山口哲治の情報(やまぐちてつじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山口 哲治さんについて調べます
■名前・氏名 |
山口哲治と関係のある人
トニー=ミューサー: 初本塁打:1979年5月3日、対近鉄バファローズ前期5回戦(平和台球場)、6回裏に山口哲治からソロ 金本圭太: 同期入団は、服部公太・影山貴志・高田純・松永一慶・山口哲治・秋満勝二・上田実。 新井宏昌: 「金銭トレードではまずい、交換トレードで」との南海側の希望から、山口哲治プラス金銭との交換で近鉄に移籍。 加藤俊夫: 100本塁打:1980年6月14日、対近鉄バファローズ前期9回戦(日生球場)、9回表に山口哲治から左越2ラン ※史上112人目 大嶋一也: 同期に西山昇一、西島義則、山口哲治らがいる。 木下透: 智弁学園の山口哲治を攻め、1回表に1点を先制する。 尾上旭: 1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高の山口哲治に抑えられ敗退 。 春日昭之介: 初打席:同上、9回表に山口哲治の前に凡退 西島義則: 同期には若女井正、大嶋一也、山口哲治らがいる。 福家雅明: 同年夏は、県予選準々決勝で智辯学園の山口哲治に完封され、甲子園出場はならなかった。 柿崎幸男: 初盗塁:1980年8月1日、対近鉄バファローズ後期3回戦(平和台球場)、9回表に二盗(投手:山口哲治、捕手:梨田昌崇) 川又米利: 高校2年時の1977年春の選抜では準々決勝に進むが、智弁学園の山口哲治に抑えられ敗退。 小松辰雄: 同年夏の甲子園では、1回戦で奈良・智弁学園の山口哲治と壮絶な投手戦を繰り広げるが、序盤に制球を乱して喫した2失点が響き、1対2で敗退した。 山川猛: 初打点:1981年9月29日、対近鉄バファローズ後期13回戦(日生球場)、5回表に山口哲治から2点適時打 駒崎幸一: 甲子園では、2回戦(初戦)で智辯学園高のエース山口哲治に抑えられ敗退。 高井保弘: 100本塁打:1979年6月12日、対近鉄バファローズ前期10回戦(西京極球場)、7回裏に山口哲治から右中間ソロ ※史上104人目 田中毅彦: 1回戦で智辯学園の山口哲治に抑えられ敗退。 米村理: 県内の同期には甲子園へ出場した智弁学園・山口哲治、天理高・鈴木康友がいて、後に楽天では鈴木とは一軍コーチ、山口は球団スタッフとして同じチームで日本一を経験した。 上村恭生: 同期に山口哲治がいる。 弓岡敬二郎: 準々決勝で智辯学園のエース山口哲治を打ち崩し、準決勝に進むが小山高に0-1で惜敗。 上川誠二: 準決勝で山口哲治のいた智弁学園を降し決勝に進出。 |
山口哲治の情報まとめ
山口 哲治(やまぐち てつじ)さんの誕生日は1959年4月17日です。奈良出身の野球選手のようです。
卒業、引退、ドラマに関する情報もありますね。山口哲治の現在の年齢は65歳のようです。
山口哲治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 山口 哲治(やまぐち てつじ、1959年4月17日 - )は、奈良県五條市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 智辯学園高校の2年生だった1976年の春に、第48回選抜高等学校野球大会へ出場。卒業後に同志社大学や三菱自動車京都に所属した阪本正行と山口を併用することによって、初出場ながら準々決勝まで進出。山口は準々決勝の先発を任されたが、松本正志や弓岡敬二郎を擁する東洋大姫路高校に敗れた。夏の全国大会奈良大会では、中学校時代の同級生である鈴木康友がいた天理高校と決勝で対戦。福家雅明と投げ合ったが、引き分け再試合の末に、春夏連続の甲子園行きを逃した。 翌1977年には、エースとして、春夏連続で甲子園の全国大会へ出場。春の第49回選抜高等学校野球大会では準決勝に進むが、上川誠二のいた箕島高校に完封負けを喫した。夏には、奈良県予選の準々決勝で天理高校に雪辱すると、紀和大会の決勝で和歌山県立田辺高校と対戦。木下透との投げ合いを制した末に、紀和(奈良県・和歌山県)代表として第59回全国高等学校野球選手権本大会への出場を果たした。本大会では、星稜高校との1回戦で小松辰雄との壮絶な投手戦を制したが、3回戦で今治西高校に敗れた。 1977年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから2位で指名されたことを機に、同球団へ入団した。背番号は29。 1978年には一軍公式戦での登板機会がなかった。 1979年には、シュートを武器に一軍へ定着。長身と端正な顔立ちで女性ファンの人気も高く、先発・抑え要員として積極的に起用され、最優秀防御率のタイトルを獲得した。阪急ブレーブスとのプレーオフでは、3試合連続で抑えとして登板。いずれも完璧に抑え第1、2戦ではセーブを記録、最終第3戦は勝利投手となる。近鉄史上初のリーグ優勝・日本シリーズ進出へ大きく貢献、プレーオフMVPを受賞した。広島東洋カープとの日本シリーズは3試合にリリーフで登板。最終第7戦では8回から登板し2イニングを1安打無失点3三振に抑えるが、チームはシリーズ制覇を逃した。 1980年は故障もあって低迷する。 1981年は4勝3セーブを記録し復活の兆しを見せる。8月2日には日本ハムファイターズの木田勇と投げ合い、プロ初完封を飾った。 1983年以降は再び腰痛などに見舞われ伸び悩む。 1985年のシーズン終了後に、新井宏昌との交換トレードで南海ホークスへ移籍。 1986年から2年間は、投手としては珍しく、1桁の背番号(新井が移籍前まで付けていた6)を着用していた。 1988年に29歳で引退した。 1989年には阪神タイガース、1990年から1996年までは古巣の近鉄で打撃投手を務める。近鉄では、1997年から1998年まで二軍投手コーチを務めた。 1999年から2003年まで同球団のフロント業務へ就いた。 2004年に二軍投手コーチへ復帰。しかし、近鉄球団がオリックス・ブルーウェーブへの吸収合併によって2004年限りで消滅したため、2005年からは新設球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに籍を置いている。 楽天では、創設1年目からチーフスコアラーを担当。 2013年から編成部へ異動すると、プロスカウトを経て、プロ・スカウトグループのマネジャーを務めた。 2017年1月27日付で、新設ポストのピッチングコーディネーターに就任。プロスカウトとの兼務扱いながら、投手コーチに準ずるポストで、事実上13年振りの現場復帰を果たした。 2018年からは再びスカウトに復帰していた。 2020年12月11日、退団が発表された。 2021年に福井工大福井高校野球部コーチに就任。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1979年) パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1979年) 初登板:1979年4月18日、対日本ハムファイターズ前期2回戦(日本生命球場)、7回表から3番手で救援登板・完了、3回無失点 初先発:1979年5月3日、対西武ライオンズ前期5回戦(平和台球場)、5回2/3を2失点で勝敗つかず 初勝利:1979年5月19日、対西武ライオンズ前期7回戦(平和台球場)、4回裏無死から2番手で救援登板・完了、6回無失点 初先発勝利・初完投勝利:1979年6月18日、対日本ハムファイターズ前期12回戦(藤井寺球場)、10回2失点(自責点1) 初セーブ:1979年7月19日、対ロッテオリオンズ後期2回戦(静岡草薙球場)、6回裏から3番手で救援登板・完了、4回無失点 初完封勝利:1981年8月2日、対日本ハムファイターズ後期6回戦(札幌円山球場) 29 (1978年 - 1985年) 6 (1986年 - 1987年) 16 (1988年) 98 (1989年) 91 (1990年) 101 (1991年 - 1996年) 86 (1997年 - 1998年、2004年) 71 (2017年) ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ 「江夏の21球」の直前もう1つのドラマ「山口哲治の18球」/パ伝説 日刊スポーツ 2021年5月18日 ^ 楽天の池山1軍打撃コーチ、今季から1軍チーフコーチに(『Full-Count』2017年1月27日付記事) ^ “楽天 チームスタッフ5人の退団を発表”. Sponichi Annex. (2020年12月11日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/12/11/kiji/20201211s00001173291000c.html 2020年12月11日閲覧。 ^ 硬式野球部コーチ 就任のお知らせ (金井学園・福井工業大学附属福井高等学校)|PRESS RELEASE 奈良県出身の人物一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 柚木進 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 宅和本司 1955 中川隆 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保田治 1963 久保征弘 1964 妻島芳郎 1965 三浦清弘 1966 稲尾和久 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 木樽正明 1970 佐藤道郎 1971 山田久志 1972 清俊彦 1973 米田哲也 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山口哲治 1980 木田勇 1981 岡部憲章 1982 高橋里志 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 工藤公康 1986 佐藤義則 1987 工藤公康 1988 河野博文 1989 村田兆治 1990 野茂英雄 1991 渡辺智男 1992 赤堀元之 1993 工藤公康 1994 新谷博 1995 伊良部秀輝 1996 伊良部秀輝 1997 小宮山悟 1998 金村暁 1999 工藤公康 2000 戎信行 2001 N.ミンチー 2002 金田政彦 2003 斉藤和巳, 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 石川歩 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 山本由伸 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1位:金光興二(入団拒否) 2位:山口哲治 3位:佐野クリスト 4位:野田雲平 5位:香川正人 6位:村上良次 日本の野球選手 智辯学園高等学校出身の野球選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 最優秀防御率 (NPB) 日本の打撃投手 日本の野球指導者 阪神タイガース関連人物 東北楽天ゴールデンイーグルス関連人物 高校野球指導者 奈良県出身のスポーツ選手 1959年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2025/01/24 13:27更新
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yamaguchi tetsuji
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