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【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

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向谷 実さんについて調べます

■名前・氏名
向谷 実
(むかいや みのる)
■職業
ミュージシャン
■向谷実の誕生日・生年月日
1956年10月20日 (年齢67歳)
申年(さる)、天秤座(てんびん)
■出身地・都道府県
東京出身

向谷実と同じ年に生まれた芸能人(1956年生まれ)

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向谷実

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向谷 実(むかいや みのる)さんの誕生日は1956年10月20日です。東京出身のミュージシャンのようです。

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来歴、鉄道音楽の制作などについてまとめました。脱退、趣味、卒業、ドラマ、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。現在の年齢は67歳のようです。

向谷 実(むかいや みのる、1956年10月20日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、実業家、タレント。東京都世田谷区出身。

フュージョンバンド・カシオペアの元キーボード奏者(1977年-2012年)、およびかつしかトリオのキーボード奏者(2021年-)。鉄道関連事業を行っている株式会社音楽館代表取締役社長。

1977年、ネム音楽院(現:ヤマハ音楽院)エレクトーン科在籍中であった20歳の時に、当時まだアマチュアバンドであったカシオペアにキーボーディストとして加入。1979年にカシオペアはメジャーデビューし、2006年の活動休止までリーダーの野呂一生と共に29年間歩み、カシオペアのサウンドを支えてきたが、6年後の2012年に活動再開する際に脱退した。脱退以後の音楽マネージメントは自身の会社である音楽館で行っている。

1995年、自身が培ってきたコンピューター技術を活かして、音楽館で実写版鉄道シミュレーションゲーム『Train Simulator』シリーズの制作および発売開始。1990年代後半から2000年代に掛けては、カシオペアとともに活動の柱となっていった。なお、音楽館は2000年代後半よりコンシューマーゲームから業務用分野の鉄道シミュレーターに事業を転換している。

カシオペア活動中からソロでの音楽活動を行っており、様々なアーティストのレコーディングに参加。自身が中心となってプロデュースしたものも数多い。

カシオペア在籍時はライブでMC(司会)も担当。MCでの巧みな話術はメディア出演でも評判となり、『Train Simulator』制作以後は熱狂的な鉄道ファンとして鉄道関連番組に頻繁に出演するようになり、業務用分野のシミュレーターに事業を転換してからはプロとしての立場で鉄道関連番組に出演している。また、その知見を買われて近年は情報番組にコメンテーターとしても出演するようになり、従来の音楽ファン、鉄道ファン以外からも広い知名度を得ている。

2021年からカシオペアの元メンバーどうしであった櫻井哲夫、神保彰との三人で、カシオペア時代と同じジャンルのフュージョン・バンド、かつしかトリオを結成して活動中。

自らが発信する動画配信やSNS投稿では、たんに告知だけではなく私生活をかなりオープンにしている。

来歴

世田谷区二子玉川出身。幼少の頃から音楽を学び、4歳半からオルガンを、5歳からピアノを習い始め、6歳で既に作曲を行っていたという。その後にエレクトーンに移行した。中学生時代はエレクトーンに精力を傾け、地区のコンクールで優勝するなどしていた。

しかし、全国大会出場への強化合宿に軽い気持ちで出たところ、他の参加者たちが自分よりも高度な英才教育を施されてきたことからレベルの違いに愕然とする。そういった理由もあり、東京都立大学附属高等学校(現:東京都立桜修館中等教育学校)入学後の高校生時代は、音楽はあくまでも趣味レベルに留めることにしたが、エレクトーンの教習には通い続けて、アルバイトでデモンストレーター(楽器店の店頭における試演奏者)もやっていく。将来の目標は音楽とは別のところに置いていて、弁護士として社会奉仕活動に従事することを掲げていた。高校三年生の現役時、その目標のためにいくつかの難関大学を受験するものの、あえなく全滅。高校を卒業後、大学受験浪人として予備校生活に入る。しかし、通学途中の繁華街で遊興に耽る日々が続き、さらなる学力低下を招いてしまう。我に戻って危機を感じた向谷は翌年の大学受験は諦めることにして、進路変更を決意。高校時代の担任に相談しに行ったところ、氏からのアドバイスにより、長年やってきたエレクトーンの腕を活かすことにして、「手に職を付ける」、「就職に有利」な面から、ネム音楽院(現:ヤマハ音楽院)のエレクトーン科に進学した。向谷はそこでヤマハ音楽能力検定の「エレクトーン部門グレード3級(演奏)」と「指導者グレード3級」の両資格を取得している。

このネム音楽院在籍時の1977年、友人を介して同学年の年齢だった野呂一生と知り合い、野呂が櫻井哲夫と結成していたバンド、カシオペアがアマチュアバンド・コンテスト「EastWest'77」に出場するにあたり、キーボーディストとして加入の誘いを受ける。その際、野呂はカシオペアの指向について、向谷が信奉していたミュージシャンの一人を引き合いに出して「チック・コリアみたいな音楽(当時活動していたエレクトリック編成のリターン・トゥ・フォーエヴァー)をやっている」と口説いた。カシオペアは前年度の同コンテスト(「EastWest'76」)に出場して決勝大会まで進出したこともあって、交友関係の輪の中にいた向谷も存在を知っていた。当初参加した理由は、前年度の同コンテストで野呂が最優秀ギタリスト賞を受賞し、その賞品として当時最新型にして最高級のエレクトリック・ギター(ヤマハSG-2000)を獲得したことが野呂本人から吹聴され、“この有望なバンドで決勝大会に出られれば、自分も欲しい楽器を獲得出来るかもしれない”という一時的なものだった。同じプロミュージシャンでも、これをきっかけにして(収入が不安定な)バンドマンになるなんて気はなくて、安定したエレクトーン業界で生活していく将来設計は据え置いていた。そして向谷を入れたカシオペアは自らのオーディションで選んだドラマーも加えて同コンテストに再出場することになる。

カシオペアに加入した向谷は、野呂が作ってきた楽曲における音楽性の高さに感銘する一方で、それまで野呂が独学で書いていた楽譜の楽典について専門教育を受けている立場から添削・修正する役割を請け負うなど深く関わっていく。また、前年度の決勝大会に出場したカシオペアの再出場は「EastWest'77」の注目の的であり、下馬評で最高位のグランプリが確実視されるなど、軽い気持ちで参加した向谷をどんどん本気にさせていった。そしてカシオペアは前年度に続き、決勝大会まで進出。惜しくもグランプリは獲れなかったが、優秀グループ賞を受賞した(なお、本年度は当初目当てにしていた賞品は出されなく、賞状のみであった)。この頃になると、向谷の気持ちはすっかり変わり、元からプロ志望であった野呂と共にカシオペアとしてプロデビューを目指すことになっていく。そして、カシオペアは「EastWest'77」決勝大会出場メンバーで都内近郊を中心にライブ活動開始。このデビュー前の時期、「EastWest'77」の審査員だった鳴瀬喜博に見いだされ、プロとしての仕事に度々誘われるようになる。また、この頃から家庭を持ち始めたこともあって、自活のために引き続きエレクトーンのデモンストレーターやスタジオ・ミュージシャン、コピー譜の採譜作業をするようになる。

1979年5月25日、日本におけるフュージョンブームの真っ直中、カシオペアはアルバム『CASIOPEA』でメジャーデビュー。野呂の優れた作・編曲の能力とともに、ライブで完全再現させる演奏力で高い評価を得ていく。そのデビューアルバムに付けられたキャッチコピー「スリル、スピード、スーパー・テクニック」の表現通り、超絶技巧かつアクロバティックな演奏スタイルで、向谷は同時に2台のキーボードを弾き分けるなどエレクトーン・プレーヤー出身の素性が活かされた。また、カシオペアはライブにおいて、結成時からしばらくはリーダーである野呂がMC(司会)を務めていたのだが、この頃に向谷に移行されることになる。カシオペアの演奏とともに向谷のMCも評判となり、その軽妙さから向谷の名字をもじり、司会屋実(しかいやみのる)の異名が与えられた。

カシオペアは当時半年というインターバルでのアルバムのリリースごとに売り上げを伸ばし続け、ライブの規模と動員もそれに伴って拡張していった。カシオペアが多忙になったこと、そしてカシオペアで安定した収入が得られるようになったこともあり、デビュー後も行っていたスタジオ・ミュージシャンを一時休止し、1980年代前半の一時期はカシオペアの活動だけに専念するようになる。しかしながら、カシオペア以外の音楽活動にも意欲的な心は持ち続けていて、1984年に初めて自身が音楽制作のイニシアチブを取って、亜蘭知子のアルバム『More Relax』をサウンドプロデュースした。さらに同年には都内にレコーディング・スタジオ「スタジオJIVE」を賛同者とともに建設し、向谷は関連会社の音楽館を興してスタジオ運営に参画する。以降、このスタジオJIVEが、初のソロアルバム『ミノル・ランド』のレコーディングをはじめとした向谷のホームグラウンドとなり、カシオペアの国内におけるレコーディングもここを中心になされていくようになる。

1980年代前半、趣味の一環としてパソコンを購入。熱中するようになった向谷は、国産からすぐに米国Apple Computerが出したばかりのMacintoshに辿り着き、パソコン通信で海外音楽関係者と情報のやりとりをしたり、デジタル機材のデータ管理など音楽活動にも用いていくようになる。1980年代後半から1990年代前半に掛けて、パソコン、とりわけMacintoshを使うミュージシャンの代表格として各種メディアに取り上げられるようにもなる。そして1993年、向谷は自身が経営する音楽館で、カシオペアが題材となった、映像と音楽を融合させたCD-ROMソフト『Touch the Music by Casiopea』を制作して発売する。これは後に制作する『Train Simulator』のプロトタイプともなった。

幼少の頃から鉄道が趣味で、切符収集から始まり、学生時代は当時ブームだった8ミリ映画カメラでSL(蒸気機関車)を撮りに遠方まで出掛けていた。カシオペア在籍時代もライブツアーで全国各地を廻る際、機会があればその地元の路線に乗りに出掛けたり、他のメンバーやスタッフが旅客機や新幹線で時間的に効率な移動をするなか、好んで移動時間が掛かる夜行列車など利用して鉄道趣味を堪能していた。また、1985年に発表した初のソロアルバム『ミノル・ランド』にSLの音が取り入れられた曲「TAKE THE SL TRAIN」を作って収録するなど、その趣味の熱心さは以前からカシオペア・ファンには知られる事柄であった。

1995年に世界初の実写版鉄道シミュレーションゲーム『Train Simulator』第1弾「中央線201系(中野-豊田)」(Macintosh用)を自身の会社、音楽館で制作して発売する。音楽活動で培ったコンピューター技術を用いて、列車の乗務員室から業務用ビデオカメラで撮影した実写のノンストップ動画を処理して完成したのが本作である。ソロ活動の一環ではあったが、多分な趣味的要素で個人的にプロジェクトを立ち上げたものであった。しかし、ドライブシミュレーションゲーム(自動車)・フライトシミュレーションゲーム(飛行機)しかなかった実機シミュレーションゲームに「鉄道シミュレーションゲーム」という新たなジャンルを生み出してヒットさせた。

これ以後、1990年代後半から2000年代前半に掛けて、向谷にとって『Train Simulator』シリーズの制作はソロ活動の柱となった。『Train Simulator』の音楽制作は自らで手掛けていたが、それ以外のソロにおける音楽活動は激減していった。時を同じくして、カシオペア自体の活動も年々減少していく。そのため、『Train Simulator』制作者として音楽とは異分野でメディア出演が増えていくも音楽シーンにおいては霞がちになっていった。

2006年8月1日、カシオペアはリーダー・野呂の意向により、レコーディングおよびライブなどの活動をすべて休止した。

カシオペア休止以降、向谷の音楽活動は逆に精力的になり、鉄道事業の音楽制作において起用したミュージシャンらで、向谷実とメロディーズ(宮崎隆睦、矢堀孝一、鹿島達彦、平川象士、壷井彰久)を結成し、鉄道イベント等でのデモンストレーション・ライブの他、有料での単独ライブも開催した。また、カシオペアのデビュー直後から親交がある三枝成彰の実験的なコンサートにも参加していくようになる。2010年、twitterでの交流をきっかけに歌手・中西圭三と向谷実×中西圭三プロジェクトが立ち上げられた。twitterで一般から歌詞を公募、レコーディング作業は全てUstreamで実況中継して制作過程を可視化、さらに当初はCDは制作せずにダウンロード販売でするなどインターネットがフル活用された実験的な音楽制作を行って話題となった。

2000年代後半、『Train Simulator』シリーズはタイトーとの合作による『Railfan』に収束して制作が休止するものの、向谷と音楽館はその応用として富士通と提携して鉄道会社が実際に乗務員の訓練に使用する業務用シミュレーターの開発を手がけるようになり、2007年には鉄道博物館の展示品で来場者が動かす「国鉄D51形蒸気機関車運転シミュレーター」の開発にも携わった。これが近年の主な事業となっていく。

ニコニコ超会議における団体臨時列車ニコニコ超会議号や、東急百貨店東横店で毎年開催の「鉄道フェスティバル in SHIBUYA」などの鉄道関連イベントをプロデュース。

2001年から2010年まで名古屋芸術大学音楽学部音楽文化応用学科の新設と共に専任教授を務めた。

2012年4月、メンバー間での話し合いにより、向谷がカシオペアから脱退することが公式サイトで発表された(カシオペアはCASIOPEA 3rdとして6年ぶりに活動再開も表明。向谷の後任には大高清美が起用された)。これにより、向谷の音楽マネージメントも音楽館に移管されることになった。

2015年1月、自身のFacebookとTwitterでナレーターの藤みさきと再婚したことを報告した。

2016年、東京で行われた楽器フェアにおいて、自身の還暦を記念したライブ「Minoru Mukaiya presents "EAST meets WEST"」を開催。1982年に発表されたカシオペアのセッション・アルバム『FOUR BY FOUR』で共演以来のリー・リトナー(ギター)とドン・グルーシン(キーボード)とネイザン・イースト(ベース)、旧知の神保彰(ドラムス)、村田陽一(トロンボーン)、エリック・ミヤシロ(トランペット)ら日米で活動する凄腕ミュージシャンを一堂に迎えて話題となった。

2018年、先述したライブがきっかけとなり、共演したドン・グルーシンら日米双方のミュージシャンと再演した、25年ぶりとなる3枚目のソロアルバム『THE GAMES-East Meets West 2018-』を制作して発表。レコーディング・メンバーでの国内ライブツアーも行った。

向谷が音楽館で手掛けている鉄道乗務員訓練用の業務シミュレーターは多くの鉄道会社で採用されるようになった。海外でも注目を浴びていて、日本が官民を挙げて海外に売り込みをしている新幹線では一役買っている。2015年には、東日本旅客鉄道(JR東日本)がアメリカ合衆国・カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンにプレゼンテーションをする際、総理大臣の安倍晋三に帯同して、シミュレーターのデモンストレーションを取り仕切った。2018年には、ドイツで開催されている世界最大の鉄道技術博覧会「イノトランス」に初出展。その模様はTBS系のドキュメンタリー番組『情熱大陸』の密着取材を受けて放送されることとなった。

神保との交流と共演に加え、2010年代後半からは櫻井哲夫との交流と共演も頻繁となっていく。2020年、櫻井と神保はカシオペア脱退後にかつて二人で組んでいたJIMSAKUを再結成し、彼らもまた交流と共演が頻繁となっていった。2021年、神保が単身での演奏によるワンマンオーケストラのかつしかシンフォニーヒルズ公演に、向谷と櫻井の二人がゲスト出演するにあたって、三人の共演形態に名称を付けることになって、ホール名に因んでかつしかトリオとした。当初はそこでの一回限りを予定したものであったが、前評判の高さから複数個所のライブツアーに拡げて行った。その盛況ぶりから翌2022年以降も活動を継続させることとなり、毎年のライブツアーを行い、そして2023年にはアルバム『M.R.I_ミライ』を制作してリリースした。

2022年6月4日、自身のtwitterにて、航空自衛隊のアクロバット飛行チームブルーインパルスの展示飛行用音楽の制作を進めていることを明かした。2023年度より使用される見込み。

2023年1月7日、2022年度の第64回交通文化賞を受賞。これは「公的活動、学術研究、芸術活動、国際的活動等を通じ、我が国の交通文化の向上に著しく貢献した者」に対して国土交通大臣より贈られる賞であり、向谷がこれまでにリリースした鉄道運転シミュレーションゲーム「トレイン・シミュレータ」や発車メロディや車内チャイム制作などに貢献したことを評価したものである。

鉄道音楽の制作

『Train Simulator』以外にも鉄道に関する音楽の活動を行っている。

2004年には九州旅客鉄道(JR九州)の九州新幹線新八代駅 - 鹿児島中央駅が開通した際に同線の業務音楽(発車音楽や車内音楽)制作を手がけたのをはじめ、以下の鉄道関連の音楽を手がけている。

京阪電気鉄道全駅の接近メロディと通過メロディ、18駅の発車メロディ作曲(2007年6月)

阪神電気鉄道全駅の発車・到着メロディ作曲・編曲(阪急電鉄神戸高速線高速神戸駅・新開地駅を含む)(2009年1月)

京成電鉄 スカイライナー(2代目AE形)のミュージックホーンと停車時に流れる車内BGMおよび車内チャイム作曲(2009年5月)

JR九州の観光特急「海幸山幸」のミュージックホーンと車内チャイム作曲(2009年10月)

JR九州所属の新幹線N700系電車の車内チャイムおよび九州新幹線の発車メロディ作曲(博多駅以外)(2011年3月)

JR九州の観光特急「A列車で行こう」の車内BGM作曲(2011年10月)

博多駅在来線ホームの発着メロディ作曲(2012年3月)

東急電鉄東横線渋谷駅の地上ホーム到着ベルメロディおよび地下ホーム発車ベルメロディ(2013年3月)

西武鉄道池袋線練馬高野台駅の発車メロディ編曲(2015年1月)

阪神電鉄甲子園駅の列車接近メロディ編曲※春のセンバツまたは夏の選手権大会期間中のみ(2015年3月)

小倉駅在来線ホーム・大分駅・宮崎駅・由布院駅・宮崎空港駅の接近・発着メロディ作曲・編曲(2015年5月)

東京メトロ東西線全駅(中野駅を除く)の発車メロディ作曲・編曲(2015年5月)

若桜鉄道の車内メロディ作曲(2015年10月)

京阪鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)の車内BGM(上下、通常期・正月期・七五三期)(2016年4月)

西武鉄道観光列車「旅するレストラン 52席の至福」の車内メロディ(2016年)

「或る列車」の車内BGM(2016年7月)

三陸鉄道釜石駅の発車メロディ(2016年7月)

京阪電気鉄道の快速特急「洛楽」停車駅5駅の発車メロディ(2017年8月)

福岡市地下鉄七隈線の接近メロディ(2019年3月)

JR九州在来線のホームドア開閉時チャイム

泉北高速鉄道の発車メロディ(2022年3月)

東急目黒線(東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線、相模鉄道各線)の車載メロディーを作曲(2022年8月)

西九州新幹線の車内チャイムおよび発車メロディ(2022年9月)

遠州鉄道新浜松駅の発車メロディ「Windy Town」(2021年11月2日より。12月5日から西鹿島駅でも使用開始)

2024/05/18 17:39更新

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