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三浦雄一郎の情報 (みうらゆういちろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

三浦雄一郎の情報(みうらゆういちろう) アルペンスキー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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三浦 雄一郎さんについて調べます

■名前・氏名
三浦 雄一郎
(読み:みうら ゆういちろう)
■職業
アルペンスキー
■三浦雄一郎の誕生日・生年月日
1932年10月12日
申年(さる年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
青森出身

(昭和7年)1932年生まれの人の年齢早見表

三浦雄一郎と同じ1932年生まれの有名人・芸能人

三浦雄一郎と同じ10月12日生まれの有名人・芸能人

三浦雄一郎と同じ出身地青森県生まれの有名人・芸能人


三浦雄一郎と関係のある人

浜口庫之助: 恋の雪まつり(歌:三浦雄一郎)(1980年)


遠藤憲一: BS1スペシャル「三浦雄一郎 終わりなき冒険 〜80歳 エベレストに挑む〜」(2014年3月21日、NHK BS1)


竹村健一: スキーは、ニュージーランドでたまたま居合わせた三浦雄一郎と意気投合して、そのままスキー場に直行したという逸話も残る。


風間深志: (三浦雄一郎に次ぐ日本人第2登)


岡本太郎: スキーは、親交があった三浦雄一郎から賞賛されるほどの腕前だった。


坂本千夏: 三丁目の夕日(三浦雄一郎 他)


三浦豪太: 三浦雄一郎の次男、山岳スキーヤーの三浦敬三は祖父。


村口徳行: 2008年、三浦雄一郎はこの年のエベレスト登山企画で、自身の持つ最高齢記録の更新に挑戦、村口徳行はこの企画をサポートした。三浦雄一郎は無事に75歳219日で登頂を果たしたが、前日にネパール人男性が76歳で登頂したとのことで、ネパール政府の公認が得られなかった。しかし、そのネパール人男性の出生日が証明できなかったため、ギネスブックには三浦雄一郎の最高齢記録更新が認められた。三浦雄一郎はその5年後の2013年に80歳でエベレスト登頂を行い、世界最高齢を更新、ネパール政府からも公認された。


村口徳行: 1998年より、石川富康、渡辺玉枝、三浦雄一郎等、高齢者による高峰挑戦をサポートし続け、数々の最高齢記録更新をアシストした。


持丸加賀: ALWAYS 三丁目の夕日'64(2011年)- 三浦雄一郎


泉アツノ: 「こんなん出ましたけど~」の台詞は、三浦雄一郎を占った時に、良い結果が出ず「こんなん出てしまいまして、すみません」という謝罪のつもりで言った言葉が始めだったという。


大前研一: 同月の北海道知事選挙では、大前の構想に呼応した友人で登山家の三浦雄一郎が出馬したが落選した。


持丸加賀: ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007年) - 三浦雄一郎


村口徳行: 2003年5月22日 - エベレスト[南東稜](8,848m/ネパール)登頂(ミウラエベレスト隊:三浦雄一郎,三浦豪太,村口徳行)。このとき三浦雄一郎は次男豪太と共に親子同時登頂、世界最高齢記録更新(70歳223日)。


三浦敬三: 息子三浦雄一郎、孫三浦豪太(元オリンピックモーグル代表選手)もまたスキーヤー・登山家であり、エベレストの登頂に成功している。


村口徳行: 2008年5月26日 - エベレスト[南東稜](8,848m/ネパール)登頂(ミウラエベレスト隊:三浦雄一郎,五十嵐和哉,村口徳行)。このとき三浦雄一郎は75歳219日。このときの様子は日本テレビ『三浦雄一郎75歳 世界最高峰エベレストに挑む!』にて放映された。


トシ: ^ 同姓同名の著名人に、スキーヤーの三浦雄一郎が存在する。


林泰文: わたしが子どもだったころ 「『冒険家・三浦雄一郎』」(2010年、NHK)


三浦雄一郎の情報まとめ

もしもしロボ

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)さんの誕生日は1932年10月12日です。青森出身のアルペンスキーのようです。

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結婚、病気、映画、父親、テレビ、現在に関する情報もありますね。

三浦雄一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。

北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。

クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。父の三浦敬三も山岳スキーヤーで、長男の三浦雄大は競技スキーヤー、二男の三浦豪太はリレハンメルオリンピック・長野オリンピックに出場したフリースタイルスキー・モーグル選手、長女の三浦恵美里はクラーク記念国際高等学校・横浜青葉キャンパス校長、ミウラ・ドルフィンズ代表取締役も兼務。母方の祖父は、第15回衆議院議員総選挙青森県第5区選出議員の小泉辰之助。2022年にクラーク記念国際高等学校の名誉校長に就任した。

幼少期は病弱で劣等生であり、幼稚園は中退、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い、長期入院のため一年の半分近くは学校に通えなかった。農林省(現・農林水産省)営林局に勤めていた父の仕事の都合で小学校は5回転校、旧制中学校は先述の健康問題が理由で1度旧制黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)への入試に失敗し小学生浪人、入学後も4回転校を繰り返した。

初めてスキーに接したのは小学校2年時、当時住んでいた弘前市の弘前城公園の坂をスキーで滑ったのがきっかけで、その後一家で仙台市郊外の農場に引っ越した際に本格的にスキーを始め、旧制青森中学校在学時に岩木山で開かれたスキー大会で優勝し初タイトルを獲得する。青森県立弘前高等学校在学時に、全日本スキー選手権大会の滑降競技で入賞、青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝するなどの実績を重ねた。また同時期、スキージャンプを借り物のスキーで初めて飛んだにもかかわらず、県の二位に入賞したこともある。

大学進学において、スキーが出来るからという理由で北海道大学を受験先に選び、入学試験直前にもかかわらず「もう来られないかもしれない」と考え藻岩山でスキー三昧だったものの合格し、獣医学部に進学、北海道大学では一般教養部で当時理学部に在籍していた作家の渡辺淳一と同期だったが、後に渡辺は札幌医科大学に転校した。

在学中に当時の学長秘書、かつアルペンスキーの女子選手だった妻・朋子と出会い、同棲を経て結婚。大学院進学、そしてアメリカ留学を希望していたものの、肺の病気を患い、暫く母校の北大獣医学部に助手として勤務、札幌市月寒(現・札幌市豊平区月寒)にあった当時の北大農事試験場でブタやウシを扱う獣医師をしていた。26歳で助手の職を辞任、スキーに挑戦するも、優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式で、全日本選手権への青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立、結局アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界永久追放の憂き目に遭う。

アマチュア資格剥奪後暫く、体力を鍛え直す意味も込めて、北アルプスの立山で歩荷として働いていた。

1960年代始め頃からスキー学校を開設し、1962年、アメリカ合衆国でスタートしたばかりの世界プロスキー選手権に参加、トニー・ザイラーら冬季オリンピックの元メダリストも名を連ねる大会で世界ランク8位となるなど、 プロスキーヤーとして活躍、1964年7月イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初めて参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立(なお、この前後に3度転倒し、「世界で最も速い速度で転倒して無傷で生還する」という珍記録も樹立している)。なおこれに先立ち、防衛庁(現・防衛省)航空研究所の風洞実験室を使用し、空気抵抗の少ないスキーウェア開発も試みている。

1966年4月、富士山での直滑降を成功させる。この時ブレーキとしてパラシュートを使用した映像から、後にパラグライダーが開発されたという。

1970年5月にはエベレストのサウスコル8000m地点からの滑降(ギネスブックに掲載)を成功させ、その映像が『The Man Who Skied Down Everest』(エベレストを滑った男)というタイトルでドキュメンタリー映画化され、アカデミー賞記録映画部門で賞を獲得した。最終的に、1985年に54歳で南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功させたことにより、世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させた(頂上からの滑降ではない)。

1971年スポーツ英雄大賞(スペイン)、1975年に米アカデミー賞(長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。

1992年4月からクラーク記念国際高等学校(北海道深川市納内)校長。2006年6月からNPOグローバル・スポーツ・アライアンス理事長を務める。

1995年4月、友人である平成維新の会代表・大前研一が月刊誌『文藝春秋』(3月号)上で発表した新・薩長連合結成宣言の知事連盟構想に呼応して、新人対決の1995年北海道知事選挙に出馬したが、新進党推薦の前副知事堀達也と自民党推薦伊東秀子の争いに埋没し、得票率7パーセント弱で供託金没収の大惨敗(大前は1995年東京都知事選挙に立候補)。同年7月の第17回参議院議員通常選挙には、同じく平成維新の会公認候補(比例代表制名簿2位)として出馬している(いずれも落選)。

七大陸最高峰の滑降後に目標を失い、不摂生な生活を送った挙句、身長164cmに対し体重85kg超、血圧は200近くまで上がり、不整脈まで出る不健康な状態となってしまう。しかし、99歳にしてなおモンブラン氷河の滑降という挑戦を続ける実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て改心、65歳の時に、5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立て、外出時には常に両足に重りを付け20 kg近いリュックを常に背負うというトレーニングを再開、当初は藻岩山登山ですら息切れするという体たらくだった体力を回復させ、2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も達成した。

2005年6月、全国森林レクリエーション協会会長に就任。

2006年9月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載する。

2008年5月26日、75歳でエベレストに再登頂。その前日にネパールのシェルチャンが76歳で登頂していたため、最高齢記録更新にはならなかった。

2009年2月、札幌市内のスキー場でコース内に作成されたバンクから飛び出し骨盤を骨折。手術後リハビリに励み回復した。

2010年、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会よりアルベルト・シュバイツァー章を受章。

2013年5月23日、80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した。再びエベレスト最高齢登頂者となる。下山中に体調を崩し、標高6500mのキャンプ2から標高5300mのベースキャンプまではヘリコプターを使って下山した。この登頂成功が、三浦アワード創設のきっかけとなった。同年、顕著な実績を挙げたとして第8回日本スポーツグランプリを受賞。

2018年7月、第1回ネパール社会貢献者表彰を贈られる。

2019年1月、86歳でアコンカグア登頂を目指す。ベースキャンプから5580mまでヘリコプターで飛び、6000mまで酸素ボンベを使って登るが、体調不良により断念し、ヘリコプターで下山した。

2019年2月、北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加。

2022年3月31日付でクラーク記念国際高等学校の校長を退任し、4月1日付で名誉校長に就任。

三浦と同じく高齢でエベレスト登頂を目指したネパール人登山家ミン・バハドゥール・シェルチャンとは、しばしば登頂最高齢記録を争う間柄だった。

三浦が75歳でエベレストに登頂した2008年5月26日の前日に76歳で登頂を果たしたとされたが、その記録については、年齢を実証する書類、また登頂成功を証明する書類が存在しないことから当初認定されず、ギネスブックには三浦が最高齢登頂者として認定された。これに対してシェルチャン側が書類を揃え、再度、申請を行い、2009年11月23日にシェルチャンに認定証が授与された。

その記録は2013年5月23日に三浦によって更新され(80歳)、三浦の成功を知ったシェルチャンは81歳で登頂を試みるが途中で胸痛が出現し、5月28日に断念して下山した。三浦は帰国後、シェルチャンの登山記録にはネパール政府による何らかの作為が働いているのではないかという持論を展開したことがあり、またシェルチャン自身に対しては祭り上げられることへの同情を表明している。

シェルチャンは2017年にもエベレスト登頂に挑戦したものの、5月6日にベースキャンプで死亡し、三浦の記録を更新することはなかった。

横田祐介撮影『新しいスキー読本:はやくうまくなるコツ』(山と溪谷社,1961年)

『スキーがうまくなる本』(山と溪谷社,1962年 )

横田祐介撮影『雪と太陽:スキーのバリエーション』(山と溪谷社,1963年)

『スキー武者修行』(山と溪谷社,1963年)

『スキー超特急:時速172kmの滑降』(山と溪谷社,1964年)ISBN 4-12-201085-3

三浦敬三,三浦雄一郎著『三浦スキースクール』(ラジオ技術社,1965年)

『すばらしきスキー野郎 』(冬樹社,1966年)

『体験的スキー術:ドルフィンテクニック』(冬樹社,1966年)

『日本人のスキー』(文藝春秋,1967年)

三浦雄一郎,三浦敬三著『スキー冒険野郎』(秋田書店,1967年)

藤川清写真『飛翔』(冬樹社,1968年)

『エベレスト:日本エベレスト・スキー探検隊の記録』(文藝春秋,1970年)

『エベレスト大滑降』(文藝春秋,1970年)ISBN 4-06-134170-7

『三浦雄一郎の敗けない男の子にする本:父親は息子をどう鍛えたらよいか』(主婦と生活社,1976年)

『三浦雄一郎のスキー上達法』(ひかりのくに, 1976年)

『地球が俺の仕事場だ! 』(ダイヤモンド社,1977年) 

『エベレストを滑った男』(北洋社,1977年)

『スキー入門:三浦雄一郎の直撃コーチ!』(小学館,1978年)

『三浦雄一郎の子育て奮戦記』(大学教育社,1981年)

『人生への挑戦』(聖教新聞社,1981年)  

『男、冒険、人生』(潮出版社,1982年)

『冒険への旅立ち』(日本放送出版協会,1982年)ISBN 4-14-014063-1

『血液循環がよくなり体がメキメキ強くなる:自分に自信がつくストレッチング公開』(経済界,1983年) ISBN 4-7667-0074-0  

『親の子離れ子の親離れ:今、親の非が、子供を非行に走らせている!』(シンコー・ミュージック,1983年) ISBN 4-401-61136-5

三浦雄一郎,スノードルフィンスキーチーム著『三浦雄一郎の初・中級スキー・テクニック』(スキージャーナル,1984年)ISBN 4-7899-1069-5

『50歳はスタートだ:南極最高峰への挑戦』(山と溪谷社,1985年)ISBN 4-635-04034-8

『スキー教室:君も名選手になれる』(成美堂出版,1985年)ISBN 4-415-01212-4

『かならずすべれるスキー初級テクニック』(小学館,1986年)ISBN 4-09-220197-4

『すべってころんで青春記』(山と溪谷社,1986年)ISBN 4-635-33011-7

『冒険野郎世界をすべる:なき虫少年のでっかい夢』(ポプラ社,1986年)ISBN 4-591-02332-X

三浦雄一郎,スノードルフィン・スキーチーム著『最新初歩のスキー・テクニック』(成美堂出版,1986年) ISBN 4-415-01231-0

三浦雄一郎&スノードルフィン・スキーチーム著『スキーイング:ボーゲンからの感覚スキー術』(千早書房,1988年) ISBN 4-924784-12-5

『エベレストを滑った男:冒険に生きる』(筑摩書房,1988年)ISBN 4-480-04112-5

三浦雄一郎&スノードルフィン・スキーチーム著『スノードルフィンの初歩のスキー』(成美堂出版,1990年) ISBN 4-415-01261-2

『三浦雄一郎スキーmagic:雪に夢と自由を描いて』(同文書院,1991年)ISBN 4-8103-9012-8

『スキー教室』(成美堂出版,1994年)ISBN 4-415-01296-5

『冒険から世界は広がる』(NTT出版,1994年)ISBN 4-87188-364-7

『高く遠い夢:70歳エベレスト登頂記』(双葉社,2003年)ISBN 4-575-29577-9

三浦敬三,三浦雄一郎,三浦豪太著『三浦家のいきいき長生き健康法』(廣済堂出版,2004年)ISBN 4-331-51039-5

『三浦雄一郎が教える突然うまくなるスキー』(実業之日本社,2005年)ISBN 4-408-61132-8

『三浦雄一郎の元気力:"Can do spirit" makes anything possible』(小学館,2005年)ISBN 4-09-387555-3

三浦敬三,三浦雄一郎,三浦豪太著『三浦家の元気な食卓:驚くべきパワーの秘密』(昭文社,2005年)ISBN 4-398-20601-9

『人生はいつも「今から」』(ロングセラーズ,2006年)ISBN 4-8454-2085-6

三浦雄一郎,竹村健一著『人生のレールは一本ではない:悔いのない生き方をしよう』(太陽企画出版,2007年) ISBN 978-4-88466-434-3

三浦雄一郎,三浦豪太,小堀隆司著『生きがい。』(山と溪谷社,2008年)ISBN 978-4-635-33030-5

『冒険家:75歳エベレスト挑戦記』(実業之日本社,2008年)ISBN 978-4-408-45165-7

『75歳のエベレスト』(日本経済新聞出版社,2008年)ISBN 978-4-532-26017-0

『デブでズボラがエベレストに登れた理由:三浦雄一郎流「生きがい」健康術』(マガジンハウス,2008年) ISBN 978-4-8387-1919-8

『若く生きる:食こそ情熱を燃やす糧』(角川SSコミュニケーションズ,2008年)ISBN 978-4-635-33030-5

『わたしが冒険について語るなら』(ポプラ社,2010年)ISBN 978-4591114483

『歩けば歩くほど人は若返る』(小学館,2012年)ISBN 978-4-09-366546-9

『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』 (小学館101新書,2013年) ISBN 978-4098251612

小谷明撮影『エベレスト:日本エベレスト・スキー探検隊の記録』(文藝春秋,1970年)

三浦敬三著『大滑降への50年:エベレスト・富士・八甲田』(実業之日本社,1970年)

五十嵐謙著, 正井滋魚等絵,三浦雄一郎監修『スキー入門:短期間で上達するコツ』(秋田書店,1972年)

西堀栄三郎ほか著『二十歳の世代へ伝えたい』(PHP研究所,1977年)

三浦恵美里著『フラスコの中の冒険:12歳からのアメリカ留学奮戦記』(山と渓谷社,1986年)ISBN 4-635-33012-5

長尾三郎著『マッキンリーに死す:植村直己の栄光と修羅』(講談社,1986年)ISBN 9784061844384

NHK編『NHK文化講演会.14』(日本放送出版協会,1986年)ISBN 4-14-008504-5

三浦雄一郎監修,ミウラ・ドルフィンズ編『スキーマップル全国.1998』(昭文社,1998年)ISBN 4-398-15042-0

三浦雄一郎監修,ミウラ・ドルフィンズ編『スキーマップル東北.1999』(昭文社,1998年)ISBN 4-398-22659-1

三浦雄一郎監修,ミウラ・ドルフィンズ編『スキーマップル関西・中部:北陸・中国.1999』(昭文社,1999年)ISBN 4-398-22661-3

三浦雄一郎監修,ミウラ・ドルフィンズ編『スキーマップル関東甲信越・東北.2001版』(昭文社,2000年)ISBN 4-398-22921-3

三浦豪太著『父の大きな背中:三浦雄一郎と僕の冒険物語』(実業之日本社,2003年)ISBN 4-408-61108-5

植村直己述,文藝春秋編『植村直己、挑戦を語る』(文藝春秋,2004年)ISBN 4-16-660390-6

村口徳行著『四度目のエベレスト』(小学館,2005年)ISBN 4-09-411641-9

三浦雄一郎ほか述,北海道新聞社編『いま語る私の歩んだ道.2』(北海道新聞社,2006年)ISBN 4-89453-356-1

アメリカン・エキスプレス

北の誉(北海道ローカルCM)

大和実業 エスカイヤクラブ

サントリー ローヤル(1990年)

サントリー セサミン(2008年)

徹子の部屋(テレビ朝日)

激愛・三月までの… 第4話(TBS)(1984年2月9日)

笑っていいとも!(フジテレビ) - テレフォンショッキング・ゲスト(1984年)

スタジオパークからこんにちは(NHK総合)(2003年)

午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ

ミューズの晩餐 My Song, My Life(テレビ東京) - ゲスト(2009年11月28日)

ムハハnoたかじん(関西テレビ、2008年07月25日)

仕事学のすすめ「冒険(ベンチャー)スピリットが扉を開く」(2012年9月・4回シリーズ、NHK Eテレ)

にじいろジーン(関西テレビ、2013年3月16日「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ」ゲスト)

三浦雄一郎75歳 世界最高峰エベレストに挑む!(日本テレビ、2008年7月20日)

三浦雄一郎80歳の挑戦 エベレスト登頂の真実(BS-TBS、2013年9月15日)

三浦雄一郎が見たラオスの光と影 食が支える子供たちの未来(BS朝日、2016年12月25日)

ほか多数

恋の雪まつり(浜口庫之助:作詞・作曲、石田勝範:編曲)/雪山の思い出(三浦雄一郎・浜口庫之助:作詞、浜口庫之助:作曲、石田勝範:編曲)(1980年、CBS・ソニー、06SH-708)

私たちの道(参加作品、2019年、 WESS RECORDS、デジタル配信2019年2月20日、CDシングル2019年3月6日)※"One Hokkaido Project"名義

私たちの道(参加作品、2019年)※"One Hokkaido Project"名義

^ 当時。現在の青森県第1区管内。

^ 尋常小学校および国民学校含む。

^ 札幌市手稲区役所HP>手稲区"まちのできごと"紹介>「冒険家・三浦雄一郎氏に手稲区親善大使を委嘱」(2013年(平成25年)11月19日)

^ “名誉市民”. 青森市. 2022年7月26日閲覧。

^ 人生のレールは一本ではない:悔いのない生き方をしよう 三浦雄一郎・竹村健一 太陽企画出版

^ 道新小学生新聞から 子供だったころ エベレスト最高齢登頂者 三浦雄一郎さん 北海道新聞 2004年5月8日付記事

^ “1963年(昭和38年)秋、猪苗代のエバニュースキー学校(現・三浦雄一郎スノードルフィンスキースクール)”. 2009年5月17日閲覧。

^ 知恵蔵2015『三浦雄一郎』 - コトバンク

^ “第8回日本スポーツグランプリ 受賞者(功績)”. 日本体育協会. 2021年1月31日閲覧。

^ 田部井淳子さん、ネパール社会貢献者表彰スポーツ報知 2018年7月5日

^ 86歳三浦雄一郎さん、アコンカグア登頂断念 下山開始 朝日新聞デジタル 2019年1月21日

^ 三浦雄一郎さん「アコンカグア」6000m到着 21日の登頂目指す NHK 2019年1月19日

^ 「父の心臓、耐えられない」 同行の三浦さん次男に聴く 朝日新聞 2019年1月21日

^ 「三浦さんは人間の限界の可能性示した」 専門家が指摘 朝日新聞 2019年1月21日

^ “北海道の歌、参加歌手|One Hokkaido project”. one-hokkaido.jp. 2020年7月11日閲覧。

^ “三浦さんエベレスト登頂、最高齢でなかった”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年11月24日). https://web.archive.org/web/20091127075800/http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20091124-OYT1T01115.htm 2009年11月24日閲覧。 

^ “ギネス、ネパール人男性の最高齢エベレスト登頂認定 三浦さん残念”. AFPBB. (2009年11月24日). https://www.afpbb.com/articles/-/2666954?pid=4950655 2009年11月24日閲覧。 

^ ネパールの81歳、エベレスト断念 「胸に痛み」最高齢登頂ならず 朝日新聞デジタル 2013年5月29日

^ “三浦氏がライバル登山家の裏事情ポロリ”. 東京スポーツ. (2013年5月31日). https://web.archive.org/web/20130607232616/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/148264/ 2017年5月7日閲覧。 

^ “三浦さんの記録に挑戦中だったネパール人登山家がエベレストで死去、85歳”. サンケイスポーツ. (2017年5月7日). http://www.sanspo.com/geino/news/20170507/sot17050700550001-n1.html 2017年5月7日閲覧。 

^ “YouTube”. www.youtube.com. 2020年7月11日閲覧。

ミウラ・ドルフィンズ

MIURA EVEREST 2013

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2024/09/26 20:24更新

miura yuuichirou


三浦雄一郎と同じ誕生日10月12日生まれ、同じ青森出身の人

江渡 聡徳(えと あきのり)
1955年10月12日生まれの有名人 青森出身

江渡 聡徳(えと あきのり、1955年〈昭和30年〉10月12日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党総務、自民党青森県連会長。 自由民主党副幹事長、衆議院安全保障…


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三浦雄一郎と近い名前の人

三浦 優奈(みうら ゆうな)
1993年12月28日生まれの有名人 愛知出身

プロフィール Amebaブログ(2023年-) 三浦 優奈(みうら ゆうな、1993年12月28日 - )は、日本のタレント、キャスター、レポーター、ラジオパーソナリティ。愛知県出身。アミューズ所属…

三浦 由衣(みうら ゆい)
1992年8月20日生まれの有名人 埼玉出身

三浦 由衣(みうら ゆい、1992年8月20日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。埼玉県出身。スペースクラフト・エージェンシー所属。 子供向けファッション雑誌『sesame』(朝日新聞出版)…

三浦 祐太朗(みうら ゆうたろう)
1984年4月30日生まれの有名人 東京出身

三浦 祐太朗(みうら ゆうたろう、1984年4月30日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。ロックバンド・Peaky SALT(活動休止中)のヴォーカリスト。血液型はA型。ドリームゼロワン所…

三浦 友理枝(みうら ゆりえ)
1981年6月20日生まれの有名人 東京出身

三浦 友理枝(みうら ゆりえ、1981年6月20日 - )は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 東京都大田区出身。ヤマハ音楽振興会、オフィス・ナガノ所属。ソロ活動、オーケストラとの共演のほか、川久…

三浦 綾子_(アナウンサー)(みうら あやこ)
1977年8月31日生まれの有名人 東京出身

三浦 綾子(みうら あやこ、本名:河野 綾子、旧姓:三浦、1977年8月31日 - )は、株式会社PICANTE所属のフリーアナウンサー。新潟テレビ21(UX)を経てテレビ神奈川 (tvk)に在籍した…

三浦 太郎_(政治家)(みうら たろう)
1928年10月28日生まれの有名人 奈良出身

三浦 太郎(みうら たろう、1928年〈昭和3年〉10月28日 - 2003年〈平成15年〉1月22日)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(5期)。 奈良県出身。1949年〈昭和24年〉摂南工業専門…

三浦 太郎_(文化人類学者)(みうら たろう)
1955年1月23日生まれの有名人 東京出身

三浦 太郎(みうら たろう、1955年1月 - )は、日本の文化人類学者。 三浦朱門・曽野綾子(本名・三浦知寿子)夫妻の長男として東京に生まれる。東京都立三田高等学校、南山大学文学部人類学科卒業。1…

三浦 知良(みうら かずよし)
1967年2月26日生まれの有名人 静岡出身

三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手。JFL・アトレチコ鈴鹿クラブ所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。元フットサル日本代表…

三浦 泰年(みうら やすとし)
1965年7月15日生まれの有名人 静岡出身

三浦 泰年(みうら やすとし、1965年〈昭和40年〉7月15日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、元サッカー解説者、愛称はヤスで実弟は"カズ"こと三浦知良。弟嫁(知良の妻)は女優の三浦りさ…

三浦 淳寛(みうら あつひろ)
1974年7月24日生まれの有名人 大分出身

三浦 淳寛(みうら あつひろ、本名および選手時代の登録名:三浦 淳宏〈読み同じ〉、1974年7月24日 - )は、埼玉県所沢市生まれ、大分県大分市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポ…

三浦 弦太(みうら げんた)
1995年3月1日生まれの有名人 愛知出身

三浦 弦太(みうら げんた、1995年3月1日 - )は、愛知県豊橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 小学校1年でサッカーを始め、…

三浦 奈保子(みうら なおこ)
1987年5月13日生まれの有名人 東京出身

三浦 奈保子(みうら なおこ、1987年5月13日 - )は日本のタレント。所属事務所はインセント。千葉県出身。桜蔭中学校・高等学校卒業。早稲田大学法学部入学後、仮面浪人を経て東京大学文学部ドイツ文学…

三浦 早苗(みうら さなえ)
1973年8月22日生まれの有名人 神奈川出身

三浦 早苗(みうら さなえ、1973年8月22日 - )は、日本の元女優、元タレント。本名同じ。神奈川県出身。アーティストハウス・ピラミッドに所属していた。 1991年 - アーティストハウス・ピラ…

三浦 葵(みうら あおい)
1990年1月15日生まれの有名人 東京出身

三浦 葵(みうら あおい、1990年1月15日 - )は、日本のファッションモデル、女優。福島県出身。 1990年、福島県で生まれる。実妹はタレントの三浦萌。お笑いコンビドランクドラゴンの鈴木拓は、…

三浦 綺音(みうら あやね)
1973年5月8日生まれの有名人 静岡出身

三浦 綺音(みうら あやね、1973年5月8日 - )は、日本の女優、元グラビアアイドル、元ヌードモデル、元歌手である。 静岡県出身で、所属する芸能事務所はケイダッシュを経て現在はエムティ企画である…

三浦 リカ(みうら りか)
1958年11月15日生まれの有名人 岩手出身

三浦 リカ(みうら りか、1958年11月15日 - )は、日本の女優。本名は、早島 康代。旧姓は、三浦 康代。夫は俳優の堤大二郎。姉は女優の三浦真弓 。 出生地は岩手県下閉伊郡岩泉町。東京都立代々…

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