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井口資仁の情報 (いぐちただひと)
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【4月8日】今日誕生日の芸能人・有名人

井口資仁の情報(いぐちただひと) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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井口 資仁さんについて調べます

■名前・氏名
井口 資仁
(読み:いぐち ただひと)
■職業
野球選手
■井口資仁の誕生日・生年月日
1974年12月4日 (年齢50歳)
寅年(とら年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

井口資仁と同じ1974年生まれの有名人・芸能人

井口資仁と同じ12月4日生まれの有名人・芸能人

井口資仁と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


井口資仁と関係のある人

根元俊一: 2009年は、メジャーリーグから帰国した井口資仁が加入した影響で出場機会が激減。


矢野謙次: 当時の國學院大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、通算23本塁打を記録し「井口資仁二世」と呼ばれる。


髙部瑛斗: この活躍から、9月25日には一軍の練習に参加し、井口資仁監督から「いつ呼ばれてもいいように準備しておいてくれ」と声をかけられた。


山川穂高: また、他のチームの応援歌では、ロッテ時代の井口資仁の曲が好きであったと述べている。


大田卓司: 1996年からは関東地区担当スカウトとして井口資仁・松中信彦らの入団に尽力し、退団後は西日本スポーツ野球評論家となる。


横川史学: 青山学院大学硬式野球部から同時に4名が指名されたのは、1996年に井口資仁・澤崎俊和・清水将海・倉野信次が指名されて以来10年ぶり2回目。


大﨑雄太朗: 同年のドラフトでは大﨑のほか、横川史学、円谷英俊、高市俊も指名を受け、青山学院大学硬式野球部から同時に4名が指名されたのは1996年に井口資仁・澤崎俊和・清水将海・倉野信次が指名されて以来10年ぶり2回目であった。


水島新司: 雑誌『月刊ホークス』内で2002年まで水島が連載を担当していたコラムでは、当時ダイエーに在籍していた井口資仁がメジャー移籍を球団に希望したニュースが流れた際、「何故日本で、日本のファンの前でプレーしてくれないのか」と疑問を呈し、「メジャーの選手が凄い凄いと言っても、漫画の世界ではそれ以上のものが描ける」と表現している。


村松有人: 盗塁王争いでも井口資仁との激しい競争をリードしていたが、8月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)で捕球を試みた際に右鎖骨を骨折して離脱。


安田尚憲: しかしブランドン・レアードの不振もあり、7月21日の西武戦(メットライフドーム)で井口資仁監督(当時)が「チャンスにしっかりとしたバッティングをしている」とプロ初の4番に抜擢。


福浦和也: 2013年は、2年ぶりに4番に入るなどシーズン序盤は一塁手でスタメン出場することもあったが、井口資仁の一塁へのコンバートや、G.G.佐藤、クレイグ・ブラゼルの加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまった。


ホセ=オーティズ: チームが井口資仁の獲得に動いたことで来期構想外となり、12月2日に自由契約公示されたのち、2009年1月16日に正式に退団が発表、サルティーヨ・サラペメーカーズと再契約した。


井上晴哉: 同日は1安打のみで打点はなくチームは敗れたが、翌31日にはプロ入り後初となる2打席連続本塁打を打ち、2安打2打点の活躍で新監督の井口資仁に初勝利をもたらした。


加治屋蓮: 同月22日に行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦においてリリーフとして同年初登板を迎えるが、松井稼頭央に通算200号となるソロ本塁打を、また5月25日に行われた対ロッテ12回戦において、井口資仁に通算250号となる2点本塁打を喫するなど結果が出ず、6月1日に一軍出場選手登録を抹消された。


石川晃: 根本陸夫管理部長の信任が厚く、小久保裕紀・松中信彦・井口資仁ら、アマチュアの大物選手の獲得に敏腕ぶりを発揮した。


榊原諒: 初奪三振:同上、1回表に井口資仁から空振り三振


ヒューストン=ストリート: シーズン終了後、ストリートはロビンソン・カノ(ニューヨーク・ヤンキース=当時)や井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス=当時)らを抑え、クローザーとしてアメリカンリーグ史上リーグ3人目となる新人王を受賞した。


鳥越裕介: 野球部時代は「3番・遊撃手」として活躍し、1991年の第20回日米大学野球選手権大会、1993年の第22回日米大学野球選手権大会おいては小久保裕紀や井口資仁らとともに全日本メンバーにも選ばれる。


西川僚祐: ルーキーイヤーの春季キャンプ1日目に行われたフリー打撃で、左翼100m地点にある、高さ20mの防球ネットを超える場外本塁打を2本放つほどのパワーをもち、井口資仁監督は「逆方向に強い打球を飛ばせる」と評した。


吉村裕基: 6月17日には横浜スタジアムで行われた対オリックス戦で1番右翼手で出場し、2点ビハインドの6回無死三塁の場面で金子千尋が初球に投じた変化球をセンターへ運び同点2点本塁打とすると、これにより2009年4月7日の井口資仁に続く日本プロ野球史上8人目となる「全打順での本塁打」を達成した。


柿沼友哉: 2018年から2022年まで監督を務めた井口資仁は、「投手の良さを引き出せるキャッチャー」と評価している。


正垣宏倫: 1966年秋季リーグで記録した1シーズン6本塁打は1994年秋に8本塁打をマークした青学井口資仁に破られるまで東都リーグ記録だった。


川﨑宗則: 9月には、正二塁手・井口資仁の戦線離脱に伴い、二塁手として一軍公式戦に出場。


ペドロ=バルデス: 3番井口資仁(109打点)、4番松中信彦(123打点)、5番城島健司(119打点)の後を支える6番打者として104打点を記録し、100打点カルテットを組んだ。


島田誠: ダイエー時代は井口資仁に二度盗塁王を取らせ、二軍コーチの時ルーキーだった川﨑宗則には徹底的にプロの走塁を仕込むなど走塁に関する指導を続け、リーグ優勝・日本一を奪還した2003年はチームで147盗塁を記録。


坪井智哉: 高校卒業後は青山学院大学に進学(2学年上に小久保裕紀、同級生に川越英隆、1学年下に井口資仁、澤崎俊和、2学年下に高須洋介などが所属)。


清水将海: 11月21日、2018年より、青山学院大学時代の同級生である井口資仁が監督に就任したばかりの、古巣・ロッテの一軍バッテリーコーチに就任することが発表された。


清田育宏: 5月21日のオリックス戦(京セラドーム大阪)から同25日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)にかけて、チームの日本人選手では09年5月9日 - 13日の井口資仁(当時監督)以来10年ぶりとなる、4試合連続本塁打を記録。


平井正史: しかし、千葉ロッテマリーンズと対戦した日本シリーズでは第1戦に登板したものの井口資仁にソロ本塁打を打たれるなど2回2失点と不調でこれ以降の登板はなく日本一を逃した。


秋元啓二: 野球好きであり、プロ野球選手の井口資仁は、國學院久我山高校野球部時代の先輩。


井口資仁の情報まとめ

もしもしロボ

井口 資仁(いぐち ただひと)さんの誕生日は1974年12月4日です。東京出身の野球選手のようです。

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父親、現在、離婚、再婚、ドラマ、テレビ、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。井口資仁の現在の年齢は50歳のようです。

井口資仁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督、解説者・評論家。

NPB時代は福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、MLB時代はシカゴ・ホワイトソックス、フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。

2018年シーズンから2022年シーズンまでロッテの監督を務めていた。

東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。中学3年時には全国大会に出場した。野球を本格的に始めた中学時代にはPL学園高校の甲子園春夏連覇を見ており、特にその中心選手だった立浪和義に憧れていた。また少年期は『東京中日スポーツ』を購読していた父親の影響で、立浪のプレーしていた中日ドラゴンズのファンだった。

國學院久我山高等学校でも遊撃手としてプレー。1991年、2年の夏に3番・遊撃手として全国大会に出場。2年の秋から主将を務めたが、翌1992年の春と夏の甲子園全国大会出場を逃した。

1993年に青山学院大学へ進学後も遊撃手として同大学野球部でプレー。1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の駒澤大学戦にて、1点リードされた8回に走者2人を置いて(この時の走者の1人はプロでもチームメイトになる小久保裕紀)井口が逆転決勝点となる二点適時打を放ちそのまま勝利。青山学院大学としては7季ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。1996年、4年の春から秋まで主将を務める。同年にはアトランタオリンピックで野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。オリンピックにてキューバ代表のプレーに衝撃を受けたことが、後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。

大学時代は、同期のチームメイトである澤崎俊和、清水将海、倉野信次などと一緒に全日本大学野球選手権大会の優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として活躍した。大学2年次の1994年秋には東都大学リーグ史上2人目となる三冠王(1972年秋に中大藤波行雄が達成)となり、同94年秋にリーグ記録となる1シーズン8本塁打を記録。翌1995年にマークした年間最多本塁打記録の12本(1995年春7本・秋5本)は、通算最多本塁打記録の24本と共に2023年現在まで破られていない。大学通算成績は101試合出場、366打数、103安打、打率.281、24本塁打、61打点、32盗塁。また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。

同年のNPBドラフト会議前には読売ジャイアンツ(巨人)や中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズ、福岡ダイエーホークス、西武ライオンズなどが井口に関心を示していたが、井口は中学時代から当時中日に所属していた立浪の熱烈なファンだったことや、中日が遊撃手のポジションを空けており、入団1年目から即レギュラー起用を確約していたことから、一時は中日有利と伝えられていた。また井口は関東出身であることから九州本拠地のダイエーに難色を示しており、巨人が有利とする見方もあった。しかしダイエーも青山学院大学の先輩である小久保に続く福岡ドームの目玉選手として井口獲得に全力を尽くし、井口本人はドラフト会議直前の11月になってダイエーを逆指名し、同会議当日にダイエーから1位で指名された。契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)で入団した。背番号は「7」に決まった。

大学のチームメイトでは澤崎が広島東洋カープ1位(逆指名)、清水が千葉ロッテマリーンズ1位(逆指名)でそれぞれ入団し、同一大学から同時に3人の逆指名選手・ドラフト1位選手を輩出している。

2007年7月27日には右手を骨折したチェイス・アトリーの代役として、マイケル・ダビーとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。

フィリーズではアトリーの復帰までは先発で二塁手を務めたが、アトリーの復帰後は監督のチャーリー・マニエルから三塁手への転向を勧められたが、これを固辞。そのため、主に代打での出場となり、フィリーズ移籍後は打率.304を残した。ポストシーズン終了後には「現在は永住権を申請中であり、来季は二塁手のレギュラーとして起用してもらえるチームを中心に移籍先を探す。」と言う発言をした。

2007年12月18日にサンディエゴ・パドレスと1年385万ドルで契約を結んだ。

2008年9月5日に前年に所属したフィリーズと契約。その後フィリーズはポストシーズンに進出。井口の入団はポストシーズン出場選手登録期限後のため出場資格はなかったが、同年にフィリーズに所属していた田口壮と一緒に2個目のチャンピオンリングを手にすることになった。

2017年10月12日、2018年シーズンからロッテの一軍監督を務めることが球団から発表された。メジャーリーグ経験の日本人選手はコーチや二軍監督もあるが一軍監督になるのは初めてとなる。井口は球団のオフィシャルサイトで「これから始まる新たな挑戦に今はとてもワクワクしています。マリーンズというチームの良さをどのように出せばいいか。どう変えていくべきか。もうすでに色々なことが頭の中を駆け巡っています。強く、そしてファンの皆様に愛される魅力的なチームを作り上げたいと考えていますので応援の程、宜しくお願いします。」とコメントした。同14日に就任会見が行われ、監督としての背番号は現役時代と同じ「6」を使用することとなった。ヘッド兼内野守備走塁コーチに鳥越裕介、戦略兼バッテリーコーチに的場直樹、バッテリーコーチに清水将海、二軍監督に今岡真訪を招聘した。

2018年は、先発の涌井秀章、石川歩に加え、新加入のマイク・ボルシンガーが外国人投手最多タイとなる11連勝をするなど機能。交流戦を11勝7敗の3位で終え、前半戦もリーグ5位ながら40勝38敗2分と貯金を作った。 しかし後半戦に入ると、リードオフマンの荻野貴司、石川、ボルシンガーが離脱、主力の穴を埋められないまま借金が嵩んだ。9月27日にBクラスが確定し、シーズンの成績としてはパ全5球団に負け越し、順位は5位に終わった。ただ、中村奨吾が「3番・二塁手」に定着しゴールデングラブ賞を獲得、井上晴哉が「4番・一塁手」に定着し24本塁打、ルーキーの藤岡裕大が遊撃手に定着し規定打席に到達。チーム盗塁数が78→124と飛躍的に向上するなど成果も見られた。

2019年は、シーズン終盤まで楽天とCS進出を争っていたが、9月24日の埼玉西武ライオンズ戦に敗れ、西武の胴上げを目の前で許した上、シーズンのBクラスが確定した。ソフトバンクに17勝8敗と大きく勝ち越し、CSを争った楽天、日本ハムに勝ち越したが、最下位オリックスに9勝15敗1分、連覇した西武には8勝16敗1分で大きく負け越し。順位は4位で2年連続Bクラスだった。9月9日のソフトバンク戦では現役通して初の退場処分となった。

2020年は、開幕からオリックス相手に同一カード6連勝するなど開幕ダッシュに成功。8月21日にはソフトバンクを下しパ・リーグ単独首位に立つなど、ソフトバンクとの熾烈な首位争いをしたが、チーム内に新型コロナウイルス感染者がいたことが発覚し一部主力メンバーが離脱。その影響もあり10月に失速して首位と13ゲーム差の2位だった。4年ぶりのAクラス、13年ぶりの2位と躍進したが、ソフトバンクとのクライマックスシリーズではエラーから流れを掴まれ2連敗を喫して敗退。オリックスにはパ・リーグ初の6連戦6連勝をするなど勝ち越したが、西武、楽天には負け越した。

2021年は、開幕ダッシュに失敗したが、4・5月には復調して西武・オリックスとAクラス争いを繰り広げた。6月は交流戦で苦戦して負け越したが、7月に入ると復調し、前半戦は3位で終えた。後半戦は好調で、9月5日にはオリックスを追い抜いて首位に浮上したが最終的に2.5ゲーム差で2年連続2位となった。クライマックスシリーズは3位の楽天に1勝1分でファイナルステージ進出を決めたが、オリックスの前に2敗1分で敗退。11月16日に、2022年も監督を続投することが発表された。

2022年、ルーキーの松川虎生を高卒新人捕手としては史上3人目となる開幕スタメンに抜擢し、4月10日のオリックス戦には佐々木朗希とバッテリーを組ませたことで、 「最年少(合計年齢)のピッチャーとキャッチャーによる完全試合」のギネス記録達成に繋がった。 7月21日の埼玉西武戦で、監督通算300勝を達成。しかし9月27日にチーム3年ぶりのBクラスが確定した。

10月2日、同年シーズン限りで辞任することを発表した。辞任に関しては、球団側からコーチ陣の刷新を求められたことが判断に繋がり、コーチや選手など、球団関係者のほとんども当日まで知らなかった。最終戦となったソフトバンク戦(ZOZOマリン)後に行われたセレモニーで、「3年ぶりのBクラスとなったのは、全て私の責任です。今季退任して次の指揮官にバトンを託したい」と表明した。

2023年からはNHKの野球解説者、サンケイスポーツの野球評論家として活動する。

ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特徴である。メジャーリーグではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近い本塁打を放ち、A.J.ピアジンスキーから「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた。ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。2010年には12チームトップのIsoD.118を記録するなど、ロッテ移籍後は選球眼に磨きがかかり、また、同年は外角打率.313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した。

一塁到達4.3秒だが、ダイエー時代は通算盗塁成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。

2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という。二塁手としては3度ゴールデングラブ賞に輝いた。

守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された。ジミー・ロリンズは井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。それに僕と感覚が似ている。僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。素晴らしいね」と語った。2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが守備範囲は広くなく、MLB通算UZRは-4.3、DRSは-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った。

2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5.2と平均を下回っている。2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した。

就任会見では、「走れる選手が非常に多いと思っていますので、もっともっと足を使った野球をやっていきたい。足に関しては好不調というのはないので、もう少し機動力を使った野球を増やせていけば、持ち味が発揮できるのではないかと思います」と、本塁打の出にくいZOZOマリンスタジアムの特性を考慮し、機動力の向上を促進した。就任した2018年はリーグ2位のチーム盗塁数124、ホームランラグーンを設置した2019年はリーグ4位の75盗塁と減少したが、2020年はリーグ3位の87盗塁、2021年(107盗塁)と2022年(132盗塁)は2年連続でチーム盗塁数が100を超え、リーグトップとなり、2021年は荻野貴司と和田康士朗、2022年は髙部瑛斗が盗塁王に輝いた。足の遅い選手や、ファームの選手に対しても、積極的な走塁意識を浸透させた。また、「ヒットと四球は同じ」という考えのもと、四球を獲得する意識を打者に浸透させ、2020年のロッテはチーム打率がリーグ最下位(.235)ながらリーグトップの491四球を記録し、チーム出塁率はリーグ3位(.329)だった。

また、選手起用においても若手の抜擢が目立った。次世代の和製大砲育成のため2020年は当時21歳の安田尚憲を86試合連続で4番打者として起用、翌年には球団史上最年少となる開幕4番スタメンを与えた。

愛称は「イグ」、「グッチ」。

現役時代に使用していたバッティンググローブはアシックス社製の「隈取」が甲に描かれたWAJIKARAシリーズ。

西武時代の松坂大輔との対戦では通算で打率.365(85打数、31安打、3本塁打、9打点)を残して得意としていたことから、「松坂キラー」と呼ばれた。

ホワイトソックス時代には本拠地のUSセルラー・フィールドで井口が打席に入る時や好プレーをした時になると、ブーイングに似た「GUU-! GUU-!」という唸り声をホームの観客が発した。これは「グーイング(guing)」と呼ばれる井口への応援である。現地では「イグチ(井口)」の「グ」にアクセントが置かれた特徴的な発音で呼ばれることが多く、これに由来する。

ロッテでは、“背中でアドバイスをする”その姿勢から“お父さん”と評されていた(角中勝也談)。

『週刊文春』2018年12月20日号によると、ダイエー時代の1997年オフに5歳上の女性と入籍したが、ロッテ時代の2015年に離婚し、2018年10月に18歳下の女性と再婚した。

各年度の太字はリーグ最高

-は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)

各年度の太字はリーグ最高

NPB時代の太字年はゴールデングラブ賞受賞

盗塁王:2回(2001年、2003年)

ベストナイン:3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)

ゴールデングラブ賞:3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)

月間MVP:3回(野手部門:2004年8月、2011年5月、2013年5月)

スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞:1回(2009年)

月間サヨナラ賞:1回(2016年5月)

日本シリーズ優秀選手賞:1回(2003年)

パ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2017年)

Topps ルーキーオールスターチーム(英語版)(二塁手部門:2005年)

Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版)(二塁手部門:2005年)

日本プロスポーツ大賞 殊勲賞(2005年)

西東京市民栄誉賞(2006年2月15日) ※初代受賞者

ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2009年)

ゴールデンスピリット賞:1回(2018年)

初出場・初先発出場:1997年5月3日、対近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)、2番・遊撃手で先発出場

初打席・初安打:同上、1回裏に山崎慎太郎から左前安打

初本塁打・初打点:同上、4回裏に山崎慎太郎から左越満塁

初三振:同上、6回裏に柴田佳主也から

初死球:1997年5月4日、対近鉄バファローズ5回戦(福岡ドーム)、8回裏に赤堀元之から

初盗塁:1997年7月11日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(福岡ドーム)、2回裏に二盗(投手:ウィリー・フレーザー、捕手:中嶋聡)

100本塁打:2003年4月6日、対日本ハムファイターズ3回戦(東京ドーム)、8回表に関根裕之から中越2ラン ※史上225人目

150本塁打:2009年4月7日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、2回表に多田野数人から左越ソロ ※史上151人目

1000試合出場:2009年8月26日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(千葉マリンスタジアム)、5番・二塁手で先発出場 ※史上433人目

1000安打:2010年4月4日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)、6回表に木佐貫洋から遊前内野安打 ※史上256人目

100死球:2011年5月1日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に大場翔太から ※史上16人目

1000三振:2011年9月13日、対北海道日本ハムファイターズ19回戦(東京ドーム)、2回表にブライアン・ウルフから ※史上51人目

200本塁打:2012年5月28日、対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回表にブライアン・バリントンから左中間越3ラン ※史上98人目

1500試合出場:2013年6月22日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(QVCマリンフィールド)、3番・一塁手で先発出場 ※史上178人目

300二塁打:2013年7月9日、対オリックス・バファローズ10回戦(QVCマリンフィールド)、4回裏に金子千尋から右中間適時二塁打 ※史上60人目

1500安打:2013年7月24日、対埼玉西武ライオンズ12回戦(西武ドーム)、1回表に十亀剣から中前安打 ※史上114人目

350二塁打:2015年8月28日、対オリックス・バファローズ20回戦(QVCマリンフィールド)、5回裏に白仁田寛和から左越二塁打 ※史上39人目

1000打点:2016年9月1日、対オリックス・バファローズ22回戦(QVCマリンフィールド)、3回裏に山田修義から左越3ラン ※史上44人目

250本塁打:2017年5月25日、対福岡ソフトバンクホークス12回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、5回表に加治屋蓮から左越2ラン ※史上60人目

30本塁打40盗塁:2001年 ※張本勲(1963年)、秋山幸二(1990年)に次いで史上3人目

1試合4二塁打:2003年7月26日 ※プロ野球タイ記録、史上9人目

5試合連続猛打賞:2003年6月3日 - 6月8日 ※パ・リーグ記録、プロ野球タイ記録、西沢道夫(1954年)に次いで史上2人目

全打順本塁打:2009年4月7日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、4番で先発出場、2回表に多田野数人から左越ソロを放ち達成(NPB通算150号) ※史上7人目

オールスターゲーム出場:9回(2001年 - 2004年、2009年 - 2013年)

初出場・初先発出場:2005年4月4日、対クリーブランド・インディアンス1回戦(USセルラー・フィールド)、2番・二塁手で先発出場

初打席・初三振:同上、1回裏にジェイク・ウェストブルックから空振り三振

初盗塁:2005年4月6日、対クリーブランド・インディアンス2回戦(USセルラー・フィールド)、1回裏に二盗(投手:ケビン・ミルウッド、捕手:Víctor Martínez(英語版))

初安打:同上、6回裏にケビン・ミルウッドから左越二塁打

初打点:2005年4月7日、対クリーブランド・インディアンス3回戦(USセルラー・フィールド)、2回裏にクリフ・リーから左犠飛

初本塁打:2005年5月3日、対カンザスシティ・ロイヤルズ4回戦(USセルラー・フィールド)、3回裏にブライアン・アンダーソンから左越2ラン

初死球:2005年5月20日、対シカゴ・カブス1回戦(リグレー・フィールド)、1回表にグレッグ・マダックスから

1試合7打点:2006年6月25日

1500安打:2010年4月10日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に許銘傑から中越二塁打

1000打点:2012年8月7日、対埼玉西武ライオンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、3回裏に岸孝之から中前適時打

250本塁打:2013年4月16日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、7回表に森内壽春から左越ソロ

2000安打:2013年7月26日、対東北楽天ゴールデンイーグルス11回戦(クリネックススタジアム宮城)、6回表に田中将大から左越ソロ本塁打 ※史上5人目

通算出場試合数:2408 ※日本人17位

通算打席数:9613 ※日本人17位

通算打数:8353 ※日本人18位

通算二塁打数:458 ※日本人6位タイ

通算長打数:790 ※日本人20位

通算犠飛数:72 ※日本人20位タイ

通算死球数:158 ※日本人5位

7(1997年 - 2004年)

15(2005年 - 2007年途中)

12(2007年途中 - 2008年途中)

10(2008年途中 - 同年途中)

9(2008年途中 - 同年終了)

6(2009年 - 2022年)

第18回ユニバーシアード競技大会日本代表:銅メダル

第18回アジア野球選手権大会日本代表:金メダル

アトランタオリンピック日本代表:銀メダル

第22回日米大学野球選手権大会 日本代表

第24回日米大学野球選手権大会 日本代表

2021年度シーズン終了時

勝敗の太字は勝利したシリーズ

関口宏の東京フレンドパークII(1999年12月27日、TBS)

最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦(2000年1月1日、TBS)-総合12位

関口宏の東京フレンドパークII(2003年12月29日、TBS)

夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル(2006年1月3日、テレビ朝日)

夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル(2008年1月3日、テレビ朝日)

関口宏の東京フレンドパークII(2010年12月13日、TBS)

夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル(2011年1月2日、テレビ朝日)

アスリートの魂(2017年10月7日、NHK BS1)

九州丸一食品(辛子明太子)

SSK(スポーツ用品各種)

コカコーラボトラーズ(アクエリアス)

『井口の法則:メジャーリーガーの野球技術』(MCプレス、2008年8月、ISBN 4862950477)

『二塁手論:現代野球で最も複雑で難しいポジション』(幻冬舎新書、2010年7月、ISBN 9784344981751)

『井口ビジョン』(KADOKAWA、2024年3月、ISBN 9784041143056)

『海を渡る:サムライたちの球跡』(長谷川晶一著、扶桑社、2024年9月、ISBN 9784594098056)

^ 福岡ダイエーホークス時代は176cm

^ 福岡ダイエーホークス時代は84kg

^ 従来は1966年秋に日大正垣泰祐が記録した6本。なお、2001年秋に日大村田修一が8本を記録し井口と並び1位タイとなる。

^ 従来の本塁打記録は、1968年に亜大大橋穣が記録した20本。井口が24本と更新した後、2002年に日大村田修一も20本を放ち大橋と並び2位タイとなる。

^ 4月21日の対大阪近鉄バファローズ戦で延長10回二死一、三塁の打席で香田勲男からサヨナラ安打、9月8日の対西武ライオンズ戦で9回一死満塁の打席で西崎幸広からサヨナラ満塁本塁打、9月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦で9回一死二塁の打席で礒恒之からサヨナラ二塁打の計3度サヨナラ打を記録。

^ 千葉移転後では最多となった。また、ロッテで日本人が100打点をマークするのは1986年の落合(116打点)以来24年ぶり。

^ これ以降、ロッテで100打点達成者は出ていない。

^ 中日ドラゴンズの岩瀬仁紀も同い年およびセ・リーグ最年長選手で、その岩瀬と共に2年続けて読売ジャイアンツの監督の高橋由伸より年上(1学年上)という、現職監督の年齢を上回る選手となった。また、横浜DeNAベイスターズの監督のアレックス・ラミレスとは同い年でこちらも選手と監督が同い年という珍しいケースとなった。

^ 通称「新人ベストナイン」。選出対象となる新人扱い選手を両リーグ統一した中で、各守備位置ごとに各球団監督の投票により選出される(例えばシルバースラッガー賞のように各リーグごとに選出されるのではない)。

^ 後に松井秀喜も記録(2009年8月21日)。

^ 順位は2023年終了時点

^ イチロー・福留孝介・松井稼頭央・松井秀喜・青木宣親及びNPB歴代上位11選手に次ぐ

^ イチロー・松井稼頭央・松井秀喜・青木宣親・福留孝介及びNPB歴代上位12選手に次ぐ

^ イチロー・松井稼頭央・福留孝介・松井秀喜、立浪和義に次ぐ

^ 松井秀喜・イチロー・福留孝介・松井稼頭央及びNPB歴代上位15選手に次ぐ

^ 松井秀喜・福留孝介・イチロー及びNPB歴代上位16選手に次ぐ

^ 青木宣親及びNPB歴代上位3選手に次ぐ

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選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Tadahito Iguchi stats MiLB.com (英語)

個人年度別成績 井口資仁 - NPB.jp 日本野球機構

TADAHITO IGUCHI.COM -井口 資仁 オフィシャルWebサイト-

井口資仁オフィシャルブログ「TADAHITO IGUCHI Official Blog」 - Ameba Blog

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6 井口 資仁 選手名鑑 - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト

井口選手 - 株式会社パムズ(PAMS)

金田正一

稲尾和久

小山正明

米田哲也

梶本隆夫

皆川睦雄

村山実

鈴木啓示

堀内恒夫

山田久志

江夏豊

平松政次

東尾修

村田兆治

北別府学

佐々木主浩

高津臣吾

工藤公康

野茂英雄

山本昌広

岩瀬仁紀

黒田博樹

上原浩治

藤川球児

平野佳寿

山内一弘

榎本喜八

野村克也

長嶋茂雄

広瀬叔功

張本勲

王貞治

江藤慎一

土井正博

高木守道

松原誠

柴田勲

大杉勝男

藤田平

衣笠祥雄

福本豊

山崎裕之

山本浩二

有藤通世

若松勉

谷沢健一

加藤秀司

門田博光

大島康徳

新井宏昌

秋山幸二

駒田徳広

立浪和義

鈴木一朗(イチロー)

清原和博

古田敦也

野村謙二郎

石井琢朗

松井秀喜

田中幸雄

前田智徳

金本知憲

松井稼頭央

小笠原道大

稲葉篤紀

宮本慎也

小久保裕紀

アレックス・ラミレス

中村紀洋

谷繁元信

井口資仁

和田一浩

新井貴浩

福留孝介

荒木雅博

青木宣親

阿部慎之助

鳥谷敬

内川聖一

福浦和也

坂本勇人

栗山巧

大島洋平

1957 豊田泰光

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 近藤和彦

1961 塩原明

1962 岩下光一

1963 王貞治

1964 K.ハドリ

1965 林俊彦

1966 長嶋茂雄

1967 D.スペンサー

1968 柴田勲

1969 足立光宏

1970 黒江透修

1971 黒江透修

1972 長嶋茂雄

1973 高田繁

1974 山崎裕之

1975 中沢伸二, 外木場義郎

1976 B.ウイリアムス

1977 福本豊

1978 若松勉

1979 水谷実雄

1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

1950 木塚忠助

1951 木塚忠助

1952 木塚忠助

1953 L.レインズ

1954 鈴木武

1955 森下正夫

1956 河野旭輝

1957 河野旭輝

1958 R.バルボン

1959 R.バルボン

1960 R.バルボン

1961 広瀬叔功

1962 広瀬叔功

1963 広瀬叔功

1964 広瀬叔功

1965 広瀬叔功

1966 山本公士

1967 西田孝之

1968 安井智規

1969 阪本敏三

1970 福本豊

1971 福本豊

1972 福本豊

1973 福本豊

1974 福本豊

1975 福本豊

1976 福本豊

1977 福本豊

1978 福本豊

1979 福本豊

1980 福本豊

1981 福本豊

1982 福本豊

1983 大石大二郎

1984 大石大二郎

1985 松永浩美

1986 西村徳文

1987 西村徳文, 大石第二朗

1988 西村徳文

1989 西村徳文

1990 秋山幸二

1991 大野久

1992 佐々木誠

1993 大石大二郎

1994 佐々木誠

1995 イチロー

1996 村松有人

1997 松井稼頭央

1998 松井稼頭央, 小坂誠

1999 松井稼頭央

2000 小坂誠

2001 井口資仁

2002 谷佳知

2003 井口資仁

2004 川﨑宗則

2005 西岡剛

2006 西岡剛

2007 片岡易之

2008 片岡易之

2009 片岡易之

2010 本多雄一, 片岡易之

2011 本多雄一

2012 聖澤諒

2013 陽岱鋼

2014 西川遥輝

2015 中島卓也

2016 金子侑司, 糸井嘉男

2017 西川遥輝

2018 西川遥輝

2019 金子侑司

2020 周東佑京

2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝

2022 髙部瑛斗

2023 周東佑京, 小深田大翔

2024 周東佑京

1950 本堂保次

1951 山本一人

1952 岡本伊三美

1953 岡本伊三美

1954 森下正夫

1955 岡本伊三美

1956 佐々木信也

1957 岡本伊三美

1958 R.バルボン

1959 岡本伊三美

1960 仰木彬

1961 森下整鎮

1962 ブルーム

1963 ブルーム

1964 D.スペンサー

1965 D.スペンサー

1966 国貞泰汎

1967 ブレイザー

1968 ブレイザー

1969 山崎裕之

1970 山崎裕之

1971 山崎裕之

1972 基満男

1973 桜井輝秀

1974 山崎裕之

1975 B.マルカーノ

1976 吉岡悟

1977 B.マルカーノ

1978 B.マルカーノ

1979 B.マルカーノ

1980 山崎裕之

1981 落合博満

1982 落合博満

1983 大石大二郎

1984 大石大二郎

1985 西村徳文

1986 辻発彦

1987 白井一幸

1988 福良淳一

1989 辻発彦

1990 大石第二朗

1991 辻発彦

1992 辻発彦

1993 辻発彦

1994 福良淳一

1995 小久保裕紀

1996 大島公一

1997 小久保裕紀

1998 J.フランコ

1999 金子誠

2000 大島公一

2001 井口資仁

2002 高木浩之

2003 井口資仁

2004 井口資仁

2005 堀幸一

2006 田中賢介

2007 田中賢介

2008 片岡易之

2009 田中賢介

2010 田中賢介

2011 本多雄一

2012 田中賢介

2013 藤田一也

2014 藤田一也

2015 田中賢介

2016 浅村栄斗

2017 浅村栄斗

2018 浅村栄斗

2019 浅村栄斗

2020 浅村栄斗

2021 中村奨吾

2022 浅村栄斗

2023 浅村栄斗

2024 小深田大翔

1972 大下剛史

1973 桜井輝秀

1974 桜井輝秀

1975 B.マルカーノ

1976 B.マルカーノ

1977 山崎裕之

1978 B.マルカーノ

1979 B.マルカーノ

1980 山崎裕之

1981 山崎裕之

1982 大石大二郎

1983 大石大二郎

1984 大石大二郎

1985 西村徳文

1986 辻発彦

1987 白井一幸

1988 辻発彦

1989 辻発彦

1990 辻発彦

1991 辻発彦

1992 辻発彦

1993 辻発彦

1994 辻発彦

1995 小久保裕紀

1996 大島公一

1997 大島公一

1998 金子誠

1999 金子誠

2000 大島公一

2001 井口資仁

2002 高木浩之

2003 井口資仁

2004 井口資仁

2005 西岡剛

2006 田中賢介

2007 田中賢介

2008 田中賢介

2009 田中賢介

2010 田中賢介

2011 本多雄一

2012 本多雄一

2013 藤田一也

2014 藤田一也

2015 L.クルーズ

2016 藤田一也

2017 鈴木大地

2018 中村奨吾

2019 浅村栄斗

2020 外崎修汰

2021 中村奨吾

2022 外崎修汰

2023 中村奨吾

2024 小深田大翔

2009 井口資仁

2010 小久保裕紀

2011 松田宣浩

2012 中田翔

2013 浅村栄斗

2014 松田宣浩

2015 柳田悠岐

2016 吉村裕基

2017 栗山巧

2018 森友哉

2019 鈴木大地

2020 井上晴哉

2021 岡大海

2022 宗佑磨

2023 角中勝也

1999 松井秀喜

2000 片岡篤史

2001 中村紀洋

2002 飯田哲也

2003 井上一樹

2004 赤星憲広

2005 ボビー・バレンタイン

2006 和田毅

2007 三浦大輔

2008 岩隈久志

2009 小笠原道大

2010 ダルビッシュ有

2011 山﨑武司

2012 藤川球児

2013 宮本慎也

2014 栗山巧

2015 今江敏晃

2016 内海哲也

2017 岩田稔

2018 井口資仁

2019 秋山翔吾

2021 矢野燿大

2022 吉田正尚

2023 宮西尚生

選手 01 ウィリー・ハリス 05 フアン・ウリーベ 07 ティモ・ペレス 08 カール・エバレット 12 A.J.ピアジンスキー 14 ポール・コネルコ 15 井口資仁 18 クリフ・ポリート 20 ジョン・ガーランド 22 スコット・ポドセドニック 23 ジャーメイン・ダイ(シリーズMVP) 24 ジョー・クリーディ

26 オーランド・ヘルナンデス 27 ジェフ・ブラム 32 ダスティン・ハーマンソン 33 アーロン・ローワンド 34 フレディ・ガルシア 36 クリス・ウィジャー 38 パブロ・オズーナ 43 ダマソ・マルテ 45 ボビー・ジェンクス 46 ニール・コッツ 51 ルイス・ビスカイーノ 52 ホセ・コントレラス 56 マーク・バーリー

監督 13 オジー・ギーエン コーチ 03 ハロルド・ベインズ(ベンチ) 21 ドン・クーパー(投手) 28 ジョーイ・コーラ(三塁) 29 グレッグ・ウォーカー(打撃) 30 ティム・レインズ(一塁) 53 アート・カッシュナー(ブルペン)

湯浅禎夫 1950 - 1952

別当薫 1952

若林忠志 1953

別当薫 1954 - 1959

西本幸雄 1960

宇野光雄 1961 - 1962

本堂保次 1963 - 1965

田丸仁 1966

戸倉勝城 1967

濃人渉 1967 - 1971

大沢啓二 1971 - 1972

金田正一 1973 - 1978

山内一弘 1979 - 1981

山本一義 1982 - 1983

稲尾和久 1984 - 1986

有藤道世 1987 - 1989

金田正一 1990 - 1991

八木沢荘六 1992 - 1994

ボビー・バレンタイン 1995

江尻亮 1996

近藤昭仁 1997 - 1998

山本功児 1999 - 2003

ボビー・バレンタイン 2004 - 2009

西村徳文 2010 - 2012

伊東勤 2013 - 2017

井口資仁 2018 - 2022

吉井理人 2023 - 現在

河原井正雄

横川賢次

伊藤義博

木村憲治

磯貞之

河原隆一

白鳥隆志

関根裕之

大淀尚之

金森隆浩

河原純一

川村丈夫

工藤寿

北川博敏

江井康胤

小久保裕紀

高田義宜

高山健一

鳥越裕介

浪岡靖之

原丈弘

稲葉篤紀

井口忠仁

尾嶋伸治

木下郁

中野谷明也

箱崎豊

大野倫

湯浅貴博

山中正竹

伊藤義博

小泉陽三

門倉健

今井圭吾

倉野信次

小林雅英

三澤興一

森中聖雄

矢野英司

荒井修光

髙木大成

小野公誠

浦口雅広

武藤孝司

井口忠仁

今岡誠

鈴木章仁

副島孔太

中村壽博

江崎亘

大野倫

奥村幸司

清水隆行

中村豊

菅原勇輝

荒野洋司

川島勝司

垣野多鶴

大田垣耕造

井尻陽久

森昌彦

杉浦正則

木村重太郎

須合哲哉

舩木聖士

小野仁

倉野信次

大久保秀昭

黒須隆

髙木大成

西郷泰之

松中信彦

松本尚樹

仁志敏久

今岡誠

井口忠仁

中村大伸

高林孝行

佐藤友昭

谷佳知

30 川島勝司

31 垣野多鶴(打撃)

32 大田垣耕造(投手)

33 井尻陽久(守備・走塁)

11 三澤興一

12 森中聖雄

14 木村重太郎

15 川村丈夫

16 小野仁

18 森昌彦

19 杉浦正則

9 大久保秀昭

21 黒須隆

1 福留孝介

2 野島正弘

3 松中信彦

4 今岡誠

6 桑元孝雄

7 井口忠仁

8 西郷泰之

10 中村大伸

24 高林孝行

25 佐藤友昭

27 谷佳知

30 後藤寿彦

31 山下大輔

32 荒木大輔

33 應武篤良

11 寺原隼人

15 須田喜照

16 篠原貴行

18 久保裕也

19 館山昌平

23 藤井秀悟

28 加藤康介

35 中村隼人

52 中野渡進

10 阿部慎之助

20 黒須隆

1 東出輝裕

2 井端弘和

4 前田新悟

6 西郷泰之

7 井口資仁

25 後藤武敏

3 葛城育郎

5 衣川隆夫

8 佐藤友亮

9 鷹野史寿

24 高橋由伸

43 上坂太一郎

1位:井口忠仁(逆指名)

2位:松中信彦(逆指名)

3位:柴原洋

4位:倉野信次

5位:岡本克道

6位:村上鉄也

7位:新里紹也

井口資仁

日本の野球選手

在アメリカ合衆国日本人の野球選手

國學院大學久我山中学校・高等学校出身の野球選手

青山学院大学硬式野球部の選手

福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手

シカゴ・ホワイトソックスの選手

ドラフト外のMLB選手

フィラデルフィア・フィリーズの選手

サンディエゴ・パドレスの選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

盗塁王 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

ユニバーシアード野球日本代表選手

日本のユニバーシアード銅メダリスト

オリンピック野球日本代表選手

日本のオリンピック銀メダリスト

野球のオリンピックメダリスト

1996年アトランタオリンピック出場選手

日米大学野球選手権大会日本代表選手

日本の野球監督

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の監督

ゴールデンスピリット賞受賞者

野球解説者

名球会

東京都出身のスポーツ選手

1974年生

存命人物

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プロジェクト人物伝項目

2025/04/01 05:05更新

iguchi tadahito


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富沢 亜古(とみざわ あこ)
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新 克利(あたらし かつとし、1940年〈昭和15年〉12月4日 - )は、日本の俳優・声優。 東京市に鳶職の子として生まれる。 都立三田高校を卒業後、1959年に法政大学法学部に進むも2年で中退…


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