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佐野常民の情報 (さのつねたみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月29日】今日誕生日の芸能人・有名人

佐野常民の情報(さのつねたみ) 官僚 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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佐野 常民さんについて調べます

■名前・氏名
佐野 常民
(読み:さの つねたみ)
■職業
官僚
■佐野常民の誕生日・生年月日
1823年2月8日 (年齢1902年没)
未年(ひつじ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
佐賀出身

佐野常民と同じ1823年生まれの有名人・芸能人

佐野常民と同じ2月8日生まれの有名人・芸能人

佐野常民と同じ出身地佐賀県生まれの有名人・芸能人


佐野常民と関係のある人

津田仙: 民部省に勤めたのち、明治6年(1873年)には、ウイーン万国博覧会に副総裁として出席する佐野常民(日本赤十字社の創設者)の書記官として随行。


長与専斎: また、石黒忠悳、三宅秀、佐野常民らと大日本私立衛生会(のち日本衛生会、現日本公衆衛生協会)を興し会頭に就任するなど、医学界および衛生行政に重きをなした。


高橋克彦: 火城 幕末廻天の鬼才・佐野常民(1992年5月 PHP研究所 / 1995年9月 PHP文庫 / 2001年11月 角川文庫 / 2007年12月 PHP研究所 / 2010年2月 文春文庫)


岡上鈴江: 『社会の進歩につくす 佐野常民・前島密・本木昌造』(家の光協会、光をともした人々6 ) 1975年


渋沢栄一: 明治10年(1877年)には、佐野常民が西南戦争の傷病兵を敵味方無く救護する目的で博愛社が創立されると社員となり、後に同社が日本赤十字社と改称されると常議員となり、引き続き運営に関わった。


岡村昭彦: 父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。


緒方洪庵: 洪庵の功績として最も有名なのが、適塾から福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出したことである。


緒方洪庵: 」と回想し、佐野常民は、若き日にうけた恩義が忘れられず八重の墓碑銘を書いている。


大隈重信: 大隈が総裁、佐野常民が副総裁を務め、明治になって政府が初めて参加した万国博覧会となり、近代博物館の源流となった。


田中芳男: 1873年、佐野常民らともにオーストリア・ウィーンで開催されたウィーン万国博覧会に派遣される。


大隈重信: 大隈は佐賀の後輩である佐野常民を大蔵卿とし、財政に対する影響力を保とうとしたが、大隈が提案した外債募集案に佐野も反対したことで、大隈による財政掌握は終焉を迎えた。


佐野常民の情報まとめ

もしもしロボ

佐野 常民(さの つねたみ)さんの誕生日は1823年2月8日です。佐賀出身の官僚のようです。

もしもしロボ

結婚に関する情報もありますね。1902年に亡くなられているようです。

佐野常民のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、明治期の日本の政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。栄典は正二位勲一等伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。

1823年(文政6年)、 佐賀藩士下村三郎左衛門(充贇)の5男として佐賀(肥前国佐賀郡早津江村 現・佐賀市)に生まれる。幼名は鱗三郎。1831年(天保2年)に佐賀藩医佐野常徴の養子となり、佐賀藩の前藩主・鍋島斉直から栄寿の名を授かった。佐賀藩校・弘道館に学び、1837年(天保8年)には養父のいる江戸へ遊学、古賀侗庵に学ぶ。

1839年(天保10年)、佐賀に帰り、弘道館で考証学を、松尾塾で外科術を学ぶ。1842年(天保13年)、佐野家の養女・駒子と結婚する。1846年(弘化3年)、京都で広瀬元恭の時習堂に入門し、1848年(嘉永元年)には大坂の緒方洪庵の適塾で学び、さらに紀伊国で華岡青洲が開いた春林軒塾に入門する。適塾では大村益次郎ら明治維新で活躍する多くの人材と知遇を得る。

1849年(嘉永2年)、江戸で伊東玄朴の象先堂塾に入門し、塾頭となる。江戸では戸塚静海にも学んでいる。この頃に勤皇運動に傾倒。藩の知るところとなり、急遽佐賀に戻るよう命じられている。1851年(嘉永4年)、長崎に移り、家塾を開く。1853年(嘉永6年)、佐賀に帰り、佐賀藩の精煉方頭人となり、藩主・鍋島直正から「栄寿左衛門」の名を授かる。佐賀藩の精煉方に田中久重親子や石黒寛次らを推薦する。

1855年(安政2年)6月に長崎の海軍予備伝習に参加する。同年8月に幕府が長崎海軍伝習所を開設し、佐賀藩から常民ら四十八名が第一期生として参加する。この頃に藩主・鍋島直正へ海軍創設の必要性を説き、自ら海軍所の責任者となる。

1857年(安政4年)、佐賀藩がオランダから購入した飛雲丸の船将となり、翌1858年(安政5年)、三重津海軍所の監督となる。1863年(文久3年)、三重津海軍所で幕府注文の蒸気鑵(ボイラー)を製作する。1867年(慶応3年)、パリ万国博覧会に参加し、その万博会場で国際赤十字の組織と活動を見聞し、オランダに行き、日進の建造を発注する。西欧諸国の軍事、産業、造船術などを視察して翌1868年(明治元年)に帰国。

1870年(明治3年)3月~10月までの8か月間、兵部少丞に就任し、日本海軍の基礎創りに尽力する。しかし、増田明道ら他の海軍担当官との関係は良好とは言い難く、佐野の奮闘は空回りでしかなかった。罷免についても同僚の船越衛は同情している。1871年(明治4年)、民部省灯明台掛を受け継いだ工部省において燈台頭に就任し、洋式燈台の建設指揮にあたる(同時に工部大丞にも就任)。1872年(明治5年)、博覧会御用掛に就任し、日本の産業の近代化をめざすべく、同年3月に初の官設博覧会を湯島聖堂で開催する(湯島聖堂博覧会)。1873年(明治6年)、ウィーン万国博覧会事務副総裁に就任して、ウィーン万博に派遣される。博覧会を通じて日本の近代化に貢献し、「博覧会男」の異名を得る。通訳はアレクサンダー・フォン・シーボルトが努めた。

1875年(明治8年)、元老院議官となる。1877年(明治10年)2月に西南戦争が起こり、敵味方の区別なく戦場で負傷した将兵を看護する赤十字社の知識を元に、「博愛社設立請願書」を政府に提出するが不許可となり、5月に熊本で有栖川宮熾仁親王から博愛社設立の許可を得る。博愛社総長に東伏見宮嘉彰親王が就任。

1878年(明治11年)、大給恒らと博愛社の総副長となる。1879年(明治12年)、日本美術の海外流出を防ぐために、龍池会(後の日本美術協会)と呼ばれる美術団体を発足し、会頭に就任する。亡くなるまで会長を務め、芸術家の保護と育成に力を尽くす。同年10月には中央衛生会会長に就任する。1880年(明治13年)、大蔵卿に就任するが、翌年の政変で辞任する。

1888年(明治21年)、枢密顧問官に就任する。7月、磐梯山噴火の救援活動を行う。 1882年(明治15年)、元老院議長に就任する。1883年(明治16年)、大日本私立衛生会(後の日本衛生会→日本公衆衛生協会)が発足し、会頭に就任する。1886年(明治19年)、東京飯田町に博愛社病院を開設する。

1887年(明治20年)、博愛社を日本赤十字社と改称し、初代社長に就任する。子爵。9月、日本赤十字社が国際赤十字に加盟する。12月、日本美術協会会頭に就任する。1892年(明治25年)、第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。1894年(明治27年)の日清戦争や、1900年(明治33年)の義和団の乱で日本赤十字社は、戦時救護活動を行う。1895年(明治28年)、伯爵に陞爵。

1902年(明治35年)、東京の自宅で死去、79歳。死に際して勲一等旭日桐花大綬章が贈られる。墓所は青山墓地。

1871年(明治4年)

    5月9日 - 正七位

    12月18日 - 従五位

    1872年(明治5年)10月8日 - 正五位

    1875年(明治8年)12月28日 - 従四位

    1880年(明治13年)5月24日 - 正四位

    1886年(明治19年)10月20日 - 従三位

    1888年(明治21年)10月20日 - 正三位

    1895年(明治28年)12月20日 - 従二位

    1902年(明治35年)12月7日 - 正二位

    1878年(明治11年)6月28日 - 勲二等旭日重光章

    1882年(明治15年)11月1日 - 勲一等旭日大綬章

    1887年(明治20年)5月24日 - 子爵

    1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章

    1891年(明治24年)3月30日 - 御紋付御盃

    1895年(明治28年)

      10月31日 - 伯爵

      11月18日 - 明治二十七八年従軍記章

      1901年(明治34年)2月4日 - 御紋付御盃

      1902年(明治35年)12月7日 - 旭日桐花大綬章

      日本赤十字社名誉社員章

      1877年(明治10年)12月24日

        オーストリア=ハンガリー帝国フランツヨーゼフヨルデン大十字型勲章

        ザクセン王国第一等コムツールクロイツアルブレクトヨルデン勲章

        佐賀市川副町には「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」があり佐野常民に関する常設展示がある(2021年9月25日に「佐野常民記念館」からリニューアルオープン)。

        常民は、明治時代に都を関東の内陸部に位置する本庄宿(中山道で最大の宿場町)へ遷都する案を提出するも周囲の賛同を得られず、断念している。

        父:下村充贇 - 佐賀藩士

        養父:佐野常徴 - 藩医

        妻:佐野駒子 - 養父の娘

        長男:常実 - 母は駒子。幼名源一郎。常民の随行者としてウィーン万国博覧会へ行ったことがあり、長じてドイツへ留学したが、1880年に留学先で没した。

        娘:粂千代 - 母は駒子。嫡子だった常実が早世したため、丹羽浅見家の浅見忠雄を粂千代の婿に迎え養嫡子・佐野常樹とする。

        三男:佐野常羽

        娘:田村貞子(1882年生) - 田村丕顕の妻。その孫にジャーナリストの岡村昭彦、演出家の岡村春彦。

        妾:若井しま - 若井兼三郎の妹。

        妾:東海林春 - 仙台藩士東海林庄五郎の長女。

        ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「佐野常民」

        ^ 日本赤十字社の創設者

        ^ 「佐野常民」 アジア歴史資料センター Ref.A06051168600 

        ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。

        ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。

        ^ 『官報』第5831号「叙任及辞令」1902年12月9日。

        ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)

        ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。

        ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。

        ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。

        ^ 『官報』第4638号・付録「辞令」1898年12月14日。

        ^ “世界遺産、見えた 佐賀市の三重津海軍所跡、施設リニューアル 名称は「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に”. 佐賀新聞. 2021年9月25日閲覧。

        ^ 『日赤の創始者佐野常民』吉川龍子、吉川弘文館, 2001年、p208

        ^ 若井兼三郎(わかいけんざぶろう) 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー

        ^ 『弊風一班 畜妾の実例』黒岩涙香、現代教養文庫、社会思想社、1992年、p68

        朝日恵子「佐野常民―近代国家のパイオニア」、『九州の蘭学-越境と交流』、303-310頁。 ヴォルフガング・ミヒェル・鳥井裕美子・川嶌眞人 共編、(京都:思文閣出版、2009年)。ISBN 978-4-7842-1410-5

        吉川龍子『日赤の創始者 佐野常民』吉川弘文館、2001年。ISBN 4-642-05518-5

        高橋克彦『火城 幕末廻天の鬼才・佐野常民』(1992年5月 PHP研究所 / 1995年9月 PHP文庫 / 2001年11月 角川文庫 / 2007年12月 PHP研究所 / 2010年2月 文春文庫)

        西澤之助

        起立工商会社

        亜細亜大博覧会

        佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館

        佐野常民 | 近代日本人の肖像 - 国立国会図書館

        三重津海軍所跡が世界遺産に - 佐賀県

        赤十字WEBミュージアム

        河野敏鎌

        西郷従道

        谷干城

        西郷従道

        山縣有朋

        土方久元

        黒田清隆

        榎本武揚

        井上馨

        岩村通俊

        陸奥宗光

        河野敏鎌

        佐野常民

        後藤象二郎

        榎本武揚

        大隈重信

        山田信道

        伊東巳代治

        金子堅太郎

        大石正巳

        曾禰荒助

        林有造

        平田東助

        清浦奎吾

        松岡康毅

        大浦兼武

        小松原英太郎

        牧野伸顕

        仲小路廉

        山本達雄

        大浦兼武

        河野広中

        仲小路廉

        山本達雄

        荒井賢太郎

        田健治郎

        岡野敬次郎

        前田利定

        高橋是清

        山崎達之輔

        内田信也

        島田俊雄

        石黒忠篤

        千石興太郎

        松平慶永

        伊達宗城

        大久保利通

        大隈重信

        佐野常民

        松方正義

        松方正義

        渡辺国武

        井上馨

        松田正久

        西園寺公望

        曾禰荒助

        阪谷芳郎

        桂太郎

        山本達雄

        若槻禮次郎

        高橋是清

        武富時敏

        寺内正毅

        勝田主計

        市来乙彦

        井上準之助

        勝田主計

        濱口雄幸

        早速整爾

        片岡直温

        三土忠造

        藤井真信

        町田忠治

        馬場鍈一

        結城豊太郎

        賀屋興宣

        池田成彬

        石渡荘太郎

        青木一男

        櫻内幸雄

        河田烈

        小倉正恒

        賀屋興宣

        津島壽一

        広瀬豊作

        渋沢敬三

        石橋湛山

        矢野庄太郎

        栗栖赳夫

        北村徳太郎

        泉山三六

        大屋晋三 臨時代理

        池田勇人

        向井忠晴

        小笠原三九郎

        一万田尚登

        佐藤栄作

        水田三喜男

        田中角栄

        福田赳夫

        植木庚子郎

        愛知揆一

        大平正芳

        坊秀男

        村山達雄

        金子一平

        竹下登

        渡辺美智雄

        宮澤喜一

        橋本龍太郎

        海部俊樹

        羽田孜

        林義郎

        藤井裕久

        武村正義

        久保亘

        三塚博

        松永光

        宮澤喜一

        宮澤喜一

        塩川正十郎

        谷垣禎一

        尾身幸次

        額賀福志郎

        伊吹文明

        中川昭一

        与謝野馨

        藤井裕久

        菅直人

        野田佳彦

        安住淳

        城島光力

        麻生太郎

        鈴木俊一

        佐野常民1873 弁理公使 / 1873-1874

        河瀬真孝1873 弁理公使

        青木周蔵1875-1880

        井田譲1880-1882

        上野景範1882-1884

        西園寺公望1885-1887

        戸田氏共1887-1890

        渡辺洪基1890-1892

        大山綱介1892-1895 臨時代理公使

        高平小五郎1896-1899

        牧野伸顕1899-1906

        大使館昇格1907

        内田康哉1907-1909

        秋月左都夫1910-1913

        佐藤愛麿1914

        第一次大戦中引揚

        公使館開設

        本多熊太郎1921-1924

        赤塚正助1924-1926

        大野守衛1927-1930

        有田八郎1931-1932

        松永直吉1933-1935

        谷正之1936-1937

        独墺合邦により総領事館に格下げ1938

        山路章1938-1941

        N/A

        合邦解消、総領事館閉鎖1945

        公使館開設

        大野勝巳1955-1956

        古内広雄1957

        大使館昇格1957

        古内広雄1957-1961

        内田藤雄1961-1964

        法眼晋作1965-1968

        新関欽哉1968-1971

        藤山楢一1971-1975

        鹿取泰衛1975-1979

        山戸徹1980-1983

        宮沢泰1983-1985

        村田良平1985-1987

        矢田部厚彦1987-1989

        長谷川和年1989-1992

        小野寺龍二1992-1993

        黒川剛1993-1996

        高島有終1996-1999

        伊集院明夫1999-2003

        橋本宏2003-2006

        梅津至2006-2007

        田中映男2007-2010

        岩谷滋雄2010-2013

        竹歳誠2013-2016

        小井沼紀芳2016-2019

        水谷章2019-2022

        水内龍太2022-

        佐野常民1873 弁理公使 1873-1874

        河瀬真孝1873 弁理公使

        青木周蔵1875-1880

        井田譲1880-1882

        上野景範1882-1884

        西園寺公望1885-1887

        戸田氏共1887-1890

        渡辺洪基1890-1892

        大山綱介1892-1895 臨時代理公使

        高平小五郎1896-1899

        牧野伸顕1899-1906

        大使館昇格1907

        内田康哉1907-1909

        秋月左都夫1910-1913

        佐藤愛麿1914

        引揚

        オーストリア=ハンガリー帝国解体1918

        在オーストリア公使が兼轄1921-1937

        本多熊太郎1921-1924

        赤塚正助1924-1926

        大野守衛1927-1930

        有田八郎1931-1932

        松永直吉1933-1935

        谷正之1936-1937

        独墺合邦により公使館消滅1938

        公使館開設

        松宮順1938-1939

        井上庚二郎1939-1940

        大久保利隆1941-1943

        森喬未赴任

        引揚1944

        再開1960

        小川清四郎1960-1962

        吉田健一郎1962-1964

        大使館昇格1964

        吉田健一郎1964-1966

        八木正男1966-1968

        卜部敏男1968-1969

        上田常光1970-1973

        都倉栄二1973-1975

        齋木千九郎1957-1978

        杉原真一1978-1981

        角谷清1981-1983

        和智一夫1983-1986

        茂木良三1986-1989

        関榮次1989-1992

        堤功一1992-1995

        田中義具1995-1997

        久米邦貞1997-1998

        糠沢和夫1998-2001

        松本和朗2001-2003

        稲川照芳2003-2006

        鍋倉眞一2006-2009

        伊藤哲雄2009-2012

        山本忠通2012-2014

        小菅淳一2014-2017

        佐藤地2017-2020

        大鷹正人2020-2024

        小野日子2024-

        在オーストリア=ハンガリー弁理公使が兼轄

        佐野常民1873

        河瀬真孝1873

        昇格

        河瀬真孝1873-1877

        西郷従道1878 (未赴任)

        鍋島直大1880-1882

        浅野長勲1882-1883

        田中不二麿1884-1887

        徳川篤敬1887-1890

        中島信行1893

        高平小五郎1894-1896

        栗野慎一郎1896-1897

        牧野伸顕1897-1899

        大山綱介1899-1906

        昇格

        高平小五郎1907-1908

        林権助1908-1916

        伊集院彦吉1916-1919

        落合謙太郎1920-1926

        松田道一1926-1929

        吉田茂1931-1932

        松島肇1932-1934

        杉村陽太郎1934-1936

        堀田正昭1936-1937

        白鳥敏夫1938-1939

        天羽英二1939-1940

        佐藤尚武1940

        堀切善兵衛1940-1942

        日高信六郎1942-1943

        イタリア王国と国交断絶、イタリア社会共和国が国交継承

        日高信六郎1943-1945

        イタリア社会共和国が崩壊

        イタリア共和国と国交再開を合意1951

        井上孝治郎1951-1952

        イタリア共和国と国交再開1952

        井上孝治郎1952全権公使

        原田健(英語版)1952-1955

        太田一郎1956-1959

        鈴木九萬1959-1961

        門脇季光1961-1963

        中川融1964-1965

        与謝野秀1965-1967

        田付景一1967-1969

        高野藤吉1969-1972

        竹内春海1972-1975

        藤山楢一1975-1979

        影井梅夫1979-1982

        堀新助1982-1984

        西田誠哉1984-1987

        手島冷志1987-1990

        浅尾新一郎1990-1992

        渡辺幸治1992-1993

        英正道1993-1997

        瀬木博基1997-2000

        林暘2000-2002

        松原亘子2002-2005

        中村雄二2005-2008

        安藤裕康2008-2011

        河野雅治2011-2014

        梅本和義2014-2017

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        佐賀県出身の人物

        1823年生

        1902年没

        佐賀県の歴史

2024/09/24 22:08更新

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