もしもし情報局 > 1974年 > 12月4日 > 野球選手

井口資仁の情報 (いぐちただひと)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

井口資仁の情報(いぐちただひと) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

井口 資仁さんについて調べます

■名前・氏名
井口 資仁
(読み:いぐち ただひと)
■職業
野球選手
■井口資仁の誕生日・生年月日
1974年12月4日 (年齢49歳)
寅年(とら年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

井口資仁と同じ1974年生まれの有名人・芸能人

井口資仁と同じ12月4日生まれの有名人・芸能人

井口資仁と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


井口資仁と関係のある人

三木亮: 代走や守備固めとして出場することが多いためベンチで過ごすことが多いが、その際は声出しを欠かさずにベンチを盛り上げ、、チームが優勝争いした2021年には、監督の井口資仁から「陰のMVP」と称えられた。


中川隆治: 2020年からは、大学の2年後輩である井口資仁が監督を務める千葉ロッテマリーンズの関東地区担当スカウトに転身した。


二木康太: 2021年、春季キャンプ中の2月11日に井口資仁監督と吉井理人投手コーチにいつ投げたいかを聞かれ、「開幕に投げたいです」と直訴し、自身初の開幕投手が内定。


井上晴哉: 同日は1安打のみで打点はなくチームは敗れたが、翌31日にはプロ入り後初となる2打席連続本塁打を打ち、2安打2打点の活躍で新監督の井口資仁に初勝利をもたらした。


ホセ=オーティズ: チームが井口資仁の獲得に動いたことで来期構想外となり、12月2日に自由契約公示されたのち、2009年1月16日に正式に退団が発表、サルティーヨ・サラペメーカーズと再契約した。


益田直也: 2018年、前年に現役を引退し一軍監督に就任した井口資仁の助言を受け、前年の秋季キャンプから徹底的に直球を磨き直し、その甲斐もあり、一年を通して一軍に帯同。


ペドロ=バルデス: 3番井口資仁(109打点)、4番松中信彦(123打点)、5番城島健司(119打点)の後を支える6番打者として104打点を記録し、100打点カルテットを組んだ。


森脇浩司: 井口資仁、川﨑宗則、本多雄一らを育て上げた。


佐々木朗希: シーズン終盤には実戦デビューも期待されたが、井口資仁監督の「試合レベルに達していない。


福浦和也: また、現役晩年時の監督・井口資仁や習志野高の先輩・掛布雅之は福浦の特筆すべき点としてバッティングの柔らかさを挙げ、タイミングを崩されても対応できる能力を高く評価している。


島田誠: ダイエー時代は井口資仁に二度盗塁王を取らせ、二軍コーチの時ルーキーだった川﨑宗則には徹底的にプロの走塁を仕込むなど走塁に関する指導を続け、リーグ優勝・日本一を奪還した2003年はチームで147盗塁を記録。


松中信彦: 同年は松中に加え小久保が44本(リーグ4位)、城島健司が31本(リーグ9位)、井口資仁が30本(リーグ12位)放ち、パ・リーグ史上初の30本カルテットを達成(日本人打者のみの30本カルテットはプロ野球史上初)し、チーム本塁打も203本とチーム記録を更新した。


大松尚逸: 井口資仁の一塁コンバート、クレイグ・ブラゼルの加入などもあり、再び外野手としての起用も増えたものの、終盤はG.G.佐藤の好調もあり出番はなく、ルーキーイヤー以来となる本塁打0に終わった。


的場直樹: 2022年まで同コーチを務め、同年で井口資仁監督らと共に退任した。


吉村裕基: 6月17日には横浜スタジアムで行われた対オリックス戦で1番右翼手で出場し、2点ビハインドの6回無死三塁の場面で金子千尋が初球に投じた変化球をセンターへ運び同点2点本塁打とすると、これにより2009年4月7日の井口資仁に続く日本プロ野球史上8人目となる「全打順での本塁打」を達成した。


清田育宏: 5月21日のオリックス戦(京セラドーム大阪)から同25日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)にかけて、チームの日本人選手では09年5月9日 - 13日の井口資仁(当時監督)以来10年ぶりとなる、4試合連続本塁打を記録。


鶴岡慎也: 8月17日の対千葉ロッテ戦の2点リード二死一・二塁守備の場面では井口資仁の右翼への打球方向を見て立っていた所、一塁から本塁を狙った今江敏晃の体当たりのようなスライディングにより転倒させられて激高し、あわや乱闘の騒ぎとなった。


西川僚祐: ルーキーイヤーの春季キャンプ1日目に行われたフリー打撃で、左翼100m地点にある、高さ20mの防球ネットを超える場外本塁打を2本放つほどのパワーをもち、井口資仁監督は「逆方向に強い打球を飛ばせる」と評した。


中村奨吾: 早稲田大学時代から井口資仁が「憧れであり目標の選手」であったが、プロでのドラフト指名がロッテであったことでプロではチームメイト、そして所属チームの指揮官と選手の関係になった。


矢野謙次: 当時の國學院大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、通算23本塁打を記録し「井口資仁二世」と呼ばれる。


河野亮: 10月19日、ダイエー時代に同僚だった井口資仁が監督を務める千葉ロッテマリーンズの一軍打撃コーチに2019年から就任することが発表された。


仁志敏久: 一方で盗塁3、盗塁死10と脚力は回復できず、オフにFA宣言し、スコット・ボラスと代理人契約を結んでメジャーリーグ移籍を目指したが、同時にメジャー挑戦を表明した井口資仁に注目が集まったためか手を挙げる球団がなく巨人に残留する。


大崎雄太朗: 同年のドラフトでは大﨑のほか、横川史学、円谷英俊、高市俊も指名を受け、青山学院大学硬式野球部から同時に4名が指名されたのは1996年に井口資仁・澤崎俊和・清水将海・倉野信次が指名されて以来10年ぶり2回目であった。


大﨑雄太朗: 同年のドラフトでは大﨑のほか、横川史学、円谷英俊、高市俊も指名を受け、青山学院大学硬式野球部から同時に4名が指名されたのは1996年に井口資仁・澤崎俊和・清水将海・倉野信次が指名されて以来10年ぶり2回目であった。


大崎雄太朗: 大学の先輩である井口資仁を尊敬し、2011年オフシーズンから現役を引退するまで毎年井口資仁が行う沖縄自主トレに同行していた。


秋山幸二: 秋山の背中を見て小久保裕紀が育ち、さらに後を追うように松中信彦、城島健司、井口資仁、川﨑宗則など秋山の薫陶を受けた選手達が強豪ホークスを支える選手として育ち、現在の若手選手は彼らを手本として練習に励む(NHKプロ野球70周年の特番で水島新司が秋山本人の前で証言)。


森福允彦: 翌日8月27日対ロッテ戦では先発山田大樹の後を受け、5回一死満塁の場面で登板、3番井口資仁を空振り三振、4番金泰均を初球セカンドゴロに打ち取り、6回も無失点に抑え、プロ入り初勝利を挙げた。


大橋穣: 通算20本塁打は当時の東都大学野球リーグ新記録だったが、1996年、青学大井口資仁に更新(24本)された。


藤波行雄: 1972秋には当時リーグ史上唯一の三冠王となる(のち1994年秋に青学大井口資仁が三冠王を達成)。


明石健志: この年に正遊撃手へ定着したばかりの川﨑が右肩痛で参加を見送ったことや当時の正二塁手だった井口資仁がポスティングシステムでMLBに挑戦する意向を示していたことによる。


井口資仁の情報まとめ

もしもしロボ

井口 資仁(いぐち ただひと)さんの誕生日は1974年12月4日です。東京出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、監督としてなどについてまとめました。現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。井口資仁の現在の年齢は49歳のようです。

井口資仁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督、解説者・評論家。

福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、シカゴ・ホワイトソックス・フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。

2018年シーズンから2022年シーズンまでロッテの監督を務めていた。

東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。中学3年時には全国大会に出場した。野球を本格的に始めた中学時代にはPL学園高校の甲子園春夏連覇を見ており、特にその中心選手だった立浪和義に憧れていた。

國學院久我山高等学校でも遊撃手としてプレー。1991年、2年の夏に3番・遊撃手として全国大会に出場。2年の秋から主将を務めたが、翌1992年の春と夏の甲子園全国大会出場を逃した。

1993年に青山学院大学へ進学後も遊撃手として同大学野球部でプレー。1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の駒澤大学戦にて、1点リードされた8回に走者2人を置いて(この時の走者の1人はプロでもチームメイトになる小久保裕紀)井口が逆転決勝点となる二点適時打を放ちそのまま勝利。青山学院大学としては7季ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。1996年、4年の春から秋まで主将を務める。同年にはアトランタオリンピックで野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。オリンピックにてキューバ代表のプレーに衝撃を受けたことが、後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。

