若山牧水の情報(わかやまぼくすい) 歌人(短歌) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若山 牧水さんについて調べます
■名前・氏名 |
若山牧水と関係のある人
土岐善麿: 窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘を受け、同級の若山牧水と共に作歌に励んだ。 川端康成: 湯ヶ島には、梶井の同人『青空』の面々(淀野隆三、外村繁、三好達治)、十一谷義三郎、藤沢桓夫、小野勇、保田与重郎、大塚金之助、日夏耿之介、岸田国士、林房雄、中河与一、若山牧水、鈴木信太郎、尾崎士郎、宇野千代、萩原朔太郎らも訪れた。 梶井基次郎: この頃、トルストイの『アンナ・カレーニナ』や若山牧水の『山櫻の歌』も読んだ。 米川千嘉子: 2005年、歌集『瀧と流星』で第9回若山牧水賞、第3回茨城県歌人協会賞を受賞。 結城アイラ: 若山牧水(古川慎) 北原白秋: 上京後、同郷の好によって若山牧水と親しく交流するようになる。 三橋鷹女: 慶次郎が若山牧水、与謝野晶子に師事する歌人であったため、この影響で鷹女も作歌をはじめる。 中島健蔵: この頃、川田順や若山牧水、窪田空穂の短歌に心酔。 島田芳文: 中学時代に島田青峰、若山牧水に短歌を学ぶ。 川野里子: 2010年、『王者の道』で第15回若山牧水賞 武田麟太郎: 創作した短編も大阪今日新聞などに投稿し、若山牧水や佐藤春夫を読み、田山花袋の随筆を通じて井原西鶴を知り、永井荷風を愛読した。 俵万智: 2006年(平成18年)歌集「プーさんの鼻」で第11回若山牧水賞を受賞。 金子みすゞ: 童謡詩人会の会員は西條八十、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村、野口雨情、三木露風、若山牧水など。 梶井基次郎: 初七日が済み、若山牧水の『みなかみ紀行』を買って夜の街を散歩した基次郎は、〈綴りの間違つた看板の様な都会の美〉や〈華やかな孤独〉を感じ、〈神経衰弱に非ざればある種の美が把めないと思つてゐる〉として、それを書くためには〈精力〉が必要だという心境を友人らに宛て綴った。 古川慎: 啄木鳥探偵處(若山牧水) 野津山幸宏: NHKオリジナル朗読劇『白秋転生奇譚』(2022年3月18日、NHK福岡放送局)- 若山牧水役) 大岡信: 10月、詩人論『今日も旅ゆく―若山牧水紀行』刊行。 稲田定雄: また「創作」(若山牧水が創始者)に参加した歌人でもあり、昭和万葉集に作品が収められている。 服部幸子: 若山牧水 佐佐木幸綱: 1998年、歌集『旅人』で第2回若山牧水賞受賞。 水原紫苑: 第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞。 池内紀: 若山牧水『新編 みなかみ紀行』編・解説、岩波文庫 2002 石川啄木: 4月9日、土岐哀果や若山牧水の援助で第二歌集(後の『悲しき玩具』、当時は『一握の砂以後』というタイトルだった)を東雲堂書店が出版することが決まり、原稿料20円が(前借りとして)もたらされた。 萩原朔太郎: 6月、若山牧水来訪。 鈴木光男: 3人の兄が夏目漱石、石川啄木、若山牧水などの多数の書籍を残してくれた。その中で若山牧水を愛読した。 俵万智: 2006年 - 『プーさんの鼻』で第11回若山牧水賞受賞。 穂村弘: 2018年、第4歌集『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞受賞。 豊田有恒: 父親は京都帝国大学医学部出身であったが、在学中は短歌会で若山牧水と交際があり、卒業後は『創作』誌に小説を発表し、開業医になってからは自宅に高浜虚子を逗留させるなど、文学に理解のある人物だったという。 伊崎充則: あくがれのみなかみ (2017年) - 若山牧水 役 梶井基次郎: 雑誌『改造』に掲載された若山牧水の「みなかみ紀行」を読んで宇賀康に送った。 |
若山牧水の情報まとめ
若山 牧水(わかやま ぼくすい)さんの誕生日は1885年8月24日です。宮崎出身の歌人(短歌)のようです。
卒業、退社、結婚に関する情報もありますね。1928年に亡くなられているようです。
若山牧水のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。 18歳のとき、号を牧水とする。由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」 1904年(明治37年)早稲田大学に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。土岐善麿、安成貞雄、佐藤緑葉も同級生で、ともに回覧雑誌「北斗」を作っていた。1908年(明治41年)早稲田大学英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年(明治42年)、安成貞雄の紹介で中央新聞社に入社するが、5ヶ月後に退社。尾上柴舟の門に入った。 1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って塩尻より上京していた歌人で、のちに妻となる太田喜志子(1888-1968)と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、水穂が仲人となり喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)(1913〜98)誕生。その後、2女1男をもうける。 1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。 1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年9月に日光浴による足の裏の火傷と下痢・発熱を起こして全身衰弱し、長年の大量飲酒による急性胃腸炎と肝硬変を併発して9月17日に沼津市の自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。 牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。長男・旅人も歌人となり、沼津市若山牧水記念館の第2代館長をつとめた。 短歌の弟子としては、長谷川銀作・大橋松平・黒田忠次郎・大悟法利雄・山下秀之助などがいる。 自作の短歌の揮毫を多数制作しており、書家としても知られる。 旅を愛し、生涯にわたって旅をしては各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。 鉄道旅行を好み、鉄道紀行の先駆といえる随筆も残している。 大変な酒豪(またはアルコール依存症)としても知られ、1日に1升の酒を飲んでいたという。死因は肝硬変である。盛夏に死亡したにもかかわらず、死後しばらく経っても遺体から死臭がせず「生きたままアルコール漬けになったのでは」と医師を驚かせた逸話がある。 自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり、富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。 情熱的な恋をしたことでも知られており、妻・喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛を詠んだ歌も残る。 出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した業績を挙げた者に「若山牧水賞」を授与している。 牧水自身は宮崎県出身だが、祖父・若山健海は武蔵国神米金村(現・埼玉県所沢市神米金)出身で、長崎にて西洋医学を学び、宮崎県にて診療所を営む開業医であった。 牧水は祖父ゆかりの地である埼玉県を度々訪れた。大学時代には所沢を訪れた。所沢市の八雲神社には、牧水の歌碑が建立されている。また、秩父地方にも数度訪れて、歌と紀行文を残している。秩父市の羊山公園には「牧水の滝」と名づけられた滝があり、そこには という秩父の春を歌った碑がある。 海の声(1908年7月出版) 独り歌へる(1910年1月出版) 別離(1910年4月出版) 路上(1911年9月出版) 死か芸術か(1912年9月出版) みなかみ(1913年9月出版) 秋風の歌(1914年4月出版) 砂丘(1915年10月出版) 朝の歌(1916年6月出版) 白梅集(1917年8月出版) さびしき樹木(1918年7月出版) 渓谷集(1918年5月出版) くろ土(1921年3月出版) 山桜の歌(1923年5月出版) 黒松(1938年9月出版) みなかみ紀行 木枯紀行 若山喜志子・大悟法利雄共編『若山牧水全集』全12巻(雄鶏社、1958-59年) 若山喜志子・長谷川銀作共編『若山牧水選集』全5巻(春秋社、1963年) 『若山牧水全集』全13巻・補巻1(増進会出版社、1992-93年) 『新編 みなかみ紀行』池内紀編、岩波文庫、2002年 - 以下は近年刊 『若山牧水歌集』伊藤一彦編、岩波文庫、2004年 『樹木とその葉』田畑書店、2019年 『エッセンシャル牧水』田畑書店、2019年。妻が選んだ歌論と短歌 『歩く人 牧水紀行文撰』正津勉編、田畑書店、2021年 幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまな人 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花 旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に 麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村 この冬の夜に愛すべきもの、薔薇あり、つめたき紅の郵便切手あり 水無月の青く明けゆく停車場に少女にも似て動く機関車 妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶て飲み噎せ鼻ゆこぼしつ 釣り暮し帰れば母に叱られき叱れる母に渡しき鮎を 若山牧水歌碑(千葉県多古町) - 1925年に夫妻で蔦屋(現市原邸)に逗留したときに牧水が詠んだ歌の歌碑。 ^ 『朝日年鑑 昭和5年』朝日新聞社、1929年、676頁。 ^ 『おもひでの記』 ^ 『会員名簿 昭和2年11月』早稲田大学校友会、1927年、293頁。 ^ 若山喜志子(読み)わかやま きしこコトバンク ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)342頁 ^ 金子光晴、他・編集『日本詩人全集・第三巻』創元文庫、1953年、241頁。 ^ “白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり”. JLogos. Ea,Inc. 2019年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月24日閲覧。 ^ 俵万智『あなたと読む恋の歌百首』文藝春秋社、2005年12月1日。ISBN 9784167548056。 ^ 大悟法利雄, “若山牧水 わかやまぼくすい”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館, https://archive.is/GhEkY#54.5% ^ 若山牧水『牧水全集 第三巻』改造社、1929年、596頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883108/318。 ^ “歴史のさと多古を歩く”. 多古町. 2021年11月24日閲覧。
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2024/11/19 23:17更新
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