寺内一隆のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
寺内 一隆(てらうち かずたか、1912年9月3日 - 没年不明[戦死])は、愛媛県出身のプロ野球選手(外野手)。
松山商業では1930年に第7回選抜中等学校野球大会、第16回全国中等学校優勝野球大会に出場し、選抜大会は準優勝している。
立教大学に進学し、コロムビアを経て、1937年にイーグルスへ入団。1942年シーズン途中には選手兼任監督も務めた。1938年秋に記録した打率.113は、同年春に記録したチームメイトであった山田潔の.107に次ぐ、規定打席に到達した打者の中では2番目に低い数字である。
1943年に召集される。戦争中にラバウルで戦死した。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
詳細情報
各年度の太字はリーグ最高
イーグルスは、1940年途中に黒鷲(黒鷲軍)に、1942年に大和(大和軍)に球団名を変更
2 (1937年 - 1941年)
30 (1942年)
関連項目
愛媛県出身の人物一覧
立教大学の人物一覧
大和軍の選手一覧
日本の野球選手
愛媛県立松山商業高等学校出身の野球選手
立教大学野球部の選手
立教大学出身の人物
日本コロムビア硬式野球部及びその前身チームの選手
大和軍及びその前身球団の選手
日本の野球監督
太平洋戦争で戦死した人物
愛媛県出身の人物
1912年生
1940年代没
野球に関する記事
プロジェクト人物伝項目
すべてのスタブ記事
野球選手に関するスタブ