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陣内智則の情報 (じんないとものり)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

陣内智則の情報(じんないとものり) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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陣内 智則さんについて調べます

■名前・氏名
陣内 智則
(読み:じんない とものり)
■職業
タレント
■陣内智則の誕生日・生年月日
1974年2月22日 (年齢50歳)
寅年(とら年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

陣内智則と同じ1974年生まれの有名人・芸能人

陣内智則と同じ2月22日生まれの有名人・芸能人

陣内智則と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


陣内智則と関係のある人

宮脇舞依: 母はお笑い芸人の陣内智則の姉。


山中章子: 同期入社のアナウンサーは松村未央(お笑い芸人・陣内智則夫人)、福井慶仁、立本信吾。


宮脇舞依: お笑い芸人の陣内智則が叔父(母の弟)。


南條有香: ハケンOLは見た!(2010年11月1日 - 2011年5月30日、テレビ東京) - 覗き見ガール(共演:イモトアヤコ、矢口真里、紺野ゆり、浜田治貴、北川弘美、熊澤枝里子、七菜香、藤田恵美、神田咲実、陣内智則、植松晃士)


千原ジュニア: 千原ジュニア&陣内智則の名古屋ヤバイもん観光(2020年8月8日、テレビ愛知)


野々村友紀子: 同期に、陣内智則、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、中川家、ハリウッドザコシショウ、ハリガネロック、堂土貴(ルート33)、ツインカム、他事務所では児嶋一哉(アンジャッシュ)がいる。


池乃めだか: 2005年からは、陣内智則と共に『歌笑HOTヒット10』(日本テレビ)にレギュラー出演、全国区に進出している。


後藤輝基: 陣内智則は、後藤にとってスーパースターMCで、ずっと意識してきた存在だと語っている。


たいぞう: 同期には陣内智則、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一がいた。


今井雅之: 同会には梅沢富美男、金山一彦、橋本マナミ、池谷幸雄、池谷直樹、大和田伸也、入江慎也、なだぎ武、酒井法子、マイケル富岡、麻丘めぐみ、井戸田潤、岩城滉一、アグネス・チャン、竹内力、宮川大輔、渡辺裕之、陣内智則、中居正広ら著名人・関係者600人が参列した。


田上よしえ: 同大会には同じくピン芸人である陣内智則、ユリオカ超特Qも参戦していたが、どちらもセミファイナルで敗退した。


おばたのお兄さん: 同じピン芸人の陣内智則を尊敬し、先述の通り結婚の保証人を陣内にお願いした。


松村未央: A-Studio+(2022年4月29日、TBS)- 夫の陣内智則のゲスト回で写真での出演。


藤原紀香: 2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって婚約会見を行い、同年12月10日に結納を済ませたこと、翌2007年2月17日に生田神社で挙式を行うことを発表した。


ケンドーコバヤシ: 11期生であり、同期は陣内智則、中川家、たむらけんじ、ハリガネロック、烏川耕一、たいぞう、ハリウッドザコシショウ、野々村友紀子など。


スマイリーキクチ: また、地方収録回を含めると陣内智則が大阪収録で記録した537KBに次いで2番目に高い数字となる。


佐藤由芽: 陣内智則のレインボークイズ in USJ(高知放送製作)


斎藤恭央: 彼の訃報に遺族やファン、元相方の竹内の他、鉄拳、ヒロシ、カンニング竹山、陣内智則、狩野英孝、芋洗坂係長などのお笑いタレントや、アニメやゲーム作品で共演経験のある折笠富美子、myco、稲田徹、緒方恵美などの声優、『エンタの神様』プロデューサーの五味一男や『名探偵コナン』プロデューサーの諏訪道彦など番組スタッフ、ゴールデンボンバー、美女♂Menのデビューシングルの原曲を歌ったSHAZNAの元フロントマンのIZAMなどミュージシャンや歌手、『満月をさがして』の原作者である漫画家の種村有菜など、生前に交流のあった人々からやっくんの公式サイトや記者会見、ツイッターやブログなどを通して哀悼の念が多数寄せられた。


たけだバーベキュー: 小・中学校の先輩に陣内智則がいる。


村越周司: 陣内智則、ハリガネロック、中川家、たむらけんじらと同期の大阪NSC11期生。


畑中フー: 陣内智則のイケメン5(ABCテレビ、第4回〜)


勝山慎司: そして『オールザッツ漫才2006』で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した際審査員であった陣内智則らの目に止まり、陣内の結婚式2次会に呼ばれる。


大狸ぽんぽこ: 陣内智則に名前を付けたもらった。


五味一男: 青木さやか、陣内智則、アンジャッシュ、波田陽区、サンドウィッチマン、摩邪、小梅太夫、桜塚やっくん、カンニング、スリムクラブ、東京03、ラバーガール、ヒライケンジ、にしおかすみこ、ノンスタイル、エド・はるみ、などの芸人を次々と輩出し若手お笑いブームの牽引車的番組にする。


後藤秀樹: コントは主に、ぜんじろう、陣内智則、ネゴシックスなども演じているような、物にツッコむコントである。


福田充徳: また、今田耕司や陣内智則等、多数の先輩芸人によって酒癖が悪いことが語られている。


陣内孝則: 関西テレビの単発番組『陣内家』において、陣内貴美子とは遠戚にあたり、逆に陣内智則とは遠縁でも何でもないことが判明した。


陣内貴美子: 陣内孝則とは遠戚で、関西テレビの『陣内家』という単発番組で共演を果たしている(この際の調査で、陣内智則とは血縁関係がないことが判明)。


植田浩望: 彼の訃報に遺族やファン、元相方の竹内の他、鉄拳、ヒロシ、カンニング竹山、陣内智則、狩野英孝、芋洗坂係長などのお笑いタレントや、アニメやゲーム作品で共演経験のある折笠富美子、myco、稲田徹、緒方恵美などの声優、『エンタの神様』プロデューサーの五味一男や『名探偵コナン』プロデューサーの諏訪道彦など番組スタッフ、ゴールデンボンバー、美女♂Menのデビューシングルの原曲を歌ったSHAZNAの元フロントマンのIZAMなどミュージシャンや歌手、『満月をさがして』の原作者である漫画家の種村有菜など、生前に交流のあった人々からやっくんの公式サイトや記者会見、ツイッターやブログなどを通して哀悼の念が多数寄せられた。


野田クリスタル: しかし、陣内智則のように映像にツッコむ形ではなく、あくまでゲーム実況をすること(ネタ中に実況にゲームをしながらツッコむ)にこだわっている。


陣内智則の情報まとめ

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陣内 智則(じんない とものり)さんの誕生日は1974年2月22日です。兵庫出身のタレントのようです。

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人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、解散、引退、現在、ドラマ、結婚、離婚、趣味、映画、父親、再婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。陣内智則の現在の年齢は50歳のようです。

陣内智則のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

陣内 智則(じんない とものり、1974年〈昭和49年〉2月22日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、司会者、YouTuber。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒業。吉本興業(東京本社)所属。妻はフジテレビアナウンサーの松村未央。

加古川市立別府小学校、加古川市立別府中学校、兵庫県立高砂南高等学校卒業後、高校の同級生である西口圭と共にNSC大阪校の11期生として入学し、西口とお笑いコンビ『リミテッド』を結成。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット(limit)」と間違って名付けたものである。実際、「リミテッド(limited)」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉だが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。リミテッドとしての初仕事は、その当時、WコウジがMBSラジオで放送していたラジオ番組の素人参加型コーナーだった。その他、高校時代にも『ピート・ローズ』のコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。その後、『NSCアマチュア大賞』の秋開催のグランプリを獲得。これが、リミテッド時代に獲得した唯一の賞となる。

陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に、祖父の知り合いが営んでいた寿司屋・小鯛雀鮨鮨萬で生活費などを稼ぐためにアルバイトで入るつもりが、誤って正社員になる手続きを済ませてしまった。職人達の中での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが、陣内は卒業までの1年間、早朝4時に起床してからの皿洗いやシャリ炊き、料理の下拵えなどをしていた。

NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動を開始。しかし当時のリミテッドは評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中リミテッドは「2丁目で一番おもんないコンビ」などと揶揄されていた。その結果、結成3年後の1995年9月をもってコンビは解散。相方の西口は解散と同時に芸能界から引退したことに伴い、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。

先述の通りリミテッドの評判が悪く「見たら不幸になるコンビ」という批評もあり、舞台に立つと観客が顔を伏せる状況であった。実際、当時はネタ番組で1分だけの出演にも関わらず出番になった途端画面に台風情報が入ったり、一般参加型のフェリーツアーの追加メンバーにリミテッドの名前が出た途端台風でツアーが中止になったりするなど、不運ぶりも群を抜いていた。このことで陣内自身も萎縮してしまっており、ライブの前説をする後輩に「今日来た方は残念でしたね。なんと、今からリミテッドが出ます!!」といじられてもまったく反応を返せなかった。その後、後輩芸人の予定が合わなかったため、その代役としてテレビ番組に出演することになったが、出番は着ぐるみを着て舞台を通過するだけという屈辱的なものだった。陣内はそのことが悔しくて仕方なかったが、相方の西口が意欲のない態度を示したため、その場で殴り合いの喧嘩となり、その最中に陣内は解散を決意した。

リミテッド解散以降、「Wachacha Live」への出演もままならなくなった陣内はテレビの『すんげー!Best10』や同番組で結成されたユニット「そういう人達」のライブ活動で凌ぎ、1996年12月の若手ネタ番組『オールザッツ漫才』(毎日放送、関西ローカル)に出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出たため(岸本R突然の不参加による)、陣内が急遽スタッフに呼ばれ1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、これが大受けし3回戦まで進出した。

解散のショックからなかなか立ち直れないでいた1997年、先輩芸人や吉本側から「ネタが作れない芸人は出るな」「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と最後通告を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならなかったが、イベントの直前に偶然乗った電車の車掌のアナウンスが変であったことに思わずツッコミを入れたところ周囲から笑いが起きたことに気づき、現在の持ちネタである「予め用意された音声や映像にツッコミを入れるネタ」の原型となる、新しい手法のネタが閃いた。開演数分前にようやく新ネタが完成し、それを演じたところ評判が良かったため吉本の陣内に対する評価も変わり、仕事が増えるようになる。

1999年10月放送開始の情報番組『ちちんぷいぷい』(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日の人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西の中年層への知名度も徐々にアップする。同年11月からは爆笑オンエアバトル(NHK総合)に出場。初挑戦で当時の最高KBである537KBを記録。以降も高得点を連発し、番組の常勝組となっていく。

1999年にbaseよしもとが開館し、FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩たちをまとめる役を買って出ることになった。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されることが多くなるが、その中でも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期に、毎日放送の番組で有名になったこともあって陣内は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われるようになる。ケンドーコバヤシからは「(当時同局アナウンサーだった角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどだった。

baseよしもとを卒業後は、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。2003年に『エンタの神様』(日本テレビ系列)に出演して以来東京での仕事も増えていく。平日は大阪で仕事をし、木曜日に『なるトモ!』(読売テレビ)の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や航空機で移動し、東京で『エンタの神様』などの番組収録とルミネtheよしもとの公演をこなしていた。

2003年頃からは、俳優、声優など他の仕事も手掛けるようになる。ドラマでは『かるたクイーン』(NHK制作、2003年1月放送。石田ひかり、山口達也、錦戸亮ほか出演)に主人公に恋する新聞記者役として毎回出演した。

2004年、予てから好きだと公言していたゲームソフト桃太郎電鉄シリーズ(ハドソン)の第13作「桃太郎電鉄USA」のCMに出演(若槻千夏、Psycho le Cémuと共演)し、これが自身初のCMとなる。

2004年から朝日放送の日曜正午枠「日曜笑劇場」に主演・座長としてレギュラー出演するようになる。同年6月に、単独ライブ『NETAJIN』公演を開催、この模様はDVD『NETAJIN』に収録された。

2005年4月4日、5年2か月間レギュラー出演していた『ちちんぷいぷい』を降板。当時関西ローカルで放送されていた『なるトモ!』が同年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった。

2006年1月19日放送の『なるトモ!』で番組開始から約1時間遅刻。『陣内智則のひとり番長』(TBSラジオ制作)生放送終了後、東京から大阪市へ向かう新幹線車内で熟睡し下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。同年4月、日本テレビ系DRAMA COMPLEX『59番目のプロポーズ』の収録時に藤原紀香と出会う。自身の収録分の最終日に、陣内は紀香に手紙を渡し、約1週間後のオールクランクアップの後、紀香から陣内にメールを送ったのを契機に、友人としての付き合いが始まる。

同年11月末に初めて藤原紀香との結婚の噂が報道される。その時は本人はまだ結婚するという考えはなかったが、メディア に注目されたのをきっかけにプロポーズ。同年12月10日に神戸市中央区の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で結婚式が行われた。結婚式には、同期のケンドーコバヤシ、たむらけんじや『なるトモ!』で共演するなるみ、海原やすよ・ともこ、恋さん(シャンプーハット)らが出席した。この結婚式の模様は、同日の16:20 - 16:55に読売テレビが放送し、関西で18.2%という高視聴率を記録した。交際をするにあたり、『なるトモ!』に出演している芸能リポーターである駒井千佳子に相談していた。

結婚式翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社のような規制(ただし、コント出演中の写真撮影は禁止された)もなく、素でコントをしている所などが見られた。結婚を機に東京で紀香と新居に引っ越し、『なるトモ!』の生放送および収録がある毎週月曜から木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を行っていた。

2007年4月10日、加古川市役所にてともに婚姻届を提出し正式に夫婦となった。2007年5月30日、結婚披露宴をホテルオークラ神戸で行い、日本テレビ系列にてゴールデンタイムに放送。ビデオリサーチ社が調査した平均視聴率は、関東で24.7%、関西で40.0%であった。また瞬間最高視聴率は、関東で32.7%、関西で49.2%であった。また、陣内は披露宴にてコブクロの『永遠にともに』のピアノによる弾き語りを披露した。

2008年9月23日、約4年半司会を続けた『なるトモ!』を降板。

2009年3月20日、離婚届を提出し、同年3月23日に正式に受理される。

離婚から半年経った2009年10月、約3年ぶりの単独全国ツアーライブ『NETAJIN Live Tour 2009〜墜ちたら這い上がれ〜』を公演。サブタイトルの「墜ちたら這い上がれ」は、離婚によるマスコミや世間からのバッシングが治まっていない時期に収録した『いい旅・夢気分』(テレビ東京)のロケ先で見つけ購入した絵画に書かれていた言葉から取られた。

同年2009年12月、2009年S-1バトル12月度月間チャンピオンに選ばれる。作品名は「ボーリング」(ボウリング)。

2003年から7年連続で務めた「オールザッツ漫才」(毎日放送)の司会を2009年を最後に勇退。

2010年4月6日、ルミネtheよしもとで吉本新喜劇座長としてデビュー(よしもと新喜劇強化プロジェクトの期間限定座長)。

2011年6月12日には、自身初の海外公演『陣内智則 ワールドライブツアー 第1弾 In韓国 NETAJINマイベスト〜世界進出本気で狙ってます〜』を韓国・ソウルで開催。日本でも毎日放送で、2011年7月18日(17日深夜)に、その模様が関西ローカルの特別番組「ハングルで笑わせろ!〜密着! 陣内智則ライブin韓国〜」が放送された。同年5月には、同公演の告知を兼ねて、同国のテレビ局・KBSの人気バラエティ番組『ギャグスター シーズン2』へゲスト出演した。自分で制作に関わった映像にツッコミを入れるネタがYouTube配信の動画を通じてアジア諸国などで評判を呼んでいることを受けた訪韓で、出発前には後輩の女性芸人・ヒヨン(NSC東京14期生)を相手に、約1か月にわたって韓国語を猛勉強。その結果、上記の公演・番組では、持ちネタの一部を韓国語で披露している。

2012年4月、吉本興業創業100周年記念の舞台作品シリーズ「吉本百年物語」において、第1弾の「大将と御寮ンさん・二人の夢」に創業者・吉本吉兵衛 役で国仲涼子(妻・吉本せい 役)とともに主演を務めた。

2013年1月27日、第34回ABCお笑いグランプリの審査員を務めた。お笑いコンテストの審査員を務めるのは初となる。2018年と2019年にはR-1ぐらんぷりの審査員も務めた。

2020年2月22日、46歳の誕生日に自身のYouTubeチャンネル『陣内智則のネタジン』を開設。今まで作ってきたネタや過去のネタの動画を毎週水曜と土曜の18時に配信している。2021年1月29日には英語版のチャンネルも開設した。

同年11月11日、bilibiliにて公式アカウントを開設、YouTubeに投稿してきた動画をこちらにも投稿し、中国における動画配信デビューを果たした。また、動画は中国語字幕付きで配信されている。

2021年11月10日から12月18日にかけて、動画編集とディレクターを務めているスタッフが「未破裂左椎骨動脈解離」で緊急入院した為『ネタジン』の配信を休止。

人物

身長167cm 体重58kg。NSC大阪校11期生。

趣味は野球観戦とゴルフ。

好きなミュージシャンは尾崎豊、Mr.Childrenなど。特に尾崎豊はマニアだと自称するほどのファン。出囃子はBLANKEY JET CITYの「ロメオ」。

一番好きな映画は『ライフ・イズ・ビューティフル』。

ゴルフを2005年頃から始めていて、東野ゴルフクラブ所属。

桃太郎電鉄シリーズ - 陣内桃則(じんないもものり)名義(2024年2月現在「剥奪中」)。

演劇鑑賞 - 劇団☆新感線、三谷幸喜、後藤ひろひとなどの舞台を好んで観劇。

絵を描くのとダンスが苦手である。

「陣くん」、「陣ちゃん」などと呼ばれる。『なるトモ!』(読売テレビ制作)では三浦隆志(読売テレビアナウンサー)から「陣様」とも呼ばれていた。日本テレビ『ニノさん』で共演する嵐の二宮和也とSexy Zoneの菊池風磨からは「陣さん」と呼ばれている。

舞台に上がるのは陣内智則ただ1人であるためピン芸人という位置付けであるが、実際はグラフィックデザイナーの原田専門家と2人組でネタを制作している。原田専門家がボケとなる映像を制作し、陣内智則が映像にツッコミを入れる形でお笑いを展開している。

エピソード

出生時から血液型はA型と父親から教えられていたが、人間ドックで検査したところO型ということが判明したことを報告した。

苗字が陣内のため、俳優の陣内孝則の親戚と間違われ、また兄の名前が「隆則(たかのり)」と字は違えど同姓同名だった。そのため、智則の祖母が近所の人の「陣内孝則とどういう関係」の問いに「うちの孫」と答え、孝則と共演すると、決まって「芸名変えろ!」と訴えられる「お約束」がある。

姪には姫路市のご当地アイドル・KRD8リーダー宮脇舞依がいる(実姉の娘にあたる)。

寿司店でのアルバイト経験から、サバや鯛などの魚の三枚おろしが特技である。

コンピュータボードゲーム『桃太郎電鉄シリーズ』の制作者・ゲーム監督のさくまあきらによると、芸人たちに自由に新作の試作品をプレイしてもらい意見を聞くために在阪テレビ局の一室を借りて、開放のテストプレイ部屋にしておいたところ、陣内がよく部屋に顔を出していたことから『桃太郎電鉄USA』以降のCMに起用したという。

2007年6月にタバコ問題首都圏協議会より「喫煙をやめられた有名人」の一人として、陣内が表彰されたことが報道された。当時妻だった紀香は陣内の禁煙に協力したとして「卒煙アシスト賞」が贈られた。

上記の絵を描くのとダンスが苦手であるだけでなく、演技も下手である事が『アメトーーク!』で判明。同番組の「仮面ライダー芸人」の3回目の放送のオブサーバー側のゲストとして出演した際に自身の演技を見ていた当時司会者の宮迫博之(雨上がり決死隊〈当時〉)と同じくオブサーバー側のゲストである瀧本美織に「クソ大根」と酷評されて以降、数々のバラエティ番組で他のお笑い芸人や俳優(女優)などからいじられて笑いを誘う事があるが、それが売りともいわれる事もある。

サブカルとの親和性が高い芸風にもかかわらず、仮面ライダーシリーズを始めとする特撮やアニメの事は知らないと『アメトーーク!』で判明している。また、ゲームは多少やるようだが、あまり詳しくはない。

結婚

前妻の藤原紀香とは『ベリーベリーサタデー!』(関西テレビ制作)にて共演したのが本当の初めての出会いだが、紀香はこれを覚えておらず、前記したドラマ収録時の顔合わせの際、「はじめまして」と挨拶している。

前述した通り、披露宴でコブクロの『永遠にともに』をピアノを弾いて歌ったことを受け、2007年7月18日の『リンカーン』(TBSテレビ系)のコーナー「フレンドリーダウンタウン」では松本人志に捧げようと再度の弾き語りを試みたが、数テイクののち、結局断念した。郷ひろみはこの「永遠にともに」を知らなかったのか、作詞・作曲を陣内自身がしたと勘違いしており、披露宴の翌日に「陣内君すごいね!いい曲書いたね!!」と電話がかかってきたとのこと。

2人で住んでいた家には、陣内の持ち込んだものはロッシー(野生爆弾)に貰った狸の置物と液晶テレビの2つ。そのうち狸の置物は玄関の外にあると陣内は語っていた。なお、この家は藤原が陣内と結婚する前に住んでいた家よりも狭い。なお、離婚し家を出る時は液晶テレビだけを持ち出して行った。

藤原との初デート話については、バッティングセンターで陣内は極度の緊張でまったく打てず、「タイミングあわせたら打てるよ」と逆にアドバイスを受け、陣内はその時の藤原の打法を見て「ズレータや!」と思ったとのこと。そして結婚後、もう一度バッティングセンターに行ったら初デートよりは打てたが、藤原はさらにパワーアップしていて、陣内は「カブレラや!」と語った。なお、藤原本人は「この時点ではまだデートという意識はなかった」と述べている。

藤原を初めてデートに誘うように勧めたのは、ケンドーコバヤシである。陣内と食事に行った際にドラマで共演した話になり、陣内から「好きになってメールはしているが、電話したり、デートに誘ったりができない」と相談され、ケンドーは告白して振られた陣内を後でからかおうと「今すぐ電話してデートに誘え!」と言い電話を掛けさせた。そして陣内はその場で藤原との初めてデートの約束を取り付ける。ふざけて言ったことであったが逆にその勧めが大成功を収めた。ケンドーは「自分が日本の歴史を変えてしまった」とトークのネタにしている。

離婚

2009年3月19日、妻の藤原紀香とすでに別居中で、離婚秒読みだとスポーツ紙3紙が報じた。同年3月20日、藤原の親族により、離婚届提出。2009年3月24日に、東京都内で記者会見を行い、離婚について語った。

会見で「私、陣内智則は藤原紀香さんと正式に離婚致しました。すべては僕の未熟さ、心の弱さが原因です……すべて僕の原因です」と語り、各メディアで報じられてきた女性問題など浮気を認め、「去年の夏ごろに僕の浮気が発覚しまして、その時にもう一度やり直そうという話をしてきましたが、やはり彼女は許せなかったようです」と説明した。

