もしもし情報局 > 1956年 > 6月20日 > 囲碁

趙治勲の情報 (ちょうちくん)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

趙治勲の情報(ちょうちくん) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

趙 治勲さんについて調べます

■名前・氏名
趙 治勲
(読み:ちょう ちくん)
■職業
囲碁棋士
■趙治勲の誕生日・生年月日
1956年6月20日 (年齢68歳)
申年(さる年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和31年)1956年生まれの人の年齢早見表

趙治勲と同じ1956年生まれの有名人・芸能人

趙治勲と同じ6月20日生まれの有名人・芸能人

趙治勲と同じ出身地の人


趙治勲と関係のある人

林海峰: 通算成績は2010年に趙治勲に破られるまで通算最多勝記録保持者だった。


小林覚: 覚が内弟子になった1967年頃、内弟子にはすでに成人した石田芳夫(現・二十四世本因坊)や加藤正夫(現・名誉王座)、入段したばかりの小林光一(現・名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖)、趙治勲(現・名誉名人)らがいた。


苑田勇一: 1986年、88年にも天元戦で挑戦者となるが、小林光一に1-3、趙治勲に2-3で敗退。


苑田勇一: 第14期天元戦挑戦手合五番勝負第1局 趙治勲天元 - 苑田勇一九段(先番) 1988年11月17日


彦坂直人: 1980年の名人戦の、大竹英雄名人と趙治勲八段の挑戦手合第4局で無勝負となった際の記録係を務めていた。


結城聡: NHK杯 準優勝 2007年(決勝で趙治勲に敗れる)


石田芳夫: 1976年以降の七大タイトル獲得数は2期に留まっており、大竹英雄、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲といった世代が近い同門のトップ棋士と比べると実績は大きく見劣りしている。


井山裕太: その勢いに乗るかのように本因坊戦でも一転して快勝と言える内容で三連勝、4-3フルセットでの逆転防衛に成功し、趙治勲に並ぶ七大タイトル史上最多タイの10連覇を達成した。


石田芳夫: NECカップ囲碁トーナメント戦 1988年(対趙治勲


坂田栄男: 総タイトル数64個(2002年趙治勲に破られるまで歴代最多)


淡路修三: 世界囲碁選手権富士通杯 4位 1993年(○張文東、○馬暁春、○趙治勲、×劉昌赫、×加藤正夫)


片岡聡: 本因坊戦 挑戦者 1994年(趙治勲に3-4で敗れる)


井山裕太: 七大タイトル獲得の最年少記録を更新した(これまでの記録は名人戦では林海峰の23歳4か月、7大タイトル戦では趙治勲が王座を獲得した20歳5か月)。


片岡聡: 1994年に本因坊戦で趙治勲に挑戦。


羽根直樹: 七番勝負での3連敗4連勝は史上6例目、林海峰・趙治勲に次ぎ3人目。


中野孝次: 囲碁を趣味として、趙治勲との対談本を刊行、『日本の芽衣随筆 別科 囲碁』の編纂を行った。


小林光一: 小林は近所の子が紛れ込んだと思っていたが、これが当時8歳でのちにタイトル戦でライバルとなる趙治勲(後の二十五世本因坊治勲)だった。さらに定先くらいの手合で1、2歳年上の小林より8歳の趙治勲のほうが強いことに小林はショックをうけた。道場では趙治勲と同じ部屋に住んだ。


高川格: タイトル戦9連覇の記録は、その後趙治勲の本因坊10連覇まで永く破られることがなく、「不滅の金字塔」と呼ばれた。


片岡聡: 東洋証券杯世界選手権戦 ベスト8 1991年(○R.ファンザイスト、○金煕中、×趙治勲)、1996年(○梁宰豪、○劉昌赫、×曺薫鉉)


加藤正夫: しかしその後も1993年に藤沢秀行から王座を奪取、1995年に趙治勲本因坊に挑戦、1997年に依田紀基から十段位を奪取し趙治勲本因坊にも挑戦するなど活躍を続けた。


桐山靖雄: 続けて、趙治勲本因坊とテレビ対局、122手、三目で勝つ。


矢代久美子: 1989年、中学1年で日本棋院院生になり、翌年幕張の研修センターに入寮し、趙治勲や藤沢秀行らの指導を受けた。


井山裕太: 16歳4か月での優勝は日本囲碁史上最年少(従来の最年少優勝は、1973年に新鋭トーナメント戦で優勝した趙治勲の17歳0か月、また全棋士出場の棋戦では1975年にプロ十傑戦で趙治勲の記録した18歳10か月)。張栩、王立誠、趙治勲、小林覚という超一流棋士を連破しての優勝であった。


山城宏: 1993年に本因坊戦3度目の挑戦者になるが、趙治勲に1-4で敗れる。


河野臨: 2016年 第23期阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦で二十五世本因坊趙治勲に220手白番半目勝ち。


藤沢里菜: これまでの最年少入段記録の趙治勲の11歳9か月・女流では謝依旻の14歳4か月を更新し、当時の日本棋院所属棋士のプロ入り最年少記録を樹立。


小松英樹: 1994年にはNECカップ囲碁トーナメント戦決勝で趙治勲を破り、一般棋戦初優勝。


依田紀基: 2002年、第27期名人戦で趙治勲と対戦し4勝2敗で勝利、名人位三連覇。


林海峰: 1962年に木谷一門百段突破記念大会で趙治勲(当時6歳、のちに最多タイトルを獲得し、林の最多勝利を更新することとなる)に五子のハンデを与え敗れる。


小林覚: 1984年に「囲碁クラブ」誌主催で、棋聖・名人であった趙治勲と山城、王、覚の3人による「新撰組」による「必殺打込み勝負」を1年間行い、一時は二子に打ち込まれるが、最後は互先に戻した。


趙治勲の情報まとめ

もしもしロボ

趙 治勲(ちょう ちくん)さんの誕生日は1956年6月20日です。

もしもしロボ

略歴、主な記録などについてまとめました。兄弟、卒業、結婚、事故に関する情報もありますね。去年の情報もありました。趙治勲の現在の年齢は68歳のようです。

趙治勲のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

趙 治勲(ちょう・ちくん、チョ・チフン、1956年6月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。名誉名人・二十五世本因坊。韓国釜山広域市出身。血液型はB型。木谷實九段門下。号は本因坊治勲(ほんいんぼう ちくん)。

タイトル獲得数歴代1位。史上初の大三冠、グランドスラム、名人5連覇、本因坊10連覇、通算1500勝など数々の記録を樹立。大一番での勝負強さから「七番勝負の鬼」の異名も取った。

棋道賞最優秀棋士賞9回、秀哉賞9回。6年連続賞金ランキング1位。

叔父に囲碁棋士の趙南哲、兄も囲碁棋士の趙祥衍。本貫は豊壌趙氏。

1956年6月、大韓民国釜山広域市に生まれる。父方の祖父は地方銀行の支店長でかなりの資産家であり、母方の祖父は地方財閥で役人が出入りする家だった。しかし朝鮮戦争後は、治勲の父母は無一文になっていた。兄弟は兄が3人、姉が3人おり、治勲は7人兄弟の末っ子だった。

出生したときの名前は「豊衍(ほうえん、韓国語読みはプンヨン)」だったが、まだ1歳か2歳の頃に家の外でお坊さんが通りかかり「名前を変えれば、この子は将来かならず大成する」と言われたことで、治勲と改名した。

碁は4歳頃から打ち始めた。父も打てたがかなり弱かった。父は鉄道会社にわずかに務めたことがあるものの無職だったので暇を持て余し治勲を碁会所に連れて行った。碁を覚えて1年くらいでアマ五段になった。

先に長兄の趙祥衍が訪日して木谷道場に入門していた。韓国では叔父・趙南哲に次ぐ打ち手だった祥衍だが、当時囲碁の世界最強国だった日本ではレベルが違いすぎた。そこで祥衍は家に手紙を出して「ぼくはもう遅かった。いまからでも間に合う。治勲を日本で鍛えてもらったほうがいい」と両親や親戚の説得を始めた。父は猛反対したものの祥衍の説得に負けてしぶしぶ承知した。この6歳までの記憶は治勲には無いという。

来日した日から木谷の内弟子として四谷道場に住み込み始めた。その頃道場には10人くらいの内弟子と同数くらいの通い弟子がいた。門下になった翌日に木谷一門百段突破祝賀会が開かれ、そのアトラクションの一つとして当時六段だった林海峰(現・名誉天元)に5子置きで打つことになった。118手で中押し勝ちした。

父は日本語が達者で会話も読み書きもできたが治勲は日本に来るまで日本語を知らなかった。しかし来日後すぐに覚えベラベラと喋れるようになり、口の減らない子どもとなっていた。また様々なイタズラをした。

7歳で日本棋院の院生となった。それまでの入段最年少記録は林海峰の13歳だったが、治勲は来日前後から10歳までに入段して新記録をつくるだろうと予想されるなど大きな期待を寄せられていた。しかし10歳までの治勲は怠け者であり修行に身が入らなかった。木谷道場の方針も強制的には勉強させないというものだったためより不勉強になってしまった。そのため毎回入段手合の準予選の段階で落ちていた。周囲の落胆は大きく治勲は早くもタダの人かといった批判が広まった。

学校は東京韓国学院という在日韓国人の子弟のための教育施設に通った。入学した途端、典型的な落ちこぼれになり小学1年から登校拒否になった。道場から出ると兄の祥衍の住むアパートで暇を潰していた。土曜日だけは授業が半日だったのでずっと無遅刻・無欠席を通した。しかし学校の教師からも見放されており、運動会にも遠足にも1回も参加しなかった。中学を卒業した後、高校にも1,2か月在学したが退学した。

入段に失敗し続けてたある日、2番目の姉から呼び出され「治勲ちゃん、どうする?いくらやっても毎年入段がダメなら、それはそれでしかたがないから、姉さんといっしょに韓国に帰りましょう。いつまで日本にいても、しょうがないものね」と言い涙した。それを見た治勲は無性に悲しくなりまた姉を悲しませた自分が無性に腹立たしくなってきた。そしてしっかり勉強して来年入段できなかったら韓国に帰ると約束した。この時もし韓国に帰ることとなったらみっともなさのあまり死を覚悟したという。それからはよく勉強した。

1968年に11歳9か月で入段手合の準予選に上がり予選を勝ち、そのまま本戦も通過して入段した (当時の入段最年少記録)。入段してからは碁を打つことが生きがいとなった。同年二段に昇段。1969年 三段に昇段。1970年 四段に昇段。

治勲が13歳の時、兄弟子の石田芳夫(現・二十四世本因坊秀芳)が22歳の史上最年少で本因坊位を獲得する。この頃石田に続けて何局か先で打ってもらい、その時の後の印象が今でも鮮明に記憶に焼き付いている。

1971年、15歳で五段に昇段。

1973年、新鋭トーナメント戦に優勝し、初タイトル。大手合33連勝を記録。六段に昇段。

1974年に木谷道場が四谷から神奈川の平塚に移った。その際、年長の弟子はみな独立したため治勲が一番の兄弟子となった。この時一緒に移ったのは信田成仁(現六段)と園田泰隆(現九段)の2人。

1975年、12年間の内弟子生活から独立。この年、日本棋院選手権(天元戦の前身)の挑戦者となった。相手は坂田栄男九段(現・二十三世本因坊栄寿)5番勝負で第1局・第2局を勝ちきりあと1番勝てば優勝というところで韓国からも新聞社の取材班がドッと押し寄せた。あと1勝というところでそれまで張り詰めていた気持ちがわずかにゆるみ2連敗。最終局でもう負けようのない形勢になるも最後のヨセでポカをし逆転負けを喰らった。この敗戦でいままで自分の強さだけしか見えなかったものが、急に相手の強さと自分の弱さが見えるようになった。

プロ十傑戦に優勝し、初の公式タイトル獲得とともに、タイトル獲得の当時最年少記録となる。七段に昇段。

1976年に 第24期王座戦で兄弟子・大竹英雄と対局。2-1で破り20歳5か月で王座獲得 (当時の七大タイトル獲得最年少記録)。名人リーグ入り。1977年 結婚、のちに一男一女をもうける。1978年 八段に昇段。1979年 本因坊リーグ入り。第4期碁聖戦で大竹英雄九段を3-0で破り碁聖位を奪取。

1980年、第5期名人戦で大竹英雄名人を4-1(1無勝負)で破り名人位を奪取。韓国に帰国し銀冠文化勲章を受章。

1981年に4月九段に昇段。第36期本因坊戦で兄弟子の武宮正樹本因坊を4-2で破り本因坊位を奪取。史上4人目の名人本因坊となる。第6期名人戦で兄弟子の加藤正夫九段を4-0で破り名人位防衛。

1982年、第7期名人戦で大竹英雄九段を4-1で破り防衛。第37期本因坊戦で弟弟子のライバル・小林光一九段を4-2で破り防衛。第20期十段戦で大竹英雄九段を3-1で破り十段位を奪取。鶴聖、十段、本因坊、名人の四冠を制す。

1983年は第7期棋聖戦で藤沢秀行に挑戦し、3連敗後の4連勝で棋聖位を獲得。大三冠を達成し、棋聖位はその後3連覇。第8期名人戦で大竹英雄九段を4-1で破り防衛。千葉市に移住。第30回NHK杯優勝。

1984年、第9期名人戦で大竹英雄挑戦者を3連敗後4連勝で破り防衛。名人位5連覇、名人戦史上初の名誉名人の資格を得る。賞金ランキング1位。第3期NECカップ優勝。第8期棋聖戦で林海峯九段を4-2で破り防衛。

1985年は第9期棋聖戦で武宮正樹九段を4-3で破り防衛。第4期NECカップ優勝。

1986年1月6日、交通事故で全治3か月の重傷を負う。車椅子での対局となった棋聖戦で小林光一に棋聖位を奪われ無冠になるが、8月の第11期碁聖戦で大竹英雄九段を3-0で破り碁聖位を奪取。

1987年、第13期天元戦で小林光一天元を3-2で破り天元位を獲得し、史上初のグランドスラム(生涯七大タイトル制覇)を達成。1988年 第14期天元戦で苑田勇一九段を3-2で破り防衛。第26期十段戦で加藤正夫九段を3-2で破り十段位を奪取。

1989年、第44期本因坊戦で武宮正樹本因坊を4-0で破り本因坊位を奪取。第27期十段戦で林海峯九段を3-0で破り十段位を防衛。1990年第45期本因坊戦で小林光一九段を4-3で破り防衛。1991年 第46期本因坊戦で小林光一九段を4-2で破り防衛。第1回竜星戦優勝。世界囲碁選手権富士通杯で、決勝で中国の銭宇平九段に不戦勝し優勝。この頃より内弟子をとりはじめる。

1992年に第47期本因坊戦で小林光一九段を4-3で破り防衛。第39回NHK杯優勝。1993年は第48期本因坊戦で山城宏九段を4-1で破り防衛。本因坊位5連覇、25世本因坊の資格を得る。第3回竜星戦優勝。

1994年、第18期棋聖戦で小林光一から棋聖位を奪還。翌1995年に弟弟子の小林覚に棋聖位を奪われるも、翌々年の1996年に再び奪還 (以後4連覇)。第49期本因坊戦で片岡聡九段を4-3で破り防衛。第42期王座戦で加藤正夫九段を3-2で破り王座位を奪取。賞金ランキングで10年ぶりに1位輝く。

1995年は第50期本因坊戦で加藤正夫九段を4-1で破り防衛。賞金ランキング1位。

1996年は第20期棋聖戦で小林覚棋聖を4-3で破り棋聖位を奪取。第21期名人戦で武宮正樹名人を4-1で破り名人位を奪取。賞金ランキング1位。 11年ぶりに名人奪取 (以後4連覇)。二度目の大三冠を達成し、翌年も保持。第51期本因坊戦で柳時熏七段を4-2で破り防衛。第43回NHK杯優勝。賞金ランキング1位。

1997年、第21期棋聖戦で武宮正樹九段を4-3で破り防衛。第22期名人戦で小林光一九段を4-2で破り防衛。第52期本因坊戦で加藤正夫九段を4-0で破り防衛。

1998年の第53期本因坊戦で王立誠九段を4-2で破り防衛。本因坊位10連覇。第22期棋聖戦で依田紀基九段を4-2で破り防衛。第23期名人戦で王立誠九段を4-2、1無勝負で破り防衛。賞金ランキング1位。

1999年の第24期名人戦で依田紀基九段を4-1で破り防衛。名人位四連覇。第23期棋聖戦で小林光一九段を4-2で破り防衛。賞金ランキング6年連続1位。2000年 第19期NEC杯優勝。

2001年の第49期王座戦で王立誠九段を3-0で破り王座位を奪取。第20期NEC杯、早碁選手権戦優勝。

2002年に名人戦挑戦。第35回早碁選手権戦、第9期阿含・桐山杯優勝。タイトル獲得65となり二十三世本因坊栄寿を抜きタイトル獲得数史上1位。

2003年、韓国の朴永訓九段に2-1で勝利し第8回三星火災杯世界オープン戦優勝。国際棋戦で12年ぶりの優勝。

2004年の第2回JALスーパー早碁優勝。

2005年には48歳7か月 (史上最年少)、入段から36年9か月 (史上最速)で史上3人目の通算1200勝を達成。同年、第43期十段戦で四連覇中の王立誠から十段位を奪還。

2006年の第44期十段戦で山下敬吾棋聖を相手に十段位を防衛。2007年 NHK杯囲碁トーナメントで11年ぶりに優勝、通算70個目のタイトル獲得。さらに同年4月第45期十段戦で山下敬吾棋聖王座を3-2で破り防衛。3連覇し、タイトル獲得数を71へ更新。阿含・桐山杯準優勝。

2008年に51歳11か月 (史上最年少)、入段から40年2か月 (史上最速)で史上2人目の通算1300勝達成。第32期棋聖戦挑戦者。NHK杯準優勝。

2010年の王座戦予選Aで林漢傑に勝利し、入段から公式戦通算1364勝 (729敗3ジゴ4無勝負)を挙げ、林海峰を抜いて勝数史上1位となる。阿含・桐山杯準優勝。

2011年、第1回囲碁マスターズカップ決勝でライバル小林光一九段に勝利し優勝。タイトル獲得数72となる。

2012年のNEC杯準優勝。囲碁マスターズカップ準優勝。9月27日、史上初めての公式戦通算1400勝を達成。

2014年の第4回囲碁マスターズカップ決勝で小林覚九段に勝利し優勝。タイトル獲得数73となり、2015年の第5回囲碁マスターズカップ決勝で武宮正樹九段に勝利し優勝。タイトル獲得数74となる。

2016年 6月20日に満60歳の誕生日を迎え、名誉名人を名乗ることになる。11月 人工知能の「DeepZenGo」と対決。第2局は負けたものの、第1局・第3局で勝ち越した。5年ぶりに賞金ランクで10位以内に入る(8位)。

2017年4月27日に史上初の公式戦通算1500勝を達成。11月20日、韓国棋院総裁杯シニア囲碁リーグでMVPを獲得。

2018年、第5期大舟杯シニア最強者戦優勝。一方、この年の公式戦成績は14勝16敗に終わり、入段51年目で初の負け越しとなった。

2019年5月20日、紫綬褒章を受章。

2023年、第2回テイケイ杯レジェンド戦で優勝。タイトル獲得数76となる。

略歴

1962年 (06歳) 来日。木谷實に入門。

1968年 (12歳) プロ試験合格。入段 (当時の入段最年少記録)。二段。

1969年 (13歳) 三段。

1970年 (14歳) 四段。

1971年 (15歳) 五段。

1973年 (17歳) 新鋭トーナメント戦に優勝、初タイトル。六段。

1974年 (18歳) 木谷道場から独立。

1975年 (19歳) プロ十傑戦に優勝。初の公式タイトル獲得(当時の最年少記録)。

1976年 (20歳) 王座獲得 (当時の七大タイトル獲得最年少記録)。名人リーグ入り。

1977年 (21歳) 結婚

1978年 (22歳) 八段。

1979年 (23歳) 本因坊リーグ入り。

1980年 (24歳) 名人位を獲得。韓国で銀冠文化勲章を受章。

1981年 (25歳) 九段。史上4人目の名人本因坊。

1982年 (26歳) 鶴聖、十段、本因坊、名人の四冠。

1983年 (27歳) 棋聖位獲得。大三冠。千葉市に移住。

1984年 (28歳) 名人位5連覇。史上初の名誉名人。賞金ランキング1位。

1986年 (30歳) 交通事故で全治3か月。碁聖位。

1987年 (31歳) 天元位を獲得し史上初のグランドスラムを達成。

1988年 (32歳) 十段奪取、天元防衛。

1989年 (33歳) 本因坊位を奪還。十段防衛。

1991年 (35歳) 世界囲碁選手権富士通杯優勝。

1993年 (37歳) 本因坊位5連覇、25世本因坊。

1994年 (38歳) 棋聖位を奪還。賞金ランキングで10年ぶりに1位輝く。

1995年 (39歳) 賞金ランキング1位

1996年 (40歳) 賞金ランキング1位。

1997年 (41歳) 11年ぶりに名人奪取 (以後4連覇)、二度目の大三冠達成。賞金ランキング1位。

1998年 (42歳) 本因坊位10連覇。賞金ランキング1位。

1999年 (43歳) 賞金ランキング6年連続1位。

2000年 (44歳) NEC杯優勝。

2001年 (45歳) 王座位獲得。NEC杯、早碁選手権戦優勝。

2002年 (46歳) 名人戦挑戦。早碁選手権戦、阿含・桐山杯優勝。タイトル獲得65となりタイトル獲得数史上1位。

2003年 (47歳) 三星火災杯世界オープン戦優勝。

2005年 (49歳) 48歳7か月 (史上最年少)、入段から36年9か月 (史上最速)で史上3人目の通算1200勝を達成。十段位。

2006年 (50歳) 十段位防衛。2007年 NHK杯囲碁トーナメントで11年ぶりに優勝。十段位を防衛。阿含・桐山杯準優勝。

2008年 (52歳) 51歳11か月 (史上最年少)、入段から40年2か月 (史上最速)で史上2人目の通算1300勝達成。棋聖戦挑戦。NHK杯準優勝。

2010年 (54歳) 入段から公式戦通算1364勝 (729敗3持碁4無勝負)を挙げ、林海峰を抜いて勝数史上1位となる。阿含・桐山杯準優勝。

2011年 (55歳) 囲碁マスターズカップ優勝。タイトル獲得数72。

2012年 (56歳) NEC杯準優勝。囲碁マスターズカップ準優勝。史上初の公式戦通算1400勝を達成。

2014年 (58歳) 囲碁マスターズカップ優勝。タイトル獲得数73。

2015年 (59歳) 囲碁マスターズカップ優勝。タイトル獲得数74。

2016年 (60歳) 満60歳で名誉名人を名乗る。11月、人工知能の「DeepZenGo」と対決。第1局・第3局で勝ち越した。5年ぶりに賞金ランクで10位以内に入る(8位)。

2017年 (61歳) 史上初の公式戦通算1500勝を達成。韓国棋院総裁杯シニア囲碁リーグでMVP。

2019年 (63歳) 紫綬褒章を受章。囲碁マスターズカップ優勝。タイトル獲得数75。

2023年 (66歳) 史上初の公式戦通算1600勝を達成。第2回テイケイ杯レジェンド戦優勝。タイトル獲得数76。

主な記録

正棋士採用試験での史上最年少入段 11歳9か月

史上最多の通算タイトル獲得 76回

史上最多の単一の七大タイトル在位12期(本因坊戦)

天元戦36期連続本戦出場 (第36期まで)

史上初のグランドスラム

史上初の大三冠

史上初の七大タイトル10連覇(本因坊戦)

史上初の七大タイトル全て2期以上獲得

史上初の名誉名人位獲得

史上初の通算1500勝 (2017年4月27日、1500勝821敗3持碁4無勝負)

史上初の通算1600勝 (2023年12月25日、1600勝899敗3持碁4無勝負)

    100勝単位の節目の達成は全て当時の最年少記録

    史上最年少棋戦優勝

    史上最年少七大タイトル挑戦

    史上最年少七大タイトル獲得

2024/06/25 12:04更新

chou chikun


趙治勲と同じ誕生日6月20日生まれの人

平野 謙_(野球)(ひらの けん)
1955年6月20日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 平野謙の野球道 平野 謙(ひらの けん、1955年6月20日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者、野…

小林 泉美_(棋士)(こばやし いずみ)
1977年6月20日生まれの有名人 東京出身

小林 泉美(こばやし いづみ、1977年(昭和52年)6月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。小林光一名誉三冠門下。東京都出身。タイトル10期。 女流棋士初の女流タイトルグランドスラム達…

小林 弘明_(アナウンサー)(こばやし ひろあき)
1933年6月20日生まれの有名人 東京出身

6月20日生まれwiki情報なし(2024/06/20 07:26時点)

ジョン=テイラー_(ベーシスト)(Nigel John Taylor)
1960年6月20日生まれの有名人 出身

音楽: 1978年 - ナイジェル・ジョン・テイラー(英語: Nigel John Taylor、1960年6月20日 - )は、ベーシスト、またニュー・ウェイヴ・バンドであるデュラン・デ…

中村 誠_(空手家)(なかむら まこと)
1952年6月20日生まれの有名人 宮崎出身

中村 誠(なかむら まこと、男性、1952年〈昭和27年〉6月20日 - )は、日本の武道家であり、空手指導者。宮崎県出身。国際空手道連盟 極真会館中村道場の総帥。段位は十一段。 身長183cm、体…

酒井 一圭(さかい かずよし)
【純烈】
1975年6月20日生まれの有名人 大阪出身

酒井 一圭(さかい かずよし、1975年6月20日 - )は、日本の俳優、元子役、元プロレスラー、歌手、プロデューサー、作詞家。 歌謡グループ「純烈」のプロデューサー、リーダー。G-STAR.PRO…

本山 雅志(もとやま まさし)
1979年6月20日生まれの有名人 福岡出身

本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手。 現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。 1979年6月20…

山形 純菜(やまがた じゅんな)
1994年6月20日生まれの有名人 岩手出身

山形 純菜(やまがた じゅんな、1994年6月20日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第三高等学校、実践女子大学生活科学部卒業。 姉には常に憧れと対抗心を持…

山下 耀子(やました ようこ)
1995年6月20日生まれの有名人 香川出身

山下 耀子(やました ようこ、1995年6月20日 - )は、日本のタレント。香川県出身。愛称は「ごきげんよーこ」。趣味はユーチューブで動物の動画をみること。 高松第一高等学校卒業後、高知大学教育…

水野 由結(みずの ゆい)
【BABYMETAL】
1999年6月20日生まれの有名人 神奈川出身

水野 由結(みずの ゆい、Yui Mizuno、1999年6月20日 - )は、日本の女性シンガー、ダンサー、アイドル。神奈川県出身。所属事務所はアミューズ。2010年から2015年まで女性アイドルグ…

ぶらっくすわん(ぶらっくすわん)
1996年6月20日生まれの有名人 富山出身

ぶらっくすわん(1996年6月20日 - )は、富山県のローカルタレント。本名:宮島愛夏(みやじま あいか)。元太田プロダクション所属。ボーカロイドと言われる音声合成技術を使った人気楽曲にあわせ、自分…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


趙治勲と近い名前の人

ミヤコ 蝶々(みやこ ちょうちょう)
1920年7月6日生まれの有名人 東京出身

ミヤコ 蝶々(ミヤコ ちょうちょう、女性、1920年〈大正9年〉7月6日 - 2000年〈平成12年〉10月12日)は、日本の女優、漫才師、コメディエンヌ。本名は日向 鈴子(ひゅうが すずこ)。 東…

ChouCho(ちょうちょ)
6月21日生まれの有名人 大阪出身

ChouCho(ちょうちょ、6月21日 - )は、日本の女性歌手。大阪府吹田市出身。所属レーベルはLantis、所属事務所はHIGHWAY STAR。血液型はA型。 2007年、アニソンバンド「ロ…

桐谷 蝶々(きりたに ちょうちょ)
1月15日生まれの有名人 東京出身

桐谷 蝶々(きりたに ちょうちょ、1月15日 - )は、日本の女性声優、ナレーター。東京都出身。フリー。 2013年3月までラムズに準所属していたが現在はフリー。 現在はゲームのキャラクターボイ…

ヴィッキー=チャオ 〈趙 薇〉(Vicki Zhao)
1976年3月12日生まれの有名人 出身

3月12日生まれwiki情報なし(2024/06/22 08:01時点)

趙 善津 〈チョウ=ソンジン〉(Cho Sun-Jin)
1970年4月18日生まれの有名人 出身

4月18日生まれwiki情報なし(2024/06/26 18:25時点)

趙 宏博 〈ツァオ=ホンボー〉(Zhao Hongbo)
1973年9月22日生まれの有名人 出身

9月22日生まれwiki情報なし(2024/06/06 22:12時点)

伊調 千春(いちょう ちはる)
1981年10月6日生まれの有名人 青森出身

伊調 千春(いちょう ちはる、1981年10月6日 - )は、日本の元女子レスリング選手。青森県八戸市出身。アテネオリンピック、および北京オリンピック女子48kg級銀メダリスト。身長157cm。 妹…

趙 紫陽(Zhao Ziyang)
1919年10月17日生まれの有名人 出身

趙 紫陽(ちょう しよう、チャオ・ズーヤン、簡体字: 赵 紫阳、繁体字: 趙 紫陽、1919年〈民国8年〉10月17日 - 2005年1月17日)は、中華人民共和国の政治家。「第2世代…

趙 方豪(ちょう ばんほう)
1956年11月19日生まれの有名人 大阪出身

趙 方豪(ちょう ばんほう、朝: 조방호, 1956年〈昭和31年〉11月19日 - 1997年〈平成9年〉12月9日)は、韓國の俳優。別名:豪田 遊(ごうだ ゆう)。大阪府出身の在日韓国人。…

趙 菁(Zhao Jing)
1990年12月31日生まれの有名人 出身

12月31日生まれwiki情報なし(2024/06/13 23:47時点)

趙 博(チョウ バク)
生まれの有名人 大阪出身

趙 博(チョウ バク、Cho Bak、ハングル表記:조 박。1956年 - )は、大阪府大阪市西成区出身の在日韓国人ミュージシャン。芸能活動では「ちょう・ぱぎ」「浪花の唄う巨人・パギやん」など称する。…

蝶々P(ちょうちょうピー)
生まれの有名人 長野出身

蝶々P(ちょうちょうピー)は、日本の音楽家。 VOCALOIDを使用しない場合はpapiyon(パピヨン)名義、シンガーソングライターとしては一之瀬 ユウ(いちのせ ユウ)という名義を使用する。長野…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
趙治勲
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

Chelip OCTPATH キャンディzoo なにわ男子 SUPER★DRAGON amorecarina DISH// XOX MAGiC BOYZ Splash! 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「趙治勲」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました