もしもし情報局 > 6月6日 > 日本画家

川端龍子の情報 (かわばたりゅうし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

川端龍子の情報(かわばたりゅうし) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

川端 龍子さんについて調べます

■名前・氏名
川端 龍子
(読み:かわばた りゅうし)
■職業
日本画家
■川端龍子の誕生日・生年月日
1885年6月6日
酉年(とり年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
和歌山出身

川端龍子と同じ1885年生まれの有名人・芸能人

川端龍子と同じ6月6日生まれの有名人・芸能人

川端龍子と同じ出身地和歌山県生まれの有名人・芸能人


川端龍子と関係のある人

林承賢: この事件を題材に、川端龍子が第22回青龍社展(1950年)で日本画の大作『金閣炎上』を発表している。


川端康成: 馬込文士村には尾崎士郎をはじめ、広津和郎、宇野千代、子母沢寛、萩原朔太郎、室生犀星、岡田三郎のほか、川端龍子、小林古径、伊東深水などの画家もいて、彼らと賑やかに交流した。


安井邦彦: 没後50年記念 川端龍子 -超ド級の日本画-(山種美術館) - ナレーター


速水御舟: 1917年(大正6年)9月の第4回院展に『洛外六題』を出品し、横山大観、下村観山らに激賞され、川端龍子と共に日本美術院の同人に推挙された。


横山操: 川端龍子


佐伯秀男: 「僕の兵役」小泉純也・江川宇禮雄・水木京太・前田多門・相羽有・片岡音吾・安藤孝三・伊東東一郎・大川平八郎・新居格・光永星郎・大崎新吉・吉田秀人・岡譲二・高岡大輔・遠山元一・木村友衛・牧野周二・加藤勘十・北林透馬・佐藤惣之助・海野十三・檀野禮助・五島慶太・山田忍三・田原豐・秦豐吉・宇野浩二・飯村五郎・大下宇陀兒・太田亥十二・磯野秋雄・大山健二・川端龍子・梶原仲治・坪山德彌・吉植庄亮・中村武羅夫・小林秀恒・田原春次・神田伯龍・東郷靑兒・福原俊丸・井染四郎・赤城宗德・中村正常・愛野時一郎・淸澤洌・南部耕作・佐伯秀男・坂東好太郎・佐分利信・河野密・窪田四郎・石井德久次・松岡俊三・田中武雄・大辻司郎・山下太郎 : 『実業之日本』第40巻第19号所収、実業之日本社、1937年10月発行、p.158-172.


近藤浩一路: 近藤の画風は第六回入選作では浦上玉堂や川端龍子の色彩表現、群青派などの影響を受けており、同時代に流行していた写実主義的手法や光線表現など洋画手法取り入れ、「カラリスト浩一路」と評された。


建畠大夢: 1919年、帝国美術展覧会審査員に任命され、下村観山、川端龍子、保田龍門をはじめとする同郷の芸術家と南紀美術会を組織した。


横山操: 1940年 ‐ 当時もっとも新表現に先取的存在であったとされる青龍社(川端龍子が中心的人物の会)の主催する第12会青龍展に『隅田河岸』が入選。


丸木位里: 1936年には川端龍子が主宰する青龍社に《池》(広島県立美術館蔵)で初入選。


根本進: 北澤楽天に漫画を、川端龍子に日本画を学ぶ。


川端龍子の情報まとめ

もしもしロボ

川端 龍子(かわばた りゅうし)さんの誕生日は1885年6月6日です。和歌山出身の日本画家のようです。

もしもしロボ

龍子記念館、作風などについてまとめました。現在、家族、解散に関する情報もありますね。亡くなられているようです。

川端龍子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年〈明治18年〉6月6日 - 1966年〈昭和41年〉4月10日)は、日本画家、俳人。弟(異母弟)は『ホトトギス』の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も『ホトトギス』同人であった。本名は川端 昇太郎。

