山川静夫アナウンサーの情報(やまかわしずお) アナウンサー/NHK 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png?)
山川 静夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
山川静夫と関係のある人
松川洋右: 同期にはスポーツアナウンサーとして知られる向坂松彦、バラエティの司会や『紅白歌合戦』で知られた山川静夫がいる。 千昌夫: 同年の紅白では白組司会の山川静夫が「3年続けて同じ曲!」と紹介し笑いを誘ったが、歌手席や客席から「待ってました!」の声が上がり、雰囲気は一層盛り上がった。 渚あき: NHK-BS2 「山川静夫の“新・華麗なる招待席”」(2003年)ゲスト 高橋圭三: 1953年『NHK紅白歌合戦』の白組司会を9年連続で担当(1961年まで)、これはNHKの後輩アナウンサーの山川静夫に並び連続白組司会の最長記録となっている。 生方恵一: 同期は山川静夫。 向坂松彦: 同期に山川静夫、松川洋右がいる。 志生野温夫: 元NHKアナウンサーの山川静夫は大学時代の同級生である。 小田島建夫: 高橋圭三が自分の地元の隣の花巻市出身、同じ大学・学部の先輩に山川静夫がいたことにも触発されて、放送界を目指すようになった。 ちあきなおみ: 「夜へ急ぐ人」は『第28回NHK紅白歌合戦』でも歌われ、紅白の舞台でのちあきの鬼気迫るパフォーマンスが視聴者の度肝を抜き、白組司会の山川静夫は「なんとも気持ちの悪い歌ですねぇ〜」と発言するなど、話題になった。 池田政典: 透視する女(2000年)- 山川静夫 役 戸板康二: 様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、逝去直前まで書き続けられて単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』(歌舞伎座の筋書に毎月掲載された、その月の演目にまつわるエピソード)の5冊を数える名シリーズとなったが、元々は戸板のほか岡部冬彦や山川静夫らが書き継いだ『オール讀物』の名物コラムのタイトルから書名をとったものである。 今福祝: また山川静夫によると、普通のアナウンサーなら批判される放送中のミスが、ユーモラスな伝説として語り継がれるような愛される人柄だったという。 長谷川一夫: 」と励まされたので決心がついたという(山川静夫との対談での証言)。 鈴木健二: 1974年 - 1982年まで9年連続で白組司会を務めた後輩の山川静夫に代わっての抜擢であった。 大西信行: 1975年、NHKのラジオドラマの脚色を担当した『綱太夫四季』(山川静夫原作)で芸術祭優秀賞受賞。 |
山川静夫の情報まとめ
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
山川 静夫(やまかわ しずお)さんの誕生日は1933年2月27日です。静岡出身のアナウンサーのようです。
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
出演番組、著作などについてまとめました。現在、卒業、ドラマ、テレビ、結婚に関する情報もありますね。
山川静夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山川 静夫(やまかわ しずお、1933年〈昭和8年〉2月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、芸能評論家(特に歌舞伎)、エッセイスト。元NHKアナウンサー。 1933年2月27日、現在の静岡県静岡市葵区梅屋町で静岡浅間神社神主の家に生まれた。1951年、静岡県立静岡城内高等学校(当時。現:静岡県立静岡高等学校)卒業。国學院大學文学部卒業。日本の伝統文化に興味があり、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。中村勘三郎 (17代目)、中村歌右衛門 (6代目)、吉田玉男、吉田簑助など古典芸能の名人たちと親交を深めている。また、義父の飯島忠が安藤鶴夫と育英小学校で同級生であることを通じての親交もあった。 1956年にNHKに入局。青森、仙台、大阪に勤務の後、1968年に東京アナウンス室に配属。前期の担当番組はお父さんはお人好し、女性手帳(大阪制作)、お楽しみグランドホール、ひるのプレゼント、歌のグランド・ショー、お国自慢にしひがしなど。後期はウルトラアイ、トライ&トライ、くらべてみればなどの生活科学番組の司会を15年に渡って担当、体当たりの実験参加が人気を博した。 NHK紅白歌合戦の総合司会や白組司会を務めた。1974年から1982年まで白組司会を9年連続で担当、これは先輩の高橋圭三に並び連続白組司会の最長記録となっている。史上初且つ男性では唯一の昭和・平成の紅白での双方司会経験者であるほか、最後の担当となっている1992年(当時59歳)での総合司会は2005年に当時61歳のみのもんた(同回の事実上の総合司会)に抜かれるまで男性司会者および総合司会の最年長記録となっていた。ただし、第56回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められていなかったため、正式な肩書の総合司会の最年長記録はその後も保持している。 著作も多く、1974年に刊行した『綱太夫四季』が処女作である。同作は1975年にNHKでラジオドラマ化され(脚色:大西信行.演出:上野友夫、主演:森繁久彌)、芸術祭優秀賞受賞。 1972年チーフアナウンサー、チーフアナウンサー(局長級)から1988年理事待遇、1990年に特別主幹(専務理事待遇)職に就任する(理事就任後もテレビ出演時は「アナウンサー」を名乗っていた)が、その後も当時の担当番組だった「くらべてみれば」では司会を続け、1991年と1992年には「国民的番組」の名誉復権をかけて9年ぶりに紅白に総合司会として司会復帰する等、1994年3月(実際、山川は1993年の時点で60歳を迎えていた)に定年退職するまで"NHKの顔"として活躍した。2000年に脳梗塞とそれに伴う失語症、心不全、結腸腫瘍による腸閉塞と相次いで大病に見舞われたが、短期間で復帰。 1991年からは国語審議会委員を務め、また芸能評論家として雑誌・単行本に評論・エッセイを執筆するなど、退職後はブラウン管から一歩離れた立場での活躍が目立っているが、NHK衛星第2において、「山川静夫の華麗なる招待席」「昭和の歌人たち」といった番組の司会を担当し長年に渡り出演してきたほか、2010年には十一代目市川海老蔵(当時。現:十三代目市川團十郎白猿)の結婚披露宴(全2部構成の第1部)の司会を担当した。 大阪放送局勤務時代(1959年 - 1965年)、当時朝日座といった文楽劇場へ通いつめ、文楽を筆頭に歌舞伎、新国劇などの古典芸能に通暁しており、その時親しんだ八代目竹本綱大夫の評伝『綱大夫四季』の他、その後も多数の古典芸能に関する著書がある。 同期にはスポーツアナウンサーとして知られる向坂松彦、ニュースキャスターやナレーターを務めた松川洋右がいる。志生野温夫(元日本テレビアナウンサー)は大学時代の同級生。NHKの採用試験は、志生野と共に受験したが、志生野は4次試験の面接で落第した。また文化放送、フジテレビでアナウンサーを務めた鳥居滋夫は静岡城内高校の同期。 出演番組女性手帳 ひるのプレゼント(1970.4 - 1972?) 歌謡グランドショー 後に歌のゴールデンステージ→歌のグランド・ショーに改題(1972.4 - 1978.3) お国自慢にしひがし(1974.4 - 1976?) ウルトラアイ(1978.5 - 1986.3) トライ&トライ(1986.4 - 1991.3) くらべてみれば(1991.4 - 1994.3) 山川静夫の華麗なる招待席(1994.10〈NHK定年退職後〉 - 2008.3、NHK衛星第2) NHK紅白歌合戦白組司会(1974 - 1982)、総合司会(1972、1973、1991、1992) 思い出のメロディー(1974、1980) ヤング歌の祭典(1975 - 1977) 邦楽百選 武蔵坊弁慶(1986、語り) 腕におぼえあり(1992、語り) 幕末のスパシーボ(1997、ナレーション)、他 山川静夫の“華麗なる招待席” ラジオ深夜便・にっぽんを味わう 歌舞伎(2011 - 2013年度、毎月第2水曜日〈火曜日深夜〉、NHKラジオ第1放送) 著作綱太夫四季 昭和の文楽を生きる 南窓社 1974 のち岩波現代文庫 爆笑の話術 新星出版社 1974 他人のふんどし 1976 上方芸人ばなし 日本放送出版協会 1977 歌右衛門の疎開 文藝春秋 1980 のち、岩波現代文庫 ウルトラおじさん頑張る 講談社 1980 小説 和田信賢-そうそう、そうなんだよ- 日本放送出版協会 1983 のち「或るアナウンサーの一生―評伝 和田信賢」として文春文庫、のち「そうそう そうなんだよ ― アナウンサー和田信賢伝」として岩波現代文庫 NHK ウルトラアイ全6巻 山川静夫 (編集), 番組制作グループ (編集) NHK出版 1983-1984 夕空はれて 広池学園出版部 1985 歌右衛門の六十年 中村歌右衛門聞書き 岩波新書 1986 人の情けの盃を 淡交社 1986 もっとうまく話したい ダラダラ、マゴマゴにさよならする知恵 ごま書房 1988 勘三郎の天気 読売新聞社 1988 のち文春文庫 名手名言 中央法規出版 1991 のち文春文庫 山川静夫の歌舞伎十八選 これだけは見てほしい平成の歌舞伎 吉田千秋写真 講談社 1991 胸の振子 文藝春秋 1991 当世やまとごころ 日本放送出版協会 1992 オフィス忠臣蔵 文春ネスコ 1994 歌舞伎の知恵 演劇出版社 1994 文楽の女 吉田簑助の世界 淡交社 1994 私のNHK物語-アナウンサー38年 文藝春秋 1994 のち文庫 短いスピーチほどおあとがよろしいようで ごま書房 1998 話せるヒント 思いやりのキャッチボール 日本文芸社 1999 歌舞伎のかくし味 淡交社 1999 歌舞伎漫筆 岩波書店 2000 文楽の男 吉田玉男の世界 吉田玉男 淡交社 2002 山川静夫芝居随筆 演劇出版社 2003 花舞台へ帰ってきた。吉田簔助と山川静夫 脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録 淡交社 2007 私の出会えた名優たち 演劇出版社 2007 歌舞伎の愉しみ方 岩波新書 2008 大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし 講談社 2009 文楽の男 - 初世吉田玉男の世界 淡交社 2016 文楽の女 - 吉田簔助の世界 淡交社 2016 山川静夫の文楽思い出ばなし 岩波書店 2017 私の「紅白歌合戦」物語 文春文庫 2019 山川静夫の歌舞伎思い出ばなし 岩波書店 2021 2024/06/25 11:48更新
|
yamakawa shizuo
山川静夫と同じ誕生日2月27日生まれ、同じ静岡出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
山川静夫と近い名前の人
話題のアホネイター
![山川静夫](https://if2.info/geinou/logo/山川静夫.gif)
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「山川静夫」を素材として二次利用しています。