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野茂 英雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
野茂英雄と関係のある人
佐々木主浩: 同年には同い年の野茂英雄がMLBで活躍していたが、当時の佐々木本人は「米国に興味はない」と口にしていた。 佐々木恭介: ただし、就任地点で野茂英雄、吉井理人、ラルフ・ブライアントなど主力選手が退団や移籍で多数抜けた上に、前監督の鈴木啓示と野茂や吉井などの選手との間に深い溝ができていた。 小林健太: ヒデオは、元メジャーリーガーの野茂英雄に由来している。 レパード玉熊: 鈴木亜久里、野茂英雄、斎藤雅樹、ジャンボ尾崎、高村博美、旭富士とともに報知プロスポーツ大賞も受賞した。 ブレット=セイバーヘイゲン: 1995年6月2日のロサンゼルス・ドジャース戦で野茂英雄と投げ合い、7回2失点(自責点1)の好投を見せるが敗戦投手となり、野茂がメジャー初勝利を挙げた。 広永益隆: 同年限りで平和台球場から福岡ドームへの移転が決まっていたため、10月1日の近鉄戦で野茂英雄から放ったソロ本塁打が平和台球場のプロ野球公式戦最後の本塁打になった。 水木一郎: 野茂英雄、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズの応援歌は楽曲を作った山本正之直々にお願いされ2002年以降歌っている。 グレート草津: ラグビーマガジンのインタビューでは「野茂英雄やイチロー・中田英寿らが海外に挑戦したいと言う気持ちが分かる」と語っている。 吉井理人: 野茂英雄に競馬を教えた見返りにフォークボールを教わった。 トミー=ラソーダ: 1995年に日本の球団(近鉄)との契約がこじれてメジャーリーグに挑戦した野茂英雄を獲得。野茂英雄は私の歳の離れた息子」とも豪語している。 ダルビッシュ有: NPB/MLB通算では、野茂英雄(3122)、石井一久(2550)に次ぐ3人目となった。日本人投手では1998、2001年の野茂英雄と同年の前田健太が記録した7者連続を上回る新記録。また、同月12日のパドレス戦で14奪三振を記録しており、日本人投手の2試合連続13個以上は1995年野茂英雄が13個ずつを記録して以来24年ぶり2度目。 水尾嘉孝: また推定契約金額は1億円だったが、この額は当時、前年に近鉄バファローズに入団した野茂英雄の1億2,000万円に次ぐ金額で、大洋球団としては契約金・年俸とも当時最高額であった。 城之内邦雄: 一旦打者に背を向け横に首を振りながらのサイドスローという豪快な投球フォーム(野茂英雄の「トルネード投法」の先祖ともいうべきスタイル)から投げ込む重い速球と曲がって落ちるシュートを武器とした。 東克樹: 野茂英雄が総監督を務める「JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)」の一員としてアメリカ遠征を経験した。 木下雄介: フォークは野茂英雄、スプリットは田中将大から握りを伝授されている。 トム仲宗根: 9月15日 企画盤シングル「野茂英雄のテーマHIDE~O」発売。カリプソ「バナナ・ボート」の替歌が野茂英雄選手の応援歌として米国で歌われていたため、この曲のオフィシャル録音を依頼されたもの。 大森剛: 大森は2位指名でも獲得できたという意見もある中で1位指名をした結果、元木は野茂英雄の抽選を外した福岡ダイエーホークスからの1位指名を拒否し、アメリカ・ハワイ州へ野球留学することとなった。 木田優夫: 10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では野茂英雄と継投したが、17日のインディアンス戦で3点本塁打を喫し、19日にトレドに降格。 サンディー=コーファックス: 毎年ドジャースのスプリングトレーニングを訪れ、過去に日本人選手で在籍した野茂英雄や石井一久を指導したこともある。 佐藤道郎: 中日退団後は近鉄で一軍投手コーチ(1993年、1996年)・二軍投手コーチ(1994年 - 1995年)を務め、ある試合で野茂英雄が先発を回避したことがあり、佐藤は当時リリーフ専門であった吉井理人を先発として推薦。 今中慎二: また、MLBのスカウトからは同年に渡米した野茂英雄より高い評価を受けており、シンシナティ・レッズ監督のデーブ・ジョンソンからシーズン中にトレードによる獲得の打診があったという。 伊良部秀輝: このデビュー戦では、6回2/3を5安打2失点9奪三振の投球でメジャー初勝利で、前々年5月の野茂英雄もなしえなかった日本人初の初登板初先発初勝利を達成した。 中田昌宏: 初年度のドラフトでは野茂英雄を指名するも抽選で外し、佐藤和弘(パンチ佐藤)を獲得。 梅田香子: 野茂英雄をマイケル・ジョーダンと引き合わせるなど、アスリートたちと親交が深い。 岩隈久志: 日本人選手としては、2001年の野茂英雄(ボストン・レッドソックス)以来2人目の達成となった。 ジェイソン=バリテック: 野茂英雄(2001年4月4日、ボルチモア・オリオールズ戦)、デレク・ロウ(2002年4月27日、タンパベイ・デビルレイズ戦)、クレイ・バックホルツ(2007年9月1日、オリオールズ戦)、ジョン・レスター(2008年5月19日、カンザスシティ・ロイヤルズ戦)と、メジャー最多記録となる4度のノーヒットノーランの捕手を務めている。 髙井俊: 入団後、普通のフォームでは力が入らず不安定だったためにインターネットなどで新しいフォームを探した末、野茂英雄を参考にしたトルネード投法にフォームを変え、速球は152km/hを計測した。 野田浩司: 同時期に野茂英雄と伊良部秀輝が居たため、最多奪三振のタイトルは獲得出来なかった。 和田豊: 特に甲子園での試合では野茂英雄から三塁打を打ち5打点を挙げる活躍をみせた。 佐々木主浩: 2014年1月17日、野球殿堂博物館より平成26年度野球殿堂競技者表彰者として秋山幸二(元福岡ソフトバンクホークス監督)、野茂英雄(元近鉄バファローズ、ロサンゼルス・ドジャースなど)と共に選出された。 |
野茂英雄の情報まとめ
野茂 英雄(のも ひでお)さんの誕生日は1968年8月31日です。大阪出身の野球選手のようです。
卒業、引退、映画、現在、テレビ、事件、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。野茂英雄の現在の年齢は56歳のようです。
野茂英雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市港区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 投手としてロサンゼルス・ドジャースでは2度の地区優勝に貢献。個人ではNPBとMLBで合計17個のタイトル(12個)・主要表彰(5個)を獲得している。 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、NPBからMLBへの扉を開けた事実上の先駆者である。 NPB時代はパ・リーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 1995年にはメジャー契約を果たし、村上雅則以来2人目の日本人メジャーリーガーになった。MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている。2003年には日本人初となるMLB通算100勝。2005年には、史上初となるNPB/MLB通算での200勝を達成する。MLBでの通算勝利数123勝は以後も破られていない日本人記録(アジア人記録は124勝の朴贊浩)である。打者としても打点や本塁打や犠打などMLBの日本人初となる打撃記録を多く作っている。 日本代表ではソウルオリンピックで銀メダルを獲得している。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕。また、シンレンサイのメンバー、水戸キャップは遠戚にあたる。 大阪市立池島小学校・市立港中学校を卒業、小学生のころに「池島ファイヤーズ」で野球を始めた。小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となる投球フォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に夏の大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテ・オリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。当時の近鉄監督は仰木彬だった。 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPも獲得。パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの沢村賞受賞者第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時は中嶋聡(オリックス・ブルーウェーブ)のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 仰木に代わって鈴木啓示が監督に就任した1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。この年の終盤は、オリックスの野田浩司と激しい最多勝争いを繰り広げる。両者14勝で迎えた10月1日、野茂は対千葉ロッテマリーンズ戦で、マックス・ベナブルの打球を頭に受け降板。直後は「病院なんか行かんでいいです」とそのまま歩いてベンチに退いた野茂であったが、その後頭蓋骨を骨折していたことが判明し、最多勝は絶望視される。しかし、9日後の10月9日対ロッテ戦で復帰し、先発で7回2/3を144球、1安打9四死球3失点で15勝目を挙げる。続いて中4日で先発した同14日の対ロッテ戦では、同点で延長戦に突入するも味方が10回表に勝ち越し、その裏は赤堀が抑えて16勝目を挙げる(9回182球8安打7四死球4失点)。しかし、同日には野田も17勝目を挙げて全日程を終了した。そのため、野茂は中2日でチーム最終戦となる同月17日の対西武ライオンズ戦に先発。9回裏二死までリードを保ち、最多勝確定まであとアウト1つまで迫るも同点に追いつかれる。しかし、11回表に味方が勝ち越し、その裏は赤堀が抑えたことで、野田に並んで最多勝を決めた(10回177球6安打8四死球4失点)。もっとも、相手の西武森祇晶監督からは、「野茂のために試合をやったようなもの。価値のない最多勝や」と皮肉を言われた。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦(西武ライオンズ球場)で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原和博に安打を打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したが、この試合前監督の鈴木は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しており、その言葉を聞いていた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれて敗戦した(野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった)。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにもかかわらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維持の年俸を提示された。 球団からは以前より「君のことはエースとして扱っていない」と告げられていた。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている。 もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督・仰木彬はこれを快諾し調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、フォームや調整法など様々なことに関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれでいいという考え方で、開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体、何周走ればいいんですか?」と問うと、鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。 監督就任直後、鈴木は道上洋三のラジオ番組への出演時に野茂について、「三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ」「今のフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木と対立するようになり、近鉄退団を決意する2つ目の理由になった。当時野茂とチームメイトだった金村義明は著書『勝てる監督 負けるボス』で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです」という発言を紹介している。 1995年2月13日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。契約金200万ドル(約1億7000万円)、年俸は10万ドル。近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。背番号16は、親交のあったとんねるずの石橋貴明が、映画『メジャーリーグ2』で日本人選手役として着けていた背番号であることから選んだ。また日本球界関係者が大リーグ挑戦に冷ややかな接し方をする一方、渡米前に、とんねるずの冠番組で壮行会を兼ねた企画にゲスト出演。人間大砲(人間ロケット)で野茂が空中に舞うなど番組を盛り上げた。野茂が渡米した当時のMLBは前年(1994年)からの長期ストライキの影響を受けた為に、1995年シーズンの開幕が1か月近く遅れ、レギュラーシーズンの公式試合数が通常162試合制から144試合制に変更されたシーズンであった。5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発投手を務めメジャーリーグデビューを果たし、村上雅則以来32シーズンぶり2人目の日本人メジャーリーガーとなった。7日に日本人打者初の犠打を記録。6月2日のニューヨーク・メッツ戦でメジャー初勝利を挙げ、14日のピッツバーグ・パイレーツ戦で球団新人最多記録の16奪三振を記録し、24日のジャイアンツ戦では日本人メジャーリーガー史上初の完封勝利を記録。29日のコロラド・ロッキーズ戦まででサンディ・コーファックスを抜いての球団新記録となる4試合での50奪三振を達成。同月は初のピッチャー・オブ・ザ・マンスを獲得し、50.1イニングを投げ、2完封を含む6勝0敗・防御率0.89・WHIP0.82の好成績を残す。7月5日に日本人打者初の得点を記録する。前半戦を13試合の登板で6勝1敗・防御率1.99・WHIP1.07の好成績で折り返し、オールスターゲームに初選出されて先発投手を務め、2イニングを1安打無失点に抑えた。8月5日に日本人打者初の打点を記録した。8月10日には自身が先発した試合が没収試合になりメジャーリーグで没収試合を経験した初の日本人ともなった。9月12日に日本人打者初の犠飛を記録した。後半戦も15試合の登板で7勝5敗・防御率3.03・WHIP1.03の成績を残し、シーズン通算で13勝6敗、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54、236奪三振、リーグ最多の3完封を記録して初の最多奪三振のタイトルを獲得し、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献。日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気を誇った。また、ゲーム実況のアナウンサーは野茂が数多くの三振を打者から奪うので、彼が三振を取るたびに日本語で「SANSHIN」と発言していた。シンシナティ・レッズとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発したが、6回途中5失点で降板して敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。新人王の投票ではチッパー・ジョーンズを抑えて受賞をし、サイ・ヤング賞の投票でも4位に入った。 1996年のスプリングトレーニング中に3年430万ドルで契約を延長。4月13日のフロリダ・マーリンズ戦ではコーファックスに次ぐ球団史上2位となる17奪三振を記録し、完投勝利を挙げた。30日に初の四球で出塁を記録した。6月9日に初の二塁打を打った。7月5日のロッキーズ戦では8回5安打1失点の投球でNPB/MLB通算100勝を達成。9月1日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャー史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振を達成。17日のロッキーズ戦では雨で試合開始が2時間遅れたが、途中3回からトルネードを封印しセットポジションに終始した投球で初のノーヒットノーランを達成した。高地で空気が薄いためスタミナの消耗が早く、球場が広くない上にボールも飛びやすい「打者天国」として知られるクアーズ・フィールド(野茂自身も、同球場では過去わずか2回の登板経験ながら、防御率11.17と相性が悪かった)でのノーヒットノーラン達成者は、2024年6月現在でも野茂のみであり「完全試合に匹敵する」と報道したメディアもあった。また、現在クアーズ・フィールドではボールを湿らせることで打球を飛びづらくしているが、これは野茂の記録達成時に雨でボールが湿っていたことにヒントを得たとされている。この月には自身二度目となるピッチャー・オブ・ザ・マンスも獲得した。後半戦は15試合の登板で7勝4敗・防御率2.84・WHIP1.10と好調を維持し、最終的にチーム最多の16勝を記録した。チームはサンディエゴ・パドレスと地区優勝を争い、1ゲーム差で敗れたがワイルドカードを獲得。アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発したが、4回途中5失点と力を発揮できずに敗戦投手となり、チームも前年に続き3連敗で敗退した。 1997年4月25日のマーリンズ戦では、ドワイト・グッデンの記録を更新して当時のメジャー最速記録となる444回2/3での500奪三振を達成。8月28日のオークランド・アスレチックス戦でもグッデンに続きメジャー史上2人目となる新人年から3年連続の200奪三振を達成した。前半戦は18試合の登板で8勝7敗・防御率3.81・WHIP1.27の成績で折り返すが、7月26日のフィリーズ戦で打球を右肘に受けて退場、打撲と診断される。故障者リスト入りすることなく復帰したが、後半戦は15試合の登板で6勝5敗・防御率4.81・WHIP1.50と不調に陥る。9月14日のアストロドームでのヒューストン・アストロズ戦以降はトルネード投法を封印し、前年のノーヒットノーラン達成試合以来となる終始セットポジションからの投球に切り替えたが相手3番ジェフ・バグウェルに初回裏先制2点本塁打を打たれ7回を奪三振11も勝敗付かず降板。最終的にリーグ4位の奪三振数を記録するも、チームはポストシーズン進出を逃す。オフには6月から張りがあったという右肘の遊離軟骨除去手術を受けた。 1998年は手術後の不安を払拭すべく例年よりも1か月早くロサンゼルス入りし、トレーニングを開始。スプリングトレーニングでは球速が91mph(約146km/h)まで回復するなど球威はあったがフォームを崩し制球が悪く、計21回を投げ自責点19と開幕に不安を残した。4月3日のレッズ戦ではメジャー自己最多となる7連続奪三振を記録したが、18日のシカゴ・カブス戦では2/3回を8失点で降板。メジャー通算100先発となった28日のミルウォーキー・ブルワーズ戦の7回には日本人メジャーリーガー初本塁打を記録し通算45勝目を記録するも、5月に入っても投球が改善せず5月9日のマーリンズ戦では右手中指のフェイクネイルの圧迫による痛みを訴え、途中降板。3連敗を記録し5月末まで12試合の登板で2勝7敗・防御率5.05・WHIP1.40と不調だった。5月頭に女房役のピアッツァがトレードで放出され、野茂自身にもトレード話が浮上。5月28日はマリナーズランディー・ジョンソンとの交換トレードが報道されたが、翌日に破談の報道がされた。 1998年6月1日に会見を開き「環境を変えたい」とドジャース退団の意思を示し、4日にトレードでメッツへ移籍。背番号はドジャース時代と同じ16番だが、メッツでの16番はドワイト・グッデンが長らく付けていて、1994年にグッデンが退団して以来4年間空き番号となっていた。移籍先では再びピアッツァとバッテリーを組み、またこの年日本からメジャー挑戦している吉井理人とも同僚になった。7月に3連勝を記録したものの、1試合のリリーフ登板を含む17試合に登板し4勝5敗・防御率4.82・WHIP1.44の成績で、シーズン通算では6勝12敗・防御率4.92と不調だった。 1999年1月18日に1年292万5000ドルでメッツと再契約したが、3月24日に40人枠から外れ、3月30日に放出された。 1999年4月1日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、AAA級アイオワ・カブスに配属されたが、3試合に先発しただけで自由契約となった。 1999年4月29日にミルウォーキー・ブルワーズと1年25万ドルで契約。AA級ハンツビル・スターズに配属された。調整登板で1試合を7イニング無失点に抑えると、5月9日にメジャー昇格。6月5日に初の三塁打を打った。前半戦を13試合の登板で7勝2敗・防御率3.95・WHIP1.37の成績で折り返す。8月2日のメッツ戦ではドジャースとメッツでバッテリーを組んだマイク・ピアッツァと対戦。第3打席で本塁打を打たれるなど、5回9安打6失点で敗戦投手となり、試合後には「ずっとピアッツァを相手に投げたいと思っていた。彼にはもう少し良い球を投げたかった」と語った。9月8日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではロジャー・クレメンス、グッデンに次ぎメジャー史上3番目のスピード記録となる147試合目でのメジャー通算1000奪三振を達成。後半戦は15試合の登板で5勝6敗・防御率5.06・WHIP1.46と調子を落としたものの、最終的にチーム最多の12勝を挙げた。 2000年1月22日にデトロイト・タイガースと年俸125万ドル+出来高225万ドルの1年契約(2年目は年俸550万ドルの球団オプション)を結ぶ。この年からツーシームとスライダーを習得した他、セットポジションでのフォームを改良し、クイックのタイムを1.5秒台から1.3秒台に縮めた。4月3日のオークランド・アスレチックス戦では日本人初の開幕投手を務め、7回3安打3本塁打3失点で勝利投手となった。7月2日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦ではマック鈴木と投げ合い、7回0/3を無失点7奪三振で勝利。9日のブルワーズ戦ではイタリアンソーセージの着ぐるみで観客に牛肉を配り、ソーセージ・レースにも参加し優勝。観客にはレース後にアナウンスでこのことが知らされた。しかし前半戦は20試合の登板で3勝7敗・防御率4.74・WHIP1.48の成績で折り返し、8月に右手中指の炎症で初の故障者リスト入り。18日のアスレチックス戦で復帰し、5勝目を挙げた。後半戦5勝5敗で通算8勝12敗に終わり、球団は翌年の更新をしなかったため退団となった。 2000年12月15日にボストン・レッドソックスと年俸325万ドル+出来高75万ドルの1年契約を結んだ。 2001年4月4日のボルチモア・オリオールズ戦では電気系統の故障で試合開始が遅れた中、2度目のノーヒットノーランを達成。レッドソックスの投手としては、1965年9月16日にデーヴ・モアヘッド(英語版)が対クリーブランド・インディアンス戦(フェンウェイ・パーク)で達成して以来、実に約35年半ぶり13人目(15回目)のノーヒットノーランだった。またカムデン・ヤーズにおけるノーヒットノーランは2024年6月現在で野茂が史上唯一の達成者であり、1996年に続きノーヒッター達成難度の高い球場での快挙であった(2022年にレフト側の拡大改修が行われた。本塁打が出やすい改修前の球場では唯一の達成者となった)。この結果、両リーグでのノーヒッター達成となり、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに次ぐ史上4人目の快挙を成し遂げた。4月26日には、レッドソックスのホーム球場であるフェンウェイパークでレッドソックス球団がMLB初試合から100周年記念試合となるミネソタ・ツインズ戦で先発を務めた。4月にボストンで行なわれるナイトゲーム時の外気温は総じて低いのだが、この日のナイトゲームは開始時間から相当冷え込みボールを握る手も凍えそうな程の寒さだった為、ボールのコントロールが難しい状況だった。しかしながら、イニングを進めるごとに投球が冴え、最終的には7回までツインズ打線を無安打に抑える力投を見せた。5月2日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対決し、第1打席と第2打席を二ゴロ、中飛に抑え、第3打席には死球を与えた。25日のトロント・ブルージェイズ戦では7者連続を含む14奪三振1安打で完封勝利を挙げ、6年ぶりの無四球を記録。6月16日のブレーブス戦では3回にNPB/MLB通算2500奪三振を達成。前半戦を18試合の登板で8勝4敗・防御率3.83・WHIP1.21で折り返し、7月20日のシカゴ・ホワイトソックス戦で2年ぶり5度目の10勝に到達した。7月は負けなしの5勝・防御率3.00・WHIP1.50の成績で、ピッチャー・オブ・ザ・マンスの投票ではマーク・マルダーに次ぐ2位となった。8月からは2勝6敗・防御率6.07・WHIP1.49と調子を落とした。しかしシーズンを通して奪三振率が9.00を切ることなくリーグ1位の奪三振率10.00を記録し、4年ぶりに200奪三振を越えて自身2度目の最多奪三振を獲得した。 2001年シーズン終了後の12月19日に2年1375万ドル(3年目は年俸900万ドルの球団オプション)で古巣ドジャースに復帰。石井一久と共に入団会見を行なった。 2002年4月9日のジャイアンツ戦では4回まで1安打に抑え、5回には二死満塁の場面で新庄剛志を迎えるが、新庄を二ゴロに抑え、ドジャース復帰後初勝利を挙げた。その後は打線と噛み合わなかったが、5月17日からは14勝1敗の活躍で、6月21日のレッドソックス戦でメジャー通算1500奪三振を記録。7月1日のダイヤモンドバックス戦ではランディ・ジョンソンと投げ合い、5回にジョンソンから適時二塁打を放てば、投球でも8回5安打無四球無失点7奪三振の好投で自己最長タイの7連勝を記録。前半戦を18試合の登板で9勝5敗・防御率3.16・WHIP1.32の成績で折り返した。8月22日のマーリンズ戦では3回に突如制球を乱して敗戦投手となる。同年チームメイトの石井一久とは与四球数において、メジャー全体で1・2位を記録した(1位は石井106個、2位は野茂103個)。 2003年は自身3年ぶりの開幕投手に指名され、開幕戦となった3月31日のダイヤモンドバックス戦で、ランディ・ジョンソンと投げ合い、完封勝利。4月20日のジャイアンツ戦(出場255試合)でメジャー通算100勝を達成。前半戦を20試合の登板で9勝8敗・防御率2.97・WHIP1.12の成績で折り返す。9月に右肩回旋筋の炎症が見つかるも、故障者リスト入りはせずに療養し、14日に復帰。最終的に防御率はリーグ6位の3.09、得点援護率がリーグワースト3位ながらもリーグ5位の16勝を挙げ、チームメイトのショーン・グリーンが「ウチにはブラウニー(ケビン・ブラウン)とエースが二人いる」と絶賛する活躍を見せた。オフに肩の内視鏡手術を受けた。 2004年は球団がオプションを行使して残留。前年に続いて開幕投手を務めるも、オフに受けた肩の手術からの回復が遅れて球速が戻らず、2度の故障者リスト入りを挟み、4月17日から9月1日にかけて自己ワーストの10連敗を喫した。このシーズンが自身にとってドジャース在籍最終年となった。 2005年は当時、創設8年目のタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約。6月15日のブルワーズ戦でNPB/MLB通算での200勝を達成するが、7月26日に解雇。27日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。しかし、メジャー昇格すること無くこの年のシーズンを終えた。200勝を達成したことで日本プロ野球名球会入りの権利を得たが、この時は「今は返事をする必要がないと思う」として態度を保留した。 2006年3月3日にホワイトソックスとマイナー契約。4月17日にAAA級シャーロットの先発として初登板したが、右肘の炎症を理由として故障者リストに登録され、6月8日に契約解除。同月下旬には右肘を手術した。 2007年、ドミニカ共和国でのウィンターリーグ参加を検討したが、手術した肘の回復が思わしくないことから断念。リハビリに専念するため、どのチームにも所属していない状態が続いた。その後、リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのレオネス・デル・カラカスに入団し、ベネズエラでのウィンターリーグへの参加が認められる。10月20日のグアイラ戦では1年半ぶりの登板を果たした。 2008年1月4日にロイヤルズとマイナー契約を結ぶ。手術した右肘への負担を軽減するため、トルネードの大きな特徴であったワインドアップ・モーションをやめ、セットポジションに投法を統一する。オープン戦で防御率は思わしくなかったものの、16イニングを投げ16奪三振、四死球は4つにとどめるなど比較的安定して三振が取れていると評価され、4月5日にメジャー昇格の後、同月10日、2005年7月15日以来1000日ぶりにメジャーで登板(リリーフ登板は8年ぶり)した。しかし、この後の登板機会で良い成績を残せず、4月20日にDFAとなった。 同月29日にMLBから自由契約選手として公示され、横浜ベイスターズや東北楽天ゴールデンイーグルスが野茂に興味を示すも、入団には至らなかった。7月17日に共同通信のインタビューに対して「リタイアすることにした。プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」とコメントして現役引退を表明。引退会見などは特に行わなかった。メジャーリーグでの大半を過ごしたドジャースを除く29球団との試合で勝ち星を記録していたため、MLB全30球団からの勝利が達成間近での引退となった。 帰国後の2008年11月12日から3日間限定で、臨時コーチとしてオリックス・バファローズの秋季キャンプに招かれた。 2009年2月1日、オリックスのテクニカル・アドバイザーに就任したが、同年オフ、月1回の試合観戦というノルマが成されていなかったことと、大石大二郎監督の退任に伴い契約解除となった。3月10日、入会を保留していた日本プロ野球名球会へ正式に入会した。 2010年・2011年には、広島東洋カープの春季キャンプで臨時コーチを担当。2011年11月には、ドジャースが2008年までキャンプ地として使用し「ドジャータウン」と呼ばれたフロリダ州ベロビーチのスポーツ施設の共同オーナーに就任した。 その一方で、毎年7月に開催される日米親善少年野球大会では、2011年の大会から日本選抜の監督(総監督)を務めている。監督として臨んだ同年の大会では、長谷川滋利が監督を務めるオレンジカウンティー選抜と対戦。2012年には総監督として、長谷川が総監督・大塚晶則が投手コーチを務めるアメリカ選抜と対戦した。 2010年からは野球解説者としても活動。初めて解説を務めた同年11月6日の日本シリーズ第6戦・中日ドラゴンズ対千葉ロッテマリーンズ(ナゴヤドーム)のテレビ中継(東海テレビ・フジテレビ系列)では、ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田敦也と共演した。この試合は、日本シリーズ史上初となる延長15回・史上最長の試合時間(5時間43分)へ至った末に、2-2の引き分けで終了。中継終了の際には、古田とともに「お疲れ様でした」と声を掛け合った。2011年からは、年に1試合のペースで、『スーパーベースボール 虎バン主義』(朝日放送テレビ)のセ・パ交流戦中継にゲスト解説者として出演している。 2013年11月26日、日本人選手として初のアメリカ野球殿堂入りの候補となったが、2014年1月8日のアメリカの野球殿堂入りの発表では6票で落選。得票率は1.1%で、5%を下回ったことから翌年度の候補から外れることになった。一方、日本の野球殿堂では11月29日に競技者表彰候補に名を連ねていることが発表され、2014年1月17日に秋山幸二、佐々木主浩と共に競技者表彰者として殿堂入りしたことが野球殿堂博物館より発表された。表彰候補者入り1年目での野球殿堂入りはヴィクトル・スタルヒン、王貞治に次いで史上3人目となった。 2015年1月18日、アメリカのプロ野球スカウト財団は、野茂と朴賛浩に「先駆者賞」を授与し、大リーグの国際化に果たした功績を称えた。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任。11月にアメリカのスポーティング・ニュース社が発表した「大リーグで最も重要な40人」に37位で選出され、日本人選手で唯一選ばれる。 2017年3月21日のWBC準決勝では、ドジャー・スタジアムで開催されたアメリカ対日本の試合前の始球式でトミー・ラソーダと共に登場し、投球を披露した。 ニックネームは「ドクターK」,「The Tornado」。ピッチャーズマウンドで大きく振りかぶるワインドアップポジションで始まってからボールをリリースするまでの間に、一旦背中を打者に向ける独特のオーバースロー投法は「トルネード投法」と呼ばれ、このオーバースローからリリースされる平均球速86-90mph(約138-145km/h)、最速95mph(152.9km/h)の伸びのあるストレートフォーシームと77-82mph(約124-132km/h)のフォークボールを武器とした。速球は基本的にフォーシームだったが、左打者には時折カット・ファストボールを交えた。2000年代に入ると時々カーブ、スライダー、ツーシーム・ファストボールなども交えるようになった。2004年のシーズン中に肩を故障した後、ドジャースの担当医からトルネード投法の捻りが肩に負担をかけると診断された為、故障明けの試合を含め故障後の試合で登板する時にはトルネード投法を封印せざるを得なかった。2005年シーズンに、当時のタンパベイ・デビルレイズで日米通算200勝を達成した頃はトルネード投法で投げていたが、このシーズン途中にデビルレイズを解雇された。翌シーズンから2008年まで、メジャーリーグに復帰できなかった。2008年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャーリーグ復帰を果たしたが、トルネード投法(ワインドアップポジション)を封印した為に本来のパフォーマンスからは程遠く、速球にも往年のキレが無かった。先発投手として日米両球界で活躍した野茂であったが、投球成績が上がらず先発から中継ぎへ配置転換された。結局、このシーズン途中で現役を引退することになった。 三振奪取率が極めて高く、プロ入りから9年連続で奪三振が投球回数を上回っている。NPB/MLB通算奪三振率は9.28。MLBのみに限ると奪三振率は8.734となるが、それでもMLB歴代33位である(通算投球回数1000イニング以上)。 元西武のオレステス・デストラーデは「野茂が日本球界最高の投手」と評している。 パ・リーグ審判員山崎夏生は、野茂はストライクゾーンの判定を気にせず自分の納得いく投球を求める投手だったと回想している。 ドジャース時代の同僚ポール・ロデューカは、野茂は移動中の飛行機内でビールを35杯飲んでも酔い潰れない酒豪だったと後年振り返っている。 MLB入り直後の時点では、当時マスメディアが近鉄側の肩を持ち野茂に対しバッシングを繰り広げていたためマスコミを嫌い、試合終了後の囲み取材でもほとんど喋ることがなかった。しかし現役晩年には姿勢が一変し、囲み取材も積極的に受けるようになっていたという。 1990年オフにルーキーイヤーのハイライトシーンと少年時代をアニメーション化したオリジナルビデオ「三振奪取王 野茂英雄のすべて」が発売。アニメパートの野茂の声は松本保典(幼年期:杉山佳寿子)が演じた。 1995年にディアマンテスが野茂の応援歌「野茂英雄のテーマ・HIDE〜O」(バナナ・ボートの替え歌)をシングルCDで発売。当時、「Nomo(野茂)が投げれば大丈夫」の歌詞は街でよく聴かれ、ブームにもなった。2005年にマキシシングルで再発売された。 1998年、3社の高校英語教科書に登場。うち1社はトルネード投法を分解写真付きで紹介した。 1997年に公開された、ジム・キャリー主演の映画『ライアー ライアー』の中で、主人公の子供が野茂の名前を出す場面がある。 社会人野球時代に何度かキューバ代表と対戦をしている。普段はあまり多くを語らない野茂もソウルオリンピック後に「凄いっすよ。あのキューバのパワー。あんなん初めてですわ」「打たれても、抑えても、何か爽やかな感じで気持ち良かったです」と振り返っている。近鉄入団後も「あの迫力半端じゃなかったっすよね」と対戦時の衝撃がたびたび口を突いて出ており、キューバと同じ豪快な野球をするメジャーリーグへの憧れも宿り始めていた。滅多なことでは驚かないキューバの選手達も野茂の速球と打者の手前で消える魔球に呆れ返り、野茂との対決を楽しみにしていた。日本の選手の名前は難しくて覚えられないというが、「ノモ」の名前は後年でもしっかりと記憶していた。野茂から本塁打を打ち、三振を喫したオマール・リナレスやアントニオ・パチェコは「ミ・アミーゴ(僕の友達)」と自慢にさえしていた。 2003年、日本の社会人野球チームが次々に廃部となっていく現状に対し、野球を志す若者に少しでも受け皿を作りたいという理由で、野茂の所属した新日鐵堺チームがあった大阪府堺市で社会人野球クラブチーム「NOMOベースボールクラブ」を設立し、オーナーに就任した。2004年に社会人野球の全国統括組織「日本野球連盟」に加盟。2005年には結成2年目で都市対抗野球大会に初出場し、全日本クラブ選手権ではクラブチーム日本一に輝いた。 また少年野球(ボーイズリーグ)のジュニアオールジャパンの総監督も務めている。 各年度の太字はリーグ最高 最多勝利:4回(1990年 - 1993年)※パ・リーグ最多タイ記録(他は稲尾和久、涌井秀章)、4年連続受賞は2リーグ制以降の投手として最長記録(最長は1リーグ制時代のヴィクトル・スタルヒンの5シーズン連続)。 最優秀防御率:1回(1990年) 最多奪三振:4回(1990年 - 1993年) 最高勝率:1回(1990年) 最多奪三振:2回(1995年、2001年)※1995年はアジア人史上初、日本人史上初の獲得 沢村栄治賞:1回(1990年)※パ・リーグ史上初 最優秀選手:1回(1990年)※日本人及び投手の獲得は球団史上唯一 新人王(1990年)※最優秀選手との同時受賞は史上2人目 ベストナイン:1回(投手部門:1990年) 野球殿堂競技者表彰(2014年) 月間MVP:2回(投手部門:1990年6月、1992年8月) 新人王(1995年)※アジア人史上初、日本人史上初の受賞 月間MVP:2回(投手部門:1995年6月、1996年9月) Topps ルーキーオールスターチーム(英語版)(右投手部門:1995年) Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版)(先発投手部門:1995年) 日本プロスポーツ大賞:1回(1990年) 報知プロスポーツ大賞:1回(1990年) ナンバーMVP賞:1回(1990年) サンスポMVP大賞:1回(1990年) ハッピーハンド(1990年)※手形を寄贈 新語・流行語大賞 年間大賞:1回(1995年、「NOMO」) 朝日スポーツ賞:1回(2005年) プロ野球スカウト財団先駆者賞(2015年) 初登板・初先発登板:1990年4月10日、対西武ライオンズ1回戦(藤井寺球場)、6回4失点で敗戦投手 初奪三振:同上、1回表に清原和博から 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1990年4月29日、対オリックス・ブレーブス5回戦(阪急西宮球場)、9回2失点 初完封勝利:1990年6月24日、対日本ハムファイターズ13回戦(東京ドーム) 初セーブ:1991年7月17日、対西武ライオンズ16回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 1000奪三振:1993年8月27日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏に高橋智から ※史上90人目、871投球回での達成は史上3番目の最速記録 1000投球回:1994年5月31日、対西武ライオンズ9回戦(藤井寺球場)、6回表二死目 ※史上253人目 投手三冠王:1回(1990年)※史上15人目 投手4冠:1回(1990年)※史上9人目、4部門のいずれかで他の投手と並んでの4冠は史上唯一 2桁奪三振:70回 ※パ・リーグ記録 シーズン2桁奪三振21度:1990年 ※NPB記録 新人によるシーズン287奪三振:1990年 ※パ・リーグ記録 6試合連続2桁奪三振:1991年4月7日 - 5月9日(11-10-10-10-10-10) ※史上2位、近鉄バファローズ球団記録 1試合17奪三振:1990年4月29日、対オリックス・ブレーブス5回戦(阪急西宮球場) ※先発勝利投手として史上3位、近鉄バファローズ球団記録 シーズン22完投:1991年 ※平成最多 シーズン148与四球:1993年 ※パ・リーグ記録 1試合16与四球:1994年7月1日、対西武ライオンズ12回戦(西武ライオンズ球場)※NPB記録 5者連続与四球:1992年7月10日、対西武ライオンズ12回戦(西武ライオンズ球場)※NPB記録 リーグ最多完封:2回(1991年、1992年) オールスターゲーム出場:5回(1990年、1991年、1992年、1993年、1994年) 開幕投手:2回(1993年、1994年) 初登板・初先発登板:1995年5月2日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ2回戦(キャンドルスティック・パーク)、5回無失点 初奪三振:同上、1回裏にダレン・ルイスから 初勝利・初先発勝利:1995年6月2日、対ニューヨーク・メッツ4回戦(ドジャー・スタジアム)、9回0/3 1失点 初完投勝利・初完封勝利:1995年6月24日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ6回戦(ドジャー・スタジアム) 初安打:1995年7月15日、対フロリダ・マーリンズ5回戦(ドジャー・スタジアム)、7回裏にボビー・ウィットから中前安打 初打点:1995年8月5日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ9回戦(キャンドルスティック・パーク)、9回表にショーン・バートン(英語版)から適時中前安打 初本塁打:1998年4月28日、対ミルウォーキー・ブルワーズ5回戦(ドジャー・スタジアム)、7回裏にホセ・メルセデス(英語版)から左越ソロ本塁打 1000奪三振:1999年9月8日、対アリゾナ・ダイヤモンドバックス8回戦(ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム)、1回表にジェイ・ベルから 1000投球回:2000年5月5日、対ミネソタ・ツインズ2回戦(ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム)、1回裏一死目 1500奪三振:2002年6月21日、対ボストン・レッドソックス1回戦(ドジャー・スタジアム)、3回表にブライアン・ドーバックから 1500投球回:2002年8月5日、対フィラデルフィア・フィリーズ4回戦(ベテランズ・スタジアム)、5回裏二死目 100勝:2003年4月20日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ6回戦(ドジャー・スタジアム)、7回4失点 ノーヒットノーラン:2回(1996年、2001年) ※1996年はアジア人史上初、日本人史上初の達成、両リーグ通じての達成は史上4人目
2回目:2001年4月4日、対ボルチモア・オリオールズ2回戦(オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ)、3四球11奪三振 ※球場史上初 リーグ最多完封:1回(1995年) MLBオールスターゲーム出場:1回(1995年) ※先発投手として出場 開幕投手:3回(2000年、2003年、2004年) 3000奪三振:2003年9月25日、対サンディエゴ・パドレス19回戦(クアルコム・スタジアム)、3回裏にブライアン・ローレンスから 200勝:2005年6月15日、対ミルウォーキー・ブルワーズ3回戦(トロピカーナ・フィールド)、7回2失点 3000投球回:2005年6月21日、対ニューヨーク・ヤンキース8回戦(ヤンキー・スタジアム)、1回裏一死目 160暴投:日本人通算最多(NPB通算最多は村田兆治の148、2023年現在のMLB28位相当) 11(1990年 - 1994年、1999年、2001年、2005年) 16(1995年 - 1998年) 23(2000年) 10(2002年 - 2004年) 91(2008年) 住友生命保険 コカ・コーラ「ジョージア缶コーヒー」 新日鉄(「スクスクと新日鉄」 BGMの歌詞は「ぽーかぽかー」の繰り返し 1990年頃?) 公共広告機構(現:ACジャパン)「献血キャンペーン」(1990年) サントリー「ビア吟醸、野茂+カズ キャッチ篇」(1991年) セガ「セガサターンせがた三四郎シリーズ「プロ野球チームもつくろう!」(写真のみ)」 キリンビバレッジ「ジャイブ缶コーヒー、Z7『現役続行篇』」(2007年5月 - ) 富士通ゼネラル「nocria」(2009年2月27日 - 2010年12月) トヨタ自動車 宝くじ ロト6(2012年4月 - 現在) キリン「のどごし<生>」(2013年10月18日 - 現在) ^ NPB・最多勝利4個、最優秀防御率1個、最多奪三振4個、最高勝率1個、MLB・最多奪三振2個 ^ NPB・沢村栄治賞1個、最優秀選手1個、新人王、ベストナイン1個、MLB・新人王 ^ 通称「新人ベストナイン」。選出対象となる新人扱い選手を両リーグ統一した中で、各守備位置ごとに各球団監督の投票により選出される(例えばシルバースラッガー賞のように各リーグごとに選出されるのではない)。投手部門には2009年まで「右投手」「左投手」の2部門があり、2010年以降は「リリーフ投手」が追加されて基本3部門がある。 ^ Profile|野茂英雄 Official Site ^ 野茂 英雄 野球殿堂博物館 ^ 「【MLB】日本人メジャーリーガー通算WARランキング1〜5位。稀代の天才打者が断トツの数字」『ベースボールチャンネル』2021年11月30日。2024年7月23日閲覧。 ^ 「ドジャース広報の“ノモサン”愛とノーヒッターの夜の仰天エピソード。(笹田幸嗣)」『Number Web』2020年8月23日。2022年12月19日閲覧。 ^ 「【データ】ダルビッシュ有、野茂英雄より1試合少なくメジャー通算100勝達成」『日刊スポーツ』2023年6月10日。2024年8月13日閲覧。 ^ 「【2005年(平成17年)6月15日】野茂英雄が日米通算200勝を達成」『トウシル』2024年6月15日。2024年7月26日閲覧。 ^ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/761b3f38ddbab177d9fa263ab88e6d1e987fbd6b ^ アジア人初安打は村上が記録している。https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20230731-30#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E9%87%8E%E8%8C%82%E3%81%AE%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E3%81%8C,%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8A%E5%89%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E3%80%82&text=98%E5%B9%B44%E6%9C%8828,%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%AC%AC1%E5%8F%B7%E3%80%82 ^ 野茂 英雄 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来年は候補除外 - MLBニュース」『日刊スポーツ』2014年1月10日。2022年12月19日閲覧。 ^ 「野茂氏、KK、鈴木尚典氏が候補に 来年の野球殿堂入り」『スポニチ Sponichi Annex』2013年11月29日。2022年12月19日閲覧。 ^ 平成26年 野球殿堂入り決定!! 野球殿堂博物館 殿堂ニュース 2014年1月17日付 ^ 「野茂氏が野球殿堂入り!即表彰は20年ぶり 佐々木、秋山両氏も選出」『スポニチ Sponichi Annex』2014年1月17日。2022年12月19日閲覧。 ^ 「野茂氏に「先駆者賞」=国際化への貢献たたえる-米プロ野球スカウト財団」『時事ドットコム』2015年1月18日。2015年1月18日閲覧。 ^ 「The Padres continue assembling a fantasy front office by hiring Hideo Nomo」『MLB.com』(英語)。2022年12月19日閲覧。 ^ 「野茂氏 “大リーグで最も重要な40人”選出 日本人唯一」『スポニチアネックス』2016年11月24日。2016年11月24日閲覧。 ^ 「野茂英雄氏が始球式 侍背番16で暴投も大声援 - WBC」『日刊スポーツ』2017年3月22日。2017年6月18日閲覧。 ^ BASEBALL; Dodgers Cut Nomo Loose And Will Try to Trade HimThe New York Times ^ メジャーリーグ某球団スカウト部長による"リアル"スカウティング・レポート!『月刊スラッガー』2002年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、30-33頁。 ^ 「Career Leaders & Records for Strikeouts per 9 IP」『Baseball-Reference.com』(英語)。2022年12月19日閲覧。 ^ ベースボールマガジン 2011年9月号 P28 ^ 「パ・リーグ一筋29年、歴代1位17回の退場宣告をしたベテランが明かす〝もう一つの激闘〟元プロ野球審判が告白「乱闘寸前ジャッジの舞台裏」(フライデー) @gendai_biz」『現代ビジネス』2012年4月8日。2022年12月19日閲覧。 ^ 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松井秀喜、金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾、山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信、黒田博樹 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一、平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿 60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登、宮武三郎、景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三 69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧 70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚 71 小西得郎、水野利八 72 中野武二、太田茂 73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄、西村幸生 78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎 79 平沼亮三、谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫、小川正太郎 82 鈴木龍二、外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄、山内以九士 86 中河美芳、松方正雄 87 藤田信男、山下実 88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一 89 池田恒雄、伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征、村上實 96 牧野直隆、保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志、井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟、長谷川良平 02 中澤不二雄、生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守、豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規、君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎、大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男、村山龍平 16 松本瀧藏、山中正竹 17 郷司裕、鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉、石井連藏 21 川島勝司、佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 02 フランク・オドール、正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 76 ジム・デブリン 77 トミー・ボンド 78 トミー・ボンド 79 モンテ・ウォード 80 ラリー・コーコラン 81 ジョージ・ダービー 82 チャールズ・ラドボーン 83 ジム・ホイットニー 84 チャールズ・ラドボーン 85 ジョン・クラークソン 86 レディ・ボールドウィン 87 ジョン・クラークソン 88 ティム・キーフ 89 ジョン・クラークソン 90 エイモス・ルーシー 91 エイモス・ルーシー 92 ビル・ハッチソン 93 エイモス・ルーシー 94 エイモス・ルーシー 95 エイモス・ルーシー 96 サイ・ヤング 97 サイ・セイモアー、ドク・マクジェームス(英語版) 98 サイ・セイモアー 99 ヌードルズ・ハーン 00 ヌードルズ・ハーン 01 ヌードルズ・ハーン 02 ビック・ウィリス 03 クリスティ・マシューソン 04 クリスティ・マシューソン 05 クリスティ・マシューソン 06 フレッド・ビーブ(英語版) 07 クリスティ・マシューソン 08 クリスティ・マシューソン 09 オーバル・オーバラル(英語版) 10 アール・ムーア(英語版) 11 ルーブ・マーカード 12 ピート・アレクサンダー 13 トム・シートン(英語版) 14 ピート・アレクサンダー 15 ピート・アレクサンダー 16 ピート・アレクサンダー 17 ピート・アレクサンダー 18 ヒッポ・ボーン 19 ヒッポ・ボーン 20 ピート・アレクサンダー 21 バーリー・グライムス 22 ダジー・ヴァンス 23 ダジー・ヴァンス 24 ダジー・ヴァンス 25 ダジー・ヴァンス 26 ダジー・ヴァンス 27 ダジー・ヴァンス 28 ダジー・ヴァンス 29 パット・マローン(英語版) 30 ビル・ハラハン(英語版) 31 ビル・ハラハン(英語版) 32 ディジー・ディーン 33 ディジー・ディーン 34 ディジー・ディーン 35 ディジー・ディーン 36 バン・マンゴー(英語版) 37 カール・ハッベル 38 クレイ・ブライアント(英語版) 39 クロード・パッソー(英語版)、バッキー・ウォルターズ 40 カービー・ヒグビー(英語版) 41 ジョニー・ヴァンダー・ミーア 42 ジョニー・ヴァンダー・ミーア 43 ジョニー・ヴァンダー・ミーア 44 ビル・ボイセル(英語版) 45 プリーチャー・ロー(英語版) 46 ジョニー・シュミッツ(英語版) 47 イーウェル・ブラックウェル(英語版) 48 ハリー・ブラキーン(英語版) 49 ウォーレン・スパーン 50 ウォーレン・スパーン 51 ドン・ニューカム、ウォーレン・スパーン 52 ウォーレン・スパーン 53 ロビン・ロバーツ 54 ロビン・ロバーツ 55 サム・ジョーンズ(英語版) 56 サム・ジョーンズ(英語版) 57 ジャック・サンフォード(英語版) 58 サム・ジョーンズ(英語版) 59 ドン・ドライスデール 60 ドン・ドライスデール 61 サンディー・コーファックス 62 ドン・ドライスデール 63 サンディー・コーファックス 64 ボブ・ビール 65 サンディー・コーファックス 66 サンディー・コーファックス 67 ジム・バニング 68 ボブ・ギブソン 69 ファーガソン・ジェンキンス 70 トム・シーバー 71 トム・シーバー 72 スティーブ・カールトン 73 トム・シーバー 74 スティーブ・カールトン 75 トム・シーバー 76 トム・シーバー 77 フィル・ニークロ 78 J.R.リチャード 79 J.R.リチャード 80 スティーブ・カールトン 81 フェルナンド・バレンズエラ 82 スティーブ・カールトン 83 スティーブ・カールトン 84 ドワイト・グッデン 85 ドワイト・グッデン 86 マイク・スコット 87 ノーラン・ライアン 88 ノーラン・ライアン 89 ホセ・デレオン(英語版) 90 デビッド・コーン 91 デビッド・コーン 92 ジョン・スモルツ 93 ホセ・リーホ 94 アンディ・ベネス 95 野茂英雄 96 ジョン・スモルツ 97 カート・シリング 98 カート・シリング 99 ランディ・ジョンソン 00 ランディ・ジョンソン 01 ランディ・ジョンソン 02 ランディ・ジョンソン 03 ケリー・ウッド 04 ランディ・ジョンソン 05 ジェイク・ピービー 06 アーロン・ハラング 07 ジェイク・ピービー 08 ティム・リンスカム 09 ティム・リンスカム 10 ティム・リンスカム 11 クレイトン・カーショウ 12 R.A.ディッキー 13 クレイトン・カーショウ 14 ジョニー・クエト、スティーブン・ストラスバーグ 15 クレイトン・カーショウ 16 マックス・シャーザー 17 マックス・シャーザー 18 マックス・シャーザー 19 ジェイコブ・デグロム 20 ジェイコブ・デグロム 21 ザック・ウィーラー 22 コービン・バーンズ 23 スペンサー・ストライダー 24 クリス・セール 表 話 編 歴 01 サイ・ヤング 02 ルーブ・ワッデル 03 ルーブ・ワッデル 04 ルーブ・ワッデル 05 ルーブ・ワッデル 06 ルーブ・ワッデル 07 ルーブ・ワッデル 08 エド・ウォルシュ 09 フランク・スミス(英語版) 10 ウォルター・ジョンソン 11 エド・ウォルシュ 12 ウォルター・ジョンソン 13 ウォルター・ジョンソン 14 ウォルター・ジョンソン 15 ウォルター・ジョンソン 16 ウォルター・ジョンソン 17 ウォルター・ジョンソン 18 ウォルター・ジョンソン 19 ウォルター・ジョンソン 20 スタン・コベレスキ 21 ウォルター・ジョンソン 22 アーバン・ショッカー 23 ウォルター・ジョンソン 24 ウォルター・ジョンソン 25 レフティ・グローブ 26 レフティ・グローブ 27 レフティ・グローブ 28 レフティ・グローブ 29 レフティ・グローブ 30 レフティ・グローブ 31 レフティ・グローブ 32 レッド・ラフィング 33 レフティ・ゴメス 34 レフティ・ゴメス 35 トミー・ブリッジス(英語版) 36 トミー・ブリッジス(英語版) 37 レフティ・ゴメス 38 ボブ・フェラー 39 ボブ・フェラー 40 ボブ・フェラー 41 ボブ・フェラー 42 テックス・ヒューソン(英語版)、ボボ・ニューサム(英語版) 43 アリー・レイノルズ(英語版) 44 ハル・ニューハウザー 45 ハル・ニューハウザー 46 ボブ・フェラー 47 ボブ・フェラー 48 ボブ・フェラー 49 バージル・トラックス(英語版) 50 ボブ・レモン 51 ビック・ラスチー(英語版) 52 アリー・レイノルズ(英語版) 53 ビリー・ピアース 54 ボブ・ターリー 55 ハーブ・スコア 56 ハーブ・スコア 57 アーリー・ウィン 58 アーリー・ウィン 59 ジム・バニング 60 ジム・バニング 61 カミロ・パスカル 62 カミロ・パスカル 63 カミロ・パスカル 64 アル・ダウニング 65 サム・マクダウェル 66 サム・マクダウェル 67 ジム・ロンボーグ 68 サム・マクダウェル 69 サム・マクダウェル 70 サム・マクダウェル 71 ミッキー・ロリッチ 72 ノーラン・ライアン 73 ノーラン・ライアン 74 ノーラン・ライアン 75 フランク・タナナ 76 ノーラン・ライアン 77 ノーラン・ライアン 78 ノーラン・ライアン 79 ノーラン・ライアン 80 レン・バーカー 81 レン・バーカー 82 フロイド・バニスター 83 ジャック・モリス 84 マーク・ラングストン 85 バート・ブライレブン 86 マーク・ラングストン 87 マーク・ラングストン 88 ロジャー・クレメンス 89 ノーラン・ライアン 90 ノーラン・ライアン 91 ロジャー・クレメンス 92 ランディ・ジョンソン 93 ランディ・ジョンソン 94 ランディ・ジョンソン 95 ランディ・ジョンソン 96 ロジャー・クレメンス 97 ロジャー・クレメンス 98 ロジャー・クレメンス 99 ペドロ・マルティネス 00 ペドロ・マルティネス 01 野茂英雄 02 ペドロ・マルティネス 03 エステバン・ロアイザ 04 ヨハン・サンタナ 05 ヨハン・サンタナ 06 ヨハン・サンタナ 07 スコット・カズミアー 08 A.J.バーネット 09 ジャスティン・バーランダー 10 ジェレッド・ウィーバー 11 ジャスティン・バーランダー 12 ジャスティン・バーランダー 13 ダルビッシュ有 14 デビッド・プライス 15 クリス・セール 16 ジャスティン・バーランダー 17 クリス・セール 18 ジャスティン・バーランダー 19 ゲリット・コール 20 シェーン・ビーバー 21 ロビー・レイ 22 ゲリット・コール 23 ケビン・ゴーズマン 24 タリック・スクーバル 表 話 編 歴 47 ジャッキー・ロビンソン 48 アルヴィン・ダーク 49 ドン・ニューカム 50 サム・ジェスロー(英語版) 51 ウィリー・メイズ 52 ジョー・ブラック 53 ジム・ギリアム 54 ウォーリー・ムーン 55 ビル・バードン(英語版) 56 フランク・ロビンソン 57 ジャック・サンフォード(英語版) 58 オーランド・セペダ 59 ウィリー・マッコビー 60 フランク・ハワード 61 ビリー・ウィリアムズ 62 ケン・ハブス 63 ピート・ローズ 64 ディック・アレン 65 ジム・ラフィーバー 66 トミー・ヘルムズ(英語版) 67 トム・シーバー 68 ジョニー・ベンチ 69 テッド・サイズモア(英語版) 70 カール・モートン(英語版) 71 アール・ウィリアムズ 72 ジョン・マトラック 73 ゲイリー・マシューズ 74 ベイク・マクブライド 75 ジョン・モンテフュスコ(英語版) 76 ブッチ・メッツガー(英語版)、パット・ザクリー 77 アンドレ・ドーソン 78 ボブ・ホーナー 79 リック・サトクリフ 80 スティーヴ・ハウ 81 フェルナンド・バレンズエラ 82 スティーブ・サックス 83 ダリル・ストロベリー 84 ドワイト・グッデン 85 ビンス・コールマン 86 トッド・ウォーレル 87 ベニート・サンティアゴ 88 クリス・セイボー 89 ジェローム・ウォルトン 90 デビッド・ジャスティス 91 ジェフ・バグウェル 92 エリック・キャロス 93 マイク・ピアッツァ 94 ラウル・モンデシー 95 野茂英雄 96 トッド・ホランズワース 97 スコット・ローレン 98 ケリー・ウッド 99 スコット・ウィリアムソン 00 ラファエル・ファーカル 01 アルバート・プホルス 02 ジェイソン・ジェニングス 03 ドントレル・ウィリス 04 ジェイソン・ベイ 05 ライアン・ハワード 06 ハンリー・ラミレス 07 ライアン・ブラウン 08 ジオバニー・ソト 09 クリス・コグラン 10 バスター・ポージー 11 クレイグ・キンブレル 12 ブライス・ハーパー 13 ホセ・フェルナンデス 14 ジェイコブ・デグロム 15 クリス・ブライアント 16 コーリー・シーガー 17 コディ・ベリンジャー 18 ロナルド・アクーニャ・ジュニア 19 ピート・アロンソ 20 デビン・ウィリアムズ 21 ジョナサン・インディア 22 マイケル・ハリス2世 23 コービン・キャロル 表 話 編 歴 84 サム・キンバー 85 ジョン・ハーキンズ 86 ジョン・ハーキンズ 87 ヘンリー・ポーター 88 ボブ・カラザーズ 89 ミッキー・ヒューズ 90 ボブ・カラザーズ 91 ジョージ・ヘミング 92 デーブ・ファウツ 93 エド・ステイン 94 ブリックヤード・ケネディ 95 ブリックヤード・ケネディ 96 ブリックヤード・ケネディ 97 ハーレイ・ペイン 98 ブリックヤード・ケネディ 99 ブリックヤード・ケネディ 00 ブリックヤード・ケネディ 01 ビル・ドノバン 02 ビル・ドノバン 03 ヘンリー・シュミット 04 オスカー・ジョーンズ 05 オスカー・ジョーンズ 06 ハリー・マッキンタイア 07 エルマー・ストリックレット 08 ナップ・ラッカー 09 カイザー・ウィルヘルム 10 ナップ・ラッカー 11 サイ・バーガー 12 ナップ・ラッカー 13 ナップ・ラッカー 14 エド・ロイルバック 15 ジェフ・フェファー 16 ラリー・チーニー 17 ウィーザー・デル 18 ルーブ・マーカード 19 レオン・カドール レオン・カドール 21 レオン・カドール 22 ダッチ・ルエザー 23 ダッチ・ルエザー 24 ダッチ・ルエザー 25 ダジー・ヴァンス 26 ジェシー・ペティー 27 ジェシー・ペティー 28 ジェシー・ペティー 29 ワティー・クラーク 30 ワティー・クラーク 31 ジャック・クイン 32 ウェイト・ホイト 33 ワティー・クラーク 34 バン・マンゴー 35 バン・マンゴー 36 ジョージ・アーンショウ 37 バン・マンゴー 38 バン・マンゴー 39 レッド・エバンズ 40 ウィット・ワイヤット 41 ウィット・ワイヤット 42 カート・デイビス 43 エド・ヘッド 44 ハル・グレッグ 45 カート・デイビス 46 ハル・グレッグ 47 ジョー・ハッテン 48 レックス・バーニー 49 ジョー・ハッテン 50 ドン・ニューカム 51 カール・アースキン 52 プリーチャー・ロー 53 カール・アースキン 54 カール・アースキン 55 カール・アースキン 56 ドン・ニューカム 57 ドン・ニューカム 58 ドン・ドライスデール 59 ドン・ドライスデール 60 ドン・ドライスデール 61 ドン・ドライスデール 62 ジョニー・ポドレス 63 ドン・ドライスデール 64 サンディー・コーファックス 65 ドン・ドライスデール 66 クロード・オスティーン 67 ボブ・ミラー 68 クロード・オスティーン 69 ドン・ドライスデール 70 クロード・オスティーン 71 ビル・シンガー 72 ドン・サットン 73 ドン・サットン 74 ドン・サットン 75 ドン・サットン 76 ドン・サットン 77 ドン・サットン 78 ドン・サットン 79 バート・フートン 80 バート・フートン 81 フェルナンド・バレンズエラ 82 ジェリー・ロイス 83 フェルナンド・バレンズエラ 84 フェルナンド・バレンズエラ 85 フェルナンド・バレンズエラ 86 フェルナンド・バレンズエラ 87 オーレル・ハーシュハイザー 88 フェルナンド・バレンズエラ 89 ティム・ベルチャー 90 オーレル・ハーシュハイザー 91 ティム・ベルチャー 92 ラモン・マルティネス 93 オーレル・ハーシュハイザー 94 オーレル・ハーシュハイザー 95 ラモン・マルティネス 96 ラモン・マルティネス 97 ラモン・マルティネス 98 ラモン・マルティネス 99 ケビン・ブラウン 00 ケビン・ブラウン 01 朴賛浩 02 ケビン・ブラウン 03 野茂英雄 04 野茂英雄 05 デレク・ロウ 06 デレク・ロウ 07 デレク・ロウ 08 ブラッド・ペニー 09 黒田博樹 10 ビセンテ・パディーヤ 11 クレイトン・カーショウ 12 クレイトン・カーショウ 13 クレイトン・カーショウ 14 クレイトン・カーショウ 15 クレイトン・カーショウ 16 クレイトン・カーショウ 17 クレイトン・カーショウ 18 クレイトン・カーショウ 19 柳賢振 20 ダスティン・メイ 21 クレイトン・カーショウ 22 ウォーカー・ビューラー 23 フリオ・ウリアス 24 タイラー・グラスノー 表 話 編 歴 01 ロスコー・ミラー 02 ロスコー・ミラー 03 ジョージ・マリン 04 ジョージ・マリン 05 ジョージ・マリン 06 ジョージ・マリン 07 ジョージ・マリン 08 エド・シーバー 09 ジョージ・マリン 10 ジョージ・マリン 11 ジョージ・マリン 12 ジョージ・マリン 13 ジョージ・マリン 14 ジーン・デュバック 15 ハリー・コベルスキー 16 ハリー・コベルスキー 17 ビル・ジェームズ 18 バーニー・ボーランド 19 ハワード・イームケ 20 フックス・ダウス 21 ダッチ・レナード 22 レッド・オールドハム 23 リップ・コリンズ 24 フックス・ダウス 25 ダッチ・レナード 26 アール・ホワイトヒル 27 アール・ホワイトヒル 28 ジョシュ・ビリングス 29 アール・ホワイトヒル 30 ジョージ・ウール 31 アール・ホワイトヒル 32 ヴィック・ソレル 33 トミー・ブリッジズ 34 ファーポ・マーベリー 35 スクールボーイ・ロウ 36 スクールボーイ・ロウ 37 エルデン・オーカー 38 ロキシー・ローソン 39 トミー・ブリッジズ 40 ボボ・ニューサム 41 ボボ・ニューサム 42 アル・ベントン 43 トミー・ブリッジズ 44 ディジー・トラウト 45 ハル・ニューハウザー 46 ハル・ニューハウザー 47 ハル・ニューハウザー 48 ハル・ニューハウザー 49 ハル・ニューハウザー 50 フレッド・ハッチンソン 51 ハル・ニューハウザー 52 ディジー・トラウト 53 ネッド・ガーバー 54 スティーブ・グロメック 55 ネッド・ガーバー 56 フランク・ラリー 57 フランク・ラリー 58 ジム・バニング 59 ジム・バニング 60 フランク・ラリー 61 ジム・バニング 62 ドン・モスイー 63 ジム・バニング 64 フィル・リーガン 65 ミッキー・ロリッチ 66 ミッキー・ロリッチ 67 デニー・マクレイン 68 アール・ウィルソン 69 デニー・マクレイン 70 ミッキー・ロリッチ 71 ミッキー・ロリッチ 72 ミッキー・ロリッチ 73 ミッキー・ロリッチ 74 ミッキー・ロリッチ 75 ジョー・コールマン 76 ジョー・コールマン 77 デーブ・ロバーツ 78 マーク・フィドリッチ 79 デーブ・ロゼマ 80 ジャック・モリス 81 ジャック・モリス 82 ジャック・モリス 83 ジャック・モリス 84 ジャック・モリス 85 ジャック・モリス 86 ジャック・モリス 87 ジャック・モリス 88 ジャック・モリス 89 ジャック・モリス 90 ジャック・モリス 91 フランク・タナナ 92 ビル・ガリクソン 93 マイク・ムーア 94 マイク・ムーア 95 マイク・ムーア 96 フェリペ・リラ 97 ダグ・ブロケイル 98 ジャスティン・トンプソン 99 ブライアン・モーラー 00 野茂英雄 01 ジェフ・ウィーバー 02 ジェフ・ウィーバー 03 マイク・マロース 04 ジェイソン・ジョンソン 05 ジェレミー・ボンダーマン 06 ケニー・ロジャース 07 ジェレミー・ボンダーマン 08 ジャスティン・バーランダー 09 ジャスティン・バーランダー 10 ジャスティン・バーランダー 11 ジャスティン・バーランダー 12 ジャスティン・バーランダー 13 ジャスティン・バーランダー 14 ジャスティン・バーランダー 15 デビッド・プライス 16 ジャスティン・バーランダー 17 ジャスティン・バーランダー 18 ジョーダン・ジマーマン 19 ジョーダン・ジマーマン 20 マシュー・ボイド 21 マシュー・ボイド 22 エドゥアルド・ロドリゲス 23 エドゥアルド・ロドリゲス 24 タリック・スクーバル 表 話 編 歴 1968 西城正三 1969 読売ジャイアンツ 1970 大鵬幸喜 1971 長嶋茂雄 1972 松本勝明 1973 沢村忠 1974 王貞治 1975 広島東洋カープ 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 ヤクルトスワローズ 1979 具志堅用高 1980 具志堅用高 1981 中野浩一 1982 落合博満 1983 広岡達朗 1984 衣笠祥雄 1985 ランディ・バース 1986 落合博満 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 千代の富士貢 1990 野茂英雄 1991 辰吉丈一郎 1992 貴花田光司 1993 三浦知良 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 尾崎将司 1997 中田英寿 1998 佐々木主浩 1999 松坂大輔 2000 松井秀喜 2001 イチロー 2002 FIFAワールドカップ日本代表 2003 松井秀喜 2004 朝青龍明徳 2005 朝青龍明徳 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2007 浦和レッドダイヤモンズ 2008 石川遼 2009 石川遼 2010 白鵬翔 2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表 2012 阿部慎之助 2013 田中将大 2014 錦織圭 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 福岡ソフトバンクホークス 2018 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 表 話 編 歴 1947 別所昭 1948 中尾碩志 1949 藤本英雄 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 杉下茂 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 金田正一 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実, 堀内恒夫 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 星野仙一 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 松岡弘 1979 小林繁 1981 西本聖 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 野茂英雄 1991 佐々岡真司 1992 石井丈裕 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 西口文也 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2001 松坂大輔 2002 上原浩治 2003 井川慶, 斉藤和巳 2004 川上憲伸 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 前田健太 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2020 大野雄大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 蔭山和夫 1952 中西太 1953 豊田泰光 1954 宅和本司 1955 榎本喜八 1956 稲尾和久 1957 木村保 1958 杉浦忠 1959 張本勲 1961 徳久利明 1962 尾崎行雄 1965 池永正明 1967 高橋善正 1969 有藤通世 1970 佐藤道郎 1971 皆川康夫 1972 加藤初 1973 新美敏 1974 三井雅晴 1975 山口高志 1976 藤田学 1977 佐藤義則 1978 村上之宏 1979 松沼博久 1980 木田勇 1981 石毛宏典 1982 大石大二郎 1983 二村忠美 1984 藤田浩雅 1985 熊野輝光 1986 清原和博 1987 阿波野秀幸 1988 森山良二 1989 酒井勉 1990 野茂英雄 1991 長谷川滋利 1992 高村祐 1993 杉山賢人 1994 渡辺秀一 1995 平井正史 1996 金子誠 1997 小坂誠 1998 小関竜也 1999 松坂大輔 2001 大久保勝信 2002 正田樹 2003 和田毅 2004 三瀬幸司 2005 久保康友 2006 八木智哉 2007 田中将大 2008 小松聖 2009 攝津正 2010 榊原諒 2011 牧田和久 2012 益田直也 2013 則本昂大 2014 石川歩 2015 有原航平 2016 高梨裕稔 2017 源田壮亮 2018 田中和基 2019 高橋礼 2020 平良海馬 2021 宮城大弥 2022 水上由伸 2023 山下舜平大 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 柚木進 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 宅和本司 1955 中川隆 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保田治 1963 久保征弘 1964 妻島芳郎 1965 三浦清弘 1966 稲尾和久 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 木樽正明 1970 佐藤道郎 1971 山田久志 1972 清俊彦 1973 米田哲也 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山口哲治 1980 木田勇 1981 岡部憲章 1982 高橋里志 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 工藤公康 1986 佐藤義則 1987 工藤公康 1988 河野博文 1989 村田兆治 1990 野茂英雄 1991 渡辺智男 1992 赤堀元之 1993 工藤公康 1994 新谷博 1995 伊良部秀輝 1996 伊良部秀輝 1997 小宮山悟 1998 金村暁 1999 工藤公康 2000 戎信行 2001 N.ミンチー 2002 金田政彦 2003 斉藤和巳, 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 石川歩 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 山本由伸 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1950 野村武史 1951 中谷信夫 1952 柚木進 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 植村義信 1957 稲尾和久 1958 秋本祐作 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 皆川睦男 1963 田中勉, 森中千香良 1964 J.スタンカ 1965 林俊彦 1966 皆川睦男 1967 石井茂雄 1968 村上雅則 1969 清俊彦 1970 佐々木宏一郎 1971 山田久志 1972 佐藤道郎 1973 八木沢荘六 1974 竹村一義 1975 鈴木啓示, 野村収 1976 山田久志 1977 稲葉光雄 1978 山田久志 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 間柴茂有 1982 工藤幹夫 1983 高橋直樹 1984 石川賢 1985 石本貴昭 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 郭泰源 1989 星野伸之 1990 野茂英雄 1991 工藤公康 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 郭泰源 1995 平井正史 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 黒木知宏 1999 篠原貴行 2000 小野晋吾 2001 田之上慶三郎 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 斉藤和巳 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉 2010 杉内俊哉 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 岸孝之 2015 大谷翔平 2016 和田毅 2017 千賀滉大 2018 M.ボルシンガー 2019 山岡泰輔 2020 石川柊太 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 伊藤大海 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 野口正明 1953 川崎徳次 1954 宅和本司, 田中文雄 1955 宅和本司 1956 三浦方義 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保征弘 1963 稲尾和久 1964 小山正明 1965 尾崎行雄 1966 米田哲也 1967 池永正明 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 成田文男 1971 木樽正明 1972 山田久志, 金田留広 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 東尾修 1976 山田久志 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 今井雄太郎, 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修, 山内和宏 1984 今井雄太郎 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 山沖之彦 1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野田浩司, 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 K.