藤波行雄の情報(ふじなみゆきお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
藤波 行雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
藤波行雄と関係のある人
宇野輝幸: 1回戦で東洋大姫路を降すが、2回戦では松島英雄、藤波行雄のいた静岡商に敗れる。 谷木恭平: 1977年は、ジーン・マーチンが外野手に回り、ウィリー・デービスの新入団もあって定位置を失うが、1978年は藤波行雄と併用され、1番・中堅手として活躍。 松島英雄: 同期に藤波行雄(のち中日)、控え投手として1学年下に池谷公二郎(のち広島)がいた。 基満男: 同年オフ、中日ドラゴンズの藤波行雄と竹田和史との2対1の交換トレードが内定した。 香田勲男: 初奪三振:同上、9回裏に藤波行雄から 音重鎮: 背番号は引退した同じく左打ちの外野手・藤波行雄の40を引継ぐ。 古谷盛人: 初安打:1985年8月23日 対大洋ホエールズ17回戦(横浜スタジアム)藤波行雄の代打、久保文雄から 新浦壽夫: 2015年11月から同い年ながら1学年先輩の藤波行雄とともに、母校の静岡商野球部で外部コーチを務めた。 石毛宏典: 通算114安打は藤波行雄の133安打、高木豊の115安打に次ぐリーグ3位で、1976年から2年連続で、日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。 武井正晴: 藤波行雄 新浦壽夫: この時のチームメイトには池谷公二郎、1年上に藤波行雄、当時三塁手でのちに大洋で同僚となる松島英雄らがいた。 高木守道: そのため、大島康徳・藤波行雄などの若手や、引退直前であった広野功を含む準レギュラー級選手のみを出場させ、中日のレギュラー選手は同日の名古屋での優勝セレモニーのために欠場するよう球団に言い渡された。 井口資仁: 大学2年次の1994年秋には東都大学リーグ史上2人目となる三冠王(1972年秋に中大藤波行雄が達成)となり、同94年秋にリーグ記録となる1シーズン8本塁打を記録。 保坂英二: 小山良春(日大-三協精機)の控え投手として2回戦で藤波行雄、松島英雄のいた静岡商に1-3で敗退するが、この試合で小山をリリーフして初めて甲子園のマウンドを踏んだ。 高木豊: 115安打は藤波行雄の133安打に次いでリーグ歴代2位。 島田誠: 5球団からドラフト外での勧誘があり中日ドラゴンズから「藤波行雄のトレードが成立した場合ドラフト外で契約する」との話があったものの、藤波がトレードを拒否した為、中日の入団はなくなり他の4球団と連絡を取り、後述の通り日本ハムに入団する事となる。 佐野仙好: 同期入学の藤波行雄と共に1年生の春季リーグからレギュラーとして出場し、在学中リーグ全試合出場を果たす。 |
藤波行雄の情報まとめ
藤波 行雄(ふじなみ ゆきお)さんの誕生日は1951年4月26日です。静岡出身の野球選手のようです。
卒業、引退、テレビ、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。藤波行雄の現在の年齢は73歳のようです。
藤波行雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(外野手)。 静岡商業では2年生時の1968年に、右翼手として夏の甲子園に出場。1年生エース新浦壽夫(年齢的には同学年だが、定時制課程から編入したため1年後輩に)が好投し勝ち進む。決勝では興國高と対戦するが、丸山朗に0-1で完封を喫し、準優勝にとどまった。新浦はこの年限りで中退して巨人入り、1969年には同期の松島英雄が主戦投手になる。夏の甲子園に中堅手として連続出場。準々決勝に進出するが、この大会に優勝した松山商のエース井上明に抑えられ敗退した。8月末からは全日本高校選抜の一員としてブラジル・ペルー・アメリカ遠征に参加する。秋の長崎国体では、準決勝で松山商に延長12回の末にサヨナラ勝ち、決勝では玉島商を1-0で降し優勝を飾る。高校の1年後輩に控え投手の池谷公二郎がいた。 1970年に卒業後、中央大学に進学。東都大学野球リーグでは3度優勝。1973年の全日本大学野球選手権大会ではエース田村政雄を擁し、決勝で愛知学院大を降し優勝した。同期の佐野仙好と共に1年生の春季リーグからレギュラーとして活躍し、卒業まで全試合全イニングに出場。「安打製造機」の異名をとり、東都大学野球リーグ通算最多安打133本も記録した。1972秋には当時リーグ史上唯一の三冠王となる(のち1994年秋に青学大井口資仁が三冠王を達成)。リーグ通算99試合出場、打率.319(417打数133安打)、6本塁打、37打点。ベストナイン5回。1972年の第1回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、翌年の同大会にも連続出場。 1973年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。 1974年は90試合に出場(うち18試合に先発)し、打率.289(114打数33安打)、1本塁打の成績を挙げてチーム20年ぶり2度目のセントラル・リーグ優勝に貢献。新人王のタイトルを獲得した。同年のロッテ・オリオンズとの日本シリーズでは3試合に出場、第5戦で一番打者、中堅手として起用されるが無安打に終わる。 1975年はローン・ウッズの入団もあって出場機会が減少、打撃も今一つ伸び悩む。 1976年はローン・ウッズがシーズン中盤に故障欠場、しかし谷木恭平が台頭して中堅手の座を奪いチャンスを活かせなかった。 1977年のシーズン前にクラウンライターライオンズの基満男らとの交換トレード(藤波と竹田和史=基の2対1で内定)を言い渡され、契約上トレード拒否権がなかったものの、任意引退も辞さない構えでトレードを拒否し、結局トレードによる移籍を免れた。ただ、球団から来春のキャンプは自費参加、開幕二軍スタート、公式戦の第3節終了まで一軍出場停止、背番号も「3」から「40」に変更などのペナルティを受けたが、これを「大甘処分」とする見方もある。 1977年はウィリー・デービスが鳴り物入りで入団するが、8月に骨折で戦線離脱。その代役として中堅手の定位置を獲得、打率.318を残しチャンスメーカーとして活躍した。 1978年は開幕から一番打者として起用されるが打率は低迷、8月下旬には故障欠場し谷木恭平にレギュラーを譲る。その後も谷木やボビー・ジョーンズらと併用された。 1980年は主に中堅手として71試合に先発、規定打席には到達しなかったが打率.291の好記録を残す。 1981年にはレイ・コージの加入、平野謙の成長もあって出場機会が急減。 1982年のリーグ優勝にも貢献した。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでは全6試合に出場、第5戦では代打で自身の日本シリーズ初安打を東尾修から記録している。 1987年限りで現役引退。新人王を獲得した野手としては現役中一度も規定打席に到達するシーズンが無かった最初の選手となった。なお2009年に読売ジャイアンツに所属して新人王を獲得した松本哲也は二人目となった。 引退後は、1988年から2015年までは、フジテレビジョン・東海テレビ放送・東海ラジオ放送・三重テレビ放送・岐阜放送・J SPORTSの解説者を務める。一時期は東海テレビのキー局・フジテレビの解説者も兼務し、『プロ野球ニュース』やフジテレビ及び東海テレビ以外の系列局制作の中継などで中日戦以外にも登場する事があったが、テレビは現在は本数出演であり、主に三重テレビやCSの中継(どちらも東海テレビが制作している)に出演する(2008年まではラジオをメインとしていた)。 2005年からはNPB12球団ジュニアトーナメントの、中日ドラゴンズジュニアチームのコーチを担当。 2009年5月、翌年度より発足する三重スリーアローズのコーチに就任することが発表された。一方、三重テレビとスターキャットには試合/番組単位で契約・出演。 2010年7月30日付で、監督の松岡弘が体調不良の為休養したことに伴い三重の監督代行を務める。シーズン終了後に退任。 その後は朝日大学の臨時コーチなどを経て、2015年11月より新浦とともに母校・静岡商の外部コーチに就任した。 2018年からは、常葉大学浜松キャンパス硬式野球部の総監督に就任している。 2023年6月5日、第72回全日本大学野球選手権大会(明治神宮球場)の始球式に登板した。 新人王(1974年) 初出場:1974年4月6日、対広島東洋カープ1回戦(中日スタヂアム)、4回裏に広瀬宰の代打として出場 初打席・初安打:同上、4回裏に佐伯和司から中前安打 初打点:1974年4月27日、対読売ジャイアンツ3回戦(中日スタヂアム)、8回裏に正岡真二の代打として出場、小林繁から中前決勝2点適時打 初先発出場:1974年5月14日、対ヤクルトスワローズ4回戦(中日スタヂアム)、2番・左翼手として先発出場 初本塁打:1974年6月23日、対広島東洋カープ14回戦(中日スタヂアム)、2回裏に安仁屋宗八からソロ 1000試合出場:1985年4月21日、対阪神タイガース2回戦(ナゴヤ球場)、8回表に左翼手として出場 ※史上252人目 3 (1974年 - 1976年) 40 (1977年 - 1987年) 三重テレビナイター 燃えドラ!スタジアム(スターキャット・ケーブルネットワーク。同名の試合中継にも出演) J SPORTS STADIUM(東海テレビ制作分・及び東海テレビプロダクション制作のオープン戦のみ、2010年は数試合程度出演) スカイ・Aスタジアムウエスタン・リーグ中継(スターキャット制作・ナゴヤ球場開催の阪神戦)(2012 - ) プロ野球ニュース 東海ラジオ ガッツナイター( - 2008年) 野球道 (フジテレビ系列)(フジテレビとも契約あった頃は、全国中継やビジター地元局の中継にも出演していたが、2000年頃から東海テレビローカルの中継のみとなった。メインは主に地方で開催されるオープン戦中継で、シーズン中はめったに登場しなかった。 - 2009年) ドラゴンズHOTスタジオ ヒロミツのスーパードラゴンズ ^ “【12月21日】1976年(昭51) トレード拒否貫き通した中日・藤波に球団が大甘処分”. スポーツニッポン (2007年12月21日). 2018年2月1日閲覧。 ^ 基は中日への移籍を快諾していたが、藤波の移籍拒否の結果クラウンへの残留となり、竹田は松林茂との交換トレードでクラウンに移籍した。 ^ 3番は新外国人のウィリー・デービスが着用し、40番だった大島康徳が5番に変更した。また同時期に14番だった谷沢健一が本人の希望で41番に変更したことが重なり、5番だった神垣雅行が14番に、41番だった片貝義明が50番に変更している。 ^ 独立リーグの指導者と解説者を兼務するのは村上隆行などの例がある。 ^ 松岡弘監督休養のお知らせ ^ 浜松キャンパス 硬式野球部 総監督 藤波 行雄 氏 就任 ^ 中大時代の73年に優勝貢献 元中日の藤波行雄氏が母校ユニ姿でワンバウンド始球式「精いっぱいでした」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球 ^ 元中日の藤波行雄氏が始球式「肩が壊れているから精いっぱい」母校の中大ユニでワンバウンド投球 - アマ野球 : 日刊スポーツ 静岡県出身の人物一覧 中央大学の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 藤波行雄 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 松岡弘 2010 【代行】 藤波行雄 2010 長冨浩志 2011 古屋剛 2011 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 1位:藤波行雄 2位:鈴木博昭 3位:中山俊之(入団拒否) 4位:福島秀喜(入団拒否) 5位:樋野和寿(入団拒否) 6位:金森道正(入団拒否) 表 話 編 歴 達摩省一 大戸洋儀 宮井勝成 山口高志 森部繁幸 藤田康夫 萩野友康 中村憲史朗 上田芳央 米谷延夫 中沢邦男 田中昭雄 山本功児 坂口雅久 吉沢敏雄 東門明 山口円 山下大輔 生田啓一 長崎慶一 伊達泰司 池田和雄 藤波行雄 表 話 編 歴 宮井勝成 篠原一豊 矢野暢生 田村政雄 中村憲史朗 小林秀一 田尾安志 峰尾晃 楠城徹 中西清治 吉田秀雄 山本功児 垣野多鶴 中畑清 佐野仙好 山下大輔 樋野和寿 鍛治舎巧 宇山秀明 藤波行雄 迫丸金次郎 中井順二 日本の野球選手 静岡県立静岡商業高等学校出身の野球選手 中央大学硬式野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB) 三重スリーアローズ 野球解説者 日本の野球監督 競輪に関連する人物 静岡市出身の人物 1951年生 存命人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年11月 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/10/27 03:21更新
|
fujinami yukio
藤波行雄と同じ誕生日4月26日生まれ、同じ静岡出身の人
TOPニュース
藤波行雄と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「藤波行雄」を素材として二次利用しています。