石浜恒夫: 1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。
尾崎秀樹: 牧野の元で寺内大吉や伊藤桂一と知り合う。
胡桃沢耕史: その後、本名の清水正二郎名義で高校の先輩寺内大吉の始めた同人誌「近代説話」の同人となる。「近代説話」に精力的に作品を発表しながら、同人の司馬遼太郎、寺内大吉、黒岩重吾、伊藤桂一、永井路子などが次々に直木賞を受賞する傍らで、清水正二朗名義で多くの性豪小説を発表。
白鳥伸雄: なおこの日、寺内大吉や阿佐田哲也も同競輪場に来場していたが、阿佐田は見ず知らずの客に「これからもっとひどいことになるから、さっさとここから逃げたほうがいいよ。
堤清二: 国立学園小学校、東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て旧制成城高等学校(現・成城大学)に進学すると、寺内大吉に兄事し、後に「近代説話」の同人となる。
尾崎秀樹: 1960年からは寺内大吉の誘いで『近代説話』の同人として活躍。
田村孟: 原作・寺内大吉。
大場政夫: 大場のファンでもあった寺内大吉(スポーツライター)は、アモレス戦の観戦記の中で大場の右ストレートを「オネスト・ジョン」と呼び、その強烈さを表現している。
星新一: 1960年(昭和35年)、ショートショート6編(『弱点』、『生活維持省』、『雨』、『その子を殺すな!』、『信用ある製品』、『食事前の授業』)で第44回直木賞の候補作に選ばれる(最終受賞者は寺内大吉と黒岩重吾)。
白鳥伸雄: この時現場で観戦していた競輪解説者でもあった寺内大吉は、『白鳥の歌』(若山牧水・作詞、古関裕而・作曲)の出だし部分をもじって、白鳥に対する心情を詠んだ。
増村保造: セックス・チェック 第二の性(1968年、大映東京)原作:寺内大吉、脚本:池田一朗
永井路子: 『史脈瑞應「近代説話」からの遍路』寺内大吉共著 大正大学出版会 2004年
木村政彦: 直木賞作家の寺内大吉も「戦中の木村柔道をぼくはほんの二試合ほどしか見ていないが、それでも『鬼の政彦』を実証する強さだった。
橋本忍: 競輪ファンとして有名で、昭和40年代頃から50年代にかけては特別競輪決勝のTV中継にゲストとしてたびたび姿を見せており、寺内大吉と共に『論客』として競輪界への提言や出版物への寄稿なども行っていた。
今東光: 大宅壮一、福田定一(司馬遼太郎)、村上元三、寺内大吉をはじめ、天台院を訪れる識者は多士済々、柳原白蓮の姿もあった(本人談)。
伊藤桂一: 『文藝日本』のパトロン牧野吉晴のところで寺内大吉と知り合い、彼や司馬遼太郎が出そうとしているという『近代説話』に、やはり『文藝日本』の編集担当だった尾崎秀樹とともに参加した。
司馬遼太郎: さらに、当時親しくなっていた成田有恒(寺内大吉)に勧められて小説を書くようになる。
富沢有為男: 戦時中には寺内大吉が富沢の下へ訪れ事実上の弟子となり、富沢が福島に移住してからも寺内は富沢に会うため度々福島を訪れたが、富沢は寺内に文学だけでなく競輪も教え、共に現地の競輪場へ赴いたりもしていた。
中村敦夫: また、解説の寺内大吉とともに、1970年代後半頃から特別競輪(現在のGI)決勝戦中継のレギュラーゲストとして出演。