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井上晴哉の情報 (いのうえせいや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

井上晴哉の情報(いのうえせいや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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井上 晴哉さんについて調べます

■名前・氏名
井上 晴哉
(読み:いのうえ せいや)
■職業
野球選手
■井上晴哉の誕生日・生年月日
1989年7月3日 (年齢34歳)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和64年/平成元年)1989年生まれの人の年齢早見表

井上晴哉と同じ1989年生まれの有名人・芸能人

井上晴哉と同じ7月3日生まれの有名人・芸能人

井上晴哉と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


井上晴哉と関係のある人

福田将儀: 大学の野球部には3学年先輩に井上晴哉、2学年先輩に鍵谷陽平、同期に島袋洋奨がいる。


津森宥紀: 6月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で先発の二保旭が中村奨吾への危険球により退場処分となり、無死満塁の場面でプロ初登板を迎えたが、最初の打者である井上晴哉に満塁本塁打を打たれた。


笠原大芽: イースタン・リーグ選抜の先頭打者・井上晴哉からのソロ本塁打で決勝点を奪われたが、この1失点のみで後続を断った。


山口航輝: 9月22日、対オリックス・バファローズ24回戦(京セラドーム大阪)で、本塁打3本と二塁打1本を放ち4打数4安打、球団史上2020年7月28日の井上晴哉以来2年ぶり15人目となる1試合3本塁打、1982年8月4日の落合博満以来40年ぶり6人目となる1試合8打点と、1979年8月12日のレオン・リー以来43年ぶり2人目となる1試合14塁打を記録した。


寺岡寛治: 初奪三振:同上、7回表に井上晴哉から空振り三振


茶谷健太: 25日の対オリックス・バファローズ戦で井上晴哉に代わって一塁の守備固めとして移籍後初出場を果たした。


奥浪鏡: このときに同じく優秀選手賞を埼玉西武ライオンズの山川穂高が、MVPを千葉ロッテマリーンズの井上晴哉が受賞しており、全員体重が100kgを超える体格だったことから「重量級3兄弟」などと呼ばれ注目された。


細谷圭: 10月11日、対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡PayPayドーム)9回表、一塁ランナーの井上晴哉の代走で同年初出場した。


岩瀬仁紀: 2日のロッテとのオープン戦に先発登板し、1番打者の井上晴哉から空振り三振を奪って打者1人で交代した。


小窪哲也: ロッテは同シーズン、井上晴哉のコンディション不良や鳥谷敬の不調などから代打が不足しており、監督の井口資仁は右の代打の補強として小窪を獲得したと説明している。


香月一也: 初打点:2017年4月23日、対オリックス・バファローズ5回戦(ZOZOマリンスタジアム)、7回裏に井上晴哉の代打で出場、山岡泰輔から遊撃ゴロの間に記録


吉田裕太: 27打数8安打、打率.296、補殺9、盗塁阻止率.500という成績を残し、同期入団の新人選手、石川歩、吉原正平、井上晴哉と共に開幕一軍スタートとなった。


美馬学: 1年先輩に村田和哉、2年後輩には澤村拓一、遠藤一星、3年後輩に井上晴哉がいる。


クレイグ=ブラゼル: 一塁手には井口資仁が前年同様起用され、4番指名打者にはルーキーの井上晴哉が起用されたためである。


小田裕也: 日本生命では同級生のチームメイトに小林誠司、井上晴哉、吉原正平がいた。


山川穂高: このとき、同じく優秀選手賞を受賞した奥浪鏡(オリックス)とMVPを受賞した井上晴哉(ロッテ)の3人ともが体重100kgを超える巨漢だったことが話題になった。


古川侑利: シーズン最後の一軍登板となった10月5日のロッテ戦では、9回裏二死二・三塁から井上晴哉の内野安打でサヨナラ負けを喫したものの、8回2/3を7安打4奪三振3失点という内容でプロ初完投を無四死球で記録した。


柿田裕太: またこの年のドラフト会議では、柿田を含め日本生命の選手4人(小林誠司、吉原正平、井上晴哉)がプロから指名を受け、入団している。


井口資仁: ただ、中村奨吾が「3番・二塁手」に定着しゴールデングラブ賞を獲得、井上晴哉が「4番・一塁手」に定着し24本塁打、ルーキーの藤岡裕大が遊撃手に定着し規定打席に到達。


吉川光夫: 甲子園出場経験はなく、3年生での全国高等学校野球選手権広島大会では、1学年下の野村祐輔、小林誠司らを擁して優勝候補に挙げられたが、準決勝で制球を乱し井上晴哉ら擁する崇徳高等学校に敗れた。


飯田大祐: 1学年先輩に井上晴哉、同期に鍵谷陽平、2学年後輩に島袋洋奨がいる。


津森宥紀: 初登板で対戦した第1打者に被本塁打:2020年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡PayPayドーム)、2回表に井上晴哉に中越満塁本塁打 ※史上76人目、満塁本塁打被弾は2リーグ制後初


菅野剛士: 9月8日の北海道日本ハムファイターズ戦(ZOZOマリン)では、不振の井上晴哉に代わり、春季キャンプから練習していた一塁手として、初めて先発出場した。


三木亮: 主に三塁手の安田尚憲や一塁手の井上晴哉の守備固めとして22試合に出場したが、10月6日に新型コロナウイルス感染の有無を調べるPCR検査で陽性判定を受けたことにより出場選手登録を抹消され、その後は一軍に昇格することなくレギュラーシーズンを終えた。


石川歩: 2014年、オープン戦では4試合に登板して防御率1.42と好投し、同期入団の吉田裕太・吉原正平・井上晴哉と共に開幕一軍スタートとなった。


根元俊一: 8月3日に井上晴哉の離脱に伴い再昇格し、同7日には、海外FA権を取得した。


吉原正平: この結果、同期入団の石川歩・吉田裕太・井上晴哉と共に公式戦の開幕を一軍で迎えた。


角中勝也: 4月4日の対西武戦(メットライフ)からは不振の井上晴哉に代わって4番に座り、9日のヒーローインタビューでは「本当の4番がどっか行っちゃったんで、しっかり戻ってくるまではカバーしときます」と語った。


鍵谷陽平: 大学の2学年先輩に澤村拓一、遠藤一星、1学年先輩に井上晴哉、2学年後輩に島袋洋奨がいた。


井上晴哉の情報まとめ

もしもしロボ

井上 晴哉(いのうえ せいや)さんの誕生日は1989年7月3日です。広島出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴・人物、詳細情報などについてまとめました。卒業、兄弟、結婚、ドラマに関する情報もありますね。去年の情報もありました。井上晴哉の現在の年齢は34歳のようです。

井上晴哉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

井上 晴哉(いのうえ せいや、1989年7月3日 - )は、広島県広島市東区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。

出生時の体重は、約5,200グラムとビッグサイズであった。3歳から野球を始め、小学校時は軟式野球「温品ヤングウルフクラブ」、広島市立福木中学校時には「広島スターズ」に所属。

崇徳高校では1年秋から4番を務め、第88回全国高等学校野球選手権大会の広島県予選では、準決勝で吉川光夫、野村祐輔、小林誠司らを擁する広陵高校を下すが準優勝に終わった。高校通算31本塁打も甲子園出場はなし。

中央大学に進学後、東都大学野球リーグで活躍し2年秋に打率.359で首位打者を獲得、ベストナインに選出される。3年春は最多打点(15打点)を叩きだしベストナインに選ばれた。また2年春から3年秋までは3シーズン連続で打率4割を超え、3年秋には5割を記録。この活躍により第5回世界大学野球選手権大会の代表選手に選出され、3試合に出場。東都大学野球一部リーグでの通算成績は、88試合出場で打率.285、本塁打9本。2部1季は13試合44打数13安打、本塁打3、9打点、打率.295。

中央大学卒業後は日本生命に入社、1年目は主に5番を任され第38回社会人野球日本選手権大会では打率.545と活躍し、指名打者の優秀選手にも選出された。社会人2年目には、4番を任されるようになり、都市対抗近畿予選では13打数7安打8打点で打率.538と好成績を残したが、チームは本戦1回戦の対三菱日立パワーシステムズ戦で敗退した。中国の天津で開催された2013年東アジア競技大会では日本代表に選出、打線の中軸として主に5番を任された。決勝戦の対韓国戦では3安打を打ち、全7試合に出場して打率.429を記録して日本の金メダル獲得に貢献する活躍をみせた。第39回社会人野球日本選手権大会では1回戦の対セガサミー戦で内野安打を含む4打数2安打1打点、2回戦・JFE東日本戦で右中間への本塁打や適時打を打つなどの活躍も見せたが、チームは敗戦した。「2013年度社会人野球表彰」では、一塁手部門のベストナインに選出(初受賞)、19試合出場25打点の成績で最多打点賞を受賞、「大阪府野球連盟ベストナイン」にも一塁手部門で選出された。

2013年10月24日に行われたドラフト会議では、千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、11月25日に大阪市内の日本生命にて仮契約を結び、「とにかく日本一になりたいです。そのために1年目から一軍戦力として活躍して、日本一に貢献したいです」と抱負を語った。契約金5000万円、年俸1200万円(推定)、背番号は44。

2014年、ドラフト時に公称110kgとしていた体重が、入寮時には115kgになっていた。これは1年目の元中日・中田亮二とならぶ日本人選手の最重量である。2月12日、キャンプ後初の紅白戦において、白組の4番一塁としてスタメン出場し、3打数2安打2打点のデビュー。7回に右中間へ打った打球が守備の乱れで返球が遅れ、井上いわくフェンスのある球場では人生初、同時にプロ初本塁打となるランニング本塁打を記録。オープン戦を通じて好調を維持し、15試合で46打数20安打、打率.435、2本塁打の成績を残し、ドラフト制導入後は初となる新人でのオープン戦首位打者になった。3月28日に行われた福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、球団では毎日時代の1950年、戸倉勝城以来の64年ぶりの新人による開幕四番として指名打者で先発出場。プロ初打席は、攝津正から三ゴロに終わり、この試合では無安打に終わった。4月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)の第2打席に左中間へ適時二塁打を打ち、開幕から12打席目でプロ入り初安打と初打点を記録。4月11日に、本拠地・QVCマリンフィールドの飲食店にて「井上晴哉満腹丼」が発売された。4月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(QVCマリン)の2回裏に塩見貴洋からバックスクリーン直撃のプロ入り初本塁打を記録。しかし、ここまで19試合で打率.204、1本塁打、6打点と、開幕から成績は低迷。出場機会も減少し、5月2日に二軍へ降格した。7月17日のフレッシュオールスターゲームでは20年ぶりとなる1試合2本塁打など、3安打3打点の活躍でMVPを獲得している。このときに優秀選手賞を受賞した山川穂高と奥浪鏡も井上と同じく体重100kgを超える体格だったことから「重量級3兄弟」などと呼ばれ話題となった。

2015年は、開幕前の3月4日に結婚を発表した。開幕を二軍で迎えると、シーズンを通してほとんどを二軍で過ごし、一軍では5試合の出場にとどまった。

2016年は開幕一軍入りし、3月25日に行われた北海道日本ハムファイターズとの開幕戦(QVCマリン)では「6番・一塁手」で先発出場。第1打席に大谷翔平から二塁打を打った。しかし、その後は調子を落とし、4月25日に一軍登録抹消。5月20日、イースタン・リーグの対北海道日本ハムファイターズ戦で、イースタン・リーグ史上8人目となるサイクル安打を達成。イースタン・リーグでは規定打席に45不足するも打率.342を記録、例外規定により首位打者となった。

2017年は、3月31日に行われたソフトバンクとの開幕戦(ヤフオクドーム)に「7番・一塁手」として先発出場。開幕15試合は打率.291、7打点と好調を維持したが、その後は調子を落とし、5月5日に登録抹消された。8月1日に再登録されたが、翌日の試合で左膝を痛め、同3日に再び登録抹消となった。9月27日に復帰すると、10月5日の楽天戦(ZOZOマリンスタジアム)では、9回裏二死二・三塁から髙濱卓也の代打として登場。プロ入り後初のサヨナラ打となる遊撃への内野安打を打った。契約更改では、現状維持の年俸1350万円(金額は推定)でサイン。

2018年は、3月30日に行われた楽天との開幕戦(ZOZOマリン)では、ルーキーだった2014年以来4年ぶりの「開幕4番」となる「4番・一塁手」として先発出場を果たした。同日は1安打のみで打点はなくチームは敗れたが、翌31日にはプロ入り後初となる2打席連続本塁打を打ち、2安打2打点の活躍で新監督の井口資仁に初勝利をもたらした。前年まで、春先は猛打を振るうも徐々に調子を落とし、結局シーズンの大半を二軍で過ごす年が多かったことから、この日のヒーローインタビューでは「春男、脱却します!」と宣言した。しかし、5月11日には角中勝也に4番の座を譲り、交流戦前には打率.235まで落とすなど、5月は月間打率.208と低迷。6月13日には扁桃炎で登録抹消となった。しかし、同23日に復帰し、同日の埼玉西武ライオンズ戦(ZOZOマリン)で今井達也からプロ入り後初の満塁本塁打を打つと、翌24日には二塁打を放てばサイクル安打達成という第4打席に2打席連続となる本塁打を打ち、「サイクル超え」の活躍を見せた。7月は月間打率.400、7本塁打、23打点の活躍で、自身初となる月間MVPを受賞。9月8日の西武戦(メットライフドーム)では、1か月ぶりとなる20号本塁打を打った。日本人打者の20本塁打は、球団では2013年の井口以来5年ぶりとなった。7月9日からは4番に座り続け、最終的に自己最多の133試合に出場。打率.292、24本塁打、99打点と自己最高の成績を残し、チーム内では三冠王となった。オフには、270%増となる年俸5000万円(金額は推定)で契約更改した。

2019年は、3月29日に行われた楽天との開幕戦(ZOZOマリン)に、2年連続で「4番・一塁手」として先発出場。しかし、開幕7試合で打率.043と苦しみ、4月6日に二軍降格。4月23日に一軍復帰すると、同25日の西武戦(ZOZOマリン)でシーズン初本塁打を打った。一塁のスタメンを鈴木大地に譲り、自らは指名打者としてスタメン出場することもあったが、コンスタントに本塁打を重ね、8月22日の楽天戦(東京ドーム)では、2年連続となる20号本塁打を打った。ロッテの打者が2年連続20本塁打を達成したのは、2001〜2002年のデリック・メイ以来、日本人に限れば1998年〜2000年の初芝清以来となった。最終的に129試合に出場し、本塁打は前年と同じ24本であったが、打率.252、65打点は前年の成績を下回った。契約更改では、前年から500万円増となる年俸5500万円(金額は推定)でサイン。シーズンオフにはTBSの番組ジョブチューンで、自身のニックネーム「アジャ」の由来となっているアジャコングと共演し、本塁打王になることを約束した。

2020年は、6月19日に行われたソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「7番・一塁手」で出場。5年連続の開幕スタメンとなった。6月21日の開幕カード3戦目では、新人の津森宥紀から満塁本塁打を打ち、中央大学の先輩で、この年からロッテに加入した美馬学の移籍後初勝利に貢献するなど、開幕10試合は打率.393、1本塁打、8打点、出塁率.526と好調を維持。7月28日の楽天戦(ZOZOマリン)では自身初めての1試合3本塁打を打った。1試合3本塁打は、球団では2013年4月8日のジョシュ・ホワイトセル以来7年ぶり、日本人に限ると1990年8月18日の初芝清以来30年ぶりとなった。球団の日本人がマリンスタジアムで1試合3発を打ったのは史上初。8月7日のオリックス戦(京セラドーム)では左翼席へ10号本塁打を打ち、3年連続2桁本塁打を達成。しかし、8月21日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)で12号本塁打を打って以降調子を落とし、9月は月間打率.235、0本塁打、11打点と苦しんだ。10月7日のオリックス戦(ZOZOマリン)で約1か月半ぶりの13号本塁打を打ったが、同6日から同11日の5試合では20打席で11三振を喫するなど、調子が上がらなかった。その中で迎えた同13日の楽天戦(ZOZOマリン)では自身3度目となるサヨナラ打を打ち、「期待に応えられなくて」「どうしても応えたくて」と涙を流した。このサヨナラ打で「月間サヨナラ賞」「スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞」を初受賞した。しかし、その後も調子は上がらず、10・11月は打率.176、3本塁打、8打点と苦しみながらシーズンを終えた。最終的に113試合に出場し、打率.245、15本塁打、67打点の成績を残した。一塁手としては107試合に出場し、リーグで唯一規定試合数の80試合に到達した。クライマックスシリーズ第1戦には「5番・一塁手」として出場。6回に同点に追いつかれる痛恨の失策を犯し、翌日の第2戦はスタメンから外れた。契約更改では、前年からダウンの5200万円(金額は推定)でサインした。

2021年、6月2日の中日ドラゴンズ戦での守備中にダイビングキャッチをした際に右手首を痛め、翌6月3日に登録を抹消された。以降は、一軍に再登録されることなく、10月29日に右手関節三角繊維軟骨の縫合手術を受けた。実戦復帰まで5か月程度かかると発表されている。契約更改では、前年度からダウンの年俸4200万円(金額は推定)でサインした。

2022年は、シーズン当初は昨年の怪我のリハビリに専念。6月14日のファーム公式戦で実践復帰する。7月6日に一軍昇格した後は、7月25日に新型コロナウイルス感染に伴い登録抹消(31日に再登録)を除くとシーズン終了まで一軍に帯同。山口航輝や佐藤都志也ら若手選手と併用されながら一塁手として60試合に出場し、打率.246、7本塁打、34打点の成績を残した。契約更改では、前年からの現状維持である年俸4200万円(金額は推定)でサインした。

2023年は、3月31日に行われたソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「4番・一塁手」で出場。

選手としての特徴・人物

恵まれた体格を活かしたパワフルな長打力と広角に打ち分ける技術を兼ね備えており、日本生命時代に磨きを掛けた右方向への柔らかさのある打撃は特に評価されている。バットは重さ930グラム、長さ87センチと、プロ野球界でも巨大とされるものを使用している。

中央大学時代は高橋善正監督からのアドバイスもあり三塁手にも挑戦したが、守備の負担増からの打撃不振もあって一塁手に専念。社会人時代は指名打者で出場することも多かったが、ハンドリングの良いグラブさばきと大柄な体格でもしっかりと動ける守備には定評があった。

遠投95メートル、50メートル走6秒8、ベース1周16秒、握力=右70キロ・左56キロ、背筋力=200キロ。走力が課題で2014年2月、新人合同自主トレのメニューの一つ、強化走「150メートルを30秒以内で5セット」のメニューを5セットすべてタイムオーバーとなっている。

愛称は「アジャ」(女子プロレスラーのアジャコングに似ていることから)。

2018・2019年は本塁打を打った後、ロッテのお菓子である乳酸菌ショコラを受け取るパフォーマンスを行っていたが、2020年は勝ち力士の手刀をイメージした「ごっちゃし」パフォーマンスを行ない、本塁打談話では「決まり手」を言うのがお決まりとなっている。

落合博満の打撃スタイルに憧れている。

応援歌の原曲は、ヤバイTシャツ屋さんの「ハッピーウェディング前ソング」。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
2014 ロッテ 36 104 95 9 20 4 0 2 30 7 0 0 0 1 6 0 2 23 1 .211 .269 .316 .585
2015 5 12 11 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 .182 .250 .182 .432
2016 35 107 99 7 23 5 0 2 34 16 0 0 0 0 5 0 3 19 6 .232 .290 .343 .633
2017 35 119 113 5 26 7 0 0 33 11 0 0 0 0 5 0 1 26 2 .230 .269 .292 .561
2018 133 548 476 59 139 26 2 24 241 99 1 0 0 6 63 0 3 106 7 .292 .374 .506 .880
2019 129 509 429 60 108 16 1 24 198 65 0 0 0 3 67 1 9 98 10 .252 .362 .462 .824
2020 113 447 376 44 92 11 0 15 148 67 0 0 0 4 59 2 8 93 11 .245 .356 .394 .749
2021 23 53 51 1 10 1 0 1 14 6 0 0 0 0 1 0 1 8 4 .196 .226 .275 .501
2022 60 232 199 23 49 14 0 7 84 34 0 0 0 2 29 0 2 54 2 .246 .345 .422 .767
2023 32 106 95 3 17 6 0 1 26 8 1 0 0 1 9 0 1 24 2 .179 .255 .274 .528
通算:10年 601 2237 1944 211 486 90 3 76 810 313 2 0 0 17 245 3 30 452 46 .250 .340 .417 .757

2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度 球団 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2014 ロッテ 20 126 9 2 18 .985
2015 3 28 3 0 1 1.000
2016 30 217 13 1 26 .996
2017 31 238 20 1 20 .996
2018 125 1120 84 10 83 .992
2019 70 538 35 3 42 .995
2020 107 893 69 5 70 .995
2021 19 115 5 2 9 .984
2022 54 419 47 0 27 1.000
2023 22 153 12 2 16 .988
通算 481 3847 297 26 312 .994

2023年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

表彰

月間MVP:1回(野手部門:2018年7月)

スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2020年)

月間サヨナラ賞:1回(2020年10・11月)

フレッシュオールスターゲームMVP:1回(2014年)

記録

初出場・初先発出場:2014年3月28日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、4番・指名打者で先発出場

初打席:同上、1回表に攝津正から三塁ゴロ

初安打・初打点:2014年4月4日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(QVCマリンフィールド)、4回裏に吉川光夫から左前適時二塁打

初本塁打:2014年4月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、2回裏に塩見貴洋から中越ソロ

初盗塁:2018年4月28日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(ZOZOマリンスタジアム)、1回裏に二盗(投手:有原航平、捕手:清水優心)

背番号

44(2014年 - )

登場曲

「with you」ゆず(2014年 - 2018年)

「うたエール」ゆず(2018年 - )

2024/06/16 02:45更新

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高岡 重樹(たかおか しげき)
1943年7月3日生まれの有名人 広島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 高岡 重樹(たかおか しげき、1943年7月3日- )は、広島県出身の元プロ野球選手である。ポジションは捕手。 崇徳高等学校では…

エトオ ミユキ()
7月3日生まれの有名人 広島出身

エトオ ミユキ(7月3日 - )は、日本の漫画家。女性。広島県出身。血液型はA型。旧名義は永遠 幸(えとお みゆき)。


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井上晴哉と近い名前の人

井上 麻美_(タレント)(いのうえ まみ)
1975年5月5日生まれの有名人 福岡出身

井上 麻美(いのうえ まみ、1975年5月5日 - )は、日本のアイドル、タレント。福岡県久留米市出身。堀越高等学校卒業。 身長155cm、体重40kg、バスト76cm、ウエスト56cm、ヒップ83c…

井上 貴博_(アナウンサー)(いのうえ たかひろ)
1984年8月7日生まれの有名人 東京出身

井上 貴博(いのうえ たかひろ、1984年8月7日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 東京都出身で、慶應義塾幼稚舎・慶應義塾普通部・慶應義塾高等学校・慶應義塾大学経済学部経済学科へ進学。普通…

井上 貴博_(政治家)(いのうえ たかひろ)
1962年4月2日生まれの有名人 福岡出身

井上 貴博(いのうえ たかひろ、1962年〈昭和37年〉4月2日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、自由民主党副幹事長。 福岡県議会議員(3期)、財務大臣補佐官、財務大臣政務官)、財務副大…

井上 純一_(俳優)(いのうえ じゅんいち)
1958年8月14日生まれの有名人 東京出身

井上 純一(いのうえ じゅんいち、1958年8月14日 - )は、日本の俳優、声優。また、かつてジャニーズ事務所に所属し、男性アイドルグループ・ジュニア・スペシャルの元メンバー。 東京都世田谷区代田…

井上 純一_(スピードスケート選手)(いのうえ じゅんいち)
1971年12月26日生まれの有名人 埼玉出身

井上 純一(いのうえ じゅんいち、1971年12月26日 - )は、日本のスピードスケート選手。埼玉県秩父市出身。 中学1年からスピードスケートを本格的にはじめ、県立秩父農工高校3年時にインターハイ…

井上 由美子_(脚本家)(いのうえ ゆみこ)
1961年6月24日生まれの有名人 兵庫出身

井上 由美子(いのうえ ゆみこ、1961年 - )は、日本の脚本家。兵庫県神戸市出身。 立命館大学文学部中国文学専攻卒業。卒論では阮籍を扱った。テレビ東京に入社するが、希望していたドラマ制作に携わ…

井上 由美子_(演歌歌手)(いのうえ ゆみこ)
1976年9月10日生まれの有名人 大阪出身

井上 由美子(いのうえ ゆみこ、本名:井上 由美、1976年9月10日 - )は、日本の女性演歌歌手。大阪府藤井寺市出身。身長146cm、血液型A型。所属レコード会社はキングレコード。所属事務所はアル…

井上 昌己_(歌手)(いのうえ しょうこ)
1969年7月21日生まれの有名人 愛媛出身

井上 昌己(いのうえ しょうこ、1969年7月21日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティー。本名同じ。愛媛県八幡浜市出身。愛媛県立八幡浜高等学校、日本大学文理学部卒…

井上 昌己_(競輪選手)(いのうえ まさき)
1979年7月25日生まれの有名人 長崎出身

井上 昌己(いのうえ まさき 1979年7月25日 - )は、日本の競輪選手、自転車競技選手。長崎県長崎市出身。日本競輪選手会長崎支部所属、ホームバンクは佐世保競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学…

井上 登_(野球)(いのうえ のぼる)
1934年5月26日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 井上 登(いのうえ のぼる、1934年5月26日 - 2012年5月5日)は、愛知県宝飯郡三谷町(現・蒲郡市)出身のプロ野球選手(内…

井上 登_(裁判官)(いのうえ のぼる)
1885年4月10日生まれの有名人 千葉出身

井上 登(いのうえ のぼり、1885年〈明治18年〉4月10日 - 1971年〈昭和46年〉7月26日)は、日本の最高裁判所判事。千葉県出身。 井上義行の息子として生まれる。1913年(大正2年)…

井上 和雄_(経済学者)(いのうえ かずお)
1939年4月28日生まれの有名人 北海道出身

井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は、日本の経済学者、音楽評論家,神戸商船大学名誉教授。 北海道生まれ。神戸大学大学院経済研究科博士課程中退。大阪府立大学教養部助手、同経済学…

井上 和雄_(政治家)(いのうえ かずお)
1952年4月24日生まれの有名人 東京出身

井上 和雄(いのうえ かずお、1952年4月24日 - )は、日本の政治家、国際開発コンサルタント。地域政党「自由を守る会」特別顧問。元衆議院議員(2期)。 東京都文京区生まれ。1965年に東京教…

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