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都留重人の情報 (つるしげと)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

都留重人の情報(つるしげと) 経済学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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都留 重人さんについて調べます

■名前・氏名
都留 重人
(読み:つる しげと)
■職業
経済学者
■都留重人の誕生日・生年月日
1912年3月6日 (年齢2006年没)
子年(ねずみ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
東京出身

都留重人と同じ1912年生まれの有名人・芸能人

都留重人と同じ3月6日生まれの有名人・芸能人

都留重人と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


都留重人と関係のある人

須賀敦子: 選考委員は加藤周一・都留重人・芦原義信。


宮本憲一: 1963年、都留重人一橋大学経済研究所教授の提案で、庄司や柴田徳衛東京都立大学 (1949-2011)助教授らと、公害研究委員会を設立。


川井健: 1986年には今井賢一商学部長が学長選の学生投票で除斥され、種瀬茂学長が心労で急逝するなど混乱が生じる中、学園紛争期の都留重人第6代学長以来となる史上2人目の一橋出身者以外の学長として、第11代一橋大学学長に選出された。


鶴見俊輔: 米国滞在中に、父と面識のあったハーバード大学の歴史学者・アーサー・シュレシンジャー・シニア(英語版)教授を介して、同大学大学院に在籍していた都留重人と面識を得る。


エドウィン=ライシャワー: なお、1950年代前半にアメリカを襲った「赤狩り」旋風では、ハーバード大学の同僚である上記のノーマンや都留重人らがターゲットとなったが、この2人のようにイデオロギー的に偏りがない上に、中国史研究者であったものの、国務省では日本や朝鮮の政策にのみかかわっていたこともあり難を逃れた。


中谷巌: こうした転向について、伊東光晴(京都大名誉教授)は、都留重人の言葉を引きながら基本的には支持を示しつつ、同時にアダム・スミスについての理解など、叙述においてやや正確さを欠いていると指摘しているほか、竹中と中谷の同質性についても示唆している。


ハーバート=ノーマン: しかし、都留重人を取り調べたFBI捜査官によるアメリカ合衆国上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで飛び降り自殺を遂げた。


和田小六: 長女・正子の夫は都留重人、次女・綾子の夫は新日本電気会長肥後一郎。


福田恆存: 例えば都留重人は以下のように取り上げている。


宮崎勇: ガルブレイス『新しい産業国家』都留重人監訳 石川通達、鈴木哲太郎共訳 河出書房新社 1968


菅直人: 1972年の春に「宅地並み課税推進討論集会」を開催し、市川房枝、青島幸男、青木茂、都留重人を招く。


クヌート=ヴィクセル: 都留重人『近代経済学の群像』社会思想社 現代教養文庫、1993年、93頁。


宮崎義一: 東京商科大学 (旧制)(現一橋大学)で杉本栄一・都留重人らの指導を受けた。


小宮隆太郎: また、留学中に都留重人や篠原三代平、チャールズ・キンドルバーガー、ヤン・ティンバーゲン、ジョージ・ダンツィグらと交流している。


鶴見俊輔: 戦後、鶴見は軽井沢の別荘で結核の療養生活を続けながら、姉・鶴見和子の尽力で、和子と丸山眞男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧とともに7人で「思想の科学研究会」を結成して雑誌『思想の科学』を創刊。


近衛文麿: ノーマンの近衛に対する心証は、家族ぐるみの極めて親しいつきあいをしていた風見章と、ハーバード大学時代の共産主義同志で義理の伯父に木戸幸一内大臣をもつ都留重人からの詳細な情報提供によって形成されたのではないかと指摘されている。


三木武夫: 三木は都留重人を文部大臣とすることを検討したが、都留が固辞したためやはり三木のブレーンの一人であった民間人の永井道雄が文部大臣となった。


柴田敬: 都留重人は1985年に、「日本には「経済学学者」は多いけれど経済学者は少ないのではないか。


鈴木光男: この研究を県庁の資料提供者に送ったところ長洲一二神奈川県知事にも伝わり、鈴木は「西丹沢地区開発の基本構想」のメンバーや神奈川県総合計画審議会の委員を務めることになった(後者の会長は都留重人)。


飛鳥田一雄: 美濃部亮吉都知事が不出馬を表明した後で行われた1979年4月の都知事選挙に際しては、永井道雄元文相、経済学者の都留重人、武蔵野市長の後藤喜八郎らを擁立しようとしたが、支持母体である総評が太田薫の出馬を譲らず、最終的に押し切られる形となった。