大学時代は、同期のチームメイトである澤崎俊和、清水将海、倉野信次などと一緒に全日本大学野球選手権大会の優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として活躍した。大学2年次の1994年秋には東都大学リーグ史上2人目となる三冠王(1972年秋に中大藤波行雄が達成)となり、同94年秋にリーグ記録となる1シーズン8本塁打を記録。翌1995年にマークした年間最多本塁打記録の12本(1995年春7本・秋5本)は、通算最多本塁打記録の24本と共に2023年現在まで破られていない。大学通算成績は101試合出場、366打数、103安打、打率.281、24本塁打、61打点、32盗塁。また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。

同年のNPBドラフト会議前には読売ジャイアンツ(巨人)や中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズ、福岡ダイエーホークス、西武ライオンズなどが井口に関心を示していたが、井口は中学時代から当時中日に所属していた立浪の熱烈なファンだったことや、中日が遊撃手のポジションを空けており、入団1年目から即レギュラー起用を確約していたことから、一時は中日有利と伝えられていた。また井口は関東出身であることから九州本拠地のダイエーに難色を示しており、巨人が有利とする見方もあった。しかしダイエーも青山学院大学の先輩である小久保に続く福岡ドームの目玉選手として井口獲得に全力を尽くし、井口本人はドラフト会議直前の11月になってダイエーを逆指名し、同会議当日にダイエーから1位で指名された。契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)で入団した。背番号は「7」に決まった。

大学のチームメイトでは澤崎が広島東洋カープ1位(逆指名)、清水が千葉ロッテマリーンズ1位(逆指名)でそれぞれ入団し、同一大学から同時に3人の逆指名選手・ドラフト1位選手を輩出している。

2007年7月27日には右手を骨折したチェイス・アトリーの代役として、マイケル・ダビーとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。

フィリーズではアトリーの復帰までは先発で二塁手を務めたが、アトリーの復帰後は監督のチャーリー・マニエルから三塁手への転向を勧められたが、これを固辞。そのため、主に代打での出場となり、フィリーズ移籍後は打率.304を残した。ポストシーズン終了後には「現在は永住権を申請中であり、来季は二塁手のレギュラーとして起用してもらえるチームを中心に移籍先を探す。」と言う発言をした。

2007年12月18日にサンディエゴ・パドレスと1年385万ドルで契約を結んだ。

2008年9月5日に前年に所属したフィリーズと契約。その後フィリーズはポストシーズンに進出。井口の入団はポストシーズン出場選手登録期限後のため出場資格はなかったが、同年にフィリーズに所属していた田口壮と一緒に2個目のチャンピオンリングを手にすることになった。

2017年10月12日、2018年シーズンからロッテの一軍監督を務めることが球団から発表された。メジャーリーグ経験の日本人選手はコーチや二軍監督もあるが一軍監督になるのは初めてとなる。井口は球団のオフィシャルサイトで「これから始まる新たな挑戦に今はとてもワクワクしています。マリーンズというチームの良さをどのように出せばいいか。どう変えていくべきか。もうすでに色々なことが頭の中を駆け巡っています。強く、そしてファンの皆様に愛される魅力的なチームを作り上げたいと考えていますので応援の程、宜しくお願いします。」とコメントした。同14日に就任会見が行われ、監督としての背番号は現役時代と同じ「6」を使用することとなった。ヘッド兼内野守備走塁コーチに鳥越裕介、戦略兼バッテリーコーチに的場直樹、バッテリーコーチに清水将海、二軍監督に今岡真訪を招聘した。

2018年は、先発の涌井秀章、石川歩に加え、新加入のマイク・ボルシンガーが外国人投手最多タイとなる11連勝をするなど機能。交流戦を11勝7敗の3位で終え、前半戦もリーグ5位ながら40勝38敗2分と貯金を作った。 しかし後半戦に入ると、リードオフマンの荻野貴司、石川、ボルシンガーが離脱、主力の穴を埋められないまま借金が嵩んだ。9月27日にBクラスが確定し、シーズンの成績としてはパ全5球団に負け越し、順位は5位に終わった。ただ、中村奨吾が「3番・二塁手」に定着しゴールデングラブ賞を獲得、井上晴哉が「4番・一塁手」に定着し24本塁打、ルーキーの藤岡裕大が遊撃手に定着し規定打席に到達。チーム盗塁数が78→124と飛躍的に向上するなど成果も見られた。

