もしもし情報局 > 1960年 > 3月27日 > 野球選手

上川誠二の情報 (かみかわせいじ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月10日】今日誕生日の芸能人・有名人

上川誠二の情報(かみかわせいじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

上川 誠二さんについて調べます

■名前・氏名
上川 誠二
(読み:かみかわ せいじ)
■職業
野球選手
■上川誠二の誕生日・生年月日
1960年3月27日 (年齢65歳)
子年(ねずみ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
和歌山出身

(昭和35年)1960年生まれの人の年齢早見表

上川誠二と同じ1960年生まれの有名人・芸能人

上川誠二と同じ3月27日生まれの有名人・芸能人

上川誠二と同じ出身地和歌山県生まれの有名人・芸能人


上川誠二と関係のある人

西村徳文: 5月27日の対西武ライオンズ戦で復帰したが、この間に水上善雄・上川誠二・森田芳彦が好調だったため、中堅手にコンバートされ、以後外野手が多くなるが盗塁王になり、打率も3割近くの成績を残した。


倉田邦房: チームメートに上川誠二がいた。


尾上旭: しかし打撃面で伸び悩み、宇野勝や上川誠二(同学年・同期入団=ドラフト外)の壁を越えられず、レギュラーには届かなかった。


桑田茂: 1986年12月、落合博満との世紀のトレードの一員として牛島和彦・上川誠二・平沼定晴と共にロッテオリオンズに移籍。


牛島和彦: 1987年、落合との4対1の交換トレードで上川誠二・平沼定晴・桑田茂と共にロッテへ移籍した。


山沖之彦: 決勝まで勝ち進み上川誠二のいた箕島高と対戦。箕島高には上川誠二、石井雅博らがいた。


落合博満: しかし、12月23日に牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手との交換トレードで、中日へのトレードが決定した。


鈴木俊雄: 初安打・初打点:1991年6月23日、対近鉄バファローズ12回戦(石川県立野球場)、8回裏に上川誠二の代打で吉井理人から適時二塁打


平沼定晴: 1986年シーズンオフに落合博満との4対1の交換トレードで上川誠二・牛島和彦・桑田茂の3選手とともにロッテオリオンズへ移籍。


山口哲治: 春の第49回選抜高等学校野球大会では準決勝に進むが、上川誠二のいた箕島高校に完封負けを喫した。


清田育宏: 第5戦では中田賢一から2点適時打を放ち、岩下光一、原、上川誠二のもつ、日本シリーズでの新人打点記録の6打点に並んだ。


星野仙一: ロッテとの4対1トレードで上川誠二、桑田茂、牛島和彦、平沼定晴を放出し、落合博満を獲得するなど、大胆な補強を行い、ドラフト会議でも1986年に近藤真一、1987年に立浪和義といった即戦力に成り得る高校3年生を他球団との競合の末に1位で獲得し、以降は今中慎二、山崎武司、上原晃、音重鎮、大豊泰昭など主力級が3年間で入団する。


古谷盛人: 初打席:1985年8月21日 対読売ジャイアンツ17回戦(後楽園球場)8回表に上川誠二の代打、江川卓に三振


有藤通世: 就任直後に主砲の落合博満が中日ドラゴンズに移籍、さらに1987年オフにはレロン・リーも退団し、長距離打者を欠いたチームは急速に弱体化(有藤は落合とは確執があったために放出し、代わりに来た上川誠二を使うために二塁手だった西村徳文を三塁手にコンバート、前年からレギュラーとして台頭していた佐藤健一が控えにまわってしまい、共に中距離打者の入団2年目の古川慎一や高沢秀昭を4番打者にせざるを得なくなった)。


佐々木正行: 社会人三協精機では2年連続で都市対抗野球に出場するが休部となり、上川誠二と移籍した大昭和製紙では中心打者として活躍。


田野倉利男: しかし翌年に上川誠二が入団し、激しい定位置争いを繰り広げる。


水本啓史: 初出場:1985年6月28日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)、9回表に上川誠二の代打で出場


石井雅博: 1年先輩に中日で活躍する二塁手の上川誠二がいた。


上川誠二の情報まとめ

もしもしロボ

上川 誠二(かみかわ せいじ)さんの誕生日は1960年3月27日です。和歌山出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、引退、結婚、現在に関する情報もありますね。上川誠二の現在の年齢は65歳のようです。

上川誠二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

上川 誠二(かみかわ せいじ、1960年3月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。

和歌山県立箕島高等学校では1977年(昭和52年)、エース東裕司(三菱自動車水島)を擁し二塁手として第49回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝で山口哲治のいた智弁学園を降し決勝に進出。東が中村高の山沖之彦との投げ合いを制し、7年ぶりの優勝を飾る。春夏連覇の期待もかかったが、夏は県予選決勝で田辺高の木下透に完封負け。同年が最後の開催となった奈良県勢との紀和大会にも進めなかった。1年下のチームメートに石井雅博がいた。

高校卒業後、三協精機に進み、1年目で都市対抗に出場するも、入社1年目にして不況により野球部が休部となる。映写機のネジ締め作業を3か月行った後、大昭和製紙へ移る。1980年、1981年(昭和56年)と都市対抗に連続して出場するが、同年の冬にまたもチームが休部となる。これを入団時にマスコミは「二度死んだ男」と言った。既に同年のドラフト会議も終わっており、阪急ブレーブスと中日ドラゴンズから入団の打診があり、ドラフト外で中日ドラゴンズに入団。

1982年(昭和57年)2月6日の守備練習中にイレギュラーボールが下顎に当たり、顎を亀裂骨折、前歯1本欠損、残る歯もほぼ折れる怪我をしてしまう。しかし、数日後には、顎にブリッジをかけ包帯で包み、歯が取れかけていたので針金で強く巻いた状態でキャンプに再合流し、その姿に近藤貞雄監督は驚き、闘志を買って、翌週には一軍昇格を果たす。1年目ながら二塁手として田野倉正樹と併用され、リーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズでは全試合に先発出場。伏兵と称され、第3戦で逆転本塁打、第6戦で同点適時打を放つなど活躍。敗退はしたが、21打数6安打6打点を記録し敢闘賞を受賞。

1983年(昭和58年)オフに監督就任した山内一弘から、ダウンスイングからレベルスイングへの改造指導を受け、ヒットゾーンを広げた。同年はレギュラー二塁手に定着し、初めて規定打席(36位、打率.249)にも達する。

1984年(昭和59年)は自己最高の打率.309(11位)を記録した。

1986年(昭和61年)は、2年連続リーグ5位と低迷するチームの中にあって、チーム最高打率となる.295を記録した。しかし、同年12月、妻が出産のために妻(後述)の実家がある東京に居たところ、オフに監督就任した星野仙一から「ロッテに行ってくれ。お前は向こうから指名されて行くのだから、しっかり頑張って来い」と電話があり、牛島和彦・平沼定晴・桑田茂と共に落合博満との4対1の交換トレードでロッテに移籍。

1989年(平成元年)には、自己最高の12本塁打43打点を記録。

1993年(平成5年)には、堀幸一が育ち、控えに回ることも多くなったことから、体力的にはまだ余裕があったが現役を引退する。

引退後はロッテの二軍コーチ(1994年 - 1995年)、中日の二軍コーチ(1996年 - 1999年)、東海ラジオ野球解説者(2000年 - 2004年)を経て、2005年(平成17年)から楽天コーチに就任し2007年(平成19年)まで務めた。

2008年(平成20年)からロッテコーチに就任。

2012年まで務めた。

2004年(平成16年)には国士舘大学男子ソフトボール部コーチとして全日本大学ソフトボール選手権優勝に貢献した。

私生活では中日ドラゴンズ在籍当時、1980年(昭和55年)に日本代表としてミス・ユニバース世界大会に出場した檜山久恵と結婚した。

ロッテのコーチを退任した現在は、知人の紹介でビル管理の会社に勤務している。

常にバットのグリップを一握り半余らせて握りコツコツと嫌らしく当てていくバッティングは、「ピラニア」と称された。肘を故障する前のルイス・サンチェのストレートをコンパクトなスイングで弾き返すなど、シュアなバッティングが光る巧打者だった。

三振の少ない選手でもあり、規定打席に到達したシーズンでも30三振を記録したことがなく、リーグの最少三振打者に複数回なっている。

各年度の太字はリーグ最高

日本シリーズ敢闘賞:1回 (1982年)

初出場:1982年4月4日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、8回裏に田野倉正樹に代わり二塁手として出場

初安打:1982年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回表に土屋正勝の代打として出場、西井哲夫から単打

初先発出場:1982年4月21日、対読売ジャイアンツ4回戦(平和台球場)、8番・二塁手として先発出場

初打点:1982年5月7日、対読売ジャイアンツ6回戦(ナゴヤ球場)、9回裏に江川卓からサヨナラ適時打

初本塁打:1982年6月8日、対広島東洋カープ8回戦(新大分球場)、3回表に津田恒美からソロ

1000試合出場:1990年10月2日、対福岡ダイエーホークス25回戦(川崎球場)、11回裏に福澤洋一の代打として出場 ※史上293人目

59 (1982年 - 1984年)

6 (1985年 - 1993年)

77 (1994年 - 1995年)

96 (1996年)

92 (1997年 - 1999年)

72 (2005年 - 2012年)

^ 澤宮優『ドラフト外』河出文庫、2013年、ISBN 9784309412603

^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

^ “落合博満、秋山幸二、糸井嘉男…世紀の“大型トレード”はこうして成立した!”. 新潮デイリー (2021年11月17日). 2022年8月17日閲覧。

和歌山県出身の人物一覧

中日ドラゴンズの選手一覧

千葉ロッテマリーンズの選手一覧

個人年度別成績 上川誠二 - NPB.jp 日本野球機構

1953 簑原宏

1954 大下弘

1955 戸川一郎

1956 稲尾和久

1957 宮本敏雄

1958 藤田元司

1959 土屋正孝

1960 田宮謙次郎

1961 J.スタンカ

1962 吉田義男

1963 稲尾和久

1964 山内一弘

1965 森下整鎮

1966 渡辺泰輔

1967 足立光宏

1968 長池徳二

1969 長池徳二

1970 井石礼司

1971 山田久志

1972 足立光宏

1973 野村克也

1974 高木守道

1975 山本浩二

1976 柴田勲

1977 河埜和正

1978 足立光宏

1979 井本隆

1980 小川亨

1981 井上弘昭

1982 上川誠二

1983 西本聖

1984 山沖之彦

1985 石毛宏典

1986 達川光男

1987 篠塚利夫

1988 宇野勝

1989 新井宏昌

1990 岡崎郁

1991 川口和久

1992 岡林洋一

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 小林宏

1996 仁志敏久

1997 松井稼頭央

1998 大塚光二

1999 川上憲伸

2000 城島健司

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 金本知憲

2004 井上一樹

2005 矢野輝弘

2006 川上憲伸

2007 ダルビッシュ有

2008 A.ラミレス

2009 髙橋信二

2010 和田一浩

2011 吉見一起

2012 稲葉篤紀

2013 長野久義

2014 R.メッセンジャー

2015 山田哲人

2016 B.エルドレッド

2017 宮﨑敏郎

2018 鈴木誠也

2019 亀井善行

2020 戸郷翔征

2021 山本由伸

2022 J.オスナ

2023 紅林弘太郎

2024 今宮健太

日本の野球選手

和歌山県立箕島高等学校出身の野球選手

三協精機硬式野球部の選手

大昭和製紙硬式野球部の選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

東北楽天ゴールデンイーグルス関連人物

日本の野球指導者

野球解説者

和歌山県出身のスポーツ選手

1960年生

存命人物

ISBNマジックリンクを使用しているページ

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2025/04/10 09:28更新

kamikawa seiji


上川誠二と同じ誕生日3月27日生まれ、同じ和歌山出身の人

清原 邦一(きよはら くにかず)
1899年3月27日生まれの有名人 和歌山出身

清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月27日 - 1967年(昭和42年)11月11日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 和歌山県那賀郡(現紀の川市)で、清原英三の長男とし…

東 秀紀(あずま ひでき)
1951年3月27日生まれの有名人 和歌山出身

東 秀紀(あずま ひでき、1951年3月27日 - )は、作家、建築・都市史家。東京都立大学特任教授。英国王立都市計画家協会正会員。一級建築士資格所有。2001年日本建築学会文化賞を受賞。日本文藝家協…

和田 鶴一(わだ つるいち)
1912年3月27日生まれの有名人 和歌山出身

和田 鶴一(わだ つるいち、1912年(明治45年)3月27日 - 1973年(昭和48年)6月1日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 和田今之助の次男として和歌山県西牟婁郡串本町(現・東牟婁…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


上川誠二と近い名前の人

上川 陽子(かみかわ ようこ)
1953年3月1日生まれの有名人 静岡出身

上川 陽子(かみかわ ようこ、1953年〈昭和28年〉3月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、裁判官訴追委員長。 外務大臣(第152代)、法務大臣(第94代・第95代・…

上川 徹(かみかわ とおる)
1963年6月8日生まれの有名人 鹿児島出身

上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、元サッカー審判員(元国際審判員)。元日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長。 息子はサッカー選手の上…


上川 ゆう(かみかわ ゆう)
1979年12月26日生まれの有名人 広島出身

上川 ゆう(かみかわ ゆう、1979年12月26日 - )は、日本の女性声優。広島県出身。マウスプロモーション所属。 方言は広島弁。 君のいる町(恭輔の母) マウスどうぶつえん(2018年、オカメ…

上川路 啓志(かみかわじ ひろゆき)
1982年2月14日生まれの有名人 鹿児島出身

上川路 啓志(かみかわじ ひろゆき、1982年2月14日 - )は、日本の俳優である。鹿児島県出身。身長176cm。文学座所属。 2006年 初舞台『オトコとおとこ』(文学座アトリエ公演) 『LO…

神河 ひかり(かみかわ ひかり)
1984年2月18日生まれの有名人 群馬出身

2月18日生まれwiki情報なし(2025/04/08 11:23時点)

上川 隆也(かみかわ たかや)
1965年5月7日生まれの有名人 東京出身

上川 隆也(かみかわ たかや、1965年〈昭和40年〉5月7日 - )は、日本の俳優、声優。既婚。 東京都八王子市出身。ゼロライトイヤーズ所属。 東京都立八王子北高等学校卒業。中央大学二部経済学部…

神川 真理(かみかわ まり)
1980年8月17日生まれの有名人 神奈川出身

8月17日生まれwiki情報なし(2025/04/07 16:03時点)


上川 敦志(かみかわ あつし)
1975年9月14日生まれの有名人 福岡出身

上川 敦志(かみかわ あつし、1975年9月14日 - )は日本の漫画家。福岡県出身。『週刊少年サンデー』など小学館で主に活動している。女性で旧ペンネームは上川敦子。 海賊キャバレー(2002年/少…

中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう)
1854年10月4日生まれの有名人 大分出身

中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日(1854年10月4日) - 明治34年(1901年)10月7日)は、明治時代の官吏・実業家。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し…

上川 大樹(かみかわ だいき)
1989年11月9日生まれの有名人 山口出身

上川 大樹(かみかわ だいき、1989年11月9日 - )は、山口県山口市出身の日本の柔道家。階級は100kg超級。身長185cm、体重156kg。血液型はB型。組み手は右組み。段位は五段。得意技は足…

上川 雄介(かみかわ ゆうすけ)
1991年2月6日生まれの有名人 鳥取出身

上川 雄介(かみかわ ゆうすけ、1991年2月6日 - )は、日本の俳優。エビス大黒舎・Team Ebisuに所属していた。現在は撮影部として活動している。鳥取県鳥取市出身。身長175cm、体重58k…

上川畑 大悟(かみかわばた だいご)
1997年1月12日生まれの有名人 岡山出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 上川畑 大悟(かみかわばた だいご、1997年1月12日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハム…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
上川誠二
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

乙女新党 Especia ALLOVER アイドルカレッジ asfi でんぱ組.inc ライムベリー 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「上川誠二」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました