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所ジョージの情報 (ところじょーじ)
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【6月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

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所 ジョージさんについて調べます

■名前・氏名
所 ジョージ
(読み:ところ じょーじ)
■職業
タレント
■所ジョージの誕生日・生年月日
1955年1月26日 (年齢69歳)
未年(ひつじ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
埼玉出身

(昭和30年)1955年生まれの人の年齢早見表

所ジョージと同じ1955年生まれの有名人・芸能人

所ジョージと同じ1月26日生まれの有名人・芸能人

所ジョージと同じ出身地埼玉県生まれの有名人・芸能人


所ジョージと関係のある人

藤東勤: 司会は所ジョージ、審査員は映画監督の大林宣彦、作詞家の売野雅勇、脚本家の畑嶺明、水谷公生、残間里江子と錚々たる顔ぶれ。


クニ河内: 1980年以降は、THE ALFEE、中島みゆき、所ジョージなどポニーキャニオンの歌手の編曲を多く担当した。


高橋良明: ドラマ『オヨビでない奴!』の主演が評価され、共演者である植木等・所ジョージとの3ショットがきっかけで、「第二の植木等」「第二の所ジョージ」と評された。


倉田まり子: 花王(花王石鹸) - ドレッサー(1979年 - 1982年)、花王ヘアケアまつり(1982年、所ジョージと共演)


三宅康夫: 小室等 - GARO(堀内護・日高富明・大野真澄) - かまやつひろし - タモリ - 研ナオコ - 由紀さおり - THE JANET(松尾一彦・大間ジロー) - Skirt(堀川由理・十川貴美子) - 川村カオリ - 吉田拓郎 - 南こうせつ - KinKi Kids(堂本光一・堂本剛) - 所ジョージ - 篠原ともえ - ザ・フォーク・クルセダーズ(加藤和彦・北山修) - 和幸(加藤和彦) - 加山雄三 - さだまさし - 谷村新司 - 井上鑑 - 高橋研 - リンダ・ヘンリック - デイブ・ロジャース - ラリー・ネクテル - Doll's Vox - 笑福亭鶴瓶 - ももいろクローバーZ(百田夏菜子・玉井詩織・佐々木彩夏・高城れに) - FANTA(マーティ・フリードマン・綾小路翔) - 久保田一竹


篠原さなえ: ニッポン放送 「所ジョージのサンデースポーツパラダイス」・「カモン・ザ・ナイト 大江戸アドヴェンチャー」


上柳昌彦: 所ジョージの足かけ二日大進撃(1981年 - 1983年) - 番組内の産経新聞ニュース担当などで毎週レギュラー出演


明石家さんま: 同期で盟友の島田紳助をはじめ、中居正広、笑福亭鶴瓶、所ジョージ、中村勘三郎、桑田佳祐、元妻の大竹しのぶ、娘のIMALUなどから「話を盛る」「話していることの九割は嘘」「どうしてそんなに嘘がつけるの?」などと辛辣な発言をされるのがお約束の流れである。


所十三: ペンネームの「所」は大学時代に所ジョージに似ていたことから、漫画クラブの先輩がつけたニックネームに由来し、会員番号が3であることから当時は「所-03」のペンネームを使用していた。


クニ河内: 所ジョージ『Do Do Do』(編曲)


清水圭: 所ジョージのオールナイトニッポンGOLD(2009年 - 2010年、ニッポン放送)


滝大作: 香港&東京(香港対東京比較的考察的風刺歌)(歌:所ジョージ、作曲:所ジョージ、編曲:クニ河内)


井田由美: バスクリンファミリータイム 所ジョージのモノMONOウォーズ(1985年1月15日 - 1985年6月25日)


辻親八: “『トイ・ストーリー4』唐沢寿明&所ジョージが声優を続投!”. シネマトゥディ (2018年12月20日). 2018年12月20日閲覧。


髙地優吾: 将来は溶接の機械などを入れて作業ができるガレージを作り、世田谷ベースなどを所有する「所ジョージのようになりたい」、「“髙地優吾イチからバイクを組み立ててみた”的な企画もやってみたい。


俵孝太郎: 『マジカル頭脳パワー!!』ではレギュラー解答者として、所ジョージに次ぐ2位の21回のトップ賞回数を誇った。


明石英一郎: また山本コウタローの番組にも影響を受けた他、ビートたけし・タモリ・所ジョージ・とんねるずといった70年代後半から80年代にかけてのオールナイトニッポンも楽しんでいた。


武双山正士: 現役時代は、所ジョージとも親交があり、所が司会を務める番組によく出演していた。


井田由美: しかし、所ジョージのアシスタントを務めた『所ジョージのモノMONOウォーズ』は短命に終わり、それから3か月後にスポンサーごと所の冠番組が他局へ渡る憂き目に遭う。


高平哲郎: 同年、日活ロマンポルノにて、監督:山本晋也、脚本:面白グループ、主演:柄本明、主題歌:所ジョージ、音楽:アルフィーで、『赤塚不二夫のギャグポルノ 気分を出してもう一度』が制作される。


野沢直子: 東京農業大学第一高等学校在学時に、所ジョージが司会を担当していた素人参加番組『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)に出演。


うえやなぎまさひこ: 所ジョージの足かけ二日大進撃(1981年 - 1983年) - 番組内の産経新聞ニュース担当などで毎週レギュラー出演


鯉川のぼる: 所ジョージ


安達元一: タモリ、ビートたけし、明石家さんま、とんねるず、SMAP、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、所ジョージ、みのもんたら有名タレントの番組を同時に担当し、1週間で担当する番組の全視聴率を合計すると200%を越えることから「視聴率200%男」と自ら名乗る。


亘健太郎: アメカジファッションを好み、所ジョージに憧れている。


谷啓: タレントの所ジョージと親交があったおり、所が面倒を見られなくなった巨大なアロワナを押しつけられた事があったようだが、断れない性格故に苦笑いしながらも引き取ってくれたと所が番組で述懐している。


太田伸一: あのねのねに弟子入りし、所ジョージのそっくり芸人としてデビュー。


井倉光一: 爆笑!迎春ブッちぎり 所ジョージのオールスター自動車レース大賞(TBS)


オール巨人: お笑い芸人以外でも所ジョージ、板東英二などが参加している。


井上鑑: 編曲家(ストリングスアレンジにて関わる作品含)、音楽プロデューサー・キーボーディストとして石川ひとみ、大瀧詠一、梶原秀剛、福山雅治、寺尾聰、稲垣潤一、THE ALFEE、南佳孝、松田聖子、渡辺満里奈、所ジョージらのアルバムやコンサートに参加。


所ジョージの情報まとめ

もしもしロボ

所 ジョージ(ところ じょーじ)さんの誕生日は1955年1月26日です。埼玉出身のタレントのようです。

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芸能活動、創作活動などについてまとめました。テレビ、引退、兄弟、現在、映画、父親、ドラマ、趣味に関する情報もありますね。所ジョージの現在の年齢は69歳のようです。

所ジョージのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

所 ジョージ(ところ ジョージ、1955年〈昭和30年〉1月26日 - )は、日本のシンガーソングライター、コメディアン、俳優。本名:芳賀 隆之(はが たかゆき、出生名:角田 隆之)。

埼玉県所沢市出身。東京都世田谷区成城在住。ティヴィクラブ所属。

小平市の錦城高等学校を経て1浪後、公募推薦で拓殖大学商学部に進学するも学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される。

「シンガーソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。上記の通り、多数のジャンルに渡って幅広く活動を行っている。

本人は2013年春頃より親しい人たちに「還暦を過ぎても俺がテレビに出続けるのはどうかなぁ」と話すようになり、60歳を境に引退の可能性があると言われていた。しかし、実際は60歳を迎えた2016年以降も芸能活動を継続している。

芸能活動

芸名の由来

芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された。東京スポーツでの宇崎竜童の連載では「外国でも通用するような名前がいいだろう。オレの本名はシュージ(修史)で外国でも通用しそうだから..そうだ、『ジョージ』でどうだろう。そう、この瞬間に『所ジョージ』が誕生したんだ」と宇崎自身が述べており、「柳ジョージ」には触れられていない。タモリは「所」「とっころさん」、ビートたけし、坂崎幸之助からは「所」、和田アキ子は「所っち」、伊東四朗は「ジョージ」「とこちゃん」、明石家さんまは「所さん」や「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。一般的には「所さん」と呼ばれる事が多く、自身が司会を務める番組名も頭に「所さんの」と付くものが多い。

ミュージシャン・音楽面

拓殖大学に入学するも1度も授業に出ず、2年生に進級できなかったため音楽の道を志す。程なくデモテープが「面白い」と北島肇プロデューサーに認められて音楽業界に入る。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーヤとして、渋谷にあったライブハウス渋谷ジァン・ジァンで前座を務めていた。もう一人の河原崎直彦プロデューサーがダウン・タウン・ブギウギ・バンドも手掛けていた関係で宇崎竜童と出会い、前座で出演するに当たって「所ジョージ」と命名された。ライブ会場では小遣い稼ぎのために勝手に宇崎のシールを作って売ったり、ステージ上では「どうせ誰も聞いていない」との理由で餅を焼いて食べるなどしていた。人前で歌ったことがない状態からボーヤを経て、1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。

1980年代前半は、CBSソニーの新人登竜門の新宿ルイードなどでしばしば営業活動を行っていた。楽曲などの演奏はほとんどなく、主にしゃべり+ギターの流し芸人スタイルであった。大手との契約があったこの頃より、客を軽視するバカ芸風が確立された。

1998年、フジテレビの番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。

1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務める『さんまのまんま』に所がゲスト出演したことがきっかけで始まった。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りかかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。

2002年7月には、女性フォークデュオ「素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。

2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。

その他にも、NHK『みんなのうた』では、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている(前者は所の歌では未発売。ただし中尾隆聖、柳田ヒロ、赤坂東児らがカバーしたものがCD発売されている。後者は所の歌でCD発売)。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。

2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリース。また山本譲二とのユニット「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが叶わなかった。

2010年3月、アルバム『コケコッコゥ!!〜七色の声色〜』をリリース。八代亜紀、奥田民生、トータス松本、GO!GO!7188、ビートたけしとおぼしき声が聴こえるが、所は「最新技術を駆使して私の声を七色に変えている」と言い張っていた。その後のインタビューで所は、最新技術云々はレコード会社の契約上の問題で直接に歌手名を出せないがために考案した架空の設定であると語っている。

2012年10月8日に、”世田谷一郎”の名でYouTubeにチャンネル登録がされており、所ならではの遊び心に富んだ自主企画と合わせ、”最近の歌”と称して、生歌(販売前のものも含む)を投稿している。なお、所の意向により、収益化はしていないことも明らかにしている。後にチャンネル名が“SETAGAYA BASE 工作部”に変更されている。

2014年9月13日に自主レーベル「Jam Cracker Record」を設立し『JAM CRACKER 1』と『JAM CRACKER 2』の二作を同時に発売。CDの価格は破格の1枚756円、収録曲は2枚で合計29曲である。

曲作りに関しては、いろんなものが混在して明確ではないが、ベースには吉田拓郎やレッド・ツェッペリンがあると思うと話している。楽曲には遠慮のない表現やパロディが盛り込まれていることが多い。そのためレコード・CDが販売されても早々に廃盤になったり、ライブで演奏はできても発売されない楽曲も多くある。シングル『まったくやる気がございません』のイントロでも「滅多に売れたことのないと言う(以降省略)」と言っており、1982年のインタビュー記事では「うちは、宣伝もしないし、あまりプレスもしないんでね。もう限定盤みたいなもんです。(笑)〔ママ〕」と語っており、20周年記念アルバム『カニバーサミー』を出演番組で宣伝した際も「(自分の歌は)どうかしてる。売れないわけだ」とコメントした。しかし、デビューアルバム『現金に手を出せ!!』はオリコン最高位33位を記録し、シングル『寿司屋』はザ・ベストテンで、20位より下のかなり低い順位ではあるがランクインしたこともある。1982年のインタビュー記事では「ぼくのシングル盤だって、一万か二万は売れる」と語っている。

実体験をモチーフにした曲が多く、権威的なオーディオ関係誌のレビューコーナーで「ドキュメンタリーソングの第一人者」と評されたことがある。また、コミックソングも多いが、業界の中では宇崎竜童や奥田民生などから高い評価を受けており、レコーディングに大物ミュージシャンや森高千里などの意外なゲストが参加することもある。友人であるアルフィーの高見沢俊彦は、『新堂本兄弟』に所がゲスト出演した際に「こいつ天才なんじゃないかな」と語っていた。音楽業界において唯一無二の存在であるが「一人だとその分野は盛り上がらない」と、自分の後に続く者が現れないことを嘆いてもいる。

パロディに関しては、若手の頃から所の楽曲作りにおいて欠かせないものとなっている。ロックやバラード、テクノやレゲエ、演歌、民謡、民族音楽、童謡、軍歌に至るまで、ジャンルにとらわれることなく幅広い曲作りをしている。

レコーディングされたもっとも短い楽曲は、「スブタ」という曲(『ホング・コングの逆襲』『史上最大全集しょのいち』収録)。歌詞が12文字、演奏時間が5秒の作品。よくバラエティ番組で披露されることが多い。『どっちの料理ショー』や『SMAP×SMAP』で紹介されたこともある。

NHK『スタジオパークからこんにちは』出演時 に「♪梅雨時ーに元気なのはカタツームリー。元気なのに、遅い」(『安全第二』収録の「かたつむり」)という、大抵の人が聞いたら呆れる歌(所本人が発言)を歌った際、住吉美紀(当時NHKアナウンサー)が曲を聴いて生放送中に感動して泣きだすハプニングがあり、所が「あなたどういう感覚してるんだろう」と驚いていた。

コミックソングを歌う反面、心に染み入る歌や哲学的で深い内容の歌も数多く歌っている。音楽評論家の萩原健太は、2009年2月17日放送の『誰も知らない泣ける歌』において「僕は所さんの歌が大好きで、本当に良い曲多いんですよ。日本で一番過小評価されているシンガーソングライターだと思います」と評している。その日、所が自分の歌で一番好きだと言っているという「ご自由にどうぞ」(『洗濯脱水』収録)が「娘への愛にあふれた歌」として紹介された。

大きな影響を受けたという吉田拓郎が司会を務めていた『LOVE LOVEあいしてる』に3度出演した際、吉田の楽曲を色々貰ったので、お返しに「『ラクダの商人』や『精霊もどし』あげる」と所の楽曲をプレゼントしようとすると、吉田から、「いらない」とあっさり断られた。なお、貰った楽曲のうちの1曲「恋の唄」は、所が2番の歌詞を書き加えて、1999年に発売したアルバム『洗濯脱水』に収録している。

ギターで3カポを多用するため、3フレット分ネックをカットしたギターをオーダーメイドした。ボディの裏側に大きく「TURBO」と書かれていたため、「ターボギター」と呼ばれていた。後に井上陽水にこのギターをプレゼントした際、陽水はネックの短さに驚いている。この経緯については『LIVE 絶滅の危機』に、所本人が語っている様子が収録されている。

宝くじ・ミスタードーナツのCMやいくつかの看板番組では出演するとともに、テーマソングを作詞・作曲し歌っている。なお、日本石油(現在のJXTGエネルギー)が発行していた『日石・ONE-UPカード』のCMにも1987年から1989年まで出演していたが、歌詞の内容から恐らく作詞・作曲を手掛けたとおぼしきCMオリジナルソング(1989年頃に放映された、『映画・バットマン』とのコラボレーションCMにてCMソングとして起用された)は本人の歌唱ではない。『世界まる見え!テレビ特捜部』におけるラサール石井の証言によれば、出演料だけでなく、別途作詞・作曲料も請求している。この件に関して、所本人は否定せず苦笑していた。ただし、所とのCM契約終了後も使用されていることがあり、ネタか本当かは不明。また、『所萬遊記』では「権利料はいらないから過去の曲を番組のテーマなどに使用して欲しい」などと話しており、現在は動画サイトで新曲を無料配信している。

音符を書いて譜面を書くことが面倒臭いのと、とっさに別荘に五線紙がない場合もあるため、歌詞の上に文字で音階を書いて譜面代わりにしている。

タモリがハナモゲラ語で作詞した「けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む」と言う歌がある(『ジョージのセロリ・パセリ』収録)。

タレント業

バラエティ番組等で見せる、肩の力を抜いたいい意味での「いい加減さ」が人気であり、司会等レギュラーを務める番組は多数で長寿番組も多い。また、「理想の父親」「上司ランキング」の常連でもある。そのリラックスした司会ぶりは、かつて島田紳助に羨ましがられていたこともある。

1977年、無名だった当時に『オールナイトニッポン』のメインパーソナリティに抜擢される。これをきっかけに本格的にタレント業に進出する。当初は『元祖どっきりカメラ』などで仕事中に駐車していた愛車をスクラップにされてたり(もちろんすり替えであるが、本人の目の前を本物の愛車が走って来て、そのまま壁にぶつけられてしまう)、歌詞を間違えたら私物没収→視聴者プレゼントでヨットを没収されたりなど、若手ならではのヨゴレ仕事もこなして来た。

1979年からは『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)のメイン司会者に就任し、一躍名が知れ渡ることとなる。この当時について、所は「とにかく『所ジョージ』の名前を覚えてもらおうと思って何でも仕事を引き受けた。どんな仕事をやってもソングライターの思いを持っていればいいと思ってた。でも、時代劇の中でどうすりゃソングライターの顔ができるんだよ。ドラマも同じ。そのうちソングライターだって忘れちゃった。24歳でいつの間にか司会業をやってた」と語り、「その後は誰もソングライターとして見てくれなくなった」との悩みも打ち明けている。

1984年、第22回ゴールデン・アロー賞放送賞受賞。

1983年から1990年まで、新人の頃から親交の厚いタモリが司会を務める『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)にレギュラー出演。『金言・格言 色紙でどうじょ!』『所ジョージさんの頭悪いんじゃないの?』などのコーナーが人気となる。同じフジテレビ系列では、1985年から『所さんのただものではない!』が始まり、1989年からは『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の準レギュラーを務める等、バラエティに欠かせない存在となる。

1986年から2001年まで、ミスタードーナツ(2010年に復帰)、1996年から2006年春まで宝くじのCMのイメージキャラクター(2015年に復帰)を務めている。明るく弾けたキャラクターでこれまでに無数のCMに出演。出演CMのCMソングも数多く手掛けた。

1997年にはCM出演に関して、アメリカの経済紙・ウォールストリート・ジャーナルの一面に取り上げられたことがある。トヨタ・キャバリエやコカ・コーラのCMに出ていたことを例に挙げ、「アメリカが日本に商品を売りたいのならジョージ・トコロに任せればいい。ミスター・トコロに匹敵するアメリカ通商代表はいない」と顔写真付きで紹介された。

前述のようにタレントとしての芸風は「いい加減さ」を売りにしているが、1980年代まではテレビでは縦横無尽に暴れまわる芸風であり、番組スタッフと内容を巡って以下のような軋轢を起こしている。

日本テレビ系列においては、『11PM』の水曜日の司会を長年続けた愛川欽也の勇退を受けて、1986年4月より水曜日の司会に起用された。これは同じ日本テレビ系列の『TV海賊チャンネル』での功績を認められての抜擢だった。しかし、『TV海賊チャンネル』時代には所ワールドと言ってもいいくらい自由だったのに対し、長寿番組『11PM』では制約が多く、スタッフらとの意見衝突もあって、半年で降板した。

フジテレビ系列においてはレギュラー出演していた『笑っていいとも!』において、所がやりたがっていた企画と、スタッフが所に出した企画の内容の違いが浮き彫りになった。次第に『いいとも!』が当初のマニア受けの番組から万人受けする番組に変化する中、所の存在や出演コーナーは番組全体から浮くようになった。スタッフとの考えの違いは埋めきれないまま、所は1990年3月に『いいとも』を降板。

これを契機に一時期フジテレビに対して不信感を抱き、次第にフジテレビでの仕事を減らし、『ものまね王座決定戦』の司会、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の準レギュラー、『所さんのただものではない!』の司会を1992年3月までにすべて降板した。1992年4月から1995年3月までは『世界の超豪華珍品料理』や『たけし・逸見の平成教育委員会』、『平成教育テレビ』(FNSの日)などの特番などには出演するものの、レギュラー番組への出演はない。1997年10月からは『奇跡体験!アンビリバボー』にレギュラー出演するも、2012年9月に降板。

こうした経緯によって、1990年代においては再度日本テレビでの仕事が多くなった。『マジカル頭脳パワー!!』ではかなりの正解率を誇り、VTR問題はVTRが出た瞬間に正解するなど、頭の回転力を見せつけ、ほぼ毎回トップ頭脳賞を獲得していた(出題される前に正答したことすらある)。しかし、スタッフのクイズ・ゲームを重視する主張と、所の「クイズも大事だが出演者同士のやりとりも大事」とする主張の対立により、1996年10月10日をもって同番組を降板した。

現在では日本テレビ、フジテレビともわだかまりもなくなり、日本テレビでは多くのレギュラー番組が存在し、フジテレビにおいても、かつてスタッフと喧嘩別れした『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に2014年3月の番組終了までに5回ゲストとして出演している。

2010年4月14日、『所ジョージのオールナイトニッポンGOLD 木曜日』収録中に体調の不良を訴え、病院で診察の上、各種検査(血液・CT・MRIなど)を行なったが原因は不明。レギュラー出演している番組収録は数日(翌週)持ち越され、自宅療養することとなった。しかし、収録再開後も体調不良は三週間に渡って続き、『所さんの世田谷ベース』や『所さんの目がテン!』などの収録は、体調が回復するまでキャンセルされた(「所さんの目がテン!」では、MCの代役に林家正蔵や峰竜太を立てて収録された)。所の体調不良は、『所さんの世田谷ベース』の「第78回:花見ドライブ」(2010年5月9日放送)・「第79回:めくるめくプラ戦車」(2010年5月23日放送)の回でも既に見られ、所自身はこの回の収録が直接のきっかけになったと述べている(『所さんの世田谷ベース』の「第80回:愉しきかな車いじり」オープニングトークより)。

俳優・声優業

俳優としては、1980年代半ばから1990年にかけて『うちの子にかぎって』『パパはニュースキャスター』『はいすくーる落書』『ママハハ・ブギ』などTBS系のドラマに脇役として多数出演。1993年に黒澤明監督作品『まあだだよ』に出演し、第17回日本アカデミー賞優秀助演男優賞、第36回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。1994年には名作の誉れ高い『私は貝になりたい』のリメイクに主演、当時は役者転向かとも言われたが、現在もタレント、ミュージシャン業をメインにしている。役者業をしたのは、ある人に曲が売れないことを話したところ、「ドラマに出演すれば、曲が売れるのではないか?」と唆されたからだと語っている。また、声優としても活動しており、海外ドラマの『アルフ』やピクサーの『トイ・ストーリー』シリーズ、宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』などに出演。

創作活動

雑誌

著書も数多いが、それとは別に雑誌の制作も行っている。現在も続刊中の月刊誌『ライトニング』は、所が自らの所属事務所であるティヴィクラブに出版部門を設立して創刊させたもの。その後『ライトニング』は枻出版社に版元変更し、本人との関わりはわずかとなったが、個人としてメディアを所有した芸能人は世界的にも稀である。他にも過去には『デイトナ』などトータル・コンセプターとして接している雑誌もある。テレビ番組『所さんの世田谷ベース』のムック版『所ジョージの世田谷ベース』や、ビートたけしと組んだ『FAMOSO』の編集にも関わっている。『FAMOSO』創刊号は即日で完売し、各地で展覧会が開かれるなど好評を博している。

発明、デザインなど

「創意工夫」をモットーとして、ライフワークとして発明家の顔も持っている。TxTハンマーアイアンというゴルフクラブの開発に携わり、北野武を共同発明者として特許を出願している(特願2005-234921)。他にもパットを真っ直ぐ打てるようになる小物などゴルフ絡みの発明は多い。それ以外にもテレビのリモコンと爪切りが合体した物や、ポットと懐中電灯がくっついた物といったユニークな発明も行っている。

Tシャツ、ジャケット、バッグ、腕時計といったファッショングッズのプロデュースもしている。多くの前掛けを繋ぎ合わせデニム風にして、自ら着用していたこともある。その他、フィギュアや置物、ステッカーなどもデザインし、ファッショングッズと共に販売もしている。所にはコーディネーターがいないため、テレビに出演する際には主に私服を着ているが、自身がデザインした服を着ることも多い。

またガンマニアである事が高じ、ウエスタンアームズで「世田谷ベース制式装備品」シリーズと題したカスタムエアソフトガンのプロデュースを行っている。

「今の時代は100年後に語られるものがない。昔の人が考えたものをそのまま使っているだけ。何か文化を残さないといけない」ということで、新しい漢字や四字熟語、民謡などを作ることを自身の宿題としている。いずれもシャレを交えているが、所流の創作四字熟語である『四字列語』は『朝日新聞』で連載され本にもなった。

絵描きとしても活動しており、『所さんのまもるもせめるも』など多くのテレビゲームのキャラクターデザインを手掛けている。また、『少年ビッグコミック』にて『ジョージ君の人間図鑑』というマンガを連載していた。2ページの見開きマンガで自身の趣味や日常生活を描いていた。自らデザインしたキャラクターを用いた『となりのトコロ』というアニメ(OVA)を制作したこともある。所自身がCGキャラクターとなった短編CGテレビアニメ『デジタル所さん』は、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアニー賞の最終選考にノミネートされ、アメリカのフィルムフェスティバルで金賞を受賞した(受賞者は原作・監督の今吉将之)。

2024/06/16 05:08更新

tokoro joji


所ジョージと同じ誕生日1月26日生まれ、同じ埼玉出身の人

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上杉 まゆみ(うえすぎ まゆみ、1996年1月26日 - )は、日本の子役、ジュニアアイドル。チャームキッズ、ストライクプロダクション所属。 埼玉県出身。血液型はA型。 趣味は漫画を描くこと。特技…

高田ぽる子(たかだ ぽるこ)
1999年1月26日生まれの有名人 埼玉出身

高田 ぽる子(たかだ ぽるこ、1999年1月26日 - )は、日本の女性お笑い芸人。マセキ芸能社所属。東京演芸協会会員。 北海道野付郡別海町出身。北海道別海高等学校卒業後、札幌市の札幌放送芸術&a…


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所ジョージと近い名前の人

所 十三(ところ じゅうぞう)
1961年8月30日生まれの有名人 静岡出身

所 十三(ところ じゅうぞう、1961年8月30日 - )は、日本の漫画家。静岡県掛川市出身。静岡県立掛川西高等学校、駒澤大学卒業。本名:岡田 信幸(おかだ のぶゆき)。 駒澤大学漫画クラブOBの…

和田 薫_(芸能事務所社長)(わだ かおる)
1965年4月8日生まれの有名人 大阪出身

和田 薫(わだ かおる、1965年4月8日 - )は、芸能事務所ハーモニープロモーションの代表取締役社長兼マネージャー。大阪府出身。血液型B型。 1980年、歩行者天国のアイドルのミッキー岡野の友…

所村 武蔵(しょむら むさし)
2000年2月24日生まれの有名人 石川出身

所村 武蔵(しょむら むさし、2000年2月24日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 実父はアメリカ人で、実母は日本人。「武蔵」という名前には、「宮本武蔵(剣術家)が江戸時代に二刀流(二刀剣法…

五条 恋(ごじょう れん)名義でAVでびゅーすることを発表。所属事務所はてぃーぱわーずとなる。同)
9月18日生まれの有名人 山梨出身

五条 恋(ごじょう れん、1997年11月18日 - )は、日本のAV女優、元グラビアアイドル。手品師。グラビアアイドル時代の芸名、結城ちか、髙橋 央、雛田 真依羽などの名義でも知られる。 山梨県…

田所 ちさ(たどころ ちさ)
1973年9月26日生まれの有名人 茨城出身

田所 ちさ(たどころ ちさ、1973年9月26日 - )は、日本の女優、声優。オフィスMORIMOTO所属。茨城県出身。 役者として活動する以前は幼稚園教諭であった。 こちら葛飾区亀有公園前派出…

所司 和晴(しょし かずはる)
1961年10月23日生まれの有名人 東京出身

所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )は、将棋棋士。平野広吉七段門下。棋士番号は172。東京都江東区出身、千葉県育ち。千葉県立船橋旭高等学校卒。「所司一門将棋センター」等を運営す…

田所 あずさ(たどころ あずさ)
1993年11月10日生まれの有名人 茨城出身

田所 あずさ(たどころ あずさ、1993年11月10日 - )は、日本の女性声優、歌手。茨城県水戸市出身。所属事務所はホリプロインターナショナル、所属レーベルはランティス。 代表作は『ウマ娘 プリテ…

五所 平之助(ごしょ へいのすけ)
1902年1月24日生まれの有名人 東京出身

五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日または2月1日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は…

最所 美咲(さいしょ みさき)
1980年10月8日生まれの有名人 福岡出身

最所 美咲(さいしょ みさき、1980年10月8日 - )は、日本の女優、作家、演出家。福岡県出身。九州大谷短期大学国文学科演劇放送コース卒業。身長163cm。体重45kg。血液型AB型。スターダス・…

壱智村 小真(いちむら おま)
1977年5月3日生まれの有名人 神奈川出身

壱智村 小真(いちむら おま、1977年5月3日 - )は、日本の女性声優。現在はフリー。神奈川県出身。 以前はオフィスCHKに所属していた。 2006年7月、櫻井浩美、浅井晴美と自主制作でネット…

城所 英夫(きどころ ひでお)
1927年10月4日生まれの有名人 東京出身

城所 英夫(きどころ ひでお、1927年10月4日 - 1997年6月15日)は、日本の俳優。劇団俳優座出身。 1927年(昭和2年)東京市生まれ(1930年生まれとも)。 劇団俳優座養成所に第…

別所 秀彦(べっしょ ひでひこ)
1964年3月13日生まれの有名人 北海道出身

3月13日生まれwiki情報なし(2024/06/19 07:45時点)

田所 拓也(たどころ たくや)
1982年5月13日生まれの有名人 熊本出身

田所 拓也(たどころ たくや、1982年5月13日 - )は、NHKのアナウンサー。 愛知県半田市生まれ、名古屋市出身。法政大学第一中・高等学校(現・法政大学中学校・高等学校)、法政大学社会学部卒…

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