加藤正夫の情報(かとうまさお) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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小林覚: 1995年最高棋士決定戦で森田道博七段・工藤紀夫九段・兄弟子の加藤正夫王座、決勝3番勝負で同じく兄弟子である小林光一名人に半目負けの後2連勝して優勝。 淡路修三: 世界囲碁選手権富士通杯 4位 1993年(○張文東、○馬暁春、○趙治勲、×劉昌赫、×加藤正夫) 井山裕太: また、七大タイトル通算獲得数は32となり加藤正夫名誉王座を抜いて単独3位となった。 羽根泰正: 前年に続いて加藤正夫王座への2年連続挑戦となった。 藤沢秀行: 続いて1969年、不動産業のために代々木に事務所を開いたが、ここでも若手棋士が集まっての研究会が行われ、林海峰、曺薫鉉、四谷にあった木谷道場の石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲らが集まり、事務所を閉じる1978年まで続いた。 剱木亨弘: 無類の囲碁好きとして知られ、同郷のプロ棋士加藤正夫の媒酌人を務めるなど熱心に後援した。 趙治勲: 1995年は第50期本因坊戦で加藤正夫九段を4-1で破り防衛。 村上文祥: 1970年(先3目コミもらい)×加藤正夫 青木喜久代: 1999年には本因坊戦で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、加藤正夫に敗れる。 依田紀基: 最初に依田の捨て石の技術を高く評価したのは加藤正夫である。 小林光一: 1991年 第15期棋聖戦で加藤正夫王座を4-3で破り防衛。 村上文祥: 1978年(先4目半コミもらい)×加藤正夫 坂井秀至: 大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトルの獲得者となった(大学卒業者であれば、プロ入り後に大学を卒業した淡路修三がタイトル挑戦者となっている)また、このタイトル獲得は関西棋院にとって、1981年に橋本昌二が加藤正夫を下しこれを得、翌年加藤に敗れ失冠以来29年ぶりの七大タイトル奪取となる。 羽根泰正: 1990年王座戦挑戦者となり、加藤正夫を3-2で降し初タイトル。 吉原由香里: 1987年 加藤正夫九段に入門、2月に日本棋院の院生となる。 井山裕太: しかし、同時並行で進んでいた第48期碁聖戦五番勝負では、同じく一力棋聖相手に無敗の3連勝で防衛し、加藤正夫が持つ七大タイトル連続在位期間の記録更新を確実とする。 結城聡: 1993年に本因坊戦リーグ入り、翌年のリーグ戦では5勝2敗の同率プレーオフで加藤正夫に敗れる。 趙治勲: 第52期本因坊戦で加藤正夫九段を4-0で破り防衛。 小林光一: 内弟子時代には加藤正夫(現名誉王座)によく打ってもらった。 片岡聡: 1979年には五段で天元戦で決勝に進出し、加藤正夫九段に0-3で敗れて準優勝。 羽根泰正: また加藤正夫は王座戦連覇記録が8で止まり、1976年以来のタイトル連続保持記録も途絶えることとなった。 小林光一: 1988年 第12期棋聖戦で加藤正夫名人を4-1で破り防衛。第13期碁聖戦で加藤正夫九段を3-0で破りタイトル奪取。第13期名人戦で加藤正夫名人を4-1で破りタイトル奪取。 吉原由香里: 加藤正夫名誉王座門下であり、手厚い棋風で知られる。 宮沢吾朗: この頃の木谷道場は弟子の数が最も多く一番活気があり、石田芳夫(現二十四世本因坊)加藤正夫(現名誉王座)や趙治勲(現名誉名人)らがいた。 小林光一: 1993年 第17期棋聖戦で加藤正夫九段を4-3で破り防衛。 木谷実: 弟子に大竹英雄名誉碁聖・加藤正夫名誉王座・二十四世本因坊秀芳・武宮正樹九段・小林光一名誉棋聖・二十五世本因坊治勲・小林覚九段・ほか多数。 武宮正樹: 同じ木谷実門下の石田芳夫、加藤正夫と並んで「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれ、木谷一門黄金時代の一翼を担った。 趙治勲: 第26期十段戦で加藤正夫九段を3-2で破り十段位を奪取。 趙治勲: 第6期名人戦で兄弟子の加藤正夫九段を4-0で破り名人位防衛。 工藤紀夫: 加藤正夫らとともに棋院改革に当たった。 |
加藤正夫の情報まとめ
加藤 正夫(かとう まさお)さんの誕生日は1947年3月15日です。福岡出身の囲碁棋士のようです。
兄弟、現在、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2004年に亡くなられているようです。
加藤正夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)加藤 正夫(かとう まさお、1947年3月15日 - 2004年12月30日)は、日本の囲碁棋士。号は「劔正」。名誉王座。 同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。七大タイトル獲得数歴代4位、囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代6位。棋道賞最優秀棋士賞を7度受賞(歴代2位タイ記録)。 若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあった(なお、加藤の前に大平修三が「殺し屋」とあだ名されていた)が、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、2004年暮れに脳梗塞に倒れ、死去した。享年57。門下に大森泰志、岡田伸一郎、鈴木伊佐男、梅沢由香里、小山栄美ら。 妻は書家の加藤石泉。妻の両親もそれぞれ書家である佐々木泰南・佐々木月花であり、佐々木泰南は木谷道場に書の指導に来ていた。 2005年2月8日、その功績により旭日小綬章追贈。 2023年には日本棋院の第20回囲碁殿堂入り 。 1947年、福岡県朝倉郡朝倉町(現朝倉市)にて誕生。1952年、5歳の時に福岡市中央区六本松に転居。1階は店舗で、2階で碁会所を父がはじめる。 1956年、9歳のころに碁を覚える。この頃岡光雄(後にプロ)・上月武志(第1回学生本因坊)・廣畑富雄(九州学生選手権、後に九州大学教授)らの手ほどきを受け上達する。1959年、12歳で木谷實に入門。兄弟弟子たちと切磋琢磨し、徹底的に戦う棋風を身につける。 1964年、17歳で入段。同年、二段に昇段。 1967年、20歳7ヶ月(四段)で本因坊リーグ入り(当時最年少記録)。一次予選(現在の予選Cに相当)からの勝ち抜きでリーグ入りしたのは、この時の加藤と名人リーグでの三村智保のみ。また入段から3年5ヶ月でのリーグ入りは史上最短記録。この頃、すでに木谷道場の仲間からは「殺し屋加藤」と呼ばれていた。同1967年大手合二部優勝。 1969年、本因坊リーグを5勝2敗で勝ち抜いて林海峰本因坊への挑戦権を獲得。22歳での挑戦は当時最年少で、また五段での挑戦は初めてのことで注目を集めたが、挑戦手合に2-4で敗れる。また、1970年に行われた、翌25期の本因坊リーグ戦で「布石の高川」と呼ばれた高川秀格九段に対して、黒番の93手で高川の大石を取り、勝利した碁が有名となる。 また、五段から七段にかけて大手合28連勝の記録をつくる。この後、各種棋戦で挑戦者あるいはトーナメント決勝まで進むが、タイトル戦で8連敗。「挑戦王」「万年二位」「常敗将軍」と呼ばれるトンネルの時代が続く。また「藤沢秀行に続く、ポカの多い棋士」と呼ばれた。 1970年、1971年大手合一部優勝。 1976年 (29歳) 第1期碁聖戦で兄弟子大竹英雄を降して初タイトルを獲得。また、林海峰から十段位を奪取、以後4連覇。 1977年 (30歳) 武宮正樹を4-1で破って第32期本因坊位を奪取し加藤劔正を名乗る。以後3連覇。書家・佐々木泰南の四女・泉と結婚。 1978年、棋聖戦で藤沢秀行に挑戦するが3-4で惜敗。一方で第4期天元戦では決勝で藤沢秀行を破って優勝し、以後4連覇。 1979年、各タイトルを防衛するとともに王座と鶴聖のタイトルを手にし、本因坊・十段・天元を含めた五冠王に輝く。 1981年、趙治勲名人に挑戦。 1982年、橋本昌二から王座を奪取し、以後8連覇。 1983年、趙治勲から十段位を奪取。勝った3局は全て半目勝ちで、「殺し屋加藤」から「ヨセの加藤」へとモデルチェンジに成功したといわれた。 1986年、小林光一名人をから名人位を奪取。 1987年、40歳で名人、十段、王座、碁聖の四冠を達成。賞金ランキング1位。 1988年、小林光一棋聖に挑戦。 1990年、羽根泰正に敗れ王座を失う。これにより、1976年の十段位獲得以来続けてきた七大タイトル連続保持の記録が途絶える。しかしその後も1993年に藤沢秀行から王座を奪取、1995年に趙治勲本因坊に挑戦、1997年に依田紀基から十段位を奪取し趙治勲本因坊にも挑戦するなど活躍を続けた。 2002年には王銘琬を破って55歳3か月で23年ぶりに本因坊位に復位、史上最年長の本因坊となった。 2002年に日本棋院副理事長、2004年に理事長となり制度の改革などに取り組んだが、2004年12月30日に脳梗塞により死去。生涯通算記録は1254勝663敗2持碁1無勝負。 色付きは現在在位。 1976年〜1990年まで14年6ヶ月にわたって七大タイトルを保持し、これは日本囲碁界最長記録。七大タイトルのうち、棋聖を除くすべてのタイトルを獲得した。 生涯戦績1254勝663敗2持碁1無勝負(勝数史上4位)。 1970年の本因坊リーグで、大家・高川秀格の大石を一直線に取りかけに行き、93手で撲殺。高川を「この石が取られるかねえ」と嘆かせ、ここに「殺し屋」のニックネームが定着した。下図、白の高川が△にツケてサバキに行ったところを黒1から猛然と攻め立て、白の抵抗を粉砕して勝利した。
橋本宇太郎との公式戦で、加藤は形勢を悪くしながらも投げずに打ったところ、橋本に失着が生じ逆転勝ちとなった。感想戦で「早く投げなくてすみません」という若い加藤に、橋本は「ええのや、ええのや」と明るく答えたという。加藤は後年「橋本宇太郎先生のように、70を過ぎても一線で打ちたい」と語っていた。 本因坊在位時の雅号「劔正」は、同郷の参議院議員で後援会長であった剱木亨弘の一字と、自らの名前の「正」を合わせたものである。 趙治勲は来日直後、林海峰に五子局で勝利してのち、木谷道場で兄弟子の加藤に、星目どころか風鈴まで打ち込まれ、悔し涙を流した体験を持つ。加藤没後に放送されたNHKの特別番組では、同様の体験をした小林光一とともにこのことを回顧しつつ、手を緩めずに鍛えてくれた加藤への感謝の言葉を述べた。 2004年の天元戦における、結城聡との対局が絶局となった(加藤の中国流の布石で、結城に勝利)。年少のころ加藤の棋風に影響を受けた結城は、対局後「私は、(加藤に)負けて強くなった」と加藤の人柄と実力に敬意を表した。 2002年7月からは日本棋院副理事長に就任。多忙な日本棋院の理事職に加藤のような一流棋士が就任したことは周りを驚かせた。その背景には1994年から赤字を続ける日本棋院の体質、また若い世代の囲碁離れに対する危機感があったといわれる。連日の激務の中、棋士との二足のわらじを続け、本因坊を奪取した事は大いに称揚された。 2004年6月、利光松男前理事長の退任を受けて理事長に就任。財政赤字の改善、大手合の廃止、予選・昇段制度の改革などに取り組んだが、12月7日に脳梗塞で入院、同月30日の午後0時33分に57歳で死去した。共に改革に当たり、加藤の後を継いで理事長代行に就任した工藤紀夫はその死を「殉職でした」と表現している。その生涯は有水泰道著『精魂の譜』(誠文堂新光社刊)に詳しい。 『現代花形棋士名局選〈4〉加藤正夫』日本棋院 1976年 『加藤正夫(上)(下)』(現代囲碁大系39,40)講談社 1980年 『加藤正夫 (現代囲碁名勝負シリーズ)』講談社 1986年 『加藤正夫 名局細解』(全六巻)誠文堂新光社 1988年 『名局細解 加藤正夫』誠文堂新光社 2004年 『怒涛の譜―加藤正夫精局集』日本棋院 2005年 『察元・烈元・因淑』(日本囲碁大系)筑摩書房 『石の攻め方殺し方』(日本棋院) 1975年 『殺し屋の戦法』(毎日新聞社) 1980年 『加藤囲碁道場』(全三巻)日本棋院 1982年 『加藤正夫の闘いの極意 (NHK囲碁シリーズ) 』1993年 加藤正夫打碁集 - 上巻『攻めの構図、読みの力[序盤・中盤編]』2004年 加藤正夫打碁集 - 下巻『攻めの構図、読みの力[中盤・終盤編]』2004年 ほか多数 タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、色付きのマス目は獲得(奪取または防衛)。色付きは名誉称号獲得。青色は挑戦者または失冠。黄色はリーグ成績。 棋道賞は、最 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、国際 : 国際賞、 新人 : 新人賞、 哉 : 秀哉賞 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。色付きの年は全棋士中1位。 早碁 アコム杯 アコム杯 ^ 現在でも他には井山裕太のみ達成 ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『加藤正夫』 - コトバンク ^ 三堀将『楽しい囲碁心理学』(日本棋院)P.150 ^ “碁盤はさんだ師匠、怖かった「何度泣いたか」 故加藤正夫名誉王座しのぶ集い”. 朝日新聞. (2016年11月17日). https://www.asahi.com/articles/DA3S12663249.html 2020年7月12日閲覧。 ^ “書展 吉原由香里のつれづれ日記”. ウェブリブログ. 吉原由香里 (2014年7月4日). 2015年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。 ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.228 ^ “中村道碩、牧野伸顕、加藤正夫が囲碁殿堂入り(第20回囲碁殿堂表彰)”. 日本棋院 (2023年11月9日). 2024年3月30日閲覧。 ^ 加藤正夫『殺し屋の戦法』(毎日新聞社)P.156 ^ 『石の攻め方殺し方』(日本棋院)プロフィール ^ 柳田邦夫『強豪・木谷一門の秘密』(現代新社)P.110 ^ 『石の攻め方殺し方』(日本棋院)P.156 ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.232 ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.239 ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦・関西棋院第一位決定戦など)は除く。 日本棋院の加藤正夫 紹介ページ 表 話 編 歴 坂田栄男 林海峰 加藤正夫 小林光一 大竹英雄 趙治勲 羽根泰正 武宮正樹 王立誠 山城宏 石田芳夫 依田紀基 工藤紀夫 小林覚 片岡聡 王銘琬 淡路修三 石井邦生 彦坂直人 山下敬吾 高尾紳路 羽根直樹 張栩 山田規三生 小県真樹 橋本昌二 本田邦久 結城聡 今村俊也 苑田勇一 清成哲也 表 話 編 歴 藤沢秀行(第2-6期) 小林光一(第11-17期) (井山裕太〈第38–45期〉) 趙治勲(第5-9期) 小林光一(第13-19期) 二十二世秀格(第7-15期) 二十三世栄寿(第16-22期) 二十四世秀芳(第26-30期) 二十五世治勲(第36-37期、44-53期) 二十六世文裕(第67-77期 ) 加藤正夫(第27-28期、30-37期、41期) 林海峰(第15-19期) (井山裕太〈第37–39期、第41–45期〉) 大竹英雄(第5-10期) 小林光一(第13-18期) (井山裕太〈第37-42期〉) (不在) 坂田栄男(第2-8期) 坂田栄男(第4-6期、8-9期、11-12期、19期、23-24期、29期) 橋本昌二(第9-11期、14-18期、22-23期、32期、34期) (余正麒〈第61-65期〉) (謝依旻〈第26-31期、34期、36期〉) (謝依旻〈第20-28期〉) (藤沢里菜〈第29-33期〉) (藤沢里菜〈第4-8期〉) (謝依旻〈第13-14期、16-20期〉) 表 話 編 歴 第1回(1967) 坂田栄男 第2回(1968) 高川格 第3回(1969) 林海峰 第4回(1970) 大竹英雄 第5回(1971) 石田芳夫 第6回(1972) 坂田栄男 第7回(1973) 林海峰 第8回(1974) 石田芳夫 第9回(1975) 大竹英雄 第10回 (1976) 加藤正夫 第11回 (1977) 加藤正夫 第12回 (1978) 加藤正夫 第13回 (1979) 加藤正夫 第14回 (1980) 趙治勲 第15回 (1981) 趙治勲 第16回 (1982) 趙治勲 第17回 (1983) 林海峰 第18回 (1984) 趙治勲 第19回 (1985) 小林光一 第20回 (1986) 加藤正夫 第21回 (1987) 加藤正夫 第22回 (1988) 小林光一 第23回 (1989) 小林光一 第24回 (1990) 小林光一 第25回 (1991) 小林光一 第26回 (1992) 小林光一 第27回 (1993) 小林光一 第28回 (1994) 趙治勲 第29回 (1995) 小林覚 第30回 (1996) 趙治勲 第31回 (1997) 趙治勲 第32回 (1998) 趙治勲 第33回 (1999) 趙治勲 第34回 (2000) 王立誠 第35回 (2001) 王立誠 第36回 (2002) 加藤正夫 第37回 (2003) 張栩 第38回 (2004) 張栩 第39回 (2005) 張栩 第40回 (2006) 山下敬吾 第41回 (2007) 張栩 第42回 (2008) 張栩 第43回 (2009) 張栩 第44回 (2010) 張栩 第45回 (2011) 山下敬吾 第46回 (2012) 井山裕太 第47回 (2013) 井山裕太 第48回 (2014) 井山裕太 第49回 (2015) 井山裕太 第50回 (2016) 井山裕太 第51回 (2017) 井山裕太 第52回 (2018) 井山裕太 第53回 (2019) 井山裕太 第54回 (2020) 井山裕太 第55回 (2021) 井山裕太 第56回 (2022) 井山裕太 第57回 (2023) 一力遼 表 話 編 歴 瀬越憲作1946-1948 岩本薫1948-1949 津島壽一1949-1951 足立正1951-1955 三好英之1955-1956 有光次郎1956-1975 長谷川章1975-1978 坂田栄男1978-1986 色部義明1986-1987 朝田静夫1988-1993 渡辺文夫1993-1998 利光松男1999-2004 加藤正夫2004 岡部弘2006-2008 大竹英雄2008-2012 和田紀夫2012-2016 團宏明2016-2019 小林覚2019-2024 武宮陽光2024-現在 表 話 編 歴 1 藤沢秀行 2 坂田栄男 3 坂田栄男 4 林海峰 5 林海峰 6 林海峰 7 高川格 8 林海峰 9 藤沢秀行 10 林海峰 11 林海峰 12 林海峰 13 石田芳夫 14 大竹英雄 1 大竹英雄 2 林海峰 3 大竹英雄 4 大竹英雄 5 趙治勲 6 趙治勲 7 趙治勲 8 趙治勲 9 趙治勲 10 小林光一 11 加藤正夫 12 加藤正夫 13 小林光一 14 小林光一 15 小林光一 16 小林光一 17 小林光一 18 小林光一 19 小林光一 20 武宮正樹 21 趙治勲 22 趙治勲 23 趙治勲 24 趙治勲 25 依田紀基 26 依田紀基 27 依田紀基 28 依田紀基 29 張栩 30 張栩 31 高尾紳路 32 張栩 33 張栩 34 井山裕太 35 井山裕太 36 山下敬吾 37 山下敬吾 38 井山裕太 39 井山裕太 40 井山裕太 41 高尾紳路 42 井山裕太 43 張栩 44 芝野虎丸 45 井山裕太 46 井山裕太 47 芝野虎丸 48 芝野虎丸 49 一力遼 表 話 編 歴 1 関山利一 2 橋本宇太郎 3 岩本薫 4 岩本薫 5 橋本宇太郎 6 橋本宇太郎 7 高川格 8 高川格 9 高川格 10 高川格 11 高川格 12 高川格 13 高川格 14 高川格 15 高川格 16 坂田栄男 17 坂田栄男 18 坂田栄男 19 坂田栄男 20 坂田栄男 21 坂田栄男 22 坂田栄男 23 林海峰 24 林海峰 25 林海峰 26 石田芳夫 27 石田芳夫 28 石田芳夫 29 石田芳夫 30 石田芳夫 31 武宮正樹 32 加藤正夫 33 加藤正夫 34 加藤正夫 35 武宮正樹 36 趙治勲 37 趙治勲 38 林海峰 39 林海峰 40 武宮正樹 41 武宮正樹 42 武宮正樹 43 武宮正樹 44 趙治勲 45 趙治勲 46 趙治勲 47 趙治勲 48 本因坊治勲 49 本因坊治勲 50 本因坊治勲 51 本因坊治勲 52 本因坊治勲 53 本因坊治勲 54 趙善津 55 王銘琬 56 王銘琬 57 加藤正夫 58 張栩 59 張栩 60 高尾紳路 61 高尾紳路 62 高尾紳路 63 羽根直樹 64 羽根直樹 65 山下敬吾 66 山下敬吾 67 井山裕太 68 井山裕太 69 井山裕太 70 井山裕太 71 本因坊文裕 72 本因坊文裕 73 本因坊文裕 74 本因坊文裕 75 本因坊文裕 76 本因坊文裕 77 本因坊文裕 78 一力遼 79 一力遼 表 話 編 歴 1 橋本宇太郎 2 高川格 3 橋本宇太郎 4 橋本宇太郎 5 島村利博 6 藤沢朋斎 7 橋本昌二 8 半田道玄 9 坂田栄男 10 宮下秀洋 11 坂田栄男 12 坂田栄男 13 半田道玄 14 坂田栄男 15 藤沢秀行 16 藤沢秀行 17 藤沢秀行 18 坂田栄男 19 坂田栄男 20 坂田栄男 21 林海峰 22 石田芳夫 23 大竹英雄 24 趙治勲 25 工藤紀夫 26 石田芳夫 27 加藤正夫 28 加藤正夫 29 橋本昌二 30 加藤正夫 31 加藤正夫 32 加藤正夫 33 加藤正夫 34 加藤正夫 35 加藤正夫 36 加藤正夫 37 加藤正夫 38 羽根泰正 39 藤沢秀行 40 藤沢秀行 41 加藤正夫 42 趙治勲 43 王立誠 44 柳時熏 45 山田規三生 46 王立誠 47 王立誠 48 王立誠 49 趙治勲 50 王銘琬 51 張栩 52 張栩 53 張栩 54 山下敬吾 55 山下敬吾 56 張栩 57 張栩 58 張栩 59 張栩 60 井山裕太 61 井山裕太 62 村川大介 63 井山裕太 64 井山裕太 65 井山裕太 66 井山裕太 67 芝野虎丸 68 芝野虎丸 69 井山裕太 70 井山裕太 71 井山裕太 表 話 編 歴 1 藤沢秀行 2 小林光一 3 島村俊宏 4 加藤正夫 5 加藤正夫 6 加藤正夫 7 加藤正夫 8 片岡聡 9 片岡聡 10 石田芳夫 11 小林光一 12 小林光一 13 趙治勲 14 趙治勲 15 林海峰 16 林海峰 17 林海峰 18 林海峰 19 林海峰 20 柳時熏 21 柳時熏 22 柳時熏 23 工藤紀夫 24 小林光一 25 小林光一 26 柳時熏 27 羽根直樹 28 羽根直樹 29 羽根直樹 30 山下敬吾 31 河野臨 32 河野臨 33 河野臨 34 張栩 35 山下敬吾 36 結城聡 37 井山裕太 38 井山裕太 39 井山裕太 40 高尾紳路 41 井山裕太 42 井山裕太 43 井山裕太 44 井山裕太 45 井山裕太 46 一力遼 47 関航太郎 48 関航太郎 49 一力遼 表 話 編 歴 1 加藤正夫 2 加藤正夫 3 大竹英雄 4 趙治勲 5 大竹英雄 6 大竹英雄 7 大竹英雄 8 大竹英雄 9 大竹英雄 10 大竹英雄 11 趙治勲 12 加藤正夫 13 小林光一 14 小林光一 15 小林光一 16 小林光一 17 小林光一 18 小林光一 19 林海峰 20 小林覚 21 依田紀基 22 依田紀基 23 依田紀基 24 小林光一 25 山下敬吾 26 小林光一 27 小林光一 28 依田紀基 29 依田紀基 30 依田紀基 31 張栩 32 張栩 33 張栩 34 張栩 35 坂井秀至 36 羽根直樹 37 井山裕太 38 井山裕太 39 井山裕太 40 井山裕太 41 井山裕太 42 井山裕太 43 許家元 44 羽根直樹 45 一力遼 46 井山裕太 47 井山裕太 48 井山裕太 49 井山裕太 表 話 編 歴 1 橋本宇太郎 2 半田道玄 3 藤沢朋斎 4 高川格 5 坂田栄男 6 坂田栄男 7 坂田栄男 8 大竹英雄 9 橋本宇太郎 10 坂田栄男 11 坂田栄男 12 橋本昌二 13 林海峰 14 加藤正夫 15 加藤正夫 16 加藤正夫 17 加藤正夫 18 大竹英雄 19 大竹英雄 20 趙治勲 21 加藤正夫 22 小林光一 23 小林光一 24 小林光一 25 加藤正夫 26 趙治勲 27 趙治勲 28 武宮正樹 29 武宮正樹 30 武宮正樹 31 大竹英雄 32 大竹英雄 33 依田紀基 34 依田紀基 35 加藤正夫 36 彦坂直人 37 小林光一 38 小林光一 39 王立誠 40 王立誠 41 王立誠 42 王立誠 43 趙治勲 44 趙治勲 45 趙治勲 46 高尾紳路 47 張栩 48 張栩 49 井山裕太 50 井山裕太 51 結城聡 52 高尾紳路 53 伊田篤史 54 井山裕太 55 井山裕太 56 井山裕太 57 村川大介 58 芝野虎丸 59 許家元 60 許家元 61 芝野虎丸 62 井山裕太 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イタリア アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research 日本の囲碁棋士 福岡市出身の人物 旭日小綬章受章者 1947年生 2004年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 ICCU識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/17 15:12更新
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katou masao
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