青野季吉の情報(あおのすえきち) 文芸評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
青野 季吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
青野季吉と関係のある人
宇野浩二: 中国人民対外文化協会の招きで、守道が付き添い青野季吉・久保田万太郎らと中国を旅行した。 西條八十: 早稲田大学の同じクラスには、後に文壇で活躍する植村宗一(直木三十五)、宮島新三郎、田中純、木村毅、青野季吉、細田源吉、細田民樹らがいた。 根岸寛一: 同僚の市川正一(1892年 - 1945年)、青野季吉と交流を重ねる。 アンリ=バルビュス: 以後、彼にとって作家としての活動と政治活動は密接に関わるものとなり、『戦士のことば』(1920年)、『刄をくわえて』(1921年)、『奈落に閃く光』(1921年)にはこの間に彼が自らの思想的立場を表明したテクストが収められている(邦訳は青野季吉訳『闘争に赫く光』、小牧近江・後藤達雄共訳『知識人に与う』として独自に編纂・刊行)。 平林たい子: 1958年、ソ連政府がボリス・パステルナークのノーベル文学賞授与を辞退させた際、日本ペンクラブ(副会長・青野季吉ら)のソ連政府よりの姿勢を、平林はエドワード・G・サイデンステッカーらと共に批判した。 宇野浩二: 同級生に高田保・三上於菟吉・沢田正二郎・増田篤夫、1年上級に今井白楊・広津和郎・谷崎精二、1年下級に保高徳蔵・直木三十五・田中純・青野季吉がいた。 アンリ=バルビュス: バルビュスの著書は小牧近江のほか、青野季吉、武林無想庵らが翻訳している。 アンリ=バルビュス: 『闘争に赫く光』青野季吉訳、日本評論社出版部、1923年(新らしき時代へ / 文學者とユトピヤ / 偉大なる義務 / 何故君は戰ふか / ゾラの著作と範例 / 「クラルテ」團 / ダヌンチオに與ふ / 死者の靜謐 / 「ユマニテ」の編輯長に與ふ / 吾等は事實を知らうと思ふ / 舊戰友の欲するもの / 過去の革命の教訓 / 復活 / ロシア革命と勞働者の義務 / 國際聯盟について / 新らしき世界) 坂口安吾: 葬儀は2月21日に青山斎場で行われ、尾崎士郎、川端康成や佐藤春夫、青野季吉らが弔辞を読む。 宇野浩二: 石川県羽咋郡西海村の加能作次郎文学碑除幕式に広津和郎・青野季吉とともに参列した。 石野径一郎: この頃比嘉春潮に郷土史、宇野浩二、川端康成、青野季吉に小説を師事。 宇野浩二: 青野季吉・保高徳蔵らとともに下諏訪で御柱祭を見物した。 林房雄: 1927年(昭和2年) - 日本プロレタリア芸術連盟分裂、中野重治・鹿地亘・江馬修らは残留し、脱退した青野季吉・蔵原惟人・林房雄らは労農芸術家連盟を創立。 川端康成: 11月には広島市に招かれ、豊島与志雄、青野季吉と3人で原爆被災地を視察した。 |
青野季吉の情報まとめ
青野 季吉(あおの すえきち)さんの誕生日は1890年2月24日です。新潟出身の文芸評論家のようです。
卒業、解散、事件、結婚、病気に関する情報もありますね。1961年に亡くなられているようです。
青野季吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は、日本の文芸評論家。 新潟県佐渡島出身。早稲田大学英文科卒業後、読売新聞記者となるが争議を指導したことにより解雇され、その後は新聞社を転々とした。 1919年(大正8年)、日本で最初にロープシンの『蒼ざめた馬』の翻訳を発表したのを機に、プロレタリア文学評論家として文筆活動を始め、1922年(大正11年)に「階級闘争と芸術運動」を発表。『種蒔く人』の同人として活動。「『調べた』芸術」(『文芸戦線』1925年7月)、「自然生長と目的意識」(『文芸戦線』1926年9月)、「目的意識論」などで、1920年代前半のプロレタリア文学運動の指導的な立場に立った。 評論活動のかたわら、(第一次)日本共産党員として実践活動をおこない、第一次共産党解散後、残務処理のための「ビューロー」で活動し、1924年(大正13年)には党の再建のため、徳田球一とともに上海に渡ったこともある。 帰国後は実践活動から退き、『文藝戦線』における文筆活動に専念した。1926年(大正15年)に最初の評論集『解放の芸術』を出版し、以後プロレタリア文学評論家として活動したが、1927年のプロレタリア文学団体の分裂の際には、労農芸術家連盟(労芸)に所属し、「文藝戦線」派の重鎮として、「戦旗」派とは一線を画した。労芸解散後の1938年(昭和13年)の第二次人民戦線事件で検挙された。 第二次世界大戦後は、日本ペンクラブの再建に尽力し、1948年(昭和23年)から副会長。 1949年(昭和24年)には発足したばかりの国語審議会の委員も務めた。 1950年(昭和25年)に『現代文学論』で第1回読売文学賞の文芸評論賞を受賞。1951年(昭和26年)から日本文藝家協会会長に就任。1956年(昭和31年)に日本芸術院会員。1958年(昭和33年)に『文学五十年』で毎日出版文化賞を受賞した。 1961年(昭和36年)6月23日、胃癌のため慶應義塾大学病院で死去。墓所は小平霊園。 1911年、下谷の小学校教師・島田みづほ(瑞穂)と結婚するが、妻には子ができず、瑞穂が病気で実家へ帰っている間に松井松栄(1910-1945)を愛人として共同生活を送り、四人の子供をなす。作家の青野聰はその次男か三男。戦後そのことを知った瑞穂が四人の子供を育てたことは青野聰の「母と子の契約」に詳しい。 『無産政党と社会運動』白揚社、1925年10月。NDLJP:1018536。 『解放の芸術』解放社〈解放群書 第2編〉、1926年4月。NDLJP:1019150。 『転換期の文学』春秋社、1927年2月。
『観念形態論 宗教・哲学・倫理・芸術』南宋書院〈無産者自由大学 第10講座〉、1928年7月。NDLJP:1085807。 『社会思想と中産階級』春秋社〈春秋文庫 第1部 第20〉、1929年9月。NDLJP:1465256。 『マルクス主義文学闘争』神谷書店、1929年12月。NDLJP:1879410 NDLJP:10298091。 『サラリーマン恐怖時代』先進社、1930年3月。NDLJP:1442915 NDLJP:1709765 NDLJP:1712054 NDLJP:2389926。
『マルキシズム文学論』天人社〈新芸術論システム 第2巻〉、1930年5月。
『社会は何故に悩むか』改造社、1930年10月。NDLJP:1268982。 『或る時代の群像』日本評論社〈新作長編小説選集〉、1930年11月。 『実践的文学論』千倉書房、1930年12月。 『観念形態論』竜生堂書店〈プロレタリア大学講座〉、1931年11月。 『プロレタリア文学論』日本大学出版部〈日本大学芸術科講座 文芸篇〉、1935年10月。 『文芸と社会』中央公論社、1936年4月。 『文学と精神』河出書房、1940年10月。 『文学概論』河出書房〈新文学論全集 第1巻〉、1940年11月。 『経堂襍記』筑摩書房、1941年1月。 『文学の場所』高山書店、1941年1月。NDLJP:1127333。 『文学の本願』桜井書店、1941年11月。 『回心の文学』有光社〈有光名作選集 11〉、1942年1月。 『文学の美徳』小学館、1942年8月。 『佐渡』小山書店〈新風土記叢書 第3編〉、1942年11月。 『一つの石』有光社、1943年7月。NDLJP:1069450。 『文学と人間』玄同社〈玄同文庫〉、1946年6月。 『共産主義要論 その学説と進展の過程』社会書房、1946年7月。 『芸術の園』東京文化社、1946年7月。 『社会思想入門』会津書房、1946年8月。 『文学歴程』万里閣、1946年10月。 『西洋文芸批評史』三興書林、1947年3月。 『読書論』川崎出版社〈川崎文庫 2〉、1947年6月。 『評論集戦争と平和』鱒書房、1947年10月。 『文学的人生論』桜井書店、1947年10月。
『一九一九年』新興芸術社、1947年11月。 『私の文学手記』日東出版社、1947年12月。 『明治文学入門』全国書房、1948年2月。
『現代文学論』六興出版社、1949年10月。
『小説について』印刷庁〈青年双書 7〉、1950年7月。 日本近代文学研究会 編『青野季吉選集』河出書房、1950年8月。 『文学今昔』ジープ社、1950年9月。 『革命と文学』社会思想研究会出版部〈現代教養文庫 95 青野季吉選集 1〉、1953年5月。 『現代作家論』社会思想研究会出版部〈現代教養文庫 96 青野季吉選集 2〉、1953年5月。 『文学と人生』社会思想研究会出版部〈現代教養文庫 97 青野季吉選集 3〉、1953年5月。 『文学五十年』筑摩書房、1957年12月。 『文学という鏡』彌生書房、1957年12月。
『文学の歴史と作家 日本文学の窓』春歩堂、1959年7月。 『青野季吉日記』河出書房新社、1964年7月。 ボリス・サヴィンコフ『蒼ざめたる馬』冬夏社〈自由文化叢書 第2編〉、1919年10月。NDLJP:962553。 アンリ・バルビュス『闘争に赫く光』日本評論社出版部、1923年4月。NDLJP:977472。 ロープシン『蒼ざめたる馬』随筆社、1924年5月。NDLJP:979448。 ウラジーミル・レーニン『帝国主義論 資本主義最後の階段としての帝国主義』希望閣、1924年6月。NDLJP:1021192。
ロバート・オウエン『人類に与ふ』人文会出版部〈世界名著叢書 第3〉、1926年1月。NDLJP:1018435。 ウラジーミル・レーニン『何を為すべきか』白揚社、1926年11月。NDLJP:1018717。 ウラジーミル・レーニン『内外政策』レーニン著作集刊行会〈レーニン著作集 第7巻〉、1926年12月。NDLJP:1018717。 ヤロスラウスキー『レーニン その生涯と事業』南宋書院、1927年6月。NDLJP:1149948。 ウラジーミル・レーニン『帝国主義論』白揚社、1928年1月。NDLJP:10298851。 アダム・スミス『国富論』 上巻、春秋社〈世界大思想全集 11〉、1928年2月。 ヨシフ・スターリン『無産階級の戦略・戦術』文芸戦線社、1928年9月。 アダム・スミス『国富論』 下巻、春秋社〈世界大思想全集 12〉、1929年1月。 レードラー『社会思想物語』 上巻、春秋社、1929年6月。 レフ・トロツキー『自己暴露 わが生活 第1部』アルス、1930年7月。NDLJP:1149259 NDLJP:10298480。 レフ・トロツキー『革命裸像 わが生活』アルス、1930年12月。NDLJP:1179903。 エルンスト・グレエザー『媾和とパン』四六書院〈国際プロレタリア叢書〉、1931年10月。 レフ・トロツキー『わが生涯』 (上)、改造社〈改造文庫 第1部 第149篇〉、1937年8月。NDLJP:1180867。 レフ・トロツキー『わが生涯』 (中)、改造社〈改造文庫 第1部 第150篇〉、1937年9月。NDLJP:1180877。 レフ・トロツキー『わが生涯』 (下)、改造社〈改造文庫 第1部 第151篇〉、1937年10月。NDLJP:1180884。 ヨシフ・スターリン『プロレタリアートの戦略と戦術 スターリンの二論文』社会書房、1946年8月。 ダヴィト・リャザーノフ 著、青野季吉・石沢新二 訳『マルクス・エンゲルス伝』南宋書院、1927年7月。 ウラジーミル・レーニン 著、青野季吉・秋田清一 訳『民族問題』白揚社〈レーニン叢書 第12編〉、1928年3月。 日本近代文学大辞典 ^ “青野 季吉”. コトバンク. 2020年7月12日閲覧。 ^ 野間宏等編『日本プロレタリア文学大系 第一巻 - 運動台頭の時代 社会主義文学から「種蒔く人」廃刊まで』(三一書房、1955年)所収。 ^ “第1期 国語審議会委員名簿”. 文化庁. 2021年9月2日閲覧。 ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、377頁。ISBN 4-00-022512-X。 ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)5頁 ^ 『母と子の契約』河出文庫「著者のノート 母への試み」。小説では子供は三人となっているが実際は四人だったとある。 『青野季吉』 - コトバンク 『青野 季吉』 - コトバンク 青野 季吉:作家別作品リスト - 青空文庫 早稲田と文学(青野季吉) - ウェイバックマシン(2017年8月10日アーカイブ分) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の評論家 20世紀日本の評論家 日本の文芸評論家 プロレタリア文学 読売文学賞受賞者 日本藝術院会員 日本ペンクラブ会員 労農派の人物 戦前の日本共産党の人物 戦前の読売新聞社の人物 人民戦線事件の人物 早稲田大学出身の人物 新潟県出身の人物 胃癌で亡くなった人物 1890年生 1961年没 小平霊園に埋葬されている人物 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 16:12更新
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aono suekichi
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