現在の和歌山県和歌山市で生まれる。幼少の頃、空に舞う色とりどりの鯉のぼりを見て、風にゆらめく圧倒的な鯉の躍動感に心引かれた龍子は、職人の下に通いつめると、その描き方を何度も真似をした。自分もこんな絵を描けるようになりたい、とこのとき思ったのが、画家龍子の原点であった。1895年(明治28年)、10歳の頃に家族とともに東京へ転居した。

城東高等小学校から東京府立第一中学校入学。一中分校から発展して東京府立第三中学校が設立されたことで三中に移籍。府立三中在学中の1903年(明治36年)に読売新聞社が『明治三十年画史』を一般募集した際に龍子は30作品を応募した。このうち『西南戦争の熊本城』と『軍艦富士の廻航』の2点が入選し40円(1点20円)の賞金を得た。これが本格的に画家を志すきっかけとなった。

画家としての龍子は、当初は白馬会絵画研究所および太平洋画会研究所に所属して洋画を描いていた。修善寺温泉で横山大観ら画家や俳人、歌人、文豪のパトロンになっていた新井旅館に籠って画作に励んで資金を蓄え1913年(大正2年)に渡米した。西洋画を学び、それで身を立てようと思っていたが、憧れの地アメリカで待っていたのは厳しい現実であった。日本人が描いた西洋画など誰も見向きもしない。西洋画への道に行き詰まりを感じていた。失意の中、立ち寄ったボストン美術館にて鎌倉時代の絵巻物の名作『平治物語絵巻』を見て感動したことがきっかけとなり、帰国後、日本画に転向した。

1915年(大正4年)、平福百穂らと「珊瑚会」を結成。同年、院展(再興日本美術院展)に初入選し、独学で日本画を習得した龍子は、4年という早さで1917年(大正6年)に近代日本画の巨匠横山大観率いる日本美術院同人となる。そして1921年(大正10年)に発表された作品『火生』は日本神話の英雄「ヤマトタケル」を描いた。赤い体を包むのは黄金の炎。命を宿したかのような動き、若き画家の野望がみなぎる、激しさに満ちた作品である。しかし、この絵が物議をかもした。当時の日本画壇では、個人が小さな空間で絵を鑑賞する「床の間芸術」と呼ばれるようなものが主流であった。繊細で優美な作品が持てはやされていた。龍子の激しい色使いと筆致は、粗暴で鑑賞に耐えないといわれた。

その後、1928年(昭和3年)には院展同人を辞し、翌1929年(昭和4年)には、「床の間芸術」と一線を画した「会場芸術」としての日本画を主張して「青龍社」を旗揚げして独自の道を歩んだ。縦1m85cm・幅8m38cmの大画面に展開する、鮮やかな群青の海と白い波との鮮烈なコンストラスト。激しくぶつかり合う水と水、波しぶき。壮大な水の世界を描いた『鳴門』は、当時の常識をくつがえす型破りな作品であった。その後も大作主義を標榜し、大画面の豪放な屏風画を得意とした。大正 - 昭和戦前の日本画壇においては異色の存在であった。

1931年(昭和6年)に朝日文化賞受賞。 1935年(昭和10年)、帝国美術院(帝国芸術院の前身)の改革に伴い会員、さらに1937年(昭和12年)には帝国芸術院会員となったが、1941年(昭和16年)に会員を辞任した。

1937年(昭和12年)に『潮騒』を発表。幅14mの超大作で、岸壁の海岸、深い海の青が浅くなるにつれ、透明度の高い緑に変化していく様子を鮮やかに描いている。この作品で龍子の筆致は大きく変わった。岩に激しくぶつかる水、そこには輪郭線がない。想像だけで描いた『鳴門』と比較すると繊細な波の動きがよりリアルに表現されていることが分かる。新たな水の表現を獲得した龍子であった。

1939年(昭和14年)、時世に応じて他の作家とともに陸軍美術協会に入会。1941年(昭和16年)に太平洋戦争勃発。自由に絵を描くことが許されない中で、龍子は作品を発表し続けた。1944年(昭和19年)の『水雷神』で、水にすむ神々が持ち上げているのは魚雷であり、暗く深い海の底、その水は重く濁っている。龍子はこの神々に命を投げ出し、突き進む特攻隊員の姿を重ねた。

龍子は戦前に長男と次女を亡くし、1941年(昭和16年)には弟の茅舎が病没。戦中は三男が戦地で亡くなり、1944年(昭和19年)7月17日に妻に先立たれた。重々しい色使いは龍子の心情の表れかも知れない。

終戦を翌々日に控えた1945年(昭和20年)8月13日には龍子の自宅も空襲に遭った。使用人2人が亡くなり、家屋のほか食糧難をしのぐため庭で育てていた野菜も被害を受けた。この後すぐ『爆弾散華』(2m49cm×1m88cm)を描き上げた。金箔や金色の砂子の背景にトマトが爆風でちぎれ飛ぶ様を描いたこの作品は、戦死者への追悼も込められているとみる解釈もある。また爆撃によりできた穴を「爆弾散華の池」として残した

第二次大戦後の1950年(昭和25年)、65歳になっていた龍子は妻と息子の供養のため、四国八十八ヵ所巡礼を始める。6年がかりで全札所を回り、各札所で淡彩のスケッチ(画家自らは「草描」と呼ぶ)を残した。これらは、札所で詠んだ俳句とともに画文集『四国遍路』として出版されている。

1959年(昭和34年)、文化勲章受章。没年の1966年(昭和41年)には、居宅に近い東京都大田区の池上本門寺大堂天井画として奉納すべく『龍』を描いたが未完のまま死去。墓所は、弟の茅舎とともに修善寺の裏手にある。渡米前に滞在した修善寺は気に入った場所で別荘も構え、その庭を描いた『龍子垣』という作品も残るほか、修善寺で苔むさせた東京の自宅に運ぶこともした。世話になった新井旅館の改装にも協力している。

後日、遺族の相談を受け龍子の遺作を実見した日本画家の奥村土牛は作品を激賞。奥村が画龍点睛して開眼の上、作品は大堂に奉納された。

龍子記念館

1963年(昭和38年)には、喜寿を記念して、長年住んだ東京都大田区に龍子記念館を設立し、自作を展示した。館は、当初は社団法人青龍社が運営していたが、1990年(平成2年)、同法人の解散とともに土地建物と龍子の作品は大田区に寄贈され、1991年(平成3年)より大田区立龍子記念館が運営されている。館に隣接する龍子のアトリエと旧宅庭園も公開されている。

また、龍子は自邸内に持仏堂を建てて古仏を安置していたが、これらのうち重要文化財指定の(応保2年(1162年)銘・毘沙門天立像は遺族により東京国立博物館に寄贈されている。

作風

激しく流れる水の流れとほとばしる波しぶきによる龍子の描いた水は、巨大なエネルギーで観る者を圧倒した。昭和の動乱期、画壇を飛び出し、独自の芸術を切り開いた日本画家である。けたはずれの大画面、龍子は躍動する水の世界を描き続けた。その水は画家の心を写すかのように時代と共に色や形を変えていった。

2024/06/25 13:08更新

kawabata ryuushi


川端龍子と同じ誕生日6月6日生まれ、同じ和歌山出身の人

垣内 哲也(かきうち てつや)
1970年6月6日生まれの有名人 和歌山出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。 …

三輪 修平(みわ しゅうへい)
1957年6月6日生まれの有名人 和歌山出身

三輪 修平(みわ しゅうへい、1957年6月6日 - )は、日本の漫画家。 和歌山県和歌山市生まれで大阪府大阪市育ち。 代表作は『劇画大楠公』、『宇宙への飛翔』 ともに第三文明社刊。『劇画松下村塾…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


川端龍子と近い名前の人

川畑 一志(かわばた いっし)
1989年8月21日生まれの有名人 埼玉出身

川畑 一志(かわばた いっし、1989年〈平成元年〉8月21日 - )は、日本テレビのアナウンサー。2023年以降は、コンテンツ戦略局のアナウンス部員と社長室の新規事業部員を兼務している(詳細後述)。…

川端 義明(かわばた よしあき)
1951年10月7日生まれの有名人 京都出身

川端 義明(かわばた よしあき、1951年〈昭和26年〉10月7日 - )は、元NHKアナウンサーで 現在はフリーアナウンサー、声優。 1975年3月 - 京都市立日吉ヶ丘高等学校を経て立命館大学…

川端 健嗣(かわばた けんじ)
1962年2月21日生まれの有名人 東京出身

川端 健嗣(かわばた けんじ、1962年(昭和37年)2月21日 - )は、フジテレビ秘書室役員待遇会長秘書チーフで、元同局アナウンサー。 既婚。 東京都中央区銀座出身。立教小学校、立教中学校(現…

川端 麻衣(かわばた まい)
12月28日生まれの有名人 東京出身

川端 麻衣(かわばた まい、12月28日 - )は、日本の声優、舞台女優。賢プロダクション所属。東京都出身。 江守徹による『山月記』の朗読を聞いて声優を志す。 スクールデュオ12期生。2012年…

川畑 泰史(かわばた やすし)
1967年6月22日生まれの有名人 京都出身

川畑 泰史(かわばた やすし、1967年〈昭和42年〉6月22日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優、脚本家。吉本新喜劇元座長の座員。京都府京都市伏見区出身。吉本興業(大阪)所属。NSC9期生。…

川端 達夫(かわばた たつお)
1945年1月24日生まれの有名人 滋賀出身

川端 達夫(かわばた たつお、1945年(昭和20年)1月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(第12・13代)、内閣府…

川畑 要(かわばた かなめ)
1979年1月28日生まれの有名人 東京出身

川畑 要(かわばた かなめ、1979年〈昭和54年〉1月28日 - )は、日本の男性ミュージシャン。2001年にCHEMISTRYとしてデビュー。2013年頃からソロとして本格的活動を開始。 身長…

河端 和哉(かわばた かずや)
1981年10月22日生まれの有名人 北海道出身

河端 和哉(かわばた かずや、1981年10月22日 - )は、北海道苫小牧市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 札幌大学在学中はサッカー部に所属し、200…

川端 絵美(かわばた えみ)
1970年2月13日生まれの有名人 北海道出身

川端 絵美(かわばた えみ、1970年2月13日 - 、現姓・北島)は、日本の元アルペンスキー競技の選手。アルペンスキー解説者。北海道札幌市出身。現役時代はKDD(現・KDDI)所属。 日本の女子ア…

川畑 強(かわばた つよし)
1920年3月17日生まれの有名人 鹿児島出身

3月17日生まれwiki情報なし(2024/06/26 17:16時点)

川端 順(かわばた じゅん)
1960年3月19日生まれの有名人 徳島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 川端 順(かわばた じゅん、1960年3月19日 - )は、徳島県板野郡松茂町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、政治家。松茂町議会…

川畑 輝鎮(かわばた きしん)
1965年4月29日生まれの有名人 鹿児島出身

川畑 輝鎮(かわばた きしん、1965年4月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は川畑 輝(かわばた ひかる)。鹿児島県大島郡出身。血液型O型。 専修大学時代は相撲部に在籍し、全国学生相…

川端 友紀(かわばた ゆき)
1989年5月12日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 川端 友紀(かわばた ゆき、1989年5月12日 - )は、日本の女子野球選手(内野手)、指導者、元ソフトボール選手(投手)。大阪府貝…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
川端龍子
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

amorecarina XOX MAGiC BOYZ Splash! Ange☆Reve キャンディzoo DISH// OCTPATH なにわ男子 Chelip 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「川端龍子」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました