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藤原紀香の情報 (ふじわらのりか)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

藤原紀香の情報(ふじわらのりか) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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藤原 紀香さんについて調べます

■名前・氏名
藤原 紀香
(読み:ふじわら のりか)
■職業
女優
■藤原紀香の誕生日・生年月日
1971年6月28日 (年齢52歳)
亥年(いのしし年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和46年)1971年生まれの人の年齢早見表

藤原紀香と同じ1971年生まれの有名人・芸能人

藤原紀香と同じ6月28日生まれの有名人・芸能人

藤原紀香と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


藤原紀香と関係のある人

酒井若菜: J-PHONE(現・ソフトバンクモバイル) 写メール(藤原紀香と共演)


香瑠鼓: 「タカラcanチューハイ」(藤原紀香


福島善成: 藤原紀香(キャンペーンガール時代にとっていたポーズ)


中井ゆかり: 藤原紀香「卒業篇」 2007年2月9日 レオパレス21


陣内智則: 2009年3月19日、妻の藤原紀香とすでに別居中で、離婚秒読みだとスポーツ紙3紙が報じた。


陣内智則: 同年11月末に初めて藤原紀香との結婚の噂が報道される。


保田圭: プライベートでは華原朋美、藤原紀香、ビビアン・スー、篠田麻里子、内山理名、黒木瞳らと親交がある。


陣内智則: 同年4月、日本テレビ系DRAMA COMPLEX『59番目のプロポーズ』の収録時に藤原紀香と出会う。


井川意高: 六本木などで夜毎に酒宴を開き、藤原紀香などの女性タレント、田丸麻紀などの女性モデル、熊田曜子などグラビアアイドル、らと派手に広く交流していた。


長谷川京子: 2000年4月より格闘技情報番組『SRS』(フジテレビ)の三代目格闘ビジュアルクイーンに起用された(初代は藤原紀香、二代目は畑野浩子)。


曾我廼家文童: 新派初出演の藤原紀香と共演。


浅見千代子: 2007年4月21日には都内で行われたイベントで、藤原紀香と結婚したばかりの陣内智則と濃厚キスをした。


立木文彦: 藤原紀香の1ボトル(不定期特番、2006年・2007年に2回放送)


田島治子: 2003年4月~6月に藤原紀香主演でTBSで放送されたドラマ「あなたの人生お運びします!」は、アートコーポレーション創業者・寺田寿男、寺田千代乃夫妻をモデルに製作されたものだが、劇中同じ会社の部下夫婦を佐々木蔵之介、小池栄子が演じ、顧客リストを持ち出して独立し「アーイ引越しセンター」を設立、という田島夫婦をモデルにしているような描かれ方がされていたが、勿論両夫婦は同じ会社で働いた事はなく、引越専業というアイデアも田島夫妻がアートコーポレーションを真似たわけではない。


大谷健太郎: “藤原紀香“崖っぷち女”を熱演「この役に出会えてよかった」”.


友近由紀子: 藤原紀香


ミラクルひかる: 藤原紀香


大黒摩季: 音楽業界以外では、神田うの、藤原紀香やはるな愛、川島なお美夫妻や山田邦子夫妻、森三中などの他に、2005年に死去したプロウィンドサーファー飯島夏樹とも親交があった。


仁香: 同期に活動していたモデルには長谷川理恵や米倉涼子、藤原紀香などがいた。


芳村仁香: 同期に活動していたモデルには長谷川理恵や米倉涼子、藤原紀香などがいた。


陣内智則: 前妻の藤原紀香とは『ベリーベリーサタデー!』(関西テレビ制作)にて共演したのが本当の初めての出会いだが、紀香はこれを覚えておらず、前記したドラマ収録時の顔合わせの際、「はじめまして」と挨拶している。


橋本恵子: 59番目のプロポーズ(2006年) - 藤原紀香吹き替え


相沢紗世: 日本航空 JALバーゲンフェア(藤原紀香と共演)


稲森いずみ: また、藤原紀香との合同写真が台湾選挙で無断使用され、波紋を広げた。


下山天: J-phone「J-スカイ・メール」(出演:藤原紀香)


周防郁雄: 郷ひろみや小泉今日子、細川たかし、加藤雅也、藤原紀香ら輩出し、芸能界における絶対的権力を掌握し、動向を左右する存在になった。


はるな愛: 藤原紀香を『紀ねえ』と呼び、慕っている。


みる香: 藤原紀香(オデコものまね)


森雪之丞: 2009年 ブロードウェイ・ミュージカル『ドロウジー・シャペロン』訳詞(作詞&作曲:リサ・ランバート&グレッグ・モリソン 脚本:ボブ・マーティン&ドン・マッケラー、演出:宮本亜門 出演:藤原紀香、木の実ナナ、川平慈英、なだぎ武、小松政夫、尾藤イサオ、中村メイコ、小堺一機 etc.)


福田転球: “藤原紀香主演舞台「カルメン故郷に帰る」横山由依・徳重聡らキャスト決定”.


藤原紀香の情報まとめ

もしもしロボ

藤原 紀香(ふじわら のりか)さんの誕生日は1971年6月28日です。兵庫出身の女優のようです。

もしもしロボ

人物、その他などについてまとめました。卒業、映画、離婚、ドラマ、テレビ、結婚、現在、家族、父親、趣味、母親、再婚に関する情報もありますね。藤原紀香の現在の年齢は52歳のようです。

藤原紀香のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。第24回(1992年度)ミス日本。

兵庫県西宮市出身。西宮市立生瀬小学校、親和中学校・親和女子高等学校卒業、神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。高輪エージェンシー→バーニングプロダクション→サムデイ所属。夫は歌舞伎俳優の片岡愛之助。

1984年、西宮市立生瀬小学校卒業・親和中学校進学。

1989年、毎日放送が毎年公募していた 選抜高等学校野球大会の「セブンティーンレポーター」の一人に選ばれる。

1990年、親和女子高等学校→神戸親和女子大学文学部英米文学科に進学。

1991年、大学在学中に、第24回(1992年度)ミス日本コンテストに応募し優勝。

1993年、東レキャンペーンガール。関西ローカル番組『ナイトinナイト』の枠内で放送された『クイズ!紳助くん』の初代アシスタントに。1997年12月までの長期出演。

1994年、アサヒビールイメージガールとして活躍。

1995年、阪神・淡路大震災の経験から「人生、いつ終わるか分からないから」と達観して上京。またこの頃、被災者のために有名人が支援活動や慰問コンサートする様子に影響を受けたことがきっかけで、その後自身も様々な支援活動や国際活動を行うようになる。

1998年、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMをきっかけにブレイク。CM女王などと言われた。

2000年、香港映画『SPY N』に出演。

2004年、3年契約で自身がプロデュースするブランド「NEW YORK DIARY」を立ち上げた。

2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって婚約会見を行い、同年12月10日に結納を済ませたこと、翌2007年2月17日に生田神社で挙式を行うことを発表した。当時、世界で一番ユーザーが多かったソーシャルネットワーク、MySpaceを始める。

2007年2月17日、生田神社で陣内智則と挙式(挙式の様子は非公開であるが、衣裳は十二単におすべらかし、お色直しは白無垢に高島田であった)。4月10日、加古川市役所で入籍。5月、自著である『紀香魂 - ハッピー・スピリット - 』を発売。マリッジブルーにより「円形脱毛症」だったことが明かされる。5月30日、ホテルオークラ神戸で披露宴を行った。

2008年2月、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。

2009年3月23日、陣内智則と離婚。5月、NHK金曜ドラマ『ツレがうつになりまして。』に主演、突然うつ病となった夫を支える妻を演じる。10月から12月、日本の産婦人科医療が抱える現状を描いた日本テレビ系列のドラマ『ギネ〜産婦人科の女たち』に主演する。

2010年1月7日から29日、日生劇場で、ブロードウェイミュージカルの世界的名作『キャバレー』に主演。歌姫サリー・ボウルズ役。

2009年から2011年まで「輝く日本レコード大賞」の司会を堺正章とともに務める。

2011年3月11日に初日を迎えるはずだったミュージカル「マルグリット」は、東日本大震災が当日に起こり順延。同月17日から28日まで東京、4月6日から10日まで大阪で公演。その間、毎公演後ロビーに立って義援金集めを行い、千秋楽後の4月12日に被災地に訪れ支援活動などを行った。