紀香と同居していた部屋から出た後は、田村裕(麒麟)の住居に居候していた。

それ以来、他のタレントから「祝儀返せ」「縁起が悪い」などといじられている。離婚したことでコブクロや「永遠にともに」の曲にマイナスイメージがついてしまったことを陣内は申し訳ないと各所でコメントしている。2014年6月18日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)においては、「永遠にともに」が陣内の離婚以降使われなくなり、同曲を結婚式で使ったのは5,000組中1組だけという検証結果だった。

その後、『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)の「私たち結構頑張ってるのになぜかCM出演ゼロなんですSP」でのトークが高じて「行列」とタイガー魔法瓶のコラボCMに出演。「彼女の気持ちは冷めたけど僕の気持ちとご飯はまだ暖かい」というセリフがあった。

離婚によるイメージ悪化が理由で2004年から起用されてきた『桃太郎電鉄シリーズ』のCMを降板。しかし同シリーズの制作者・ゲーム監督のさくまあきらによると「イメージが回復出来れば復帰もありえる」とのこと。さくまから「CMに復帰して欲しい」ということも伝えたことがあったという。その後の2016年12月、『桃太郎電鉄2017 たちあがれ日本!!』のCMに出演し、およそ8年ぶりのCM復帰となった。

2017年に松村未央と再婚するが、相変わらず藤原の件や陣内自身の浮気のネタいじりは継続している(2024年現在)。

野球

2003年にプロ野球・阪神タイガース応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ、関西ローカル)の司会に抜擢された。陣内自身も阪神ファンだと公言しており、私生活で赤星憲広、浅井良や阪神タイガースの当時若手選手との交流があった。元関西テレビアナウンサー・梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。また、関本賢太郎とは後輩芸人らとともに、卓球バーで卓球をする仲である。

少年の頃からの阪神タイガースファンで、その様子は2007年5月30日に放送された自身の結婚式披露宴中継にてスライド写真が流れた際に、阪神タイガースの野球帽を被る少年時代の姿が映し出されていた。

芸人が所属している草野球チームのキャプテンで、試合は主に深夜に大阪ドームを貸し切って行っている。参加メンバーはシャンプーハット、大林健二(モンスターエンジン)、スマイルなど。

交友関係

「サークルJ」と称するグループを結成している。これは陣内が出演していたラジオ番組に由来し、名前は軍団と称するにはゆるい集まりなのでサークルとしたものである。最初は「ペットショップの子犬の成長を見守る」集まりだった。

サークルJのメンバーは主に恋さん(シャンプーハット)、徳井義実(チュートリアル)、すっちー、中川貴志(ランディーズ)、月亭八光。その他のメンバーはロッシー(野性爆弾)、ハラダ(ファミリーレストラン)、和田友徳(ヘッドライト)、瀬戸洋祐(スマイル)など。

阪神タイガースの選手とは公私共に仲が良い。

有名人でお互いに親友だと公言している人物はケンドーコバヤシ、月亭方正、桧山進次郎、加藤晴彦など。

公私に渡って仲良くする後輩芸人・大狸ぽんぽこ(シンプルのボケ担当)の芸名を名付けた。

2024/06/10 18:45更新

jinnai tomonori


陣内智則と同じ誕生日2月22日生まれ、同じ兵庫出身の人

庄司 ゆうこ(しょうじ ゆうこ)
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庄司 ゆうこ(しょうじ ゆうこ、本名:庄司 祐子(読みは同じ)、1984年2月22日 - )は、兵庫県神戸市出身の実業家、タレント、女優、元グラビアアイドルである。 株式会社ポジティブスターヨガ代表取…

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1930年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

伊藤 修司(いとう しゅうじ、1930年2月22日 - 2006年1月 )は兵庫県出身のJRA元騎手、元調教師。 父は伊藤勝吉調教師。上野清章(旧姓・伊藤)騎手は元・娘婿だった(娘の離婚を機に清章を…

中田 昌宏(なかた よしひろ)
1935年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 2009年11月16日)は、兵庫県西宮市鳴尾出身のプロ野球選手(外野手、一塁手…

松山 正治(まつやま まさじ)
1938年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

松山 正治(まつやま まさじ、1938年(昭和13年)2月22日 - )は、日本の政治家、教諭。元京都府福知山市長(2期)。 1960年(昭和35年)3月、東京農業大学農学部農学科卒業。1962年…

相原 真理子(あいはら まりこ)
1947年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

相原 真理子(あいはら まりこ、1947年2月22日 - 2010年1月29日 )は、日本の翻訳家。 ライトノベル作家の相原真理子(1963年 - )は別人。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部英…

中田 祥多(なかた しょうた)
1990年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 中田 祥多(なかた しょうた、1990年2月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 鳴門市立鳴門工…

タナカサキコ(たなかさきこ)
2月22日生まれの有名人 兵庫出身

タナカ サキコ(1964年2月22日 - )は、日本の女優、声優。兵庫県明石市出身。プロダクション・タンク所属。 武庫川女子大学短期大学部卒業。劇団道化座、劇団健康に所属していた。時速500円主宰…


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陣内 貴美子(じんない きみこ)
1964年3月12日生まれの有名人 熊本出身

陣内 貴美子(じんない きみこ、1964年〈昭和39年〉3月12日 - )は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニュースキャスター。元バドミントン選手である。本名、金石 貴美子(かねいし きみこ…

陣内 誠(じんない まこと)
1951年11月30日生まれの有名人 神奈川出身

陣内 誠(じんない まこと、1951年(昭和26年)11月30日 - )は、元フジテレビアナウンサー。 神奈川県横浜市出身。血液型はO型。趣味・特技はサッカー、競馬、読書。 神奈川県立多摩高等学…

陣内 孝則(じんない たかのり)
1958年8月12日生まれの有名人 福岡出身

陣内 孝則(じんない たかのり、1958年〈昭和33年〉8月12日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、司会者、映画監督。ジェイ・オフィス所属(2013年12月よりオスカープロモー…

仁内 建之(じんない たつゆき)
1933年2月21日生まれの有名人 北海道出身

仁内 建之(じんない たつゆき、1933年2月21日 - 2000年4月12日)は、日本の男性俳優、声優。北海道帯広市出身。最終所属はテアトル・エコー。 旧芸名、仁内 達之(読み同じ)。初期は本名の…

陣内 孝雄(じんのうち たかお)
1933年8月24日生まれの有名人 佐賀出身

陣内 孝雄(じんのうち たかお、1933年8月24日 - )は、日本の政治家・官僚。元参議院議員(4期)。佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、京都…

神内 博喜(じんない ひろき)
1954年2月17日生まれの有名人 香川出身

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陣内 大蔵(じんのうち たいぞう)
1965年5月25日生まれの有名人 山口出身

陣内 大蔵(じんのうち たいぞう、1965年5月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、プロテスタントのクリスチャン、日本基督教団東美教会牧師。 山口県宇部市出身。父は、…

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1963年6月21日生まれの有名人 東京出身

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神内 良一(じんない りょういち)
1926年8月15日生まれの有名人 京都出身

神内 良一(じんない りょういち、1926年(大正15年)8月15日 - 2017年(平成29年)6月27日)は、日本の実業家、資産家。消費者金融大手・プロミスの創業者で、有限会社神内ファーム21(現…

陳内 将(じんない しょう)
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陳内 将(じんない しょう、1988年1月16日 - )は、日本の俳優、タレント。男性俳優集団D2およびD-BOYSのメンバー。 熊本県上天草市(旧・天草郡姫戸町)出身。ワタナベエンターテインメント所…

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陣内 智衣(じんのうち ともい、1978年9月30日 - )は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサーで、元石川テレビアナウンサー。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。てんびん座、血液型はB型。…

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