野口米次郎の情報(のぐちよねじろう) 詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
野口 米次郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
野口米次郎と関係のある人
ラビンドラナート=タゴール: タゴールのこうした日本批判に対して、友人でもあった野口米次郎とは論争になった。 西脇順三郎: 翌年の4月に田中萃一郎の推薦で慶應義塾大学予科教授となり、野口米次郎、戸川秋骨、馬場孤蝶らを知る。 横光利一: 小田切秀雄は1946年6月、新日本文学会の機関誌『新日本文学』に「文学における戦争責任の追及」を発表し、そこで「菊池寛、久米正雄、中村武羅夫、高村光太郎、野口米次郎、西條八十、斎藤瀏、斎藤茂吉、岩田豊雄、火野葦平、横光利一、河上徹太郎、小林秀雄、亀井勝一郎、保田與重郎、林房雄、浅野晃、中河与一、尾崎士郎、佐藤春夫、武者小路実篤、戸川貞雄、吉川英治、藤田徳太郎、山田孝雄らは最大かつ直接的な戦争責任者である」と問いただし、「文学界からの公職罷免該当者である」と断定した。 志賀重昂: 明治26年(1893年)、自宅にイサム・ノグチの父でのちに詩人となった野口米次郎が寄宿した。 イサム・ノグチ: 1904年、日本人詩人の野口米次郎とアメリカ人作家のレオニー・ギルモアとの間に生まれる。 石川啄木: このほか、堀合節子から贈られた野口米次郎の訳詩集『東海より』も啄木の詩作に影響を与えたとされる(岩城之徳は『Surf and Wave』も節子に贈られたと推定している)。 山崎紫紅: 創刊号の執筆者は紫紅のほか、森鴎外、野口米次郎、木下杢太郎、三木露風、馬場孤蝶、永井荷風、黒田湖山、深川夜烏など。 亀井俊介: 2007年にはその研究活動の出発点であった「アメリカ産の日本詩人」ヨネ・ノグチ(日本名野口米次郎、イサム・ノグチの父)の復権を目指し、『ヨネ・ノグチ英文著作集』全6巻を編集、別冊日本語解説を書いた。 ラビンドラナート=タゴール: 早くから日本に対する関心も深く、岡倉天心・河口慧海・野口米次郎らとの親交があり、日本人の自然を愛する美意識を高く評価した。 尾崎喜八: また、この頃『詩聖』に執筆することにより野口米次郎、田中冬二、中野秀人らを知る。 小泉八雲: 長男・一雄にはアメリカで教育を受けさせたいと考え自ら熱心に英語を教え、当時、小石川区茗荷谷に住むレオニー・ギルモア(夫は野口米次郎、子にイサム・ノグチ)に英語の個人教授を受けさせた。 |
野口米次郎の情報まとめ
野口 米次郎(のぐち よねじろう)さんの誕生日は1875年12月8日です。愛知出身の詩人のようです。
父親、現在、結婚、解散、兄弟、趣味、映画、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1947年に亡くなられているようです。
野口米次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・傳兵衛、母・久己(くわ)の四男として生まれた。10歳で英語を学び始める。 1888年(明治21年)生家を離れ名古屋で英学を学び、ユニオン第四読本、スマイルズ著『自助論』を学ぶ。1889年(明治22年)愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に入学し、ザ・セカンド・ナショナル読本を学ぶも、1890年(明治23年)2月退学し、四日市から海路で上京、伯父である鵜飼大俊和尚旧居である芝・増上寺の通元院に寄寓し、のち現在の銀座に当たる京橋にあった長兄野口秀之助の知人である磯長宅に寄寓。ここより私立中学校であった神田駿河台の英語塾成立学舎に通い、マコーリーの『クライヴ卿』を学ぶ。高等学校進学を検討したが数学を嫌って、1891年(明治24年)慶應義塾大学部文学科に入学。ハーバート・スペンサーの『教育論』やトーマス・カーライルの『英雄崇拝論』の講義を聞いたが、通学を好まず。ワシントン・アーヴィングの『スケッチ・ブック』、オリヴァー・ゴールドスミスの詩集『寒村行』及びトマス・グレイの詩集から大きな影響を受け、それらの翻訳も試みた。その他、ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー、エドガー・アラン・ポーなどの文学本を読み耽る。また、俳句や禅にも興味を抱き、1892年(明治25年)には芝山内の其角堂永機を訪ねた。1893年(明治26年)に芝の地理学者志賀重昂の家に学僕として寄宿。志賀宅に来客した菅原傳が北米事情を語るのを隣室で聞き、渡米を決意してパスポート下附を申請し、慶應義塾を中退する。 1893年11月3日に横浜から汽船ベルジック号で渡米し、11月20日にサンフランシスコに到着した。邦字新聞の配達を行う。1894年(明治27年)、日本の木版画の販売に従事する。徒歩でサンフランシスコからパロアルトに赴き、スタンフォード大学で予備校の学僕をしながら授業を受け、この頃、エドガー・アラン・ポーの詩集に親しむ。1895年(明治28年)サンフランシスコに戻り、現地の『日本字新聞社』で編集及び配達を行う。日清戦争下の当時、日本軍の勝報に興味を持ち、かつアメリカ人が日本事情に無知であることを知る。 渡米の際野口は同郷の志賀重昂から、移民周旋業の菅原伝と画学生牧野義雄宛ての紹介状をもらっており、牧野から、オークランドの山荘に住む詩人・ウォーキン(ホアキン)・ミラー(Joaquin Miller)が住み込みで雑用をしてくれる日本人を探しており、無給だが英文学も学べると聞き、1895年4月から5年近くをミラー宅で過ごす。東洋的神秘思想に傾倒していたミラーは1892年より山奥で労働と瞑想を主とした自然的隠遁生活を送っており、野口も料理や掃除、植林や伐採、果実の収穫など無償で黙々と働き、詩作した。壮大な美しい自然環境に囲まれ、原稿整理を手伝いながら大いに学び、山荘を訪れる詩人エドウィン・マーカムやチャールス・ウァレン・スタダード博士らとも交わる。ウォルト・ホイットマンの詩集を初めて読む。 1896年(明治29年)に最初の自作詩5篇がGelett Burgessの雑誌『ラーク』に掲載され、その編集刊行者であるジレット・バージェスとポーター・ガーネットと親交を結ぶ。12月に同社から英文第一詩集の『Seen & Unseen』が刊行され好評を受ける。1897年(明治30年)にヨセミテ国立公園を訪れ、大瀑布に感動して1週間現地に滞在してから戻り、第二詩集『The Voice of the Valley』を刊行。同年、長澤鼎や新井奥邃が入信していた神秘主義的宗教家トマス・レイク・ハリスの教団を訪ね、新井と語りあかした。 1899年(明治32年)の夏にシカゴに入り、『イブニング・ポスト(現・ニューヨーク・ポスト)』夕刊新聞の寄稿者となる。数ケ月滞在ののち、ニューヨークに出て、アメリカ人の家に寄宿して、作家で教師のレオニー・ギルモア(Leonie Gilmour)と出会い、ボーイとして働く。また、同年サンフランシスコから離れロサンゼルスに旅立つまで、日系アメリカ人1世で挿絵画家の高橋孤泉(Takahashi Kosen)と一時的に交際していた。1901年(明治34年)に『The American Diary of a Japanese Girl(日本少女のアメリカ日記)』を匿名で書く。その続編『The American Letters of a Japanese Parlor-Maid(日本人小間使のアメリカ書翰)』の出版資金でロンドンに渡る。 1902年(明治35年)11月20日ロンドンに到着。旧友である画家牧野義雄に再会しブリキストン街の下宿に同宿した。1903年(明治36年)1月には自費により『From the Eastern Sea』をロンドンの出版社から刊行して非常な好評をよび、アーサー・シモンズ、ウィリアム・バトラー・イェイツ、William Michael Rossetti等文壇人の知遇を得る。3月、同詩集の増補拡大版を出す。5月、ボストンに帰る。翌1904年(明治37年)に日露戦争の報道を目的として、ニューヨーク・イブニング・ペーパー『グローブ』社の日本通信員として9月に帰国する。帰朝第一夜は日本橋の次兄高木藤太郎邸で過ごす。11月より三兄野口祐眞僧正の藤沢常光寺に寄寓する。12月に『帰朝の記』を春陽堂より刊行。 1905年(明治38年)4月に慶應義塾の招聘により文学部英文科の主任教授に就任。11月に東京市小石川区久堅町(現・小石川、白山)に借家をして移り住み、英文の散文詩集『The Summer Cloud』を発表。12月、上海旅行。1906年(明治39年)1月下旬上海より帰国。久堅町の家の女中だった武田まつ子と結婚。この年、国際的な詩人の会「あやめ會」を結成。6月1日野口はあやめ會編輯主任の立場で、同会の第一詩集『あやめ草』を如山堂より出版する。11月より1908年(明治41年)にかけて、ほぼ毎週ジャパンタイムズの文芸批評コラム欄を担当する。12月19日あやめ會の第二詩集『豐旗雲』を佐久良書房より出版。しかし、会員間のもめごとが原因であやめ會を解散する。1907年(明治40年)レオニー・ギルモアとのあいだにできた息子であり後に彫刻家となるイサム・ノグチが2月7日サンフランシスコ発アメリカ丸で3月3日横浜に到着。久堅町で野口、レオニー、イサムが同居する。5月東京を離れて、鎌倉円覚寺蔵六庵に入る。英訳「百人一首」を『早稲田文學』5月~8月号に掲載する。初秋、茗荷谷に移転。同年、武田まつ子が長女一二三を出産。1908年、7月茗荷谷から牛込区西五軒町に移転。再度、書斎を円覚寺蔵六庵に持つ。1909年(明治42年)レオニーとイサムは大森に転居、公に別居。1910年(明治43年)まつ子は長男春男を出産。 1913年(大正2年)東京府豊多摩郡中野町に新築転居。8月父死去。10月にオックスフォード大学の招きにより離日、マルセイユ、パリを経てロンドンに12月20日に到着。翌1914年(大正3年)1月29日、オックスフォード大学の講師として松尾芭蕉の俳諧について、英語で講演を行う。講演集『日本詩歌論』をロンドンで出版し、ジョージ・バーナード・ショー、ハーバート・ジョージ・ウェルズ、エドワード・カーペンター等多くの文人と会談。また、開催中であったウィリアム・ブレイクの展覧会を見る。4月にパリで島崎藤村と会い10日間同宿する。その後ロンドンに戻り、ベルリンからモスクワを経てシベリア鉄道で6月に帰国。1919年(大正8年)6月に岩波書店より『六大浮世繪師』を刊行した後、10月14日渡米。スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、シカゴ大学、ユタ大学などアメリカ全土を講演旅行し、さらにカナダのトロント大学なども訪れた。また、ニューヨークにてイェイツに再会する。1920年(大正9年)3月母死去。4月米国より帰国。12月二女四方子死去。 1921年(大正10年)に最初の日本語詩集『二重國籍者の詩』を刊行したのを皮切りに、詩集を次々と発表し、1925年(大正14年)には『芭蕉論』を刊行し、日本の歌や詩、浮世絵についての評論執筆が多くなる。1926年(大正15年)、詩話會の機関誌『日本詩人』5月号が「野口米次郎記念號」として刊行され50歳の誕生を祝賀される。1935年(昭和10年)からはアジア研究にも傾倒し始め、10月にインドの各州立大学での講演旅行のため、10月16日神戸を出帆する。上海では10月21日魯迅と会談。長くインドに滞在し、カルカッタ、ダージリン、タイガーヒル、ブダガヤ、アグラ、ボンベイ、アジャンタと移動。10月29日サンティニケタンのタゴール家泊。10月31日ガンジーと会見。1936年(昭和11年)1月4日詩人Sarojini Naiduと会う。ほかに、ラース・ビハーリー・ボースらと深く交わり、この頃から東アジアにおける日本の立場に対する理解を国際社会に求めた。2月7日コロンボ発、帰国。「ガンジーと語る」を『東方公論』に発表、さらに『印度は語る』を第一書房より刊行。1938年(昭和13年)『文藝春秋』11月号に「三度タゴールに與ふ」を発表。 1943年(昭和18年)5月25日、NHKより高村光太郎、佐藤惣之助、西条八十、尾崎喜八とともに「海と詩と音楽」を放送する。『藝術殿』『詩歌殿』『文藝殿』『想思殿』の一連の刊行業績により、1944年(昭和19年)帝國藝術院より、第二部(文芸)において第2回帝國藝術院賞を授与された。1945年(昭和20年)4月19日夜半の東京大空襲により東中野の自宅が全焼し、防空壕で一夜を明かし、すぐ茨城県結城郡豊岡村(現・常総市)へ疎開。1947年(昭和22年)に胃癌により豊岡で死去。茨城県豊岡で密葬されたのち、東中野の自宅焼跡でテントを張って、告別式が行われた。墓所は、神奈川県藤沢市常光寺。法名は天籟院澄誉杢文無窮居士。 先祖は源氏足利の流れを汲む武士で、家紋は丸に二引である。 父・伝兵衛 - 1913年8月21日に没する。 母・く己 - 1920年3月18日に没する。 長兄・秀之助(尾西鉄道支配人) - 東京に出て苦学力行し、西欧最新の技術を修め、測量建設の技師となり、日本鉄道会社から後には国鉄の技師となる。1942年11月1日に没する。 次兄・藤太郎(地家主) - 高木家に懇望されて籍を移す。弁護士の高木益太郎とは義兄弟となる。1945年3月4日に没する。 三兄・鶴次郎 - 幼少の頃に仏門に入り、祐真と改名する。1904年、藤沢町の常光寺住職を拝命する。1932年8月21日に没する。 妻
まつ子 息子・イサム・ノグチ(1904年 - 1988年、彫刻家) 娘 高木益太郎(弁護士、法律新聞社長、衆議院議員) 『歸朝の記』(1904) 『英米の十三年』(1905) 『邦文 日本少女の米國日記』(1905) 『日本詩歌論』(1915) 『歐州文壇印象記』(1916) 『六大浮世繪師』(1919, 1932-1933, 1934) 『日本の美術』 (1920) 『二重國籍者の詩』(1921) 『二重國籍者の詩 林檎一つ落つ』(1922) 『沈默の血汐』(1922) 『野口米次郎詩論』(1922) 『敵を愛せ』(1922) 『山上に立つ 詩集』(1923) 『最後の舞踏 詩集』(1923) 『我が手を見よ』(1923) 『霧の倫敦 印象録』(1923, 1926) 『野口米次郎英詩選集』(1924) 『ヨネ・ノグチ 代表詩』(1924) 『先驅者の言葉』(1924) 『坐る人間の評論』(1925) 『芭蕉論』(1925) 『光悦と抱一』(1925) 『松の木の日本』(1925) 『能樂の鑑賞』(1925) 『米國文学論』(1925) 『光琳と乾山』(1925) 『表象抒情詩集 第一~第四』(1925-1927) 『春信と清長』(1926) 『寫樂』(1926) 『歌麿北齋廣重論』(1926) 『蕪村俳句選評』(1926) 『芭蕉俳句選評』(1926) 『ポオ評傳』(1926) 『小泉八雲』(1926) 『萬葉論』(1926) 『神祕の日本』(1926) 『詩の本質』(1926) 『人生五十年』(1926) 『蕉門俳人論』(1926) 『眞日本主義』(1926) 『春信清長寫樂論 附・大蘇芳年』(1926) 『戀愛の詩人』(1926) 『自然禮讃』(1926) 『印度の詩人』(1926) 『米次郎随筆』(1926) 『米次郎獨語』(1926) 『米次郎講演』(1926) 『愛蘭情調』(1926) 『海外の交友』(1926) 『外人の心理』(1926) 『畫壇の人人』(1927) 『舞臺の人人』(1927) 『詩人の郷土』(1927) 『書齊の消息』(1927) 『藝術の東洋主義』(1927) 『私は現代風景を切る』(1928) 『放たれた西行』(1928) 『日本美術讀本』(1928) 『人生詩集』(1929) 『芭蕉論』(1929) 『芭蕉俳句選評』(1929) 『浮世繪解説』(1929) 『西行全集』(1929) 『夢と文學』(1930) 『趣味の支那漫談』(1930) 『喜多川歌麿』(1931, 1932) 『日本國民讀本』(1932) 『微笑の人生讀本』(1933) 『魂の記録讀本』(1933) 『近代生活讀本』(1933) 『自然禮讃讀本』(1933) 『俳人芭蕉』(1933) 『印度は語る』(1936) 『人生讀本 春夏秋冬』(1937) 『われ日本人なり エツセイ随筆集』(1938) 『強い力弱い力』(1939) 『起てよ印度』(1942) 『宣戰布告』(1942) 『藝術殿』(1942) 『詩歌殿』(1943) 『傳統について』(1943) 『聖雄ガンジー』(1943) 『文藝殿』(1943) 『想思殿』(1943) 『八紘頌一百篇』(1944) 『喜多川歌麿』(1946) 『正倉院御寶物』(1946) 『自敍傳斷章』(1947) 『上代の彫刻』(1947) Seen & Unseen, or, Monologues of a Homeless Snail (1897, 1920) The Voice of the Valley (1897) The American Diary of a Japanese Girl (1902, 1904, 1912, 2007 [1]) From the Eastern Sea (pamphlet) (1903) From the Eastern Sea (1903, 1903, 1905, 1910) The American Letters of a Japanese Parlor Maid (1905) Japan of Sword and Love (1905) The Summer Cloud (1906) Ten Kiogen in English (1907) The Pilgrimage (1909, 1912) Kamakura (1910) Lafcadio Hearn in Japan (1910, 1911) The Spirit of Japanese Poetry (1914) The Story of Yone Noguchi: Told by Himself (1914, 1915) Through the Torii (1914, 1922) The Spirit of Japanese Art (1915) Japanese Hokkus (1920) Japan and America (1921) Hiroshige (1921) Selected Poems of Yone Noguchi (1921) Korin (1922) Utamaro (1924) Selected Poems: The works of Yone Noguchi (1924) Hokusai (1925) Harunobu (1927) Sharaku (1932) The Ukiyoye Primitives (1933) Hiroshige (1934) Hiroshige and Japanese Landscapes (1934) The Ganges Calls Me (1938) Harunobu (1940) Hiroshige (1940) Emperor Shomu and the Shosoin (1941). Collected English Letters, ed. Ikuko Atsumi (1975). Selected English Writings of Yone Noguchi: An East-West Literary Assimilation, ed. Yoshinobu Hakutani, 2 v. (1990–1992). Collected English Works of Yone Noguchi: Poems, Novels and Literary Essays, ed. Shunsuke Kamei, 6 v. (2007)[2]
エドモン・ド・ゴンクールの『ゴンクウルの歌麿』(第一書房、1929年)を訳・解説している。 作家en:Zona GaleのRomance Island (1906)を舞台をアジアに移して翻案翻訳し、『幻島ロマンス』(改造社、1929年)の題で、世界大衆文学全集の1冊として刊行している。 『抒情英詩集』(寶文館、1930年)では、ブレイク、ワーズワースほかの詩人の作品を集成し、英詩と日本訳とを対照。 『ブラウニング詩集』(第一書房、1930年)は、27編の詩文を訳している。 『英米文学評傳叢書 第93 ポオ』(研究社、1934年)の著者となっている。 復刻版で 『野口米次郎選集』 (全3巻、クレス出版、1998年) 訳書『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』(伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年)がある。 『詩人野口米次郎』(シェラード・ヴァインズ著、第一書房、1925年) 『詩人ヨネ・ノグチ研究』(全3巻、外山卯三郎編著、造形美術協会出版局、1963、1965、1975年) 『詩人ヨネ・ノグチの詩』(外山卯三郎編著、造形美術協会出版局、1966年) ジョージ・メレディス William M. Rossetti トーマス・ハーディ エドウィン・マーカム ラビンドラナート・タゴール 幸田露伴 内田魯庵 ポール・クローデル 高安月郊 牧野義雄 エドワード・ゴードン・クレイグ 島崎藤村 岩野泡鳴 与謝野鉄幹 与謝野晶子 森田恒友 朝倉文夫 石川啄木 萩原朔太郎 長谷川巳之吉 - 第一書房を創業 島田謹二 中村獅童(『レオニー (映画)』) ^ 以前の設置場所であった津島市立図書館には野口米次郎の特設文庫がある。 ^ 「日本の文芸家からノーベル賞金の受領者を詮衡するとしたら、差向き第一に選に上るは野口ヨネ君であろう。」(内田魯庵)「世界的に承認される亜細亜の詩人」『日本詩人』新潮社、1926年5月号巻頭論文 ^ 鵜飼大俊(1846-1878)は、野口の母の兄。釋大俊とも称される。愛知県稲沢市(旧片原一色村)生まれ。11歳で片原一色村善応寺説応の弟子となり、18歳で江戸に出、増上寺密雲学寮に入り、僧侶、漢詩人として知られる。1870年(明治3年)の雲井龍雄の事件に関与する。33歳急死の直前、一夜に300編の四行漢詩を書く。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.188-193 ^ 野口は、徒歩で前橋在住の長兄宅を訪問したが、長兄の方も野口を探しに東上しており行き違った。野口は東京に戻る。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323 ^ カーライル聴講は、1892年(明治25年)慶應義塾別科にて。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323 ^ この書を読みながらロンドンに憧れた。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323 ^ 秋の一夜、福澤諭吉の許に暇乞いに赴くと、福澤は自身の写真の裏に七言絶句を書いて野口に与えた。野口米次郎著『米次郎随筆』第一書房、1926年 p.17 ^ 天長節の佳辰、すなわち吉日。三田商業研究會編『慶応義塾出身名流列傳』實業之世界社、1909年 p.494 ^ わずか100ドルを持って出た。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.27 ^ 同11月に祐眞僧正が同寺の晋山式を済ませたばかりであった。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.325 ^ 日英米三国の詩人を糾合した。亀井俊介作「東京大學新聞評 外山卯三郎著 ヨネ・ノグチ研究」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.302 ^ 新篇文学作品の寄稿を依頼した相手の人々は、岩野泡鳴、ロバート・ローレンス・ビニョン、ローレンス・ハウスマン、土井晩翠、トーマス・ハーディ、チャールス・ウァレン・スタダード、ルイス・モーリス卿、ルイス・イモージーン・グイネー、小山内薫、ホアキン・ミラー、蒲原有明、河井酔茗、高安月郊、ダスタン男爵夫人、上田敏、ウィリアム・バトラー・イェイツ、メアリー・マクニール・フェノロサ、前田林外、ウィリアム・ブリス・カーマン、フランク・ブトナム、児玉花外、イーディス・エム・トーマス、山本露葉、アルフレッド・オースティン、アーサー・シモンズ、サザーランド侯爵夫人、ジョセフィン・プレストン・ピーボディ、ジョン・ピー・タッブ、メーネル夫人、平木白星、薄田泣菫ら。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.79 ^ 円覚寺境内にある塔頭の一つ。別称を亀寺という。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 p.207 ^ 西洋詩の「理知」に対抗する東洋的「暗示」を説いた。亀井俊介作「東京大學新聞評 外山卯三郎著 ヨネ・ノグチ研究」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.302-303 ^ 個人の嗜好を問われ、「歩くこと」と答えたところ、英国版紳士録の履歴にそのまま記載された。野口米次郎著『米次郎随筆』第一書房、1926年 pp.4-5 ^ 帰国前に野口は鷲津尺魔、翁久允らを伴いミラー山荘を再訪し、故ミラーの妻、娘と再会を果たした。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.84-86 ^ 5月11日、中央亭において開催された会合における演説の中で、野口は、該当号読後の感謝と不満とを併せて表明した。不満は、各執筆者による野口論から、悉く退屈、義務的態度が看取された点にあった。外山卯三郎作「萩原朔太郎の見た詩人野口米次郎」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.97-98 ^ この頃、雑誌『日本詩人』の編集は、佐藤惣之助による。長沼重隆作「野口さんのこと」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.162 ^ 1933年にタゴールからの講演依頼があったものを、翁久允が野口に伝えた。翁久允作「ヨネ・ノグチの思出」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.185-187 ^ なお、「タゴールへの公開状」「四度びタゴールに與ふ」と併せて『强い力弱い力』(1939)に収録。さらに「タゴールへの公開状」「タゴールに與ふ」と併せて『想思殿』(1943)に収める。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.332 ^ タゴールとは意見に相違があり、野口は讀賣新聞紙上で、タゴールはインドの新聞紙上で対立的論戦を行っていた。翁久允作「ヨネ・ノグチの思出」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.187 ^ 豊岡村長飯田憲之助の離家を拝借。この家にて死去する。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.308 ^ 両親への献呈。また、野口寧齋による七言律詩が序として付けられている。 ^ 実業家であった日向輝武への献呈。 ^ 自著The spirit of Japanese poetry (1914)の翻訳。野口と加藤朝鳥との共訳。 ^ 内田魯庵への献呈。1919年には岩波書店。1932-1933年、1934年には誠文堂。春信、北齋、寫樂、清長、歌麿、廣重の6人。1934年には誠文堂より各人あて6冊を漆箱に納めて出版。なお、初版復刻で『六大浮世繪師』岩波書店、2001年 ^ Horace Traubelによる序文あり。 ^ 二重國籍者の詩第二集。森田恒友による装幀。 ^ 岩野泡鳴への献呈。 ^ キーツ、ブラウニング、シェリー、メレディス、ブリッジスの5詩人を対象とする。 ^ 森田恒友、高安月郊、キップリング論を含む。 ^ 副題は、感想集。恩地孝四郎による装幀。 ^ 野口による編著。 ^ 1931年には私家版、1932年には誠文堂。 ^ 初版は第一書房。復刻で『印度は語る』ゆまに書房「文化人の見た近代アジア」、2002年 ^ 百田宗治編。 ^ 川端龍子による装幀。 ^ 副題は、美術論集。 ^ 副題は、自選詩集。 ^ 初版は牧書房。復刻で『傳統について』大空社「叢書日本人論」、1997年 ^ 副題は、文藝論集。 ^ 副題は、随想集。 ^ ネリー・イ・エヌ・スミスへの献呈。チャールス・ウァレン・スタダード博士による序文、ウィリアム・キースによる挿絵あり。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.31 ^ 新渡戸稲造による序文あり。 ^ 別題:御小間使朝顔孃の書簡。 ^ Joaquin Miller(ホアキン・ミラー)と共著。幸田露伴が1904年(明治37年)9月17日、18日の讀賣新聞に載せた「野口米氏に寄す」という21連の長詩を序文として再録。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 pp.15-24 ^ 一時期、レオニー・ギルモアが、八雲の長男一雄の家庭教師をしていた。 ^ 画家牧野義雄による挿絵。 ^ 英国の詩人、作家、批評家であるEdmund Gosse(エドマンド・ゴス)への献呈。 ^ ウィリアム・バトラー・イェイツへの献呈。 ^ 別の表題表記は、哥麿。 ^ 蕗谷虹児による挿絵・装幀。 ^ なお、1926年に『ポオ評傳』を刊行している。 ^ ウォルター・シェラード・ヴァインズ(1890–1974)。イギリスの作家、教師。来日し、1923年から1928年まで5年間慶應義塾で英文学教授として教鞭を執る。Sherard Vines:wiki en version 2020.6.13閲覧 ^ The Poet Yone Noguchi (1925)の翻訳出版。 ^ 「年譜 野口米次郎」ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.267-271 ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323 ^ 「野口米次郎年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.96 ^ ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 p.18 ^ 三田商業研究會編『慶応義塾出身名流列傳』實業之世界社、1909年 p.494 ^ Wyatt, David. Five Fires: Race, Catastrophe, and the Shaping of California. Oxford University Press, 1999: 188 ^ 『神智学とアジア 西からきた〈東洋〉』 吉永進一、 岡本佳子、 莊千慧、青弓社、2022「ミラーと野口米次郎の協同生活」 ^ 『倫敦の霧描き: 牧野義雄物語 ; 牧野義雄と野口米次郎に見る失われた日本の芸術精神』羽澄不一、鹿友館, 1992、p27 ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.324 ^ 「野口米次郎年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.97 ^ スエヨシ 2019, p. 207. ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.32 ^ Yone Noguchi:wiki en version 2020.6.10閲覧 ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.326 ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.150 ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.330 ^ 「佐藤惣之助年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.349 ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.331 ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 巻頭写真(3) ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.333 ^ 『ヨネ・ノグチ研究 論文集』316 - 322頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月10日閲覧。 ^ 『人事興信録 第6版』の18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月11日閲覧。 ^ 『大衆人事録 第5版』タ75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月13日閲覧。 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社ほか、1932年。 外山卯三郎編『ヨネ・ノグチ研究 論文集』造形美術協会出版局、1963年。 『野口米次郎 日本詩人全集第12巻』 新潮社 1969年。 堀まどか『「二重国籍」詩人 野口米次郎』名古屋大学出版会 2012年。 エイミー・スエヨシ(英語版) 著「第七章 怒りの日を噴く」、菊地夏野、堀江有里、飯野由里子 編『クィア・スタディーズをひらく 1 アイデンティティ, コミュニティ, スペース』 1巻、晃洋書房、2019年10月20日。ISBN 978-4-7710-3200-2。 愛知県立旭丘高等学校の人物一覧 野口 米次郎:作家別作品リスト - 青空文庫 野口米次郎 :: 東文研アーカイブデータベース - 東京文化財研究所 Yone Noguchi, Japan, and English Language Verse 野口米次郎(のぐちよねじろう) ―津島が生んだ国際的詩人― ヨネとイサム・ノグチ 二重国籍者の親子 - 慶應義塾機関誌|三田評論 ヨネ・ノグチ(野口米次郎)英文著作集:詩集・小説・評論 日本近現代詩の展開とタゴール受容 日印友好記念年シンポジウム、拓殖大学 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777715。 pp.493-494(近代デジタルライブラリー) 表 話 編 歴 1943: 島田墨仙 1948: 伊東深水 1951: 徳岡神泉 1953: 児玉希望 1954: 金島桂華 1955: 橋本明治 1956: 東山魁夷・山口華楊 1957: 杉山寧 1958: 森白甫・菅楯彦・望月春江 1959: 加藤栄三・森田沙伊 1960: 高山辰雄・池田遙邨・郷倉千靱 1961: 川崎小虎・岩田正巳・矢野橋村・西山英雄 1962: 榊原紫峰・小倉遊亀・三輪晁勢 1963: 奥田元宋・山田申吾 1964: 山本丘人 1965: 浜田観・麻田弁自 1966: 中村貞以・山本倉丘 1967: 上村松篁・佐藤太清 1968: 伊東万燿 1969: 三谷十糸子 1970: 寺島紫明 1971: 吉岡堅二 1972: 岩橋英遠 1973: 大山忠作 1974: 猪原大華 1975: 片岡球子 1976: 川本末雄 1977: 加藤東一 1978: 浦田正夫 1979: 松尾敏男 1980: 浜田台児 1981: 加倉井和夫 1982: 吉田善彦 1984: 福王寺法林 1985: 村山径 1986: 関主税 1987: 堂本元次 1988: 鈴木竹柏 1989: 佐藤圀夫 1990: 郷倉和子 1991: 稗田一穂 1992: 山岸純 1993: 岩沢重夫 1994: 白鳥映雪 1995: 上村淳之 1997: 中路融人 2000: 那波多目功一 2001: 福王寺一彦 2003: 岩倉寿 2004: 宇佐美江中 2005: 川崎春彦 2006: 福田千惠 2007: 土屋礼一 2008: 清水達三 2011: 山﨑隆夫 2013: 能島和明 2016: 後藤純男 2017: 西田俊英 2018: 田渕俊夫 2020: 村居正之 1942: 小磯良平 1943: 宮本三郎 1950: 鍋井克之 1951: 三宅克己・寺内万治郎 1952: 白滝幾之助・中山巍 1953: 石川寅治 1954: 小糸源太郎 1956: 鬼頭鍋三郎 1957: 鈴木千久馬・東郷青児 1958: 中野和高 1959: 木村荘八・小山敬三・林武 1960: 大久保作次郎・鈴木信太郎 1961: 新道繁・田崎広助 1962: 耳野卯三郎 1963: 田村一男・中村琢二 1964: 中川紀元・岡鹿之助 1965: 吉井淳二 1966: 池部鈞・井手宣通 1967: 島村三七雄 1968: 佐竹徳・服部正一郎 1969: 黒田重太郎・中村善策 1970: 小堀進・森田茂 1971: 高光一也 1972: 高田誠 1973: 野村守夫 1976: 岡田又三郎 1977: 伊藤清永 1979: 宮永岳彦 1980: 西山真一 1981: 楢原健三 1982: 菅野矢一 1984: 寺田竹雄 1985: 渡辺武夫 1986: 広瀬功 1988: 大内田茂士 1990: 鶴岡義雄 1991: 国領経郎 1992: 平松譲 1993: 藤本東一良 1994: 芝田米三 1995: 織田広喜 1996: 奥谷博 1997: 寺島竜一 1998: 中山忠彦 1999: 島田章三 2000: 庄司栄吉 2001: 絹谷幸二 2002: 清原啓一 2003: 塗師祥一郎 2004: 山本貞 2005: 寺坂公雄 2006: 村田省蔵 2007: 大津英敏 2008: 藤森兼明 2009: 藪野健 2010: 山本文彦 2012: 池口史子 2013: 佐藤哲 2015: 馬越陽子 2017: 根岸右司 2018: 湯山俊久 1943: 古賀忠雄 1950: 吉田三郎 1952: 加藤顕清 1953: 沢田正広 1954: 清水多嘉示 1955: 橋本朝秀 1957: 雨宮治郎 1958: 松田尚之 1961: 堀進二 1963: 中川清・大内青圃 1966: 円鍔勝三・藤野舜正 1968: 北村治禧 1970: 昼間弘 1971: 水船六洲 1972: 富永直樹 1973: 進藤武松 1974: 木下繁 1975: 分部順治 1977: 淀井敏夫 1979: 三坂耿一郎 1980: 佐藤助雄 1981: 野々村一男 1982: 伊藤五百亀 1985: 小森邦夫 1986: 高橋剛 1987: 中村博直 1988: 中村晋也 1990: 雨宮敬子 1991: 長江録弥 1992: 柴田鋼造 1994: 吉田鎮雄 1996: 橋本堅太郎 1997: 雨宮淳 1998: 川崎普照 1999: 山田良定 2002: 蛭田二郎 2003: 澄川喜一 2004: 山本真輔 2005: 能島征二 2006: 市村緑郎 2007: 瀬戸剛 2008: 神戸峰男 2009: 宮瀬富之 2012: 吉野毅 2016: 山田朝彦 2019: 池川直 1943: 吉田源十郎 1950: 小場恒吉 1951: 岩田藤七 1952: 山鹿清華 1953: 香取正彦 1954: 沼田一雅 山崎覚太郎・楠部弥一 1955: 杉浦非水・内藤春治 1956: 初代竜村平蔵・六代目清水六兵衛・三井義夫 1957: 宮之原謙 1958: 山室百世 1959: 三代目井上良斎・大須賀喬 1960: 各務鑛三・岸本景春 1961: 佐治賢使・皆川月華 1962: 蓮田修吾郎・山脇洋二 1963: 河村蜻山・番浦省吾・森野嘉光 1964: 辻光典 1965: 高橋節郎 1966: 帖佐美行 1967: 浅見隆三 1968: 北出塔次郎・安原喜明 1969: 般若侑弘 1970: 海野建夫 1971: 吉賀大眉 1973: 佐野猛夫 1980: 新開寛山 1981: 浅蔵五十吉 1982: 岩田久利 1983: 大久保婦久子 1984: 十三代目中里太郎右衛門 1985: 大樋年朗 1986: 折原久佐ヱ門 1988: 三谷吾一 1989: 藤田喬平 1990: 奥田小由女 1991: 青木竜山 1992: 永井鉄太郎 1993: 中井貞次 1994: 井波唯志 1996: 大塩正義 1997: 河合誓徳 1998: 今井政之 1999: 西本瑛泉 2000: 吉賀将夫 2001: 川尻一寛 2003: 大角勲 2004: 伊藤裕司 2006: 原益夫 2007: 森野泰明 2010: 武腰敏昭 2012: 宮田亮平 2013: 寺池静人 2016: 春山文典 2018: 三田村有純 2019: 並木恒延 1951: 川村驥山 1953: 辻本史邑 1955: 西川寧 1957: 鈴木翠軒 1960: 田中親美・松本芳翠 1961: 安東聖空・二代中村蘭台 1962: 炭山南木 1963: 山崎節堂 1964: 松井如流 1965: 日比野五鳳 1966: 青山杉雨 1967: 金子鷗亭 1968: 村上三島 1969: 田中塊堂 1970: 桑田笹舟 1971: 大石隆子・金田心象 1972: 広津雲仙 1973: 宮本竹径 1976: 木村知石 1977: 殿村藍田 1978: 上条信山 1981: 小坂奇石 1983: 杉岡華邨 1984: 小林斗盦 1985: 古谷蒼韻 1986: 浅見筧洞 1987: 今井凌雪 1989: 浅香鉄心 1990: 伊藤鳳雲 1991: 近藤摂南 1992: 成瀬映山 1993: 尾崎邑鵬 1994: 栗原蘆水 1995: 高木聖鶴 1996: 榎倉香邨 1997: 甫田鵄川 1998: 松下芝堂 1999: 日比野光鳳 2000: 梅原清山 2001: 津金孝邦 2002: 桑田三舟 2003: 井茂圭洞 2004: 新井光風 2005: 黒野清宇 2006: 劉蒼居 2007: 池田桂鳳 2008: 杭迫柏樹 2009: 小山やす子 2010: 樽本樹邨 2011: 黒田賢一 2012: 星弘道 2017: 高木聖雨 2018: 土橋靖子 2019: 真神巍堂 1950: 岸田日出刀 1952: 吉田五十八 1953: 村野藤吾 1957: 堀口捨己 1959: 中村順平 1961: 谷口吉郎 1962: 竹腰健造 1965: 前田健二郎 1966: 今井兼次 1967: 佐藤武夫 1968: 藤島亥治郎 1971: 海老原一郎 1974: 前川国男 1975: 吉村順三 1980: 白井晟一 1981: 大江宏 1982: 高橋靗一 1984: 芦原義信 1985: 西沢文隆 1987: 谷口吉生 1988: 池原義郎 1989: 内井昭蔵 1990: 阪田誠造 1991: 中村昌生 1992: 黒川紀章 1993: 安藤忠雄 1995: 柳沢孝彦 1996: 岡田新一 1999: 伊東豊雄 2000: 長谷川逸子 2001: 山本理顕 2003: 栗生明 2004: 宮本忠長 2006: 香山寿夫 2008: 鈴木了二 2010: 北川原温 2011: 古谷誠章 2013: 槇文彦 2015: 陶器二三雄 2020: 藤森照信 1950: 大仏次郎 1951: 小川未明 1952: 川端康成 1955: 坪田譲治 1956: 井伏鱒二 1957: 幸田文 1959: 井上靖 1960: 火野葦平 1961: 石川淳 1963: 獅子文六 1966: 中山義秀・永井竜男 1967: 伊藤整 1968: 網野菊 1969: 芹沢光治良 1972: 平林たい子・宇野千代 1973: 庄野潤三 1975: 中里恒子 1976: 司馬遼太郎・安岡章太郎 1977: 戸板康二・海音寺潮五郎 1979: 阿川弘之・遠藤周作・吉行淳之介 1980: 田中千禾夫 1981: 島尾敏雄 1982: 芝木好子・野口冨士男・小島信夫 1984: 河野多恵子 1986: 水上勉 1987: 三浦朱門・吉村昭 1988: 八木義徳 1989: 阪田寛夫 1993: 曽野綾子・石井桃子 1994: 竹西寛子 1995: 陳舜臣 1998: 大原富枝・堀田善衛 1999: 加賀乙彦 2000: 小川国夫・黒井千次・日野啓三 2001: 伊藤桂一 2003: 津村節子 2004: 中野孝次・富岡多恵子 2006: 辻井喬 2007: 三木卓 2009: 井上ひさし 2011: 山崎正和 2016: 辻原登 2017: 髙樹のぶ子 2019: 松浦寿輝 1942: 高村光太郎・川田順 1948: 折口信夫 1949: 半田良平 1951: 尾山篤二郎 1953: 三好達治・土屋文明・服部担風 1958: 川路柳虹 1964: 水原秋桜子 1971: 富安風生 1977: 宮柊二 1980: 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2013: 浅見真州 2014: 香川靖嗣 2015: 柿原崇志 2016: 高橋章 2017: 大槻文蔵 2019: 亀井忠雄 1951: 三代目中村時蔵 1952: 二代目市川猿之助 1953: 三代目市川寿海 1954: 三代目阪東寿三郎 1956: 三代目市川左団次 1962: 六代目中村歌右衛門 1966: 七代目尾上梅幸・八代目坂東三津五郎 1969: 十七代目中村勘三郎 1970: 二代目中村鴈治郎 1972: 十三代目片岡仁左衛門 1974: 八代目松本幸四郎 1975: 七代目中村芝翫 1981: 四代目中村雀右衛門 1982: 三代目實川延若 1984: 十七代目市村羽左衛門 1985: 二代目中村吉右衛門 1986: 二代目中村扇雀 1987: 五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎 1988: 片岡孝夫 1989: 十二代目市川団十郎 1990: 八代目中村福助 1991: 九代目坂東三津五郎 1993: 五代目中村松江 1996: 二代目中村又五郎 1999: 五代目中村勘九郎 2001: 六代目沢村田之助 2005: 九代目中村福助 2006: 十代目坂東三津五郎 2007: 五代目中村翫雀 2008: 五代目中村時蔵・五代目中村芝雀 2011: 三代目中村橋之助 2016: 五代目中村歌六・五代目坂東玉三郎 2017: 四代目市川左團次 2018: 三代目中村扇雀 2020: 十代目松本幸四郎 2021: 片岡孝太郎 1944: 二代目豊竹古靱太夫 1950: 四代目鶴沢清六 1963: 八代目竹本綱大夫 1968: 二代目野沢喜左衛門 1972: 六代目鶴沢寛治 1976: 十代目竹沢弥七 1997: 三代目吉田簑助 1998: 七代目竹本住大夫 2003: 九代目竹本綱大夫 2009: 豊竹咲大夫 2010: 三代目桐竹勘十郎 2011: 五代目野沢錦糸 2012: 二代目鶴沢藤蔵 2013: 六代目鶴沢燕三 2014: 吉田玉女 2018: 鶴澤清介 1948: 芝祐泰 1953: 三代目常磐津文字兵衛・初代中尾都山 1955: 山田抄太郎 1956: 三代目杵屋栄蔵 1957: 七代目芳村伊十郎 1959: 中能島欣一 1961: 十四代目杵屋六左衛門 1962: 安倍季巌 1968: 清元志寿太夫 1971: 五代目荻江露友 1972: 杵屋六一朗 1974: 中能島慶子 1980: 二代目上原真佐喜 1983: 三代目今藤長十郎 1987: 初代富山清琴 1990: 多忠麿 1991: 二代目青木鈴慕・清元栄三郎 1992: 三代目杵屋五三郎 1993: 四代目常磐津文字兵衛 1994: 山彦節子 1995: 山口五郎 1999: 十五代目杵屋喜三郎 2000: 東儀俊美 2002: 六代目山勢松韻 2002: 初代米川敏子 2003: 芝祐靖・東音宮田哲男 2004: 鶴沢清治・川瀬白秋・二代目富山清琴 2007: 唯是震一 2009: 七代目杵屋巳太郎・豊英秋 2010: 二代目今藤政太郎・五代目常磐津文字兵衛 2011: 二代目野坂操寿 2012: 山本邦山・笠置侃一 2013: 二代目米川文子 2014: 小野功竜 2015: 十二代目都一中・二代目米川敏子 2017: 鳥羽屋里長 2020: 杵屋勝国 1943: 井口基成 1948: 藤原義江 1961: 豊増昇 1965: 柳兼子 1966: 団伊玖磨 1967: 渡辺暁雄 1971: 園田高弘 1972: 小沢征爾 1975: 安川加寿子 1976: 朝比奈隆 1979: 江藤俊哉 1980: 武満徹 1986: 山田一雄 1989: 伊藤京子 1990: 三善晃 1991: 東敦子 1992: 若杉弘 1993: 堤剛 1994: 吉田雅夫 1996: 木村俊光 1999: 湯浅譲二 2002: 岩城宏之 2004: 前橋汀子 2005: 内田光子 2006: 畑中良輔 2007: 栗林義信 2009: 中村紘子 2010: 大野和士 2011: 栗山昌良 2013: 飯守泰次郎 2014: 野島稔 2017: 一柳慧 2019: 野平一郎 1952: 四代目井上八千代 1957: 二代目花柳寿輔 1963: 六代目藤間勘十郎 1965: 四代目藤間勘右衛門 1966: 八代目坂東三津五郎 1967: 吾妻徳穂 1979: 藤間藤子 1985: 森下洋子 1988: 二代目花柳寿楽 1989: 藤間友章 1990: 三代目花柳寿輔 1991: 十代目西川扇蔵 1992: 花柳寿南海 1997: 七代目藤間勘十郎 1999: 五代目井上八千代 2000: 藤間蘭景 2001: 五代目花柳芳次郎 2002: 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SNAC IdRef 19世紀日本の俳人 20世紀日本の俳人 19世紀日本の詩人 20世紀日本の詩人 19世紀日本の小説家 20世紀日本の小説家 戦前日本の学者 19世紀日本の言語学者 20世紀日本の言語学者 日本の英語学者 日本のアジア探検家 日露戦争のジャーナリスト アメリカ合衆国の男性ジャーナリスト 日本文学研究者 日本の文学研究者 日本出身の英語著作家 英語俳句の俳人 日本藝術院賞受賞者 慶應義塾大学の教員 オックスフォード大学の教員 慶應義塾大学出身の人物 愛知県立旭丘高等学校出身の人物 愛知県出身の人物 在アメリカ合衆国日本人 胃癌で亡くなった人物 日本のLGBTの著作家 1875年生 1947年没 Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ 曖昧さ回避の必要なリンクのあるページ Columns-list/列幅が指定されていない記事 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLG識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 VcBA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 17:32更新
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