和田昭允: 和田小六・春子の長男、木戸孝允の義理の曾孫、山尾庸三の曾孫、吉川重吉の孫、木戸幸一の甥、都留重人の義弟。


東條英機: 経済学者の都留重人は、海軍省調査課の対米研究会のメンバーであったが、1944年(昭和19年)6月に懲罰召集された。


伊東光晴: 一橋の杉本栄一ゼミや都留重人ゼミで学び、杉本の影響の下、近代経済学、マルクス主義を介した理論経済学の研究に従事する。


クヌート=ヴィクセル: 都留重人『近代経済学の群像』社会思想社 現代教養文庫、1993年、94頁。


和田博雄: 和田は都留重人らエコノミストを重用して、経済白書を作らせたり、石炭と鉄鋼を中心とする経済復興政策(傾斜生産方式)を推し進めた。


ハーバート=ノーマン: その後ハーバード大学に入学し、軽井沢の教会を通じて両親同士が知り合いだったエドウィン・ライシャワーのもとで日本史を研究しつつ、学友で「社会主義者」を自称した都留重人などと親交を結ぶ他、学友を社会主義活動へ勧誘し続けた。


柴田敬: 伊東光晴によると、「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」とされている。


鶴見俊輔: アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。


獅子文六: 同じ敷地内に、妻の姉の嫁ぎ先である和田小六の家、和田家の娘の嫁ぎ先である都留重人・肥後一郎の家があった。


都留重人の情報まとめ

もしもしロボ

都留 重人(つる しげと)さんの誕生日は1912年3月6日です。東京出身の経済学者のようです。

もしもしロボ

事件、卒業、結婚に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。

都留重人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 - 2006年〈平成18年〉2月5日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。

初代一橋大学経済研究所長、第6代一橋大学学長、ハーバード大学客員教授、イェール大学客員教授、国際経済学連合会長(日本人初)を歴任、日本学士院会員に選出された。日本人として2人目のハーバード大学名誉学位保持者。国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。

大分県生まれ、名古屋市育ち。小学校第5学年修了、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第4学年修了を経て第八高等学校(現・名古屋大学)に入学したが、日本の中国侵入に反対して欠席届を出さずにストライキを起こしたため(反帝同盟事件)、宮崎辰雄(元神戸市長)、田中文雄(元王子製紙社長)、河本敏夫(元通産大臣)らとともに除籍される。

日本の大学に進学できなくなったため、アメリカウィスコンシン州のローレンスカレッジに1年間留学し、ハリー・ホワイトなどの授業を受ける。その後ハーバード大学の学部に入学し、1935年(昭和10年)に優等賞を取得し卒業、同期でただ一人大学院に進学した。大学院では後に高名を馳せたポール・サミュエルソンが同窓生。1936年(昭和11年)、同大大学院で修士号取得。結婚後、1940年(昭和15年)、同大大学院で博士号 (Ph.D.) を取得。博士論文は“Development of capitalism & business cycles in Japan, 1868-1897”。そのままハーバード大学講師となる。

1942年(昭和17年)、第二次世界大戦勃発(日米開戦)を受けて辞職して交換船で帰国後、妻の伯父である木戸幸一が重光葵に頼み、外務省嘱託として就職。

1943年(昭和18年)、旧制東京商科大学東亜経済研究所(現一橋大学経済研究所)嘱託研究員。その後都城で二等兵を務めたのち、外務省勤務。

1944年(昭和19年)6月、東條英機により、意見が対立していた木戸に圧力を掛ける目的で解雇された上、召集令状が出されて陸軍に徴兵された。しかし、木戸が東條の秘書官であった赤松貞雄 に頼み込んだので、赤松は木戸の依頼に応え、外務省から都留のために「余人をもって替えがたし」という申し入れを陸軍に出させるように取り計らい、3か月で除隊となった。

連合国軍最高司令官総司令部経済科学局調査統計課勤務を経て、1947年(昭和22年)、片山内閣の下で経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官級待遇)に就任、第1回経済白書『経済実相報告書』を執筆した。

1948年(昭和23年)、東京商科大学(現・一橋大学)教授に就任し、同時に自宅で社会人を対象にした「背広ゼミ」を開始。その後、冷戦下の赤狩り(マッカーシズム)の中でアメリカ留学当時共産主義者であったことを告白する。

1949年(昭和24年)、中山伊知郎の後任として、新制一橋大学経済研究所の初代所長に就任。1950年(昭和25年)、第2期日本学術会議会員。1956年(昭和31年)、一橋大学経済研究所長を退任し小原敬士と代わる。同年、ハーバード大学客員教授。1960年(昭和35年)、イェール大学客員教授。

1963年(昭和38年)には宮本憲一や柴田徳衛らと、公害研究委員会を設立。これはのちに日本環境会議の母体となった。

1965年(昭和40年)に伊大知良太郎の後任として再び一橋大学経済研究所所長に就任し、1967年(昭和42年)に山田勇と代わるまで務めた。1971年(昭和46年)『公害研究』を創刊。

学園紛争で学長のなり手がおらず、3年間にわたり学長不在が続いていたため、一橋出身者以外からは初となる一橋大学学長を1972年(昭和47年)から務めた。しかし、のちに一橋出身ではないとして批判を受けるようになり、1975年(昭和50年)に退官し、一橋大学名誉教授。代わって小泉明が学長事務取扱を務めた。

1975年から1985年(昭和60年)まで朝日新聞社論説顧問。1986年(昭和61年)から明治学院大学教授 を務め、明治学院大学国際学部の創設に尽力した。在職中は教え子の伊東光晴(当時京都大学教授)や関根友彦(当時ヨーク大学教授)の招聘などを検討していたが、やがて学内対立で、教え子の宮崎義一教授(京都大学名誉教授)などの擁護も虚しく、1990年(平成2年)明治学院大学を辞職した。

2006年(平成18年)2月5日に、前立腺がんのため死去。93歳没。如水会館で「偲ぶ会」が開かれ、門下生の伊東光晴京都大学名誉教授や、杉山武彦一橋大学学長、高山憲之一橋大学経済研究所長、篠原三代平一橋大学名誉教授、小宮隆太郎東京大学名誉教授、宮本憲一大阪市立大学名誉教授、寺西俊一一橋大学教授、速水優前日本銀行総裁、宮崎勇元経済企画庁長官ら500人あまりが集まった。墓所は多磨霊園。

大学院の指導学生に高須賀義博(一橋大学名誉教授)、中村達也(中央大学名誉教授)、渡会勝義(早稲田大学名誉教授)、渡邉寛(東北大学名誉教授)、村田稔(元中央大学教授)、望月喜市(北海道大学名誉教授)、熊谷一男(元明治大学教授)、大塚勇一郎(元立教大学教授)、永井進(法政大学名誉教授)、青木達彦(信州大学名誉教授) など。他に、都留ゼミ出身者として、伊東光晴(京都大学名誉教授) や、宇野経済学に転じた関根友彦(元ヨーク大学教授)、加野忠(元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官) などがいる。

また、ゼミ生ではないが学長時代に、細谷千博ゼミ出身のクリスチャン・ポラックが一橋に教員として残れるように政治家にかけあったものの、外国人が国立大学教員になることは禁止されており、叶わなかった。

太平洋戦争について、アメリカが日本と戦争になったのは、ニューディール政策によって軍備が拡張されたからであるとしている。

父、都留信郎は元東邦ガス社長。妻、正子は航空工学者の和田小六(木戸幸一の弟で東京工業大学学長や東京大学名誉教授等を歴任)の娘で、元東大教授で理化学研究所ゲノム科学総合研究センター所長の和田昭允の姉である。

都留家は、東京・赤坂の住宅地で、妻の父の和田小六の家、妻の妹の嫁ぎ先である肥後一郎の家、妻の叔母の嫁ぎ先である獅子文六の家と、同じ敷地内で住んだ。

『米国の政治と経済政策――ニューディールを中心として』(有斐閣, 1946年)

『戦後日本のインフレイション』(岩波書店, 1949年)

『アメリカの資本主義』(近代思想社, 1949年)

『アメリカ遊学記』(岩波書店[岩波新書], 1950年)、新装復刊2013年

『アメリカ経済の発展』(勁草書房, 1951年)

『自由と平和のために』(要書房, 1951年)

『国民所得と再生産』(有斐閣, 1951年)

『日本経済の内と外』(河出書房[河出新書], 1955年)

『経済を見る眼』(岩波新書, 1958年)

『経済を動かすもの』(岩波新書, 1959年)

『経済の論理と現実』(岩波書店, 1960年)

『経済と現代――経済学を常識とするために』(日本評論新社, 1963年)

『近代経済学の群像――人とその学説』(日本経済新聞社[日経新書], 1964年/現代教養文庫, 1993年/岩波現代文庫, 2006年)

『日本の設計』(文藝春秋新社, 1964年)

『物価を考える』(岩波書店, 1967年)

Essays on EConomic Development, (Kinokuniya, 1968).

『現代経済学――経済学の今日的課題』(筑摩書房, 1969年)

『公害の政治経済学』(岩波書店, 1972年)

『経済学はむずかしくない』(講談社現代新書, 1974年)

『経済学入門』(講談社学術文庫, 1976年)

『師友雁信録』(講談社学術文庫, 1976年)

『日本経済の奇跡は終わった』(毎日新聞社, 1978年)

『マルクス 人類の知的遺産50』(講談社, 1982年)

『さあ、人間の出番だ――日本の活路を考える』(勁草書房, 1982年)

『体制変革の政治経済学』(新評論, 1983年)

『現代経済学の群像』(岩波書店, 1985年/岩波現代文庫, 2006年)

『経済の常識と非常識』(岩波書店, 1987年)

『地価を考える』(岩波新書, 1990年)

Institutional Economics Revisited, (Cambridge University Press, 1993).

中村達也・永井進・渡会勝義訳『制度派経済学の再検討』(岩波書店, 1999年)

Japan's Capitalism: Creative Defeat and Beyond, (Cambridge University Press, 1993).

渡辺敏・石川通達訳『日本の資本主義――創造的敗北とその後』(岩波書店, 1995年)

Economic Theory and Capitalist Society, (E. Elgar, 1994)

The Economic Development of Modern Japan, (E. Elgar, 1995).

『なぜ今、日米安保か』(岩波書店[岩波ブックレット], 1996年)

『日米安保解消への道』(岩波新書, 1996年)

『科学的ヒューマニズムを求めて』(新日本出版社, 1998年)

The Political Economy of the Environment: the Case of Japan, (Athlone Press, 1999).

『いくつもの岐路を回顧して――都留重人自伝』(岩波書店, 2001年)

『21世紀日本への期待――危機的現状からの脱却を』(岩波書店, 2001年)

『体制変革の展望』(新日本出版社, 2003年)

『科学と社会――科学者の社会的責任』(岩波ブックレット, 2004年)

『市場には心がない――成長なくて改革をこそ』(岩波書店, 2006年)

(R・P・ドーア・高橋亀吉・岩井章・宮崎義一)『私の日本経済論』(日本経済新聞社,1966年)

『岩波小辞典・経済学』(岩波書店,1955年)

『資本主義――マルクスとケインズ』(春秋社,1957年)

『現代資本主義の再検討』(岩波書店,1957年)

『近代経済学論集』(河出書房,1961年)

Has Capitalism Changed?: An International Symposium on the Nature of Contemporary Capitalism, (Iwanami,1961).

『現代資本主義と公害』(岩波書店,1968年)

Environmental Disruption: Proceedings of International Symposium, March, 1970, Tokyo, (International Social Science Council,1970).

『世界の公害地図(上・下)』(岩波書店[岩波新書],1977年)

Growth and Resources Problems Related to Japan: Proceedings of Session VI of the Fifth Congress of the International Economic Association held in Tokyo, Japan, (Macmillan,1978).

『サムエルソン経済学講義(上・下)』(岩波書店,1983-1984年)

(大川一司)『日本経済の分析』(勁草書房,1953年)

(高橋長太郎)『やさしい経済学』(勁草書房,1957年)

(隅谷三喜男)『生活と経済学』(読売新聞社,1970年)

(杉原四郎)『経済学の現代的課題』(ミネルヴァ書房, 1974年)

(本田創造・宮野啓二)『アメリカ資本主義の成立と展開』(岩波書店,1974年)

(佐橋滋)『クオリティ・ライフ――筑波会議報告』(弘文堂,1983年)

高校教科書『現代社会』(実教出版,1982-1994年)

『都留重人著作集』(講談社, 1975年-1976年)

    第1巻「経済学を学ぶ人のために」

    第2巻「国民所得と再生産」

    第3巻「資本主義と経済発展の課題」

    第4巻「経済政策:安定と成長」

    第5巻「経済政策:福祉を求めて」

    第6巻「都市問題と公害」

    第7巻「日本経済時論」

    第8巻「国際政治と国際経済」

    第9巻「アメリカの政治と経済」

    第10巻「学問と社会と論壇」

    第11巻「人と旅と本」

    第12巻「随想と思い出」

    第13巻「Towards a new political economy」

    シュンペーター『帝国主義と社会階級』(岩波書店, 1956年)

    M・ドッブ『経済理論と社会主義』(岩波書店,1958-1959年)

    ジョーン・ロビンソン『マルクス主義経済学の検討――マルクス・マーシャル・ケインズ』(紀伊國屋書店,1960年)

    P・A・サムエルソン『経済学――入門的分析(上・下)』(岩波書店,1966年)

    スウィージー『資本主義発展の理論』(新評論,1967年)

    E・J・ミシャン『経済成長の代価』(岩波書店,1971年)

    ジョン・K・ガルブレイス『新しい産業国家』(河出書房新社,1972年)

    マーシャル・ゴールドマン『ソ連における環境汚染――進歩が何を与えたか』(岩波書店,1973年)

    ジョン・K・ガルブレイス『マネー――その歴史と展開』(TBSブリタニカ,1976年)

    ジョン・K・ガルブレイス『不確実性の時代』(TBSブリタニカ,1978年)

    ジョン・K・ガルブレイス『大衆的貧困の本質』(TBSブリタニカ,1979年)

    フレッド・ハーシュ『成長の社会的限界』(日本経済新聞社,1980年)

    フレッド・ハーシュ, ジョン・H・ゴールドソープ編『インフレーションの政治経済学』(日本経済新聞社,1982年)

    P・A・サムエルソン『サムエルソン心で語る経済学』(ダイヤモンド社,1984年)

    E・J・ミシャン『経済学の神話性』(ダイヤモンド社,1987年)

    G・クロウ, T・ホィールライト『オーストラリア――今や従属国家』(勁草書房,1987年)

    A・デーヴィッド, T・ホィールライト『日豪摩擦の新時代――アジア資本主義の幕開け』(勁草書房,1990年)

    P・A・サムエルソン, W・ノードハウス『経済学』(岩波書店,1992-1993年)

    アーサー・シュレジンジャー, 『アメリカの分裂――多元文化社会についての所見』(岩波書店,1992年)

    M・シェンバーグ編『現代経済学の巨星――自らが語る人生哲学』(岩波書店,1994年)

    イグナチ・サックス『健全な地球のために――21世紀へ向けての移行の戦略』(サイマル出版会,1994年)

    ロバート・アイスナー『経済の誤解を解く』(日本経済新聞社,1995年)

    ジョセフ・L・サックス『「レンブラント」でダーツ遊びとは――文化的遺産と公の権利』(岩波書店,2001年)

    Tsuru, Shigeto; Fries, Horace S. (1933). “A Problem in Meaning”. Journal of General Psychology 8 (1): 281-284. 

    Tsuru, Shigeto (1941). “Economic Fluctuations in Japan, 1868-1893”. The Review of Economics and Statistics 23 (4): 176-189. 

    ^ ハーバード大での猛勉強と秀才ぶりは有名であり、この後に同じくハーバード大に留学した鶴見俊輔と合わせて同期生やハーバード関係者に「ツル・ツルミ」と言われた。

    ^ 東條退陣の後の1944年(昭和19年)7月から1945年(昭和20年)2月まで、赤松が軍務課長であった。

    ^ 「宮崎義一 みやざき よしかず」 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

    ^ 『環境と公害』(二○○六年四月号)

    ^ 「都留重人先生略歴」 一橋大学付属図書館

    ^ 「歴代所長」 一橋大学経済研究所

    ^ 「宮本 憲一」 bians

    ^ 「明治学院大学国際学部創立30周年記念座談会「国際学部30年の歴史を振り返る」」『国際学研究』第50号、明治学院大学国際学部、2017年4月、5-37頁。 

    ^ 「都留重人ゼミ昭和32年会」

    ^ 「都留重人さんを偲ぶ会」 日本環境会議

    ^ 高須賀義博「商品経済の価値機構 : 価値形態論の一考察」『一橋研究』第2号、一橋大学大学院学生会、1956年3月、110-130頁、doi:10.15057/6830、ISSN 0286-861X、NAID 110007621348。 

    ^ 「昭和43年度学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第17号、一橋大学大学院生自治会、1969年7月、44-46頁、doi:10.15057/6681、ISSN 0286-861X、NAID 110007621203。 

    ^ 「昭和45年度 学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第21号、一橋大学大学院生自治会、1971年7月、96-98頁、doi:10.15057/6650、ISSN 0286-861X、NAID 110007621176。 

    ^ 「経済学研究科修士論文紹介」『一橋研究』第3号、一橋大学大学院学生会、1957年3月、47-49頁、doi:10.15057/6821、ISSN 0286-861X、NAID 110007621339。 

    ^ 「昭和36年度学位授与論文及び単位修得論文要旨」『一橋研究』第9号、一橋大学大学院学生会、1962年9月、57-59頁、doi:10.15057/6747、ISSN 0286-861X、NAID 110007621269。 

    ^ 「昭和41・42年度学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第16号、一橋大学大学院生自治会、1969年2月、97-101頁、doi:10.15057/6690、ISSN 0286-861X、NAID 110007621212。 

    ^ 「昭和46年度 学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第23号、一橋大学大学院生自治会、1972年7月、143-146頁、doi:10.15057/6632、ISSN 0286-861X、NAID 110007621158。 

    ^ 「一橋大学の理論経済学者たち」 如水会

    ^ 「日仏交流史研究家 クリスチャン・ポラックさん 「絹と光」の縁たどる(3)」 2018/3/1付日本経済新聞 夕刊

    ^ 「日仏交流史研究家 クリスチャン・ポラックさん 「絹と光」の縁たどる(4)」 2018/3/1付日本経済新聞 夕刊

    ^ 「日仏交流史研究家 クリスチャン・ポラックさん 「絹と光」の縁たどる(5)」 2018/3/2付日本経済新聞 夕刊

    ^ 麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、77頁。

    ^ 福本信子『獅子文六先生の応接間』(影書房)P.25

    東京都立日比谷高等学校の人物一覧

    ハーバード大学に関係する日本人の一覧

    一橋大学の人物一覧

    都留重人 - NHK人物録

    佐野善作 1920-1935

    三浦新七 1935-1936

    上田貞次郎 1936-1940

    事務取扱/学長 高瀬荘太郎 1940/1940-1944

    高瀬荘太郎 1944-1946

    上原専禄 1946-1947

    上原専禄 1947-1949

    中山伊知郎 1949-1955

    井藤半彌 1955-1959

    山中篤太郎 1959-1961

    高橋泰蔵 1961-1962

    初代 中山伊知郎 1949-1955

    第2代 井藤半彌 1955-1959

    第3代 山中篤太郎 1959-1961

    第4代 高橋泰蔵 1961-1964

    第5代 増田四郎 1964-1969

    事務取扱 村松祐次 1969

    事務取扱 馬場啓之助 1969-1972

    第6代 都留重人 1972-1975

    事務取扱/第7代 小泉明 1975/1975-1977

    事務取扱 宮澤健一 1977

    第8代 蓼沼謙一 1977-1980

    第9代 宮澤健一 1980-1983

    第10代 種瀬茂 1983-1986

    事務取扱/第11代 川井健 1986/1986-1989

    第12代 塩野谷祐一 1989-1992

    第13代 阿部謹也 1992-1998

    第14代 石弘光 1998-2004

    第15代 杉山武彦 2004-2010

    第16代 山内進 2010-2014

    第17代 蓼沼宏一 2014-2020

    第18代 中野聡 2020-

    矢野次郎 1876-1883

    事務心得 南貞助 1883-1884

    河上謹一 1884

    矢野次郎 1884-1887

    矢野次郎 1887-1893

    事務取扱 和田垣謙三 1893

    由布武三郎 1893-1895

    小山健三 1895-1898

    心得 神田乃武 1898

    清水彦五郎 1898

    事務取扱 手島精一 1898

    事務取扱 高田早苗 1898

    事務取扱 澤柳政太郎 1898-1899

    駒井重格 1899-1901

    事務取扱/校長 寺田勇吉 1901-1902/1902

    寺田勇吉 1902

    松崎蔵之助 1902-1909

    事務取扱 真野文二 1909

    事務取扱 澤柳政太郎 1909-1911

    坪野平太郎 1911-1914

    佐野善作 1914-1920

    奈佐忠行 1920-1927

    堀光亀 1927-1936

    事務取扱 吉田良三 1936-1937

    井浦仙太郎 1937-1938

    藤本幸太郎 1938-1940

    上原専禄 1940-1941

    山口茂 1941-1943

    主事/部長 増地庸治郎 1943-1944/1944

    増地庸治郎 1944-1945

    事務取扱/部長 鬼頭仁三郎 1945/1945-1946

    山中篤太郎 1946-1947

    山中篤太郎 1947-1949

    山口茂 1949

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    増地庸治郎 1944

    増地庸治郎 1944-1945

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