2013年、京都国立博物館広報特使に就任。

2015年、紀の川市フルーツ大使に就任。

2016年、同学年で歌舞伎俳優の六代目片岡愛之助と3月30日に都内の区役所に婚姻届を提出し、2度目の結婚。2021年現在は、愛之助とオス猫のマンチカンの“まー之助”と暮らしている。

人物

家族

建築設計事務所経営の父、専業主婦の母と3歳下の弟がいる。紀香という名前は、和歌山県出身の両親が結婚前によく紀ノ川周辺でデートをしており、思い出深い「紀ノ川」の「香り」にちなんで命名された。父は満州生まれであり、引揚げの際に家族を失っている。

子供の頃は自宅近くの野山を駆け回るようなやんちゃな性格で、いつも弟と一緒に男子がするような遊びをしていたため、よく男子に間違えられていた。また、小学生時代は、当時男子しか入れなかった少年野球チームに「なんで女子は入れないの?」とコーチに直談判して特別に入り、ポジションは3番ファーストだった。

この頃父親家族を連れて車で旅をするのが好きだったため、金沢や岡山など様々な観光地に行っていた。その道中渋滞に巻き込まれると、いつも車の中で一人用のカラオケセットで中森明菜やピンク・レディーの曲を歌って家族を楽しませていた。歌が好きで小学校のころはピンク・レディーになるのが夢だったという。

学生時代

海洋動物が大好きで、小学校の頃の夢はイルカショーのお姉さん。一緒に寝泊りして飼育することに憧れていたという。思春期の頃は和歌山県白浜のアドベンチャーワールドに数え切れないほど通い、特に当時“オルカ”と名付けられたシャチのショーを見るのが大好きだった。

中学・高校時代は阪急電鉄で通学。中学・高校時代はバスケットボール部に所属するスポ根少女だったが、高校では落語研究会にも所属。

高校進学後から歴史が好きになり、歴史考古学者の助手や世界史の教師になるのが夢だった。しかし17歳の時に先述のセンバツ高校野球の「セブンティーンリポーター」に応募し、「スポーツと私」という作文を書いて合格。甲子園球場から試合の模様を伝えたり、選手や彼らを支える人などをインタビューし、これが自身にとって初めてのテレビ出演となった。人に物事を伝える面白さを感じたことから、将来はアナウンサーやリポーターになることが夢だった。

芸能界へ

大学進学後、突然「ミス日本コンテスト」の書類選考を通過したとの知らせが届く。若い頃母が同コンテストに憧れながら断念した過去があり、娘にその望みを託し「お見合いの箔つけにでもなれば」と内緒で応募していた。その後最終選考まで残り、「ミス日本」優勝。

芸能界入りを望んだが両親から猛反対に遭い、後日親族たちも交えて話し合いの場が設けられて上京を諦めるよう説得を受けた。その結果「1単位も落とさずに大学を卒業すること」と「芸能界の仕事は実家から通うこと」を条件に許可され、大学卒業後にモデルデビューした。事務所に所属後いくつかの企業のイメージガールに合格するが、1993年頃に水着姿の仕事を受ける際、両親から再び猛反対された。所属事務所が必死に両親を説得したことで何とか許可をもらい、東レのキャンペーンガールなどの仕事を担当。モデル業に加えて、先述の『クイズ!紳助くん』など関西を中心にタレント活動をする。

自著である『藤原主義』によると、芸能界デビュー当初は神戸の実家から新幹線や飛行機で東京などの仕事場に通っていたが、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災で知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意した。その時、家族会議が行われ、母から「あんたの帰るところはここやで。ダメやと思ったら自分で引き際を決めて帰ってきなさい」と言われ、3月に上京。父親は最後まで首を縦に振らなかったが、上京の際、父がトラックに荷物を積んで無言で東京まで運んでくれたという。その後しばらくは、学芸大学駅近くの6畳一間で暮らすが、オーディションになかなか受からず倹約生活を送った。

第二の故郷・和歌山

本人は「和歌山は私の人生と切っても切れない、“第二の故郷”」と位置づけている。両親が和歌山県出身であることから、「私には和歌山の血が流れている」、「兵庫と和歌山のハーフ」と称することもある。

幼い頃から休みの日には祖父母の家がある和歌山に遊びに行っていたため、「紀ノ川あたりは“私の庭”です」と評している。ちなみに高校時代に歴史好きになったのは、10代の頃に和歌山の熊野三社や熊野古道をよく散策したことがきっかけ。

和歌山県ゆかりの有名人として、2015年に行われた第70回「紀の国わかやま国体」の開会式に参加した。また同年「紀の川フルーツ大使」に任命された時は、本人は「とても嬉しかった」としている。

2021年現在も時々和歌山の海に訪れては海釣りを楽しんだり、東京の知人と白浜や熊野古道を訪れている。

女優業

女優を目指したのは1988年のドラマ「抱きしめたい!」で主演を務めた“W浅野”(浅野温子と浅野ゆう子)に憧れたことがきっかけ。1993年に関西でタレント活動を始め、同年の映画「ビッグタウンふたりの朝」で女優デビューした。

1995年に上京するが様々なオーディションに落ち続ける日々を過ごす。本人によると1997年にドラマ「ラブジェネレーション」への出演が転機となり、大きな仕事を依頼され始めたとのこと。1999年のテレビドラマ「ナオミ」で初主演を務めた。

女優業では演技力を疑問視する声がマスコミからは上がっており、批判的な記事が掲載されることも少なくない。また、ヒット作がないことから、代表作は「バスロマン」や「レオパレス」等のCM、「披露宴」と書かれたこともある。

仁支川峰子は女優としての藤原を「ナイスバディなだけ」と評している。

国際活動や人道支援への協力

2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともに日韓国民交流年の際、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献し、青瓦台にも訪問。

内乱後のアフガニスタンに赴き、2002年のテレビ番組で戦災についてレポートを行った。そのほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の「ピース・トーク・マラソン」に賛同して、写真展を日本各地で行い、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。

2006年には国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、当時のラモスホルタ外相(現在は首相)の家にも招かれた。後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。アナン事務総長にも面会。

2007年には日本赤十字社の広報特使になり、2008年1月バングラデシュに赴きてハリケーン被害を受けた村を取材。

U2のボノとも親交があり、ボノが来日すると連絡を受け、現在のアフリカや国際貢献に関しての話をする(ボノ作成のサミットへのメッセージビデオにも出演している)。

2009年赤十字広報特使として、ケニアへIHOP事業の視察へ。乳幼児や5歳未満で死亡してしまう子どもたちの現状を視察。

NHK特番「SAVE THE FUTURE」で3年連続司会を務め、その取材先のニューヨークで環境学者レスター・ブラウンと対談。環境大国スウェーデンや、国土が海に沈んでしまうかもしれないツバル、日本では屋久島へ渡航。環境問題にも精通している。

2009年8月、STC「OPPAIプロジェクト」に賛同し、プライベートでベトナムへ渡航。帰国後、母乳育児をしないベトナムの民族の現状、母乳育児の重要性を表参道のAOビルでチャリティ写真展を通して伝える。

2010年に「スマイルプリーズ藤原紀香世界子ども基金」(以下、『スマイルプリーズ』)を設立。

2011年3月の東日本大震災後は、「スマイルプリーズ」で義援金を募り、同30日に自らの寄付と合わせて同基金の第一回目募金として、6300万円を日本赤十字社の近衛社長に直接手渡した。4月12日、東日本大震災の被災地に入り、福島県の赤十字社、宮城県内の避難所や石巻赤十字病院などを訪問し、被災者や医療スタッフを激励した。その後も被災地への訪問を重ねている。

2011年5月に「JHP学校を作る会」とともにプノンペンへ行き、自身のNPO「スマイルプリーズ」の活動においてカンボジア二校目の学校の完成セレモニーに出席。カンボジア政府からメダルを贈与される。

2011年7月に自身のプロデュースする番組「地球VOCE」(テレビ東京、テレビ東京系列)で、二度目の東ティモールへ行き、ラモスホルタ大統領と再会。日本と東ティモールの関係における対談をした。

2021年時点で上記の「スマイルプリーズ」やカンボジアの写真展の活動により様々な人や企業の協力を得て、学校をアフガニスタンに1校、カンボジアに3校、ネパールに1校を建設している。

スポーツに対する造詣

サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。

格闘技にも精通し、フジテレビで放送の『K-1』の中継の司会を務めていた。また、2003年から2007年までフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道選手権大会』の司会も務めていた(2007年は「スペシャルサポーター」として出演)。格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ、桜庭和志、フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビションマッチや演武を披露した。その際アンディ・フグに「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈られ、たいへん心を打たれたという。

2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。

中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。同馬の馬主は藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。

お笑いに対する造詣

高校生時代は落語研究会に入り、「親和亭かつお」の名で落語をした。名前の由来は高校名の「親和」とアニメ『サザエさん』のキャラクターである「磯野カツオ」から。

更に芸能界デビュー後は、先述の『クイズ!紳助くん』のアシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めた際、司会の島田紳助とトーク中心に絡んでいた。このことが彼女のお笑いに対する理解や、女優として、コミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与し、プライベートでも深く影響を受けたとされている。上京を決意した時に、紳助から「東京は戦う場所や!決して甘く考えたらあかん!」と激励された。

結婚披露宴

2006年12月10日の陣内智則との結納時に、あまりにも報道陣が取り巻いていたため、藤原の母親がタクシーにうつむいて乗車した所、報道陣に影武者と書かれて写真を撮られているが、影武者のつもりはなかった。

2007年5月30日、ホテルオークラ神戸で結婚披露宴挙行。その模様は日本テレビ系で特番「完全独占中継!おめでとう!藤原紀香・陣内智則 愛と爆笑と涙の結婚披露宴」として放送。司会は徳光和夫が務め、乾杯の音頭に宇津井健、その後は郷ひろみの歌のプレゼント、舘ひろしからの祝辞、たむらけんじの「乱入」等で盛り上げた。さらに、陣内がコブクロの「永遠にともに」をピアノを弾きながら熱唱した。

視聴率は関東地区では24.7%、2人の地元である関西地区では40.0%という高視聴率となった。

2016年の9月、再婚した片岡愛之助と挙式。同月、都内で一度目と同じく徳光の司会による披露宴が行われた。報道陣には非公開であった。この2度目の披露宴については、2020年11月13日放送のTBS系「中居正広のキンスマ」で藤原がその経緯を語っている。藤原本人はしないと決めていたが、片岡が「それは違う」「自身が選んだ人を歌舞伎界に『よろしくお願いします』という披露目なので、『しなければいけない』」と藤原を諭したという。

その他

趣味など

趣味は女磨き、書、陶芸、写真、スポーツ観戦、神社仏閣、動物園、絶叫マシン、温泉巡り。他に加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般(特技も)、アロママッサージなど。

特技は歌、釣り、アニメ、着物の着付け(着物着付け3級の資格を持つとされる)、英語検定2級。

好きな食べ物は寿司、刺身、薬膳料理などの和食全般、及びネクタリン、貴陽などの果物類。また、毎朝色々な果物をミキサーにかけてジュースとして飲んでいる。他に黒酢の酢豚、タイカレー、生クリーム100%のシュークリーム。

好きな花はマドンナリリー、すずらん、ダリア、菖蒲、バラ、芍薬。

好きな言葉は「三分前は過去」「一期一会」「NO PAIN NO GAIN」だという。

美容法や健康法など

これまで藤原の健康美を追求する姿勢が注目を浴び、年齢を感じさせない美しさが話題になることが多いとされる。ただし本人は「年齢にあらがう」という言葉はあまり好きではなく、「将来は“笑いじわがすてきなお婆ちゃん”になることを目指しています」とのこと。

※ここでは効果の有無に関わらず、本人が美容や健康のために取り入れているものを記述。

2009年頃

    入浴時、湯船にはたっぷり日本酒を注ぐ。シャンプーの前にはたっぷりの塩を頭からかぶる。彼女なりの健康法であるという。

    2020年頃

      肩が凝りすぎて体がだるかったり頭がスッキリしない時は、大好きなアロマを焚いたり、リンパマッサージ、高濃度ビタミンCや水素の点滴などデトックス効果の高いことをしている。また、健康状態を知るためにたびたび血液検査にも行くとのこと。

      普段は旬の野菜で作ったスムージーを飲んでいるが、忙しい時はお気に入りのゴーヤスムージーを飲んでいる。

      コロナ禍ではオンラインを活用してトレーニングしたり、「ヤムナボール」を使ってストレッチをしている。

      自炊では、抗酸化と免疫力アップの作用が優れているとされる鮭を取り入れることにハマっている。

      約15年前から週3回ほどのペースでジムに通い、加圧トレーニングまたは“ゆる圧ビューティプログラム”というものを続けている。また、ハンモック上のサスペンションを使ったトレーニング「シルクサスペンション」も行っている。これらの直後に「彫刻リンパマッサージ」を受けている。

      水素水を日常生活で取り入れている。また、酸素水を飲んでいる。

      エピソード

      2013年9月、「特定秘密保護法案」を危惧する発言をブログで行った。日本共産党の機関誌しんぶん赤旗にも寄稿している。

      ラジオDJパーソナリティである玉川美沙とは、同年齢で同じ関西人という繋がりで親交がある。2006年10月13日には、当時文化放送で放送されていた玉川の番組『玉川美沙 たまなび』にゲスト出演した。また、FM NACK5の『The Nutty Radio Show 鬼玉』で玉川から電話で「今日くる?」と言われ、スタジオがある銀座へ行って番組出演してしまったことがある。このエピソードは、番組の関連書籍『マル決本 3』に記されている。

      週刊文春の「女が嫌いな女」ランキングでは、長年に渡って上位入りの常連である。また、同誌の「嫌いな女優」部門や「嫌いな夫婦」部門でも上位入りの常連である。

2024/06/12 23:45更新

fujiwara norika


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藤原 しおり(ふじわら しおり、1990年〈平成2年〉8月3日 - )は、日本のタレント、元お笑い芸人。岡山県岡山市出身。旧芸名はブルゾンちえみ。 ワタナベエンターテインメントに所属し、お笑いコンビ…

藤原 あずさ(ふじわら あずさ)
1998年5月10日生まれの有名人 岡山出身

藤原 あずさ(ふじわら あずさ、1998年〈平成10年〉5月10日 - )は、日本のローカルタレント。女性アイドルグループ・STU48の元メンバーである。岡山県玉野市出身。RAMPAGE所属。 1…

藤原 あき(ふじわら あき)
1897年8月10日生まれの有名人 東京出身

藤原 あき(ふじわら あき、1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、政治家。自由民主党参議院議員(1期)。資生堂美容学校校長。藤原義江の元妻。中上川彦次郎の庶子。参議院議員時…

藤原 ななこ(ふじわら ななこ)
1985年2月7日生まれの有名人 東京出身

藤原 ななこ(ふじわら ななこ、1985年2月7日 - )は、日本の元着エロ系グラビアアイドル。旧名・藤原 七虹(読み方同じ)。東京都出身。フィットワンに所属していた。 2004年のデビュー当初か…

富士原 恭平(ふじわら きょうへい)
1961年2月17日生まれの有名人 東京出身

関連作品(映画) 1991年公開 福沢諭吉 1988年-1989年 もっとあぶない刑事 第5話「争奪」徳丸一三(和光貿易 専務) - 八名信夫 本庄恭兵(恐喝犯) - 富士原恭平 1988年公開…

藤原 誠(ふじわら まこと)
1947年5月11日生まれの有名人 東京出身

藤原 誠(ふじわら まこと、1947年5月11日 - 没年不明(一説に2002年5月13日))は、日本の歌手。東京都府中出身。 東京都府中市に生まれる。小学校5年生よりフルートを習う。神奈川県立川…

藤原 さくら(ふじわら さくら)
1995年12月30日生まれの有名人 福岡出身

藤原 さくら(ふじわら さくら、1995年12月30日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。所属事務所はアミューズ、所属レコードレーベルは自主レーベルの「Tiny Jungle Record…

藤原 新也(ふじわら しんや)
1944年3月4日生まれの有名人 福岡出身

藤原 新也(ふじわら しんや、1944年3月4日 - )は、日本の作家・随筆家、写真家・旅人である。麻原彰晃の研究家としても知られる。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)の門司港地区生まれ。生家…

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