2019年は、シーズン終盤まで楽天とCS進出を争っていたが、9月24日の埼玉西武ライオンズ戦に敗れ、西武の胴上げを目の前で許した上、シーズンのBクラスが確定した。ソフトバンクに17勝8敗と大きく勝ち越し、CSを争った楽天、日本ハムに勝ち越したが、最下位オリックスに9勝15敗1分、連覇した西武には8勝16敗1分で大きく負け越し。順位は4位で2年連続Bクラスだった。9月9日のソフトバンク戦では現役通して初の退場処分となった。

2020年は、開幕からオリックス相手に同一カード6連勝するなど開幕ダッシュに成功。8月21日にはソフトバンクを下しパ・リーグ単独首位に立つなど、ソフトバンクとの熾烈な首位争いをしたが、チーム内に新型コロナウイルス感染者がいたことが発覚し一部主力メンバーが離脱。その影響もあり10月に失速して首位と13ゲーム差の2位だった。4年ぶりのAクラス、13年ぶりの2位と躍進したが、ソフトバンクとのクライマックスシリーズではエラーから流れを掴まれ2連敗を喫して敗退。オリックスにはパ・リーグ初の6連戦6連勝をするなど勝ち越したが、西武、楽天には負け越した。

2021年は、開幕ダッシュに失敗したが、4・5月には復調して西武・オリックスとAクラス争いを繰り広げた。6月は交流戦で苦戦して負け越したが、7月に入ると復調し、前半戦は3位で終えた。後半戦は好調で、9月5日にはオリックスを追い抜いて首位に浮上したが最終的に2.5ゲーム差で2年連続2位となった。クライマックスシリーズは3位の楽天に1勝1分でファイナルステージ進出を決めたが、オリックスの前に2敗1分で敗退。11月16日に、2022年も監督を続投することが発表された。

2022年、ルーキーの松川虎生を高卒新人捕手としては史上3人目となる開幕スタメンに抜擢し、4月10日のオリックス戦には佐々木朗希とバッテリーを組ませたことで、 「最年少(合計年齢)のピッチャーとキャッチャーによる完全試合」のギネス記録達成に繋がった。 7月21日の埼玉西武戦で、監督通算300勝を達成。しかし9月27日にチーム3年ぶりのBクラスが確定した。

10月2日、同年シーズン限りで辞任することを発表した。辞任に関しては、球団側からコーチ陣の刷新を求められたことが判断に繋がり、コーチや選手など、球団関係者のほとんども当日まで知らなかった。最終戦となったソフトバンク戦(ZOZOマリン)後に行われたセレモニーで、「3年ぶりのBクラスとなったのは、全て私の責任です。今季退任して次の指揮官にバトンを託したい」と表明した。

2023年からはNHKの野球解説者、サンケイスポーツの野球評論家として活動する。

選手としての特徴

打撃

ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特徴である。メジャーリーグではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近い本塁打を放ち、A.J.ピアジンスキーから「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた。ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。2010年には12チームトップのIsoD.118を記録するなど、ロッテ移籍後は選球眼に磨きがかかり、また、同年は外角打率.313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した。

走塁・守備

一塁到達4.3秒だが、ダイエー時代は通算盗塁成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。

2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という。二塁手としては3度ゴールデングラブ賞に輝いた。

守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された。ジミー・ロリンズは井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。それに僕と感覚が似ている。僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。素晴らしいね」と語った。2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが守備範囲は広くなく、MLB通算UZRは-4.3、DRSは-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った。

2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5.2と平均を下回っている。2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した。

監督として

就任会見では、「走れる選手が非常に多いと思っていますので、もっともっと足を使った野球をやっていきたい。足に関しては好不調というのはないので、もう少し機動力を使った野球を増やせていけば、持ち味が発揮できるのではないかと思います」と、本塁打の出にくいZOZOマリンスタジアムの特性を考慮し、機動力の向上を促進した。就任した2018年はリーグ2位のチーム盗塁数124、ホームランラグーンを設置した2019年はリーグ4位の75盗塁と減少したが、2020年はリーグ3位の87盗塁、2021年(107盗塁)と2022年(132盗塁)は2年連続でチーム盗塁数が100を超え、リーグトップとなり、2021年は荻野貴司と和田康士朗、2022年は髙部瑛斗が盗塁王に輝いた。足の遅い選手や、ファームの選手に対しても、積極的な走塁意識を浸透させた。また、「ヒットと四球は同じ」という考えのもと、四球を獲得する意識を打者に浸透させ、2020年のロッテはチーム打率がリーグ最下位(.235)ながらリーグトップの491四球を記録し、チーム出塁率はリーグ3位(.329)だった。

また、選手起用においても若手の抜擢が目立った。次世代の和製大砲育成のため2020年は当時21歳の安田尚憲を86試合連続で4番打者として起用、翌年には球団史上最年少となる開幕4番スタメンを与えた。

2024/06/16 18:28更新

iguchi tadahito


井口資仁と同じ誕生日12月4日生まれ、同じ東京出身の人

加藤 玲奈_(ニュースキャスター)(かとう れな)
1970年12月4日生まれの有名人 東京出身

加藤 玲奈(かとう れな、1970年12月4日 - )は、日本のジャーナリスト。日本テレビの報道キャスター。現在、外報部兼キャスター室所属。 東京都出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後の1993…

湯原 麻利絵(ゆはら まりえ)
1978年12月4日生まれの有名人 東京出身

湯原 麻利絵(ゆはら まりえ、本名:後藤 麻利絵、旧姓:湯原、1978年12月4日 - )は東京都出身のタレント、元アイドルである。 愛称は「マリマリ」。大東学園高等学校卒業。 1996年、集英…

木下 優樹菜(きのした ゆきな)
1987年12月4日生まれの有名人 東京出身

木下 優樹菜(きのした ゆきな、1987年12月4日 - )は、日本のYouTuber、TikToker、元タレント、元ファッションモデル。本名:藤本 優樹菜(ふじもと ゆきな)、旧姓:木下。愛称はユ…

知華(ともか)
1986年12月4日生まれの有名人 東京出身

知華(ともか、1986年12月4日 - )は、日本の女性元ファッションモデル。東京都世田谷区出身。 共立女子中学校卒業。共立女子高等学校から堀越高等学校に転校し卒業。同級生は、長澤まさみ、手越祐也…

富沢 亜古(とみざわ あこ)
1958年12月4日生まれの有名人 東京出身

富沢 亜古(とみざわ あこ、1958年12月4日 - )は、日本の女優である。文学座所属。東京都出身。 1979年 初舞台『丸山蘭水楼の遊女たち』(文学座本公演)東横劇場 『花咲くチェリー』(本…

室 照美(むろ てるみ)
1985年12月4日生まれの有名人 東京出身

室 照美(むろ てるみ、1985年12月4日 - )は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサー。北陸放送と文化放送の元アナウンサー。 フジテレビアナウンサーであった内田恭子に高校生の時から憧れてア…

牧野 アンナ(まきの あんな)
1971年12月4日生まれの有名人 東京出身

牧野 アンナ(まきの アンナ、1971年12月4日 - )は、日本の振付師。元歌手、元アイドル。東京都生まれの沖縄育ち。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創…

井上 瑤(いのうえ よう)
1946年12月4日生まれの有名人 東京出身

井上 瑤(いのうえ よう、1946年12月4日 - 2003年2月28日)は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身。 1970年代から2000年代初めまで活躍。東京都立…

根津 貴行(ねづ たかゆき)
12月4日生まれの有名人 東京出身

根津 貴行(ねづ たかゆき、12月4日 - )は、日本の男性声優。東京都出身。所属は現在アル・シェア。以前は劇団フリーアトム、劇団P-9contra punt、ケンユウオフィス、アトリエピーチ、イエロ…

新 克利(あたらし かつとし)
1940年12月4日生まれの有名人 東京出身

新 克利(あたらし かつとし、1940年12月4日 - )は、日本の俳優・声優。 東京市に鳶職の子として生まれる。 都立三田高校を卒業後、1959年に法政大学法学部に進むも2年で中退。 俳優座…

麻由(まゆ)
1978年12月4日生まれの有名人 東京出身

麻由(まゆ、1978年12月4日 - )は、日本の元タレント・女優である。夫は、読売ジャイアンツ球団広報(元選手)の隠善智也。 東京都出身。 2006年4月に本名の「福田 真由美」(ふくだ まゆみ…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


井口資仁と近い名前の人

ガダルカナル・タカ(いぐち たかひと)
1956年12月16日生まれの有名人 静岡出身

ガダルカナル・タカこと井口 薫仁(いぐち たかひと、 1956年12月16日 - )は、日本のお笑いタレント。高知県生まれ、静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現在の伊豆市)出身。株式会社TAP所属で、ビートた…

井口 卓人(いぐち たくと)
1988年2月13日生まれの有名人 福岡出身

井口 卓人(いぐち たくと、1988年2月13日 - )は、福岡県柳川市出身のレーシングドライバー。愛称は"たくてぃ" 身長:167cm 体重:58kg 血液型:RH+A型 趣味:ダーツ、音楽鑑賞…

井口 泰泉(いぐち たいせん)
1951年3月17日生まれの有名人 岡山出身

井口泰泉(いぐち たいせん、1951年- )は、日本の生物化学者、基礎生物学研究所名誉教授。 岡山県生まれ。1974年岡山大学理学部生物学科卒、76年同大学院理学研究科修士課程修了、1981年「出…

井口 綾子(いのくち あやこ)
1997年3月24日生まれの有名人 神奈川出身

井口 綾子(いのくち あやこ、1997年〈平成9年〉3月24日 - )は、日本のタレント。レプロエンタテインメント所属(2022年8月まで)を経て、アミューズ所属(2022年8月より)。青山学院大学教…

井口 眞緒(いぐち まお)
1995年11月10日生まれの有名人 新潟出身

井口 眞緒(いぐち まお、1995年〈平成7年〉11月10日 - )は、日本のタレント、元アイドルであり、女性アイドルグループ・日向坂46の元メンバーである。新潟県出身。身長163 cm。血液型はAB…

井口 玲音(いぐち れいね)
1981年1月19日生まれの有名人 神奈川出身

井口 玲音(いぐち れいね、1981年1月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー、女優、防災士。血液型はO型。ニックネームはレイネコ、イグリンなど。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨さ…

井口 裕香(いぐち ゆか)
1988年7月11日生まれの有名人 東京出身

井口 裕香(いぐち ゆか、1988年7月11日 - )は、日本の女性声優、歌手。東京都出身。大沢事務所所属。レコードレーベルはKADOKAWA。 子供の頃からアニメが好きであり、アニメ雑誌などで声…

井口 龍太(いぐち りゅうた)
1981年11月6日生まれの有名人 東京出身

井口 龍太(いぐち りゅうた、1981年11月6日 - )は、日本の声優、俳優。プロダクション東京ドラマハウス所属。東京都出身。血液型はA型。 J:COM 株式会社エス・エフ・シー アニーのアトリ…

井口 成人(いぐち なるひと)
1951年1月15日生まれの有名人 新潟出身

井口 成人(いぐち なるひと、1951年1月15日 - )は、日本の俳優、声優、リポーター、演出家。 新潟県南魚沼郡大和町(現:南魚沼市)出身。新潟県南魚沼郡大和町立大和中学校(現:南魚沼市立大和…

井口 静波(いぐち せいは)
1898年3月15日生まれの有名人 出身

井口 静波(いぐち せいは、本名:井口誠一、1898年3月15日 - 1968年6月13日)は、日本の活動弁士、漫談家である。 東京生まれ。浪花節語りから、大正時代に弁士として活動し、1926年(大…

井口 洋夫(いのくち ひろお)
1927年2月3日生まれの有名人 広島出身

井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は、日本の化学者(物理化学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。位階…

井口 時男(いぐち ときお)
1953年2月3日生まれの有名人 新潟出身

井口 時男(いぐち ときお、1953年2月3日 - )は、日本の文芸評論家、俳人。 新潟県南魚沼市出身。長岡工業高等専門学校三年修了退学後、東北大学文学部卒業。1983年、中上健次論「物語の身体」…

井口 秀夫(いぐち ひでお)
1952年2月20日生まれの有名人 東京出身

2月20日生まれwiki情報なし(2024/06/14 15:09時点)

井口 秀夫_(経営者)(いぐち ひでお)
1921年3月24日生まれの有名人 東京出身

3月24日生まれwiki情報なし(2024/06/16 15:51時点)

井口 栞里(いぐち しおり)
1995年3月29日生まれの有名人 三重出身

SKE48(エスケーイー フォーティーエイト)は、日本の女性アイドルグループ。名古屋市・栄に有する専用劇場を拠点として中京圏を中心に活動している。秋元康が総合プロデュースを手掛けるAKB48グループの…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
井口資仁
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

Number_i さくらしめじ NORD (アイドルグループ) なにわ男子 MAGiC BOYZ King & Prince SUPER★DRAGON DISH// OCTPATH XOX 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「井口資仁」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました