の国語学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1927年に亡くなられているようです。
芳賀矢一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日(1867年6月16日) - 昭和2年(1927年)2月6日)は、日本の国文学者。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長、帝国学士院会員。 1867年、越前国福井生まれ。父は国学者の芳賀真咲。第一高等中学校を経て、帝国大学文科大学(のちの東京帝国大学文学部)卒業。小中村清矩に学ぶ。 1898年に東京帝国大学助教授、翌年(1899年)よりドイツに留学し、文献学を学ぶ。1901年に帰国し、東京帝国大学教授となる。1903年、文学博士を取得。大正4年(1915年)帝国学士院会員。また1918年から逝去まで國學院大學学長を務め、同大学の大学令による大学昇格や渋谷移転にも尽力した。また、東宮職御用掛を拝命。大正天皇崩御の際には、奉悼歌の歌詞を命じられた。 昭和2年(1927年)、心臓麻痺のため死去。墓所は文京区護国寺。 上田萬年に続く東京帝国大学国語国文学教授で、国学とドイツ文献学をあわせた日本国文学の基礎を作り、近代国文学の父と称された。また国語教育に携わり国定教科書を編纂した。「尋常小学読本」編集・校閲との関連で、文部省著作の「尋常小学唱歌」を湯原元一らと編纂、歌詞校閲には深く関わっており、一部の韻文歌詞を作詞した可能性も高い。一部では山口県立下関南高等学校校歌などの作詞もしている。 数多くの古典文学を校訂したが、『源氏物語』を論じて、このような乱倫の書物が日本の大古典であることは情けないと述べている。夏目漱石と同年で、漱石が講師だった時に教授をしていた。 父:芳賀真咲 - 国学者。 息子: 芳賀檀 - 評論家、ドイツ文学者。 娘婿
尾高朝雄 - 四女・咲子の夫、法学者。 いとこ・斯波貞吉 1917年(大正6年)12月28日 - 正四位 1908年(明治41年)6月25日 - 勲四等瑞宝章 新撰帝国史要 (冨山房、1896年) 国文学史十講 (冨山房、1899年) 国学史概論 (国語伝習所、1900年) 世界文学者年表 (冨山房、1904年) 国語活用聯語一覧 (冨山房、1904年) 内地旅行 (金港堂、1905年) 中等教科中古文典 (冨山房、1905年) 国民性十論 (冨山房、1908年) 月雪花 (文会堂、1909年) 年中行事唱歌 (文昌閣、1910年) 日本人 付録・国体百首 (1912年) 新式辞典 (大倉書店、初版1912年) 国文学史概論 (文会堂書店、1913年) 口語文典大要 (文昌閣、1913年) 日本人名辞典 (大倉書店、1914年) 筆のまにまに (冨山房、1915年) 帝国読本 (冨山房、1918年) 筆にまかせて (日本書院、1918年) 芳賀矢一遺著 (冨山房、1928年) 芳賀矢一文集 (芳賀檀編 冨山房、1937年) 芳賀矢一選集(全8冊 國學院大學、1982年-1992年) 佐々木孝浩『芳賀矢一 : 「国文学」の誕生』岩波書店〈近代「国文学」の肖像 第1巻〉、2021年。ISBN 9784000269766。全国書誌番号:23650501。 ^ 小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎(幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。 ^ “「国の基を究むるところ」 國學院中興の祖・芳賀矢一の足跡【学問の道】”. 國學院大學. 2023年9月24日閲覧。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)228頁 ^ 穂積重遠『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月] ^ 「尾高朝雄」『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年、補遺18頁。 ^ 斯波北莊近代文献人名辞典(β) ^ 『官報』第1624号「叙任及辞令」1917年12月29日。 ^ 『官報』第7499号「叙任及辞令」1908年6月26日。 ^ 『日本人論』に収録(生松敬三編、冨山房百科文庫、1977年) ^ 『新式辞典』大倉書店、1912年、奥付頁。doi:10.11501/3458491。https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3458491/1/882。「国立国会図書館デジタルコレクション」 「大正元年九月廿六日発行」とある。 『校異源氏物語』・『源氏物語大成』 - もともとは同人が東京帝国大学を退官するのに伴った記念事業として企画されたものである。 花まつり - 言葉の起源とされる、1901年にベルリンで催された「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人の一人。 芳賀 矢一:作家別作品リスト - 青空文庫 芳賀矢一 :: 東文研アーカイブデータベース - 東京文化財研究所 森田真吾「文法教育史における芳賀矢一」『人文科教育研究』第26巻、人文科教育学会、1999年8月、83-95頁、CRID 1390009224663550976、doi:10.15068/00130719、hdl:2241/14621、ISSN 09131434。 佐野晴夫「芳賀矢一の国学観とドイツ文献学」『山口大学独仏文学』第23巻、山口大学独仏文学研究会、2001年、1-20頁、CRID 1050001337453045504、NAID 110000222138。 表 話 編 歴 高崎正風 1890-1893 国重正文 1893-1896 佐佐木高行 1896-1906 佐佐木高行 1906-1910 芳川顕正 1910-1911 鍋島直大 1911-1918 土方久元 1918 芳賀矢一 1918-1920 芳賀矢一 1920-1927 臨時事務取扱 江木千之 1927 上田万年 1927-1929 服部宇之吉 1929-1933 事務取扱 副島知一 1933 市村瓚次郎 1933-1935 河野省三 1935-1942 佐佐木行忠 1942-1946 石川岩吉 1946-1959 佐佐木行忠 1959-1970 佐藤謙三 1970-1975 吉川泰雄 1975-1987 春田宣 1987-1995 上田賢治 1995-1999 阿部美哉 1999-2003 安蘇谷正彦 2003-2011 赤井益久 2011-2019 針本正行 2019- カテゴリ メディア 國學院大學 人物 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 日本文学研究者 日本の文学研究者 文学博士取得者 帝国学士院会員 東京大学の教員 國學院大學学長 國學院大學の教員 勲四等瑞宝章受章者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 福井県出身の人物 越前国の人物 1867年生 1927年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/14 21:50更新
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