グロス 1996 K.グロス 1997 西口文也, 小池秀郎 1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 涌井秀章 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 和田毅, 金子千尋 2011 D.ホールトン, 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平, 涌井秀章 2016 和田毅 2017 東浜巨, 菊池雄星 2018 多和田真三郎 2019 有原航平 2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平、伊藤大海 表 話 編 歴 1950 米川泰夫 1951 阿部八郎 1952 柚木進 1953 米川泰夫 1954 宅和本司 1955 河村久文 1956 梶本隆夫 1957 梶本隆夫 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 杉浦忠 1961 稲尾和久 1962 米田哲也 1963 稲尾和久 1964 尾崎行雄 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 成田文男 1974 鈴木啓示 1975 東尾修 1976 村田兆治 1977 村田兆治 1978 鈴木啓示 1979 村田兆治 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 松沼博久 1983 山沖之彦 1984 佐藤義則 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 阿波野秀幸 1988 小川博 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 工藤公康 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 松坂大輔 2004 新垣渚 2005 松坂大輔 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 杉内俊哉 2009 杉内俊哉 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 田中将大 2013 金子千尋 2014 則本昂大 2015 則本昂大 2016 則本昂大 2017 則本昂大 2018 則本昂大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大, 山本由伸 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 今井達也 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 梶本隆夫 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 稲尾和久 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 木樽正明 1971 山田久志 1972 山田久志 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 鈴木啓示 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 東尾修 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 西崎幸広 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 E.ヒルマン 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 菊池雄星 2018 菊池雄星 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 黒尾重明 1951 関根潤三 1952 沢藤光郎 1953 関根潤三 1954 田中文雄 1955 武智文雄 1956 武智文雄 1957 武智文雄 1958 山下登 1959 大津守 1960 大津守 1961 蔦行雄 1962 板東里視 1963 徳久利明 1964 久保征弘 1965 徳久利明 1966 徳久利明 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 鈴木啓示 1974 鈴木啓示 1975 神部年男 1976 神部年男 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 鈴木啓示 1980 鈴木啓示 1981 柳田豊 1982 柳田豊 1983 谷宏明 1984 鈴木啓示 1985 鈴木啓示 1986 村田辰美 1987 村田辰美 1988 阿波野秀幸 1989 阿波野秀幸 1990 阿波野秀幸 1991 阿波野秀幸 1992 小野和義 1993 野茂英雄 1994 野茂英雄 1995 山崎慎太郎 1996 高村祐 1997 高村祐 1998 高村祐 1999 岡本晃 2000 B.ウォルコット 2001 門倉健 2002 S.バーグマン 2003 J.パウエル 2004 岩隈久志 表 話 編 歴 76 山田久志 77 山田久志 78 鈴木啓示 79 C.マニエル 80 木田勇 81 江夏豊 82 落合博満 83 東尾修 84 ブーマー 85 落合博満 86 落合博満 87 工藤公康 88 門田博光 89 阿波野秀幸 90 野茂英雄 91 秋山幸二 92 石井丈裕 93 辻発彦 94 イチロー 95 イチロー 96 イチロー 97 松井稼頭央 98 イチロー 99 松坂大輔 00 中村紀洋 01 T.ローズ 02 松井稼頭央 03 城島健司 04 松中信彦 05 渡辺俊介 06 ダルビッシュ有 07 山﨑武司 08 岩隈久志 09 鉄平 10 T-岡田 11 内川聖一 12 吉川光夫 13 田中将大 14 大谷翔平 15 柳田悠岐 16 大谷翔平 17 D.サファテ 18 山川穂高 19 森友哉 20-21 中止 表 話 編 歴 1982 広岡達朗 1983 青木功 1984 山下泰裕 1985 吉田義男 1986 清原和博 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 ラグビー日本代表 1990 野茂英雄 1991 中嶋悟 1992 亀山努 1993 三浦知良 1994 長嶋茂雄 1995 イチロー 1996 伊達公子 1997 中田英寿 1998 清水宏保 1999 松坂大輔 2000 高橋尚子 2001 イチロー 2002 稲本潤一 2003 松井秀喜 2004 北島康介 2005 武豊 2006 WBC野球日本代表 2007 中村俊輔 2008 上野由岐子 2009 原辰徳 2010 本田圭佑 2011 澤穂希 2012 内村航平 2013 上原浩治 2014 羽生結弦 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 桐生祥秀 2018 大坂なおみ 2019 ラグビー日本代表 2020 藤井聡太 2021 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 栗山英樹・WBC日本代表 表 話 編 歴 30 鈴木義信 31 川島勝司 32 山中正竹 11 潮崎哲也 12 渡辺智男 14 鈴木哲 15 菊池総 16 吉田修司 18 石井丈裕 19 野茂英雄 20 古田敦也 22 應武篤良 1 西正文 2 葛城弘樹 3 米崎薫臣 6 野村謙二郎 9 小川博文 10 筒井大助 28 大森剛 8 中島輝士 21 前田誠 25 松本安司 27 笘篠賢治 表 話 編 歴 30 鈴木義信 31 川島勝司 32 山中正竹 11 潮崎哲也 12 渡辺智男 14 鈴木哲 15 菊池総 16 吉田修司 18 石井丈裕 19 野茂英雄 20 古田敦也 22 應武篤良 1 西正文 2 葛城弘樹 3 米崎薫臣 6 野村謙二郎 9 小川博文 10 筒井大助 28 大森剛 8 中島輝士 21 前田誠 25 松本安司 27 笘篠賢治 表 話 編 歴 30 安藤喜春 31 柳俊之 32 野端啓夫 14 白井弘泰 15 江口孝義 16 潮崎哲也 17 与田剛 18 野茂英雄 19 川辺忠義 10 古田敦也 22 鈴木俊雄 23 高見泰範 1 西正文 2 南渕時高 6 樋口一紀 8 石井浩郎 9 酒井司 20 内藤雅人 23 松井達徳 26 佐藤和弘 25 佐藤真一 表 話 編 歴 1位:野茂英雄 2位:畑山俊二 3位:石井浩郎 4位:藤立次郎 5位:平江巌 6位:入来智 表 話 編 歴 …じゃあ〜りませんか チャーリー浜 「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん Jリーグ 川淵三郎(Jリーグチェアマン) すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実 無党派 青島幸男(東京都知事) / NOMO 野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督) 自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ監督) 失楽園(する) 渡辺淳一、黒木瞳 ハマの大魔神 佐々木主浩(横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人) ブッチホン 小渕恵三(内閣総理大臣) / リベンジ 松坂大輔(西武ライオンズ) / 雑草魂 上原浩治(読売ジャイアンツ) おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年) 「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣) タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子(フジテレビ・レポーター) / W杯(中津江村) 坂本休(中津江村・村長) 毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭(早稲田大学教授) チョー気持ちいい 北島康介(競泳選手) 小泉劇場 武部勤(自由民主党幹事長)ほか / 想定内(外) 堀江貴文(ライブドア社長) イナバウアー 荒川静香(プロスケーター) / 品格 藤原正彦(数学者) (宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫(宮崎県知事) / ハニカミ王子 石川遼(アマチュアゴルフ選手) グ〜! エド・はるみ / アラフォー 天海祐希 政権交代 鳩山由紀夫(内閣総理大臣) ゲゲゲの - 武良布枝(『ゲゲゲの女房』作者) 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 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