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山川穂高の情報 (やまかわほたか)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

山川穂高の情報(やまかわほたか) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山川 穂高さんについて調べます

■名前・氏名
山川 穂高
(読み:やまかわ ほたか)
■職業
野球選手
■山川穂高の誕生日・生年月日
1991年11月23日 (年齢32歳)
未年(ひつじ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
沖縄出身

(平成3年)1991年生まれの人の年齢早見表

山川穂高と同じ1991年生まれの有名人・芸能人

山川穂高と同じ11月23日生まれの有名人・芸能人

山川穂高と同じ出身地沖縄県生まれの有名人・芸能人


山川穂高と関係のある人

高橋光成: 2015年、4月28日に同チームの山川穂高・石川貢と共に『侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜』のNPB選抜に選出されたことが発表された。


外崎修汰: 大学の1年先輩に山川穂高、1年後輩に多和田真三郎、2年後輩に小野泰己がいる。


砂川リチャード: 2019年は、同郷の山川穂高などとの自主トレーニングへ初めて参加。


辻発彦: 山川穂高、外崎修汰、新人の源田壮亮ら若手選手が頭角を現した他、選手の走塁・守備意識を身に付ける方針が奏功し得点・失策数の改善(得点:619→690。


豆田泰志: 同13日の福岡ソフトバンクホークス戦でも無死満塁のピンチを招き、山川穂高に2打席連続満塁本塁打となるホームランを打たれ、翌14日に出場選手登録を抹消された。


森翔平: 初奪三振:同上、6回裏に山川穂高から空振り三振


梅野隆太郎: 2018年シーズン前半は打撃が不安定であったが、交流戦の西武戦で、大学時代から親交があり同学年の山川穂高にこぢんまりして怖さが無くなっていることを助言され、当時一軍打撃コーチだった平野恵一からも「お前はノリさん(中村紀洋)みたいになってほしいんだよな」と助言されたのがきっかけで打撃が上昇し、これにはチームメイトの大山悠輔も中村のYouTubeチャンネルを研究して打撃が上昇したという。


砂川リチャード: 自身のプロ入り後は東浜の紹介で埼玉西武ライオンズの山川穂高と知り合い、2019年から彼の自主トレに参加し、弟子入りしている。


奥浪鏡: このときに同じく優秀選手賞を埼玉西武ライオンズの山川穂高が、MVPを千葉ロッテマリーンズの井上晴哉が受賞しており、全員体重が100kgを超える体格だったことから「重量級3兄弟」などと呼ばれ注目された。


井上晴哉: このときに優秀選手賞を受賞した山川穂高と奥浪鏡も井上と同じく体重100kgを超える体格だったことから「重量級3兄弟」などと呼ばれ話題となった。


佐々木朗希: 山川穂高からプロ初奪三振を記録するなど、5回107球6安打5奪三振4失点(自責点2)の内容で勝利投手の権利を持って降板したが、8回に味方が同点に追いつかれたためプロ初勝利とはならなかった。


吉田正尚: また打点は打点王を獲得した山川穂高(西武)の90打点に次ぐ自己最多となる88打点を記録し、OPSは自己最高となる1.008を記録した。


西口直人: 「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」に初出場ながら1回戦で山川穂高、準決勝で安田尚憲に勝利し決勝まで勝ち進んだものの、前年のプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し「球王」の称号を保持している平田良介に破れ準優勝。


渡邊佑樹: 2者連続で四球を与えたものの、外崎修汰、山川穂高、中村剛也から3者連続空振り三振を奪った。


大納言光子: 山川穂高のものまねで出演。


山田遥楓: 山川穂高が一軍復帰してからは呉念庭と併用される形になったが、源田壮亮が新型コロナウイルスへの感染により離脱すると遊撃手としての先発出場が増加した。


大納言光子: 山川穂高(プロ野球選手)


藤井皓哉: チームが優勝マジック1で迎えた10月1日の埼玉西武ライオンズ戦では、山川穂高にサヨナラ2点本塁打を打たれてプロ初黒星を喫し、涙を流した。


髙橋光成: 2015年、4月28日に同チームの山川穂高・石川貢と共に『侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜』のNPB選抜に選出されたことが発表された。


多和田真三郎: また、富士大学からドラフトで西武へ入団したのは2013年入団の山川穂高、2014年入団の外崎修汰に続き3年連続となった。


小野泰己: 大学の3学年上に山川穂高、2学年上に外崎修汰、1学年上に多和田真三郎がいた。


大矢明彦: 教え子には山川穂高、大城卓三らがいる。


早川隆久: 前年とは一転して右打者に打ち込まれる場面が目立ち、特に埼玉西武ライオンズの山川穂高には7月10日の対戦でシーズン4発目の被弾を許し、この試合は4回0/3を6失点でシーズン6敗目。


中野拓夢: フロリダ州マイアミのローンデポ・パークで行われたメキシコ代表との準決勝(21日)では8回裏に代走として出場し、山川穂高の犠飛で1点差に詰め寄る4点目のホームを踏んだ。


渡部健人: 2023年は、中村剛也の戦線離脱や、山川穂高の謹慎処分が重なり2年ぶりに一軍に昇格、6月8日に対中日ドラゴンズ戦(ベルーナドーム)で柳裕也から2年ぶりとなる本塁打を放った。


木村好珠: サッカー以外にも埼玉西武ライオンズの山川穂高など個人選手とも契約し、多岐にわたるスポーツアスリートのメンタルトレーナーを行なっている。


森友哉: この年は打率.329で首位打者に輝き、23本塁打・105打点・OPS.959とキャリアハイの成績を残し、中村剛也(123打点)、山川穂高(120打点)と共に球団史上初の100打点トリオを形成した。


水上由伸: さらに同13日のソフトバンク戦では火消しに成功したが、回またぎとなった6回表に山川穂高の満塁本塁打で4失点と3登板連続で不本意な投球が続いた。


水沢英樹: 富士大学との強固なパイプを形成し、山川穂高、外崎修汰、多和田真三郎の獲得にも関わった。


佐藤龍世: オフはチームメイトで富士大学の先輩にあたる山川穂高や森友哉の自主トレーニングに同行した。


山川穂高の情報まとめ

もしもしロボ

山川 穂高(やまかわ ほたか)さんの誕生日は1991年11月23日です。沖縄出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。母親、事件、趣味、引退、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。山川穂高の現在の年齢は32歳のようです。

山川穂高のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

山川 穂高(やまかわ ほたか、1991年11月23日 - )は、沖縄県那覇市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

那覇市立城北小学校4年生のときに友人に誘われて野球を始め、「首里マリナーズ」に所属。那覇市立城北中学校時代は、大矢明彦が名誉監督を務める硬式の「チームSOLA沖縄」(現・大矢ベースボールクラブ)でプレー。一塁手として全国大会出場経験がある。当時の監督であった大久保勝也からは「おまえはホームランバッターになれるから、絶対に小さい打撃をするな」と指導を受けていた。中学時代、勉強が全くできなかったものの野球は「何となく」続けていたという。同チームの1学年下に大城卓三がいた。なお、中学校内ではバレーボール部に所属していた。

沖縄県立中部商業高等学校では主に一塁手、外野手として出場し、2年生秋から4番打者を務めた。3年夏は沖縄大会決勝に進出。この試合では2安打を打つ活躍を見せたが、チームは2年生エースの島袋洋奨を擁する興南高校(この翌年には春夏連覇)に2-4で敗れた。甲子園出場経験はなく、高校通算27本塁打。2学年下には富士大学、埼玉西武ライオンズでもチームメイトとなる多和田真三郎がいた。

「高校の時は頑張って甲子園だけ目指して燃え尽きる気持ちでやってました」といい、高校までで野球は辞めるつもりでいたが、沖縄県予選準決勝で山川がバックスクリーンに本塁打を放ったのを目の前で見た青木久典に、自身と母親の前で土下座され、“1年生から必ず4番を打たせて、必ずプロに行かせるのでうちに来てください”と懇願されたのを受け、富士大学経済学部経営法学科に進学、監督の約束通り1年生の春から4番を務め、北東北大学野球・秋季リーグでは打点王を獲得した。2年生時に第38回日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれ、第1戦で満塁本塁打を打った。3年生時には11月開幕の第26回アジア野球選手権大会の日本代表として、翌年3月に行われた東日本大震災復興支援ベースボールマッチに大学選抜メンバーとして出場した。 大学4年生時の春季リーグでは指名打者のベストナインを獲得した。なお、5月26日の対八戸学院大学戦では推定飛距離140メートルの本塁打を打っている。6月に第39回日米大学野球選手権大会の日本代表候補に選出されたが、最終メンバーからは外れた。10月に行われた東アジア競技大会では大学生で唯一日本代表に選ばれて4番を務め、韓国戦で満塁本塁打を打った。大学リーグ通算成績は78試合出場、11本塁打、55打点、打率.304。ドラフト後の10月27日に行われた、第5回明治神宮野球大会東北地区大学野球代表決定戦の準決勝・対東日本国際大学戦で本塁打2本を打った。チームは決勝で八戸学院大学に敗れたが、自身は大会の敢闘賞を受賞した。

2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は33。同大学からは4人目のプロ入りで、野手では初となった。

2014年6月21日の対横浜DeNAベイスターズ戦にて5番・指名打者でプロ初先発・初出場し、初打席は四球だった。その後7試合15打数無安打3四球で迎えた8試合目、9月15日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で辛島航からプロ初安打となる本塁打を打った。二軍では5月度の月間MVPに選ばれた(同月全17試合に出場、7本塁打21打点、打率.344)。7月17日に行われたフレッシュオールスターゲームに4番・一塁手で先発出場、2点本塁打を含む3打数2安打1四球の成績で優秀選手賞を受賞した。このとき、同じく優秀選手賞を受賞した奥浪鏡(オリックス)とMVPを受賞した井上晴哉(ロッテ)の3人ともが体重100kgを超える巨漢だったことが話題になった。二軍通算では21本塁打を打ってイースタン・リーグの最多本塁打者になり、打点部門でもリーグ2位(62打点)だったほか、スポーツニッポン選定の新人賞を受賞した。

2015年4月28日に同チームの髙橋光成、石川貢と共に「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜に選出された。6月29日に行われたこの試合では、4番・一塁手で先発出場し、第1打席で2点本塁打を打った。

2016年、3月25日のオリックス・バファローズとの開幕戦では7番・一塁手で先発出場し、4打数無安打だった。8月19日の対千葉ロッテマリーンズ戦では2打席連続本塁打を打つと、21日の対ロッテ戦、9月20日の対オリックス戦でも2打席連続本塁打を記録するなど、自身初の2桁本塁打を記録した。二軍では64試合に出場して22本塁打を打ち、2度目のイースタン・リーグ最多本塁打者賞を受賞した。

2017年、開幕一軍入りを果たすも打率.111と成績を残せず、5月1日に登録抹消。二軍戦で打率.312、8本塁打と調子を上げ、7月8日に一軍登録。8月2日の楽天戦で3打席連続の本塁打を記録した。8月は全27試合に先発出場して9本塁打、28打点、64塁打、20四球、長打率.696、出塁率.451と6部門で月間リーグトップを記録し、自身初の月間MVPを獲得した。続く9、10月も全25試合に出場しリーグトップの10本塁打、19得点、68塁打、長打率.739を記録し、パ・リーグ史上3人目、ライオンズの選手としては初となる野手での2か月連続月間MVP受賞を達成した。8月以降はクリーンナップ、9月以降は4番に定着し、打撃面で自己最高の成績を残した。オフの10月12日にオーバーエイジ枠で第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された。

2018年は開幕から4番を担当。4月は全24試合に出場し、11本塁打、33打点とリーグトップの成績を記録。4月の月間MVPを受賞し、前年から3か月連続の受賞となった。ファン投票で自身初となるオールスターゲームに出場した。9月にはリーグではチームメイトの中村剛也以来7年ぶり、自身初のシーズン40本塁打を達成すると、最終的には平成生まれ最多(2018年シーズン終了時点)となる47本塁打を記録して本塁打王に輝き、更には同僚の浅村栄斗に敗れはしたものの最後まで打点王争いを繰り広げて閉幕を迎えた。ソフトバンクとのCSファイナルステージでは5試合で16打数3安打6三振で打率.188にとどまった。自身初となるベストナインを受賞。さらに、258票中148票の1位投票を得てパ・リーグの最優秀選手に選出された。シーズン打率2割台での最優秀選手選出は1989年のラルフ・ブライアント以来29年ぶり。同年7月31日、西武ドームでの試合後に行った観客席におけるファンサービス中、東京メトロの常務取締役の男性役員に、首から掛けていたタオルを引き抜かれ持ち去られるという珍事に見舞われる。持ち去られたタオルは、事件の翌日、当事者の男性役員から謝罪を受け返還された。

2019年も開幕から4番として起用される。3月・4月では全試合に4番として出場し、本塁打・打点・塁打・長打率の4部門でリーグトップに立ち、前年の9月・10月度に続き5度目の月間MVPに選出された。5月12日の北海道日本ハムファイターズ戦でジョニー・バーベイトから本塁打を打ち、100号本塁打を達成した。通算321試合目での100号到達は、1987年の秋山幸二の351試合を上回る日本人史上最速記録。外国人を含めるとタイロン・ウッズと並ぶ6位タイの早さだった。5月21日に故郷・沖縄の沖縄セルラースタジアム那覇で行われた福岡ソフトバンクホークス戦で松田遼馬から凱旋本塁打を打った。2年連続でファン投票によりオールスターゲームに出場し、第1戦の敢闘賞を受賞した。交流戦後は調子を落とし、4番の座を中村剛也に譲ると以降の試合では1試合を除いて4番に戻ることはなかったが、最終的には43本塁打を記録して2年連続の本塁打王とベストナインを獲得した。11月25日には自ら志願し、背番号が3に変更されることが発表された。12月5日に1億円増の2億1000万円(金額は推定)で契約更改した。

2020年は9月3日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)で、2014年9月25日以来、6年ぶりに三塁で先発出場した。開幕した6月こそ10試合で打率.290、5本塁打、13打点と活躍したものの、7月は打率.226と苦しむ。さらに8月9日の日本ハム戦ではスイング後にバランスを崩し、右足首を捻挫する。強行出場を続けたが不振に拍車をかけることとなり、打撃成績はさらに低下した。10月31日には右足首の治療に専念するため登録抹消となり、そのままシーズンを終えた。最終的に102試合に出場し、本塁打こそリーグ5位タイの24本塁打、打点も4位タイの73打点を挙げたが、打率は規定打席到達者中最下位の打率.205、三振はリーグ8位タイでチームではコーリー・スパンジェンバーグに次ぐ100だった。12月13日に推定年俸1億7000万円(4000万円減)で契約を更改した。

2021年は開幕戦から4番打者を務めていたが、3月30日の日本ハム戦でシーズン第1号となる本塁打を打って一塁を回った際に左足を痛め、直後の守備からベンチに下がった。診断の結果は左ハムストリングスの肉離れで、3月31日に一軍登録を抹消された。5月7日に一軍復帰を果たすと、ファン投票で3度目のオールスターに選出され、第1戦で自身2度目の敢闘賞を受賞した。前半戦は成績が伸び悩み、8月26日に自身が個人契約を結んでいるマネージャーが新型コロナウイルス陽性となり濃厚接触者の疑いがあるため登録抹消となった。幸い濃厚接触者には特定されず同29日に一軍復帰したものの低調な打撃が続き、スタメン落ちも経験。5年連続20本塁打こそ達成したが故障もあり規定打席に届かず、この年は110試合の出場で打率.232・24本塁打・66打点という成績にとどまった。オフに、4000万円減となる推定年俸1億3000万円で契約を更改した。

2022年は、右脚の張りによってオープン戦最後の2試合を欠場したものの、開幕から4試合で4本塁打を記録するなど好調であったが、3月30日の日本ハム戦で走塁中に右脚を痛めて途中交代した。4月1日の検査で右太もも裏の軽度の肉離れが判明し、出場登録を抹消。4月19日に再登録された。その後は本塁打を量産し、本塁打王争いも独走。6月26日の楽天戦で4回に早川隆久から本塁打を放ち、日本人選手最速の200号を達成した。その後も好不調の波は激しいながらもコンスタントに本塁打を積み重ねていき、9月27日の対ソフトバンク戦(ベルーナドーム)では1回二死一塁の打席で石川柊太から2点本塁打を放ち、自身3年ぶりに40本塁打に到達した。10月1日、ソフトバンクがマジック1の状況で迎えた対ソフトバンク25回戦(ベルーナドーム)で、試合開始前の円陣で山川が「3点取りましょう」と宣言し、1-1の同点で迎えた延長11回裏二死一塁の打席で藤井皓哉からソフトバンクの胴上げを阻止する自身初の41号サヨナラ本塁打を放ち、これが3-1のスコアとなったため、前述の「3点取りましょう」が有言実行となった。最終的に41本塁打まで本塁打数を伸ばし3度目のパ・リーグ本塁打王に輝いた。本塁打王に加え自身初の打点王も獲得。また同年はセ・リーグでは村上宗隆が56本塁打を放ったため2008年以来14年ぶりに40本塁打超の日本人選手が両リーグで本塁打王に輝くことになった。また、3年ぶりにベストナインにも選出された。オフに1億4000万増の2億7000万円でサインし、翌年は順当に行けば、FA権を取得予定。球団からは4年契約を提示されたが、「本当に悩んだ」末に単年契約を選んだ。翌年は10年目、「節目ですし、野球人生の全てをかけて臨む意味で絶対に単年の方がいいという思いで結んだ。今年以上により目の色を変えて、血眼になってプレーしたい」と説明した。

2023年は、WBC日本代表メンバーに初選出され、主に代打として出場し2打点を挙げた。シーズンでは開幕を一軍で迎えるも、4月9日に下半身の強い張りを訴えて緊急交代し、直後に出場選手登録を抹消された。その後再登録されるも5月11日に後述の不祥事が報じられ、翌12日に「コンディションを再調整する必要がある」として再び抹消となった。以降は二・三軍を含めて試合に出場していない状態だったが、9月4日に「今回の事態を重く受け止め、本人の猛省を促す」との理由で、球団から公式戦無期限出場停止処分を科されたことが発表された。最終的に、シーズン終了まで処分が解かれることはなく、この年の一軍出場は17試合のみで、8年ぶりの本塁打無しに終わった。また、本塁打王を獲得した次のシーズンが0本塁打に終わり、40本塁打以上打った次のシーズンが0本塁打に終わったプロ野球史上初の選手となった。シーズンオフの10月5日、公式戦外の教育リーグであるみやざきフェニックス・リーグへの参加が発表され、同11日の同リーグの試合で5か月ぶりに実戦復帰を果たした。同23日には、4月に右足痛で登録抹消となった期間に「故障者特例措置」が適用されたことにより、国内FA権を取得。西武との契約更改交渉では、この年の推定年俸2億7000万円からの減俸となる単年契約を提示され、熟考の末FA権を行使。この行使を受け、ソフトバンクの取締役GM・三笠杉彦は「(不祥事の)事案についてしっかりと調査するというのが、まずは我々がやらなければならないこと」、球団社長兼オーナー代行の後藤芳光は「議論がされそうなテーマについては、会社として調査しないといけない」と話すなど、FA宣言後約1か月にわたって山川について調査を行い、獲得に乗り出すことを決め、その後、複数回の交渉を重ねた。

2023年12月19日、ソフトバンクへの入団が発表され、同日中に入団会見が行われた。会見では改めて、一連の不祥事について関係者や西武ファンに対する謝罪を行った。契約は4年12億円プラス出来高払い込みの総額20億円規模の条件。背番号は25。人的補償として甲斐野央が移籍することとなった。

2024年3月29日、オリックスとの開幕戦で公式戦545日ぶりとなる移籍後初の本塁打を放つ。4月13日、古巣・西武戦では、2006年の二岡智宏以来となる2打席連続の満塁本塁打を記録した。なお、1本目の本塁打を放ったことにより、全球団から本塁打を達成している。

選手としての特徴

圧倒的な長打力を誇るパワーヒッター。その長打力から、しばしば「球界屈指の長距離砲」と呼ばれる。左足を高く上げて勢いをつけ、豪快なフルスイングで全体重をボールにぶつける打撃が特徴。また、下半身が強靭であることから、変化球でタイミングを崩されても、体が前に出ないように粘ることができ、長打が打てる。また、レギュラー定着後は、四球を多く選んでいる。

「打率のように、上がったり下がったりするものはあまり考えないようにしています。本塁打と打点は減らない。僕は減らないものに特化していきたい」といい、「僕は5打数5安打より、5打数1安打1ホーマーの方が絶対いいですから。打率は相当悪くなければ、ある程度でいいかなと」考えているため、2022年に一時期打率が.305にまで達していた際には「早く3割を切りたいくらい」とまで発言していた。高めの球に手を出して凡退することもあるが「それは“誤差”と考えています。高めには手を出さない、という考えは僕にはない。基本的に全球行くつもり。(ボール球を)振っちゃったら振っちゃったでいい」と割り切っている。

入団当時108kg、1年目のオフで103kgもあった巨漢選手。

大学生時代において50メートル走のタイムは6秒2である。また、プロ入り時の検査で、右の握力は83kg(ベストは87kg)を記録した。

人物

西武時代の先輩である中村剛也と体型が似通っていたため、一部のファンから(中村の愛称にちなんで)「おかわり2世」の愛称で呼ばれていた。自身も大学1年生の時から中村の打撃フォームをインターネット上の動画を見て研究しており、中村を最も尊敬していると報道された。また地元沖縄の豚にちなむ「アグー」も愛称となっており、自身のX(旧Twitter)アカウントも「@AGU1123」としている。

元チームメイトで同期入団の森友哉とは仲が良く、自分より歳下ながら「おい、デブ」などと呼ばれよくからかわれていた。

小学生の頃からピアノを趣味としているが、ピアノ教室に通ったのは、高校野球を引退してからの約半年ほどで楽譜は読めない。中学生時代には合唱コンクールでピアノ伴奏をした。幼稚園の頃に始めた書道は8段。

2017年に結婚。妻は大学で知り合った元ソフトボール選手。

女性芸人のゆりやんレトリィバァに似ていると自他共に認めており、2018年シーズンには本塁打後にゆりやんレトリィバァの「調子乗っちゃって」パフォーマンスを見せていた。また、大相撲力士の御嶽海にも似ていると言われており、2019年には「どすこい」パフォーマンスを行っていた。2021年は当初「どすこい」パフォーマンスを封印し、渡部健人に譲る予定だったが、コロナ禍が続いていることや、不振だったことを考慮して撤回した。

俳優の北村一輝と親交がある。

那覇市の首里出身で、首里城の2019年の火災に対しては「知人を失うことと同じような感覚」と述べており、火災を知ったときには「練習にも身が入らないくらいだった」という。2020年1月、首里城再建に向けて500万円を那覇市に寄附し、「沖縄や首里を代表しているという思いがある」として、前年のファン感謝祭で託された寄附金も同時に寄附している。

応援歌

西武応援団が制作した自身の応援歌とチャンステーマ4を気に入っていた。また、他のチームの応援歌では、ロッテ時代の井口資仁の曲が好きであったと述べている。

ソフトバンク移籍後には新応援歌が制作され、2024年3月2日に発表されたが、シーズン開幕前日の同月28日には歌詞変更が発表された。開幕前日に応援歌の歌詞が変更されることは異例で、公式には理由はアナウンスされていないが、旧歌詞発表後にはインターネット上で後述の不祥事およびFA移籍に伴って人的補償で西武に移籍した甲斐野を揶揄するようなフレーズが含まれているのではないかという声が上がっていたことが報じられている。

2024/06/16 19:34更新

yamakawa hotaka


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山川 敦子(やまかわ あつこ)
1980年4月17日生まれの有名人 愛知出身

山川 敦子(やまかわ あつこ、1980年4月17日 - )は、日本の女性モデルである。愛知県出身。 2002年にフェイスネットワークに所属し、翌年ARTA GALSのメンバーとしてレースクイーンデ…

山川 里菜(やまかわ りな)
1995年7月14日生まれの有名人 福岡出身

山川 里菜(やまかわ りな、1995年7月14日 - )は、福岡県のジュニアモデル。株式会社ノーメイク所属。 趣味はショッピング、特技はダンスと料理。好きなアーティストは西野カナ。 現在、福岡発アイ…

山川 恵里佳(やまかわ えりか)
1982年3月7日生まれの有名人 岩手出身

山川 恵里佳(やまかわ えりか、1982年3月7日 - )は、日本のタレント、女優。所属事務所はアヴィラ。戸籍名:大森 恵里佳(おおもり えりか、旧姓:山川)。魚座、血液型A型。夫はお笑いタレントのお…

山川 建夫(やまかわ ゆきお)
1943年11月21日生まれの有名人 東京出身

山川 建夫(やまかわ ゆきお、1943年11月21日 - )は、日本のアナウンサーであり、1985年までフジテレビのアナウンサーを務めていた。1989年からは東京俳優生活協同組合に所属。フジテレビお台…

山川 静夫(やまかわ しずお)
1933年2月27日生まれの有名人 静岡出身

山川 静夫(やまかわ しずお、1933年〈昭和8年〉2月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、芸能評論家(特に歌舞伎)、エッセイスト。元NHKアナウンサー。 1933年2月27日、現在の静岡…

山川 琴美(やまかわ ことみ)
3月12日生まれの有名人 北海道出身

山川 琴美(やまかわ ことみ、3月12日 - )は、日本の女性声優。北海道出身。東京俳優生活協同組合所属。 スクールデュオ1期生。以前は賢プロダクション、元氣プロジェクトに所属していたが、フリーラ…

山川 亜弥(やまかわ あや)
1969年3月27日生まれの有名人 東京出身

山川 亜弥(やまかわ あや、1969年3月27日 - )は、日本の女優、声優。ぷろだくしょんバオバブ所属。東京都出身。 高校時代より肝付兼太に師事。肝付からたてかべ和也に紹介。芸名は、たてかべが命…

山川 敦也(やまかわ あつや)
5月25日生まれの有名人 長崎出身

山川 敦也(やまかわ あつや、5月25日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。現在は、C&Oアクターズスタジオの講師としても活動している。2012年3月まではオフィス野沢、2012年4…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「山川穂高」を素材として二次利用しています。

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