若林正俊の情報(わかばやしまさとし) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若林 正俊さんについて調べます
■名前・氏名 |
若林正俊と関係のある人
遠藤武彦: 後任には前任者の若林正俊が再度就任した。 田中秀征: なお、この選挙において、新人の田中、若林正俊(自民公認)がそれぞれ得票数1位、2位で当選した一方で、最も得票数の少なかったベテランの小坂(自民公認)が日本社会党の清水勇の後塵を拝し、得票数4位で落選した。 上村愛子: 2005年 - 2006年ごろから、地球温暖化による降雪不足を心配し始め、「上村愛子オフィシャルブログ」や「CO2減らそうリレーブログ」においても述べている通り、2007年3月、後に夫となる皆川賢太郎、スキー界の先輩で参議院議員の荻原健司と共に当時の若林正俊環境相を表敬訪問するなど、環境問題改善を目する社会活動を行っている。 森美秀: 若林正俊 小沢辰男: 若林正俊 小山長規: 若林正俊 馳浩: 直後の2009年自由民主党総裁選挙で西村康稔の推薦人になった(首班指名で若林正俊支持)2012年9月、2012年自由民主党総裁選挙で町村信孝の推薦人になった(決選投票では安倍晋三を支持)。 梶木又三: 若林正俊 北川石松: 若林正俊 野田毅: しかし、新総裁の選出が首班指名選挙に間に合わないため、総裁選挙管理委員長である野田の名前を書いて投票してはどうか、という提案が加藤紘一などからなされたが、結局は両院議員総会長の若林正俊の名前を書くことで統一された。 山崎竜男: 若林正俊 佐原光一: 農林水産大臣の若林正俊や中部経済連合会副会長の神野信郎らが出席し「有力候補」を印象づけたが、佐原は企業回りをする中で自民党関係者に「党は組織として彼(小久保)を何とかできないんですか」と不満をぶちまけた。 堀内俊夫: 若林正俊 上村千一郎: 若林正俊 倉石忠雄: 1974年に勲一等旭日大綬章を受章し、1983年に政界を引退した(地盤は若林正俊が継いだ)。 林大幹: 若林正俊 青木幹雄: 2010年3月31日の参議院本会議における改正雇用保険法など10件の採決で、隣席に座る自民党の若林正俊議員が、出席の札を立てたまま議場を離れていた青木の投票ボタンを押した。 田中秀征: この総選挙に際しては、連立与党内での候補者調整が不調に終わり、長野1区から新党さきがけの田中、自民党の若林正俊が出馬し、票の分裂を引き起こした(田中、若林の票の合計は小坂の得票を上回る)。 |
若林正俊の情報まとめ
若林 正俊(わかばやし まさとし)さんの誕生日は1934年7月4日です。長野出身の政治家のようです。
現在、卒業、引退、父親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。
若林正俊のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月4日 - 2023年〈令和5年〉11月11日)は、日本の農林水産官僚、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。 農林水産大臣(第43・45・46代)、環境大臣(第8代)、財務副大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後)・第1次小泉内閣)、大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))、総務政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、参議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、参議院農林水産委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 「若」の字は、くさかんむりの部分が3画の「艹」ではなく、4画の「十十」である字体を正式な表記としている。 長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市)出身。成蹊中学校・高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。 大学卒業後は農林省に入省。食品流通局市場課長、農林経済局金融課長、構造改善局農政部農政課長、国土庁長官官房総務課長を歴任。1983年1月に農林水産省に戻るとともに退官した。 1983年の第37回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧長野1区から初当選(倉石忠雄の地盤を継承)した。続く1986年第38回衆議院議員総選挙で再選を果たす。総務政務次官などを歴任するが、1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選した。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で当選する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では2度目の落選となった。 1998年に参議院議員に鞍替えし第18回参議院議員通常選挙長野県選挙区で当選。2004年第20回参議院議員通常選挙で再選。 2006年、第1次安倍内閣で環境大臣として初入閣。2007年5月28日から6月1日まで、自殺した農林水産大臣・松岡利勝の後を受けて農水大臣臨時代理を務めた。これは松岡の外国訪問中にはおおむね若林が臨時代理に指定されていたことなどによる。 8月1日、松岡利勝の正式な後任として農林水産大臣を務めていた赤城徳彦の辞任に伴い、農林水産大臣を兼任。8月27日の内閣改造(第1次安倍内閣改造内閣)により一度は閣僚を退任したが、自分の後任農林水産大臣として入閣した遠藤武彦の辞任に伴い、8日後の9月4日に専任大臣として再度就任。 臨時代理を含めると「3ヶ月余りで3回目の大臣就任」という事態となったことで、「不祥事を起こした農林水産大臣の後のリリーフ役」というイメージが定着し、農林水産省では「抑えの切り札」「ミスター・リリーフ」と呼ばれるようになった(ただし、自身にも関連政治団体への不透明な政治資金が発覚したことがある)。同年9月26日に発足した福田康夫内閣でも農林水産大臣に再任され、2008年8月2日の内閣改造まで1年間在任した。 体調不良で自民党参議院幹事長を辞任した山崎正昭の後任に自民党両院議員総会長の谷川秀善が就任したことを受け、空席になった自民党両院議員総会長に就任。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で自民党下野が決まった後の9月16日には、内閣総理大臣指名選挙で自民党の首班候補となり、119票を得た(民主党代表の鳩山由紀夫は327票)。これは、総選挙で惨敗した責任を取って麻生太郎を初めとした自民党幹部が総裁など党役職を辞任すること、この時点で自由民主党総裁選挙が実施されておらず、後継総裁が決まらない状況でもあったことから、自民党議員全員が一致して投票できる候補として、両院議員総会長の職にあった若林に白羽の矢が立ったものである。相次いだ農相リリーフに続く「大役」が話題となり、参議院議員初の自民党指名候補となった。若林本人は「若林正俊(の名前を書くこと)自体に、大きな意味があるとは思わない。(自民党の)結束のためだ」とコメントした。 同年12月5日、翌年行われる第22回参議院議員通常選挙へ立候補せず、引退する意向を表明した。2010年7月に任期満了後の夏の参院選には、代わりに長男が公募という形で自民党公認として出馬する段取りが既にできていた。 2010年4月2日、3月31日の参議院本会議での採決において、自民党が党議拘束によって投票行動が一致していた日本放送協会平成22年度予算案など計10件で押しボタン式投票で欠席していた自民党前参議院議員会長の青木幹雄の投票ボタンを押した責任を取って参議院議長・江田五月に議員辞職願を提出し、同日の参議院本会議で若林の辞職案件が可決され、若林の議員辞職が決定した。代理投票をした理由としては、参議院本会議で導入されている押しボタン式投票では有権者が個々の議員の投票先が容易に閲覧できる仕組みになっていることから、棄権が多くなると国会欠席で政治活動が怠慢であるとして有権者にネガティブな印象を与えてしまうために、青木から代理投票を依頼されたと推測されたが、若林は記者会見で「魔が差したとしか言いようがない」「青木さんから依頼されたことはない」と謝罪・釈明を行い、青木からの代理投票の依頼を否定した。 不祥事で辞任した農水大臣の3度の代役、総裁不在時の自民党首相候補、参議院本会議での代理投票など、最後まで「誰かの代わり」ということが印象に残る政治家人生であった。また、「多年にわたり国会議員として議案審議の重責を果たすとともに、農林水産大臣等として国政の枢機に参画した」功労により、2011年6月24日、皇居での大綬章等勲章親授式において旭日大綬章を授与された。 2023年11月11日1時2分、東京都内の施設で死去した。89歳没。死没日付をもって従三位に叙された。 健康増進法を努力規定ではなく義務規定として、受動喫煙防止を徹底することに反対している。 2007年2月20日、『読売新聞』の調査で2004年の参議院議員通常選挙における若林の選挙運動費用収支報告書に、実際の収支と異なる記述をしていたことが分かった。選挙運動費用に400万円超の余剰金が出たにもかかわらず、その余剰金の存在を選挙運動費用収支報告書に記載しなかった。選挙運動費用収支報告書に記載されなかった余剰金は、自由民主党支部の金庫内に保管していたという。なお、選挙運動費用収支報告書への故意の虚偽記載は公職選挙法違反に該当する。 若林が支部長を務める自由民主党長野県参議院選挙区第一支部が、国から公共工事を受注している建設会社から参議院通常選挙投票日直前に寄附を受け取っていたため、公職選挙法違反が指摘されている。 2010年3月31日、2010年度NHK予算案の本会議採決の際、自らの議席の隣席の青木幹雄の「賛成」ボタンを押した。採決の際、青木は途中退席して席にいなかった。これに反応した参院民主党は「前代未聞の不正行為を働いた。国会の議決を不正行為によってゆがめた恐ろしい事案だ」として、若林の懲罰動議を提出し、若林は4月2日に議員を辞職した(このため参院民主党から提出された懲罰動議も取り下げとなった)。 1934年 - 誕生。 1957年 - 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。 1957年 - 農林省入省。 1981年 - 国土庁長官官房総務課長。 1983年 - 農林水産省退官。 1983年 - 第37回衆議院議員総選挙当選。 1986年 - 第38回衆議院議員総選挙当選。 1989年 - 総務政務次官(宇野内閣)。 1989年 - 総務政務次官(第1次海部内閣)。 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙落選。 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙当選。 1993年 - 自由民主党整備新幹線建設促進特別委員会副委員長。 1994年 - 自由民主党交通部会部会長。 1995年 - 自由民主党長野県支部連合会会長。 1995年 - 自由民主党団体総局労働・消費者団体委員会委員長。 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙落選。 1998年 - 第18回参議院議員通常選挙当選。 1999年 - 参議院農林水産委員長。 2000年 - 自由民主党総合農政調査会会長代理。 2000年 - 自由民主党林政調査会会長代理。 2000年 - 大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))。 2001年 - 財務副大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後))。 2001年 - 財務副大臣(第1次小泉内閣)。 2001年 - 参議院財政金融委員会理事。 2001年 - 自由民主党政務調査会審議委員。 2002年 - 自由民主党総務。 2002年 - 参議院憲法調査会運営検討委員長。 2002年 - 参議院金融問題及び経済活性化に関する特別委員会理事。 2003年 - 参議院個人情報の保護に関する特別委員会理事。 2003年 - 参議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長。 2004年 - 第19回参議院議員通常選挙当選。 2004年 - 参議院政治倫理審査会会長。 2004年 - 参議院予算委員会筆頭理事。 2004年 - 自由民主党山村振興委員会委員長。 2005年 - 自由民主党参議院政策審議会会長。 2005年 - 自由民主党憲法調査会会長代理。 2005年 - 自由民主党選挙制度調査会会長代理。 2006年 - 環境大臣(第1次安倍内閣)。 2007年 - 農林水産大臣臨時代理(第1次安倍内閣)。 2007年 - 農林水産大臣(第1次安倍内閣)。 2007年 - 農林水産大臣(第1次安倍改造内閣)。 2007年 - 農林水産大臣(福田康夫内閣)。 2008年 - 自由民主党農林水産物貿易調査会会長代理。 2008年 - 自由民主党憲法審議会副会長。 2008年 - 自由民主党高齢者特別委員会委員長。 2009年 - 自由民主党両院議員総会長。 2009年 - 参議院政府開発援助等に関する特別委員長。 2009年 - 全国山村振興連盟会長。 2009年 - 自由民主党農林水産物貿易調査会会長。 2009年 - 食品産業振興議員連盟会長。 2010年 - 参議院議員辞職。 2011年、旭日大綬章を受章。 『誇りあるふる里づくり国づくり――21世紀をめざして』、正風社、1983年。 『日本の進路――科学技術立国への道』、共同情報企画、1989年。 『農地法の解説』、全国農業会議所、1981年。 姓の「若」については、くさかんむりを4画で「艹」と表記するのが正式である。そのため、旭日大綬章受章時の内閣府の名簿では、本名の欄は4画くさかんむりを用いて記載され、「芸名等」として括弧書きで3画くさかんむりを用いた氏名が附記されている。 長男の若林健太(公認会計士)は、2006年8月に行われた長野県知事選に出馬表明したが、その後、出馬断念した。尚、2010年の第22回参議院議員通常選挙に父親の後継者として出馬し、当選。2021年に衆議院議員へ鞍替えし、長野県第1区から初当選するが、2024年には、いわゆる裏金議員とされ、比例重複が認められなかったため、議席を失っている。 選択的夫婦別姓制度導入に反対。 神道政治連盟国会議員懇談会 北京オリンピックを支援する議員の会 日韓議員連盟 ^ 若林正俊氏が死去 元農相 89歳信濃毎日新聞2023年11月11日 ^ “農林水産大臣 若林 正俊(わかばやし まさとし)”. 農林水産省. 2008年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。 ^ 大蔵総括政務次官 若林 正俊 ^ 後述の通り同年9月26日に発足した福田康夫内閣でも再任されているため、最終的には4ヶ月足らずで4回目の大臣就任となった。 ^ 麻生は内閣総理大臣指名選挙当日(2009年9月16日)の午前に、同選挙に先立って総裁を辞任し、同日の午後に行われた同選挙の時点では総裁は空席となった(その他の自民党幹部は後継総裁が選出されるまで留任した。)。 ^ “自民、首相指名選挙は若林氏に 異例の両院議員総会長”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年9月8日). https://web.archive.org/web/20090909160619/http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090801000604.html 2010年4月2日閲覧。 ^ “臨時農相3度! 困った時の「リリーフ男」若林総会長”. スポーツニッポン. (2009年9月9日). https://web.archive.org/web/20090912063124/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/09/09/02.html 2010年4月2日閲覧。 ^ “自民恥ずかし首相指名でも若林氏って誰?”. 日刊スポーツ. (2009年9月9日). http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20090909-541397.html 2009年9月9日閲覧。 ^ “若林元農水相引退へ 公募で後継候補者選出”. 産経ニュース長野版 (産経新聞社). (2009年11月27日). http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/nagano/091127/ngn0911271932001-n1.htm 2009年11月27日閲覧。 ^ 参議院規則第135条では、「表決の際に、現に議場にいない議員は、表決に加わることができない」とされており、代理投票の規定は存在しない。 ^ “若林氏議員辞職願提出”. 産経新聞. (2010年4月2日). https://web.archive.org/web/20100405193107/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100402/stt1004020918005-n1.htm 2010年4月2日閲覧。 ^ “若林氏辞職「魔が差したとしかいいようがない」”. 産経新聞. (2010年4月2日). https://web.archive.org/web/20100405193107/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100402/stt1004021057007-n1.htm 2010年4月2日閲覧。 ^ 『大綬章受章者』1頁。 アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン ^ 「皇室事項」『官報』5585号、国立印刷局、2011年6月28日、11面。 ^ 元農相の若林正俊氏が死去 元自民党参院議員 - 共同通信 2023年11月11日 ^ 『官報』第1125号8頁 令和5年12月18日 ^ 故若林正俊氏に従三位 - 時事ドットコム 2023年12月5日 ^ “参議院議員選挙20040711当選者回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2004年7月12日). 2020年11月8日閲覧。 ^ “収支報告「選挙費用」もずさん、長勢法相ら4閣僚訂正”. 読売新聞. (2007年2月20日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/2007ranking/20070220i105.htm 2010年4月2日閲覧。 ^ 公職選挙法第246条第5の2号 ^ “若林農相の政党支部へ寄付 国契約業者が参院選2日前”. 47NEWS (共同通信社). (2007年9月12日). https://web.archive.org/web/20070922114002/http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007091201000176.html 2011年1月15日閲覧。 ^ 参議院規則第135条「表決の際に、現に議場にいない議員は、表決に加わることができない」 ^ “自民・若林元農水相に懲罰動議 隣席の青木議員の投票ボタン押す”. 産経新聞. (2010年4月1日). https://web.archive.org/web/20100404080232/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100401/plc1004011953016-n1.htm 2010年4月2日閲覧。 ^ 補助金団体トップが代表 若林農相の政治団体:東京新聞 ^ “若林農相、後援会長の交代検討へ…補助金団体トップと兼務”. 読売新聞. (2007年9月6日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7900/news/20070906i104.htm 2010年4月2日閲覧。 ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書 内閣総理大臣:福田康夫答弁 2008年(平成20年)2月5日 ^ 大綬章受章者 ^ “選挙:参院選・長野選挙区 若林氏陣営、事務所開き /長野”. 毎日新聞. (2010年3月15日). オリジナルの2010年4月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100407071841/http://mainichi.jp/area/nagano/news/20100315ddlk20010264000c.html 2010年4月2日閲覧。 ^ 別姓通信79号 表 話 編 歴 荒木正三郎 江田三郎 棚橋小虎 戸叶武 堀末治 重政庸徳 関根久蔵 秋山俊一郎 堀本宜実 藤野繁雄 仲原善一 梶原茂嘉 桜井志郎 青田源太郎 温水三郎 仲原善一 山崎斉 野知浩之 和田鶴一 任田新治 園田清充 河口陽一 高橋雄之助 亀井善彰 初村滝一郎 佐藤隆 小林国司 橘直治 鈴木省吾 久次米健太郎 青井政美 井上吉夫 坂元親男 下条進一郎 谷川寛三 北修二 成相善十 高木正明 岡部三郎 福田宏一 仲川幸男 吉川博 永田良雄 吉川芳男 石井一二 浦田勝 青木幹雄 大塚清次郎 鈴木貞敏 真島一男 松谷蒼一郎 野間赳 若林正俊 太田豊秋 常田享詳 三浦一水 岩永浩美 中川義雄 岩城光英 加治屋義人 郡司彰 平野達男 小川敏夫 主濱了 小川勝也 中谷智司 野村哲郎 山田俊男 若林健太 山田俊男 渡辺猛之 岩井茂樹 堂故茂 江島潔 上月良祐 山田修路 長谷川岳 山下雄平 滝波宏文 宮崎雅夫 表 話 編 歴 高橋是清 岡崎邦輔 早速整爾 町田忠治 山本悌二郎 町田忠治 山本悌二郎 後藤文夫 山崎達之輔 島田俊雄 山崎達之輔 有馬頼寧 櫻内幸雄 伍堂卓雄 酒井忠正 島田俊雄 近衛文麿 石黒忠篤 井野碩哉 山崎達之輔 千石興太郎 松村謙三 副島千八 和田博雄 吉田茂 木村小左衛門 平野力三 波多野鼎 永江一夫 周東英雄 森幸太郎 広川弘禅 根本龍太郎 広川弘禅 小笠原三九郎 広川弘禅 田子一民 内田信也 保利茂 河野一郎 井出一太郎 赤城宗徳 三浦一雄 福田赳夫 南条徳男 周東英雄 河野一郎 重政誠之 赤城宗徳 坂田英一 松野頼三 倉石忠雄 西村直己 長谷川四郎 倉石忠雄 赤城宗徳 足立篤郎 櫻内義雄 倉石忠雄 安倍晋太郎 大石武一 鈴木善幸 中川一郎 中川一郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 亀岡高夫 田沢吉郎 金子岩三 山村新治郎 佐藤守良 羽田孜 加藤六月 佐藤隆 羽田孜 堀之内久男 鹿野道彦 山本富雄 近藤元次 田名部匡省 宮澤喜一 畑英次郎 加藤六月 大河原太一郎 野呂田芳成 大原一三 藤本孝雄 越智伊平 島村宜伸 中川昭一 玉澤徳一郎 谷洋一 谷津義男 武部勤 大島理森 亀井善之 島村宜伸 小泉純一郎 岩永峯一 中川昭一 松岡利勝 赤城徳彦 若林正俊 遠藤武彦 若林正俊 太田誠一 石破茂 赤松広隆 山田正彦 鹿野道彦 郡司彰 林芳正 西川公也 林芳正 森山裕 山本有二 齋藤健 吉川貴盛 江藤拓 野上浩太郎 金子原二郎 野村哲郎 宮下一郎 坂本哲志 小里泰弘 江藤拓 表 話 編 歴 山中貞則 大石武一 小山長規 三木武夫 毛利松平 小沢辰男 丸茂重貞 石原慎太郎 山田久就 上村千一郎 土屋義彦 鯨岡兵輔 原文兵衛 梶木又三 上田稔 石本茂 森美秀 稲村利幸 堀内俊夫 青木正久 山崎竜男 森山眞弓 志賀節 北川石松 愛知和男 中村正三郎 林大幹 広中和歌子 浜四津敏子 桜井新 宮下創平 大島理森 岩垂寿喜男 石井道子 大木浩 真鍋賢二 清水嘉与子 川口順子 川口順子 大木浩 鈴木俊一 小池百合子 若林正俊 鴨下一郎 斉藤鉄夫 小沢鋭仁 松本龍 江田五月 細野豪志 長浜博行 石原伸晃 望月義夫 丸川珠代 山本公一 中川雅治 原田義昭 小泉進次郎 山口壯 西村明宏 伊藤信太郎 浅尾慶一郎 表 話 編 歴 村上誠一郎→谷口隆義 / 若林正俊→尾辻秀久 小林興起 / 谷口隆義 石井啓一 / 山本有二 上田勇 / 田野瀬良太郎 赤羽一嘉 / 竹本直一 田中和徳 / 富田茂之 遠藤乙彦 / 森山裕 竹下亘 / 平田耕一→石田真敏 野田佳彦→池田元久 / 峰崎直樹 五十嵐文彦 / 桜井充→藤田幸久 武正公一 / 大久保勉 小渕優子 / 山口俊一 古川禎久 / 愛知治郎 御法川信英 / 宮下一郎 菅原一秀 / 宮下一郎 坂井学 / 岡田直樹 大塚拓 / 木原稔 上野賢一郎 / 木原稔 上野賢一郎 / 鈴木馨祐 遠山清彦 / 藤川政人 伊藤渉 / 中西健治 伊藤渉 / 大家敏志 岡本三成 / 大家敏志 井上貴博 / 秋野公造 神田憲次→赤沢亮正 / 矢倉克夫 横山信一 / 斎藤洋明 表 話 編 歴 倉石忠雄 小坂善太郎 本藤恒松 小坂善太郎 田中重弥 倉石忠雄 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 中沢茂一 小坂善太郎 倉石忠雄 小坂善太郎 西村彰一 倉石忠雄 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 小坂善太郎 中沢茂一 倉石忠雄 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 小坂善太郎 倉石忠雄 中沢茂一 倉石忠雄 小坂善太郎 清水勇 小坂善太郎 倉石忠雄 清水勇 小坂善太郎 清水勇 倉石忠雄 田中秀征 若林正俊 清水勇 若林正俊 清水勇 小坂善太郎 田中秀征 清水勇 小坂憲次 田中秀征 若林正俊 小坂憲次 表 話 編 歴 羽生三七 木内四郎 米倉龍也 木下盛雄↓ 池田宇右衛門↑ 棚橋小虎 池田宇右衛門 棚橋小虎 小山邦太郎 林虎雄 小山邦太郎 林虎雄 小山邦太郎 小山一平 夏目忠雄 夏目忠雄 小山一平 小山一平 向山一人 北澤俊美 今井澄 北澤俊美 若林正俊 北澤俊美 若林正俊 若林健太 北澤俊美 羽生三七 木内四郎 羽生三七 木内四郎 羽生三七 木内四郎 羽生三七 木内四郎 村沢牧 下条進一郎 下条進一郎 村沢牧 村沢牧 下条進一郎 小山峰男 村沢牧↓ 羽田雄一郎↑ 吉田博美 羽田雄一郎 羽田雄一郎 吉田博美 吉田博美 羽田雄一郎 羽田雄一郎↓ 羽田次郎↑ 杉尾秀哉 ISNI VIAF 日本 SNAC 平成時代の閣僚 日本の農林水産大臣 日本の環境大臣 日本の副大臣経験者 日本の財務副大臣 日本の大蔵政務次官 長野県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 長野県選出の衆議院議員 自由民主党の衆議院議員 平成時代の参議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 神道政治連盟国会議員懇談会の人物 日本の農林官僚 東京大学出身の人物 成蹊高等学校出身の人物 長野県出身の人物 従三位受位者 旭日大綬章受章者 1934年生 2023年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2010年1月-4月 プロジェクト人物伝項目 2024/11/15 17:53更新
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